SCHOOL OF LOCK! 「SCHOOL OF LOCK!未来新聞」2016年3月11日号

SCHOOL OF LOCK! MIRAI SHINBUN 2016

12:20
東京駅12:00発のやまびこで福島は郡山へ。郡山に行くのは多分2年ぶり。確かあの時、郡山の男子にもらったパンがとても美味しかったのでまた食べたい。
でもどこのかも名前も一切知らないので手がかりなし、いきなり詰みました!
今は新幹線の中で、iPodでandymoriのとある曲を聴いております。震災があって、当時のやしろ教頭と放送前、放送中、放送後、ふたりで、職員も交えて、「どのような気持ちを持って言葉を届けたら良いんだろう」という事をずっとずっと考えてました。
そんななか、たくさんのアーティストが連日、東北の皆に向けて曲を届けてくれたのですが、andymoriのこの曲のタイトルがこれでもかというくらい腑に落ちました。こう思えば良いんだ、いや、こうなんだ、俺たちは。どこに住んでいようとも。
これから郡山の「兄弟」に会いに行ってきます!

14:17
郡山から在来線に乗り換えて、周りのおばあちゃん達の会話を聴きながら移動中。
雪が少ない。スキー場が見える。だけど、平日だからなのか滑ってる人全然いない雰囲気。猪苗代につきました。まだ電車は進みます。電車の中吊りの「会津アスパラ」「会津トマト」「会津米」軒並み美味しそう。ちなみに今は竹原ピストル先生聴いてます。

17:10
RN.くろっくろーと会う。
美味しい美味しい喜多方らーめんを食べて、今の一人暮らしどう?とか、両親、おじいちゃん、おばあちゃんの話とか、好きな娘の話とか、話をする。ちなみに最近その好きな娘とあまり連絡とれてないらしい、何してんだよ!

喫茶店につまずきながら入ってさらに話す。19歳。成人前だけど凛々しい顔としっかりした考えと揺るがない信念があるかっこいい男子だった。
昨日まで南相馬の親元に行ってきてそこで親世代、更に上のおじいちゃん、おばあちゃん世代が今どんな事を思っているのか教えてもらった。

とーやま校長:くろっくろー、今は何してるんだっけ?

くろっくろー:福祉の短大に行っています。

とーやま校長:今、学校はどう?

くろっくろー:授業は専門系で、かなり難しいですね(笑)。
とーやま校長: 2011年3月11日 。あの日から、もうすぐ5年が経つわけだけど、くろっくろーにとってみて、この5年は、もう5年?まだ5年?

くろっくろー:普通に生活してて思うのは、もう5年かっていうほうが大きいですね。でも、現状みたりすると、まだ5年でこんなもんなんだっていう思いは感じます。

とーやま校長:今はどこに住んでるの?

くろっくろー:ここ(会津若松駅)から自転車で10分ぐらいのところに住んでます。3月の終わりで1年になります。前は南相馬に住んでました。

とーやま校長:今、南相馬はどんな感じ?

くろっくろー:今朝まで地元に帰ってたので、親の車借りて、海沿いを見てきたんですけど防波堤の工事が全然進んでないですね。今まであった防災林とか、新しく木も植えてるんですけど、育つまで時間がかかるし、まだ道路からは見えないぐらいの大きさですね。でも、いろんな人がいろんなところから来てくれて、作業してくれているのでありがたいと思ってます。

とーやま校長:全国から来て、作業してくれてるんだ。

くろっくろー:今だと、除染の作業員さん、復興関係の工事、あと派遣で警察官や、消防の人たちが来てくれています。入れない区域の見回りを消防の人たちがやってくれているんですよ。今は減ってきているんですけど、けっこう前までは、入れない地域では窃盗が半端なかったんですよね。自動販売機とか。騒ぎに紛れて家電を持ってかれたりとか…。あとみんな急いで避難しているので鍵も開けっ放しだったりもして。

とーやま校長:くろっくろーの家は避難区域じゃないんだっけ?

くろっくろー:30km圏内にギリギリ入るんで最初は避難準備区域に入ってて、いつでも避難できるように準備しておいてくださいっていわれてたんですけど、そのあと、特定避難勧奨地点になりました。それはスポットごと、線量が高い地点で指定されるんですけど、避難するなら援助はするけど、住んでいても一応問題は無い、というところです。おじいちゃんとおばあちゃん、ひいおばあちゃんはそこにいて、お父さんとお母さんと妹は、同じ市内のアパートにいます。

とーやま校長:おじいちゃんおばあちゃんは何か言ってるの?

くろっくろー:自分たちはもう影響出るところにはいないかもしれないけど、僕らの世代のために行政で申し立てをしてるみたいです。でもそれも、却下されたり、受け入れてもらえなかったりですね。

とーやま校長:お父さんとかお母さんは?

くろっくろー:今は借り上げで住んでるんですけど、12月で特定避難勧奨地点が解除されたんですよ。なんで今度の3月で元いた場所に戻るしかないかなって言ってます。でも、線量が下がったのは下がったんですけど、他に比べればやっぱり高い方なんで、いろいろ…。

とーやま校長:国は戻ってOKですって言ってくれるかもしれないけど信頼はしてるの?

くろっくろー:……結果が得られてないというか、除染の効果が得られてないし、本当にそのデータでOKって言っても、本当に大丈夫なのかはわからないですね…。

とーやま校長:そうだよね。俺ですら思うからね。信じていいって思うけど今までそうじゃないこともいっぱいあって…信頼しなきゃいけないんだろうけど難しいよね。くろっくろー自身はどうしたいって思ってるの?

くろっくろー:自分がつきたい福祉系の仕事があれば戻りたいですけどなかなかないんです。震災後、若い人が避難した分、高齢化が一気に進んでいるんで介護系の仕事はあるんですけど。そうなると難しいかなって思ってます。

とーやま校長:今、俺は東京に住んでて、できることなんてほとんどないんだけど、ありがたい事にラジオで毎日しゃべらせてもらってて、思った時に思った事をしゃべるのが俺のやるべき事だなと思ってるんだけど…この前俺も「被災地」っていう言い方をしちゃったんだけど、もうその言い方よくねぇか?って思ってて。もう5年経つし、進んでない事もいっぱいあると思うけど、進んでる事もあるし。これは俺の勝手なエゴな話だったりするのかな?

くろっくろー:援助されてる側なのは間違いないんですけど、当時よりは色々変わってきてるし、進んでるはずなんで、呼び方は確かに違ってもいいかなって…。
あと、福島をカタカナ表記にする事もあるじゃないですか。広島とか長崎はそういうのを落とされて、それを伝えていくためにカタカナ表記にしてるのかもしれないけど、こっちは欲しくないものを建てられて、事故が起きて、被害を受けたのに、カタカナにされるのはいやだっていう年配の人とかもけっこういますね。

とーやま校長:ラジオとかテレビとか、いわゆるメディアの人に伝えたい事ある?

くろっくろー:伝えてる内容がどこの局でも似たり寄ったりだから、もうちょっと突っ込んだというか、普通にしてたらわからない事。外からだと分かりづらい事もちゃんと伝えてほしいな、っていうのは当時から思ってました。たまに、もう、終結したんでしょ?みたいな事を言われるんですけど、終結は全然してないようにしか思えないし、あの周りに住めてない時点で終結とは言えんのかって思います。

とーやま校長:ここからやるべき事って何なんだろうね?まだまだ漠然としてるかもしれないけど…

くろっくろー:若い人が少ないんですよ。特に沿岸部。高齢化が進んで、今までできてた行事もできなくなってるんですよ。やっぱり雇用がないと若い人戻ってこないし、街も活発にならないし、復興していかないのかなって思います。安全な防波堤を作って、雇用を確保して、人を呼ぶ事も必要なのかなって思いますね。

くろっくろーの未来新聞 2015年の記事

震災からもう4年。あれから街の様子は復興に向けて少しずつではあるが変わりつつある。僕の住んでいる南相馬市は沿岸部は津波の被害、小高区と原町区の一部は原発事故の影響で避難区域に指定されたりと多くの課題が山積みとなっている。あの当時は放射能のことで嫌な思いもたくさんした。けれど、一番心に残っているのはボランティアの方たちや除染の作業員の方たちが被災地のために今も一生懸命頑張ってくれていること。これは感謝してもしきれない。休みの日は宿舎の周りをゴミ拾いして地域に貢献してくれている。こんな細かいことはメディアにも取り上げられないし、みんなに伝わっていない。風評被害も未だ続いている。検査して基準をはるかに下回っていても売れない。安全をもっとわかりやすく国が責任もって伝えてほしい。みんなにもっと現状を知ってほしい。自分は今大学受験真っ最中。志望校に合格して行政、社会福祉の基礎を学びきって将来、生まれ育った地元の復興に携わり、よりよい街にするため自治体職員になりたい。そして被災地の復興の足跡を全国、いや、世界中に発信して二度とこんなことが繰り返されないように伝えていきたい。

あの日実感したこと、
『あたりまえがあたりまえじゃない』

この出来事は絶対忘れてはいけないし、語り継がれなければいけない。1年に1回、この3月11日に改めて身の回りのあたりまえについて考えてみることが必要だと思う。
とーやま校長:くろっくろーはこうして、記事を送ってくれたわけだけど、書こうと思ってくれたのはどうして?

くろっくろー:去年は、はじめて未来新聞を知って、伝えたい事書こう!と思って書いたんですけど…今年は未来新聞をやっている限り伝えてかなきゃいけないなと思ったし、書く機会が他にない分、言えるところで言っておかなきゃいけないっていう思いがあって、ちょうどいい機会だし、伝えようと思って書きました。

くろっくろーの未来新聞 2016年の記事

あの震災から5年が経とうとしている。当時私は中学2年だった。
あれから今まで早かったように感じるが、復興のスピードは決して早いとは感じない。
去年も未来新聞を書かせてもらった。それによって現状を知ってくれた人もいると思う。今回も今の現状を知って欲しい。

私の地元は福島県の浜通り地方といい、太平洋に面する地域である。
震災では地震や津波の被害に加えて、原発事故の居住制限や風評被害で大きな影響を受けたところである。
この1年復興作業や除染のため、全国各地にとどまらず海外からも作業員の方が来てくれて、毎日作業してくれています。
しかし、田畑の多くが作業員のための宿舎の建設に使用されており、一方では問題にもなっています。
また、作業員の中には夜や週末にコンビニや居酒屋、駅前などで集まっていたり、マナー違反な行動をして市民が住みにくい街にしているという実態もあるのが事実です。
一般的には復興してると見られがちですが、復興するにも犠牲が出ているということ、細部まで見るとまだ問題が山積みだというこの現状を理解して貰いたい。
私も福祉を学んでいる身として、人々がよりよく安心して住める地域づくり、福祉環境を整えられるような実践力のある専門家になりたい。

去年も書きましたが、私が1番伝えたいこと、あの日実感したこと。それは、『あたりまえがあたりまえじゃない』1年に1回、この3月11日に改めて震災を振り返り、身の回りのあたりまえについて考えてみることが必要だと思う。
とーやま校長:くろっくろーが書いてくれた記事の中に、「あたりまえの事が、あたりまえじゃない」って書いてくれてたけど、あれは、どういう言葉なのかな?

くろっくろー:震災があって、隣の学校のサテライト校舎で授業がはじまった時に担任の先生が言ってた言葉です。それにすごい共感っていうか、その通りだなと思って、何かあるたびにすぐ出てくるんですよね。
明日会えるって思ってた友達に次の日会えなくなるとか、明日も通うんだと思ってた学校に通えなくなったとか。いつ何があるかわからないんだと思って。あたりまえに思ってた事って、実はあたりまえじゃないんだなって、すごい感じましたね。

とーやま校長:俺、今すごいハッとしたけど、この言葉があれば、今近くにいる人にありがとうとかって思えるし、ありがとうって言わなきゃいけないなって思えるよね。学校も、仕事も、親も、兄弟にも。うん。大事な言葉だね、ありがとう。

とーやま校長:今19歳。今年20歳になるけど、将来の夢とかはあるの?

くろっくろー:今、福祉系の大学に行っているので、その中でも児童福祉に興味があるんで、そこに関わるような、福祉相談員だったり、福祉全般を見る部署に行ければなと思ってます。

とーやま校長:何で、福祉の仕事を目指そうと思ったの?

くろっくろー:震災受けたあとに、最初は公務員として市民全体のために働きたいと思ってたんですけど、今の短大に入って福祉について勉強するにつれて、福祉分野で役に立つ事がその中でも、児童系のほうが今もバイトとかで子供と接する機会があって、児童系がいいかなと思いました。

とーやま校長:くろっくろーが、2011年3月11日に思った事。当時中2、だよね。俺は当時、東京の木造の家にいたんだけど、その時めっちゃ揺れて、生まれてはじめて死ぬって思ったんだよね。未だにあの感覚を思い出すんだけど、この気持ちもそうだし、くろっくろーが今思ってる事、伝えたい事も、福祉の仕事についた時に、別に常に言えとは思わないけど、今の子供達にちゃんと伝えていってほしいなって思う。俺は基本的には東京にいるんで。いろいろ託すっていったらあれだけど、頼りにしてるし、何といったって、我が校の生徒だから。これからもよろしく!

くろっくろーは自分の夢も持ちつつ、地元福島の事もたくさん考えていた。僕は36歳でもそこまで地元の事なんて考えた事ないのに。見習うとこたくさん。

僕がラジオで喋る時「被災地」という言葉はそろそろ使いたくない、という話をした時に「フクシマ」とカタカナ表記されるのがイヤだという話が印象に残った。「ヒロシマ」「ナガサキ」は落とされたものだけど、自分で使って自分で置いていてそれが爆発して何が「フクシマ」だと。
これは怒りとかよりも、やるせないとか、そもそもどこに向けてよい感情なのかもわからないのでタチが悪いす。

1時間くらい、や、もっとか。喋って、写真とってお別れ。
塾のバイトのためにチャリ猛ダッシュ、事故に気をつけろよ、ほんと、また会おう!あと、好きな娘と連絡とれよ、何してんだよ!

TOPへ戻る