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THE ONE 音楽界の偉人を毎週1人ピックアップ。アーティストの持つ世界をみつめます

2011年9月18日(日)
山崎まさよし
全部、君だった。 / 山崎まさよし
「全部、君だった。」
山崎まさよし
卓越したギターテクニックと、暖かみのある歌声で、私たちを魅了する方ですよね。朴訥としていて、クシャっとなる笑顔は少年のようですが、そんな山崎さんも12月には、40才のお誕生日を迎えます。“ギターがカラダに貼り付いている人” そんな印象を与える山崎さん。デビューから16年、何を愛し、どんな愛に支えられてきたのでしょうか?
『山崎まさよしをデビューさせられないのなら、音楽業界を辞めてもいい。』これは、山崎さんが所属する事務所の社長と、初代マネージャーが、山崎さんを見出した頃、よく話していたこと。すでに音楽業界で活躍していたこの二人を、ここまで言わしめてしまう山崎さんの魅力は、ギターテクニックと、ノスタルジックな声でした。ある芸能事務所が開催したオーディションに、山崎さんが応募したのは19才の時。役者を目指す応募者に混じって、ギターによる弾き語りを披露した山崎さんは審査員特別賞を受賞。この時、初代マネージャーと知り合ったのです。中学生の頃からドラムとギターを独学で学び、音楽で生きていくことが夢だった山崎さん。彼は、知り合いとなったマネージャーに言われるがまま、曲ができるとデモテープを送ったり、依頼された曲をカバーしていました。
滋賀県に生まれ、山口育ちの山崎さんが、上京することになったのは、それから1年後。しかしそれは、デビューが決まったからではありませんでした。まずはマネージャーの家に居候し、アルバイトをしながら、時々もらえる音楽の仕事をやり、残りの時間は、ただひたすらに曲を作る日々でした。しばらくして、横浜・桜木町の寮に住むようになってからは、一人きりの生活。ヒマでヒマで、音楽以外することがなく、人恋しくて横浜の街を歩きまわっていたといいます。その頃、生まれたのが、山崎さんの存在を全国区にした「One more time. One more chance」。この曲は、山崎さんの歌詞づくりのグレードを上げたいと思っていた社長がアドバイスし、完成したもの。歌の中の “いつも探しているよ”というフレーズは、もともとあったものでしたが、探す場所は、そう多くありませんでした。そこで社長が、もっと、いろいろな場所を挙げるようにとアドバイスし、“向かいのホーム” “路地裏の窓” “明け方の街”・・・という、印象的で、私たちに情景を思いおこさせる、切ないフレーズが完成したのです。
月明かりに照されて / 山崎まさよし
「月明かりに照されて」
山崎まさよし
しかし、山崎さんがデビューするのは、まだまだ先。他のアーティスト目当てにライブに来たお客さんが、店先で入場を待っているあいだ、その行列に向けて歌わされ、嫌な思いをしたこともありました。それでも心が折れなかったのは、音楽でやっていきたいという強い気持ちがあったから。そして、自分のことを“天才より凄いヤツ”と言って支え、さまざまな音楽的アドバイスを授けてくれる、社長やマネージャーがいたから。こうした人々の愛に包まれて身をゆだね、修行を重ねること2年。1995年、ついに山崎さんは、メジャーデビューを果たすのです。
「月明かりに照らされて」「中華料理」「セロリ」・・・シングルをリリースするも、泣かず飛ばずだった山崎さん。しかし、自身が主演した映画の主題歌「One more time, One more chance」で一躍時の人となりました。デビュー前の修行時代も、デビュー後、売れなかった1年半の間も、「そうそう、うまくはいかないよ」と坦々と過ごし、心の強さを見せていた山崎さん。しかし、2枚目のアルバム「HOME」を作っている頃は、心身共に限界だったといいます。彼に衝撃を与えたのは、アルバムを制作するにあたり加入した、プロデューサーの存在。それまでは、自分の好きなように曲を作っていたのに、プロデューサーが入ることで思うようにならなくなったのです。それは、山崎さんにとって、自分を否定された感覚。プロデューサーの名前で売れるかもしれないという目論見も、不本意だったといいます。しかも、そうして出来上がったアルバムを、マスコミに対して説明するのは自分。なにを、どんな風に説明していいのかわからず、適当にごまかす、そんな自分にも腹がたち、モヤモヤとしていました。
そうしたことがストレスになってか、肩に痛みが発症。はじめての弾き語りライブツアーは、山崎さんにとっては辛い想い出です。思うようにギターが弾けず、悔しくて楽屋の壁を拳で殴りつけたこともありました。その肩の痛みは、後に山崎さんの持病となり、忙しくなると痛みだすようになってしまいました。それでも「あの時の苦しさがあったから、今も頑張れるのかもしれない・・・」デビュー15周年を向かえ、当時をそう振り返っています。
花火 / 山崎まさよし
「花火」
山崎まさよし
そんな山崎さんですから、歌詞に紡ぐのは、未来のことより、過去のこと。安易に“夢は叶うさ”とか、“みんな頑張ろう” “いつかこうなりたいね”なんて言葉は、言いたくないんだそうです。それよりも、人間が誰しも持っている淋しさや孤独を歌い、結果的に聴いた人が、前を向いて歩いていけるようになれば、それが成功だと語っています。
『音楽は血液。カラダの組織に似ている』という山崎さん。出来上がった曲が、人には聴かせられないような出来だった場合、血液がドロドロで、体調がよくないのかな?と思うそうです。それぐらい、山崎さんは音楽と共に生きているということなのでしょう。でも、それは逆に、“自分さえ気を付ければコントロールすることができる”という“自信の表れ”と言っても、言い過ぎではないような気がします。
同じ事務所のスガシカオさんに、「ギターって、練習するものなんだよ」と語ったという山崎さん。ギターに対する愛があふれている発言ですよね。その言葉のとおり、山崎さんのギターテクニックは、デビュー当時、その技術に惚れ込んだという、事務所の社長や初代マネージャーでさえ、いま見ても進化していて驚かされるといいます。そのあくなく探求心は、クラシックにも向かい、この春、オーケストラホールの名門「SUNTORY HALL」で、音楽家の服部隆之さんをコンダクターに迎えクラシック・スタイルのコンサートを行いました。
『自分に足りないものは何か?』そう考えるのが好きだという山崎さん。これからも、スタッフの愛に包まれ、ギターを愛し、足りないものを見つけては補い、進化し続けていくのでしょう。今夜は、山崎まさよしさんをピックアップしました。