ON AIR REPORT オンエアレポート

6月生まれの作曲家、北欧のグリーグとニールセン

2018.06.04


今夜もお聴きいただきありがとうございます!いかがでしたか?
6月生まれの作曲家からグリーグとニールセン、そして二人の共通の師匠であるガーデ、三人の北欧の作曲家をご紹介しました。
グリーグが活躍したのは、後期ロマン派にあたる19世紀後半。当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へ波及し、その国々の民族的要素と融合した新しい音楽様式(=国民楽派)が生まれた時代です。

<Play List>
M1 グリーグ 《 ピアノ協奏曲 op.16》より 第1楽章/ネーメ・ヤルヴィ(指揮)、エーテボリ交響楽団、横山幸雄(ピアノ)(1998年のアルバムより。1997年東京芸術劇場でのライブ録音)
M2 グリーグ 《 ヴァイオリン・ソナタ第3番》より 第1楽章/オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)、マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
M3 ニールセン 《 弦楽のための小組曲op.1》より 第2曲/ギルドホール弦楽アンサンブル
M4 ガーデ 《 幻想小曲集op.43》より 第4曲/ 松本健司(クラリネット)、横山幸雄(ピアノ)(2010年のアルバム『幻想小曲集』より)


●エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日-1907年9月4日/享年64歳) は、スウェーデン統治下のノルウェーのベルゲン(オスロに次ぐ大都市)に生まれます。
1858年(15歳)から3年半にわたり、ライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを勉強。この頃、この地にゆかりのメンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けます。ライプツィヒ音楽院を卒業後、故郷ベルゲンに戻り、翌1863年にコペンハーゲンでニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年〜1890年)から音楽を教わり、国民楽派の影響を受けることになります。
・1867年、グリーグの重要な作品である《抒情小曲集第1集》を出版。
・1868年、ノルウェーでの夏の休暇中、《ピアノ協奏曲イ短調》を作曲。
・1870年にオスロ音楽協会を創立し、指揮者としても活動。
・1874年、イプセンの戯曲《ペール・ギュント》を作曲。
・1887年、第2番のヴァイオリン・ソナタから約20年後《ヴィアオリン・ソナタ第3番》を完成。
・34歳から10年ほどはフィヨルドの見える森の中の静かな小屋で作曲活動に没頭した。その後、ベルゲン郊外のトロルハウゲンで生涯を送り、1907年、64歳の生涯を閉じています。

●カール・ニールセン(1865年6月9日-1931年10月3日/享年65歳)は、 デンマークの中心部にある、フュン島で生まれる(童話作家アンデルセンの出身地オーデンセの近く)。12人兄弟。
・1871年(6歳)の頃からヴァイオリンを習い始める。
・1879年(14歳)でオーデンセの軍楽隊へ入り、1884年(19歳)でコペンハーゲン音楽院にヴァイオリンで受験するも不合格、しかしニールス・ガーデの口添えで、作曲科に合格が許される。
・1888年(23歳)、音楽院卒業後に作品1の《弦楽のための小組曲》を発表。
・1889年(24歳)、王立劇場オーケストラのヴァイオリン奏者となり、ノルウェー出身の作曲家ハンス・ヴェンセンとともに活動を開始する。
・1892年(27歳)、《交響曲第1番》を完成させ、作曲家としても活躍。
・1908年(43歳)、スヴェンセンが王立劇場の楽長を引退し、引き継ぐ。
・1914年(49歳)、第一次世界大戦のため王立劇場楽長を辞任。
・1915年(50歳)、 王立コペンハーゲン音楽院の理事に就任。音楽協会で指揮者として活動した。
・1931年(享年65歳)、王立コペンハーゲン音楽院の院長に就任。逝去。
グリーグとニールセンにとって共通の作曲の師匠であったのが、ニールス・ガーデです。グリーグはライプツィッヒでロマン派の音楽を学んだ後、コペンハーゲンでガーデから学んだことで国民楽派に目覚めたともいえるでしょう。またニールセンも同じくコペンハーゲン音楽院をヴァイオリンで受験したものの、不合格。しかしガーデによって救われ、作曲を学ぶ機会を与えられました。

●横山さんが、グリーグの「ヴァイオリン・ソナタ第3番」を演奏する演奏会。
そして、M4の松本健司さんらと共演するコンサートがあります。

◎「トランス=シベリア芸術祭 in Japan 2018」 ワディム・レーピン&フレンズ 〜日露友情のアンサンブル〜
日時:7月1日(日)お昼3時開演
会場:Bunkamura オーチャードホール (東京都)
曲目:グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調op.45〈ワディム・レーピン、横山幸雄〉、ブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調op.34〈ワディム・レーピン、神尾真由子、アンドレイ・グリチュク、アレクサンドル・クニャーゼフ、横山幸雄〉

◎はまくんと仲間たちオーケストラ 其の9
日時:7月4日(水)夜7時開演
場所:紀尾井ホール (東京都)
曲目:モーツァルト:ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調K.452
   プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調「古典」作品25
   ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品38
共演:池田昭子(ob) 松本健司(cl) 宇賀神広宣(fg) 横山幸雄(pf) 濱一(指揮,hr)会田莉凡(コンサートミストレス)はまくんと仲間たちオーケストラ(orch)







雨の音楽

2018.05.28


今夜もお聴きいただきありがとうございます。今年は関東地方の梅雨入りも早くなりそうだとか・・今夜は、これからやってくる雨の季節に似合う作品をご紹介しました。

<PLAY LIST>
M1 ショパン 《24の前奏曲》op.28より 第15曲<雨だれ>/横山幸雄(ピアノ)「入魂のショパン2018」5月5日東京オペラシティコンサートホールで録音
M2 ドビュッシー 《版画》より 第3曲<雨の庭>/ジャック・ルヴィエ(ピアノ)
M3 ブラームス 《ヴァイオリン・ソナタ 第1番 op.78 「雨の歌」》より 第3楽章 /イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)、ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
M4 武満 徹 《雨の樹 素描》/ 藤井 一興(ピアノ)

M1は数あるショパンのピアノ作品の中でも広く知られている作品、そして、「雨」の音楽として最も有名な作品のひとつです。1838年マヨルカ島で完成されました。気候が良いことで知られるマヨルカ島にも雨季があり、ショパンは持病の肺結核をこじらせてしまいます。そこで留守番をしているときこの作品は誕生しました。サンドによる献身的な看病を受け二人の絆も強まった旅でした。
M2は、ドビュッシー(1862-1918)が1890年代半ばごろから作曲に着手し、1903年、41歳で完成され翌年初演された。第3曲「雨の庭」は繊細なアルペジオによって庭の木立にふりかかる雨が描かれています。フランスで歌われる子守歌、「眠れ坊や、眠れ」と、童謡「もう森にはゆかないよ」が引用されています。
M3、ブラームス(1833 – 1897)の≪雨の歌≫とも呼ばれるこのヴァイオリン・ソナタ第1番Op.78は、1878年から1879年にかけて、夏の避暑地だったベルチャッハで書かれました。≪雨の歌≫というサブタイトルは、第3楽章冒頭の主題が、自身の同名の歌曲(Op.59-3)から引用されていることに由来します。歌詞は、「雨の音や感触が、子供の頃の思い出を呼び覚まして、ふと懐かしくなる・・」という内容。この歌はクララ・シューマンがとても気に入っていた作品といわれており、その旋律を引用することで、クララに寄せるブラームスの想いを表していると解釈することもできる作品です。
M4、武満徹(1930年10月8日 - 1996年2月20日)は、現代音楽の分野において世界的にその名を知られる作曲家。映画音楽や文筆、また音楽祭等の企画の分野でも活躍しました。ほぼ独学で作曲を学び、「水」「鳥」「庭」といった自然のイメージを内包した独自の音楽スタイルで知られています。1982年の作品。冒頭は16分音符の両手の動きが、雨の雫を滴らせる木の葉を描写するかのようなフレーズで始まります。

「雨」といっても、雨の音をモティーフにしたものや、雨にまつわる思い出や印象に基づくものなどいろいろありますね。一般的に雨には悲し気な印象があるように思いますが、神秘性をプラスした武満徹、気持ちを曲にこめたブラームス。作曲家がいろいろなインスピレーションを受けてそれぞれ印象が異なる作品が生まれると改めて感じます、と横山さんはおっしゃっていました。
20180505入魂のショパン2018 第7部!

「ハバネラ」特集!

2018.05.21


今夜もお聴きいただきありがとうございます。突然ですが、5月20日は「キューバ独立記念日」でした。キューバといえば・・・
フロリダの南に位置するカリブ海最大の島で、葉巻やラム酒が世界的に有名です。首都はハバナ。音楽文化に目を向けると、キューバは地理的な影響もあり、ラテン音楽の中枢的な存在といえます。スペイン系とアフリカ系の音楽が融合したものをベースに、様々な要素が混じり合って独自の発展を遂げてきました。「ルンバ」「マンボ」「チャチャチャ」「ハバネラ」などもキューバ発祥です。


M1 ビゼー 歌劇《 カルメン》第一幕より<ハバネラ>/マリア・カラス(ソプラノ)、ジョルジュ・プレートル指揮、フランス国立放送管弦楽団
M2 イラディエル 《ラ・パロマ La Paloma》/トリオ・ロス・パンチョス
M3 ラヴェル 《スペイン狂詩曲》より第3曲<ハバネラ>/シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団
M4 サン=サーンス 《ハバネラ》op.83/イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)、ズービン・メータ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック

M1は「ハバネラ」というタイトルの曲の中でも最も有名ですが、実は、ビゼーはハバネラのリズムをスペインの民族音楽と誤解して用いていましたこの「ターッタ・タッタ」という特徴あるリズムは最初、船乗りたちによってスペインに広がったと言われています。また、キューバを訪れていたスペイン人作曲家、セバスティアン・イラディエルがこのリズムを用いた作品を発表したことで、スペインおよび近隣諸国に広く知られるようになったと考えられています。。「ハバネラ」とは首都ハバナに語源があります。ビゼーが作曲に取りかかる以前の1860年代にすでにキューバからスペインにハバネラのリズム、それを用いた作品が広く知られていたんですね。

イラディエル(1809-1865)はキューバに長く滞在し、土着のハバネラをとても気に入り、ハバネラのリズムを使った歌を数多く作曲、彼のハバネラはスペイン国内のみならずアメリカ、メキシコでも大成功を収め、国際的にハバネラを知らしめる原点となりました。その中で1860年頃に作曲したM2「ラ・パロマ」がとりわけ有名になりました。

ビゼーの例からもわかる通り、実はキューバ発祥のリズムでありながら、スペイン人イラディエルの作品のおかげでスペインの民族音楽として誤解されたため、ハバネラは「スペインらしさ」を表現する手段として取り入れられてきました。ラヴェルも誤解して取り入れた一人かもしれません。ラヴェルの『スペイン狂詩曲』の「ハバネラ」(M3)は、M1ともM2ともちがう独特の世界観をもっています。

M4サン=サーンスの「ハバネラ」は、ヴァイオリニストのアルベルティーニと共に演奏旅行に出かけた際、着想。その際、アルベルティーニがキューバ出身だったことが発想の源となったと言われます。1887年に完成し、旅行の思い出としてアルベルティーニに献呈されています。

ハバネラは世界で最初に広まったラテン音楽ともいえます。後にフラメンコと融合し、アルゼンチンに上陸してタンゴとして発展を遂げていきます。「ラテン音楽」の世界もなかなか興味深いですね。また別の機会に改めて「ラテン音楽」とクラシック音楽の関係について取り上げてみたいと思います!

5月生まれの作曲家、フォーレ特集。

2018.05.14


今回もお聴きいただきありがとうございました!
5月生まれの作曲家の中から、ガブリエル・フォーレを特集してお送りしました。
フランスのエスプリ溢れる作曲家フォーレは、横山さんも三鷹の「ヴォヤージュ」シリーズで特集しています。今夜はそのライブ録音とともに、生涯と作品をご紹介しました。
<PLAY LIST>
M1 フォーレ 《バラード 嬰ヘ長調 op.19 》 /横山幸雄(ピアノ)
2015年2月三鷹市芸術文化センター風のホール「ヴォジャージュ第9回」のライブ録音

M2 フォーレ 《 舟歌 第4番 変イ長調 op.44 》/横山幸雄(ピアノ)
2015年2月三鷹市芸術文化センター風のホール「ヴォジャージュ第9回」のライブ録音

M3 フォーレ 《 ピアノ五重奏曲 第2番 》より 第1楽章/矢部達哉(ヴァイオリン) 双紙正哉(ヴァイオリン)、鈴木 学(ヴィオラ) 山本裕康(チェロ)、横山幸雄(ピアノ)
2014年10月三鷹市芸術文化センター風のホール「ヴォジャージュ第8回」のライブ録音

・フォーレ(1845〜1924)とは・・
19世紀後半、ロマン派の時代に活躍したフランスの作曲家。
サン=サーンスやビゼーの10歳ほど後輩、同時代の作曲家にはグリーグ(1843-1907)がいます。
ショパンの晩年にあたるころ生まれ、ピアノ曲では、夜想曲(ノクターン)、舟歌、プレリュード、即興曲など、ショパンを連想させるような作品がたくさんあり、ピアニストにとっては欠かせない作曲家の一人です。

交響曲や協奏曲といった大規模な作品はほとんどありませんが、歌曲やピアノ曲、室内楽作品を多数遺しています。なかでも100以上の歌曲を残し、フランス歌曲においても重要な作曲家です。

<フォーレの生涯>
*1845年5月12日、南フランスのパミエで生まれる。父親が牧師だったこともあり、幼い頃よりオルガンに親しんでいます。
*1853年に開校された、古典宗教音楽学校、通称ニデルメイエール校で作曲の基本を学ぶ。この学校では、多声音楽とグレゴリオ聖歌が重視され、厳格な対位法に加え、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典的大家の作品が教育のモデルとなっていました。その後ピアノ科教授としてサン=サーンス(1835-1921)が赴任したことで、フォーレはショパン、シューマン、リスト、そしてヴァーグナーらロマン派の音楽を学んでいます。
*卒業後は教会のオルガニストとなり、1871年のフランス国民音楽協会の創立にもメンバーの一員として加わっています。1906年にパリ音楽院の院長に選出。教育者としてもフォーレは熱心で、また人望も厚く、1920年に音楽院院長を引退後も、国民音楽協会の会長にも選出されています。フォーレの弟子のひとりがラヴェルです。ラヴェルの自由な才能を認め、見出した人でもあります。

*50代終わりころから、難聴に悩まされていたフォーレ。症状が次第に悪化していく中でも創作活動は続けられました。後期の作品になるにつれ、次第に内省的性格の強い作品になったことと無関係ではないと考えられます。

*1924年 肺炎を患い享年79歳、パリで亡くなっています。フォーレの代表作《レクイエム》の演奏されるなか、マドレーヌ教会において国葬が行われました。

<曲の解説>M1は、1879年、フォーレ34歳の頃作曲。作曲家として比較的遅咲きだったフォーレの初期作品です。1881年にリストの薦めによって管弦楽を伴うピアノ用の《管弦楽とピアノの為のバラード》として作曲者自身で書き直されたバージョンでも出版されています。ピアノソロ作品としては、美しいけれども難しい曲で演奏される機会はあまり多くありません。
M2は、1886年(フォーレ41歳頃)に作曲されました。フォーレはなんと13曲の舟歌を書いています。
M3は、1919-1921年にかけて作曲。この頃の聴覚障害はすでにきわめて重度のものでした。1921年にパリ音楽院講堂で行われた初演は大成功で、会場に来ていたフォーレに対して聴衆は嵐のような拍手とブラボーの呼び声を贈ったと伝えられています。
20180505入魂のショパン第6部

入魂のショパン2018 録りたてライブ音源!

2018.05.07


今夜もお聴きいただきありがとうございます。今週は、「横山幸雄 入魂のショパン2018」、5日(土)に終わったばかりのライブ音源をたっぷりお届けしました。横山さんのトークの収録も、同じく5日(土)の終演直後に、東京オペラシティコンサートホールの楽屋で行いました!いつものように横山さんは10時間を越えるコンサートのあとでも元気いっぱいでした!

2018年5月5日 入魂のショパン2018!

<Play List>
M1 ショパン作曲 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.21
M2 ショパン作曲 ポロネーズ第7番 変イ長調 Op.61 幻想ポロネーズ 
/横山幸雄(ピアノ)、2018年5月5日「入魂のショパン2018」東京オペラシティコンサートホールで収録

朝10時からはじまったコンサート、M1は、第2部の最後、お昼12時すぎの演奏。M2は、第7部、コンサート全体の最後の曲。夜8時48分からの演奏でした。

ショパンが若いころから39歳で亡くなるまで年代ごとに作品を聞いていくと、今回のメインだった30代以降の作品からは、ジョルジュ・サンドと心が離れて孤独なショパン、健康を害してまだ若いのに死んでいかなければならなかったショパンの心がひしひしと伝わってくるようでした。

そして、コンサートの最後には、早くも来年の内容が発表されました!
いよいよ10回目を迎える「入魂のショパン」。来年は5月3,4,5日、3日間にわたって、オーケストラとの共演作品、室内楽、歌曲、ピアノソロ作品・・つまりショパンの作品すべてを演奏する前代未聞のコンサートです!いまから予定してくださいね!

来週もお楽しみに!

2018年5月5日


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