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番組スタッフ
先日、某局のディレクターが打ち合わせ中に、友人が葬儀屋を始めた…とおもむろに切り出してきました。
彼が言うには、超高齢化社会を迎えた日本において、葬祭ビジネスは自然の摂理でとんでもないニーズがあり、彼の友人の会社は今や葬儀スタッフを派遣するまで事業を拡大したのだとか。

超高齢化社会はもとより、大きな震災を経験し、誰もが「死」を身近に意識することとなった昨今。
死は突然やってきうるものですが、例えば…自分が死んでしまったら、SNSのアカウントはどうするのがよいのでしょうか…。
こんなニュースを見つけました。
来月からイギリスの「LIVESON」というTwitterクライアントが、自分の死後も人工知能がTwitterを続けるサービスを実験的に開始するそうです。


試しにサイトを訪れてみると…
When your heart stops beating, you'll keep tweeting
(あなたの心臓が止まっても、ツイートし続けます)
…とあります。
システムは次の通り。
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TwitterでLIVESON用アカウントを作成すると、人工知能がユーザーのメインのTwitterアカウントを分析して好みや書き方を学習し、ユーザー本人であるかのようにLIVESONのアカウントにツイートを投稿します。ユーザーがフィードバックすることでLIVESONのツイートを改善していくことが可能です。
ITmedia 自分の死後も人工知能がTwitterを続ける実験的サービス開始へ
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LIVESONは英国の広告代理店Lean Mean Fighting Machineがロンドン大学クイーンメアリー大学の研究者と取り組んでいる試み。実験段階だそうですが、実験が成功したとして、本格的にどう使われるのか気になります。

Twitterだけではありません。Facebookにも自分の死後、自動投稿してくれるサービスがあります。
それが『If i die』というアプリです。
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『If i die』を使うと、ビデオやテキストメッセージを残しておいて、自分の死後に投稿することができる。メッセージは一度に公開できるほか、子どもの誕生日に毎年お祝いの言葉をよせるなど、予定を立てて段階的に公開していくこともできる。家族や親しい友人、事前に頼まれていた人など3人の人物が、あなたが死去したことに全員一致で同意すると、あなたの死が認証される。
WIRED.jp  死後にFacebookへ自動投稿してくれるアプリ
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『Facebook』では、故人となったユーザーのアカウントを「追悼」と変更し、故人をしのぶ掲示板として使用することができるそうです。参照:Facebook追悼アカウントのリクエスト
SNSが爆発的に普及した今だからこそ、こういったSNSにおける「死」に関するサービスが登場しているのかと思いきや、意外にもかなり前からあったようです。

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インターネットが一般ユーザーに普及し始めたころから、オンラインの墓地サービスというものが存在した。たとえば墓石のイラストに遺影と墓誌銘を入れたようなデザインのサイトで、故人へのメッセージを書く“記帳簿”がついていたりした。ウリは「いつでも墓参りができる」だ。当時はまだ、インタラクティブなサービスではなく、単に名前を載せる看板のようなものだったが、その後も「オンライン墓地」は地道に発展を続けている。
ソフトバンク ビジネス+IT あなたの死後、ブログやSNSのアカウントはどうなる?発展する“死後のオンラインビジネス”
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確かに、インターネット上には“故人をしのぶ”サイトがたくさんあります。
5年ほど前、私の友人がデンマークで、交通事故が原因でこの世を去りました。
当時、葬儀を終えた彼女のmixiのページには、別れの言葉が溢れていたことを思い出します。
それはまるで彼女の墓地であるかのようでした。

もし、自分が死んだ場合、SNSを人工知能で生かしておくべきか、葬り去るか、あるいは“墓地”として残しておくか。
そんな決断を真剣にしなければならない時が来るのかもしれません。
しかし、実生活だけでなく、SNSにおいても「死後」について考えなければならないとなると、やはりSNSというものは億劫だと思うのも本音です。


スタッフ:坂本
(2013/2/28 UPDATE)
番組スタッフ
もうすぐ3月。新学期や新入学の準備に追われる親御さんも多いかと思いますが、
現在ネット上では、ある少子化対策の方法について、賛否両論の意見が持ち上がっています、

発端は、自民党総務会長・野田聖子衆院議員が、
2013年2月23日佐賀県武雄市で講演後に行った囲み取材での発言。

●「少子化対策は妊娠中絶問題から」 自民・野田総務会長/2月23日朝日新聞
記事によると、野田聖子議員はこう語ったといいます。
「(原文ママ)年間20万人が妊娠中絶しているとされるが、
少子化対策をやるのであればそこからやっていかないと。
参院選後に党内の人口減少社会対策特別委員会で検討してもらうつもりだ。
堕胎を禁止するだけじゃなくて、禁止する代わりに
例えば養子縁組(をあっせんするため)の法律をつくって、
生まれた子供を社会で育てていける環境整備をしなきゃいけない。」

この発言に対し、ネット上では様々な意見が飛び出しました。
その一部をご紹介します。

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・どうしたら中絶を禁ずる危険性を理解してもらえる?
・チャウシェスク政権時のルーマニアは中絶禁止だったせいで
 捨て子・浮浪児が大量に産まれて社会問題化したんだよな
・養子縁組を受け入れてくれるような家庭が、中絶数以上にあるかという問題もありますね。
・少子化対策なら、高額になる不妊治療費の問題をどうにかしたら?
・結局、少子化対策はなにもしない、と言っているのに等しい・・・
・こういうことで「子供をもっと産もう」とどれだけの女性が思う?
 女性は国策のために子供を産むわけではない
・産みたい人が妊娠できて、中絶したくない人がしなくてすむようにするのが本質だろうと。
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賛成派の意見もいくつか見られ、「中絶を年齢別にした方がいい」
「子供欲しい人に上手に渡せればいい」「移民政策よりマシ」といった声が挙がっていました。

しかし、そもそも論として、一つの大きな疑問が浮かび上がります。
それは、「堕胎の禁止が、果たして少子化対策になるのか?否か?」という境界線です。

この問題、私は「少子化対策にならない」と思いました。
というのも、そもそも妊娠から出産までは長い時間がかかります。
そんな自然の摂理があるなか、養子縁組制度が充実したところで、
“自分で育ててあげられない”妊娠・出産に、女性は意味を見いだせるのでしょうか?


私自身、未婚で、もちろん子供もいないのですが、
この野田聖子議員のコメントを見て思ったことは、
もしも日本が、たとえ女性一人でも子供を産み、
その後も、出産前と収入や地位が変わることのない、育児制度の充実した社会だったなら、
私自身も、既に子供を生んでいたかもしれない…ということでした。

2012年12月に経済協力開発機構(OECD)が公開した資料によりますと、
日本の男女間の給与格差は、40歳以上では40%もあり、若い世代でも15%程。
これは、OECD加盟国の中で最低レベルの大きさで、
年齢が高くなるほど、その格差は拡大しています。

また、育児休暇や子育て支援等の社会政策があるにもかかわらず、
日本の女性の多くは、出産後に退職することが多く、
たとえ復帰を望んでも、困難なことが多いのが現状とのこと。


実際、私がかつて務めていた会社でも、
チーフクラスの女性社員が出産し、三ヶ月で職場復帰したのち、
子供の急な発熱などで急な早退や休日が増えていたところ、
大きな問題が起こっていなかったにもかかわらず、
社長が「いざとなったら、クビにするから…」と、
チーフの仕事をカバーしていた別の女性社員に漏らしているのを、
耳にしたことがあります。

日本の少子化対策を考えるなら、養子縁組もいいですが、
まずは、こうした出産後の育児支援を含めて改善し、整えるべきだと私は思います。

(例がいささか特殊ではありましたが…)

ちなみに、結婚という形式にとらわれず家庭を作ることが一般化しているフランスでは、
シングルマザーでも子育てをしやすい環境が整っているのだそうです。
北海道新聞の調べによりますと、フランスは、欧州でトップレベルの出生率。

育児支援も充実しており、子供が3歳になるまで休職が可能で、
育児休暇中も給与水準に応じて休業手当を支給。
復職後も、出産前の地位が保障されているといいます。

現在、全国的に少子化がすすむなか、
都市部では保育所への待機児童の問題も、連日報じられています。
少子化対策を考えるなら、生まれた子の引き受け先ではなく、
まずは、産んでも安心して育てていける社会づくりから
考えていただきたいと思った出来事でした。


担当/梅木




(2013/2/27 UPDATE)
番組スタッフ
『本当にすべての人に読んでほしい漫画です。立ち読みでもいいです』
別冊少年マガジンの編集長がツイッター(@betsumaga)でこのように訴えた漫画、『聲の形(こえのかたち)』(作:大今良時)がネット上で話題となり、議論を巻き起こしています。

『聲の形』は2月20日発売の「週刊少年マガジン」に掲載されている読み切り漫画。
漫画の1ページ目には、『「すばらしい!」「でも載せていいのか!?」 編集部に激論を巻き起こした、余りにみずみずしい青春!』と書かれているなど、読み始める前から編集部の意気込みが痛いほどに伝わってくる代物です。
主人公は、ろうあの女の子・西宮硝子と、彼女をいじめる男の子・石田で、テーマは「障がい者に対するいじめ」。大まかなあらすじは以下のようなものです。
=====
ろうあでありながら、障がい者などのために設置された特別支援学級ではなく、小学校の通常学級に転校してきた西宮は、ほどなくして、「みんなの足を引っ張った」などを理由に、補聴器を壊されるなどのいじめにあう。石田を主犯格とするいじめはクラス全体に広がっていくのだが、ある出来事がきっかけで石田はいじめられる側になってしまう。
その後、二人は殴り合いのケンカをするほどぶつかり合うが、分かりあうことはなく、西宮は理由も告げず、ひっそりと転校していく。西宮の転校後、石田は、西宮が石田のためにしていた優しい行動に気付くが、西宮はもういない。
そして5年後、手話を覚えた石田は西宮と再会。手話で思いを伝え、和解。ハッピーエンド。
=====

61ページにわたる、この読み切り漫画に対し、「素晴らしい」と称賛する声もあれば、「美談」とこきおろす声もあるなど、ネット上は賛否両論。
それだけでなく、「障がい者といじめ」というテーマで議論まで巻き起こっています。

数ある議論のなかでも、多くの人の共感を得ていると思われるのが、聴覚障がい者の方が『聲の形』を読んだ感想をtogetterにまとめた『求めていたのは和解ではなく拒絶〜普通学校で虐められた聴覚障害者が読んだ聲の形〜』
閲覧数は124052 view(2月26日14時時点)に上っています。
終始、強烈な言葉が並んでいるのですが、わたしの心に引っかかったのは以下の2つのツイート。

『聲の形のいわかん(違和感)がわかった。ろうの少女があまりにも受動的ないい子過ぎて俺はすごくだめなんだ。俺はもっと喚くし反撃もするしか精神歪むがあの子があまりにも良い子で有りづけることに違和感があるんだな。』
『というか、あんな経験したらその場にいる全員を恨む。少なくとも俺は恨んでる。小学時代の記憶がないくらいに恨んでる。』

これらのツイートは、わたしが『聲の形』に覚えた違和感と合致するだけでなく、小学生時代のクラスメイトNさん(女子)のことを思い出させるものでした。
Nさんは視覚障がい(全盲ではなく弱視)を持っていて、クラスのほとんどの生徒から疎ましく思われていました。多少のいじめもあったと記憶しています。たとえば、『Nさんを触る⇒「バイキン」と騒ぐ⇒周囲は「バリアー」と言って騒ぎ立てる』といった陰湿なもの。
Nさんは、終始、“いい子”であり続ける、『聲の形』の西宮とは違い、クラスメイトへの不信感から、徐々に性格が歪み、人間不信になってしまいました。
こうした一連のできごとから、わたしが幼いながらに得た教訓は、これが人間としての当然の感情だということ。障がい者、健常者に関わらず、いじめを受ければ、性格も歪むし、人間不信にもなります。
しかし、『聲の形』の西宮の心には、こうした感情が生まれることはなく、天使のような存在として描かれていました。そこにわたしは違和感を覚えたのです。

そして、『聲の形』が提示した大きな問いのひとつが、「障がい者を通常学級に通わせるべきかどうか」ということ。わたしは通わせるべきではないと思っているのですが、その根拠はこれまたNさんにあります。
Nさんは周囲に疎ましがられていましたが、はっきりした理由はありませんでした。他のクラスメイトの本心は分かりませんが、小学生のわたしにとっては“普通の人と違う”ということが理解できず、特別扱いを受けるNさんを感覚的に許せない。そんな感情を抱いたような気がします。
つまり、子どもは大人が思っているよりずっと残酷で、本能のままに行動するということ。それだけに、障がいを持つ子どもを通常学級に通わせることは親のエゴなのではと思ってしまうのです。

余談ですが、およそ半年前、偶然、Nさんを街中で見かける機会がありました。
近況は知らないものの、たくましく生きている姿に、ほっと胸をなでおろしたのを覚えています。
さすがに、『聲の形』の石田のように話しかける勇気はありませんでしたが・・・

(スタッフH)
(2013/2/26 UPDATE)
番組スタッフ
映画人にとって世界的な栄誉となる「アカデミー賞」が発表され、ベン・アフレック監督の「アルゴ」が作品賞を受賞しました。毎年この時期となると、映画の話題がメディアにあふれ、多くの人々の関心が映画に向けられます。

TOKYO FMの「タイムライン」でも、先週から今週にかけて「ニュース・シネマ・パラダイス!〜ニュースな映画館」と題して、映画にちなんだ特集をお送りしています。「いやぁ、映画っていいものですね」と言いたくなる季節なわけですが、いざ映画を見ようと思ったとき、何を見ればいいのか迷ってしまうことがよくあります。

いま映画館で上映中の映画ならまだしも、過去の名作を見ようとすれば、その候補は無数にあります。いまは昔と違い、TSUTAYAなどのレンタルショップにいけば大量の映画がDVDになって並んでいますし、ネットで好きな作品をオンデマンド視聴することだって出来てしまいます。選択肢が多すぎて困ってしまう時代なのです。

そんなときに役立つのが、おすすめの作品をピックアップしてまとめたインターネットのサイトです。最近は「どんでん返しが凄い」とか「腹の底から笑える」など、独自の切り口でおすすめ映画をまとめているものが増えていて、そのリストと寸評を見ているだけでも楽しめます。

たとえば、クーリエ・ジャポンによる<映画のプロが選んだ「名作」トップ10>は、ヒッチコックの「めまい」や小津安二郎の「東京物語」など、映画の古典と呼ぶべき巨匠の名作を簡単なコメントとともに紹介しています。映画の歴史を知るうえで、一度は見ておきたい名画が並んでいます。

続いて、クーリエ・ジャポンのような高尚な雰囲気から一転して、2ちゃんねらーたちが選んだ名作を紹介しているのが、「VIPPERな俺」というブログサイトの<観てなきゃ人生損してるって映画教えて下さい>というページです。2ちゃんねる発といって、侮ることなかれ。「グリーンマイル」「秒速5センチメートル」「素晴らしき哉、人生!」と、バラエティに富んだ古今東西の名作が次々とあげられています。きっと「これは、自分も感動したなぁ」という作品の名が見つかることでしょう。

もうひとつ、2ちゃんねるのまとめサイト「妹はVipper」の<映画好きなヤツ マイナーだけど絶対に見るべき名作教えてくれ>というページも一見の価値があります。「ゆれる」から「バッファロー66」まで、個性的な名作がたくさん紹介されています。そのタイトルやコメントを見て、何かひらめくものがあったら、DVDを借りてみるのもいいかもしれません。

最近は、このようなおすすめ映画のリストは「NAVERまとめ」でよく作られています。その中でも注目したいのが、<どんでん返しが凄い映画【映画好きが選ぶ】><最後まで結末が分からないオチが完璧な映画>という2つのページです。「スティング」や「ユージュアル・サスペクツ」「母なる証明」など、ラストが印象的な映画がずらりと並んでいます。映画の醍醐味のひとつである「どんでん返し」を味わいたいときには、このページが役に立つでしょう。

一方、映画を通して、しみじみと自分の生き方を振り返ってみたい。そんな気分のときには、同じくNAVERまとめの<【なるほど・・】自分の人生、生き方を考えさせられる映画10作品>というページが参考になりそうです。「いまを生きる」や「エンディングノート」など、心にジーンとくるヒューマンドラマを描いた映画が紹介されています。

そして最後に、「最近、仕事が忙しくて辛いなぁ」とか「人間関係がうまくいってなくてシンドイなぁ」というお悩みの方には、<腹の底から笑える映画BEST10>を。映画を見て大笑いして、気分をリフレッシュするというのもいいのではないでしょうか。

(スタッフ : K)
(2013/2/25 UPDATE)
番組スタッフ
NHK放送文化研究所の調査によると、「ありがとう」の使い方を間違っている人が増えているそうです。事例としてあげられているのが、『上司)「これ、10部コピーをとっておいて」部下)「はい、ありがとうございます」』。
「ありがとう」が「かしこまりました」という了解の意味でもって使われていというのです。
このニュースを見たとき、理解するのに時間を要しましたが、よくよく考えてみると…確かに変な「ありがとう」はよく耳にします。

ある番組で、私が担当していた原稿の執筆を若い放送作家にお願いしたところ、
「ありがとうございます!期待に添えるようがんばります!」と元気に応えてくれました。
正直に言えば、自分のスケジュールに余裕をもたせるために執筆をお願いしたようなもので、「ありがとう」と言いたいのはむしろ私の方でした…。仕事をもらえるというのは確かにありがたいことなのですが、「能力はまだないかもしれない。でもがんばる!」というアピールをよくしていた彼はいつの間にか現場で会うことはなくなりました。

また、この前、深夜帰宅のためタクシーに乗ったときのことです。
「●●通り経由でお願いします」と道順を運転手さんに伝えたら、「ありがとうございます」と言われました。
目的地に到着し、タクシーチケットをいただいていたので、「これでお願いします」と言うと、「ありがとうございます。お会計は…」。
なぜそこで「ありがとう」なのか、「了解」の意味で使われていると言われれば納得できますが、違和感を覚えざるを得ない使い方です。

違和感のある「ありがとう」は接客業に多いのでしょうか。
私は「元気が良い系」の居酒屋があまり好きではありません。
先日、打ち合わせで、そのような店を渋々利用することになったのですが、何か注文をすると、私たちのテーブルについている店員さんが大声で「ありがとうございますっ!」。
さらにその後、「●●の注文をいただきました!」と叫ぶと、他のスタッフが「ありがとうございますっ!」と声をそろえます。

確かに「ありがとう」は言われると気持ちの良い言葉ですが、無意味に連発される「ありがとう」は、使った方が相手よりも気持ちのいい思いをしているのではないかと思ってしまいます。
「有り難い」という漢字を見ればわかるように、本来は連発するために生まれた言葉ではないはずです。使った側が気持ちのいい「ありがとう」を連発されても、嬉しさは皆無。ただの押し売りとしか思えません。
トイレに相田みつを風のありがたい書がかざってあるような居酒屋で、このような傾向が見られると思います。あくまでも私見です。お会計の時のひと言だけで構わないのですが…。

湘南美容外科クリニックの調べによると、日本人の好きな言葉1位は「ありがとう」なのだとか。
震災時、「こんにちワン」「ありがとウサギ」など、挨拶は魔法の言葉というCMをよく目にしました。
そんなとき、ある映画コメンテーターの方とお仕事をしたのですが、彼女はこう言っていました。
「ありがとうは魔法の言葉なんかじゃない!普通の言葉だ!」

たまに「ありがとう」が言えない人を見ると、どんな教育を受けてきたのだろうかとその人の半生を哀れんでしまいますが、その使い方はもとより、「ありがとう」を“ありがたがって”特別扱いするのもおかしいのかもしれません。


スタッフ:坂本
(2013/2/21 UPDATE)
番組スタッフ
卒業式などの学校行事が近づくと、なぜか練習させられた“ご当地ソング”。
私自身も、学生時代には、何らかの行事が行われる度に、
地元民だけが知る“市民の歌”を歌わせられたのですが、
現在、茨城県では「県民の歌」をめぐって、ある問題が持ち上がっています。

●茨城県民の歌「歌えない」 原子力礼賛の3番に疑問/2月18日東京新聞

記事によると、来月で誕生50周年を迎える「茨城県民の歌」の歌詞に、
原子力をたたえる表現があり、問題視する声があがっているのだそうです。

問題となっているのは、三番の歌詞。(以下、三番の歌詞)

世紀をひらく 原子の火 寄せる新潮 鹿島灘
 このあたらしい 光をかかげ
 みんなで進む足なみが あすの文化をきずくのだ
 いばらき いばらき われらの茨城』

1963年3月16日に制定された「茨城県民の歌」。
その6年前に、茨城県では、東海村の日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)で、
国内初となる“臨界”を成功させ、三番の歌詞は、こうした背景の中で生まれました。

しかし、福島第一原発事故の後は、
「三番を素直に歌おうとは思えない」と感じる人が増えているといいます。

この記事に対して、ネット上でも様々な声があがっていました。

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『…すごい県民歌!問題視されて当然!』
『個別の政策を歌の中に盛り込む感覚ってどうなんだろうね。
 時代が変われば当然認識が変わるものなのに。』
『「お役目ご苦労様でした」ということで引退してもらうのが一番。』
『この手の曲には世相が反映されるので、
 現在の事情とすれ違うのはしょうがない。
 ただ、改変するにせよ 新しい歌を作るにせよ 民主的に行うべき。』
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記事によると、茨城県は“県民に長く親しまれてきた歌”として、
「歌詞を変える予定はない」としているそう。
そこで浮かび上がるのが、
『県民の歌』は行政のものか?市民のものか?という境界線です。

茨城県に限らず、各地方自治体が制定している県歌や市歌は、
もちろん街の職員も歌いますが、主に歌うのは一般市民。
また、茨城県は、福島県から多くの避難民を受け入れています。

そんな背景があるなか、市民感情を考えると、
たとえ茨城県の歴史を盛り込んだ内容だったとしても、
やはり「県民の歌」の三番は、歌詞を変えるまではしなくても、
「歌わない」などの配慮をしてしかるべきではないでしょうか。

3.11以降、多くのメディアが
“地震”や“津波”を連想させる作品の放送を自主規制しています。
これについては賛否両論あるかと思いますが、
いまだ心に深い傷を負った人々が多くいる現状を思うと、
余程の「必要性」が無い限り、もっともな対応だと私は思います。

しかも、「茨城県民の歌」に関しては、
私の身近にいる茨城県出身者3人(21歳女性・32歳男性・56歳男性)は、全員歌えたので、
意外と幅広い層に認知されている歌の様子。(2番・3番の歌詞はうろ覚えでしたが…)

ならば尚更、“県民に長く親しまれてきた歌”を、これからも多くの人に歌ってもらう為にも、
歌詞改正などの配慮がなされるべきでは?と、東京都民ながら思ってしまうのです。


ちなみに、現在のドイツ国歌は、一番から四番まであるものの、
公式に歌われるのは三番のみ。
理由は、ナチス・ドイツ時代の覇権主義を正当化していることや、
女性差別に繋がる歌詞がある…といったことで
国内外から批判の声があがり、三番のみを歌うことになったそうです。

“前例がない”問題に、何かと消極的な態度を見せる日本の行政。
もちろん、『茨城県民の歌』や日本原子力研究開発機構が
ナチスのような大罪を犯したわけではありませんが、
いまだに解決しない原発事故問題や、
茨城県が多くの避難民を受け入れている背景を思うと、
時代に合わせた柔軟な対応が必要なのではないでしょうか。


担当/梅木

(2013/2/20 UPDATE)
番組スタッフ
『下級生は派手な靴を履いてはいけない』『下級生が使ってはいけないトイレがある』・・・
学生時代に突如、突きつけられ、抗うことも許されなかった理不尽なルールを、苦い記憶とともに想い起こさせてくれるニュースを読売新聞が報じました。
『破ると靴にジャム?「裏ルール撤廃を」と生徒会』という記事によると、こうした理不尽なルールは「裏ルール」と呼ばれ、学校の校則にはないものの、生徒の間で引き継がれているルールを指す言葉で、この「裏ルール」をなくそうと、新潟県にある市立中学校の生徒会が1年間、アンケート調査や全校討議などを行ったようなのです。

このニュースで、まず気になるのは、どのような「裏ルール」があったのか。アンケート調査によると、以下のようなものがあげられていました。
=====
●1、2年生(教室は3階)は、3年生の教室がある2階のトイレを使ってはいけない。1年生は、同じ階の2年生に配慮して3階トイレも使わず、1階だけを使う
●1年生は生徒用出入り口に近い中央階段を使ってはいけない
●1年生は体操着のジャージーのチャックを開けてはいけない
●1年生は地味なリュックを使う
●夏服は、1、2年はベストを着用。2年生はボタンを一つ開けていい

=====
どれもこれも理不尽なルールですが、それだけでなく、「守らないと、靴の中に給食のジャムを入れられるらしい」といった罰則も存在していたようなのです。

次に気になるのが、生徒たちが「裏ルール」の存在をどのように思っていたのか。
生徒会が「裏ルールはあってもいいか」を全校生徒にアンケートで訊ねたところ、回答のあった120人のうち99人(82%)は「ない方がいい」とし、3年生からも「自分が1、2年の時もない方がいいと思っていた」との回答があったといいます。
その一方で、19人(15%)は「あった方がいい」と答え、「自分たちもやってきた」「今までそれで成り立ってきた」などを理由に挙げているのですが、わたしはこの「今までそれで成り立ってきた」という回答が持つ“同調圧力”にこそ、「裏ルール」がなくならないことの本質があるような気がしています。

どういうことなのか・・・わたしの苦い記憶を辿りながら、説明していきましょう。
まずは、中学生で経験した「裏ルール」。わたしが通っていた、東京の公立中学には、下記のような「裏ルール」がありました。
●1年生は派手な靴を履いてはいけない(履いていくと、2・3年生から目をつけられる)。
●2・3年生だけが通れて、1年生は通ってはいけない渡り廊下がある。
●下級生は上級生よりスカートを短くしてはいけない。
●1年生は髪を結わくゴムは黒。黒以外の色をつけていいのは2・3年生。

ざっと見ていただければ分かるとおり、「裏ルール」でつらい思いをするのは、ほとんどの場合が1年生。わたしも1年生のときは理不尽なルールに怒りを覚えたものですが、その怒りの感情も1年限定。「1年だけ我慢すれば」と耐え忍び、2年生になると、つらかったことなど忘れ、つらさが優越感に変わったことを鮮明に覚えています。
そして、その優越感を持続させたいがために、「今までそれで成り立ってきた」と自分に言い聞かせ、つらい思いをする後輩の姿を目にしながら、見て見ぬふりをしてきたような気がします。

中学生の次に経験した「裏ルール」は、大学生のときのもの。
わたしが数か月だけ在籍していた、あるサークル(道具を使って、黄色いボールを打ち合うスポーツのサークル)には、クソみたいな「裏ルール」が存在していました。それは、夏合宿の最終日、1年生の男子が「上半身裸で創作ダンスを踊る」というもの。
この「裏ルール」はサークル創設以来、代々続く慣習らしく、「やらない」という選択肢はありませんでした。つまり、「やらない」なら「辞めろ」ということ。
わたしは馬鹿馬鹿しくなって、すぐに辞めたのですが、「裏ルール」を拒否して辞めたのはわたしぐらい。わたし以外の1年生は、「裏ルール」を当然のように受け入れ、疑問は一切抱いていませんでした。
この根底にも、「今までそれで成り立ってきた」という同調圧力を感じるとともに、こうした同調圧力に馴らされてしまっている人の多さを痛感しました。

「裏ルール」がなくならない理由として、もうひとつ重要なのが、「裏ルール」を変える力を持つのは、「裏ルール」で不利益を被らない側だということ。わたしの例で言うならば、中学校は生徒会(主に上級生)、大学のサークルは上級生。不利益を被らないのであれば、変える必要はないし、そもそも変わるわけがありません。

ここまで学校という目線に限定し、話を進めてきましたが、「今までそれで成り立ってきた」という理由で理不尽なルールがまかり通っているのは、学校だけではないはずです。企業内でも多かれ少なかれ、存在していることでしょう。
さらに大きなことを言ってしまえば、日本にも今、「今までそれで成り立ってきた」という理由で変えることのできないルールや問題がいくつも存在しています。

理不尽だと感じてはいるのに、なぜ変わらないのでしょうか。
それは、「今までそれで成り立ってきた」という言葉に屈することに、わたしたちが馴らされてきた結果なのかもしれません。

(スタッフH)
(2013/2/19 UPDATE)
番組スタッフ
「Vine」という名のインターネットの動画共有サービスが今年1月下旬に米国で発表され、注目を集めています。

これはiPhoneなどiOSの携帯デバイス向けに無料で提供されているアプリ。6秒間という短い時間の動画をiPhoneなどで撮影してネット上にアップし、みんなで共有しようというソーシャル系のサービスです。

TwitterやFacebookと連動していて、投稿した動画はフォロワーやフレンドに簡単に伝えることもできます。iPhoneで撮影した写真をTwitterやFacebookで知らせるのはごく当たり前になっていますが、それと同じ感覚で動画もシェアできるサービスといえます。

面白いのは撮影の方法です。このVineというアプリを起動して、ビデオカメラのアイコンを触ると撮影画面になるのですが、その画面にタッチしている間だけ撮影が進み、指を離すと撮影が止まる仕組みなのです。直感的な操作で簡単に撮影できるので、いろいろ試してみたくなります。

また、投稿できる動画の長さを「6秒間」という極めて短い時間に限ってしまったのもユニークな特徴です。短いがゆえに、瞬時に撮影して気軽にアップすることができます。投稿された「ショートビデオ」は6秒間の再生が終わると、また最初に戻って再生を繰り返します。つまり、6秒間のループ動画として公開されることになります。

実はこのVineを開発したVine Labs社は、Twitter社に買収されてその傘下に入っているのですが、140字以内という投稿文字数の制限があるTwitterと同じく、「短いこと」が魅力となっています。その点について、Vine Labs社の共同創業者でGMのドン・ホフマン氏は「制約こそが創造性を呼び起こすのだと信じている」とコメントしています。

このようなVineは、Twitterとの関係もあって、米国ではさっそく大きな関心を集めているようです。経済紙「ウォールストリート・ジャーナル」の公式サイトではファッションショーの一コマを紹介する手段として実験的に活用していますし、雑誌「ピープル」は最新号の予告にVineを使う試みを行っています。

一般ユーザーの反応はさまざまで、「Vineは役立たずだ。6秒間のループ動画なんて、昔からあるGIFアニメとたいして変わらない」と批判する声がある一方で、「なんて素晴らしいアプリなんだ!」と感激するコメントや「ジャーナリズムの未来を予感させる」と評価する意見がTwitterに投稿されています。

まだスタートしたばかりのサービスなので、試験運用的な使い方が目立ちますが、多くの人がいろいろと試す中で、Vineならではの動画投稿の世界が開けていくのではないかという期待があります。

私も、日常の一コマをスケッチする感覚で、Vineを試してみようと思っています。たとえば、ちょっと豪華な食事をしたときに、6つの料理を1秒間ずつ撮影して、それをつなげた動画にしてFacebookにアップする。あるいは、6人に1秒ずつ言葉を発してもらい、それをひとつなぎのメッセージ動画にして、Twitterで拡散する、などなど、いろんなアイデアが頭にわいてきます。

あなたならば、「6秒の世界」で何を伝えますか?

(スタッフ : K)
(2013/2/18 UPDATE)
番組スタッフ
就活シーズンも本格化し、駅や街中で頻繁に就活生を目にするようになりました。
家族や親戚が今年、就活で、気が気じゃない…という人もいると思います。

さて、「キチョハナカンシャ」という言葉をご存知でしょうか?
これは会社説明会やOB訪問の際、就活生が使う「本日は貴重なお話、ありがとうございました」を意味するもの。採用担当者が「何か質問はありませんか?」と問われた就活生は、「キチョハナカンシャ」から大学と名前を名乗り、質問に入るという流れで使います。

この「キチョハナカンシャ」が、一時的なものかもしれませんがTwitterでは今、ちょっとしたブームとなっているようです。
先月末くらいにTwitterに誕生したこの言葉は、たちまち「あるある!」と共感を呼び、広まっていきました。こちらのブログにその経緯が詳しく書かれています。

試しに「キチョハナカンシャ」でツイート検索してみると、たくさん引っかかります。
就活生と思われるアカウントが、「今日はキチョハナカンシャ炸裂してたな」「説明会でキチョハナカンシャって言うたった」などとツイート。
また、就活とは関係なく、「キチョハナカンシャ使ってみたい」、リプライしてくれた人に対して「キチョハナカンシャです!」、そしてただただシンプルに「キチョハナカンシャ」だけつぶやく人…。

大体お分かりだと思いますが、「キチョハナカンシャ」という言葉は少し、バカにした意味を込めて使われています。
その理由として「キチョハナカンシャ」を使う学生はウザい、イラつくというところにあるようです。
哀しいことに、学生にもかかわらず名刺を持っていたり、社会人のすぐ一歩手前のポジションにいるかのように振る舞う、いわゆる「意識が高い」学生は、世間のほろ苦さを知った大人によって、いつからかバカにされる対象になりがちです。

一部では今年の就活を象徴するキーワードなのでは、という声もあるようですが、「キチョハナカンシャ」が実際に、イライラさせる言葉かどうかは賛否両論です。
「定型句であろうと言えないヤツはダメ」「むしろ質問の中身がない人の方がいらつく」「画一化された就活システムを異常だと感じないのか」など。
果たして採用担当者はこの「キチョハナカンシャ」ブームについて、どう思っているのでしょうか?
実際に某有名企業の採用担当者に聞いてみました。

採用担当Aさん

「評価に繋がるかどうかは、使うタイミング次第。使い方を間違えればただのマニュアル人間という評価。
例えば、説明会が終わって質疑応答の時間に、担当者が御質問のみどうぞって言っているのに、『貴重な…』って言う人。御質問のみって言うってことは、あんまり時間がないか、出来る限り多くの質問を受け付けてあげたいかどちらかなのに、“僕って礼儀正しいでしょオーラ”を出されても寒いです。
ただし、1対1でしゃべっていて、面接官がぶっちゃけトークを展開したあとには、そういうふうなことを(キチョハナカンシャ)言ってくれないと、聞き手としての心配りのなさを疑います」


採用担当Bさん

「『キチョハナカンシャ』があってもなくても、受かる人は受かります。」

…というように、使い方次第という採用担当者もいる一方、気にしないという意見もあります。
私は仕事で経営者が集まる事業説明会に参加することがありますが、参加者からの質問を募る部分では、当たり前のように「キチョハナカンシャ」から始める中高年経営者も結構います。
実際、10年ほど前の自分の就活を振り返ってみると、「キチョハナカンシャ」はよく耳にしました。私も質問をする時、「キチョハナカンシャ」を枕詞にしていたように思えます。
朝までエントリーシートを書き、他人とは違った自己PRを発見するのに苦労しました。あの時は真剣でしたが、あれから10年あまり経過した今、あらためて振り返ってみると、やはり就活は日本を代表する「奇イベント」と言っても過言ではありません。
本人はいたって真剣なのですが、今思うと、あそこまでやる必要があったのか疑問です。

頑張れば頑張るほどバカにされてしまうことのある昨今。
頑張ることを見せずに成果を出すことがカッコいいとされる風潮があります。
もちろん、就活で「頑張る」のは当たり前で、彼らの「頑張り」が否定されることがあってはいけません。
しかし、就活経験者の中には、そのシステムに何らかの「異常さ」を感じている人がいるのも事実です。
この「キチョハナカンシャ」ブームが、日本の就活システムそのものに疑問を投げかけているように思えてなりません。

スタッフ:坂本
(2013/2/14 UPDATE)
番組スタッフ
昨夜未明から今朝にかけて、都心でも積雪した本日。
春まだ遠いこの時期に、頼りとなるのが気象庁が発表する天気予報ですが、
そんな天気予報に、猪瀬直樹東京都知事が噛み付き、話題となっています。

ことの発端は、2月7日に猪瀬都知事が投稿したこんなツイート

+++++++++++++++++++++++
天気予報は科学なのに責任に対する心理に支配され歪んでいる。
成人の日に外れたので過剰に積雪量を2度も見積もった。
多めに先読みすれば責任逃れができるとする姿勢が
もし3度目にあったら責任を追及します。
狼少年は許さない。気象庁の自己保身のために
どれだけの組織、人が迷惑を与えられたか
+++++++++++++++++++++++

これは2月6日、気象庁が“首都圏が大雪になる”との予報を発表し、
しかし実際には、雪がふることもなく予報がハズレに終わった…
という出来事によるもの。

また1月28日も同じく、気象庁は東京地方での降雪予報を出していましたが、
結局は空振りに終わり、2回連続で大雪の予報が外れた結果になっています。

果たして、「天気予報の責任」は追求すべきなのか、否か。
その境界線の狭間で、ネット上では、様々な意見が展開されています。
その一部をご紹介します。
++++++++++++++++++++
「この人「備えあれば憂いなし」みたいな概念がないのかな?
科学的に想定できる範囲で予想してるのに。」
「天気予報は確率でしかないから
外れるときは外れるっていう当たり前のことがなんで理解できないんだろ」
「予想より影響がなかったことを喜びましょう。」
「気象庁の自己保身とかそんな発想はどこから来るんだ」
++++++++++++++++++++

概ねは猪瀬都知事の意見に疑問を持ち、
“責任を追求する必要はない”とするものでしたが、
なかには「客観的な検証に基づいて一貫性のある予報を出すべき」や
「年間で予報を何回外したら資格剥奪とかしたらいいのに」といった
厳しい意見もチラホラ見受けられました。

これらの意見を眺めていて私が思ったのは、
そもそも、雪の予報程度で右往左往させられてしまう
都心部の構造にこそ問題があるのでは…?という点です。

JRは、雪が降る前から間引き運転に踏み切り、
それを受けて大混乱になった帰宅ラッシュ。
こういった混乱するインフラの調整こそ、
都知事率いる行政が指導し、改善していくべきではないでしょうか?


昨年10月、イタリアで大地震が起こった際、
「地震を適切に予測できなかった」として、
裁判所は科学者7人に禁錮6年を言い渡しました。
この判決に対し、「科学者が政府に進言しにくくなる」
「地震学に携わる人材が減る」といった批判が巻き起こり、
日本でも話題になっていました。

今回の出来事は、まさにイタリアの一件と一緒で、
気象庁が発表している天気予報は、
スーパーコンピュータによって計算された、科学に基づく予測。
それが、たまたま外れたからといって責任を追求していたら、
それこそ、猪瀬都知事が懸念していた
「多めに先読み」する予報しか発表されなくなってしまいます。

ちなみに、2月7日付の毎日新聞にこんな記事が掲載されていました。

●<大雪予報>都心でまたハズレ…「大げさでは」苦情相次ぐ/2月7日毎日新聞

記事によりますと、雪の予報が外れた6日、気象庁には「大げさだった」
「電車が遅れたのは気象庁のせいだ」などの苦情電話が
30本以上寄せられたとのこと。

また「『多め』の予報を出したのでは?」という臆測が飛びかったことについて
問い合わせてみたところ、担当者は
「そんなことをすると予報がぶれてしまう。セオリー通りに出している」と否定したそうです。

20年ほど前、私が小学生の頃は
「当てにならない」という声をよく耳にした日本の天気予報。
しかし最近は、そんな声を聞くことも少なくなりました。
これは、気象予報に携わる技術者達が、
地道に予報の精度を向上させてきたからだと思います。
その努力を、たった数回、予報がはずれただけで無かったことにするのは、
東京都をまとめるトップとして、いかがなものでしょうか?


担当/梅木



(2013/2/13 UPDATE)
番組スタッフ
“フェイスブック離れ”“フェイスブック疲れ”といったニュースは、去年ごろから頻繁に目にするようになりましたが、今月6日にも、また新たにそうした類のニュースがCNNによって報じられました。

アメリカ人に広がるフェイスブック疲れ』というタイトルの記事によると、アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが発表したアメリカのフェイスブック利用者を対象に実施した調査で、“フェイスブックに疲れを感じ、少し休みたいと思うユーザーも多いこと”が明らかになったようなのです。

この調査によると、2013年はフェイスブックに費やす時間を「減らす予定」と答えたユーザーは「増やす予定」の3%を大幅に上回り27%、さらにフェイスブックの利用を数週間以上休んだことがあるユーザーは61%に上ったといいます。
休んだ理由としては、「実生活が多忙」(21%)、「時間の無駄」(10%)、「コンテンツに興味がない」(10%)、「劇的な展開やゴシップの不足」(9%)などが挙がっています。
この調査でとくに興味深いのが、休みを取ったユーザーの感想。
「馬鹿げたコメントにうんざりした」「クレージーな友達と接触したくない」「燃え尽きた」「夕食に何を食べたとかいう投稿ばかり」「監視されるのは好まない」など心当たりのあるものばかり。

このように、アメリカはもとより、日本でも“リア充の自慢大会”と揶揄されているフェイスブック。
わたしはとくに近況もアップせず、傍観者に徹していますが、ご多分にもれず、リア充自慢には辟易しています。
そんななか、先日、およそ10年ぶりに再会した知人M(男性・30代前半)から、ある意味で斬新とも言えるフェイスブックの利用法を聞かされました。

斬新な利用法について書く前に知ってほしいのが、Mという男の人間性。Mは悪い方に知恵が働くうえ、自尊心が異常に高く、自らの女性遍歴を得意げに語るような男。今も3人の女性と同時に交際していると言いふらしていて、まぁ一言で言うと、“下衆野郎”といったところでしょうか。

そんなMが話してくれた、フェイスブックの斬新な利用法は、「独り身」をアピールすること。どういうことかといいますと、Mは現実世界ではリア充でありながら、フェイスブックでは「独り飲み」をする自分の写真とそれにまつわるコメントを頻繁に掲載。友達リストに入っている女性の同情を誘って、それに釣られた女性と食事に行く、こうした行為を繰り返しているようなのです。
リア充自慢があふれる現状を逆手に取った利用法ではありますが、まったくもって肯定できるものではないので、決して真似はしないでください。

このように、わたしのごく身近なところで、フェイスブックの新たな利用法の“悪い例”が明らかになる一方で、グローバルに目を向けてみると、アメリカでは“良い例”というのも出始めているようです。
WIREDによると、その“良い例”というのは、フェイスブックを医療分野の問題解決に役立てるような動きです。

=====
スクリップス・トランスレーショナル科学研究所のエリック・トポル博士は、デジタルヘルスケアの問題を扱った著書のなかで、体調の悪い息子の写真をフェイスブックで共有した母親に関する次のような話を記しています。
この母親が写真を公開したところ、まずそれを見た人々からコメントが付き始めた。その後、母親は小児心臓病専門医のいとこを含む3人の友人から電話をもらい、息子が川崎病という珍しい遺伝性疾患にかかっている可能性があることを知らされた。彼女はすぐにかかりつけの医者に電話し、「いまそちらに向かっている」と伝えた。息子が本当に病気である可能性に気付いたからだ。
デボラ・コーガンというこの母親は、Slateに寄稿したエッセイのなかでこの出来事について記しているが、それによると息子を診察した医師も「私も川崎病じゃないかと考えていた。フェイスブックは素晴らしい」と述べていたという。
=====

このほかにも、フェイスブック上で展開された臓器の提供を呼びかけるキャンペーン。
これまでは1日平均360件程度だったのが、初日におよそ6000件ものドナーが集まったといいます。
コミュニケーションツールとしての機能を失いつつある今、こうした成功例を見ると、フェイスブックに残されているのは、”誰かの役に立つためのツール”という、まったく面白みのない道だけなのかもしれません。


(スタッフH)
(2013/2/12 UPDATE)
番組スタッフ
SNSから友達を削除する時とはどんな時でしょうか?

“有名人とつながる”ことのできるTwitterの場合。
プロフィール欄に「フォロー解除はご自由に」と丁寧に書いてくれている人もいるように、フォローしているアカウントのツイートがつまらなくなった時、フォロー解除することは当たり前です。
ただ、リアルの世界でもつながっている友達のフォローを解除する…ということはよっぽどの理由がない限り、中々あり得ないように思われます。
彼女をフォローしている場合、2人の関係が終わってしまった時、彼女のフォローを解除する…とか。
大して仲良くない仕事仲間をフォローしている時、転職したから昔の仕事仲間は切ってしまおう、と思った…とか。

東日本大震災の時、私の周りで、ある友人に対して「ツイートが不謹慎だ」というバッシングが起こりました。今思えば、スルーされる内容なのかもしれませんが、確かに私もそのツイートを見たときは、理解に苦しみました。
実際、多くの友人が彼をフォロー解除し、リアルの世界においても交友を避けていると聞きます。

では、Facebookの場合はどうでしょうか。
Twitterでいうところの「有吉弘行」「NHK_PR」といった有名人、企業アカウントにあたるのが、Facebookページです。これも何気なく「いいね!」を押しておいて、その情報に価値がないものだと思えば、「いいね!」を解除して、購読を取りやめることもできます。
Twitterと違って、Facebookはその特性から、繋がっている友達が「リアルの世界でも友達」という場合がほとんどではないでしょうか。
実際に面識があるFacebook上の友達を解除するということは、これも余程の理由がないとできないことのように思われます。

つまり、SNSとは言え、その友達関係を解除するということは、相当ハードルの高い行為で、そうなってしまった時はそれなりの事情があるということです。

Facebookが生まれた国・アメリカでこんな調査結果が発表されました。
*****************
Facebookの友達削除に人は殊のほか敏感であることが、コロラド大学デンバー校の研究により明らかになった。友達から削除されると、4割の人間が切った人間との交流を全力で回避すると答え、その傾向は女性に顕著に現れることが判明したのだ。

現実世界の行動がバーチャル世界の“友人関係”に影響される最大の理由は、切った人間が友達から削除した事実を、現実世界を含む他の人に話しているかどうかにかかっているとされる。
Facebookで友達を切られると、4割の人間がソイツとの接触を全力回避すると判明:アメリカ調査 | IRORIO(イロリオ) - 海外ニュース・国内ニュースで井戸端会議
*****************

Facebookから友達を削除してしまえば、その友達とリアルの世界でバッタリ会って、気まずい思いをするのを避けたいと考える人が4割いるというのです。確かに友達から削除してしまったなら、その人と会った時、できるだけFacebookの話はしないようにと苦しむはずです。
しかし…友達から削除までする必要があるのか疑問です。いや、しなくても気に入らない人とは、うまくやっていけると思います。
「投稿非表示機能があるじゃないか」と思ったのは、私だけではないはずです。

コロラド大学は、どんな時にSNSの友達関係を切るのかという調査もしています。
それによると、つまらないと感じさせる投稿(例:夕食の内容、ペット動画等)が延々と続くことが最大の理由なのだとか。
私はFacebookで投稿非表示にしている“友達”がいます。
もちろん理由は“つまらない上に投稿が多い”からです。もしかしたら私も投稿非表示にされているかもしれませんが…。

非表示にするくらいなら、友達にならなければいいじゃぁないかという声も聞こえてきそうですが、つながりたくもない人とつながらざるを得ないことも多々あるので、建前としての側面をSNSに持たせることも必要です。SNSをストレスに感じないためにも。

SNSの友達が多い程かっこいいという空気も、なくなりつつあるように思われます。Twitterで何千、何万ものフォロワーがいることを自慢してくる人がいましたが、もはやお笑い種です。Facebookで500人以上友達がいるという人を見ると、「人と会うたびに、Facebookやってますか?とか聞いてんだろ」と思ってしまいます。

無料だからということで、何気ない気持ちではじめられるSNS。
気軽に誰とでも友達になることができますが、リアルの世界でも面識がある場合、意外とその関係を断ち切ることは勇気のいる行動のように思われます。
友達が多い人に限って、リストを作って、ストレスのないよううまくやっているものです。
気に入らない人は非表示設定。それで十分ではないでしょうか。


スタッフ:坂本
(2013/2/7 UPDATE)
番組スタッフ
3.11震災以降、『マスゴミ』などと揶揄され、
“真実を伝えないもの”として定着してきた感すらあるマスコミ。

そんなマスコミに対し、今、ネットユーザーの間で、
大きな批判が巻き起こっているのをご存知でしょうか?

事の発端は、「女性自身」2月12日号に掲載されたゴシップ記事。
安倍晋三首相の夫人・昭恵さんが、首相公邸の台所改装費に
税金1千万円を使い込んだ…という内容なのですが、
それに対し、昭恵夫人の夫である安倍首相本人が、Facebook上で反論!
編集者に訂正を求め、大きな話題になっているのです。

安倍首相のFacebookに投稿された「2月1日の記事」をご紹介します。

++++++++++++++++++++++++
「女性自身 2月12日号」の記事を読んでびっくりいたしました。
「安倍昭恵さん〜首相公邸台所改装費に税金一千万円」と題された記事。
(中略)
今更ではありますが、とんでもない捏造記事です。
私も昭恵も首相公邸のリフォームはおろか、
ハウスクリーニングさえ依頼した事はありません。

公邸に移るにあたって清掃や空調点検、
あるいは壁穴の補修作業が入るというのは通例ですが、
本来こちらが依頼し行うというものではありませんし、
金額についても1000万円もかかる大げさな工事はもちろんありません。
編集された方、どうかご訂正をお願いします。
++++++++++++++++++++++++

この投稿に対する反響は大きく、
2月6日現在で、3万4000人以上が「いいね!」を付け、
4200以上のコメントが寄せられています。

ここで私が思ったのは、なぜ安倍首相は、
もっと噛み付くべき案件があるにも関わらず、
小さな記事をやり玉にあげたのか?…ということでした。


失礼ながら、今回の雑誌社に限らず、
多くの週刊誌が事実無根の記事を掲載していることは、
もはや「周知の事実」になっていると思います。

そして、政界のトップたる首相が、何かを発言すれば、
それは大きな反響が返ってくることも、本人は理解しているはずです。

もちろん、今回の一件には「汚名返上」の意味もありますし、
「ねつ造記事」は掲載されるべきではないと私自身も思うのですが、
ここで、一つの疑問が浮かび上がります。
それは、この一連の出来事が、どんな利益を生み出すのか?ということ。

記事に寄せられたコメントを見たところ、
『マスコミ監査の法律も必要』『法律で週刊誌を違法に』
『マスコミは解体させた方がいい』…などなど、
政府が、マスコミをハンドリングしやすくなるような意見が、
国民の側から飛び出しているのです。


先日、某人気アイドルが、熱愛報道をめぐって、
反省と謝罪を込めて頭を丸刈りにする…という出来事がありました。
この一件も、すでに一部では「話題作りの為の自作自演ではないか?」
という見方が飛び出していて、
丸刈りにしたアイドルが、さらなる人気を獲得する結果につながっています。

穿った見方をすれば、安倍首相も丸刈りのアイドルも、ネット世論の覇者。
もちろん、これらが真実かどうかの境界線は、
本人や関係者にしかわかりませんが、
出来事の結果だけを追いかけると世の中が違って見えてくるもんだ…と
思わず感心してしまった出来事でした。


担当:梅木
(2013/2/6 UPDATE)
番組スタッフ
若い世代だけでなく、中高年にまで広がり、全国に70万人以上いるとされる、“ひきこもり”。
このひきこもりの実態について言及した、あるコラムがネット上で注目を集めています。

あるコラムとは、不登校やひきこもりの経験者をサポートする企業「CARPE・FIDEM」がHPに掲載している『引きこもり関連コラム』。
このコラムについて、「30代以上の当事者(ひきこもり)に対する内容が厳し過ぎる」として、1月30日ごろから「CARPE・FIDEM」に改編を求める問い合わせが多数、届いているようです。

たとえば、Q&A方式のコラム「不登校・引きこもり相談問答集7」。
ここには、不登校やひきこもりの子供を持つ親からの質問とそれに対する回答が掲載されているのですが、なかでもとくに厳しさを感じさせるのが「詰む」という独特の表現を使った以下のQ&A。
=====
Q16:「詰む」の基準ってありますか?
A16:大体、何もしないまま30歳を過ぎると、まともな仕事の受け入れ先が消滅するので、9割方詰みます。20代の間にどれだけ行動したかで、大体が決まります。

Q19:子供が40歳等の中年になるまで、何もせず引きこもっていた場合、どうなるのですか?
A19:どうにもなりません。

Q20:どうにもならないとは?
A20:そのままの意味で、「社会に出るルートが完全に閉ざされる」ということです。残念ですが、各家庭の優劣が表面化しただけのことです。

=====

また、別のコラムには、高校中退で職歴無し、30歳過ぎの男性を想定して書かれた、「あなたには何の能力もなく、社会全体から無駄飯食いのお荷物と見られています」といった記述も見受けられました。

これらの回答、一見、厳しく突き放しているだけのように見えますが、本当にそうなのでしょうか。
「CARPE・FIDEM」のHPやブログを隅々まで読んでいくと、これらの回答に込められた想いが浮かび上がってきました。

まずは、「詰む」という独特の表現について。これは「自分の力で生存することが事実上不可能」という状態で、以下のいずれかに該当する場合を指すようです。

●家族にも経済的余裕が無いのに、全く部屋から出られない
●外には出られるが、仕事に就けるだけの社会性がない
●仮に仕事に就けても、十分な所得を得るだけの継続が出来ない


そして、この表現をあえて使った理由については、「一般認識としては間違いなく不適切でしょうが、当事者やその関係者に実情をきちんと伝えるには、寧ろこの方が伝わりやすいと判断しております」と説明しています。

また、「CARPE・FIDEM」のブログに掲載されている「コラムへのお問い合わせについて」という記事には、厳しい回答に込められた想いが綴られています。
=====
これ(改編を求める問い合わせがあったコラム)については、執筆関係者全員の考えとして改編しない形で一致しております。理由は単純で、「実情から大きく外れた虚偽を言っているわけではないため」「これで方向性を切り替え、社会の中で楽しく生活出来る人達が少なからずいるため」の二つです。
この実情を見て、「ああ、やっぱり急がないとマズイんだな……」「なら、20代のうちに出来ることは何だろう?」「学校は行っていなくても、必要十分な勉強はしておこう」のように、前向きに行動してくれる人達がこれまでも大勢いました。このような話が続く限り、このコラムを撤回するのは間違いかと思います。

=====

厳しい回答に込められた想いを読んで、わたしは妙に腑に落ちたのですが、それにはわたしの周囲のとある事情が関係しているのかもしれません。
とある事情というのは、わたしに、長期間、ひきこもりを続けている、30代前半の知人A(男)がいること。

知人といっても、関わりがあったのは、もう20年ぐらい前の小学生のころ。
小学校を卒業してからは、一切、関わりがないのですが、母親同士の親交が今も続いているため、母親経由でAがひきこもり続けているという現状を知ることができています。

母親によると、Aは、高校の途中から登校拒否になり、以来、15年以上、ひきこもりを続けていて、そこから脱却する気配は一切ないといいます。
その大きな原因は、Aの母親。ひきこもりを容認し続け、自分が死んだ後も、生活保護を受ければいいと、Aに言い聞かせているようなのです。
こうしたAの15年を知っているだけに、わたしは、『30歳以上のひきこもりは「詰む」』という厳しい言葉の重要さがすんなり理解できたような気がします。

誰だって、わが子はかわいい。それゆえに厳しい現実を知らせたくない。でも、厳しい現実を知らさなければ、状況は変わらない。
こうしたジレンマを抱える母親たちに代わって、その役割を果たす、「CARPE・FIDEM」のような存在が、今後ますます重要となってくるのかもしれません。

(スタッフ:H)
(2013/2/5 UPDATE)
番組スタッフ
今年の2月1日は、日本でテレビ放送が始まってちょうど60周年という節目の日でした。その前日にあたる1月31日、朝日新聞の1面に、テレビの未来を考えるうえで示唆に富む記事が掲載されました。

<「ドラマは録画」くっきり 再生率、「生」を上回る例>と題されたこの記事は、ビデオリサーチの内部資料をもとに、録画再生も含めたテレビの視聴実態を伝えるもの。「テレビの録画再生を含めた視聴率の実態が、朝日新聞が入手した調査結果で初めて分かった」としています。記事はネットでも配信され、ヤフートピックスに掲載されたこともあって大きな反響を呼びました。

現在、日本のテレビの「視聴率」は、放送時間中に見られた数値しか公表されていません。しかし、各家庭にはDVDレコーダーなどの録画機が普及し、ドラマなどは録画しておいて、あとで再生して見るのが普通になっています。そんな実態を反映した「録画再生を含めた数値」について、今回明らかになった資料でみてみると、人気ドラマの中には録画再生率が放送中の視聴率を上回る例もあったというのです。

●ドラマやアニメは、バラエティよりも「録画再生率」が高い傾向

朝日新聞が紙面に掲載した具体的な数値比較は、次の通りです。数値は、前者が放送中の視聴率で、後者が録画再生率となっています。

・ドラマ「ラッキーセブン スペシャル」(フジ、1/3)→12.6%/13.5%
・ドラマ「相棒 元日SP」(テレ朝、1/1)→14.1%/8.6%
・ドラマ「八重の桜」(NHK、1/6)→18.4%/7.4%
・バラエティ「笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」(TBS、1/1)→8.6%/4.9%
・バラエティ「TOKIO×嵐」(日テレ、1/1)→15.3%/4.7%
・アニメ「名探偵コナン」(日テレ、1/5)→12.3%/6.5%
・アニメ「ワンピース」(フジ、1/6)→7.8%/6.0%

一つ注意が必要なのは、これらの数値は同じ家庭の比較ではないという点です。このデータのうち、「放送中の視聴率」は、関東地区の600世帯を対象に調べた数値であるのに対して、「録画再生率」は、それとは別の東京30キロ圏内で録画機器を持っている約200世帯を対象にした数値だということです。

つまり、調査対象が異なるので、あくまでも「参考の数値比較」ということを念頭においたうえで見るべきなのですが、それでも、いくつかの傾向が見てとれると思います。

たとえば、バラエティは放送中に視聴される傾向が強いのに対して、人気があるドラマやアニメは録画再生でもかなり見られているということです。また同じジャンルでも、番組によって、放送中視聴率と録画再生率の比率は異なり、それぞれの番組ごとに視聴実態が違っている点も興味深く感じられます。

おそらく、録画再生率が高くなるかどうかは、番組の内容だけでなく、放送された時間帯や他のチャンネルとの競合具合など、いくつかの要素によって決まるのでしょう。ただ、いずれにしても、公表されている「視聴率」が必ずしも現実の視聴実態をストレートに反映しているわけではない、ということはいえそうです。

●「本当の視聴率データ」の公表が、「テレビの未来」を考える第一歩

実はこのような「視聴率」と実態の乖離は、これまでも一般の視聴者が肌感覚で薄々感じていたことですし、そのようなズレを指摘する専門家もいました。しかし、実際の調査データで現実を示されると、やはり説得力が違います。

朝日新聞の記事によると、アメリカではすでに録画再生も含んだ視聴率が公表されているそうです。視聴の実態を正しく把握するという観点からは、日本もそのようにすべきでしょう。一方、テレビの現場で働く当事者やスポンサー企業などの関係者からすれば、これまで慣れ親しんだ調査手法を変えるのは勇気がいることかもしれません。

1面とセットで3面に掲載された朝日新聞の記事も次のように、視聴率の集計の仕方で業界の勢力図が変わる可能性があることを指摘しています。

「現在は、バラエティー番組が好調な日本テレビやテレビ朝日が視聴率競争で優位に立つが、録画再生率も加味すれば、ドラマ枠が多いフジテレビやTBSにもさらに多くの視聴者がいることになり、競争に変化が生じる可能性もある」

今回明らかになった数値は、全体のごくごく一部にすぎません。記事で紹介されているのは、年明けのごく限定された期間の、ごく限られた番組のデータでしかなく、「ドラマはバラエティよりも録画再生率が高い」というのも、全体的な傾向といえるのかはっきりしません。

実は、いまやテレビ番組の新しい視聴形態は、DVDレコーダーを使って録画視聴するだけにとどまりません。「SPIDER」「ガラポンTV」といった全番組を録画しておいて、あとから「検索」をかけて視聴できる次世代型の機器が登場し、60年前に比べはるかに多様なテレビ視聴が可能になっています。「放送中の視聴率」だけを見ていては、そんな多様な視聴実態はつかめません。

そこで、もっと多くの番組にかんする「本当の視聴率データ」が明らかにされ、番組の内容と視聴率の関係にかんする分析や理解が広まることを望みます。テレビ局は放送中の視聴率だけでなく、録画再生率も明らかにすべきです。そして、それにもとづいて「テレビの未来」に関する議論がされることを期待したいと思います。

テレビ放送60周年を迎えた2月1日、NHKは「テレビの未来」を考える特別番組を放送しましたが、むしろ「本当の視聴率データ」の公表こそが、「テレビの未来」を考えるうえで不可欠といえるのではないでしょうか。

(スタッフ : K)
(2013/2/4 UPDATE)

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