DAILY NEWS ★あなたの気になる特集内容は?ソーシャルボタンでシェアしよう!

番組スタッフ
世界(の一部)に衝撃を与えたGoogle Reader終了の発表。
存続を願った署名まで集められているようです。
それもそのはず。Google Reader を活用している人は、おそらくGoogle Readerを自分好みに、“可愛く”育て上げている人。
育て上げた情報収集システムが別のサービスに移行されるというわけでもなく、あと3ヶ月で終わりです、となれば署名運動に打って出るのも納得です。

私は4年ほど前からGoogle Readerを使っています。いや、使っていました。
毎日チェックしていたのですが、毎日、3000以上のニュースが配信されてくることからか、いつしか億劫になり、未読のニュースが多いことを意味する「すべてのアイテム(1000+)」という表示がされっぱなしでした。
3000以上のニュースを全て読めるわけがなく、気になった見出しがあれば、クリックして、さらに面白いと思えば共有し、仕事やプライベートで生かす…という使い方です。

GoogleはGoogle Reader終了の理由を利用が減ったことと、より絞り込んだ商品に集中していくことをあげています。
実際、私もいつの間にか、Google Readerから遠ざかりつつありました。
専門家の人たちが自身で選んだ情報の集約、いわゆるキュレーションメディアの台頭もその一因だと思います。
フィードの淘汰を繰り返しても、配信されるニュースの量は無限。ネットの中にある膨大な情報に触れるなら、願わくば、選別された状態で触れたい。ものぐさな私はそう思うようになりました。

本日の番組(3月28日放送)でも取り上げますが、Google Readerが終わるとなると、自ずと注目されるのはそれに取って代わるもの。
Google Reader 同期にいち早く名乗りを上げたか「Feedly」か、「livedoorリーダー」、あるいは「Gunosy」か…などと言われますが、
私個人がiPhoneやiPadにおいて、Google Readerの代替になると思っているのが「FeedDrop」(フィードロップ)です。
今、注目の記事をジャンル別にサクサク確認できるというのが基本機能。
さらに「マイリスト」として、好きなニュースサイトやブログを登録しておけば新着記事を配信してくれます。この「マイリスト」を育めば、Google Readerの代替になるのではないかと思って、2週間弱使っています。

何よりも気に入っているのが「未読記事数が表示されない」ところです。
Google Readerを使っていた際、未読記事数が表示されることに、罪悪感を抱いていました。
ああ、今日もサボってしまった…
我が子のように育てたGoogle Reader が教えてくれる情報を無下にしてしまった…
赤丸の数字がアプリのアイコンの右上に表示されるたびに、何度自分を責めたことでしょうか。

FeedDrop」にはそれがないので、ニュースを読みのがしても、気兼ねなく使うことができます。
情報が溢れすぎて、その量を中々コントロールできない時代。
情報量のプレッシャーから逃げ出したくて、私はGoogle Readerを使うのを控え始めたのかもしれません。
誰もが膨大な情報に触れられる昨今において、「FeedDrop」はとてもユーザー思いの素敵なサービスだと思いました。

スタッフ:坂本
(2013/3/28 UPDATE)
番組スタッフ
「SNS疲れ」「SNS病」「SNS中毒」…
こうした言葉が出まわるほど、世の中に浸透している
ソーシャルネットワークサービス。
そんなSNSの世界、とくにTwitter上で、
今後のSNSのあり方について考えさせられる2つの出来事がありましたので、
ご紹介したいと思います。

一つは、4月1日付と報じられたNHK・堀潤アナウンサーの辞職です。

**********************
●堀潤アナの退職、NHK側「突然やめたので驚いた」/3月23日産経ニュース

これまでアナウンサーの職務とは別に、
Twitter上で、震災や原発事故関連のツイートを積極的に行なってきた堀アナ。
昨年3月から1年間はアメリカへと留学し、
そのなかで原発事故を追ったドキュメンタリー映画制作。
4月からは料理番組の司会として復帰する予定だったようです。

ところが、3月16日に「僕が制作した映画や一連ツイートの件で、
春からの番組収録もペンディングだと告げられました」とツイートし、
その後、22日にNHK側が行った会見で「突然の辞職」と報じられました。

しかし堀アナは、その報じた記事にリンクを貼り、「突然。。。」とツイート。
Twitter上では「辞めさせられたのでは?」との憶測が飛び交っています。

**********************

続いては、20歳の男性がTiwtter上にて犯罪予告を行い、
それが刑事事件になったという出来事。

**********************
●「名古屋駅で殺人」ツイッターに投稿容疑 20歳を逮捕/朝日新聞3月19日

愛知県在住の男性がTwitter上に「明日の13時に名古屋駅にいる人間を
片っ端からナイフで切りつけます。身体にダイナマイトを巻きつけ、
いつでも爆発をおこせます」と書き込み、それを見た人が警察に通報。

当日、警察署員約90人が、名古屋駅にて警戒態勢となり、
男性は、偽計業務妨害の疑いで19日までに逮捕されたという事件。

ところが、この予告の書き込みをした人物のTwitterを覗いてみると、
犯罪予告前に「ネタツイします」「誰かぼくのこと改造して炎上覚えさせてよ」という
ツイートした上での、偽・犯行予告。
つまりTwitter上で、自分の発言が炎上していく様子を楽しむため、
また通報者のほとんどが、その炎上を加速させるものだったことがわかります。


もちろん、行き過ぎた悪ふざけが取り締まられたことに全く異論はないのですが、
「なぜ、厳戒態勢を取る前にネタだと気づかなかったのか?
厳戒態勢の命令を下す前に、情報の発信元を探さなかったのか?」という点には、
いささか疑問が残ります。


**********************

かたや放送局のアナウンサーとして、
Twitter上で自身の考えを表明したことが原因の一つとみられる「辞職」。
一方は、Twitter上で嘘をつぶやいたことが原因となった「逮捕」。

全くタイプの違うアカウントですが、この2つの境界線にあるものは、どちらも、
“大きな組織によってその影響力の大きさが認められた”カタチになっているということ。
穿った見方をすれば、どちらも“見せしめの統制”が行われたかのようです。


海外では、様々な著名人や、自身の考え方や、時には支持政党までをも表明しています。
なぜ日本では、個人の意志を表明しただけで、批難されてしまうのでしょうか。

もちろん「犯罪予告」なんていう馬鹿げたものは規制されるべきですが、
なぜ、“ふざけている”と気づかなかったのでしょうか?

SNSは小さな規模の放送所を持つ、巨大なメディアとなりました。
そのなかで、TPOをわきまえなかったり、
公序良俗に反する発言などは、ある程度の法整備が必要だとも思います。

しかし、こういったカタチでの規制や統制に疑問を感じてしまうのは、私だけでしょうか?

担当/梅木




(2013/3/27 UPDATE)
番組スタッフ
将棋のプロ棋士とコンピューターソフトが互角の条件で5対5の対抗戦を行う第2回電王戦。
いわば、人間と機械の真剣勝負ですが、この電王戦の第1局が先週の土曜(23日)に行われ、プロ棋士がコンピューターソフトに勝利しました。
これはあくまでも先勝であり、人間側の勝ちが決まったわけではありませんが、妙な安心感を抱いたのは、わたしだけではないでしょう。
一方で、去年1月に行われた第1回電王戦では、元棋士がコンピューターソフトに敗北。このとき、わたしは言い知れぬ不安を覚えました。
この不安の根っこにあるのはおそらく、「人間の仕事が機械に奪われる」という飛躍した被害妄想なのですが、わたしと同じような不安を覚えた人は少なくないようで、このところ、「人間の仕事が機械に奪われる」というテーマで交わされる議論がネット上で目立ってきているようなのです。

たとえば、閲覧数が56870 viewに達している、元アップル社シニアマネージャの松井博さんが作ったtogetterのまとめ『機械に奪われない仕事ってなんだろう?』。
このまとめが面白いのは、「機械に奪われる仕事」と「奪われない仕事」を個人的見解とともに例示しているところです。

●機械に奪われる仕事=「喫茶店の店員」「スーパーのレジ打ち」「郵便局員」
=====
・今日喫茶店に行ったらあまりに酷い店員の態度に驚いたのだが、あんな酷い店員なら自販機で十分。喫茶店として営業する価値がない。
・近所のスーパーでのちょっと前まではセルフのレジが4台だったのに、最近8台にまで増えてきた。4台に1人しか人間が付いていない。態度の悪い店員のぶっきらぼうな応対を受けるなら、セルフの方がマシだったりする。
・アメリカで郵便物を出したい場合、最近は家で料金を払い、ラベルをプリントし、発送可能になって来た。要するに郵便局員が要らなくなる。
=====

●機械に奪われない仕事=「配管工」「大工」「庭師」「医師」「看護士」「介護士」
=====
・多分肉体労働は意外なほど無くならないと思う。配管工とか大工とか庭師とかは強いと思う。
・例えば庭仕事ってけっこう機械化しにくい。人間のように処分したい植物をとっておきたい植物を選別し、季節に応じて適宜剪定し、切り落とした植物を集め、適切に処分する、というようなことを機械が出来るようになるのは相当先だろう。
・医師、看護師、介護士なども機械化されるのは相当先だろう。腕のいい美容師なども同様。機械化されないどころか、さらに需要が高まるかも知れない。
・いわば「人間臭い」仕事だけが人間の手に残るだろう。
=====

ちなみに、マサチューセッツ工科大学のエリック・ブリニョルフソン教授らの著書『機械との競争』によると、「機械に奪われない仕事」は下記のような特徴を持つ仕事のようです。
=====
どうしてもコンピュータに置き換えることが難しい雇用には2つのタイプがある。
1つは、創造的な仕事で、今まで誰も考えつかなかったことを想像することはコンピュータにはできない。創造的なビジネスのアイディアを出す経営者や、感動的な歌を作る作曲家はコンピュータに置き換えることはできないのだ。
もう1つは肉体労働なのだという。客の注文に応えて料理を運び、テーブルを拭くウェイターをロボットに置き換えることは難しい。看護士や配管工も同じだという。
本書の主張はコンピュータが人間の領域を侵食することにより、雇用は減り、その減った雇用は、高所得を得られる創造的な職場と、低賃金の肉体労働に二極化するということだ。
=====

「機械に奪われる、奪われない仕事」という議論がネット上で盛り上がる一方で、「そもそも、機械が人間の仕事を奪うことは悪いことなのか?」・・・そんな問いを投げかけたブログ記事がTwitter上で拡散し続けています。
=====
このままロボット技術が進化していくと、人間が従来やっていた仕事がどんどんロボットに奪われていくのは間違いないでしょう。ロボットに代替されない仕事とは何かを一生懸命考えている人もいるみたいです。うーん、よくわかんないんですけど、それってなんで問題なんでしたっけ?
(中略)
ぼくらが子どものころに描いた未来では、ロボットが人間の代わりに働いてくれて、人間は遊んで暮らせるユートピアがわりと当たり前だったと思うのですが、どうして最近は悲観論ばかりが優勢なんでしょうね。なんだかよくわかりません。
=====
ロボットが人間の仕事を奪って何が悪い。失業“問題”という思い込み』より抜粋

近年、機械の進化によって、これまで人間にしかできないと考えられてきた領域を機械がハイペースで浸食しているとの指摘もあります。
こうした状況は一見、悲観的に捉えがちですが、それはもはや不毛なことなのかもしれません。
楽観視はできないものの、今の「人間と機械が競争する社会」という構図を変え、「人間と機械が共生する社会」を模索すべきであり、そのためには個々が“人間だけができる仕事は何なのか?”という問いの答えを考える必要があるように思います。

(スタッフH)
(2013/3/26 UPDATE)
番組スタッフ
7万7000人。今春大学を卒業する予定の学生のうち、就職が内定していない人数です。産経新聞の記事によると、厚生労働省と文部科学省の調査で明らかになったとされています。彼ら、彼女たちは来春卒業の新4年生たちにまじって、就職活動を続けています。

そんな就活学生の様子を描いた短編アニメーション「就活狂想曲」がネットで話題になっています。東京芸大大学院映像研究科の製作で、吉田まほさんが監督した約7分の作品。ごく普通の女子大生として何となく日常を過ごしてきた主人公が「ニッポン式就活」の渦中へと引きずり込まれて行く様子をコミカルなタッチで描いています。

YouTubeで3月9日に公開された作品はネットで反響を呼び、今日(3月25日)までに12万回以上、再生されています。コメント欄には「凄い、凄くよく表現されてた」「この3月まで就活やってました。本当に、就活ってこんな感じですよね」と共感する声が多数寄せられています。

仕事をテーマにした文章をつづっている「脱社畜ブログ」も「『就活狂想曲』の出来が素晴らしかった」というタイトルの記事を掲載。「7:30という短い時間に、現代の就職活動のアレな点が見事に表現されている。映像の力、おそるべしである・・・就職活動をするなら自分を殺すようなことはせずに自然体で行くことだけは忘れないでほしいと思う」と記しています。

就活といえば、ツイッターで様々な企業に向かってひたすら「御社が第一志望です」とつぶやくボット「日本の就活生」(@shukatsu_onsha)というアカウントが3月中旬に登場し、話題になっています。ソニーやパナソニック、DeNA、グリーなど有名企業の公式アカウントに向けて「御社が第一志望です」とリプライで呼びかけというもの。なかには応答してくれる企業アカウントもあり、「強く生きてください」(OKWave)、「第八十志望ぐらいに見えますが(^^)」(レノボ・ジャパン)などと応じています。

こんな風に、重くなりがちな就活を軽く笑い飛ばしてしまおうという動きがある一方で、就活のテクニックを伝える記事はあいかわらず人気です。たとえば、「Fランで内定12個もらったけど質問ある?」という2ちゃんねるのスレッドはまとめサイトに転載され、話題になりました。そこでは偏差値がいいわけではない大学の卒業生が、「行動力とフランクさ」「グループディスカッションでは、自分の役割が何であるかをハッキリさせる」「恥を捨てろ」など、実践的な就活のコツを伝えています。

これに対して、少し前には「就活なんか、するな。卒業するまでは大学生として大学での活動に全力を尽くし、卒業してから、その先のことは考えなさい」というメッセージを記した思想家の内田樹さんのブログがネット上で議論を巻き起こしました。

このように就職活動については、いろんな記事がひきもきらずにネットに掲載され、賛否それぞれの立場からさまざまな意見が飛び交っています。当事者である大学生からすれば、そういう情報を見れば見るほどワケがわからなくなってしまう、という面もあるのではないでしょうか。でも、そんな「情報過多」な状況にどう対処し、自分の選ぶべき道を選択していくか、という点こそが、いまの時代に生きる学生にとって重要なことだと思います。

(スタッフ : K)
(2013/3/25 UPDATE)
番組スタッフ
いい話、綺麗な話題、美談が拡散される傾向にあるFacebook。
「いいね!」という評価システムがある以上、悪い話題を投稿しない、いい子になりがちなのはごく自然の流れと言えるでしょう。
今、Facebookで次のような投稿がシェアされ、話題を読んでいます。
少々長くなりますが、ご一読を。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
◎バスの中で言葉の暴力を喰らった

10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で、さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。
知能レベルは年齢平均のため、尚更何かと辛い思いをしてきている。

本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。

・ぶくぶく醜い
・何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの
・補助金で贅沢してるくせに
・役に立たないのになんで生かしておくかなあ?

それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。
それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。

息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが、実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。
あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら、笑いながら「何か?だってwwうけるwww」と嘲笑された。

さらに「うちは娘だから、あんなのに目付けられたくない」「アタマがないからレ●プされても泣き寝入りだもんね〜」とも言われた。
さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって「えー、奥さん、ここで降りてください」と言われる始末。

『あーもーいいや、苦情だけ入れて二度とこの路線使うもんか』と思いながら車いすを外そうとしたら「あ、お母さんじゃなくて」と私を見て運転手さんが続けた。
「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が他のお客さんに迷惑ですので、こちらで降りてください」

私ポカーン、息子もポカーン、指された子連れママたちもポカーン。

そしたら後部から「さっさと降りろ!うざいんだよ!」「食べこぼしは片付けて行きなさいよ!」「ほらさっさと行きなさい!」との声が聞こえてきた。
さらに降りるときに運転手さんに「クレーム入れてやる!おぼえとけ!」と言ったら「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」と言われてた。
その人たちが降りてからお礼を言ったら「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから気にしないでください」と言われてしまい、もう私涙目。
冷たい視線ばかりと思ってたのに、世の中捨てたもんじゃないと思った。


++++++++++++++++++++++++++++++++++
今週月曜日に投稿されたこの“いい話”には22万以上の「いいね!」が押され、5万人以上が「シェア」をしています。コメントは1万以上もあり、「感動した!」「涙が出た!」「運転手さん立派です!」「シェアさせてください!」といったものがほとんどです。

バスの運転手のイメージ写真とともに、上記の文章が投稿されており、これはどう見ても投稿者自身の体験かのように思えますが、実はこれ、2ちゃんねるではちょっと有名な書き込みにちょっと手を加えて、投稿されたもの。引用もありません。つまり、パクリなのです。
Facebookでシェアされる「いい話」の真偽を検証しているブログ『Facebookで大人気の「感動のバス話」は2ちゃんねるのパクリ改竄されたもの/Hagex-day info 』に、詳細が書かれていますので、ぜひご覧になって下さい。
(※ネットで拡散されるニセのいい話に、このブログでは「糞いい話」という名前を与えているところも秀逸です)

今回の投稿は、私のFacebookのタイムラインにも「感動した!」として表示されてきました。私はシェアした友人本人に、あたかも投稿主の体験であるかのような投稿が2ちゃんねるのパクリであると伝えてみたところ…。
「ウソでも感動したからいいじゃないかぁ!」と返されるかと思いましたが、その友人はシェアを解除し、『Facebookで大人気の「感動のバス話」は2ちゃんねるのパクリ改竄されたもの/Hagex-day info 』のリンクをシェアするという気持ちの良いリアクションを示したのです。

今回、Facebookで拡散され続けているバス運転手の話に関して、「パクリでも感動できればいい」「それ自体が作り話であるかもしれないが感動させることに意義がある」といった声もあるようですが、この話の真偽は正直、どうでもいいレベルです。挿話が教訓となりうるのは事実ですから。
ただ、ネットに落ちていた話を引用元も示さず、少し手直しして、自分の体験かのようにアップする投稿主に、言いようのない「ダサさ」を感じます。そんなダサい投稿主の投稿に付き合ってあげる必要があるのかどうか…。

以前、ある人気雑誌の編集長と仕事をした際、彼は若輩者の私にこう教えてくれました。
「自分の目で見たものが全てです」
情報を扱う仕事に携わる者にとって、これは真理です。
20代の頃、某テレビ局の長寿情報番組制作を担当していましたが、「インターネットの情報はまず無視する」という掟がありました。その現場で、ネタとして出していいのは「スタッフが実際に見たもの」だけ。

インターネットの全ての情報がウソかホントか、見分けることはできません。
私たちは情報発信者への「信頼」で判断するしかないのです。

東日本大震災の時は、「善意」によりデマが拡散されました。その「善意」は否定されるべきではないですが、【拡散希望】【●●したらシェア】【教えてあげて下さい】とさえつけておけば、おそらくその内容の真偽が確かめられることなく、“興味深い”というだけでシェアされ、拡散され続けるのでしょう。
SNSが情報伝達の要となりつつある今、共感したら何でもかんでもシェアするのではなく、発信者の「信頼度」を見極めるため、その素性をチェックするくらいはしなければならないのかもしれません。

スタッフ:坂本
(2013/3/21 UPDATE)
番組スタッフ
突然ですが、「激おこぷんぷん丸」という言葉をご存じですか?

これはギャル語から派生した「怒り」を表すネットスラング。
怒りのレベルが弱い順に、「おこ」⇒「まじおこ」⇒「激おこぷんぷん丸」⇒
「ムカ着火ファイヤー」⇒「カム着火インフェルノォォォォオオウ」⇒
「げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム」と変化していくのですが、
『怒り』というよりも『ファンタジックなゆるさ』が表現されているように感じるのは、
私だけではないと思います。

そんな、“怒り”という感情ひとつにしても、ある種の“ゆるさ”が求められている今、
国家行政機関のさまざまなところでも「ゆるさ」が蔓延しつつあります。

例えば「警視庁犯罪抑止対策本部(@MPD_yokushi)」。

本来の犯罪情報などの発信にあわせて、
警視庁一職員の日常が垣間見えるツイートが多かったことから話題となり、
3月20日現在では2万3990人ものフォロアーがついています。

例えば、ここ最近のツイートでは…
『(明日は、春分の日です。子供の頃、新聞が休刊になるので
春分の日のことを新聞の日だと真剣に思っていたアカウントはこちらになります…)』
『(すみません、「傘がない」や「夢の中へ」といったネタは、わかりません。
ヤングなもので…)』
『(あ、夢の中へは、どなたもつぶやいていらっしゃらなかった…)』

…という具合に、警視庁という硬いイメージからは想像できなかった、
担当者個人の人柄がにじみ出る“ゆるい”ツイートを展開しているのです。

また自民党は、2013年3月17日に開催した党大会で
安倍晋三首相と石破茂・自民党幹事長をモチーフにした“ゆるキャラ”を披露。

●自民「ゆるキャラ」決定 安倍、石破氏モチーフ/47NEWS 3月18日

これは昨年11月から一般公募されていたもので、17日の自民党大会では、
その受賞作品がプリントされた“ゆるキャラ”のエコバッグやクリアファイルが
広報戦略の一環として配られ、ネット上では「かわいい」と商品化を望む声もあがっています。

また安倍晋三首相自身もFacebookのなかで、

「今朝の出発は大分県からです(^-^)」
「今朝とうとう花が咲きました\(^o^)/」
「定番のレバニラ定食。スタミナつきました(^_^)v」

…と顔文字を使用することがしばしばあり、
ある種の“ゆるさ”や、親しみやすさを意識していることは確実かと思います。

しかし、良し悪しは別として、なぜ日本には、こうも“ゆるさ”が蔓延しているのでしょうか?
私は“ゆるさ”と“硬さ”の境界線にあるものは、「癒し」ではないかと考えました。


ちょっと特殊な例ではありますが、
実は、私自身、ある番組のキャラクターの公式ツイッターを担当しています。
あまり多くは語れませんが、いわゆる「中の人」という存在です。

その番組はアイドル番組なので、フォロアー層は10代〜20代が大半。
番組を見ている人には、そのキャラがどんな口調かも含め認知されていて、
私は、キャラクターのイメージを崩さないようツイートを投稿しています。
(例えば、熊本県のゆるキャラ・クマモンの「〜だモン」のような
語尾変形する口調のツイートです)

ある時、その番組に出演するアイドルがツイッター上で、ちょっとした冗談を言いました。
いわゆる「ボケをかました」状態だったので、そこで私は普段の口調をやめ、
人を傷つける類のものではない、あくまで一般的な「ツッコミ」を入れたのです。

すると、フォロアーは、普段の“ゆるい発言”とのギャップに驚き、
「恐いよ(T-T)」「やめて(><)」という反応を示す人が少なくありませんでした。
(200ほどリプライがあった内、ツッコミだと気づいてくれる人は7割、
「恐い」といった反応は、3割くらいの割合でした)
つまり、多くのフォロアーが、そのキャラのつぶやきから
ある種の“癒し”を受け取っていたのだと思いました。

ゆるキャラは、広報としてのイメージアップ効果があり、
一発ブレイクすれば、巨額の経済効果が見込める商法になりました。
しかし、それとは全く別に、その“ゆるさ”が
人々の「癒し」や「元気」の素となっているのだとも身を持って感じます。

警視庁や自民党、安倍首相の“ゆるさ”は、
今のところハッキリ言って何の役にも立ちません。
しかし、こうした国民に寄り添うスタイルの政治が行われれば、
もっと日本が良くなるのでは…と思えてなりません。


担当/梅木
(2013/3/20 UPDATE)
番組スタッフ
馴染みの店や馴染みの店員さん・・・
こうした存在は、歳を重ねるうちに少しずつ増えていき、優越感を覚えますが、ときに煩わしさを覚えることもあります。
わたしが激しく煩わしさを覚えたのは、先日、行けば必ず接客してくれる馴染みの店員S(30代・男性)がいる洋服屋さんにふらりと立ち寄ったときのこと。
わたしはその日、消費意欲がなく、気晴らしのために立ち寄ったのですが、Sはある商品をゴリ押し。激しい煩わしさを覚えましたが、そこはぐっと堪え、感じよく断ろうとしたのですが、ゴリ押しするSを見ると、どうやら断れる雰囲気ではない。結局、諦め、その商品を購入してしまいました。
普段、必要最低限しか消費しないわたしにとって、これは無駄な買い物です。でも、買い物をしたあとは後悔よりも、Sとの関係性を保てたという、妙な安心感がありました。

この妙な安心感を抱いた自分自身に嫌悪感を抱き、その原因を突き詰めるため調べてみると、2つの納得感のある情報を見つけました。
ひとつは、先週の水曜に放送された、各界の専門家が驚きの事実を紹介する某番組のなかで、電通総研の社員で筑波大学大学院客員准教授の四元正弘さんが、『馴染みの店や店員をつくらないと浪費しなくなる』という切り口で披露した話。
四元さんによると、『人は商品の価値以外にお店や人間関係の価値も加えて買い物をするため、馴染みの店や店員がいると商品の価値が上がり、人は消費しやすくなる』ようなのです。

もうひとつは、九州大学客員教授でオラクルひと・しくみ研究所代表の小阪裕司さんが、去年の11月に出版された自身の著書『「心の時代」にモノを売る方法―変わりゆく消費者の欲求とビジネスの未来』(角川書店)のなかでしていた、“現代の消費者の欲求”に関する分析。
小阪さんは、現代の消費者に支持されている、フランス製の鍋「ル・クルーゼ」、柔軟剤「ダウニー」、フローリング「ライブナチュラル」などを例に挙げながら、現代の消費者はお金を支払う価値として、「心の豊かさ」や「毎日の精神的充足感」を重視する傾向にあると分析しています。
=====
現代の消費者が喜んでお金を支払う「価値」がある。その「価値」を重視する消費者は年々増加し、それに該当する商品やサービスは、がぜんお金を支払いたいものとなる。その「価値」とは、「心の豊かさ」と「毎日の精神的充足感」である。
(中略)
心の豊かさと毎日の充足感を求める時代。この、「心の時代」の中心には、本書でさまざまな角度から見てきたように新しいビジネスが展開されていくのだが、その中心にはいつも「ひと」がある。いまや、ビジネスの軸は「ひと」になったのである。
産業革命が「技術」を革新させ、ビジネスが「便利さ」をもたらす挑戦になったように、現代は、「ひと」が革新していくことで、ビジネスが「嬉しい」を生み出す冒険となっていく時代なのかもしれない。
=====
※『「心の時代」にモノを売る方法―変わりゆく消費者の欲求とビジネスの未来』(小阪裕司/角川書店)

商品自体の価値よりも、商品を買うことによってもたらされる精神的充足感を重視する傾向があるという、現代の消費者の欲求。
冒頭で書いた、わたしの買い物に話を戻しますと、この買い物でわたしは商品自体というよりも、商品を買うことによって維持できる馴染みの店員Sとの関係性(=精神的充足感)を買ったとも言えるでしょう。
実際、買い物をした直後は精神的充足感がありましたが、その後、冷静になって考えてみると、“買い物によってもたらされた精神的充足感”というより、“精神的充足感をもたらす無駄な買い物”のような気もしています。

近年、モノが売れない時代と言われて久しいですが、消費者にとって満足のいく買い物とはどのようなものなのでしょうか。
答えはすぐには出ませんが、“精神的充足感をもたらす無駄な買い物”ではないことは確かです。

(スタッフH)
(2013/3/19 UPDATE)
番組スタッフ
ブログやニュースサイトを登録しておいて、その記事をまとめて読む「RSSリーダー」として最も人気があった「Googleリーダー」が、今年7月1日にサービスを終了することになりました。

米国時間の3月13日に「Googleニュース終了」のお知らせが、Googleの公式ブログに掲載されると、その情報は瞬く間にネットをかけめぐり、米国だけでなく日本でも多くのブロガーがその「悲報」に関する記事を投稿しました。

ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「次世代サービス最前線ブログ」にと題したコラムに「GoogleReaderが終わってしまう」と題した記事を掲載。「いまや多くの人は、ソーシャルメディアでのセレンディピティ(偶然の幸運)に依拠して情報を収集しているということなのだろう」と時代の流れを分析しながらも、「私のように仕事で情報収集するため、RSSリーダーを必要なツールとして使い倒している人間も少なからずいるはずだ」と書き、Googleリーダーを代替するものがあれば有料でも「利用するつもりだ」と述べています。

TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアでも、Googleリーダーの終了を嘆く声はあふれ、サービス存続を求める動きが署名サイトで起きています。米国発の署名サイト「change.org」には「Google:
Keep Google Reader
Running(Googleよ、Googleリーダーを続けてくれ)」
という要望が設けられ、3月18日までに12万人以上の署名が集まっています。呼びかけ人のダン・ルイス氏はGoogleに対して「信頼を壊さないでほしい。Googleリーダーを殺さないでほしい」と訴えていますが、Googleはその思いに応えてくれるでしょうか。

一方で、Googleリーダーの終了に伴い大量に発生する「難民」を受け入れようと、他のRSSリーダーの運営会社が名乗りをあげています。Yahoo!Japanは特設ページを作って「My
Yahoo!へ引っ越ししよう!」と呼びかけ、「いつやるの?いまでしょ!」といま流行りのCMにひっかけて、ユーザーをあおっています。記事を雑誌風に表示できる「Feedly」「Flipboard」といった米国系サービスも、Googleリーダーのユーザーに対して「乗り換え」をアピールしています。

また、人気ブロガーのイケダハヤト氏は「Googleリーダーの代替になるサービス5選」と題した記事を投稿しました。実際に自分が使ってみた感想を交えながら、「livedoorリーダー」や「Gunosy」「vingow」といった情報収集サービスを紹介。「長い目で見れば、RSSは次第に時代遅れになっていくのでしょう。引きつづき新しいツールを模索していきます」と記しています。

Googleリーダー終了のニュースが与えた影響はこれにとどまりません。Googleリーダーに代表される「RSSリーダー」そのものの存在意義についての考察が、多くのブロガーによっておこなわれています。フリーライターの篠原修司氏は「受け身化していくインターネット。Googleリーダーの終了とGunosy、Antennaの台頭」という記事をブログに掲載。「これまでインターネットは能動的だと言われてきましたし、これからもボクのなかではそうなのですが、ここへ来て受動的なサービスの需要がどんどん高まってきている気がします」と書いています。

また、米国のブロガーであるドルー・オラノフ氏は「RSSというのは、結局のところ『一般のインターネット利用者』に普及するところまではいかなかったと言えるのだろう」と総括。「結局、RSSのような仕組みを通じてコンテンツを消費したいと考える人が少なかったということなのだろう。多くの人にアピールする方向に進化することもなかった」と、RSSリーダーの支持者が一部の「ギーク層」に留まったことが、RSSリーダーの衰退につながっていると分析しています。

このように「Googleリーダー終了」のニュースはネットユーザーを騒然とさせたわけですが、新聞やテレビではほとんど報じられておらず、ネットとリアルの違いが際立っています。そのような点でも、興味深いニュースだったと思います。

(スタッフ : K)
(2013/3/18 UPDATE)
番組スタッフ
先日、野暮用で、自由が丘でお茶をする機会がありました。
時間は日曜日の夕方。コーヒーを啜っていると、30代〜40代と思われる女性2人組が来店し、着席するなりこんな言葉を発しました。

「ん〜〜!(※伸びをしながら)自由が丘に来るだけで女子力が上がるね!」

自由が丘に来るだけで上がるという女子力…。
女子会、理系女子、カメラ女子、婚活女子…。
物議を醸す大人の女性を「女子」と呼ぶ傾向。
女性誌を見てみても、「女子力向上計画」「女子力磨き」「女子力アップおけいこ」…
「女子力」という言葉が溢れかえっています。
先日、某局ディレクターと新番組の企画打ち合わせがあり、巷でよく目にする「女子力」とは何かという雑談になりました。「30代以上であっても、年齢的にカテゴライズされる女子と同等のポテンシャル」「シンプルに男を惚れさせる能力」…全員男だったためか、知恵をしぼれどもしぼれども、“言い得て妙”は思いつきません。
結局、ネットで検索してみることにしたのですが…はてな辞書によると、「女性の、メイク、ファッション、センスに対するモチベーション、レベルなどを指す言葉」とあります。わかるようでわからないのが、女子力という概念です。
「男をおとす戦闘力みたいなもの」といった意見も出ましたが、結局、男には説明できないという結論にいたりました。
試しにぜひ、周りの人に「女子力って何?」と聞いてみて下さい。的を射た回答は中々得られないはずです。

なぜ、女子は女子力を高めたがるのか?女子たちが向上に忙殺されうる女子力とは何なのでしょうか?
婚活という言葉の生みの親でノンフィクション作家の白河桃子さんは次のように語っています。

++++++++++++++++++++++++
女子力は毎年「身につけたい」力としてアンケートの上位になる。不況の中でも「女子力」消費は強く、「女子会」ブームで居酒屋を占拠し、飲食業界を牽引した事実がある。三年ほど前、女子力の次のワードを見つけようと広告代理店と頭をしぼった。しかし、女子という言葉が強すぎて次が見つからなかった。女子力とは「対男性を魅了する力」という意味はとっくに超えている。女性が自らを高めパワーを持つための力だ。
男性と同じように仕事をし、責任を負っている女性たちが、ほうっておくと「仕事によって限りなく男性化」していく自分に装着するパワーアイテム、それが女子力なのだ。

<絶対に知っておきたい最新常識62・文藝春秋4月号>
++++++++++++++++++++++++

働くことにより男性化する自分への補完としての女子力…。
そもそもなぜ、女性は女子を自称するのでしょうか?
先ほどの白河桃子氏は、「日本では女性には苦しさや不自由さがつきまとう。我慢してまで女性としての義務を果たすことを辞めた女たちが女子なのだ」と定義付けしていますが、最近、メディアで徐々にコラムニストとして注目を浴びつつある音楽プロデューサーのジェーン・スーさんは自身のブログにこうつづっています。

+++++++++++++++++++++++
30過ぎた女たちの自称女子が感じさせるずうずうしさや主張、
そして周囲の人間がそれを不意に受け取ったときのドキっとする感じや不快さ、
これってなにに例えられるだろうと暫く考えていたのですが、
近いのは刺青だなと思いました。
私たちは「女子」という墨を体に入れていると想定します。
見せる相手や場所を限定すれば、
その刺青は自分を表す大事なファクターになりますが、
TPOをわきまえずにひけらかすと、周囲に不協和音を生む。
「アピールしてるわけじゃなくて自然に〜これファッションタトゥーだしぃ」
という方、いらっしゃいますけれども、
貴様の自然と世間の自然にズレがあることもございますのよ。
(中略)
若さなんてお菓子の上に降りかけられた粉砂糖。
30過ぎたら風に吹き飛ばされて下地は丸見えです。
粉砂糖が飛んだ下地に刻まれた「女子」の刺青は
当事者が意識的に隠さない限り相手を選ばず主張し続けます。

<ジェーン・スーは日本人です。: Vol.7 貴様いつまで女子でいるつもりだ問題>
++++++++++++++++++++++++

ジェーン・スー氏によると、「女子」という呼称はまるで刺青。30代を過ぎて、場所をわきまえずに女子という刺青をアピールし続けると、ざんないことになるというのです。

女子力アップの目的は、意中の男性を落とすため、婚活の勝利者となるため、かと思いきや、一概にもそうは言えないようです。
なぜなら、もはや「40代女子会」は当たり前で、ある高齢女性向けの雑誌では「70代の女子会」といったフレーズも登場したと言います。

そもそも男性は女性に対して女子力を求めているのでしょうか?だから婚活においても、需供のギャップが生じるのかもしれません。
女性が美しいというのは、男性にとってはとても喜ばしいことです。
しかし、私は自然の理にあらがうかのような美魔女コンテストといったものには、少しばかり、薄気味悪さを感じます。
美しくあって欲しい。でもそれは年相応の範囲で…と願うのは男のわがままでしょうか。

スタッフ:坂本
(2013/3/14 UPDATE)
番組スタッフ
東日本大震災から2年となった3月11日。
午後2時46分、私はその時、仕事の手を休めて、
NHKの東日本大震災追悼式の中継をつけながら黙祷を捧げていたのですが、
Twitterの中では、この「黙祷」について賛否両論が巻き起こっていたようです。

Twitterのトレンド上位にも「黙祷」や「地震」「震災」など
東日本大震災関連の言葉があふれた3月11日。

Twitter上でも、多くの人が震災の犠牲者に、
哀悼の言葉を投げかけている様子が見られましたが、
そのなかの「黙祷なう」や「皆さん黙祷を捧げましょう」といった言葉に対し、
『それは黙祷ではないのでは?』と疑問視する声が上がったのです。

++++++++++++++++++++++++++++

●「黙祷なう」という言葉に対しては・・・
・Twitterで「黙祷」ってツイートしてる時点で黙祷してなくない?
・14時46分……黙祷の間は日本中からつぶやきが消えてしかるべきと思うが
・“私は『黙祷』と入力しています”という意味じゃないの?
・いちいち黙祷することを書くあたり 追悼する心は微塵もなさそうだな
・黙祷という言葉に酔ってるだけ

++++++++++++++++++++++++++++

●また「黙祷しましょう」との呼びかけについては・・・
・善意のつもりでやってるなら申し訳ないが、被災者の私からしたら
こういうの不快だから消してくれ。
黙祷とか他人に言われてするもんじゃないから。

++++++++++++++++++++++++++++

さらに極めつけは、ある人気芸人がツイッターで3月10日の夜につぶやいた
『黙祷 心よりご冥福を…』という言葉に対しての反応です。

芸人に対し、被災者と名乗る人から
『Twitterにわざわざ書く必要がないと思います。』という言葉が寄せられ、
芸人が『1人でも多くの人と黙祷したいと思っただけなのですが…
二度と黙祷をする前に呟きません…申し訳ありませんでした』と
ツイートで謝罪。

また、そんな“黙祷批判”をした人に対して「忘れちゃいけないんだよ!」
「黙祷しちゃいけないと言う意味がわからない」と反論する人が現れ、
そんな人達を「黙祷厨(もくとうちゅう)」と呼びだす人も続出。
事態は収集がつかない状態に…。

何だか眺めているだけで切なくなってしまう「黙祷ツイート」を巡る騒動。
多くの人の怒りの原因は、ザッと見た限りでは、
“ツイートというスタイルが偽善的にみえる”ということにあるようでした。


あまりにも不毛なこの論争。
しかし、このTwitterでの「黙祷」がアリかナシか、
という境界線について考えた時、
私自身は「ツイッター上の黙祷もアリなのでは?」と思いました。


確かに「黙祷なう」という言葉は、ある種の“軽さ”に抵抗を感じますし、
できれば「なう」ではなく、14時46分の前後で
「黙祷する・した」という報告をする方がいいと思います。

ただ「黙祷なう」とつぶやいている人も、
「それは黙祷じゃない」と批判している人も、
その境界線にある「黙祷した」という事実に変わりはありません。


「黙祷」は、犠牲者のためだけでなく、
私達が気持ちを共有し、震災について
改めて考えるための時間という一面もあります。
つまり、黙祷は自分自身のために行う行為でもあると思うのです。

それゆえ、そのスタイルが“ツイート”で“偽善的”だったとしても、
他人がヒステリックに「それは黙祷じゃない」「やるならちゃんとやれ」と
責め立てるべき問題ではないように思います。


震災から私達が受けた精神的なダメージは、大きいものでした。
ゆえに、震災に関連した言動は、
大きな批判が巻き起こりやすい傾向にあります。

しかし、たとえ偽善的に見えたとしても、
Twitterというツールを使って黙祷という行為を表し、
心の痛みを誰かと共有しあえるのなら、
それはそれで、有意義な黙祷なのでは?と思った出来事でした。

担当/梅木


(2013/3/13 UPDATE)
番組スタッフ
“卵からニワトリを飼育し、成長させた後に自ら解体して、食べる”。
命のかけがえのなさを考えさせるため、この一連の過程を高校生に経験させる「命の教育」。
これは福岡県久留米市の高校で10年以上も続けられている授業なのですが、先日(2月24日)、TBS系列で放送されているドキュメンタリー番組『情熱大陸』で取り上げられたことをきっかけに、ネット上で物議を醸しているようです。

「情熱大陸」のHPによると、「命の教育」とは久留米市にある高校の食品流通科1年生が、一人一羽ずつ卵からニワトリを飼育し、成長させた後、と畜、解体し、そして食べるというもの。
番組では、40人の生徒にニワトリの受精卵を手渡すところから、食べるまでの一連の過程を3ヶ月かけて追っています。

わたしはたまたま、放送をリアルタイムで見ていたのですが、30分の放送中、何度も心を揺さぶられ、安っぽいかもしれませんが“命の大切さ”“命をいただくこと”の意味を考えさせられました。
ちなみに、わたしがとくに心を揺さぶられたのは、以下の5つの場面です。(「Business Journal」を参照)

●授業では、卵の時点で名前を付けさせ、ニワトリへの愛着を持たせる。
●最初は半信半疑だった生徒たちも、ニワトリが成長していくにつれ、自然と愛着を抱くようになる。
●なかでも、女子生徒のひとり、塚本さんが飼育していたニワトリは生まれつき足が弱く、餌を上手く食べられない。世話が焼けるがゆえに、愛着も強くなる。
●授業の最後、生徒たちは2つの選択肢から1つを選ぶことになる。工場に出荷するか、自らの手で解体をするか。
●人一倍、ニワトリへの愛着を抱いたと思われる塚本さんは悩み、悩んだ末に自ら解体する道を選ぶ。
●授業を終えた、塚本さんは作文にこう記している。「この命の学習を通して、一つ一つの命の重さはもちろん、隣でずっと声をかけてくれた友達の大切さを改めて知る事ができました」

この放送をきっかけに、ネット上では「命の教育」に対して賛否両論が巻き起こり、「日刊テラフォー」などによると、『いただきますの本当の意味を知る上でも必要』と肯定する意見がある一方で、『そんな残酷なことをさせなくても』『殺さないと命の大切さが分からない方がどうかしてる サイコかよ』といった批判的な意見もあがっていて、わたしが見る限りでは、批判的な意見の多くには「残酷」という言葉が含まれていました。

わたしはこの批判に対し、「命の教育だけが残酷で、一般的な鶏肉の加工は残酷ではないのか」という違和感を抱きました。
よくよく考えてみると、命の教育も一般的な鶏肉の加工も最終的にはニワトリが鶏肉になることには変わりがなく、ニワトリから見れば、どちらも「残酷」な行為。
そう考えると、『愛着のあるニワトリだから』『高校生にそんなことを』といった理由で、命の教育だけを「残酷」と批判するのはおかしな話のような気がします。

また、「西日本新聞」に掲載された、「命の教育」の発案者へのインタビュー。
このなかにも、「残酷」という言葉だけで批判するには惜しいと思えるような、「命の教育」に込められた深い思いが綴られています。
=====
(「命の教育」の)発案者で、元教員の高尾忠男さん(68)は当時を振り返る。青少年をめぐる事件が社会問題化していた。暴走行為、いじめによる自殺…。「若者の、命に対する感覚の希薄さ。農業高校で教育に携わる者として、身をもって教える責任もあった」  
試行錯誤の末、たどり着いたのがニワトリの飼育から解体までの実習だった。教師間の論議ではトラウマの影響、情操教育につながるかなど懸念が浮上。
「自分のひよこは殺せない」と拒否反応を示す生徒もいた。実行すべきか動揺したが、根気強く説得を続け、初心を貫くと決めた。  
実習後の生徒の感想文。「今は罪の意識が強くて、体験して良かったかどうか、心の整理が付かない」「ブロイラーに最後に言いたい。人間の勝手で殺したりしたけど、本当にありがとう」−。  
受け止め方は千差万別でも、正面から向き合い、実体験した者にしか語れない心情がつづられていると感じた。「実践して良かった」。初めてそう思った。
=====

「人間は残酷で、必ず食べなきゃ生きていけない」
『情熱大陸』のなかで、教師の真鍋公士さんは、このように話しています。
しかし、人間である以上、自覚しておきたい、この事実を、加工済みの肉だけを見て育ってはおそらく一生、知ることはないでしょう。
「人間は残酷」であることを再認識させる意味でも、「命の教育」はやり続けてほしい。
わたしは、そのように思っています。

(スタッフH)
(2013/3/12 UPDATE)
番組スタッフ
今日3月11日は鎮魂と追憶の日。TOKYO FMでも、各番組で東日本大震災にちなんだ特集を組み、あの日から今日までに起きたことを振り返るとともに、私たちはこれから何をすべきなのか、さまざまな角度から伝え、考えています。

フェイスブックを見ていても、震災に関する投稿が目に付きます。知り合いのジャーナリストの何人かは東北に赴き、それぞれの場所で撮影した写真とともに、メッセージを投げかけています。

ある者は福島県飯舘村に入り、原発事故による放射線の影響で立ち入りが制限されている地区の入口まで行って、いまだに高い放射線が検出されることを確認していました。ある者は、宮城県石巻市の小学校を訪れ、津波と火災で激しく破壊された校舎の写真をタイムラインに投稿しました。

そんななかには、宮城県気仙沼市を訪問し、JR大船渡線の鹿折唐桑駅まで足を伸ばした知人もいます。ここは気仙沼市のなかでも被害が特に大きかった地区です。もともとは住宅が立ち並んでいたエリアの一角に、全長約60 メートル、総トン数約 330 トンの巨大な船がその身を横たえています。

青と赤に塗り分けられた鮮やかな色彩のボディをもつ大型漁船「第18共徳丸」。津波によって約500メートル南にある気仙沼漁港から流されてきて、ここに「漂着」したのです。この巨大な船の写真を、知人はフェイスブックに投稿していました。

「どんな感じだった?」とフェイスブック上でたずねたら、知人からは「行くまでは、地元の人がいらないというなら撤去すべきだと思っていましたが、よくわからなくなりました」という答えが返ってきました。現場には「地上の船」を見に来た人がたくさん訪れていたとのことです。

私も、この巨船の前に行ったことが何度かあるのですが、行くたびにその大きさに圧倒され、こんな大きな船を住宅街まで押し流してきた津波のパワーの甚大さに息を飲みます。現地に行ってみてこそ感じることができる津波の恐ろしさを体感したといっていいでしょう。

このような東日本大震災の被害の大きさを伝える構造物は「震災遺構」と呼ばれ、各地で撤去すべきか否かの議論が行われています。津波を初めとする震災の怖さを後世に伝え、未来の世代に向けた教訓とするため、「震災遺構をそのまま残してモニュメントとすべきだ」という意見がある一方で、「あのときの恐怖や大切な人を亡くした悲しみを思い出したくない」と、撤去を求める声もあり、地元としての方針が固まっていないところもあると聞いています。

このような状況のなかで、今後どうしていくべきなのかは難しい問題ですが、気仙沼の船のように、いまもなお、被災したときの姿をとどめている「震災遺構」が東北の各地に存在しているのは事実です。

まだ被災地の現場に足を運んだことがない人は、ぜひそのような震災遺構を見に行って、自分の体で震災というものを感じてほしいと思います。

(スタッフ : K)
(2013/3/11 UPDATE)
番組スタッフ
FacebookやTwitterでたまに目にする「感動したらRT」「素敵と思ったらシェア」。
友人の何人かが同じ投稿をシェアするというのも珍しい光景ではありません。
例えば最近だと、Facebookで大学に通うおばあちゃんのいい話がシェアの連鎖を呼んでいたことがありました。
私はこういった共感させたがる人、もっと言ってしまえば共感の押し売りが苦手で、「●●と思ったらシェア」系の投稿は必ず無視するようにしています。
また、元々の発信者が不明であるのを良いことに「素敵と思ったらシェア」と共に「【PR】1投稿で1万円稼ぐFacebook講座…」といった一文とURLを付けて、ビジネス展開する下世話な連中までいるようです。
これはこれで別の問題なのかもしれませんが、えげつないなと思うのが正直な感想です。

…というように話そうと思えばいくら話そうと思える(ような気がする)、SNSにおけるシェア文化ですが、昨年頃からSNSで「シェアさせていただきます」と使う人はウザいという、ちょっと興味深い論調が目立つようになりました。

【シェアさせていただきます!】FacebookやTwitterで使うと嫌われる言葉/Naverまとめ

皆さんは強く共感した誰かの投稿を、自分のフォロワー、友人に伝えたいと思ってシェアする時、「シェアさせていただきます」という言葉を使うでしょうか?

私は友人が監督をした映画が公開されるという投稿をシェアしたことがありますが、ことわりはいれませんでした。広告系の投稿だからかもしれませんが、そうでないとしても「シェアさせていただきます」は使わないと思います。

「シェアさせていただきます」がウザいという意見に対して、Naverまとめを見る限り、「違和感を感じる」「そんなコメントいらないだろ」「勝手にシェアしたら不快に思われるかも」など様々です。
「シェアさせていただきます」を使うと果たして本当に嫌われるのか…。
SNS事情に詳しいプログラマーのTさんに聞いてみました。

+++++++++++++++++++++++
個人的な見解ですが、『シェアさせていただきます』と使う人は中年の方が多いような気がします。
きちんとことわりを入れるのが礼儀だと考えているのだと思います。
もちろん礼儀正しくて良いことですが、インターネットの世界でそこまでバカ丁寧になる必要があるのかなと思ってしまいます。
Twitterはわずか140文字の世界です。元々の投稿主がわかるように「RT」することが、必要最低限の礼儀を十分に表していると思います。
Facebookはどうでしょうか。単純にリアクションとしては、「いいね!」と「シェア」、「コメント」の3種類があります。シェアは元々、ユーザーに許可されている行為、言ってしまえば権利です。使いやすいように簡素化されたシステムの中で、その権利を使うためにわざわざことわりを入れる必要はないのではないでしょうか。
本当にことわりを入れてシェアの許可が欲しければ、ダイレクトメッセージにするでしょう。そして、許可が降りるのを待つはずです。
「いいね」と「シェア」も気軽にできるものなので、ラフに使えばいいと思います。
もちろん、SNSが礼儀を重んじられる仕事の世界とつながっているなら話は別ですが…。

本来、SNSは不特定多数の人に公開されるのは当たり前なので、シェアされたくなかったら、シェアされて不愉快な思いをするなら、秘密の日記帳でも付けていればいいのでは…そう思います。

+++++++++++++++++++++++

年配の方が多い…これは私も同じ印象を受けます。
しかし、そもそも嫌われる対象にまでなる必要はあるのか?
Tさんはこのように語っています。
+++++++++++++++++++++++
ネットの新参者が目立ったことをすると、古参ユーザーのネタになる…そんな傾向があるのではないでしょうか。例えば2ちゃんねらーはTwitterユーザーを完全に軽蔑しています。
ネットの世界では哀しいことに“意識の高い”人がバカにされます。そういったがんばっている人への嘲笑は現実の世界よりもひどいかもしれません。
実社会でうまくコミュニケーションを取れない人のために、インターネットがあると言っても過言ではありません。実際、私がそうです。
ニコ動や2ちゃんを見ればわかりますが、ネットの世界において、礼儀正しさは不要なのです。
多分、ひがみもあるのではないでしょうか。自分だけが知っていたレストランが有名になって、雑多に客が来るようになってしまうことを哀しいと思う…。自分だけの居場所がなくなる哀しみと似ているのかも。
最近、高齢者の前や過疎の街で、インターネットのコミュニケーション講座を開くことがあります。
礼儀正しいことを否定する訳ではありませんが、ネットの不躾はご愛嬌だとひと言添えています。

++++++++++++++++++++++

「いいね」と「シェア」の違いはもちろん、自分の友人にもそれを伝えたいかどうか。
「いいね」の上位行為です。人によっては自分の投稿が無断でシェアされたらイヤだと思うかもしれません。パーソナルな投稿をシェアするなら、「(不特定多数の人に見てもらいたいので)シェアさせていただきます」くらいのことわりはあってもいいのかもしれません。
私はいくつかFacebookページを運営していますが、共感したものはどうぞご自由にシェアして下さい。無許可で結構です。というのが個人的な意見です。

「Facebookで嫌われる人あるある」は探せばたくさんあると思います。
それらを総括して、単純に言ってしまうと、目立ってウザい人。
しかし…Facebookで好かれる人はどんな人なのか…?
友人が多い人でもなければ、「いいね」をたくさん稼ぐ人でもないでしょう。
ただ誰にも迷惑をかけず、ひっそりと投稿する。定期的に友人にリアクションをする。
そんな人なのかもしれません。

スタッフ:坂本
(2013/3/7 UPDATE)
番組スタッフ
「CoolJapan」や「ものづくりの国」など、
日本はクリエイティブな国…というイメージが世界に定着しつつあるなか、
ガッカリするような騒動が、いまネット上で話題となっています。

●区が無報酬デザイナー募集…抗議殺到、計画中止/読売新聞3月2日

記事によると、大阪市天王寺区が区のポスターなどを民間デザイナーに手掛けてもらおうと
「任期1年、無報酬」の条件で募集をかけたところ、電話やメールで抗議が殺到。
プロのデザイナー達から「業界をバカにしている」といった批判が相次ぎ、
計画は取りやめになったのだそうです。

これに対し、ネット上では大きな議論が巻き起こっています。その一部をご紹介します。
+++++++++++++++++++++++++++++
・「なめんな的な話ですね。ごもっとも。」
・「笑えない……通訳や翻訳など、語学の仕事も同じように扱われていることが多いです。」
・「なんで「無報酬で」と言う表現になったんだろう?」
・「業界に対する認識云々じゃなくて、人をただ働きさせようという根性が
まちがっているんじゃないの?」
・「無報酬公務員も募集したら?」
+++++++++++++++++++++++++++++

こうした天王寺区に対する怒りのツイートが数多く見られるなか、
私が気になったのは、多くの声と全く反対の意見をつぶやいた、
連続起業家であり解放集団Liverty代表、家入一真さん(@hbkr)のツイートです。
長い連投ツイートなので、抜粋して引用します。
(全文が気になる方は、NAVERなどにまとめられていますので検索してみてください)

+++++++++++++++++++++++++++++
「遅かれ早かれ、単純な請け負い制作の単価はどんどん下落していくよ。
こんなとこで抗議してる場合じゃ無いと思うけどね。」
「無償でもやりたいという人がいる限り、こういった公募は増えてくだろうし、
そもそも今回の様な抗議行動を毎回とってたら、それこそ最終的には
安価な海外に仕事を発注する様になりますよ。国内の業界的にそれでいいんですかね?」
「一億総クリエイター時代がくる!なんて理想郷の様に僕もみんなも口にしてたけど、
そんな時代が本当に訪れた時、プロフェッショナルとアマチュア、
メジャーとインディーズなんて境界線は全て曖昧になり、
今までプロとして食えてた人が食えなくなるんだよ。儲かるのはプラットフォーマーだけ。」
+++++++++++++++++++++++++++++

確かに、Youtubeやニコニコ動画、my spaceなどは、
ネット時代黎明期からアマチュアの発表の場になってきましたし、実際にそこから、
プロとアマの境界線を行ったり来たりしているクリエイターもたくさんいます。

でも私は、プロとアマの境界線は、熱心にネットに投稿しているアマチュアの方々のためにも、
しっかりと引くべきではないかと思います。
というのも、プロとアマの違いは、あくまでも「報酬」にあると思うからです。
(例えば、クリエイターが本業ではない方でも、報酬を貰えば、それはプロだと私は思います。)

今回のような公募の場は、昔からプロを目指すアマチュアの登竜門だったわけですが、
一般公募ではなく、「民間のプロに無償で」募集をかけてしまっては、
そもそもクリエイターがいる価値などなくなり、産業が廃れてしまうと思うのです。


そんなことを思いながら、今回の出来事について調べていたら、
こんな騒動のことを知りました。

●テルマエ・ロマエ「興収58億で作家の取り分100万」騒動 映画製作者・出版社と作者間の問題浮き彫りに/J-CASTニュース3月5日

映画「テルマエ・ロマエ」の興行収入が58億円だったのに対し、
原作者に原作使用料として支払われたのは、100万円だったとのこと。

理由は、漫画家は、作品の権利を出版社に売ってしまう形になるそうで、
出版社は映画化が宣伝になり、原作の売れ行きに貢献することから、
映画製作サイドから原作使用料を値切られても応じざるを得ず、
作者のヤマザキマリさんは、丸1日かかる映画の宣伝もノーギャラだったそう。

現在この件に関しては、代理人を通じて出版社と定期的に協議をしているそうですが、
天王寺区の騒動しかり、社会の構造のなかで、
あまりにもクリエイターの権利が軽んじられている気がしてなりません。

世界的にもファンの多い、日本のクリエイティブ産業。
いい作品は、作り手の権利が守られていてこそ生まれるわけですから、
国内の意識を高めるためにも、権利や環境の整備がなされるべきだと思います。

担当/梅木


(2013/3/6 UPDATE)
番組スタッフ
2月1日に開始から60年という節目を迎えた、日本のテレビ放送。
若年層を中心にテレビ視聴離れが進んでいると言われていますが、実際、わたしの友人や家族からも、「テレビがつまらなくなった」「テレビはほとんど見ない」「見るのはニュースだけ」という厳しい声が聞かれます。

そんななか、株式会社TBSメディア総合研究所代表の氏家夏彦さんが2月20日にアップしたブログ記事『テレビがつまらなくなった理由』が、2413人から「いいね!」が押される(3月5日15時時点)など、多くの人の共感を呼んでいます。
この記事ではいくつかの理由が提示されているのですが、なかでもわたしが共感したのが以下の理由です。
=====
「視聴率をとれ」、「番組をハズすな」、「問題は起こすな」、「金をかけるな」という無理難題とも言える要求に応えるため、現場の制作者は少ない予算で確実に視聴率が見込め、問題が生じないような番組を作ろうとする。そうなると今まで誰もやった事のない冒険などできはしない。
だからどの局もどの番組も視聴率が計算できる同じようなタレントを使い、同じようなひな壇に並べ(美術セット代が安いし、見やすいし、コントロールしやすい)、スタジオトークを展開し(リスクは少ないし、安い)、画面にはトーク内容をなぞる字幕スーパーをかける(自分の番組だけスーパーをかけずに視聴率が下がるのが怖いので…)。
結局、元の番組企画が違っていても、見た目の印象はあまり変わらない番組ばかりになる。
「視聴率を獲れ!」「番組をハズすな!」「カネをかけるな!」と指示することで、視聴率が獲れなくなり、番組が当たらなくなり、収入が減り、制作費がさらに少なくなり、視聴率がさらに下がり・・・という負のスパイラルに落込む。
=====

日本のテレビ制作現場が負のスパイラルで苦しんでいる一方、アメリカでは、利用者の視聴傾向や嗜好を把握し、その調査結果をもとに制作したドラマが大ヒットしています。
JB PRESSの記事によると、大ヒットしているのは、オンライン動画配信大手ネットフリックスが、ネットフリックスのストリーミングを利用しているメンバーのみに公開したオリジナル連続ドラマ「House of Cards」。
監督は「セブン」「ファイトクラブ」などで知られるデビッド・フィンチャーで、主演はケビン・スペーシー。大まかなストーリーは、アメリカ議会を舞台に、スペーシー演ずる議員が、自分を裏切った大統領とその補佐官らに、巧妙な復讐を仕掛けるというもの。

ヒットの最大の理由は、「視聴者の望み通りに制作したこと」。
ネットフリックスが実施した今までの調査結果を元に「利用者は、フィンチャーが監督し、スペーシーが主演する、政治サスペンスを見たがっている」と分析し、それを実行に移し、制作。
結果、公開以来、ソーシャルメディアでは「面白い」と評判になり、批評家もこぞって絶賛。「視聴者の望み通りに制作する」という試みは、成功を収めたようなのです。

今回は成功を収めたようですが、「視聴者の望み通りに制作する」という行為は、日本のテレビ業界にとって光明となりうるのでしょうか。わたしはそうは思いません。
なぜなのか。それは、下記の体験談を読んでもらえれば、理解していただけると思います。

わたしは、数年前、ゴールデンタイムに放送していたあるクイズ番組に、制作スタッフとして参加していたことがあります。
この番組でも、氏家さんが言うような、「視聴率をとれ」、「番組をハズすな」、「問題は起こすな」、「金をかけるな」といった無理難題が要求されていて、その要求に応えるため、ある方法がとられていました。
ある方法というのは、モニター調査。「クイズ番組でモニター調査?何を調査するの?」と思うかもしれませんが、調査していたのは、驚くことにクイズ自体の面白さです。
収録前に、出題予定のクイズを幅広い年齢層のモニターに解いてもらうと同時に、そのクイズ自体の面白さも3段階(面白い、ふつう、つまらない)で評価してもらう。
その結果、「つまらない」の数が多いクイズは差し替えるなどといった不毛な作業をへて、モニターが「面白い」と評価したクイズで構成された、いわば、視聴者の望み通りのクイズ番組が放送されていました。
ところが、結果は出ず、視聴率は低迷。これにより、モニター調査におもねった番組づくりは加速。それに反比例するかのように、スタッフからは「面白い番組を作ろう」という熱意は失われていきました。こうなったらもう結果は見えたようなもので、半年ほどで放送終了という末路を辿っています。

この経験のせいか、視聴者の望み通りに制作した番組の成功を歓迎する気にはなれません。
それどころか、今回はたまたま成功したといういじわるな見方すらしています。
青くさいと言われるかもしれませんが、わたしは制作者が面白いと信じて、世に送り出した番組には何か目に見えない力が宿るような気がしています。
たとえば、きのう放送された、「月曜から夜ふかし」(NTV)の“石原良純SP”。これは、今、別に旬でもなく、誰も求めていない、石原良純尽くしの60分。
この特集には、視聴者が望むだろうという邪心は一切、感じられず、冒険心に溢れていました。
ついでに言うと、内容も面白い。
ただ、これはごく稀なケース。多くは失敗が許されない、つまり冒険することが許されていないのです。
これは、テレビ業界に限ったことではなく、不振にあえぐ、すべての業界に共通する問題のはず。
ただ、不振だから冒険を許さないでは、光明は見えてくるはずがありません。
不振だからこそ冒険を許すという英断が、各業界の経営者に求められているような気がします。


(スタッフH)
(2013/3/5 UPDATE)

MESSAGE ★ 番組へのメッセージはこちらから ★ 皆さまからのご意見お待ちしております


ページの先頭へ