SCHOOL OF LOCK!
SCHOOL OF LOCK!
復興なんかしなくていいから、全てなかったことになってほしい。

私は福島県に住んでいて、震災も経験してます。沿岸地域ではなかったので津波などの被害は特にありませんでした。しかし、地震が起きた時に家の中はぐちゃぐちゃ、食器はほとんど割れて、水は三日間断水しました。当時私は小学校6年生で、卒業式を控えていました。当然、卒業式は予定通りに行えず、3月のぎりぎりの日に教室で特別に開かれました。卒業式なのに、みんな地震でそわそわしていて、感動も何もなかったです。

中学校入学も予定より遅れ、なんだか締まらないまま新生活が始まりました。私はソフトボール部に入部しましたが、毎日廊下や体育館で交代しながらの練習。外で練習するときは、放射線量が少ない地域に移動しての練習。強豪校に行った友達は山形まで遠征していました。私は一年生でしたが、三年生はもっと辛かったと思います。ようやく外で活動できるようになったのは5月の終わりか6月の始まりくらい。それでも平日は2時間休日は3時間以内という制限された中の活動で、さらに蒸し暑くても必ず長袖で活動しました。汗が気持ち悪くても半袖にはなれなくて、とても辛かったです。それから日が経っても、風評被害は消えずむしろ酷くなるばかり。4年経ってもいまだに学校には必ず線量計がある。復興だ、復興だなんて政府は言ってるけれど現状は何も変わってなくて、まだ家に帰れない人もいて、帰ったとしても全てを失った人もたくさんいて、何が復興だ。なにも変わっていない。PRしなきゃ食べてもらえないお米、安全だって言っても食べてもらえない野菜や果物。子供は外で遊んじゃいけない。福島の海には何十年も入ることはできない。なんで福島に住んでいることを言いにくくなるのか、政府は何もしちゃいない。他の県だって助けてくれない。震災瓦礫はどこも引き取ってくれない。そりゃそうだ誰も放射線が入った瓦礫なんて欲しくない。受け入れようとしたってそこの地元の人が大反対。福島だけが取り残されている。宮城岩手の漁業は少しづつだけど再開しつつある、福島の漁業は再開しても試験的、放射線が基準値超えればなにも食べれない、越えてなくても福島県産だからって売れない。安くしないと買ってもらえない。政府に言いたいことは復興の政策を掲げていくよりもまず福島県産のご飯を食べて欲しい。福島のお米は美味しい、野菜も美味しい。桃なんて全国2位の生産量。なんで食べてもらえないんだ、放射線が怖いからだ。福島県民は毎日戦ってるんだ、何も変わらない現状と、何も変えてくれない政府と。ホールボディカウンターの検査を受けた。何回か受けた。母と話しててある言葉が出た「検査して、線量が多かったですと連絡が来てもどうすりゃいいんだよ」死ねばいいのか、いつか来るかもしれないガンに怯えて生活すればいいのか、忘れて生活すればいいのか、どうすりゃいいんだ。今やってることに意味があるのかもわからない。除染しても、元の線量がわからないから安全になったのかもわからない。
何を持って安全とするのかわからない。震災に関するニュースはどんどん減っているけれど、それは復興が進んでいるからじゃなくて、何も変わっていないからじゃないのか、進歩がないからじゃないのか。危険区域が解除された、車で自由に帰れる!ってなったってぐちゃぐちゃのままの家と家畜のいなくなった小屋と雑草が生い茂る地元に帰ってどうすりゃいいんだ。わからない。

福島県にいて、福島のニュースを見て新聞を見てるのに、今どうなってるのかが全くわからない。政府がどうやって復興させようとしているのかも伝わらない。自分たちで変えていきたくても何をすればいいのかわからない。わからないことだらけで、何がわかっていないのかもわからない。とにかくわたしは、復興なんかしなくていいから、全てなかったことになってほしい。

2011年3月11日14:45に戻って、地震なんか起きて欲しくない。

毎日変わらなくてもいいから平凡でもいいからこんな地獄なんてこなくていい。夢でもいいから帰りたい。自分は特別誰かを亡くしたわけでもない、家がなくなったわけでもないし帰れないわけじゃない。震災前と特に変わらない生活をして、不自由はほとんどない生活を送ってる。それでも震災前に戻って欲しい。全てがなかったことにしてほしい。幻だった、長い長い辛い夢であってほしい。目を開ければなにも変わらない日常だったってなってほしい。
叶わないけれど、もう、なにも叶わないけれど。

長文失礼しました。また、途中で口調が荒くなって申し訳ありません。でもこれが本音です。ほんとのほんとの気持ちです。

COPYRIGHT(C)TOKYO FM Broadcasting Co., Ltd. All Rights Reserved.