ON AIR REPORT オンエアレポート

5月生まれの作曲家、フォーレ特集。

18/05/14


今回もお聴きいただきありがとうございました!
5月生まれの作曲家の中から、ガブリエル・フォーレを特集してお送りしました。
フランスのエスプリ溢れる作曲家フォーレは、横山さんも三鷹の「ヴォヤージュ」シリーズで特集しています。今夜はそのライブ録音とともに、生涯と作品をご紹介しました。
<PLAY LIST>
M1 フォーレ 《バラード 嬰ヘ長調 op.19 》 /横山幸雄(ピアノ)
2015年2月三鷹市芸術文化センター風のホール「ヴォジャージュ第9回」のライブ録音

M2 フォーレ 《 舟歌 第4番 変イ長調 op.44 》/横山幸雄(ピアノ)
2015年2月三鷹市芸術文化センター風のホール「ヴォジャージュ第9回」のライブ録音

M3 フォーレ 《 ピアノ五重奏曲 第2番 》より 第1楽章/矢部達哉(ヴァイオリン) 双紙正哉(ヴァイオリン)、鈴木 学(ヴィオラ) 山本裕康(チェロ)、横山幸雄(ピアノ)
2014年10月三鷹市芸術文化センター風のホール「ヴォジャージュ第8回」のライブ録音

・フォーレ(1845〜1924)とは・・
19世紀後半、ロマン派の時代に活躍したフランスの作曲家。
サン=サーンスやビゼーの10歳ほど後輩、同時代の作曲家にはグリーグ(1843-1907)がいます。
ショパンの晩年にあたるころ生まれ、ピアノ曲では、夜想曲(ノクターン)、舟歌、プレリュード、即興曲など、ショパンを連想させるような作品がたくさんあり、ピアニストにとっては欠かせない作曲家の一人です。

交響曲や協奏曲といった大規模な作品はほとんどありませんが、歌曲やピアノ曲、室内楽作品を多数遺しています。なかでも100以上の歌曲を残し、フランス歌曲においても重要な作曲家です。

<フォーレの生涯>
*1845年5月12日、南フランスのパミエで生まれる。父親が牧師だったこともあり、幼い頃よりオルガンに親しんでいます。
*1853年に開校された、古典宗教音楽学校、通称ニデルメイエール校で作曲の基本を学ぶ。この学校では、多声音楽とグレゴリオ聖歌が重視され、厳格な対位法に加え、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典的大家の作品が教育のモデルとなっていました。その後ピアノ科教授としてサン=サーンス(1835-1921)が赴任したことで、フォーレはショパン、シューマン、リスト、そしてヴァーグナーらロマン派の音楽を学んでいます。
*卒業後は教会のオルガニストとなり、1871年のフランス国民音楽協会の創立にもメンバーの一員として加わっています。1906年にパリ音楽院の院長に選出。教育者としてもフォーレは熱心で、また人望も厚く、1920年に音楽院院長を引退後も、国民音楽協会の会長にも選出されています。フォーレの弟子のひとりがラヴェルです。ラヴェルの自由な才能を認め、見出した人でもあります。

*50代終わりころから、難聴に悩まされていたフォーレ。症状が次第に悪化していく中でも創作活動は続けられました。後期の作品になるにつれ、次第に内省的性格の強い作品になったことと無関係ではないと考えられます。

*1924年 肺炎を患い享年79歳、パリで亡くなっています。フォーレの代表作《レクイエム》の演奏されるなか、マドレーヌ教会において国葬が行われました。

<曲の解説>M1は、1879年、フォーレ34歳の頃作曲。作曲家として比較的遅咲きだったフォーレの初期作品です。1881年にリストの薦めによって管弦楽を伴うピアノ用の《管弦楽とピアノの為のバラード》として作曲者自身で書き直されたバージョンでも出版されています。ピアノソロ作品としては、美しいけれども難しい曲で演奏される機会はあまり多くありません。
M2は、1886年(フォーレ41歳頃)に作曲されました。フォーレはなんと13曲の舟歌を書いています。
M3は、1919-1921年にかけて作曲。この頃の聴覚障害はすでにきわめて重度のものでした。1921年にパリ音楽院講堂で行われた初演は大成功で、会場に来ていたフォーレに対して聴衆は嵐のような拍手とブラボーの呼び声を贈ったと伝えられています。
20180505入魂のショパン第6部