ON AIR REPORT オンエアレポート

入魂のショパン2018 直前スペシャル2!

2018.04.16


今週もお聴きいただきありがとうございました。
5月5日に東京オペラシティで行う 「横山幸雄 “入魂のショパン”2018 Vol.9」 に向けて、直前スペシャル2回目!をお送りしました。

入魂のショパンは9回目をむかえ、横山さんもショパンがますます近い存在に感じられるそうです。今回は、久しぶりに10時間を越えるリサイタル。第1部から4部で若き日の代表作を第5部以降では、いよいよ30歳を迎えたショパン、創作の円熟期に突入します!傑作揃いです!今夜は第6部のプログラムから過去の「入魂のショパン」のライブ音源をお送りしました。

<PLAYLIST>
M1 ショパン 《 ポロネーズ 第6番「英雄」》op.53/ 横山幸雄(ピアノ) (入魂のショパン2017)
M2 ショパン 《3つのマズルカ》op.56/ 横山幸雄(ピアノ) (入魂のショパン2014)
M3 ショパン 《ソナタ 第3番 ロ短調》op.58/ 横山幸雄(ピアノ) (入魂のショパン2014)

M1は、ショパンの作品の中でも最も有名、人気もある傑作です。32歳の作品で、音楽家としてもピーク、名声も絶頂期の光輝く作品。一方、
親友や恩師の死、体調の悪化といった影の部分は「バラード第4番」に表現されているのかもしれません。
M2は、33歳の作品。ショパンは再び体調を崩し、ショパンは死んだという噂も出たほど。作曲数も減っていました。夏をノアンで過ごし、友人や画家のドラクロアの訪問などたくさんの励ましをうけて元気を回復しました。横山さんには19歳のときショパン・コンクールの第3次予選で演奏した思い出の曲です。
M3は、34歳ごろ、インフルエンザや父の死を乗り越え、超人的な復活をとげこの大作を完成させました。姉のルドヴィカと14年ぶりに再会できたこともエネルギーとなったのかもしれません。

<第6部>5月5日(土)18:30-19:40(予定)
  *ポロネーズ第6番「英雄」Op. 53
  *スケルツォ第4番 Op. 54
  *2つのノクターン Op. 55
  *3つのマズルカ Op. 56
  *子守歌Op. 57
  *ピアノ・ソナタ第3番Op. 58

入魂のショパンは、作品で聴く、ショパンの伝記、ぜひお越しください!
コンサート詳細は、インフォメーションコーナーでご覧ください→

来週は、ヴァイオリニストの松田理奈さんをお迎えします!

4月生まれの音楽家ブゾーニに注目!

2018.04.09


今夜もお聴きいただきありがとうございました。
今回は、4月生まれの作曲家の中から、1日生まれのイタリアの作曲家、フェルッチョ・ブゾーニを取り上げました!

ブゾーニ・・・・ピアノを習ったことがある方はバッハの《インヴェンション》《平均律クラヴィーア曲集》の「ブゾーニ版」など、楽譜校訂者としてその名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか。音楽理論家としても功績を残しています。ピアニスト、作曲家としても活躍しました。

<PLAYLIST>
M1 ブゾーニ 《ピアノ協奏曲》 Op.39 第2楽章 / ヴィクトリア・ポストニコワ(ピアノ)、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)、フランス国立放送管弦楽団 
M2 J.S.バッハ(ブゾーニ版) 《ゴルトベルク変奏曲》より第26変奏/サラ・デイヴィス・ビュークナー(ピアノ)
M3 J.S.バッハ/ブゾーニ 《シャコンヌ》  / 横山幸雄(ピアノ)
(2006年、ラ・カンパネラ〜ヴィルトゥオーゾ名曲集より)

M1の「ピアノ協奏曲」は、全部で5楽章、演奏に1時間もかかり、最終楽章にはドイツ語合唱が登場するという奇抜な作品。ピアノ・パートも難しいわりに見せ場がない、ということで、もちろん横山さんは弾いたことはありません。

ブゾーニは「編曲」活動がもっとも高い評価をえています。M2の「ゴルトベルク変奏曲」も、コンサートで演奏するためにくり返しの省略、いくつかの変奏曲を完全にカットするなど大胆な校訂を行っています。現在は、作曲家のオリジナルを尊重することがスタンダードですが、ブゾーニが生きた100年ほど前までは、原曲に手をいれて演奏者のセンスを加えるのが当然だった時代でした。

M3は、ブゾーニの名前を歴史に残している作品。無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番をピアノ用に編曲。現代ピアノの可能性を最大限に追究した曲。演奏される機会も多いです

・ブゾーニは、1866年4月1日にイタリアで生まれています。母親はプロのピアニスト、父もプロのクラリネット奏者兼画家。ブゾーニは7歳で両親のコンサートに出演しています。
・数年後にはウィーンで自作のいくつかを演奏し、フランツ・リストのピアノ演奏にも接した。
・13歳で《24の前奏曲》Op.37を完成、そのほか大量にピアノ作品を作曲した。
・20歳、1886年にライプツィヒに赴き、その後教職に就く。ヘルシンキやモスクワ、その後1894年までアメリカ合衆国でも教鞭を執った。アメリカではヴィルトゥオーゾのピアニストとして演奏旅行もこなしており、有名なバッハの《シャコンヌ》の編曲も、この頃に手懸けたとされる。
・28歳、1894年にベルリンに居を構え、同地でピアニストや指揮者として一連の演奏会を行う。教育者としても活躍。
・36歳、1902年に《ピアノ協奏曲》に着手。1904年に完成。初のアメリカ・コンサートツアー
・47歳、1913年、ボローニャの音楽学校の学長に任命される。
・第一次世界大戦中は、まずボローニャに避難して音楽院を監督し、それからチューリッヒに移った。
・54歳、1920年、ベルリンに戻り、終生過ごす。
・58歳、1924年、腎臓病のために亡くなり、ベルリンで埋葬された。

来週は、「入魂のショパン2018」予習です!

ベートーヴェンの「交響曲第1番」初演の日

2018.04.02


今夜もお聴きいただきありがとうございました。
今から218年前、1800年4月2日は、ベートーヴェンの「交響曲第1番」が初演された日です。
今夜は、それにちなみ、ベートーヴェン自身が企画した念願の交響曲デビュー演奏会の内容にも注目しました!

<PLAYLIST>
M1 ベートーヴェン 《交響曲 第1番》 より 第1楽章 /ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、 フルトヴェングラー(指揮)
M2 ベートーヴェン 《ピアノ協奏曲第1番》op.15 より 第 1 楽章/横山幸雄(ピアノ)、ジャパン・チェンバー・オーケストラ 
M3 ベートーヴェン《七重奏曲 変ホ長調》op.20より第1楽章(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ホルン、ファゴットのための)/ウィーン室内合奏団 

ベートーヴェンの生きた時代、「交響曲」というのは作曲家にとって、とりわけ意味深く、重要なジャンルでした。ハイドンやモーツァルトが残した偉大な交響曲に続くものとして、ベートーヴェン自身、29歳で満を持して「第一番」を発表しています。この初演を行った演奏会は、ベートーヴェンにとって初の自主公演でもありました。私費を投じ、宮廷歌劇場管弦楽団を丸ごと雇うという思い切った企画です。現存しているポスターや批評から、上演プログラムと曲順は、以下のように考えられています。

1:モーツァルト:大交響曲 (→おそらく第41番?)
2:ハイドン:「天地創造」より アリア1曲
3:ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番
4:ベートーヴェン:七重奏曲(op.20)
5:ハイドン「天地創造」からの二重唱。
6:ベートーヴェンによるピアノ即興演奏
7:ベートーヴェン:交響曲第1番

かなり盛りだくさんの演奏会!当時は、このようにバラエティにとんだ内容がふつうだったようです。

「交響曲第1番」「ピアノ協奏曲第1番」どちらも、ハ長調、横山さんは、ベートーヴェンの並々ならぬ気合いを感じるそうです。30歳目前のベートーヴェンというと、《悲愴ソナタ》など残していますが、すでに耳の病が現れはじめた頃です。その逆境に立ち向かい次々と傑作を作り上げていきます。
先輩作曲家のハイドンやモーツアルトに比べて、ベートーヴェンが作曲した交響曲は9曲とかなり少ないですが、そのスケールは一段と大きく、ひな形に沿わず莫大なエネルギーを1曲1曲に注いでいただことが感じられます。またベートーヴェンが活躍したのはフランス革命の時代ということも作曲家の作風や作品数に影響を与えています。
プログラムにベートーヴェンが演奏しない「七重奏曲」が含まれていることも面白いところです。クラリネット、ファゴット、ホルンという管楽器3種に、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがそれぞれ一人という、7人の編成。ポスターには各楽器の名手であった演奏者全員の氏名が掲載されていたそうです。この曲は、ベートーヴェン初期の傑作とされ、人気がありました。ベートーヴェンが情熱をそそいだほかの作品よりこのモーツァルトのディヴェルティメントのように娯楽的でサロン向けの音楽が評価されたことに、ベートーヴェンは不満だったかもしれませんが、旋律やリズム、構成の面などでその後のベートーヴェンらしさが感じられます。


「別れ」にちなんだクラシック曲を

2018.03.26


今夜もお聴きいただきありがとうございました。

3月も最後の日曜日、卒業式や送別会のシーズンですね。新年度に向けて、いろいろな形で節目を迎える方も多いのではないでしょうか。
今夜は、「節目」・「別れ」をテーマにした音楽を、エピソードと共にご紹介しました。

<PLAYLIST>
M1 シューマン 《森の情景》Op.82 より第9曲<別れ>/ウラディミール・アシュケナージ(ピアノ)
M2 ショパン 《ワルツ 第9番 op.69-1 「別れのワルツ」》/横山幸雄(ピアノ) (『プレイエルによるショパン・ピアノ独奏曲』Disc7より)
M3 ハイドン 《交響曲第45番「告別」》より第4楽章 /ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、ニコラウス・アーノンクール(指揮)
M4 ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ 第26番 「告別」》より第1楽章/横山幸雄(ピアノ) CD『ベートーヴェン12会』より

M1、シューマンの《森の情景》は、1848〜1849年に作曲された作品。シューマンがピアノ曲をたくさん書いた時代から10年ぶりに作られた作品で味わい深さが増しています。「別れ」というタイトルについては不明。

M2、ショパンは1835年に滞在先のドレスデンを去る際にワルツを作曲しました。ドレスデンでは久しぶりに再会した幼なじみのマリア・ヴォジンスカと急速に仲を深め、彼女とのしばしの別れに際し、マリアに捧げられたのがこの曲です。別れを嘆くというよりも、美しい思い出を回想しているような雰囲気です。マリアとは婚約まで進展したものの、結局二人の恋は成就しなかったので「別れのワルツ」として有名になりました。「別れの曲」もこの「別れのワルツ」もショパン自身が名付けたわけではありません。作曲家の意図とは別に、後世の人がそう呼ぶようになった作品です。

M3のハイドンの交響曲は、ハイドンの庇護者、ニコラウス・エステルハージ侯のために作曲されました。作曲当時、ハイドンと宮廷楽団員は、エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザに滞在。滞在期間が予想以上に長引いたため、多くの楽団員が家族をアイゼンシュタットの住居に送り返さなければなりませんでした。
ハイドンは、エステルハージ侯が進んで楽団員の帰宅を認める気持ちになるように、巧みな仕組みによってエステルハージ侯に訴えました。その仕組みとは、最終楽章後半の「アダージョ」で、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、ロウソクの火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に2人のヴァイオリン奏者(ハイドン自身と、コンサートマスター)が取り残される、というものです。エステルハージ侯は、この演出に込められたメッセージを汲み取り、初演の翌日に楽団員全員の帰郷を許したということです。 (現在でも、この部分にくると演奏者がそっと退場する演出が行われます)

M4はベートーヴェンが1811年に完成させたピアノ・ソナタ。
このソナタの愛称「告別」は、作曲者自身が自筆譜に書き込んだ「告別。1809年5月4日ウィーン、敬愛する皇帝陛下の大公ルドルフの出発に際して。」という献辞に由来しています。各楽章にはそれぞれ表題のように「告別」、「不在」、「再会」と記されています。
ちょうど1809年は、ナポレオン軍によってウィーンが包囲されていた時期であり(第2次ウィーン包囲)、ベートーヴェンの良きパトロンであると同時に、作曲の弟子でもあったルドルフ大公は地方へ疎開することとなりました。ベートーヴェンが書き記した「告別Lebewohl」という言葉は、「お元気で」という意味合いで用いられていると考えられています。

お楽しみいただけましたか?「ピアノでめぐり逢い」来週もお楽しみに!




ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第4番」

2018.03.19


今夜もお聴きいただきありがとうございました。
今から91年前の3月18日、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第4番」がラフマニノフ自身のピアノで初演されました。そこで、今夜は久しぶりにラフマニノフのピアノ曲を特集しました。

<PlayList>
M1 ラフマニノフ 《ピアノ協奏曲第4番 ト短調》op.40 より 第1楽章/ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ベルナルト・ハイティンク(指揮)
M2 ラフマニノフ作曲《ピアノ協奏曲第3番》から第1楽章/横山幸雄(ピアノ)、東京都交響楽団、小泉和裕(指揮)、(横山幸雄デビュー20周年アルバムより)
M3 ラフマニノフ作曲《練習曲集「音の絵」op.39》より 第5曲 /横山幸雄(ピアノ)(「ヴィルトゥオーソ名曲集」2006年のアルバムより)

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したロシア・ロマン派の巨匠・セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943)。

1927年3月18日に初演された「ピアノ協奏曲第4番」は、50代になったラフマニノフが10年ぶりに作曲した作品。1917年にアメリカに渡ったラフマニノフは演奏活動で多忙だったため創作活動からは遠ざかっていたのです。「第3番」に比べ演奏される機会は少ないですが、「やや複雑で濃厚なロマンティシズム、哀愁ただようメロディ、3番までの協奏曲よりもの淋しい感じもあります。実にすばらしく時間があれば取り組んで勉強したい作品の一つです。」と横山さんはおっしゃっていました。
M2の「ピアノ協奏曲第3番」は初のアメリカ演奏旅行(1909年)のために作られた力作。船でアメリカに渡る間、音の出ないピアノで練習したというエピソードも有名です。M3の「音の絵」は、1917年、アメリカへ亡命する前の最後の作品。技巧的でありながら、それをいかに芸術に結びつけるかという練習曲集です。

来週は、「別れ」をキーワードにお送りします。お楽しみに。

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