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番組スタッフ
自爆炎上する人が後を立たないことから、「バカ発見機」「バカッター」の別名がすっかり定着してしまった感のあるツイッター。
「体育科の入試中止」が決定した大阪の桜宮高校の体罰問題では、同校の生徒と思われる人物が、橋下徹大阪市長に対する差別発言や殺害予告とも取れる発言をツイッターで展開し、“炎上”しました。

桜宮高校の問題に関しては、29日放送のフジテレビ「とくダネ!」でメインキャスターの小倉智昭氏と橋下市長が激論を繰り広げ、これを見ていた視聴者が橋下氏のツイッターに「自殺したんですよとかなり強調されてましたが『だから?』と思います。(以下略)」という、自殺した生徒の尊厳を打ち砕くようなとんでもないツイートをして、橋下氏から返信があり炎上。アカウントを削除し、“逃走”するという事態にいたりました。

信頼と実績のバカッター、吸引力が落ちない唯一の掃除機・バカッター、今日も平常運転バカッターなどと揶揄されるツイッター。
こういった炎上は後を絶たず、もはや、起こったとしても哀しいことに「ああ、またか」と思われる程度になってしまいました。
“炎上”は“祭り”と呼ばれていましたが、「キターーー!!!」という“負の高揚感”ももはや2ちゃんねる上ですら、見受けられないように思われます。
残念ながらネットの世界における日常の一風景と化してしまったようです。

炎上をあおる人もいれば、炎上の火種を見つけてくる人もいます。
ツイッターの検索欄に「万引き」「喫煙」などと打ち込んだり、“前科(炎上経験)”のあるブログを監視したりするウォッチャーです。
炎上をまとめるサイトもあります。炎上の経過をウォッチングするサイトもあります。
交通事故がほぼ毎日、あるように、重大なものでない限り、ニュースに取り上げられることはありません。
ネットにおける炎上もさらに日常化していくような気がします。
炎上せずにSNSを楽しむためには、学校や教習所のようなところでインターネットの仕組みそのものについて、きちんとお勉強しなければならないのかもしれません。

Facebookが火種の炎上はなぜないのでしょうか?
おそらくシステムそのもののこともあると思いますが、実名が基本、つながっているのはほぼリアルの友達という点が、Facebookがきっかけの炎上を阻止してくれているのでしょう。
実名が基本であれば、世間体を考えてしまい、中々、下手なことは言い辛いですし、友達の中には、会社の上司がいる可能性もあるからです。
「いいね!」という評価システムのため、比較的“美しい”投稿をしがちになります。
そして、自分の投稿をどこまで公開するか、閲覧制限も可能です。
しかし、Facebookにも火種は転がっているはずです。ただ、見つかっていないだけで。
実際、私の知人がFacebookに路上を歩く他人の顔写真を撮影し、「●●(映画のキャラクター)発見!」と誇らしげにアップしていました。おそらく、探せば出てくるはずです。
ただ、友達のよしみで目を瞑っておこう…というケースもあるのかもしれません。
数年後にはFacebookに投稿検索機能が付くというウワサも耳にしますが、個人の特定がすでにされているだけに、実現されるかと思うと、ゾッとします。

ある調べによると、ツイッターのアクティブユーザー数は他のSNSと比べて、増加しているようです。
アクティブユーザー数に比例して、炎上も増えるのかもしれません。

炎上の原因は、ネットリテラシーやモラルはもとより、想像力の欠如に他ならないでしょう。
誰でも簡単に利用でき、誰とでも簡単につながれる…。
利用するハードルも低ければ、炎上するハードルも低いのです。
SNSの使い方次第で、自分の”お里”が知れてしまう…ということを忘れてはなりません。


スタッフ:坂本
(2013/1/31 UPDATE)
番組スタッフ
世界の中でも“性差別のある国”と言われている日本。
それを受けてか、安倍内閣の発足時には、女性2人を大臣に起用し、
自民党三役に無派閥の女性2人が就くなど、
日本は、国をあげて「性差別」というイメージの払拭に努めている最中です。
そんな「性差別」について考えさせられる出来事が、いま物議を醸しています。

●「首輪の全裸少女」作品に市民団体が抗議 会田誠展は本当に「性差別」なのか/J-CASTニュース

記事によると、東京・六本木の森美術館で開催中の
会田誠展「天才でごめんなさい」について、
市民団体が 「四肢切断された全裸の少女が首輪をされて微笑んでいる」と指摘し、
「性差別」などと抗議しているとのこと。
森美術館側は、現在、対応を協議中だそうですが、
18歳未満は入れないギャラリーに展示するなど配慮したとしています。

また、作品を制作した現代美術家の会田誠さん(@makotoaida)もTwitterにて
『口下手・理屈下手の僕ですが、だんまりを決め込むつもりはありません。
必要とあらば出向き、誠心誠意お答えするつもりです。』
と発言。
真っ向勝負の姿勢を見せています。

会田誠さんは、美少女・戦争などをテーマに、
絵画から映像、フィギュアまで手がける現代美術家。
今回抗議をうけた作品は、「犬」というタイトルのシリーズ作品で
四肢を切断され、まさに犬のような手足になった全裸の少女が、
首輪と鎖をつけて微笑んでいるという過激な作品です。

これら一連の出来事に対し、ネット上では賛否両論が沸き起こっています。
『人格を無視した作品は芸術と言えるのだろうか?』といった市民団体の抗議に賛成派から、
『それぞれの主観で「異質なもの」を排除せよと言うのはおかしい』といった反対派まで様々。

ここで私が疑問として思ったのは、
「アート」と「ポルノ」の境界線がどこか?という問題です。


この疑問に対して、かつて美術大学で何となくアートをかじった程度の私の知識では
正直なところサッパリわかりません。
しかし、ただ1つ明確な違いとして言えるのは「目的が何なのか?」ということ。
つまり「アートをポルノとして鑑賞する人は少ないだろう」と思うのです。


以前のコラムで“コミケ会場のエロ紙袋問題”について書きましたが、
あれは正直、苦情や抗議を受けても仕方がない内容だと思います。

しかし今回の該当する作品については、作品を見た人の中に巻き起こる「性的な異質感」を、
”見た人本人が感じ取ること”に意義があるのではないかと思うのです。


例えば、いじめられている人を見た場合に、嫌悪感を感じるか、高揚感を感じるかと同じです。
大抵の人は嫌悪感を感じて、「やめろ!」と注意したり、いじめられた人を慰めたり…と、
何らかのアクションを起こすことでしょう。

アートはそれと似ていて、自分の中に巻き起こる感情を見つめることで、
例えば「児童ポルノ問題」について考えるキッカケになったり、
「障害者差別」について自分の意見がまとまったりするんじゃないかと思うのです。


そして、美術館というクローズドな空間で展示されているのですから、
世間にそれほど大きな影響を与えることもないような気がします。

ちなみに、会田誠さん自身は、今回の出来事について以下のようにつぶやいています。
+++++++++++++++++++++++
「高い価値が安定しているもの」を
芸術と思っている方が多いようですが、僕はそう思いません。
「そもそも価値とは何なのか」を様々な角度から問うのが、20世紀以降の芸術だと思います。
立派だから、偉いから美術館で展示されるわけではありません。
――――
言うまでもなく「犬」は「お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?」という
問いのための試薬のようなものです。
問いをより先鋭化するため、切断や動物扱いという絶対悪の図像を選択しました。

多くの人が指摘する通り、このたびの喧々囂々の議論は、
最初から作品に内在していたものでしょう。
+++++++++++++++++++++++

今回の抗議によって、作品の展示方法などにどのような影響が出るのかはわかりませんが、
世界から見た日本は「性差別のある国」。
その汚名を晴らすような、よりよい結果になれば…幸いです。


担当:梅木



(2013/1/30 UPDATE)
番組スタッフ
「ひとつ聞きたいんだけど、今まで親を恨んだことある?一度もない?」
これは、『五体不満足』で知られる乙武洋匡さんに対し、乙武さんのツイッターのフォロワーが投げかけた質問です。
この質問から始まった、乙武さんとフォロワーのやりとりが昨日、乙武さん自身によってTogetterにまとめられ、まとめの閲覧数は100429 view(29日14時時点)に上るなど、多くの人の関心を集めています。

以下が、そのやりとりの一部です。
=====
フォロワー「ひとつ聞きたいんだけど、今まで親を恨んだことある?一度もない?」
乙武さん「一度もない。感謝しかない」

フォロワー「それには疑問だ・・・次第に感謝が増えていって、ネガティブな記憶を洗い流したのではないだろうか、一度も親を恨んだことがないなど、私から見ると、むしろ不自然だ」
乙武さん「育ってきた過程が幸せに満ちていたかの違いでしょ」「そう、幸せで満たしてくれたのは両親。だから、感謝しかない」

フォロワー「親を一度も恨んだ事はないって言うけど少なくとも自分の体を恨んだことはありました?中高生の時なら一度はあったはず」
乙武さん「一度もないですよ。この『一度はあったはず』という決めつけにこそ、差別が潜んでいる」

=====

上記のようなやりとりがあったうえで、乙武さんは『「すべての人が親を恨むべきでない」「どんな親でも感謝しろ」なんて、僕はひとことも言っていない。ただ、「僕は感謝している」とみずからの心情をつづっただけ。なのに、「つらい境遇に育った自分は、いまでも親を恨んでる(もしくは、恨んでいた時期がある)んだから、おまえも恨め」と言うのかい?』とフォロワーに問いかけています。

この乙武さんの問いかけを見れば分かるように、やりとりの焦点は、「障がい者は親を恨んでいる」という身勝手な決めつけにあります。
この身勝手な決め付けは、どうして、障害者、健常者に関わらず議論を呼び、多くの人の心を揺さぶるのでしょうか。

わたしは、誰にとっても他人事とは言い切れない、「自分の子どもが障がいをもって産まれてくる可能性」が関係しているように思っています。
どういうことかというと、まず、「産まれる前の自分の子どもが、障がいをもって産まれてくる可能性がある」と判明した場合を思い浮かべてみてください。この場合、あなたは産むという決断を下せますか?
わたしには、まだ子どもがいませんが、でも、もし、配偶者が妊娠し、その子どもが出生前診断で高い確率で障がいをもって生まれてくると分かったとしたら、産まないという決断をするでしょう。
なぜなら、「子どもが苦労するから」。生まれてくるはずの子どもの意思など考えもせず、勝手にそう決めつけているのです。そして、そのウラには「子どもに恨まれたくないから」という感情が共存していると自覚しています。
前置きが長くなりましたが、つまり、「障がいをもって産まれてきた子どもは、親である自分を恨むだろう」という強迫観念から、「障がい者は親を恨んでいるという決めつけ」を他人事ではないと判断し、心を揺さぶった、わたしはそのように思うのです。

フォロワーの「もしも乙武さんのお子さんが乙武さんと同じ体で生まれてきたとしたら、親としては恨まれるだろうとか、申し訳ないとか思われるのでしょうか?」という質問に対し、乙武さんはこのように答えています。
「たぶん思わないだろうなあ。ただ、子どもがその境遇でも幸せを感じられるように、愛情いっぱいに育てるだけです。僕がそうしてもらったように」

そして、2010年の12月にNHK「クローズアップ現代」が取り上げた、田嶋華子さん。
心臓に障がいをもって生まれ、15歳で延命治療を拒否し、18歳で亡くなった華子さんは、生前、こんな言葉を残したといいます。
「命は長さではないと思うのよ。どう生きていくかが問題だと思う」

いつか、「産まれる前の自分の子どもが、障がいをもって産まれてくる可能性がある」という場面に直面した場合、宣言通り、産まないという決断を下せるのでしょうか。
当事者である乙武さんの曇りのない言葉、田嶋華子さんの魂の叫びに、さっきの決断はどこへやら、「子どもに恨まれたくないから」という身勝手な決めつけはいけないと、心揺れている自分がいます。

(スタッフ:H)
(2013/1/29 UPDATE)
番組スタッフ
たばこや酒をコンビニエンスストアで購入しようとすると「年齢確認」を求められる場合がありますが、そのシステムに腹を立てた63歳の男性がレジの液晶画面を壊したとして、器物損壊容疑で逮捕されるという事件がおきました。

共同通信が配信した記事によると、男性は店員に対して「年は見れば分かるだろ」などと言って、年齢確認のボタンを押すのを拒否し、液晶画面を素手で殴って壊したようです。ツイッターや2ちゃんねるなどネットでもおおいに話題になっています。

その多くは「精神年齢は未成年だった・・・」「キレる団塊世代として報道していい」など、男性に批判的な意見のようですが、なかには「怪しい人だけ確認すればいいのに、なんで全員確認しないといけないんだ」とコンビニ側の機械的な対応を疑問視する声もあります。

おそらくこの事件への反応は、その人の年齢によっても異なるのではないかと思います。同じ成人といっても、20歳に近ければ、団塊世代である男性に批判的になり、60歳に近ければ同情的になりやすい、と。

ちなみに、アラフォーである私は、「レジを殴って壊してしまったのは明らかにやりすぎだけど、気持ちは分からないでもないなぁ」という感じです。自宅の近くのコンビニで、あの年齢確認を求められるたびに、「俺ってどう見ても未成年に見えないと思うけどなぁ・・・」と心の中で思っていますから。

しかも、私が利用している数字が名前につく某コンビニでは、ノンアルコールビールを買うときにも年齢確認を求めてくるのです。ノンアルコールビールは、その名前の通り、酒ではありません。缶のデータ表記の欄を見れば、「炭酸飲料」とはっきり書いてあります。それなのに、年齢確認をするって、いったいどういう意味なんでしょうか?

ノンアルコールビールをレジに持っていったとき、やる気のなさそうな目をした店員から「年齢確認ボタンを押してください」と機械的な口調で求められるたびに、いつか言ってやろうと思っていた言葉があります。

それは「僕ってやっぱり未成年に見えますか?」という質問です。もう一つ、「炭酸飲料って未成年は買えないんでしたっけ?」という言葉も、胸のうちに秘めてあります。

いつかどこかで、このセリフを店員にぶつけてみたいと考えていたのですが、今回の事件のニュースを見て「そろそろ言ってみようかな」と思ったのでした。

(スタッフ : K)
(2013/1/28 UPDATE)
番組スタッフ
SNSをやっていると色々とストレスの源があるものです。
上司のしょうもない自慢…
こっちがどう対応していいかわからなくなるレベルの愚痴…
自己啓発が大好きそうな人の「おはようございます!今日もがんばりましょう!」という毎日の挨拶…

Twitterではびこっているストレスの源の一つが、「パクツイ」をする人です。
「パクツイ」とはパクリツイートの略で、Twitterでの他人のつぶやきをあたかも自分が考えたようにそのままツイートすること。
Twitterには他人のツイートを引用するリツイート機能がありますが、パクツイはRTボタンを押さず、元発信者のIDを消去するなどして投稿。かなり悪質でTwitterの世界では“ダサイ行為”とされるものです。

Twitterには非公式RTというものもあります。これはTwitter公式のRT機能を使わずに、自分の力かTwitter連携サービスを利用して行うものです。
パクツイと非公式RTの違いはユーザー名の有無です。
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非公式RTの場合はつぶやいたユーザー名も記載される事が多いので、つぶやきが改変される可能性を含むが、まだ「誰がつぶやいたか」を辿る事が可能。パクツイの場合はユーザー名も記載せずにつぶやきをそのままコピペするため意図的に改ざんされても気付かず、迷惑極まりない。また文章だけではなくイラストなども無断転載される可能性があるため、著作権問題にも繋がる。
はてなキーワード パクツイとは
++++++++++++++++++

パクツイがダサイとされるのは、その盗用行為を他者から指摘されたときでしょう。謝罪後、投稿を削除するというケースもありますが、意外と「他の人もやってるでしょうが!」と開き直るケースもあるようです。
あるケースでは、画像パクツイを忠告した人に対して、「無断転載をパクツイしたら、マジレス厨が釣れた!」と、あざ笑う対応を取っています。パクツイはあくまでもお遊び…そもそもTwitterがお遊びなんだからさ…とでも言わんばかりに。

運営側のTwitterも【コンテンツ盗用に関するポリシー】として、以下のようにパクツイに関して、ユーザーに一定のマナーを求めています。
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Twitterはアイディアやコンテンツをアップロードおよび共有するプラットフォームをユーザーに提供します。リツイートなどの機能によって、他のユーザーが投稿したツイートをフォロワーや別ユーザーと共有できます。ポリシーとして、Twitterはユーザー間の私的な口論を仲裁しません。ご自分のツイートが出所を明らかにすることなく他のユーザーに投稿され、以下の状況に当てはまらない場合には、そのユーザーに@返信やダイレクトメッセージで直接連絡してください。
Twitter コンテンツ盗用に関するポリシー
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しかし、パクツイが消滅することはなく、ワロスbotのように人気ツイートに、広告をつけてビジネス展開しているのも事実。
そんな自然の摂理からか、パクツイしている人を暴き出すサービスも誕生しています。
その名も「ぱくったー」
他人のツイートをパクって自分のツイートであるかのように発言した人間を検索、特定、分析する事ができるというものです。
大きく以下の3つの機能があります。
1. 剽窃者(パクり)のTwitterIDから前科を調べる
2. 被害者(パクられ)のTwitterIDから被害を調べる
3. TweetIDから、そのツイートがどれぐらいパクられているか、またはそのツイート自体がパクりかどうかを調べる


サイトには、「パクり常習者リスト」「最近のパクり」もありますので、ぜひご覧になってみて下さい。
皆さんのツイートをパクツイした人が入っているかもしれません。

SNSの世界は現実の世界とは違って、リアクションが可視化されていますから、自ずと数字にこだわりがちです。
フォロワーが500人を超えた…、10000回リツイートされた…、「いいね」が50件集まった…。
自分の投稿に何のリアクションがないのも確かに寂しいものです。
しかし、リアクションを求めるためだけにフォロワーや友人におもねった投稿をする行為こそ、私は虚しいものと考えます。
そんなことを言う私もやはりSNSのリアクションが気になる小さい人間の1人です。
先日、ちょっと話題になった「セックスの消費カロリー一覧表」があまりにも馬鹿馬鹿しすぎて(褒め言葉)、記事にあったFacebookの「いいね」を押しそうになりましたが、踏みとどまってしまいました。


スタッフ:坂本
(2013/1/24 UPDATE)
番組スタッフ
いよいよ2014年卒のための就職活動がスタートした今日このごろ。
近年では、エントリーシートや面接で「血液型差別」に合い、
頭を悩ませている就活生のエピソードが話題になっていましたが、
そんな俗説に迷走する日本人らしい出来事が、いまネット上で話題となっています。

それは、数あるネット上の噂や都市伝説の中でも、
頻繁に話題になる「デスブログ」と呼ばれる、あるタレントの公式ブログです。

以前から、何か不吉なニュースが発生する度に、
ネット上で話題になってきた「デスブログ」。
最新の話題では、ブログ内でボーイング787機のプラモデルの写真が掲載され、
その約一ヶ月後、ボーイング787型機が高松空港に緊急着陸。
予言が的中した!として、海外のゴシップサイトにも取り上げられたほど。

そんな「デスブログ」を『脅威』と恐れ、面白がるネット民に対し、
駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授の山口浩氏が、
『それは「いじめ」ではないのか?』と異論を唱え、賛否両論が沸き上がっているのです。

●「デスブログ」といういじめ/BLOGOS・1月18日
山口教授は、こんなことを語っています。
『「デスブログが発動した」と騒ぎたてることは、言いがかり以外の何物でもなく、
クラスメートに「お前汚いからあっちいけ」と言うのと同じレベル。
有名人だから騒いでもいい…という理由で放置されているからこそ、
いじめについて「許される行為」と考える子どもが出てくるのだ』(※要約)

この山口教授の意見は大きな反響を呼び、
Yahoo!ニュースのトップ画面でも取り上げられたほか、
Yahoo!ニュースの意識調査で『「デスブログ」と騒ぐのは問題だと思う?』といった
ネットアンケート(〜1月29日まで)まで展開されるほどの騒ぎに。

さらに、山口教授の意見に対して、
掲載後は多くの人から賛同の声が寄せられていたそうですが、
その後、騒ぎが大きくなるにつれ、山口教授に対し
「頭が悪い」「お前の属している組織は質が低い」「お前の外見が醜い」といった
誹謗中傷が増えていったそうです。

もともとは、単なる問題提起だった山口教授の意見。
元ネタの「デスブログ」がいじめかどうかの境界線は、
“本人を中傷している訳ではないこと”、
また“本人にも多少のメリットもあるだろうと予想できること”から、
私自身は明確に「いじめ」と思っていなかったのですが、
山口教授の問題提起に対しての「誹謗中傷」については、完全に「いじめ」だと思いました。

(もっとも御本人は「いじめられた」とも思っていないと思いますが…)

「異質なものを排除しようとする社会」は、
ある意味、「生物」として当たり前の行動なのかもしれません。
特に、得体のしれない不吉な事柄や、理解できない意見であるなら、なおのこと。

先日、こんなニュースを見かけました。

●広島ネコ虐殺事件で住民が中傷合戦「あの家に引きこもりいる」/週間ポスト2013年2月1日号

広島県・呉市では、昨年から計15件に及ぶネコの虐殺事件が発生しているのだそうです。
しかも、この事件は、予期せぬ悪影響を生み出し、
住民の間では“中傷合戦”が始まっているとのこと。
地元の警察には“あの家には引きこもりの子供がいる”とか
“夜中にバイクで出かける若者がいる”といった通報が寄せられ、
捜査員が来れば、それだけで容疑者扱い。
近所の噂になるといった悪循環を生んでいるのだといいます。

論理的にネコの虐殺事件と結びつかない、「引きこもり」や「夜中に出かける若者」。
それらを通報してしまう背景には、
自分と違う者に対する不信感や、なんとなく気に入らないといった不安定な感情が、
「不審な事件から来る得体のしれない恐怖」が見受けられます。


一方の、山口教授の問題提起に対する誹謗中傷も広島の出来事と同じで、
“単に的中率を楽しんでいただけなのに、水をさされた”…という、
自分たちとは違う意見への拒絶反応ではないでしょうか。

こうした「他者の意見を聞き入れない排他的な対立構造」にこそ、
いじめの根源があるのではないかと私は思います。

政治の場でも、社会でも、私自身も含めて、
何かの問題が発生した時に、「AかBか」の両極端に振り切った意見を
「結論」としてしまいがちです。

しかし「Aの人もいればBもいる」という状況の中、
いかに他者の意見を寛容に取り入れるかが、
「いじめ」をなくし、ひいては社会を良くするのだと改めて思いました。


担当/梅木


(2013/1/23 UPDATE)
番組スタッフ
日本人7人の死亡が確認された、アルジェリア人質事件。
日本政府は昨日(21日)、現地で死亡を確認した日本人7人の名前や年齢などを公表しない考えを示しました。

「日本経済新聞」(2013/1/22)によると、日本人の名前などを公表しない理由について、菅官房長官は「家族や日揮との関係があるので控える。どうしても氏名などは勘弁してほしいということだ」と説明。
また、日揮は事件発生以来、「安否確認ができていない人の家族への配慮や、生存者でも個人情報を出せばさらにストレスになる」として、現地スタッフの氏名や年齢などの一切の情報を明らかにしない方針を貫いているようです。

被害者の実名を公表しないという政府の決断に対し、ネット上は賛否両論。「被害者の実名公表」の是非をめぐって、様々な意見が交わされています。
なかでも、ある大手新聞社の記者がツイッターで行った「亡くなった方のお名前は発表すべきた。それが何よりの弔いになる。人が人として生きた証しは、その名前にある。人生の重さとプライバシーを勘違いしてはいけない」という書き込みに対しては、「亡くなった方の名前の公表が弔いになると思っているマスコミ人の考えは傲慢にすぎる」など批判する書き込みが相次ぎ、炎上する騒ぎになっています。

賛否両論とはいえ、「実名公表が必要」と主張する意見はごく少数、大半は「実名公表は不要」という意見が占めています。
「実名公表は不要」という意見でいいますと、たとえば、京都大学客員准教授の瀧本哲史氏は、ツイッターでこのようにつぶやいています。
=====
実名とか、遺族の悲しみとか、関係者は、報道されたくないだろうし、視聴者も報道して欲しくない。他に報道することがあるのではないか。要は情報が取りやすくて、センセーショナルで数字がとれそうぐらいの理由しかないように思う。
実名報道って、何か意味があるのだろうか?そもそも、事件報道自体どんな意味があるのだろうか?Newsweb24でも常々思います

=====
瀧本哲史botより抜粋

「実名公表は不要」という意見が多数派という状況のなか、あるテレビ局は、今日の昼のニュースで、被害者の一人を実名で報道。被害者の遺族へのインタビューを放送しています。
22日15時の時点でも、その動画は公式HPで閲覧できる状態になっており、それには被害者の遺族と記者の以下のようなやりとりが映し出されています。
=====
●●さんの兄は「(お聞きになられた時、どんなお気持ちでした?)もう何とも言えんでした。(どんな弟でした?)兄貴思いでした。大事にしてくれました、わたしを、いつも帰ってきて。何とも口で言えないほど優しい弟でした」と語った。
また、●●さんの義姉は「とっても優しい子でしたよ。いつも『姉さん、姉さん』って言ってきてね。かわいそうでね」と語った。

=====
※●●は実名。ここではあえて伏せています。

わたしはこの動画を見て、今回の事件の悲しみを痛切に感じました。多くの人がおそらく、わたしと同様の感情を抱くと思います。そういった意味では、「被害者の弔い」になったのかもしれません。
ただその一方で、「被害者、そして被害者の遺族は、不特定多数の人からの弔いを望んでいるのでしょうか」…そんな疑問が頭をもたげました。

もし、自分が遺族だったとしたら、不特定多数の人に家族の死を弔ってほしいですか?
こう訊かれたら、わたしはきっと、こう即答します。
「いいえ。知らない人に家族の死を弔ってほしくない。そっとしておいてください」。

こうした信念から、わたしは、今回、実名を公表したメディアの行動は、単なるマスコミのエゴと断ぜざるを得ません。
では、マスコミが本来すべき対応とはどのような対応なのでしょうか。それは、「もし、自分が遺族だったとしたら…」、そう考えることで、自ずと見えてくるような気がします。

(スタッフ:H)
(2013/1/22 UPDATE)
番組スタッフ
「図書館」という言葉を聞いたとき、どんな光景が頭に浮かぶでしょうか。私の場合、天井まである高い書棚にたくさんの本がずらーっと並んでいる様子がイメージされるのですが、アメリカではこの秋、「紙の本」が一冊もない図書館「BiblioTech」がオープンするそうです。

テキサス州ベクサー郡の公共図書館の試みで、すべては電子書籍として提供され、住民は館内にあるパソコンで見たり、2週間限定で貸し出される電子書籍リーダーで読んだりできるようになります。今日1月21日のタイムラインの特集で紹介するのは、街の本棚にある「紙の本」をインターネットでつなげようというサービスですが、この「BiblioTech」は逆に、「紙の本」に頼らないで図書館の機能をはたそうというものです。

これまでも大学などの図書館が電子書籍の閲覧サービスを提供する例はありましたが、最初から紙の本を一冊も持たない公共図書館は、書籍の電子化に熱心なグーグルの国、アメリカでも初めてということで、全国ネットワークのABCテレビで取り上げられるなど、大きな話題を呼んでいます。

この「本がない図書館」の担当者ウォルフ氏は、地元新聞サンアントニオ・エキスプレスの取材に対して「どういう見た目の図書館か知りたかったら、アップル・ストアに行ってほしい」と答えています。その新聞のサイトに掲載されたイラストには、パソコンやタブレット端末がずらっと並んでいる様子が描かれており、図書館でおなじみの書棚や紙の本はどこにもありません。

「ついにここまできたか」という感じがしますが、もともと図書館は、先人が蓄えた知識と知恵を集積し、次の世代へ受け継いでいくための施設であることを考えれば、その英知を伝達する手段として「紙」にこだわる必要はないということもできます。むしろデジタル化が進み、知的資産を紙ではなくデジタルで扱うのが当たり前となった今の社会では、このような「紙の本がない図書館」もあって当然といえるでしょう。

アメリカほどではないですが、日本の自治体でも電子図書館の試みはおこなわれています。東京の千代田区立図書館は「Web図書館」という名称で、電子図書をインターネット経由で貸し出すサービスをおこなっています。また、秋田県立図書館は、スマートフォンやタブレット端末をもっている県民向けに、電子書籍を貸し出すサービスを始めました。

このような公共図書館の動きに対して、出版社や作家から「著作権保護の観点から心配だ」という声もあるようです。また、発売されたばかりの新刊本が、電子書籍のかたちで図書館に無料で、しかも無制限に貸し出されてしまえば、本の売れ行きに影響が出る可能性は否定できません。

DRM(デジタル著作権管理)技術によって、電子書籍の複製を制限したり、閲覧期間をコントロールしたりすることは可能ですが、出版社や作家の利益を考えると、発売から一定期間たたないと無料による貸し出しはおこなわないという対応が必要かもしれません。

また、電子書籍リーダーを住民に貸し出すとなると「ちゃんと返却してもらえるか心配」という意見もありそうですが、紙の本がない図書館「BliblioTech」をスタートさせようとしているウォルフ氏は楽観的です。

「利用者の名前や住所はわかっているのですから、返却期間の2週間がすぎれば電子書籍を読めないようにできます。そうなれば、持っていても仕方がないでしょう」

多くのネットサービスがアメリカで生まれ、日本にも広がったように、「紙の本がない図書館」の構想もやがて日本に普及していくのでしょうか。

(スタッフ : K)
(2013/1/21 UPDATE)
番組スタッフ
先日、私の知人の美容師(女性、33歳)が語っていた話です。
彼女は結婚もしており、自分の美容室を経営しております。彼女がSNSで最近、車(中古車、外車)を購入したことを報告したそうです。
すると、「あなたはいいですね。色んなものを持っていて…」というコメントが寄せられたのだとか。

確かに彼女は人からうらやましがられるに値するほど、色々なものを持っています。
夫、自分の店、外車、ペット、容姿、人気沿線にある住まい、財産(これは私の想像です)…。
彼女と同世代の独身女性からしてみると、ひがまれても仕方がないのかもしれません。
そのコメントに得体の知れない気持ち悪さを感じ、彼女はしばらく「SNS断ち」をしたのだとか。

例えばFacebookの場合、「いいね」というポジティブな評価システムがあるのですから、自ずと、「いいね」を押してもらうための、「リア充」な投稿になってしまいます。
温泉にやってきた、お昼に美味しいランチを食べた、家族でディズニーを楽しみます、結婚しました…

私の友人の中には、比較的、何でもかんでも「いいね」を押すくせに、リア充が過ぎる投稿の場合、無視するという少し心の小さい友人Xがいます。
これはあくまでも、X氏の友人Y氏と私が共通して抱いた単なる印象に過ぎませんが…。
奥さんの素敵な手料理を毎回、誇らしげに投稿していたZ氏に対して、
その都度、X氏はきちんと「いいね」を押していましたが、Z氏が「マンションを購入した」というときには、皆がおめでとうという意味で「いいね」とリアクションする中、X氏だけは無視。
またY氏が「車を購入した」というときにも、その人は無視。もちろん、単なる偶然かもしれません。

まぁ、別にどうでもいい話なのですが、最近、SNSに限らず「リア充」を妬む人が周りに増えてきたような気がします。根拠はありません。感覚です。
リア充という言葉が流行語大賞にもノミネートされるほど、知れ渡ったためか、リア充な投稿しかないFacebookの普及のせいか、リアルの友達としかつながれないLINEの爆発的な人気のせいか…
他人の何気ない投稿をリア充だ、自慢だと非難する人が私の周りには結構います。

たいして仲が良くない人の何の感情移入もできないリア充な投稿は、確かにイライラさせてくれます。
そういう場合は非表示にすればいいい、それをやっていいんだと今さらながら知りました。
私も一度、アンチ・リア充の妬みの対象になってしまった苦い経験があることから、
私はリアルを自慢する人よりも、リア充をひがんで露骨な行動に出る人の方が嫌いです。
飲み会などのリアルの世界で、SNS上であったことを話さないようにもしています。SNSでつながっているから、皆知っている話題として、SNS上であったことを誇らしげに話す人に空虚さを感じるためでもあり、投稿非表示を悟られないためでもあります。

嘆かわしい投稿の場合、どうリアクションしたらいいのかわからないというのもFacebookにおける命題です。先日私の友人が乳がんになったと投稿しました。
私は彼女の投稿に驚き、何のリアクションもできませんでしたが、彼女のその後の気丈な「投稿」に感嘆せざるをえませんでした。
彼女は「なったもんは仕方がない」としながら、治療に必要なお金、時間を全てFacebookで教えてくれたのです。いずれ病気になるかもしれない私たち友人のために。

きっとネガティブな行動でも「いいね」と押していいのでしょう。
多分、投稿者には不謹慎と捉えられず、共感したという意思が伝わるはずです。

話が逸れてしまいました。
私はリアルの友達はそれほどいませんが、友達になんかなりたくもない人と、やむを得ず友達になるということはよくある話で、Facebook上に友達が100人弱います。
投稿を見せるのはその中の30人程度にしています。
余計な妬み、嫉妬を受けたくないというのが第一の理由ですが、選別した30人は「この人の投稿は別にリア充が過ぎてもイライラしない」という親しい人ばかりです。

「誰とでも友人になれる」というのはSNSにおける画期的な発明ですが、精神衛生上、SNSはクローズドにやっていくのがよいと私は思っています。


スタッフ:坂本
(2013/1/17 UPDATE)
番組スタッフ
本日、発表される予定の「第148回 芥川賞・直木賞」。
どちらの賞にも“平成生まれ”がノミネートされ注目されていますが、
世間では、「昭和生まれ」と「平成生まれ」の考え方の違いが、
悲しい結果を招いてしまったとして話題になっている事件があります。

大阪の市立桜宮高校で、バスケットボール部主将の17歳の男子生徒が
顧問から体罰を受けた翌日に自殺した問題です。

こういった悲しい事件が起こった時、必ずといっていいほど、
「体罰」と「しつけ」は違う、違わないというテーマが持ち上がります。

今回の事件に関しても、多くの人がネット上で議論や発言をしていますので、
その一部をご紹介します。

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・体罰、しつけ、指導。そんな言葉を借りて、
大人は一方的な攻撃をごまかしてるんじゃないの?

・親が子供を殴ってしつけだと言い監督が選手を殴って愛のムチだと言う。
だが「しつけ」か「愛のムチ」かは殴られた方が判断して決めることだ。
死ぬほど「しつけ」たり自殺するほど「愛のムチ」を打ってどうする。

・殴られたり暴力を受けて、怒りや恐怖なくありがたがる人間なんて
まずいないわけで「しつけ」とか「発奮させようと思って」というのは
自分の感情をコントロールできないただの言い訳

・部活で体罰ってなんかアレだよな。体罰を必要とする部活なんて
精神論が廃れかけてから(学生側にも)意味がないと思うのだが
+++++++++++++++++++

これらの意見を読んで私自身が思ったことは、
「体罰」と「しつけ」の境界線に、
そもそも違いはないんじゃないかということです。
「しつけ」を受けた側が心に傷を負えば、それは「体罰」になりますし、その逆も然り。
全ては、指導する側と、指導される側が、
いかに信頼関係を築いているか?にかかっていると思います。

とはいえ、信頼関係という目に見えないものを計ることはできません。

そこで思うのが、「昭和生まれの根性論は、平成生まれに通用しない」
ということです。

新入社員がすぐに会社を辞めてしまう…とか、
若い奴らは根性がない…とか、各所で若い世代への不満が聞こえる昨今。

そもそもが、全く環境が違う世代の境界線に、
一方的な考え方を押し付けてしまうが故、
日々、同じような問題が各所で起こってしまうのではないでしょうか。

あげくの果ては「しつけ」という名の「体罰」が容認されてきた世代が、
「体罰はしつけだ」という意見を
持ち出し、今回のような悲しい事件が起こってしまうんじゃないかと思うのです。

これまでも繰り返し行われてきた「体罰」についての、必要・不要論。
そもそも「体罰」ってなんなのでしょうか?

その答えとなるような意見が、1月11日付の朝日新聞に掲載されていました。
少し長いですが、抜粋して引用します。

●「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ/1月11日・朝日新聞


+++++++++++++++++++
私は、体罰は必要ないと考えています。
「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。
監督が采配ミスをして選手に殴られますか? 
スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。
殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、
野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
(※中略)
「極限状態に追い詰めて成長させるために」と
体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、
殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。
私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。
「愛情の表れなら殴ってもよい」と言う人もいますが、
私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。
伝わるかどうか分からない暴力より、
指導者が教養を積んで伝えた方が確実です。
+++++++++++++++++++

指導する側も、される側も、先輩も後輩も、
お互いの歩み寄りと信頼関係を持つことが、
今後の教育現場や、家庭や職場、
ひいては社会を潤滑に動かしていく指針になるのではないかと私は思います。


担当/梅木
(2013/1/16 UPDATE)
番組スタッフ
「上司からFacebookの『いいね!』を強要されて困っている」
このような悩みを抱えながら、上司と嫌々、Facebookでコミュニケーションを続けているという方、少なくないのではないでしょうか。
上司のこうした行為は今、「ソーハラ」と呼ばれ、職場における新たなトラブルになりつつあるようなんです。

「ソーハラ」とは、ソーシャル・メディア・ハラスメントの略称で、FacebookやツイッターなどのSNSを通じた嫌がらせを意味する言葉。
明確な定義はなく、上司が部下に友だち申請をすることや、投稿への「いいね!」を求めるなど、広い意味で使われているようなのですが、具体的にはどのようなトラブルが報告されているのでしょうか。
読売新聞(2013年1月10日)は、以下のような事例を紹介しています。
=====
「FBやってるんだ? 友達申請して」。横浜市のアルバイト男性(23歳)は昨年夏、スマートフォンでFB画面を開いていると、のぞき込んできた男性上司にこう言われた。気まずくなるのも嫌なので「友達」にはなったものの、上司が書き込む投稿は無視していた。
すると2週間後、上司に「冷たいな」と責められた。投稿を評価する「いいね!」ボタンをクリックしたり、投稿に対するコメントを書き込んだりしてほしいという。男性は「勤務時間外なのに気を使いたくない」と不快感をあらわにする。
=====

こうしたトラブルは氷山の一角ではなく、「朝日新聞」(2013年1月7日)によると、約400の企業・団体の社員らから心の相談を受け付ける「保健同人社」には、約2年前から「ソーハラ」に関する相談が増えているといいます。

このように今、増えつつある、「ソーハラ」をめぐる、職場でのトラブル。
人材コンサルタントの常見陽平さんは、著書『「意識高い系」という病〜ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』(ベストセラーズ)の中で、興味深い指摘をしています。
=====
Facebookでのつながりを観察していると、上司とも同僚、部下ともつながっている人がいる。「明らかに、人間関係が複雑だよなぁ」という人たちが「いいね!」と押したり、何食わぬ顔でコメントをし合っている様子を見ると気の毒になる。
「ソーシャルメディアは個人を解放する」という趣旨の記事やツイートをよく見かけるが、かえって不自由にしていないだろうか?もはや、社畜ならぬ「ソー蓄」と化した人々が大勢いるのだ。
=====

会社組織に属していない、SNSをプライベートで一切利用していない、わたしにとって「ソーハラ」は無縁のトラブルで、「嫌ならブロック、またはSNS自体をやめればいい」と短絡的に考えてしまいますが、会社組織に属している場合は、そうもいかないのが現実。
「ソーハラ」に悩んでいるけれども、対処法が見つからないという方が多いことは想像に難くありません。

そんな方にうってつけともいえる“武器”を発見したので、ここで紹介させていただきます。
それは、上司がFacebookで行った投稿に自動で「いいね!」をしてくれる、「シャチクのミカタ」というアプリです。

使い方は簡単で、Facebookで、このアプリをインストールし、投稿に自動で「いいね!」を押してほしい上司を登録するだけ。
そうすれば、上司の投稿にすべて「いいね!」と反応するだけでなく、リンクのシェアや写真など、投稿のタイプによって反応するものとしないものを選んだり、ネガティブな内容のコメントには「いいね!」しないなど、様々な状況に対応してくれるようです。

去年、登場し、ネット上で話題になった、このアプリ。去年の10月時点では、およそ1000人だった上司の登録数が、現在(1月15日の11時30分時点)では19042人と、たった3ヶ月で10倍まで膨れ上がっています。こうした状況は、「ソーハラ」対策へのニーズが高まっていることの証明と言えるのかもしれません。

「ソーハラ」に悩み、対処に困っている方は、このアプリを一度、使ってみてはいかがでしょうか。
「ソーハラ」を解消できるという補償はできませんが、「ソーハラ」に遭う前と同じぐらい快適に、SNSを利用できるようにはなるはずです。

(スタッフ:H)
(2013/1/15 UPDATE)
番組スタッフ
朝日新聞が「ツイッター記者」のリストを公式サイトで紹介したり、NHKがニュース番組の中で視聴者のツイートを流したりと、新聞やテレビなどの「オールドメディア」が、ツイッターやフェイスブックなどの「ソーシャルメディア」を活用しようという動きが日本でも広がりつつあります。

そんな流れを受け、毎日新聞労働組合は1月10日に「メディア大航海時代〜ソーシャルメディアと新聞ジャーナリズム」と題したシンポジウムを開催しました。会場には、この問題に関心をもつメディア関係者の姿も多く見られました。

ジャーナリストの森健さんや藤代裕之さん、評論家の荻上チキさんが出演したパネルディスカッションも傾聴に値するものでしたが、それ以上に興味深かったのは、最後の質疑応答です。現役の新聞記者と思われる来場者から、次のような質問が寄せられたのです。

「自分は記者として、ツイッターをやるのはちょっと怖いなあと思ってしまいます。『批判されてなんぼ』という覚悟をもってやらないといけないのでしょうか。記事を書くほどの気合と集中力をもってツイッターもやるのは気が重いです」

記者の本心の吐露ともいえる質問に、会場には「苦笑・・・」といった空気が流れましたが、これに対するパネリストの回答は三者三様でした。

まず、雑誌や書籍を中心に執筆活動をしている森さんは、ツイッターについて「僕はアカウントを持っているけど、全然やらないんです」と発言。「めんどくさがり屋だし、恥ずかしがり屋なので・・・」とツイッターで発信しない理由を述べたうえで、「会社としてやらなくていけない場合は責任感をもってやらないといけないと思うが、やりたくなかったらやらなくていいと思う」と、質問した記者氏に共感するようなコメントをしました。

一方、日経新聞のサイトで「ソーシャルメディアの歩き方」という連載コラムをもち、ツイッターやフェイスブックで積極的に情報発信している藤代さんは、自分が書いた記事に対する「読者の反応」を知るツールとしてソーシャルメディアを活用している、と説明しました。「新聞記者は『デスクに原稿を出稿したら終わり』と思っている節があるが、これからの時代はそうではない。自分の言説に責任をもって説明しなければいけない」と話し、読者の意見や疑問を把握し、ときにはそれに答えていくために、ツイッターなどを使っていけばいいのではないかという考えを示しました。

それに対して、シノドスジャーナルなど複数のネットメディアの運営にかかわっている荻上さんは、自分が書いた記事の更新情報をネットユーザーにアナウンスしたり、自分の専門分野にかんする議論に参加したりするツールとして、ツイッターは効果的だと解説。「ツイッターを活用することが、自分の仕事をさらに立派なものにするのであればやったほうがいいし、目的のための手段としてベストマッチでなければ使わなくてもいい」とまとめました。

不特定多数の大衆に向けて、整理された情報を「一方的に」発信することに慣れてきたオールドメディアの記者たちは、読者・視聴者との「双方向」のやりとりが基本となるソーシャルメディアにどう向き合っていいのか戸惑っているようです。

しかし、社会に暮らす普通の人々の中で、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの役割が高まっているのは明らかといえます。そんな時代においては、情報を扱うプロフェッショナルとして、ソーシャルメディアがどのようなメリットとデメリットをもっているのかを自分なりに理解するために、まずは「使ってみる」という姿勢が大事なのではないでしょうか。

私ならば、シンポジウムで質問した記者氏に「いきなり実名でツイッターを始めるのではなく、とりあえず匿名で、気軽にツイッターを試してみたらどうですか?」と提案したいと思います。

(スタッフ : K)
(2013/1/14 UPDATE)
番組スタッフ
昨年、ブレイクし、紅白出場まで果たしたビジュアル系エアバンド「ゴールデンボンバー」。
新年会でカラオケに行くときは皆で盛り上がれるとして、男性からも女性からも支持されているのだとか。「金爆」の愛称で親しまれている「ゴールデンボンバー」、2013年1月1日に発売したシングル「Dance My Generation」が初登場1位を獲得しました。
ただの“イロモン”じゃないのか…と当初は思っていましたが、その人気も安定しつつあるようです。
しかし、喜ぶべき栄誉にもかかわらず、鬼龍院翔氏は自身のブログでこう語っています。

+++++++++++++++++++++
ありがとうございます!今回は色々特典があり三種売りだったので、
次回のシングルは握手会等の特典一切無しの一種売りにしたいと思います!
その売り上げの差を見てまた音楽業界の現状を感じて下さい!って提出しようと思ったら
他の会社との兼ね合いもあるのでそれは出来るかわからないから書けない。
とのことで、無難に「皆様のおかげです! ありがとうございます!」というコメントを提出させて頂きました。
初のオリコン1位しかし売り方の面でファンの方々に少なからず迷惑をかけてしまったのでリーダーの僕としてはあまり手放しでは喜べません。
(中略)
いっそ特典や握手会なんてやらなければいいんじゃ…と思ったりもするけど
ファンの要望でもあるし事務所や各社の販売方法でもある。
ファンのみんなが喜ぶ特典やイベントの方法を僕もしっかりと流通事情等を学び
会議に参加したいけどそれを1から学んで行くにはあまりに複雑なので、
申し訳ないが事務所さんに任せて僕はCD制作に打ち込ませて頂いています。

<ゴールデンボンバー 鬼龍院翔オフィシャルブログより>
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ご存知のように、昨今の「握手会券」や「投票権」などのCD特典は一部で問題視されています。
2012年 オリコン年間シングルランキングには特典付きCD、楽曲が多くランクインしていました。
CDが売れないと言われるこのご時世に、180万枚も売れた曲もあるそうですが、鬼龍院翔氏が違和感を覚える「音楽界の現状」を見据えるためにも、金爆の今後に注目する価値はあるのかもしれません。


「音楽界の現状」と言えば…年末のレコード大賞でのこんな言葉がネットで話題となっています。
それが日本レコード大賞制定委員長・服部克久氏の大賞発表直前での次のような発言。

『これが日本の音楽界の現状です。楽しんでいただけましたでしょうか』

大賞発表直前のコメントだっただけに、皮肉ではないか…と想像する人が多々いて、見ていた人がツイートし、それが拡散され、憶測が憶測を呼ぶ…という事態になったわけです。
発言の一部だけが切り取られて、ネットで話題になるのはよくある話。
服部克久氏の総評全文を書き起こしたのが以下です。

『歌謡曲からヒップホップまで幅広い音楽を聞いていただいたと思います。
これが今の日本の歌謡界の現状で、今日、3時間聞いていただいてすっかり現状が把握できたと思います。お楽しみいただけましたでしょうか』


ネットでは「これが日本の音楽界の現状です。楽しんでいただけましたでしょうか」という文面で出回っていますが、確かに文字だけで見ると、皮肉と捉えることもできます。しかし、私は服部克久氏の表情も合わせて見ると、皮肉と捉えるのは少々、勘ぐり過ぎだと思っています。
服部氏の真意はどうであれ、この言葉が拡散され、話題となっていることから考えると「音楽界の現状」に違和感を覚えている人はたくさんいることを証明した事例です。

年末に、その一年の音楽シーンを振り返るという意味で増える音楽番組。
「音楽界の現状」を振り返ることができる国民的番組といえば、紅白歌合戦でしょう。
今回で63回目を向かえ、40%超えの高視聴率を記録しました。
コラムニストの今井舞さんは今年の紅白歌合戦についてこう振り返っています。

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だんだん紅白でしか見られない伝統芸能のような演目も増えてきているわけだが。
しかしこの「知らない歌」「知らない人」の多さは、歌番組としてツラいところだ。
(中略)こうしたツラさをそのまま剥き身で提供してしまうところに、NHKのプロ意識の欠如が感じられる。「人に面白いと思ってもらえるものを作る」という、当たり前の感覚が欠けてないか。
約束された高視聴率のもと、それのみを追求し続けてきた結果、いまや紅白は、
世にもいびつなガラパゴス番組となってしまった。

<週刊文春 新年特別号「今井舞の毒舌批評 紅白歌合戦はFNS歌謡祭に負けた!」>
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世界の音楽番組を知っているわけでもなく、音楽についての知識もなく、楽器が何かできるわけではありませんが、日本の音楽界って少し変わっているな…と思わざるを得ない現状。
実力のある演歌歌手とパフォーマンスの優れたアイドルが同じ舞台で共演する…今井舞氏の「ガラパゴス」という言葉が、とてもしっくり来ました。
年明け用のネタとして、コラムニストやライター、批評家がツッコミを入れるためのコンテンツになっているような気もする国民的歌番組。私もツッコミどころを見つけたくて、録画してしまいます。


スタッフ:坂本
(2013/1/10 UPDATE)
番組スタッフ
海外からも高い評価を受けている日本人の「おもてなしの心」。
特に、飲食業などの分野では、
“チップを払わずとも満足のいくサービスが提供される”と、
日本が世界に誇る文化として紹介されることも少なくありません。

でも、そのサービスを受ける消費者側の態度も、
世界に誇れるものなんでしょうか?

先日、こんな記事を見つけました。

●App Storeのレビューに、日本のモンスター消費者の片鱗を見る/ガジェット通信/2012年12月26日


記事によると、日本のApple App Storeと、米国のApp Storeを比較すると、日本のレビューは、個人開発の無料のアプリに対しても、
容赦ないクレームを叩きつけている、とのこと。

例えば、日本のレビューには、
どのような環境でアプリが落ちたのかを書かずに、
「はっ?」「ふざけんなよ」などの一言で済ますなど、
開発者としても対応のしようのないクレームが多いのだそうです。

確かに、私自身もApp Storeの中を利用していて、
無料のアプリに対して、そこまで怒らなくても…と思うようなレビューを
よく見かけていましたが、この記事に対して、
多くのネットユーザーが、私と同じような共感を覚えたようです。
その一部をご紹介します。

+++++++++++++++++++++

「携帯がスマートになっても、利用者もそうなることに限らないからね。」
「ただの難癖としか思えない意見もあるしなぁ。
いっそレビュー自体なくしても良いんじゃないかと思う事も。」
「コストに見合わない要求ってどう考えてもオカシイと思うわ。」

+++++++++++++++++++++

かつて三波春夫さんが言った「お客様は神様です」というフレーズ。
一般的には「お客様がいるからこそ仕事があります」
という意味で解釈されることが多く、
クレーマーにとって恰好の決めゼリフとなっているわけですが、
実際には、「お客様」とは、三波さんにとって「オーディエンス」のこと。
つまり、三波春夫さんのステージを観るために、
きちんと歌を聴いてくれる「お客様」のことをさしていたそうです。

しかし、この言葉があまりにも間違った解釈で浸透してしまったせいか、
もしくは、日本人の「おもてなしの心」が、あって当たり前、当然のことと、
拡大解釈され過ぎているのかはわかりませんが、
日本の消費者が、過剰な要求をしすぎていることは確かなようです。

元日も、銀座の老舗宝石店が、先着5000人に、
5000円相当のダイヤモンドを無料配布するというキャンペーンを行い、
最長1.5kmの大行列が出来たと話題になりました。
しかし、配布に時間がかかり、翌日以降の配布になることが発表されると、
FNNが報じていたインタビューの様子では、
「誠意がない」とか「仕事を休んでまで来たのに、納得いかない」といった
返答をする人が取り上げられていました。

サービスには「値段相応」というものがあることを理解せず
いつでも最大のサービスを得られると思ってる人は、
残念ながら、実はとても多いのかもしれません。

そして、サービスを提供する側もまた、
そんなモンスター化した消費者を受け入れてきた現状もあります。

しかし時には、サービスを提供する側にも、
消費者を正す姿勢や、消費者を拒否する姿勢などがあっても
いいのではないかと私は思います。

なぜなら、サービスする側を罵るような人々は、
決して「神様」などではないのですから。

担当:梅木


(2013/1/9 UPDATE)
番組スタッフ
「神奈川県、同性愛サポートか〜次はロリコンとか熟女マニアとかもサポートしなくちゃな」
このようにツイッター上でつぶやいた、法政大学文学部心理学科の越智啓太教授のツイッターが炎上する騒ぎになっています。

J-CASTニュースによると、騒動の原因とされるのは、セクシュアルマイノリティの人々が自分らしく心身共に健康に暮らせる社会を目指して活動しているNPO法人「SHIP」(※横浜市を拠点に活動)が作成した、『“好き”には、いろいろなカタチがあります』というキャッチフレーズとともにセクシャルマイノリティ用相談ホットラインを紹介したポスター(※このサイト内にある2011年学校向けポスター)。

今月5日に、このポスターの画像がツイッター上に「同性愛サポートだと…神奈川県はじまったな」という文章とともに投稿され、これを見たと思われる越智教授が6日に、冒頭の言葉をツイッター上でつぶやいたようです。

すると、「性指向と性嗜好の違いをご存知無いようですね。曲がりなりにも教授という立場の方が、偏見を広めるようなことをなさるのはどうかと思いましたので、抗議致しました」など、非難のツイートが殺到。
このため、越智教授はこのツイートを削除し、7日には「先日、性嗜好と性指向を混同したツイートをしてしまいました。すみません。完全に私が間違っていました」と謝罪する事態となったようです。

この一連の騒動に対して、ネット上では、“越智教授を批判する意見”、“越智教授を擁護する意見”、“何で批判されているのか分からない”の3つのパターンの意見が見受けられました。
越智教授がすでに誤りを認め、謝罪しているため、越智教授のツイートをこれ以上、いじるつもりはなく、むしろ、わたしが興味をひかれたのは、日本人の間で「同性愛への偏見」がまだまだ根深く存在しているということです。
バラエティ番組などでは、いわゆる“おネェ”と言われる、セクシャルマイノリティの方々がもてはやされ、人気者が数多く登場しているのにもかかわらずです。

わたしはというと、今はセクシャルマイノリティに対して、偏見と理解のちょうど間あたりにいます。
あえて“今は”というのにはワケがあり、以前は完全に偏見の目で、セクシャルマイノリティを見てきたからです。
その偏見がやや理解寄りに心が動いたのはなぜなのかといいますと、その大きな理由は、大学時代の友人が、大学卒業後、わたしにセクシャルマイノリティであることをカミングアウトしたことにあります。
わたしも友人も男で、わたしは友人に対して、「セクシャルマイノリティなのでは」という疑いを抱いたことは一度もありませんでした。
そのため、カミングアウトされた直後は頭が真っ白になったのを覚えています。ただ、不思議と「気持ち悪い」という感情は湧いてきませんでした。

それは、わたしの友人のセクシャルマイノリティが、ふとこぼした一言にあるような気がしています。わたしが「なぜ男が好きなの?」と訊くと、友人は「理由はない。普通の男が無条件に女が好きなのと同じだよ」。そう答えたのです。

これでセクシャルマイノリティを理解できたわけではありませんが、偏見はなくなり、「セクシャルマイノリティというものが世の中に存在する理解できないことの一つ」であることを認識できたと思っています。

そして、セクシャルマイノリティへの偏見が発端となったとされる、今回の騒動から見えてきたひとつの教訓は、“セクシャルマイノリティへの軽はずみな発言はネット上で叩かれるということ”。
この教訓を生かし、偏見はあるにしろ、「そっとしておいてあげる」。
セクシャルマイノリティの友人との変わらぬ友人関係を続けている経験上、セクシャルマイノリティとの距離感としては、これが最適なような気がします。

(web担当:H)
(2013/1/8 UPDATE)
番組スタッフ
最近、仕事関係の知人から「名刺のクラウド管理」サービスの登録案内がよく届くようになりました。自分の名刺をインターネットを使って管理しようというサービスで、デジタル化された名刺情報に、スマートフォンやパソコンでアクセスできるというものです。

たとえば、Sansanという会社が提供している「Eight」というサービスでは、自分のもっている名刺をiPhoneなどのスマートフォンで撮影して、その画像をオンラインのサーバーにアップすると、名刺に記載された氏名や電話番号、メールアドレスなどの情報がデータ化され、いつでも、どこでも確認できるようになります。

これまで名刺の管理はとても骨の折れる作業でした。名刺ファイルや名刺ボックスに入れておくのが一般的でしょうが、整理するのが大変で、数が増えてくると必要なときに目当ての名刺を探し出すのに時間がかかってしまうものでした。なによりも、外出先では、保管してある名刺を見られないという問題点がありました。

こんな課題を解決する手段として登場してきたのが、名刺のクラウド管理サービスです。データをクラウド上で管理することで、外出先でもスマホなどからアクセスできるというのがメリットの一つです。

さらに、Eightなど「ソーシャル連携」しているサービスでは、お互いにリンクしあっているユーザーの名刺情報は、相手が名刺情報を更新するとそれが反映されるという機能もあります。これまでの名刺管理では、相手の所属や連絡先が変わっても対応できないという問題点がありましたが、ソーシャル連携によって解決しようという試みです。

このようにインターネット上でソーシャルサービスを使ってビジネスの関係者と「つながる」という点は、FacebookLinkedInなどの実名系のSNSと近いものを感じます。

もともと名刺というのは、自分の「プロフィール情報」と「連絡先」を伝えて、相手との継続的な関係を築くためのツールですが、Facebookでもおおよそのプロフィールはわかりますし、メッセージ機能を使えば連絡も簡単にできます。そういう意味では、名刺とFacebookは同等の機能を果たしているといえます。

そうなると、「Facebookがあれば名刺はいらないんじゃないか」という考えも芽生えてきます。そこまでは極端だとしても、デジタル化、クラウド化されたプロフィールと連絡先のデータベースがあれば「紙の名刺」を保管する必要はない、といえるのではないでしょうか。

ただ、「名刺=個人情報の集まり」であることを考えると、自分の手元、すなわち「こちら側」ではなく、インターネットの「あちら側」に名刺情報を委ねてしまうのは不安もあります。「名刺のクラウド管理」サービスが普及するためには、セキュリティがしっかりしていると利用者に信頼されることが不可欠でしょう。

「名刺なんてなくなってしまえばいい」。Eightを運営するSansanの寺田親弘社長があるインタビューで語っている言葉です。名刺は、日本のビジネス社会の基本中の基本といえるツールですが、そのうちいつか「名刺のない社会」がやってくるのかもしれません。

(スタッフ : K)
(2013/1/7 UPDATE)

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