SCHOOL OF LOCK! 「SCHOOL OF LOCK!未来新聞」2016年3月11日号

SCHOOL OF LOCK! MIRAI SHINBUN 2016

5年を迎えるにあたって私の思うことが少しでも多くの人に伝わるといいなという気持ちで書かせてもらいます。

私の町は半分以上が津波の被害に合いました。電車は押し流され家の二階にまで津波が来て沿岸の家々は消えました。私の家も一階が被災し、今は修理して住んでいます。
震災当日。中学1年生だった私は学校で揺れを感じ、友人と手をつないで校庭に避難しました。しばらくして家族が迎えに来てくれて友人にじゃあね、とだけ言って沿岸の家に帰りました。
父は私を家に一人残して職場の様子を見に車で出て行きました。近所は人気がないようでものすごく静かでした。それまで何度か地震を経験していたので片付けて情報収集すればいいとラジオを聴いていた16:00過ぎ。[空港に津波。飛行機も押し流されています]とラジオから流れてきました。家の前は防風林が並んでいてその奥に海があります。まさかな、と思って双眼鏡で海の方角を見たら茶色の波が森林をなぎ倒し、車を巻き込み黒い水しぶきをあげながら近づいてくるのが見えました。周りの音は聞こえず自分の心臓の音がよく聞こえ、息が詰まりそうでした。とっさに家を飛び出し山のある北に向かって走りました。靴も履けず水に濡れ走っていた時、遠くで「津波が来たぞ逃げろ」と父の声がして私も叫びました。「お父さんここだよ、津波来たから逃げて。」
私は父の車に飛び乗り、踏切の降りていた遮断機も折って進み、津波を背に逃げ助かりました。
私は助かったけど、学校で一緒だった友人は沿岸の家に帰って亡くなりました。亡くなった彼女の元で手を合わせることがずっと出来ませんでした。合同慰霊祭という形でしか手を合わせてませんでした。5年になるにあたって、先日彼女の元で手を合わせる事がやっとできました。彼女の物は全て当時のままで、言葉にできない悲しさでした。
この季節、匂いや風であの日を思い出します。周囲は忘れてはいけないよと言うけど、あまりにも辛すぎて忘れたいけど、忘れられないんです。だから忘れてはいけないと言う人はそんなに被災してない人が使う言葉…。忘れてはいけないと言う人には本当に忘れてほしくないです。
全国のボランティアの人たちに片付けを手伝ってもらったり、支援物資を頂きました。大阪の人から浴衣を頂いたり、東京の人からシャンプーをもらったり…どこの誰からか分からないけど、本当は直接お礼を言いたいです。でもその機会が無くて…。あのたくさんの支援物資がなかったら…。感謝でいっぱいです。5年目、私は自分を被災者ではなく、被災者だった、にして感謝を伝え3.11を穏やかに迎えたいです。

RN はなぱ 宮城県 18歳 女

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