ON AIR REPORT オンエアレポート

「別れ」にちなんだクラシック曲を

18/03/26


今夜もお聴きいただきありがとうございました。

3月も最後の日曜日、卒業式や送別会のシーズンですね。新年度に向けて、いろいろな形で節目を迎える方も多いのではないでしょうか。
今夜は、「節目」・「別れ」をテーマにした音楽を、エピソードと共にご紹介しました。

<PLAYLIST>
M1 シューマン 《森の情景》Op.82 より第9曲<別れ>/ウラディミール・アシュケナージ(ピアノ)
M2 ショパン 《ワルツ 第9番 op.69-1 「別れのワルツ」》/横山幸雄(ピアノ) (『プレイエルによるショパン・ピアノ独奏曲』Disc7より)
M3 ハイドン 《交響曲第45番「告別」》より第4楽章 /ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、ニコラウス・アーノンクール(指揮)
M4 ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ 第26番 「告別」》より第1楽章/横山幸雄(ピアノ) CD『ベートーヴェン12会』より

M1、シューマンの《森の情景》は、1848〜1849年に作曲された作品。シューマンがピアノ曲をたくさん書いた時代から10年ぶりに作られた作品で味わい深さが増しています。「別れ」というタイトルについては不明。

M2、ショパンは1835年に滞在先のドレスデンを去る際にワルツを作曲しました。ドレスデンでは久しぶりに再会した幼なじみのマリア・ヴォジンスカと急速に仲を深め、彼女とのしばしの別れに際し、マリアに捧げられたのがこの曲です。別れを嘆くというよりも、美しい思い出を回想しているような雰囲気です。マリアとは婚約まで進展したものの、結局二人の恋は成就しなかったので「別れのワルツ」として有名になりました。「別れの曲」もこの「別れのワルツ」もショパン自身が名付けたわけではありません。作曲家の意図とは別に、後世の人がそう呼ぶようになった作品です。

M3のハイドンの交響曲は、ハイドンの庇護者、ニコラウス・エステルハージ侯のために作曲されました。作曲当時、ハイドンと宮廷楽団員は、エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザに滞在。滞在期間が予想以上に長引いたため、多くの楽団員が家族をアイゼンシュタットの住居に送り返さなければなりませんでした。
ハイドンは、エステルハージ侯が進んで楽団員の帰宅を認める気持ちになるように、巧みな仕組みによってエステルハージ侯に訴えました。その仕組みとは、最終楽章後半の「アダージョ」で、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、ロウソクの火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に2人のヴァイオリン奏者(ハイドン自身と、コンサートマスター)が取り残される、というものです。エステルハージ侯は、この演出に込められたメッセージを汲み取り、初演の翌日に楽団員全員の帰郷を許したということです。 (現在でも、この部分にくると演奏者がそっと退場する演出が行われます)

M4はベートーヴェンが1811年に完成させたピアノ・ソナタ。
このソナタの愛称「告別」は、作曲者自身が自筆譜に書き込んだ「告別。1809年5月4日ウィーン、敬愛する皇帝陛下の大公ルドルフの出発に際して。」という献辞に由来しています。各楽章にはそれぞれ表題のように「告別」、「不在」、「再会」と記されています。
ちょうど1809年は、ナポレオン軍によってウィーンが包囲されていた時期であり(第2次ウィーン包囲)、ベートーヴェンの良きパトロンであると同時に、作曲の弟子でもあったルドルフ大公は地方へ疎開することとなりました。ベートーヴェンが書き記した「告別Lebewohl」という言葉は、「お元気で」という意味合いで用いられていると考えられています。

お楽しみいただけましたか?「ピアノでめぐり逢い」来週もお楽しみに!