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番組スタッフ
テレビを観ないアピールをする人が嫌われると言いますが、昨今のテレビ局の現状を見ているとテレビを観ないと言い切ってしまった方が賢そうに映るのも納得です。
地上波放送、特にバラエティ番組が全く面白くないという意見はあちらこちらで耳にしますが、ネットの世界に、テレビの苦境をあざ笑う風潮があるのは確かかもしれません。

最近話題のアルバイトによる不適切画像Twitter事件。汐留の某テレビ局が夜のニュース番組で、ピザチェーン店のバイトがピザ生地を被るという事件を紹介していたのですが、放送された画像は事件とは関係のない人物が映り込むコラージュ写真であったため、失笑・嘲笑の対象となってしまいました。

ネットの世界において、もっとも嘲りの対象となっているのが、お台場にあるテレビ局かもしれません。
2年前の8月8日には不買運動が起こったのも記憶に新しいところです。
某局が立たされた視聴者離れという苦境。これを脱するべく、過去に放送した人気番組に少々、手を加えて、攻めた試みかのように見せているのですが、いずれもざんない結果に終わっています。
ネットが一方的に嫌っているだけで、某局は全く気にしていないかと思いきや、そうでもなく、なかなか打破できない現状に焦っているようで、以前、そこそこエラい社員の方が新番組企画募集の際、「タレントに頼りすぎる、我々のやり方は間違っていた」と呟いたのを思い出します。
現状を打破できる新しい一手をなかなか投じることができないお台場のテレビ局。
ネットの世界の妬みもあるのかもしれませんが、同業者である私から見ても、常に一番だった某局の迷走っぷりは少し憐れに映ります。

そんなお台場の某局が今年の7月16日に放送した「マジか!?総資産1兆円超え!お金持ちお坊ちゃん&お嬢様大集合!」という番組において、とんでもないミスを犯していたことが明らかになりました。
セレブのお坊ちゃん、お嬢様たちの仰天私生活に迫るというよくある企画ですが、その中の一人に「コストコ役員の息子」というセレブな肩書きを持つシンガーソングライターのジャミールさんがいました。
そのジャミールさんは突然、今月27日、自身のブログで突然、次のように謝罪したのです。

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7月16日放送のテレビ番組に「コストコ役員の息子」という肩書で出演しましたが、事実ではありませんでした。お詫びと訂正をいたします。(中略)
事実と異なる肩書で出演した原因は、私自身の認識に誤りがあった為です。母親は別の大手スーパーで働いていますが、コストコと同系列のスーパーであると私自身が誤解をしていたことにより、この様な事態を招いてしまいました。
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出演者の肩書きにウソがあるという、とんでもない放送事故。
武田信玄の子孫だというモデルが登場し、子孫の会から疑問視され話題になりましたが、普通ならば、固有名詞、企業名が出てきた時点でチェックするのは当たり前でしょう。仮に本当に、世界的有名企業の役員だったならば、真偽を確かめるのは難しいことではなかったはずです。

どの仕事でも当たり前のことですが、テレビにおいても情報の裏取りは徹底して行われます。
最近ではネットの流行や事件が当たり前にテレビで取り上げるようになりましたが、10年程前はネットの情報はハナから信じないとする人は普通にいました。誰でも編集できるWikipediaの情報を信じないというのは、おそらく今もどの番組でも守られているルールでしょう。

こういったつまらないミスが起きてしまう原因の一つが、テレビ局の業務を請け負う制作会社のブラックさでしょう。制作会社はブラック企業中のブラック企業と言えるかもしれません。もちろん一部です。
例えばブラック企業か否かの基準の一つが、残業代の有無です。
現在、ある制作会社で働く男性は、自身の給料を時給に換算してみたところ、200円という衝撃の数字になり、何度も辞めようと思ったと話します。
私がマスコミの世界に足を踏み入れた10年前とは違い、ブラック企業批判が盛んとなった今では、比較的、若手をいたわろうという傾向が見られます。もちろん、辞めさせないためにです。
しかし、そのいたわりも何だか虚しく映ります。若手の士気を上げるのは、大きい意味での「お金」。
しかし、テレビを作るのに、潤沢なお金は用意されていません。
予算がないので、人員を増やすことはできない。→だったら、今いるスタッフががんばるしかない。→がんばりすぎると上司から休めと怒られる→でも人員は増やせない→後が育たない…
この負のスパイラルが断ち切られることはないでしょう。

お台場の某局のようなテレビのざんない姿が、業界を志そうという若手の意志や希望を確実に摘んでいるかもしれません。
肩書きにウソがあるタレントに出演費を払うくらいなら、スタッフの人件費に当て、後を育てる礎にするべきだと考えます。加えて言えば、エンドロールを見ていてプロデューサーが5人もいたりすることがありますが、あんなに必要ないはずです。

製作費がスズメの涙ほどと言われる今、テレビにクオリティを求めるのは酷な話かもしれません。
人さえ増えれば、予算さえあればもっとうまく行くのに…という願いがあるのはどの業界も同じことなのでしょう。

スタッフ:坂本
(2013/8/29 UPDATE)
番組スタッフ
高校野球、特に「甲子園」といえば、熱中症に関する問題や、投手の「投げすぎ」の問題など、毎年必ず何かしら批判の声があがるものですが、今年の夏の甲子園でもある出来事が話題となり、甲子園が幕を閉じたにもかかわらず、今なお波紋が広がっています。それは「カット打法問題」です。

「カット打法問題」とは、花巻東高校の千葉翔太選手(3年)の打法が準々決勝後に、大会本部の審判部から、高校野球特別規則の「バントの定義」に触れる可能性があると指摘を受けた問題のことで、ようするに、「次からは、2ストライク後にカット打法をするとバントとみなし、スリーバント失敗(アウト)にするかもしれませんよ」と言われたということです。
「バントの定義」とは、高校野球特別規則17項のことで「バントとは、バットをスイングしないで、内野をゆるく転がるように意識的にミートした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルするような、いわゆるカット打法は、そのときの動作(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する場合もある」と記されています。


身長156センチの小柄な千葉選手は、ファウルを繰り返して粘るという独自の打法(カット打法)で今大会最も注目を集め、準々決勝までの3試合で打率7割、出塁率8割と驚くべき好成績を残し、準々決勝では粘りに粘って、相手投手に5打席で計41球も投げさせ4四球をゲットし、会場を沸かせました。
しかし準決勝では、大会本部から通告されたことにより、得意のカット打法を封印し、4打数無安打に終わってしまいました。
千葉選手は敗戦後「野球人生の中で一番悔しいです」と泣き崩れたといいます。

この件で高野連には50件を超える抗議電話があったといいます。そのほとんどは千葉選手を擁護するものです。
しかしネット上では「高校生は正々堂々と勝負しないといけない」や「ある程度はいいとしても、あれはやり過ぎだ」など批判的な声もあがっています。
私としては、千葉選手の打法を、勝負を逃げている姑息な戦法だとは思いません。
自分より大きな選手を相手に活躍するために見出したであろうそのプレースタイルは個性的で、見ていて面白いと感じました。

バントという小技を磨いて通算533犠打の世界記録を樹立した巨人の川相昌弘ヘッドコーチは、「プロにああいうのがいてもいい。欲しいよ」と千葉選手を高く評価しています。
++++++
おれのバントもそうだけど、“誰もやりたがらないことをあえてやる”こともプロで生き抜く秘訣なんだよ。そりゃ本塁打、打点、打率で勝負できれば、評価されやすいし、給料も上がるのは確か。
でも、プロにはものすごいやつがゴロゴロいて、そこで勝ち抜ける選手はごくわずかだから。いまプロの若い選手には、そういう工夫や執念が足りない気もする。
(zakzak 013.08.22)
++++++


「勝つためならどんなことをしてもいい」という指導をした監督が悪いという指摘もありますが、千葉選手は監督から言われてやっていたのではないでしょう。自分で考えてそのようなスタイルに辿り着き、必死で練習してモノにしたのだと思います。
だからこそ、試合後に立てなくなるほど泣いたのでしょう。

経験者やプロでも意見がわかれるところなので、千葉選手の打ち方がバントとみなされても仕方がないことなのかどうか私にはわかりません。しかしここで問題なのは、「その打法がバントになるかどうか」でも、「スポーツマンシップ云々」でもなく、「通達を出すタイミングが悪かった」ということではないでしょうか。
県予選なども含め、これまでの試合でもやっていたはずなのに、なぜ準決勝という大事な試合の前に突然言うのか、ということ。
もしその打ち方がルールに反しているのであれば、スリーバントとみなされてしまっても仕方がないと思います。
けれど、それならそれで、もっと早く通達を出すべきだったのではないでしょうか。
これでは、「あんまり粘って時間を使われると大会運営に差し支えるから指摘した」と思われても仕方がないと思います。

そしてこの問題には、その「バントの定義」なるルールが監督や選手に浸透していないという問題もあります。多くの野球関係者がそのようなルールがあることを知らなかったといいます。
花巻東の監督と部長も大会本部に聞かれ「知らなかった」と答えています。
大会本部は「ルール違反になる可能性があると言っただけで、カット打法を禁止したわけではない」というようなことを言っているようですが、例えば「ファウルで粘るのは何回まで」など、どのような行為が「バントの定義」に触れるのかはっきり教えてもらえなければ、選手としては戸惑ってしまい、違反となることを恐れてその得意技を封印せざるを得ないわけです。
監督や選手がルールをしっかりと確認しておくことも大事ですが、まずは高野連が、ルールを明確化し、周知徹底に努めなければいけないのではないでしょうか。

「バントの定義」以外にも、知られていない重要なルールがあるかもしれません。
あいまいなルールはもう一度きちんと決め直し、そのことを監督や選手に事前に通達し、大事な大会で余計なトラブルが発生しないようにしてもらいたいものです。

今回は、せっかく超高校級スラッガーとも怪物投手とも違うタイプのスター選手の登場に盛り上がっていたのに、なんとも後味の悪い大会となってしまい残念です。
来年こそは、安心して見られる大会になっていることを期待したいものです。

(スタッフ:武市)
(2013/8/28 UPDATE)
番組スタッフ
元社員の内部告発によって発覚し、大きな騒動となっている、秋田書店が雑誌の読者プレゼントで当選者の数を水増しして告知していた問題。
水増しがあったのは、女性向け漫画誌「ミステリーボニータ」、「プリンセス」、「プリンセスGOLD」で、2010年6月号から2012年5月号にかけて、バッグなどのプレゼントを、当選するとしていた人数よりも少なく送付。
水増しは8年前から常態化していて、秋田書店の担当者は消費者庁に対し、「他社でもやっている」などと開き直りともとれる発言をしていたようです。

誰しもが一度は応募し、期待に胸を高まらせた経験があるためか、ネット上では秋田書店に対する批判が殺到。
ここまでは“想定内”ですが、「読者プレゼントにまつわる過去の不正暴露合戦」という“想定外”の現象も巻き起こっています。

たとえば、ジャーナリストの津田大介さんはツイッター(@tsuda)で、「しかし、ぶっちゃけ、俺の知り合いの編集者は新人時代、読者プレゼント用の架空当選の名字と名前を適当に組み合わせるって仕事を割り当てられていたので、特定の雑誌業界では当たり前のようにある慣習だと思っていたよ」と暴露。

この他にも、匿名のため、真偽のほどは定かではありませんが、次のような生々しい不正暴露がネット上に書き込まれています。
*****
昔、●●とか●●って雑誌出してた●● うちの会社にいた奴が退職してそこに就職したんだけど雑誌のプレゼント当選者見たら、会社の名簿使って名前載せてた
(※●●は雑誌名、出版社の名前です)


違う小さな某出版社の知り合いは商品なんて送っても居ないって言ってたけどなw 写真だけで基本的に現物は一切用意して無いらしいw

結構昔だけど、元PC系雑誌の編集してた人と仕事で会った時に「当時懸賞は皆で分けてましたwww」って聞いてドン引きしたのを思い出した。

昔々、ある地方タウン誌でライターをしていたけど、当時も同じようなことをその編集部はしてましたね。もう廃刊になり、版元も倒産しちゃってるけど。
*****

こうした不正暴露は下世話で面白いのですが、ライターの森鷹久さんが2011年に「読者プレゼントの怪」で、読者プレゼントの内幕を暴いていることからも分かる通り、それほど目新しい話ではありません。
それだけに、秋田書店の不正という大きな問題に便乗して、中途半端な正義感で過去の不正を暴露しようとする行為自体に、わたしは違和感を覚えてしまいました。

ブロガーの篠原修司さんは「Yahoo!ニュース 個人」のエントリー「お願いですから業界の不祥事を知ったときは今回のように内部告発するか、それができない環境なら墓場までテイクアウトしてください」と綴っていますが、“匿名”という安全地帯からの不正暴露(実名は例外)は、暴露した本人の自己満足にすぎないのでしょう。

きのう(26日)、出版社の「一迅社」は、2年前の読者プレゼントが未発送であることを発表し、謝罪しました。
このタイミングでの発表ということは、おそらく秋田書店の問題を重く受け止めてのことなのでしょう。
今のところ、出版社ばかりが槍玉に挙げられていますが、他のメディアも例外とは言いきれません。
「人の振り見て…」ではありませんが、今回の問題をきっかけに、心当たりのあるメディアは襟を正す必要があるのではないでしょうか。
まあ、慣例化して罪悪感すら持っていない場合は、気づくことすらできないかもしれませんが。

(スタッフH)
(2013/8/27 UPDATE)
番組スタッフ
先日、宮崎駿監督の新作アニメ映画『風立ちぬ』を観てきました。夏休み期間中ということもあり、夕方の劇場は20代、30代の人を中心に満員でした。作品そのものは良くできていて、最近の宮崎アニメの中で一番、楽しめました。前評判で聞いていたとおり「大人向け」の渋い映画でした。

ストーリーは実際に映画を見ていただくとして、ここで触れたいのは、タバコのシーンのことです。禁煙運動を推進している団体「日本禁煙学会」が、映画の制作者に対してクレームをつけたのです。

医師や薬剤師が中心となっている日本禁煙学会が、『風立ちぬ』の制作側に要望書を送ったのは、いまから2週間前の8月12日。その要望書では、映画の中に喫煙の場面が数多く登場することを問題視して、タバコ規制枠組み条約や未成年者喫煙禁止法に違反するのではないかと指摘しています。

特に、子どもに与える影響を危惧して、「公開中のこの映画には小学生も含む多くの子どもたちが映画館に足を運んでいます。過去の出来事とはいえ、さまざまな場面での喫煙シーンがこども達に与える影響は無視できません」と懸念を表明しました。そのうえで、「映画制作にあたってはタバコの扱いについて、特段の留意をされますことを心より要望いたします」と結んでいます。

このような日本禁煙学会の「要望」について、ネットでは賛同を示す声もあったものの、「タバコは嫌いだが、表現規制はもっと嫌い」「過去を描いているのだから目くじらたてるなよ」と反対する声が多く、日本禁煙学会への批判が巻き起こりました。なかでも、作曲家のすぎやまこういちさんが代表を務める喫煙文化研究会は、「喫煙者が多かった当時の状況を再現するに当たって極めて一般的な描写」と反論しました。

しかし、そのような批判に対して、日本禁煙学会はタバコの有害性を示しながら、「喫煙シーンを多く見た子どもほどタバコに手を出すようになることがわかっています」と指摘し、再反論にあたる見解をウェブサイトに掲載しました。

このように「映画のなかの喫煙シーン」をめぐる論争は決着がついておらず、むしろ混乱の様相を呈しています。ただ、一つ押さえておきたいのは、宮崎監督自身がヘビースモーカーであるという事実です。東日本大震災の直後には、周囲に呼びかけてタバコを集め、気仙沼の漁師に贈ったという実績もあります。つまり、宮崎監督にとって、タバコは人生に欠かせない、非常に重要なものとして考えられているということです。

実際、映画のなかで、タバコは「ここぞ」という重要な場面で登場します。主人公が、重大な課題について思考をめぐらす場面やお互いの友情を確認する場面の「小道具」として、大きな存在感を発揮しています。宮崎監督にとっては、喫煙シーンがなければ、この『風立ちぬ』という作品は成り立たないといえるでしょう。

でも、逆にいうと、だからこそ、日本禁煙学会の面々は「映画のなかの喫煙シーン」に目くじらを立てるのだろうと思います。「重要なシーンで喫煙するなんて、もってのほかだ」と。これはこれで、理解できないわけでもないのです。ただ、そうはいっても、「表現の自由」の観点からすれば、宮崎監督の意志を止めることはできないでしょうが。

むしろ、日本禁煙学会には、要望書を送りつける相手を「制作者」ではなく、「上映者」に変更したほうがいいのではないでしょうか。特に、今後のことを考えると、テレビ局に対して、「喫煙シーンが多い『風立ちぬ』は、小さな子どもが見るような時間帯には放送しないでほしい」と要望することが考えられます。あるいは、「子どもへの影響を考えて、『風立ちぬ』に喫煙シーンが数多く登場することを事前にしっかり告知してほしい」と要望することもありえるでしょう。

もちろん、これもあくまでも要望であって、テレビ局が拘束されるものではないですが、制作者に要望するよりも、説得力があるのではないでしょうか。

(スタッフ: K)
(2013/8/26 UPDATE)
番組スタッフ
この夏、おなじみの光景となってしまった、学生による不適切画像のTwitter投稿。
それを発見した外野が炎上に導き、店側が謝罪し、解雇や損害賠償にいたるというフォーマットが完成しました。
最近では、宅配ピザチェーン店のアルバイトがピザ生地をかぶる画像を投稿し炎上。店側が謝罪しています。
もはやアルバイトだけではなく、客としてスーパーの冷蔵庫の中に入った画像を投稿し、通っている専門学校を退学させられた憐れな学生も登場しました。

投稿する側と監視する側の異常さを感じさせられるこの一連の騒動に対して、いい加減に終わって欲しいと思うのは私だけではないはず。ウケようと思って投稿した画像が全くウケず、それが罪となり、フランチャイズ契約解除、解雇、退学、損害賠償請求検討といった罰がやってくる。「メシウマ」でもなんでもなければ、シンプルに「面白くない」出来事の連続です。
どうやったら、この負の連鎖を断ち切ることができるのか。
ワイドショーで取り上げられるネタとなってしまった以上、次何かあればまた大事として扱われることは必至です。
では、世間が飽きるのを待てばいいのか…。果たして、それはいつなのか…。

私が個人的にこの連鎖を断ち切る小さな小さな可能性として、注目しているのが「#日本で学生が冷蔵庫に入ったと炎上してるその頃米軍では」というハッシュタグをつけた画像投稿の流れです。
タグ名の通り、日本の学生がバイト先の冷蔵庫に入ってふざけているように、米軍施設にあるものや武器などを利用して、米兵がふざけているといった画像のツイート。
実際に「#日本で学生が冷蔵庫に入ったと炎上してるその頃米軍では」で検索してみて下さい。
米兵さんがロケット格納庫に入っていたり、ピカチュウの着ぐるみを着てマシンガンを装備していたりと…アメリカン・スケールのバカ画像を貼付けた投稿が続々と現れます。もちろん、自衛隊が同じことをやれば、笑い事ではすまされないのは明らかです。
米軍の行動に問題があるかどうかは置いておいて…、画像に対するリアクションとしては「ふいた」「なごんだ」「wwww」など、好意的な意見が目立つから不思議です。

この「#日本で学生が冷蔵庫に入ったと炎上してるその頃米軍では」運動においても、ウケたいという承認欲求は見られます。
Twitterユーザーはこぞって、米兵がおふざけをしている画像を探してきて、「#日本で学生が冷蔵庫に入ったと炎上してるその頃米軍では」をつけてツイートしているのです。そして、米兵たちのおふざけ画像投稿は、どれもリアクションが上々のようで、Naverやtogetterなどのまとめサイトでまとめられるほど、人気を博しています。繰り返しますが、米兵の画像が米軍的にOKなのかどうなのかはわかりません。

話は変わりますが今週、Facebookに関する、ある調査結果が発表されました。
それは、「Facebookは若者の幸福度を蝕む」というもの。調査したアメリカ・ミシガン大学の研究チームは「Facebookは表面上、社会とつながりたいという人間の基本的な欲求を満たしてくれる貴重なツールに思えるが、(ユーザーの)幸福度はむしろ、蝕まれている」と警告しています。そして、多くの人が「Facebookを利用した後、気持ちが落ち込んだ」と答え、研究チームではその理由について、「他人の生活と自分の生活を比べて、他人の生活の方が自分より楽しそうだと感じ、落ち込んでしまう」との分析も。

Facebookは「リア充自慢ツール」と言われ、「いいね」という評価システムのもと、楽しそうな投稿ばかりが集まります。
私自身のFacebook上の友人の投稿を見てみても、「表参道の●●というレストランで食べたお肉が美味しかった」「夏休みに瀬戸内の島めぐり」「ベニスなう」といった楽しそうなものばかりです。皆、多少お金に余裕がある30代以上で、お金を消費する対価として、楽しい経験を投稿しています。それらは妻や夫、恋人と一緒に経験しているものなので、恋愛・結婚においてもリア充なのです。
私のFacebookの友人関係から見た勝手な解釈ですが、私の周りのリア充投稿からは、パートナーにも恵まれ、楽しい生活を営んでいくだけの資金もなくはないといった印象を受けます。

私の学生時代、20代前半を振り返ってみても、お金が全くありませんでした。社会経験もなく人間的にも未熟で、お金もない野郎共にとって、モテるための最後の牙城は「ウケたい」というモチベーションでした。
お金があるヤツには社会的評価で今すぐ勝つことはもちろんできない。でも、その金持ちより自分は面白い人物なのだという勝手な自負で、未熟で臆病な自尊心を満たしていたように記憶しています。
ミシガン大による「他人の生活と自分の生活を比べて、他人の生活の方が自分より楽しそうだと感じ、落ち込んでしまう」からFacebookに幸福度を感じないという分析から考えると、他人に嫉妬を感じることが少ないTwitterというツールを選ぶのも納得です。
お金のない若者にとって、他者より優れていると評価されるために、つまり承認欲求を満たすために「ウケると思って冷凍庫に入ってみる」「ウケると思って股間にバーコードリーダーをあててみる」「ウケると思ってピザ生地を被る」といった行為にいたるのかもしれません。
「ウケる」と気持ちのいいものです。リアクションが可視化されており、赤の他人にまで拡散するSNSならなおさらです。

もし今後、冷蔵庫に入った画像を投稿しようという人がいたら…、ただ言えるのは「ウケないからやめなさい」。「今、話題のフォーマットを真似してみてもウケないよ。オリジナルがウケていないんだもの。ハイリスク・ノーリターンの疑似チキンレースはやめておきなさい」と言いたいです。

この際、Twitterを免許制にしろといった論調もありますが、それでもバカをやってしまうTwitterユーザーはきっと登場するでしょう。
「#日本で学生が冷蔵庫に入ったと炎上してるその頃●●では」が色々な派生を見せ、ある種の大喜利のようになれば、本家とも言える冷蔵庫に入った画像を投稿する輩が目立たなくなり、相手にしなくてすむのでは、ひとまず事態が沈静化するのでは…と考えます。

スタッフ:坂本
(2013/8/22 UPDATE)
番組スタッフ
宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」に対して、「日本禁煙学会」が喫煙シーンが多いと苦言を呈した問題が世間を騒がせていますが、もうひとつ、描写の是非について話題となっているのが「はだしのゲン問題」。
原爆の悲惨さを描いた漫画『はだしのゲン』を、松江市の全小中学校が閉架措置としたことについて、激しい議論が交わされています。

インターネット上では「自由に読めるように戻してほしい」と求める電子署名活動が行われており、すでに1万人分の署名が集まっているとのこと。
そして鳥取市立中央図書館でも、児童の保護者からクレームがあり、2年前から『はだしのゲン』を事務室に移し、自由に閲覧できない状態にしていたとのことです。

閲覧を制限する理由は「子供が見るものとしては、一部の描写が過激であり、悪影響を及ぼす可能性がある」というもの。
けれど、過激な描写だからこそ強烈な印象を与え、いつまでも記憶として残るのでは、と私は思います。現に私もいくつか読んだ学校図書の中で、内容を最も鮮明に覚えているのは『はだしのゲン』です。正直、読む度に暗い気持ちになりました。体から蛆が湧いて出る場面などはできるだけ見ないようにしていたことを覚えています。
それでも「もうちょっと読みやすい内容ならいいのに」とは思いませんでした。「なんだかいやだなあ」と思いながらも、気がつけばまた手に取っていました。
その抗い難い引力は『はだしのゲン』の持つ圧倒的な恐ろしさやリアルさゆえなのだと思います。
なぜか引き付けられて読んでしまい「ああやっぱり恐ろしい」とまた暗い気持ちになるわけですが、だからこそ頭の中にいつまでも残り、大人になっても覚えているのです。

教育評論家の尾木直樹氏はこのように語っています。
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ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。
ゲンは戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。
(毎日jP 08月17日)
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個人的に小学生時代の原爆教育でもうひとつ思い出すのは、「忍者ハットリくん」のハットリくんの声でおなじみの声優・堀絢子さんの、被爆して死んでしまう少女を主役とした「反戦劇」です。
この舞台は原爆で父親を亡くした堀さんが、その悲惨さを伝えるために全国各地で行っている(今も続けている)もので、私の通っていた小学校でも上演されました。
これは1人で何役も演じる「一人芝居」なのですが、効果音や照明を駆使したその演技の圧倒的なリアルさに、当時小学四年生だった私は、恐怖のあまりほとんど下を向いたまま(たまに耳も塞いだり)でした。
その後私は「湾岸戦争」のニュースが流れる度にテレビの電源を切る、といった行動を取ってしまうほど、その舞台から戦争の恐ろしさを思い知らされました。
それほどの影響を受けたのも、堀さんの演技が真に迫ったもの、つまり「過激な描写」であったからです。
その時は舞台を「早く終わってくれ」と祈るような思いで見ていましたが、今にして思うと、本当にいい経験であったと思います。

その経験があるからこそ『はだしのゲン』の過激な描写もあってしかるべきだと思うのです。
原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを伝えるためには、どうしてもある程度は過激な描写にならざるを得ないような気がします。むしろ恐ろければ恐ろしいほど、平和であることのありがたみや大切さを強く感じるのではないでしょうか。

不良漫画を読んで感化され不良に憧れるのはありがちなことで、「だから教育上よくない」というのはまだわかりますが、『はだしのゲン』を読んで子供が残忍な性格になるというのは考えにくいと思います。
それに、学校で読めなければどこで読めばいいというのでしょうか。小中学生がお小遣いを貯めて本屋に行き『はだしのゲン』を全巻買い揃えるということはまずないでしょう。

子供の感性も人それぞれです。何を読んでどのように受け止めるかは本人に任せればいいのではないでしょうか。
集まった署名は今後、松江市教委に提出する予定とのことですが、生徒が自由に『はだしのゲン』を閲覧できる状態に戻り、平和教育の教材として一日も早く現場復帰することを願ってやみません。

(スタッフ:武市)
(2013/8/21 UPDATE)
番組スタッフ
小学生のころ、学校の教室でうっかり手に取り、トラウマになった漫画『はだしのゲン』。
生々しい被爆者の描写は今も脳裏に焼きついており、「トラウマを植え付けられた漫画は何か?」と訊かれたら、この漫画を真っ先に挙げるのは、わたしだけではないはず。
この『はだしのゲン』をめぐり、先週金曜(16日)に発覚した問題で、全国から批判が殺到、週が明けてもとどまる気配がありません。

『はだしのゲン』をめぐる問題、大きく報じられているので、もうご存知の方も多いかと思いますが、念のため、おさらいいたします。
ことの発端は、ある男性から去年8月に島根県松江市議会に出された陳情書。
『はだしのゲン』が「ありもしない日本軍の蛮行が掲載され、子どもたちに悪影響を及ぼす」として、学校からの撤去を求めていました。
この陳情は不採択となったものの、一部の市議から、「不良図書ととらえ、松江市の教育委員会が適切な処置をすべき」との意見があり、松江市の教育委員会が松江市内の小中学校の図書館に、『はだしのゲン』を自由に読むことができない「閉架」にするよう、去年12月に指示。
この事実が先週金曜(16日)に報じられ、昨日(19日)までに松江市には「表現の自由を侵すのではないか」など、1200件を超える抗議の電話が寄せられているようです。

さらに、今朝は、鳥取市立中央図書館も2年前から『はだしのゲン』を事務室に移し、自由に手に取れない状態にしていたことが発覚。
もともとは児童書コーナーに置かれていたのですが、2011年の夏に小学校低学年の児童の保護者から「強姦などの性的描写などがあり、小さな子が目にする場所に置くのはどうなのか」とクレームがあり、事務室内に別置きする措置を取り、そのまま放置されていたようです。

旧日本軍の行為や昭和天皇の戦争責任を厳しく糾弾していることから、保守層の間で根強い批判がある『はだしのゲン』。
子どもへの悪影響を心配する親の声もありますが、わたしはクレームを出した人たちに、こう言ってやりたい(※汚い言葉ですみません)。「クレームを出すのは、著者の中沢啓治さんが『はだしのゲン』に込めた思いを知ってからにしてくれ」と。

『はだしのゲン』に込めた思いが切々と綴られているのは、去年の12月19日に亡くなった中沢さんが、亡くなる直前に遺書の代わりに書き残した自伝『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社)。
わたしの印象に残ったのは、たとえば、こんな思い。
*****
『はだしのゲン』は、被爆のシーンがリアルだとよく言われますが、本当は、もっともっとリアルにかきたかったのです。けれど、回を追うごとに読者から「気持ち悪い」という声が出だし、ぼくは本当は心外なんだけど、読者にそっぽを向かれては意味がないと思い、かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようしにてかきました。
原爆の悲惨さを見てくれて、本当に感じてくれたら、作者冥利につきると思います。だから描写をゆるめてかくことは本当はしたくなかったのです。
こんな甘い表現が真に迫っているだろうか。原爆というのは本当はああいうものじゃない。ものすごいんだと。そういう気持ちが離れないのです。

*****

これ以外にも、「忘れることはときに必要なこともあるかもしれませんが、戦争と原爆のことだけは、忘れてはいけないことなのです」という言葉も、胸に迫るものがあります。
*****
『はだしのゲン』の連載が始まると、漫画家仲間からも、「おまえの漫画は邪道だ。子どもにああいう残酷なものを見せるな。情操によくない」と叱責されたことがありました。
けれど、ぼくは「原爆をあびると、こういう姿になる」という本当のことを、子どもたちに見せなくては意味がないと思っていました。原爆の残酷さを目にすることで、「こんなことは決して許してはならない」と思ってほしいのです。

(中略)
忘れることはときに必要なこともあるかもしれませんが、戦争と原爆のことだけは、忘れてはいけないことなのです。
*****

冒頭でも少し触れましたが、わたしが『はだしのゲン』を初めて手に取ったのは、小学生のころ。
正確な年齢は覚えていませんが、10歳前後だったと思います。
わたしの通っていた小学校には各教室に必ず本棚が置かれており、そこにはいかにも先生が生徒に読んでほしそうな本が並んでいました。
基本は活字だらけの本で、ほとんどの生徒は目もくれないのですが、その本棚に置かれていた唯一の漫画が『はだしのゲン』。
内容を知らなかったわたしは、漫画というだけでうっかり手に取り、結果、強烈なトラウマを植え付けられました。
その日は食欲がなくなって、給食を残すなどしたため、手に取ったことを激しく後悔しましたが、今ではこのころに、手に取っておいてよかったと思っています。
なぜかというと、月並みですが、トラウマ以上に得たものは大きく、幼いながらに“原爆の残酷さ”を強烈に記憶に残すことができたから。

そして、ここで重要なのが、“自主的に手に取った”ということ。
先生から勧められて手に取った本は、強制的に読まされたためか、お勉強の意味合いが強く、一切、印象に残っていないのに対し、自主的に手に取った『はだしのゲン』だけはなぜか印象深い。
もし、先生から勧められて手に取っていたとしたら、嫌な気持ちにさせた先生を責めたかもしれません。それに、こんなにも『はだしのゲン』を支持していなかったような気もします。
それだけに、『はだしのゲン』は大人が勧めて手に取らせるのではなく、子どもがうっかり手に取れる場所に置いておくことが重要。そんな気がします。

余談ですが、今朝、松江市教育委員会は市内の小中学校に指示していた閲覧制限について、撤回を視野に再検討する方針を決めたことが分かりました。
遅くとも今月中に結論を出す意向のようですが、まだ迷っているであろう松江市教育委員会に、中沢さんが自伝『はだしのゲン わたしの遺書』の最後を締めくくっている言葉を送りたいと思います。

「『はだしのゲン』は、わたしの遺書です。わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました。『はだしのゲン』がこれからも読みつがれていって、何かを感じてほしい。それだけが、わたしの願いです」

この言葉が届くかどうかは分かりませんが、今月中にも出される松江市教育委員会が正しい決断をすることをただただ願っています。

(スタッフH)
(2013/8/20 UPDATE)
番組スタッフ
ベスト8が激突する準々決勝まで進み、佳境を迎えた夏の全国高校野球選手権大会。今年は記録的な猛暑の中でのゲームとなりましたが、球場の外でも、熱い論戦が繰り広げられています。

高校野球のあり方をめぐる議論です。

春の選抜大会のときも「済美・安楽投手の球数」をめぐって、賛否両論の論戦がありました。乙武洋匡さんがツイッターで「なぜ球数制限の導入を検討しないのだ」と疑問を投げかけ、米国のメディアが「4日間で391球も投げさせるのは正気の沙汰ではない」と批判しました。一方で、元プロ野球選手の江本孟紀さんを始め、日本と米国では練習の仕方が違うのだと反論する意見もありました。

夏になり、主に問題となったのは「熱中症」です。埼玉県の予選大会で、試合中に選手が何人も熱中症で倒れ、交代を余儀なくされました。その際、チームの監督が「試合で倒れるなんて初めてです。何をやっているのか」とあきれ顔だったと報道されたのですが、ネットでは「監督の無能さに呆れる」「生徒が可哀想」「狂気の沙汰」と、監督を非難する声が巻き起こりました。なかには、「40度近い炎天下で激しいスポーツをやらせること自体が犯罪行為じゃないか」という意見もありました。

夏の高校野球は酷暑のなかで行われるからこそドラマになる――かつては当然のように受け入れられていた前提に対して、疑義を唱える人が増えてきたのです。コラムニストの小田嶋隆さんもこの問題を取り上げ、「猛暑日のダブルスタンダード」と題したコラムで、次のように記しています。

<あんなに「炎天下の外出は自粛」しろと言い、「激しい運動は控えろ」と言っているNHKが、その一方で、甲子園球児の頑張りを賞賛し、炎天下でのゲームを延々と中継している態度は、最近はやりの言葉で言えば「ダブルスタンダード」ということになる>

たしかに、真夏の甲子園のテレビ中継が流れている画面の上に、「○○県では、熱中症で○人が病院に搬送されました」という熱中症に関する情報が流れているのは、かなりシュールな絵でした。

このようにネットでは、猛暑の中での高校野球を批判する論調が強いのですが、反論する意見もいくつか見られました。なかでも目立ったのが、産経新聞にのった<高校野球の何が悪いというのか?…「暑い夏」と「甲子園」は欠かせぬ“舞台装置”である>というコラム記事です。

<「暑い夏」と「甲子園」は、高校野球の舞台装置として絶対に欠かせない。選手はみんな好きで野球をやっている。好きだから暑い日も寒い日も、甲子園を夢見て必死に球を追っている。暑いから試合はいやだ、という発想はありえない>

産経の記事はこのように断言しますが、案の定、ネットでは「体育会脳の恐怖」「暑さで脳がやられてる」と大きな批判を受けました。ちょうど終戦記念日の8月15日に掲載されたということもあり、「対米開戦もこういう根性論で踏み切ったんだろうな」といった指摘もあったほどです。

そんななか、ちょっと変わった毛色の記事がNEWSポストセブンに掲載されました。高校野球を長年取材しているフリーライターの神田憲行さんの<甲子園の高校球児
熱中症対策のためベンチは冷房効いている
>という記事です。

この記事によると、高野連では熱中症対策に力を入れていて、甲子園の出場チームに試合中やその前後の給水を呼びかけるとともに、ミネラルウォーターやスポーツドリンクのボトルを渡しているのだそうです。また、試合中は、ベンチの背面の壁とイスの間に設置してあるクーラーから冷風を出しているとのこと。つまり、少なくとも甲子園では、選手はベンチでクーラーを浴び、水も補給しながら、試合を戦っているというのです。

「熱闘甲子園」のイメージからは「え、そうなの?」という感じもしますが、高校生の体を守るためには合理的な対策といえるでしょう。もしかしたら、高校野球批判派の人たちが思うほど、高校野球の現場はひどくないのかもしれません。

しかしそうはいっても、気温40度近い熱暑のなかで、「夏の高校野球」が連日繰り広げられている事実は変わりません。そして、それは合理的とはいいがたい面があるのも間違いありません。そうである以上、甲子園が開催されるたびに、高校野球のあり方をめぐる議論は熱く繰り返されていくのでしょう。

(スタッフ: K)
(2013/8/19 UPDATE)
番組スタッフ
もはや社会問題と化したと言っても過言ではない、アルバイトによるSNSの不適切な投稿がきっかけでの炎上。
多くの人がこの問題について熟考し、議論しています。
「若者の劣化論」「学歴論」「ソーシャルメディアのリスク論」「バカの可視化論」「バイトをもっと教育すべきだ論」など、様々な意見が飛び出しました。
私自身もこの問題について色々と考えていますが、テレビのワイドショーが嬉々として取り上げるまでに至ったとなると、ことの深刻さ、根の深さを実感すると同時に、芯を食った答えを見出すことができていません。

ただ、漠然とではあるものの確信しているのは、「バカを許さない社会」が加速しているということ。
語弊のないように注釈をつけると、ここで言う「バカ」とは「学がないこと」ではありません。「ふさげること」と言い換えることができるでしょうか。
不注意なふざけた投稿がきっかけで、ネットに全てを晒され、挙げ句、何らかの未来を断たれる(職を失う、内定取り消しなど)人たちを見ていると、ここまで社会はバカに寛容でなかったかと実感しています。
ここで言う「社会」とは、大きいのか小さいのかわからないネットの世界。仮に、小さい規模だとしても、人の人生を破壊へと導くほど、有する力は強大だと言えます。

強気な投稿(過激な発言)の方がネットの世界でウケるのは明らかです。そして、「バカであること」は御法度のようです。(言い換えれば、「他人様に迷惑をかけるふざけた行為」が御法度ということ。)
数年前、テレビの世界では思い出すだけで恥ずかしい「おバカブーム」という滑稽な流行もありましたが、誰でも簡単にSNSを使うことができ、他人に自分の行動を見てもらえるようになったことで、「バカ」を披露したがる人が増えました。SNSは自身の投稿の評価を可視化しているので、それもそのはず。
「バカ」を披露したがるということはつまり、目立ちたいということでしょう。
北海道新聞にこんな記事がありました。

***********************
短文投稿サイト「ツイッター」に、札幌駅での殺人予告を書き込んだとして、札幌中央署は13日、偽計業務妨害の疑いで、東京都練馬区の無職の男(21)を書類送検した。 送検容疑は5月29日午前10時ごろ、携帯電話からツイッターに「今日正午に札駅(さつえき)で人を殺します」と書き込み、警察官約30人に札幌駅を警戒させ、道警の業務を妨害した疑い。 同署によると、男は6月3日、「自分が書き込んだ。なぜ騒ぎにならない」などと同署に自首。「ネット上で目立ちたかった。捕まるなら、気に入っている札幌が良かった」と供述しているという。

<「なぜ騒ぎにならない」とツイッターに殺人予告書き込み、自首した容疑の男を書類送検 札幌中央署:北海道新聞 08/13>
***********************

「バカ」を披露することで、目立つ、ウケると思っている人は当たり前のように存在します。
一連のアルバイト達もそうだったのかもしれません。ただ彼らも、北海道新聞記事の無職男と同じで、ウケませんでした。
私が好きなネットの「バカ」に、ヨッピーという人物がいますが、ツタンカーメン展の行列にツタンカーメンのコスプレで並ぶ、iPhone発売日の行列にiPhoneのコスプレで並ぶなどをして、新聞などに取り上げられ、確実にウケています。
完全に私見ですが、誰にも迷惑をかけることなく、ウケた「バカ」以外は許されないのかもしれません。

面白いだろうなと思ってやってみたことに、「面白くないよ」と素直に反応されるよりも、無視される方が苦痛です。よって、ネットの「バカ」が面白くない時には、無視するのがベターなのでしょう。
ほとんどの人が、「他人から認められたい」という承認欲求を持っています。SNSというツールは、承認欲求を満たすためには向いていないのかもしれません。

そして、今回の問題で厄介なのは、当事者でないにも関わらず、身勝手な正義をかざして「バカ」を処刑したがる「私刑人」の存在です。
炎上というものは得てして、火種である当事者とは無関係の「外野」が油を注いで発生する場合がほとんどです。一連の問題で言うと、フランチャイズ解除、閉店に至った店舗もあることから、当事者たちからしてみれば、事態はとても深刻。
高知県の某コンビニの場合、一念発起し、人生をかけてコンビニ経営に踏み切っていたかもしれません。
しかし、そこに過剰なまでに外野が騒ぎ立てる必要があったのか。当事者間のみで静かに問題解決の糸口を探っていたなら、もっと違う結末に至ったのではないか。色々と疑問が残る次第です。

当事者でもない外野が、当事者の全てをネットに晒して、未来を断つという処刑はあまりにも惨すぎます。
しかし、この流れは今後も消え失せることはないでしょう。今もどこかで私刑人たちが、次の獲物を探しているはずです。
議論が成熟したときに、この問題はどのような結末を迎えるのか…。注視する必要があります。
そして今あらためて、歴史上の偉人が言ったとかいう、教科書に出てきた「和を以て尊しとなす」の意味を考えてしまいます。

スタッフ:坂本
(2013/8/15 UPDATE)
番組スタッフ
従業員が悪ふざけ写真をアップして大騒動になる、という出来事が後を絶ちません。
事を起こした従業員に対しては、「さっさとやめさせろ」といったキツイ言葉から「ちょっとしたいたずらをそこまで責めなくてもいい」と擁護する声まで様々な意見があがっています。
それらはその行為に対しての意見なので理解できるのですが、不思議なのは、その話題から、いつの間にか「学歴論争」にまで発展してしまっているということです。

きっかけとなったのは、コンビニを経営する店長さんの“「うちら」の世界”と題したエントリー。
この中で店長さんは、「低学歴」=「悪ふざけをするおバカさん」というようなことを言っています。
「どうオブラートに包んでもうまく表現できないだろうから、あえて露骨な言葉を使う」と前置きした上で、悪ふざけ従業員たちを「低学歴の世界」と呼んでいます。
この記事が引き金となって、学歴に関するエントリーがいくつも生まれ話題となっています。その中で多く見られた低学歴の人の定義は、

「非常識である」
「身近な仲間だけで形成された狭い世界で生きている」
「知らない人たちから見られているという意識が希薄」
「インターネットがどういうものなのかわかっていない」


「低学歴の世界」と「高学歴の世界」は交わることがないという記事もいくつかありますが、交わることがないのにその人たちのことがなぜここまでわかっているのか不思議です。
そして、こうした非常識で低学歴の人たちが、悪ふざけ写真をアップして騒動を起こすのだと言います。

本当にそうなのでしょうか。
例えば「学歴のないこんなオレでもすごいことができることを証明してやる」というような、学歴コンプレックスからくる情熱でおバカな行為をやってしまっているというのであればそうした指摘も頷けます。
しかし、一連の悪ふざけ行為の理由はそんなものではないでしょう。
あるいは、大学で常識を学んでいないからバカなことをする、という意味なのでしょうか。大学は「人としてやってはいけないこと」を教わりに行く場所ではないわけですから、これも違うと思います。

私は悪ふざけをして炎上する人たちを擁護するつもりはまったくなく、ただそういう「非常識な人」と「学歴の低い人」はイコールである、という乱暴な結びつけは違うのではないか、と思うだけです。
学歴に関係なく、やってしまう人はやってしまうのです。
現に悪ふざけ写真騒動を引き起こした人の中には、高学歴と言われる大学生などもいたわけですし。

最終学歴が“中卒”という作家の西村賢太さんが芥川賞を受賞して話題になった時、その破天荒な言動を見て、立派な学歴を持つ私の友人は「学校へ行っていないから型破りな発想ができる」というようなことを言っていました。
けれど、西村さんが破天荒なのは「学校に行っていない」からではないでしょう。

結局、レベルの高い高校・大学で学ぶ学ばないということも含めて、その人が歩んできた人生(環境)によるものではないでしょうか。
ネット上でも「学歴云々ではなく、親のしつけの問題」「常識的な人間になるか非常識な人間になるかは家庭環境が影響する」などの意見がありました。

しかし一方でこのような声もあります。
「そういうきちんとしたしつけをする親は高学歴で収入もある。だから子供も良い大学に入ってまともな人間に育つ」
「良い家庭環境とは良い学校へ通わせてもらえること」
「しつけができない親は、勉強の大切さがわかっていない」


また学歴の話になってしまっています。こうなってくると、やはり悪ふざけ写真の問題とは大きくかけ離れてしまいます。
悪ふざけで炎上する人たちの問題を学歴の問題として片付けようとすると、どうしても話がブレて何の解決策も見出せないような気がします。
単純に、どうすれば迷惑行為をする人たちを減らすことができるかということを考えた方がいいのではないでしょうか。
私自身、吹けば飛ぶような学歴ですが、まったく関係のない話題から、そういった人たちが俎上にのるようなおかしな方向にだけは行ってほしくないと願うばかりです。

(スタッフ:武市)
(2013/8/14 UPDATE)
番組スタッフ
有名女優を声優に起用した『プロメテウス』、有名俳優や有名女優を声優に起用した『アベンジャーズ』など、俳優やタレントなどの有名人を声優に起用すると、必ずと言っていいほど批判の声がネットであがる、「アニメ映画」や「洋画の日本語吹き替え版」。
ただ、有名人を声優に起用することを全否定しているわけではないようで、『モンスターズインク』『モンスターズ・ユニバーシティ』の日本語吹き替え版で主役の声優を務めている、爆笑問題の田中裕二さんとホンジャマカの石塚英彦さんは高評価。
メディアに取り上げてもらうための宣伝目的でミスマッチな有名人を起用することには、とくに嫌悪感を抱く傾向があるようで、大ヒット公開中の宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』も例外ではなく、主人公の堀越二郎役に映画監督の庵野秀明さんを起用したことに批判の声があがっています。

たとえば、ガジェット通信が、『主人公を演じた庵野さんは「アリ」?「ナシ」?』というアンケートをとったところ、「アリ」37.6%、「ナシ」62.4%という結果となり、「ナシ」には「話題作りの素人起用はやめて欲しい」「観客動員数を増やすためや話題作りで安易に声優選びをしないで欲しい」という辛辣な意見が寄せられているようです。

棒読みで感情が込もっていないため、「プロの声優で当て直したものを、あらためて観たい」などと、わたしの周囲でもすこぶる評判が悪いのですが、なぜ、宮崎監督は、主人公の声をプロの声優ではなく、俳優ですらない、“演技ド素人”の庵野さんに任せたのでしょうか。
朝日新聞のインタビューで宮崎監督は、「海外ドラマの声優たちの、手慣れたしゃべり方は聞くに堪えない。二郎の声には角が取れていない人がいいと思いました。庵野の声は人を信用させるところがあるんです」と答えています。

さらに調べてみると、宮崎監督が庵野監督のような演技ド素人を声優に起用するのは、今回が初めてではなく、『となりのトトロ』でも、“演技ド素人”の糸井重里さんを(サツキとメイの)おとうさん役に起用。
これまた、当時は不評だったのですが、『ジブリの教科書3 となりのトトロ』(文藝春秋)に収録されている糸井さんとの対談では、その理由をこのように語っています。
*****
声優さんの声をいろいろ聞いてみたんですけど、みんな、あったかくてね、子どものことを全面的に理解している父親になりすぎちゃうんですよ。
それで、これはどこか別のところから人を連れてこなくちゃいけないって話になりましてね。
糸井さんがいいっていったのは、ぼくです。

(中略)
映画は実際、時間のないところで作りますから、声優さんの器用さに頼ってるんです。でもやっぱり、どっかで欲求不満になるときがある。存在感のなさみたいなところにね。
特に女の子の声なんかみんな、「わたし、かわいいでしょ」みたいな声を出すでしょ。あれがたまらんのですよ。なんとかしたいといつも思っている。

*****

こういった声優起用の深い話や、宮崎アニメがほとんど宣伝しなくてもヒットすると言われていることを踏まえると、「話題作り」という批判は当てはまらないような気がしてしまいます。
上手く言いくるめられているような気がしないでもないですが。

一方で、有名人の起用が多いことへの反動なのか、このところ、相次いで有名人を一切起用せず、プロの声優の起用にこだわった「洋画の日本語吹き替え版」が登場。
ネット上では称賛の声が集まっています。
たとえば、先週金曜(9日)から公開されている映画、『パシフィック・リム』。
『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ役でおなじみの林原めぐみさん、『機動戦士ガンダム』のアムロ役で知られる古谷徹さん、『機動戦士ガンダム』のシャア役でおなじみの池田秀一さんなど、ロボットアニメ好きには堪らないキャスティングが称賛の理由。
今月30日から公開される『マン・オブ・スティール』(スーパーマンの新作)も、有名人を一切起用していないため、「プロの声優にこだわった」という姿勢が高く評価されています。

個人的にはこういった声優起用が増えていってほしいとは思いますが、冷静に考えると、高く評価されたとしても、ヒットしなければ意味がないとも思います。

「タレントや芸能人の起用は諸刃の剣です。ただ、映画を観る人が少なくなっているなか、芸能人を起用してお祭り的に盛り上げたことでその作品を知り、観に行ってみようかとなる人は多いので、バッシングがあるとはわかっていても、なかなかそこから抜け出せません。だからこそ、『パシフィック〜』の結果が持つ意味合いは大きい」

これは、ハリウッドチャンネルが運営する映画情報サイト「クランクイン!」に掲載された、ある配給会社の宣伝マンが語った「声優起用のジレンマ」ですが、映画を観る人が少なくなっている現状こそが「アニメ映画」や「洋画の日本語吹き替え版」の劣化を招いているのかもしれません。

(スタッフH)
(2013/8/13 UPDATE)
番組スタッフ
スーパーの食品売り場などでは「本マグロ」という名前で販売されている「クロマグロ」。マグロには、ほかにもミナミマグロ(インドマグロ)やメバチ、キハダ、ビンナガといった種類がありますが、クロマグロの「本マグロ」という通称には「マグロのなかのマグロ」という意味が込められているのでしょう。

そんなクロマグロの漁業が危機を迎えているというニュースが8月10日、伝えられました。クロマグロ漁を管理している国際機関「中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)」の科学委員会(ISC)が、「今のままクロマグロをとり続けると、マグロの資源量がこれまでの最低レベルを下回る」という内容の報告書を公表したのです。

クロマグロは非常に広い範囲を回遊している大型の魚ですが、北太平洋、中西部太平洋、大西洋、インド洋といった海域ごとに資源管理のための国際機関があって、調査・報告や勧告をおこなっています。クロマグロが減少しているのは、今回報告書が発表された「中西部太平洋」だけでなく、世界的な傾向です。これまではどちらかというと大西洋での減少が注目されていて、地中海での乱獲が問題だと指摘されていました。しかし太平洋でも状況が深刻であることがわかり、今後は日本など関係諸国に対して、厳しい漁業規制が呼びかけられるものとみられています。

日本は、マグロ漁が盛んであるだけでなく、世界最大の「マグロ消費国」です。世界で捕獲されたマグロのうちの4分の1は、日本で消費されているのです。このクロマグロの資源管理の問題は新聞でも大きく取り上げられており、高知新聞は社説で「最大消費国である日本の国民一人一人の意識や行動も問われている」と訴えています。琉球新報も社説で、次のように指摘しています。

「日本は11年で太平洋クロマグロ漁獲総量の実に75%を占めている。目先の利益にとらわれず、行政や漁業、流通などの関係者は資源管理に向けて真剣に取り組むべきだ。消費者にもその責任の一端があることを忘れてはならない」

これまで日本では、クロマグロの漁業に対する規制がほとんどなかったのですが、このような「枯渇の危機」を受けて、最近は、漁業者に個別に漁獲高を割り当てるなど、漁業規制に真剣に取り組むべきだという意見が強まっています。ジャーナリストの団藤保晴さんは8月7日、Yahoo!個人に寄稿した記事の中で、「日本が逃げてきた本格的な漁業規制を始める好機と受け止めて、クロマグロに限らぬ漁業資源持続利用へ行動を起こす時」と呼びかけています。

クロマグロを適切に資源管理するために、まずやるべきことは「漁獲高の規制」といえますが、将来的に期待されているのが、「養殖技術の発展」です。これまでもクロマグロの幼魚を捕獲して、沿岸部に設けた生け簀で成長させる養殖が行われています。しかし、昨日8月12日に日経新聞が紹介した養殖は、陸上の水槽のなかでクロマグロに産卵をさせて、ある程度の大きさまで育て、その後、海上の生け簀に移そうという新しい方法です。まだ研究段階ですが、成功すれば、現在問題となっているクロマグロの幼魚の乱獲に歯止めをかけられるかもしれません。

このように、漁獲高の規制と新技術の開発をうまく組み合わせながら、クロマグロの資源を適切に管理していくことが求められているといえます。美味しいマグロを今後も食べ続けるためには、相応の努力と工夫が必要なのです。

(スタッフ: K)
(2013/8/12 UPDATE)
番組スタッフ
SNSの歴史に新たな記録を刻むこととなった先週2日の「バルス祭り」。
これは…人気アニメ『天空の城ラピュタ』のテレビ放映において、劇中で主人公・パズーとシータが滅びの呪文「バルス」を唱える瞬間に合わせて、Twitterなどでユーザーが「バルス」と投稿するというもの。

2011年12月9日の放映時、Twitterでの「バルス祭り」は秒間ツイート数が2万5088ツイートを記録し、世界で最も多くツイートされた言葉となりました。
そして今回の放映では、1秒あたりの瞬間ツイート数が14万3199ツイートに達し、前回を大きく上回る結果に。もちろん、世界記録更新です。

Twitterがサーバーダウンを懸念して、バルス自粛をうながした中、Yahoo!やmixiなど、ネットサービス各社も祭りを盛り上げる仕掛けを施すなど、放映前から「祭り」状態になることが予想されていました。
「バルス祭り」の発祥はある説では、10年ほど前の2ちゃんねると言われています。テレビ番組を実況する場という顔も持っていた2ちゃんねるにおいて、ラピュタ放映時に「バルス」の書き込みが殺到。
そして、それはサーバーをダウンさせるほどの数になったとか。

「バルス祭り」をテレビという名のマスコミ、いわゆる既存メディアと、Twitterや2ちゃんねるなどのネットメディアの融合と見る人もいます。
「コミュニケーション」という名をもちながらも、極めて一方通行であったマスコミにおいて、「バルス祭り」はマスコミのあり方、役割を考えさせられる現象なのかもしれません。

戦後日本を代表する政治学者にして思想家の丸山真男は『日本の思想』(岩波新書)の中で、戦後マス・コミュニケーションの役割について、こう述べています。

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共通の言語、共通のカルチュアを作り出す要素としては何といってもマス・コミが圧倒的な力をもつということになります。各集団や組織がタコツボ的(=多元的に分化した機能集団)になればなるほど、タコツボ相互のコミュニケーションというものが行われなくなりますから、タコツボ間をつなぐように見える唯一のコミュニケーションがいわゆるマス・コミュニケーションということになってくるわけであります。
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嗜好や思想も多種多様となり、それに伴い、学校、会社、サークルなど組織・集団の分化が複雑になった日本において、集団の相互間でのコミュニケーションは中々ありません。
極端な例ですが、仲良くお食事をすることが想像できないヤンキーと官僚の間で、マスコミを介して、共通言語となるのが、例えば『天空の城ラピュタ』です。

しかし、マスコミはただ一方的に「ラピュタ」を“送った”だけで、そこに受け手とのやりとりは特にありません。
日本のマスコミと受け手の間における、言語不通、コミュニケーションの無さを丸山真男は次のように指摘します。

*****************
日本のコミュニケーションの構造というものはちょっと複雑で、マス・コミュニケーションのまっただ中におけるディス・コミュニケーション――コミュニケーションの無さですね、こういう逆説的な構造を持っているように思われます。
(中略)
本来マス・コミュニケーションというものは、孤立した個人、受動的な姿勢をとった個人に向って働きかけるものでありますから、組織体と組織体との間の言語不通という現象を打開する力には本来乏しいのであります。

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マスコミにおけるディス・コミュニケーションを補うのが、「バルス祭り」なのかもしれません。
テレビで「ラピュタ」を見ながら、「バルス」とツイートするという行為は謎の一体感を生んでいます。
今回のバルス祭りの参加者の中には、企業公式アカウントも多数見られました。何と、駐日アフガニスタン大使館の公式アカウントもあの瞬間に「バルス」とツイートしています。一方では、私の地元の元ヤンキー集団も「バルス祭り」に参加していました。
「バルス祭り」を通じて、言い換えれば「バルス」とツイートするコミュニケーションによって、本来交わることのないであろう人々が同じ体験を共有しているのです。
60年あまり、戦後マスコミが果たすことのできなかった役割をネットの中の「バルス」が補完している。私にはそう見えました。

「バルス祭り」に関しては、「ミーハー」だという冷めた意見もあります。しかし私は、Twitterの盛衰はわかりませんが、次回の「バルス祭り」が今回の数字を大きく超えること、そしてそれに連携してくる他のサービスがさらに盛り上がることを期待しています。
国民的アニメによる国民的行事となるか。少し楽しみです。

スタッフ:坂本
(2013/8/8 UPDATE)
番組スタッフ
先日放送されたフジテレビ系の「FNS27時間テレビ」の「めちゃ×2イケてるッ!」のコーナーにAKB48が出演し、「まゆゆ」こと渡辺麻友さんが芸人の加藤浩次さんに顔面を蹴られるという場面がありました。
このコーナーは、加藤家にやってきたゲストに対して父親役の加藤さんが何かのきっかけでキレてプロレス技を仕掛けるというもの。
加藤さんは他のメンバーにも関節技をかけたり、キャメルクラッチ(プロレス技)を仕掛けて変顔にしたりとやりたい放題。
そして渡辺さんの番になり、ジャイアントスイングという技でグルグル回されてぶん投げられた渡辺さんはふらふらになりながら「ありがとうございました」とお約束の土下座。そして顔を上げた瞬間、加藤さんに顔面を蹴られました。
私もリアルタイムでこれを見ていて、蹴った瞬間「ああ、これは騒動になるな」と思いましたが、案の定でした。
激怒したAKBファンから「加藤を殺せ」や「加藤死ね死ね死ね」などの過激なツイートが相次ぎ大騒ぎとなりました。

AKBファンの知人にこの件に関して訊いてみると、少しニヤけた顔でこのように話してくれました。
「俺なんかはね、逆にああいうの嬉しかったりするんだよね。普段見られないアイドルの姿が見られるんだから、なんか得した気分になるというか、よくやった、とまで言いたくなる」

この知人ように、「ファンはそれを喜ぶべき」とはさすがに思いませんが、もう少し冷静になったほうがいいのではないかと思います。
渡辺さんは翌日、自身のブログで「私は全然大丈夫ですよ!ご心配ありがとうございます。この夏の一番の思い出ができました(^o^)うふ」とコメントしましたが、それでも怒りのおさまらない人がネット上で批難を続けています。
目立つのはやはり「死ね」や「殺す」といった言葉。そこまで言わなくても、と思ってしまうほど、とにかく過激です。

自分の好きなアイドルが乱暴なことをされたら腹が立つのはわかりますが、殺害予告ツイートをするほど熱くなる必要はないような気がします。
中には「芸人の質の低下がこの出来事に表れている。芸人全員を再教育しろ」というツイートまでありました。
当事者を責めるのはまだ理解できますが、芸人全体を批判するというのはおかしな話です。
それに「芸人の質の低下がこの出来事に表れている」は、さすがに何の根拠もないでしょう。

私は日頃、仕事で芸人さんと接することが多いのですが、先日、この「まゆゆ騒動」に近い出来事がありました。
ある芸人さんが定期的に主催しているお笑いライブがあり、内容は何組かの芸人がネタを披露し、途中で企画コーナーをはさむというもの。その企画コーナーに3人の若い女性の声優さんがゲスト出演した時のことです。
芸人たちはみな売れていないため、普段そのライブにはほとんどお客さんが入らないのですが、その日は声優さんのファンの人たちが詰め掛け、小さな会場は満員となりました。
いつもと違う熱気溢れる雰囲気に芸人たちは張り切っていました。
企画コーナーの内容は、芸人チームと声優チームにわかれ、一対一でちょっとしたゲーム対決をして、負けた方は罰ゲームを受けるというもの。
いざゲームが始まると、芸人チームは一切手加減というものをせず、徹底的にやっつけて、さらには罰ゲームでも無茶苦茶なことをさせました。
ノリのいい声優さんたちも「普通は気を使って勝たせるもんでしょ!」などと言っておもしろおかしく盛り上げてくれました。

芸人さんたちは売れていないとはいえ、センスのある人たちです。その手加減しなさ加減が絶妙で、私は見ていて本当に面白いと思いました。
しかし、はじめは盛り上がっていた声優ファンも、徐々にテンションが下がり、冷えた空気の中、コーナーは終了しました。
その後ライブは冷えた空気を熱くすることなく終わり、打ち上げ会場の居酒屋に移動しました。
そこで見たアンケートの内容がひどかったのです。

「あれが芸なんですか? だとしたら一生売れないと思う」
「俺は〇〇ちゃんを見に来てるんだから、芸人は出しゃばるな」
「全員殴ってやりたい」
「死んで詫びろ」


まるで芸人さんたちが一方的にひどい仕打ちをしたと言わんばかりです。
アンケートにひどいことを書かれることに慣れている芸人さんたちも、これにはショックを受けていました。
しかし、ファンの人たちにわかってもらいたいのは、全員納得の上でやっているということです。
もちろん声優さんには事前に、本気で勝負に勝ちにいくことや、罰ゲームの内容がどのようなものなのかは伝えています。
それをわかった上で声優さんたちも、どのようなリアクションをとれば面白いのかということを、その場その場で考え、必死で演じてくれたのです。
言ってみればプロ同士が協力して「面白い空間」を作り上げているわけです。それを純粋に楽しんでもらえたら、と作り手としては思うのです。

先の加藤さんの件でも、AKBもそれがどのようなコーナーであるのか承知の上で出演しているわけですから、ある程度ムチャなことをされるのはわかっているはずです。
その上で必死にリアクションをとっているわけです。
応援している人だからこそ、そのプロ根性にエールを送り、必死でカラダを張る姿を楽しむことこそが、その人を応援することになるのではないでしょうか。

(スタッフ:武市)
(2013/8/7 UPDATE)
番組スタッフ
「他人の不幸で今日もメシがうまい状態」を指すネットスラング、『メシウマ』。
“他人が不幸になったニュース”によく使われる言葉なのですが、「ローソンのアイス冷凍庫騒動」に端を発し、頻発する、「アルバイト店員による悪ふざけ写真のネット投稿騒動」でも、このメシウマという言葉が使われているのをしばしば目にします。

「個人情報ばっちり載ってる、メシウマww」
たとえば、こんな使われ方をしているのですが、騒動の当事者の個人情報(実名など)がネットに晒されていることを受けてのことのようです。

たしかに、ネットで騒動の名称と「実名」「個人情報」といったワードを組み合わせて検索してみると、ローソンをはじめ、その後に発覚した騒動の当事者のほとんどが個人情報を晒されていることがわかります。
昨日、明らかになった、「丸源ラーメン」のアルバイト店員による悪ふざけ写真のネット投稿でも、当事者の個人情報はおろか、アルバイト先に対する愚痴ツイートも晒されるなど、悲惨な状態に。
また、今朝、明らかになったばかりの、ステーキ・ハンバーグレストラン「ブロンコビリー」のアルバイト店員が厨房の冷蔵庫で遊んでいる写真を投稿した騒動でも、すでに実名が晒されています。
さらに、これ以外にも、まだ明るみになっていない、あるコンビニのアルバイト店員の新たな悪ふざけ写真がネットでは晒されているのですが、これらの当事者の名前が晒されるのも時間の問題なのでしょう。

そんななか、あるツイッターユーザーがこんなツイートをしているのを目にしました。
「対応甘いよな。もっと人生がめちゃくちゃになるレベルでボコボコにした方がいい」

このツイートからも分かるように、ネット空間には、おかしな正義をふりかざし、不届き者を懲らしめようとする風潮があります。
ときには溜飲を下げることもありますが、今回はやりすぎの感が否めません。
それというのも、今回の騒動は、法には触れておらず、悪ふざけレベル。悪ふざけの代償が「実名がネットに晒される⇒人生がめちゃくちゃ」では、あまりにも代償が大きすぎるのではないでしょうか。
今回の騒動は、実現するか否かはひとまず置いておいて、不届き者の名前を晒す行為自体を罰則の対象にすることを議論するきっかけになるような気がします。

現実問題、日本ではこうしたネット上のおかしな行為は野放しになっていますが、その一方で、海外に目を向けて見ると、イギリスでは徐々に規制が進み、現実の法律がソーシャルメディアでも適用されるケースが増えているようです。
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昨年4月、あるサッカー選手が19歳の女性への性的暴行罪で有罪となった。
性犯罪の事件では、報道機関は犠牲者の名前を報道することを禁じられている。これはソーシャルメディアにも適用される。
しかし、数人がこの19歳の女性の個人情報の割り出しをはじめ、実名がツイートされてしまった。
男性7人と女性2人が性犯罪改正法違反で有罪となり、罰金を科された。
(中略)
リアルの世界の法律がソーシャルメディアでも適用されるケースが増えている。
ネット以外の世界でやってはいけないことは、ネット界でも許されないと考えると、分かりやすい。
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※イギリス在住のジャーナリスト・小林恭子さんのブログより抜粋

また、今月3日には、イギリスのツイッターが「特定の人物に向けた罵倒や嫌がらせを禁止する」という新たなルールをツイッターに追加すると発表。
今後、ツイッターは攻撃的なツイートをユーザーが直接、通報できる仕組みを整えていくのだといいますが、「自由が失われてつまらなくなる」という意見もあがっているようです。

不届き者の名前を晒す行為が許容されるなど、自由すぎるあまり善悪の見極めも付きづらくなっている、今のネット空間。
自由すぎて問題が生じている現状を見ていると、多少のルールを設けるのはやむを得ないことのように思います。

(スタッフH)
(2013/8/6 UPDATE)
番組スタッフ
暑すぎる夏のせいなのか・・・コンビニエンスストアやファーストフードショップで、アルバイトや客が冷蔵庫に寝そべる写真をネットで公開し、批判を浴びる事件があいついでいます。

発端となったのは、高知市内にあるローソンの店舗。アルバイト従業員がアイスクリームの冷凍ケースの中に入り、アイスを下敷きにして寝そべる写真がフェイスブックにアップされました。その後、この写真がツイッターなどで拡散され、「不謹慎」「不衛生」とネットで炎上する事態になりました。

苦情はローソンにも届き、公式サイトで謝罪と処分が7月15日、発表されました。ローソンは今回の件について「食品を取り扱うものとしてあってはならない行為」として、問題のアルバイト従業員を解雇させるとともに、店舗とのフランチャイズ契約を解除しました。

続いて問題となったのは、ミニストップ。京都府向日むこう市の店舗で、若い男性客がアイスクリーム陳列ケースの中に入り、その様子を撮影した写真がツイッターに投稿され、非難を浴びました。ローソンの場合と違って、客による行為だったものの、「お客さまに不快な思いをさせた」として、ミニストップは7月25日、謝罪文を公表。陳列ケースの交換などの対応をとらざるをえませんでした。

コンビニの次は、ファーストフードです。バーガーキングの制服を来た男性が、大量のバンズの上に寝そべっている画像がツイッターで公開され、ネットで炎上しました。バーガーキング・ジャパンは8月2日、公式サイト上で「多大なご迷惑をおかけしました」と謝罪し、アルバイト従業員と店舗に対して厳重な処分を下したことを明らかにしました。

さらに、その翌日の8月3日には、弁当チェーンの「ほっともっと」(プレナス)が謝罪に追い込まれました。アルバイト従業員とみられる男性が店舗内の冷蔵庫に入って撮影した社員がツイッターに投稿され、ネットで騒動となったのです。ほっともっとは「不適切な行為を行った」として謝罪し、再発防止に努めることを発表しました。

いずれの事件も、飲食にかかわるチェーン店で起きた不祥事という点で共通します。ミニストップのケースを除けば、みな、アルバイト従業員が引き起こしたものでした。フェイスブックやツイッターというソーシャルメディアが媒介となっている点も同じ。ソーシャルメディアの拡散力を見せつけた事件といっていいでしょう。

それにしても、なぜこのよう愚かな行為に走ってしまうアルバイトが多いのでしょうか。若気の至りといってしまえばそれまでですが、考えてみると、2つの「無知」があるといえます。

1つは、冷凍ケースや冷蔵庫に寝そべることが、単なるいたずらでは済まされない問題行為であることに気づいていない点。もう1つは、フェイスブックやツイッターに公開した写真が瞬く間に不特定多数の人々の間に拡散し、「炎上」につながるリスクがあるということを知らない点です。

前者は倫理意識の問題、後者はネットリテラシーの問題です。

前者の倫理意識については、今も昔も、社会で共有されている倫理を逸脱して、アホなことをしてしまう若者はいるものです。若者だけでなく、年配でも酔っ払って、大声を出すなど行き過ぎた行為に走る人はよく見かけます。冷蔵庫に寝そべるというのはもちろん許される行為ではありませんが、当人たちは「遊び」のつもりだったのではないでしょうか。

むしろ、いまの時代を反映していると思われるのは、後者のネットリテラシーの問題です。これが欠如していると、かつてなら、ひと握りの人たちにしか伝わらず、小言を言われて終わりだったような愚行が、下手をすると広範囲に知れ渡って、従業員の解雇や店舗の休業といった一大事に発展しまうようになったのです。ネットの世界には、火事場の野次馬のように「炎上案件」に群がって、拡散することにエネルギーを注ぐ人々も大勢いるので、思いもよらぬ広がり方をしてしまいます。

おそらく、問題行為を写した写真をフェイスブックやツイッターに投稿した者は、友人など一部の人間にだけ「おふざけ」を伝えて、笑ってもらうつもりだったのでしょう。しかし、もともと小さかった火が燃え広がるのと同じように、ネットの「炎上」も、最初は小さかったものがどんどん拡大して、最後は手のつけられない状態となってしまいます。そのことに関する認識が甘かったのだろうと思います。

今回、不祥事がおきたチェーン店の本部はいずれも「再発防止に努める」としていますが、倫理意識の徹底とともに、ネットリテラシーについても、従業員に教育していく必要に迫られているといえるのではないでしょうか。

(スタッフ: K)
(2013/8/5 UPDATE)
番組スタッフ
徐々に明らかになりつつある山口県周南市金峰での放火殺人事件の実態。
ワイドショーや週刊誌、ネットを見ると、限界集落という閉鎖的な環境が、都会を経験した出戻りの容疑者を受け入れず、容疑者に対する嫌がらせのような行為を生んでいったというストーリーを目にします。

容疑者が逮捕されたことで、この事件に対する外野の反応も徐々に変わりつつあります。
事件が発生した先月21日当初、ネットの反応を見てみると、容疑者が書いたと思われる「かつを」名義での張り紙、山村での犯行で犯人が逃亡していたことなどから、事件の奇怪性に対するコメントが主だったように思われます。

『迷宮入りだな』『たたりじゃあ』『さっさと長老の所に行って村に伝わる童謡について聞けよ 』
『サスペンスだとこういう場合、犯人とされていたやつはすでに殺されていて真犯人は別にいるもんだが、果たして』

中には王道ミステリーのような展開をおもしろがるものもありました。「平成の八つ墓村」というキャッチーなフレーズが登場したのも事件直後からでした。
しかし、山中を逃走していた容疑者が捕まり、彼が小さな集落の中で孤立していた状態にあった、村人と衝突して刃物で刺された、トラブルの元だった飼い犬を農薬で殺されかけたなどという報道がなされると、世間の反応はがらりと変わります。

『しかし、15対1ってのは、納得いかんでしょ?そんなにやられたら、発狂するよね…殺人は、いけないが、心情は、わかってやれるよ。』
『保見容疑者を刺した刑事事件を村人は 些細なこと よくあることと言っててよね異常だよ村人が』
『容疑者もまさか世間にこんなに擁護されているとは思っていないだろう。』
『全国から減刑の嘆願書がたくさん届くと思います』
『結局いじめられっ子は死ぬまでいじめられっ子なんですよ生き残った村人に裁きを与えて欲しい』
『あくまでもネットの情報に過ぎないが、被害者達が犯人に対して行った数々の行為が事実とするならば万死に値するし、犯人の減刑を望む。』

擁護派の多さに驚かされます。
確かに容疑者は同情に値する状況下にあったのかもしれませんが、5人を殺害した容疑者にそんな感情を抱くことはできず、擁護するつもりももちろんありません。

まるで事件の当事者であるかのように、外野が被害者の気持ちを代弁し、時に加害者を攻撃するという傾向はよく見られます。
大津のいじめ自殺事件でも、加害者バッシングは過熱し、加害者家族の素性はネットに晒され、教育委員会関係者が暴行を受けるという事態に発展しました。
原発問題に関しても、同じことが言えるでしょう。先日、番組で取り上げた異常なまでの東電社員バッシングは、原発事故収束を遅らせうる「正義ごっこ」の暴走です。

ジャーナリスト・佐々木俊尚さんの著書『「当事者」の時代』に「マイノリティ憑依」という言葉が登場します。
「マイノリティ憑依」とは、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁すること。
今回の山口県の村人バッシングを見ても、「マイノリティ憑依」であることがうかがえます。
もちろん、勧善懲悪をうながすかのような我々マスコミの報道にも問題があるでしょう。
弱者側に立つと、確かに気持ちが良いものです。しかし、それは単なる外野の情緒的な想像である場合がほとんどかもしれません。
容疑者の絶望や苦悩を推し量ることはできません。事件の本質が何であるのか、残念ながら、昨今のマスコミの報道を見ると、それを早急に見極めるのは困難ではありますが…。

何かニュースがあると、TwitterやFacebookで自身の意見を簡単に述べることができるのはとても便利です。
しかし、事件の本質を見極められるまで、黙っていてもいいのではないかと私は思います。
例えば、今、土屋アンナさんの舞台降板問題が注目されていますが、これは当初、土屋アンナさんが稽古に参加せず、製作者サイドが「クビ」を言い渡すかのような報道がなされました。
私のある知人は即、この問題に対し、「土屋アンナ、見損なったぞ。いや、彼女ならやりかねない」とコメント。
しかし、直後、原作者の許可を得ていないことに土屋アンナさんが怒ったためのボイコットを報じられると、その知人は「土屋アンナ△(土屋アンナさん、かっけー)」とコメントしました。その変わり身の早さ、柔軟性、そして浅はかさに脱帽です。

話は逸れましたが、佐々木俊尚さんはTwitterでこう述べています。

『弱者のことを伝えることがマイノリティ憑依なんじゃなくて、「弱者の立場を知ってるから俺は最強なんだ」と思い込むことがマイノリティ憑依。弱者のことは伝えたい、でもその位置と自分の位置との間に絶望的な距離があるってことを知るのが必要。そして伝える。』

攻撃する材料があれば、当事者に加担して、あるいは成り代わり、徹底的に叩く。
「マイノリティ憑依」は今後も続いていくことでしょう。
山口の例を取って見ても、村人による「いじめ」のような行為が事実だとしたら、怒りは芽生えます。しかし、事件を俯瞰視するには佐々木俊尚さんの言うように、当事者と外野の間にある「絶望的な距離」を意識する必要があるのでしょう。
外野で騒いでいる人たちを見ると、「絶望的な距離」を無視して、「マイノリティ憑依」できている自分に陶酔しているだけはないか。そう思うこともしばしばです。

スタッフ:坂本
(2013/8/1 UPDATE)

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