DAILY NEWS ★あなたの気になる特集内容は?ソーシャルボタンでシェアしよう!

番組スタッフ
「ルパン三世」の実写映画化が決まりました。
ルパン三世を小栗旬さんが、次元大介を玉山鉄二さんが、峰不二子を黒木メイサさんが演じるなど、既存のルパン三世のイメージに強パンチを食らわすかのようなキャスティングも話題を呼んでいます。
国民的な人気を誇る作品の実写化が「朗報」なのか「悲報」なのかはわかりませんが、何やら嫌な予感がしたのは私だけではないでしょう。
先週は、日本のみならず海外でも評価の高い「寄生獣」の実写映画化のニュースもありました。
「ルパン三世」「寄生獣」以外にも、「魔女の宅急便」「パトレイバー」「タイガーマスク」「銀の匙」といった名作の実写化映画の公開が控えています。

言わずもがな、マンガ・アニメの実写化作品が興行的に成功しているとはお世辞にも言いがたい状況です。
原作ファンの失望、喜ぶのは出演俳優のファンだけ…といった嘆きの声は多く耳にします。

失敗と失望が連続するためか、実写化ニュースが流れるたびに、多くの人の覚える嫌な予感。
過去に目立った成功例はないのでしょうか。こういった日本のマンガ、アニメの実写化にと比較されるのが、アメコミの実写映画化です。
アメコミはなぜ実写化が成功するのか?アメコミの成功を分析すれば、日本でも同じことがおこりうると考えがちですが、日本のマンガとアメコミは並列で比較するのは大変難しいようです。
映画評論家の町山智浩氏はアメコミの実写化成功について、雑誌『BRUTUS』のアメコミ特集の号でこう語ります。

****************
「アメリカ人は本当にコミックヒーローが好きなんだなあ」と思っている人も多いかもしれませんが、アメリカではこの手のコミックは誰もが読んでいるものではありません。そもそも『スパイダーマン』のコミックがヒットしたのは1960年代。その後はアニメなどで放映されたので、子供の頃に見ていたという人は多いですが、現在もコミックをフォローしている人は、昔から読み続けている一部マニアが中心で読者層は高齢化しています。アメコミを売っている店は大きな町に1、2軒しかない現状ですから。
<BRUTUS 2012 7/15>
****************

アメリカにおいて、アメコミの定期購読者は実に少数派。スパイダーマン、バットマンなどを誕生から追っている熱心なファンは少ないというのです。
知らない前提ならば、余計な先入観もなく、観る側はすんなりと受け入れることができます。
日本でも30年、40年前の往年の名作が実写化されることがありますが、「今さら何故?」という疑問が沸き起こります。
アメコミの実写化においては、この「今さら何故?」感が少ないようなのです。
同BRUTUSの中には、日本のマンガとアメコミの違いについて、以下のような記述がありました。

****************
日本のマンガとアメコミの最大の違い。それは「作品」と「作家」の関係性ではないだろうか。
日本のマンガでは基本、作品と作家は不可分の関係といえる。しかし、アメコミの場合は事情が異なる。著作権が作家ではなく出版社に帰属するという背景もあり、ある作品を何人ものアーティストが描き継ぎ、数十年にわたってキャラクターの鮮度を保ち続けるシステムが確率されているのである。
<BRUTUS 2012 7/15>
****************

日本の場合、名作マンガはほぼ1人の作家によって生み出されているので、アメコミのシステムを導入するのは難しいかもしれませんが、似たようなシステムでキャラクターの鮮度を保ち続けている作品としては「サザエさん」や「ドラえもん」が挙げられるでしょう。

挑戦しては打ちのめされる日本のマンガ、アニメで実写化。なぜ原作者はそれを許可するのでしょうか。
実写映画化された『カイジ』の作者・福本伸行氏はこう語ります。

****************
「出来上がった映画を観て、なんだコレ、つまんない。マンガも読まないよ、と思う人もいるかもしれない。けれど、そうではないところでマンガはすでに確立され、ファンもついているわけですから」
<週プレNEWS 人気漫画の実写化は、監督の作家性が強いとファンの反感を買いやすい?>
****************

実写化は不評であろうが、実写化による原作へのデメリットはないというのです。
確かに、不評な作品によって原作が足を引っ張られることはないでしょう。批判の矛先は全て、スタッフと俳優に向かうからです。

私が学生の頃、学校の文化祭である国民的人気アニメのオリジナル舞台演劇がありました。
出演者は学校の生徒なので、全員素人。ど素人だらけの芝居にもかかわらず、ストーリーも記憶に残らない程度だったにもかかわらず、その芝居はそこそこ受けていました。
素人たちの芝居の何がおもしろかったのか。
それは、「内輪ウケ」だったから。携わった人、親しい人だけがおもしろいと思っていたのです。

マンガ、アニメの実写化にも同じことが言えるかもしれません。
多くの大人の事情、政治をはらんだ実写化。その制作に携わる関係者、出演俳優のファンだけの「内輪ウケ」なのです。
作品の関係者はつねにごく一部。観る側の多くは「客観的」に観賞します。観る側の客観性を無視した内輪ウケの作品は、今後も量産されていきます。
やってる自分たちだけが楽しい。そんな気持ちが反映された作品が、成功しないのは当たり前です。

スタッフ:坂本
(2013/11/28 UPDATE)
番組スタッフ
とあるツイッターユーザーが投稿した写真が話題となり、電車内でのマナーについて議論が起こり紛糾しています。
その写真とは、電車内で座席に座ったお年寄りが荷物を横に置いて、2人分の座席を確保しているというもので、「後からお友達がくるそうです。おとしよりはえらいですね」というコメントとともにアップされました。
その後、「おっとおともだちに連絡をとるため電話開始だ」と、お年寄りが電話で喋り始めたと思われるツイート。
写真が投稿されてから約2日間で900件を超えるリツイートがあり、お年寄りのマナーについて、
「しょっちゅう見かけますよね」
「勝手に写真撮るのもどうかと思うけど、まあ電車乗ってるとマナー悪いのは大概年寄りだわ」
などといった批判的なコメントや、
「お友だちもお年寄りならいいんじゃね、いちいち譲る手間が省ける」
「足も腰も痛いんだよ 大目に見てやれよ 」
などといった、あきらめや擁護する声もあったようです。

私が驚いたのは、マナーの悪いお年寄りがたくさんいる、よく見かける、といった声が多数あるということです。
果たしてそんなにいるでしょうか?

私がよく見かけるのは、電車内でメイクをしている人、ヘッドフォンから音が漏れている人、酔っぱらって座席で横になって寝ている人(3人分占有している人も)、
そして酔っぱらって吐いている人もよく見かけます。
私はこれらのことをお年寄りがやっているところを見たことがありません(かといって若者に限ったことでもない)。
私が遭遇していないだけで、マナー違反をするお年寄りというのもいるのでしょうが、スレッドが立てられて色んな人から叩かれるほど多くはないでしょう。

ではなぜ、お年寄りのマナーの悪さがこれほど叩かれるのでしょうか。
叩いている人たちは主に若い人だと思うのですが、やはり「最近の若者は…」といったお決まりの言葉でマナーの悪さを指摘されることへの鬱憤があるような気がします。マナーが悪い=若者、といった決めつけで槍玉に挙げられることによる反動で、ここぞとばかりに叩いて溜飲を下げているのかもしれません。
ただでさえ若者のせいにされることへの腹立たしさがあるところへ「最近の」がつくことによって更なる怒りを買うのです。
私が10代の頃は「最近の若者はすぐキレる」などと言われたりしましたが、最近に限ったことではないだろ、と反発する気持ちが湧いたものでした。
こうした言い方はもういい加減やめにした方がいいでしょう。

しかし同じようにイメージ先行で、ネット上でマナーの悪さを必要以上に叩かれているのが「おばさん」です。
例えば「列に強引に割り込んで来るおばさん」。
「いるいる」と思った方は多いかもしれませんが、本当にそれほどいるでしょうか?
「人を突き飛ばすようにして入って来るんだよおばさんは」といった書き込みもありましたが、そんな人私は見たことがありません。
あるとすればテレビの中です。
ドラマなどではおばさんがマナーの悪い人物として登場することがよくあり、横入りするのもほとんどがおばさんです(私が見た限り)。
「最近の若者」と同じで、おばさんにとっては迷惑な決めつけです。
そうしてイメージが悪くなり、何かちょっとしたことがあると、「やっぱりか」と必要以上に叩かれるわけです。
そしてもし本当に見たことがあるのだとしても、人はたった一度でも見ようものなら、他人に言う時には大袈裟に「しょっちゅう見る」と言ってしまうものなのではないでしょうか。

マナー違反をした人のことを言うのであれば、その人のやった行為についてのみコメントし、「最近の若者云々」「おばさん云々」といった決めつけや、見たこと以上にオーバーに言わないよう気をつけたいものです。

(スタッフ:武市)

(2013/11/27 UPDATE)
番組スタッフ
8年の歳月と50億円という製作費を費やした、高畑勲監督の14年ぶりの最新作『かぐや姫の物語』。
先週末の映画動員ランキングで初登場1位になったものの、興行収入は2億8425万2550円。
『風立ちぬ』の公開1週目が9億円超だったことから考えると、やや物足りないスタートと言えるのかもしれません。
興行収入の物足りなさとは対極に、「声上げて泣いた」「素晴らしい映像表現だった」など、ネット上では絶賛する声が多く見られるこの映画。
確実に1800円を払う価値のある映画だとは思うのですが、映画の出来のよさ以上にわたしの心に引っかかったのは、パンフレットに何気なく記されている、高畑監督が持つ狂気の一面でした。

*****
監督・高畑勲の映画を作る。今から約8年前、ぼくは高畑家へ通いはじめた。
しかし、高畑さんとの映画制作は困難に満ち満ちていた。「映画を作ってほしい」と何度頼んでも首を縦に振ってはくれない。
「かぐや姫を作るべきだとは言ったが、わたしが作るとは言っていない」。そう言う高畑さんと、週6日、毎日12時間を共にした。
高畑さんが監督を引き受けてくれたときには、すでに1年半が経過していた。その後も映画制作は難航する。「かぐや姫」に定まってからの脚本作業も、完成までに1年半を要した。絵コンテ作業も牛の歩みで、ペースは月に2分間。
絵コンテが30分できる頃には、企画開始から5年が経っていた。
<「『かぐや姫の物語』パンフレット」より抜粋>
*****

これは、『かぐや姫の物語』のプロデューサー、西村義明さんが寄稿した「映画監督・高畑勲との8年」というテキストのほんの一部分。
絵コンテが30分できるまでに5年の歳月を要する…この部分からとくに狂気を感じますが、これはまだまだ序の口。
調べれば調べるほど、狂気のレベルは上がっていきました。

たとえば、宮崎駿監督が明かす、こんなエピソード。
*****
作品に入ったら、必ず数回、「こんな作品は出来ない!」と叫び出すのも決まりです。本人は理路整然のつもりで、その不可能性について滔々と論じはじめ、聞き役にされたプロデューサーとか、同僚とかを茫然とさせるのですが。
私達古い仲間はこれを通過儀礼として無視する事にしています。もちろん、聞き役にされた人に多大な同情を感じながらですが……。
<『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店)より抜粋>
*****

さらに、代表作2本に向けられた狂気は、わたしの予想を遥かに超えていました。

●『おもひでぽろぽろ』に向けられた狂気
*****
舞台は山形で、紅花摘みがテーマです。高畑さんは「どうやって作っているか」に興味がある人ですから、紅花づくりの実際の作業を見たい。それで、まだ何もできてないうちに、シナリオハンティングをしたいと言う。しょうがないので二人で山形へ行った。
ここが高畑さんですが、彼は山形に行っているあいだに、演出助手に命じて、日本で発売されてる紅花の本を全部集めさせていました。戻ってからこの紅花の本を一生懸命読む。
そのうちに紅花について書き込んだ大学ノートが一冊、完成します。「紅花はこうして作る」という、紅花研究本ができてしまうんです。
紅花の摘み方から作業の仕方まで、全部、ちゃんと映画のなかに出ています。これは高畑さんの研究成果です。
<『仕事道楽 -スタジオジブリの現場-』(鈴木敏夫著/岩波新書)より抜粋>
*****

●『火垂るの墓』に向けられた狂気
*****
『火垂るの墓』でも、空襲シーンで、B29の飛んでくる方向が気になる。「どこから飛んできたか?」。当時の記録を全部、調べるんです。
主人公の清太の家から見上げたとき、どっちになるか、それを問題にする。
あの映画をご覧になった方でもおそらくお気づきじゃないと思いますが、じつはそうした方位・方向など、ちゃんと正確なんです。
<『仕事道楽 -スタジオジブリの現場-』(鈴木敏夫著/岩波新書)より抜粋>
*****

「高畑さんて、大変な人なんですけど、実に面白くて。やっぱり魅力的なんですよね。」
スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さんからこのように評される高畑監督。
周りからはなかなか理解されない狂気な一面を持ち続けているからこそ、『かぐや姫の物語』の常識外れの映像美を生み出せたのかもしれません。

現在78歳の高畑監督は、宮崎駿監督の引退について「もったいない、もっとやればいいのに」と話していたといいますが、次回作が観られるのは一体何年後になるのでしょうか。
ちなみに、高畑監督が次回作に考えているのは、『平家物語』。これまた常識外れのテーマでうれしくなってしまいます。

(スタッフH)
(2013/11/26 UPDATE)
番組スタッフ
「百万円札」をめぐる騒動が東と西でおきています。

今月中旬に話題を呼んだのは、岩手県盛岡市のショッピングセンターのレジから「百万円札」が見つかったというニュースです。

一見すると一万円札に見える外観ですが、よく見ると、そこに書かれているのは「百万円」という文字。そして、福沢諭吉に似た「贅沢諭吉」が描かれていて、ニヤついたような表情をしています。

さらに「贅沢銀行券」「贅沢付箋印刷局製造」とまで書かれていて、本物の紙幣ではないことがわかるようになっています。しかも裏面は真っ白。実はこの「百万円」は大阪の文具メーカーが面白グッズとして販売していた、紙幣大の付箋だったのです。

どうやら、レジ係の人は一万円札と勘違いして受け取ってしまったのではないかと思われますが、それにしても、なぜこんなニセ札に気付けなかったのかという疑問が残ります。

同じような事件は今月上旬に、大阪でもおきていました。

大阪府吹田市のたばこ店で、男子高校生の二人組が一万円札にみせかけた「百万円札」を差し出して、千円札10枚と両替したというのです。

使われたのは、やはり面白グッズとして市販されていたものですが、こちらは「日本銀行券」の代わりに「見本銀行券」と書かれているそうです。百万円札メモ帳として販売されていたものを、高校生が悪用したのです。

たばこ店の店主は目が悪かったために、だまされてしまったようですが、両替したあとにニセ物だと気付いて、110番通報。その後、しばらくして、高校生たちは逮捕されました。

興味深いのは、岩手と大阪のケースがいずれも、「通貨偽造」容疑ではなく、「詐欺」容疑で捜査されているということです。

そもそも「百万円札」という紙幣は存在せず、ちゃんと見れば、ニセ札だということはすぐわかるので、通貨を偽造したとまではいえない、ということのようです。

刑事事件に詳しい弁護士は「通貨偽造行為を処罰することによって守られるべき『法益』は、通貨に対する一般人の信用」であり、「誰が見ても、ニセモノだとすぐに判る偽札を作ったところで、そのような混乱が生じるおそれはありません」と述べています。

ただ、人をだまして財物を得たのは「詐欺」にあたるので、普通は本物に見えない「おもちゃのお金」でも、それを悪用すれば、犯罪になってしまうというわけです。

ネット通販のアマゾンで「百万円札」で検索すると、今回の事件で使われたのではないかと思われる「百万円札メモ帳」や「百万円札ふせん」といった商品が出てきます。

たしかに面白グッズとして楽しそうですが、使い方を誤らないようにしたいものです。

(スタッフ: K)
(2013/11/25 UPDATE)
番組スタッフ
先日、都内の某書店に足を運んだ際、その書店が企画するあるコーナーに目を引かれました。
企画のタイトルは「友達なんていらない!」。
『「孤独」が一流の男をつくる(著:川北 義則)』『君に友だちはいらない(著:瀧本 哲史)』『孤独であるためのレッスン(著:諸富 祥彦)』といった友達のあり方を考え直す、あるいは1人でいることをすすめる本が並んでいました。
中でも私が気になったのが、気鋭の論客として様々なメディアで最近、その名を目にする瀧本哲史氏による『君に友だちはいらない』。世界経済のグローバル化により、新たな組織の仕組みが再構築される「夜明け前」の今を生きるための「チームアプローチ」論を通じて、ほんとうの友だち、真の仲間のあり方に迫っています。

こういったコーナーが登場するのもうなずけます。
震災の「絆」連呼あるいはそれ以前からか、仕事の仕方、ライフスタイルを取ってみても、1人でいるのではなく、2人以上の複数でつながることを善しとする風潮があります。
何よりもコミュニケーション力が問われる職場。
リア充の反意語として、自嘲的に使われる「ぼっち」という言葉の浸透。
「ぼっち」を悟られたくないから、トイレで弁当を食べる昼食タイム。
「仲間」の良さを訴える少年マンガ。
実生活の孤独を補完するかのように、誰かとつながることのできるSNS。

絆、つながる、仲間という言葉の無駄遣いにも近い連呼は、気持ちのいいものではありません。
海賊をテーマにした国民的人気を誇る少年マンガに「仲間」という言葉が何度も登場するためか、私の周りにも、そのマンガにあやかってか、もともとファンなのか「俺たちは仲間だ」「俺は仲間を大事にする」と惜しみなく口にする30代半ばの男性がいます。
彼が「仲間」という言葉を耳にするたびに、頭の中に疑問符が沸き起こります。

また、私の自宅近所のバーは「おいしい酒+仲間」といったフレーズを看板に記載しています。
その看板を見て、何だかお尻がむずがゆくなるのは私だけでしょうか。

意地の悪い見方かもしれませんが、こういった人々は「仲間ごっこ」がしたいのではないか。
「仲間」「絆」といった密な関係性を意味する言葉は、該当者みずからが口にしないのが一番良いのではないか。そう私は思います。

「個」の世界の外堀はすでに、友達が大勢いる=善という考えで埋め尽くされています。
ひとたび外に出て、もし友達がいなかったら…とてつもない孤独を感じます。友達のいない自分が何かいけない存在かのように感じてしまうのです。
何かを成し遂げたくてもうまく成し遂げられない人、つまり友達を作りたくても作れない人はいます。
友達多い=リア充といった考えが蔓延する世の中へのアンチテーゼであると同時に、友達を作りたくても作れない人への救済として、「孤独のすすめ」的な本が目立って取り上げられているのでしょう。

私はあまり友達がいません。生活の変化などもあり、年々、気軽に遊べる友達がいなくなっているような気がします。年々友達が減っていく一方で、年を取っても本当に話がしたい、一緒に食事をしたい友達だけに選別されたと捉えています。
友達、親友とは何なのか。この問いに対する私自身の明確な答えはありません。
しかし、最近、しっくりくるのは、宮藤官九郎さんとみうらじゅんさんの対談本『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』の中に登場するみうらさんのこんな意見です。

******************
親友だと思っている相手にはどこまでも気に入られたいっていう願望がある。友達にはいいことも嫌なことも言うけど、親友ってなったら嫌われちゃうようなことはまず言わない。
(中略)死ぬまで気に入られたいんだもん。
******************

孤独であることに真剣に悩んでいる人に、表面的でもいいから友達を見つけろ、孤独を楽しめなどと無責任には言えませんが、友達ごっこが蔓延する世の中のサバイバル手段は身につけておくべきかもしれません。


スタッフ:坂本
(2013/11/21 UPDATE)
番組スタッフ
映画館に来た客に対してグッズなどをプレゼントする来場者特典。
客にとってはお得感たっぷりの来場者特典ですが、それに関するちょっとした騒動が起こりました。
それは、大分市の映画館「T・ジョイ パークプレイス大分」が、劇場版のアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の限定特典を手に入れた一部の客が、映画を鑑賞せずにそのまま帰ってしまうことについて、映画館のツイッターアカウントで苦言を呈したというもの。

「『まどか☆マギカ』をご覧になるお客様、劇場を利用して頂き、有難うございます。1つだけ言わせてください。特典が欲しいのは分かります。
が、チケットを購入して入プレ貰ってそのまま出口から出て次の回を待つのは映画的に本末転倒ですし、一個人のファンとして不快です。映画を楽しんでください!」


これに対し一部のファンから「客が金出してるんだから特典目当てでも問題ない」や「客を小馬鹿にした発言」などとクレームが殺到し、映画館アカウントは、次のように発言の意図を説明します。
「入場者特典を配って、貰って、それで終わり、という映画館は悲しいじゃないですか」「特典の価値ではなく、映画館そのものや、映画を観ていただいて、お金を払う価値を納得して頂きたいのです」
しかし炎上は収まらず、「T・ジョイ パークプレイス大分」はサイトに謝罪文を掲載し、管理体制が整うまでツイッターアカウントを停止すると発表しました。

問題となったツイートは「一個人のファンとして不快」という言葉からもわかるように、相当頭にきていることがわかりますが、やはり一個人の意見を組織のツイッターで発信してしまうのは配慮が足らなかったと思います。
もうひとつは「不快です」という感情的な言葉。初めから発言の意図説明のような文であったならば、こんなことにはならなかったでしょう。

けれど、気持ちはわからないでもありません。
というのも、映画を観てもらいたいという純粋な思い以外に、その背景には、来場者特典をネットオークションで高値で取引するのが目的の人がいる、という問題があると思うからです。
「魔法少女まどか☆マギカ」の来場者特典はレアなものは数万円(高いものは10万円)で取引されるといいます。
今回の来場者特典として色紙が配布されたそうですが、ネットオークションに『まどか☆マギカ』のキャラクター原案を手掛ける蒼樹うめさんの直筆イラストを装った色紙が出品され、ツイッターで蒼樹さんが偽物だと明言するという騒動も起こっています(色紙は3万円で落札された)。

今回問題のツイートをした人は、実はこうしたネットオークションに出品する行為(偽物か本物かは関係なく)に対して強い憤りを覚えているのではないか、と私は思いました。
特典だけもらって出ていく人に対して「ひょっとしてオークションで売りさばくんじゃないのか」という疑念があり、けれどはっきりとそれをつぶやくわけにはいかず、そんなもどかしい思いが「不快」というキツめの言葉として吐き出されたのではないか、そんな気がするのです。
私は某テーマパークでのキャラクターショーに仕事で関わることがあるのですが、そこでも来場者特典の転売が問題となったことがあり、スタッフ(特にチケットと引き換えに特典を客に手渡す女性スタッフ)が激しく立腹していました。
今回の件も、映画は一度観たからもういい、でも特典はどうしてもほしいという熱烈な『まどか☆マギカ』ファンだけに対し、果たしてそれほどの怒りを向けるだろうか、と思うのです。
もし、今回のツイートが転売する人に対する怒りというのであれば、映画館が公式にそのことをツイッターで発信するべきだったのではと思います。

では、ただ特典がほしいだけの熱烈ファンにはどう対応すればいいのか?
確かに、特典を手にした途端Uターンして映画を観ずに帰っていく、という行為を目の前でやられるといい気分はしないでしょう。
けれど、そこはもう「そうまでして特典を集めたいほどこの作品のファンなんだな」と思って諦めた方がいいのではないでしょうか。

(スタッフ:武市)

(2013/11/20 UPDATE)
番組スタッフ
2ちゃんねる元管理人の西村博之さんがアグネス・チャンさんに向けた「公開質問状」をきっかけに巻き起こった、日本ユニセフ批判
ユニセフ批判については散々議論されているので、とくにわたしから言うことはありません。
わたしが気になっているのは、パロディニュースサイト「虚構新聞」が昨日(18日)アップした「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」というユニセフ批判に関連した記事と、それをめぐる一連の騒動です。

この記事は、「公益財団法人日本ユニセフは17日、これまで使途が不透明だとして批判されてきた同団体への寄付金について、来年度から透明化を徹底させると明らかにした。」という書き出しで始まり、透明化の具体策として「地上40階建て全面総ガラス張りの新本部ビルの建設」などと記したもの。
あくまでもパロディーニュースですが、この記事に対し、昨日の14時23分に日本ユニセフ協会から削除要請があり、8分後の14時31分に削除するに至ったのだといいます。

さらに、記事を削除後、虚構新聞は『本紙記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」についてご報告』という記事をアップし、問題となった記事の意味をこと細かに説明しています。
これは言うなれば、ボケたお笑い芸人が、その直後にボケの笑いどころを説明するようなもの。
いわば、虚構新聞に対する公開処刑。気の毒でなりません。

少し話は逸れましたが、虚構新聞の記事をめぐる一連の騒動について、ネットの反応を見ていると、とくに目についたのが「虚構新聞が風刺サイトとはとても思えない」「風刺ってセンスも知性もない人がやっても全く面白くないんだな」といった、“虚構新聞には風刺性がない”という趣旨の批判的な書き込み。
こうした批判は、虚構新聞を“悪ふざけを面白がるサイト”だと認識し、風刺性を求めていなかったわたしにとっては意外なもの。多少の違和感すら覚えました。

なぜ、一部のネットユーザーは、虚構新聞を風刺性がないと批判したのでしょうか。
『イギリス人のユーモア―日本人には思いつかない』(北村元著/PHP研究所)には、風刺について次のようなことが綴られています。
*****
諷刺とは、道徳律を破るような行為がなされた時に、それが引き金となって生まれるユーモア、ということになろうか。
諷刺には鋭い切れ味が必要なのはいうまでもないが、切る者の根底には、道徳観が存在していなくてはならない。

*****

そもそもの発端となったユニセフ批判は、あくまでも噂がもとで、根も葉もないもの。
虚構新聞に風刺性を求めていたネットユーザーは、道徳律を破るような行為を犯していないユニセフに対する一方的ないじりに不快感をおぼえたのかもしれません。

(スタッフH)
(2013/11/19 UPDATE)
番組スタッフ
小泉純一郎元首相が11月12日午後、日本記者クラブで記者会見を行い、「安倍首相が決断すれば『原発ゼロ』ができる」と述べ、現政権に対して「脱原発」へと舵を切るよう求めました。

2006年に首相を退任して以来、「テレビ出演も一切していない」という小泉元首相。久しぶりにメディアの前で話すとあって、記者会見の会場には400人近い報道陣がつめかけたそうです。

その注目度にふさわしく、この「原発ゼロ」会見はテレビの報道番組で大きく取り上げられました。ところが、翌日の新聞各紙を見てみると、新聞によって扱い方が大きく分かれたのです。そこには、各紙の「原発」に対するスタンスがはっきりとあらわれていました。

小泉会見の翌日の11月13日。東京都内のコンビニで売られている新聞6紙(朝日・読売・毎日・産経・東京・日経)を買って、比較してみました。

まず、一面トップで小泉元首相の会見を取り上げたのは、朝日新聞と東京新聞。朝日は<原発「即ゼロ」首相に迫る>という大見出しで、小泉元首相が指差している写真を掲載しました。

東京新聞も<原発「即ゼロ」に><小泉氏、首相に決断促す>とほぼ同じ見出しで、会見についての記事を掲載したほか、その横に<発言通り
再稼働は非現実的>というタイトルの解説記事を載せました。

朝日新聞と東京新聞はいずれも福島第一原発事故のあと、「脱原発」の論調を打ち出しています。特に東京新聞はその主張が鮮明で、「脱原発派」の人々から強く支持されています。そのような二紙の姿勢が、小泉会見の一面トップにあらわれているといえます。

一方、一面の左肩に<「首相決断で原発即ゼロ」>という見出しの記事を掲載したのは、毎日新聞です。ただ、朝日や東京に比べると、記事の分量は少なく、小泉元首相の写真も小さめでした。

そして、残る3紙、すなわち、読売・産経・日経は、小泉会見の記事を一面に掲載しませんでした。これは、朝日・東京・毎日と対照的な姿勢です。

読売新聞は4面(政治)で、このニュースを扱い、その面の真ん中上部に<小泉氏「原発『即ゼロ』がいい」>という3段見出しの記事を載せましたが、すぐあとに<細田氏「正しくない」>という見出しの記事を掲載。自民党の細田博之幹事長代行の反論を紹介しています。

産経新聞は、3面(総合)の左肩に<小泉氏 原発即ゼロを>という3段見出しの記事を掲載しましたが、<発言エスカレート
自民は対応苦慮>というサブの見出しも加え、どこか否定的なトーンで伝えています。

記事の大きさがもっとも小さかったのは日経新聞。3面(総合2)の一番下に<処分場、日本はメド立たず><小泉元首相、原発即ゼロ訴え>という見出しのごく小さな記事を掲載。他の5紙と違って、写真はありませんでした。

読売新聞は紙面で原発を推進してきたことで知られますし、産経新聞は現政権に近いスタンスをとった記事が目立ちます。また、日経新聞は財界よりの論調をとっており、脱原発には消極的な姿勢といえます。そのような各紙のスタンスが、小泉会見の小さめの扱いにあらわれているといえるでしょう。

小泉元首相の「原発ゼロ」会見は世の中に大きなインパクトを与えましたが、その報じ方で新聞の立ち位置がわかるという点でも、興味深いニュースでした。

(スタッフ: K)
(2013/11/18 UPDATE)
番組スタッフ
はてな匿名ダイアリーで「ダサいという罪」という投稿を見つけました。その内容を簡単にまとめると以下の通りです。

・おしゃれが好きというわけではないが、自分なりにお金をかけ、清潔感をなくさないよう、うかないような服装をしていた投稿主。
・しかし、自分の服装がダサいと気づかされ、プライドが傷つく。
・それ以降、おしゃれをするのが苦痛となり、外出も億劫に。
・たまに洋服屋に行くと、おしゃれでかわいい女の子たちから「ダサいのは罪だ、出て行け」と言われているような気になる。
・おしゃれという努力ができない自分が嫌い。そんな努力ができる女の子に憎しみの矛先を向けてしまう。

自分のダサさに耐えられなくなったというこの投稿は100ツイートされるほど話題を呼んでいるようですが、果たして、おしゃれの放棄、「ダサい」ということは罪でしょうか?
おしゃれやセンスなんて好きずき、外面よりも内面を磨くべきといった批判もあるかもしれませんが、私が投稿主(おそらく女性)にまず共感を覚えたのは、「うかないような服装」を心がけていたという点です。

以前、男子大学生数人と話をする機会があったのですが、皆、同じような格好をしていました。皆がチェックのシャツを着てきたかと思えば、再び彼らと会った別の日は皆、ダンガリーシャツで決めてきました。もちろん、示し合わせておそろいの服を着てきたわけではありません。偶然、同じになってしまったそうです。
しかし、彼らは服装が「かぶって」しまったことをとても恥じていました。
別にこの「同調」の風潮は今に限ったことではないと思います。
私が大学生だった10年ほど前も、キャンパスの中でういた格好をするのも嫌だし、皆と完全に同じ服装も嫌だという身勝手なせめぎ合いの中で、結局、仲のいい連中は同じような系統の服で統一することで落ち着いていました。

「同調」が重んじられる昨今、「ういてしまう」ということは暗に孤立を意味します。 服装にしても、思想にしても同じかも知れません。
しかしそれでも、人は「他人とかぶる」ことを嫌うから不思議です。

就活では皆が皆全く同じような格好をします。まったくの奇習です。
私自身、そんな奇習に参加していた頃、皆と同じような格好をしていましたが、ネクタイは少しだけ人と違った派手なものにしてあらがってみました。しかし、それが功を奏したという手応えは皆無です。
やはり、俯瞰視すれば皆と同じなのであり、私の小さな抵抗など無に等しいのでしょう。
それでも、同調を重んじる空気の中で、他人と違った小さな抵抗をして自己承認を求める人は当たり前のように存在すると思うのです。

ういてしまわないよう注意を払いながらも、ギリギリのところで人と違っていたいという欲望。
そんな気持ちの中で、投稿主は周りと「同調」していたのではないでしょうか。
そして、細心の注意を払ったにもかかわらず、自分が「同調」したいと思っていた人たちの同類でないと気づかされたとき、彼女は絶望を感じたのかもしれません。

皆と同じようにしていたけど、それが「同じ」というレベル未満だとわかってしまったとき…、普通の人は絶望してしまいますが、精神が屈強な人はそうではありません。
「他人とは違う」「ういている」ということに悦びを感じます。

私の知人に全身ブランドづくめの30代前半の社長(男)がいます。彼が身にまとうスーツはいつも、絵の具だったら絶対に使わないような青色や果物のあけびのような紫色だったり、光の加減によって色が変わる生地だったりします。ビジネススーツのグローバルスタンダードと言われる、紺やグレーを着ているのは見たことがありません。
どこで買っているのか一度聞いてみたところ、仕立ててもらった一品ものとのこと。
自分が彼と同じ服を着たいとは決して、絶対に思いませんが、私は彼をダサいとは思いません。
とんでもない色をしているにも関わらず、吉本新喜劇でよく見る派手なスーツのチンピラのような下品さがないのです。

一般的なオシャレ、いわゆる見た目の同調とは一線を画し、我が道を行く30代社長からは凄みを感じます。
仕事においても、彼は決して、「皆と同じ」ではありません。彼の会社の業績はやはり同業より抜きん出ています。

「ダサいのが罪」なのではなく、明らかに「ういていること」を罪とする風潮があります。その空気の中から抜け出すのは、誰でもできることではありません。
私たちのような「ういている」ことを異常に恥ずかしいと思う凡人は、ただ「清潔であること」を心がけていればそれでいいのではないでしょうか。
オシャレ、ダサいはさておき、見た目をキレイに、清潔にしておくことに少なくとも損はないはずです。

スタッフ:坂本
(2013/11/14 UPDATE)
番組スタッフ
アイドルグループ「HKT48」の指原莉乃さんの、ある深夜番組での発言に批判の声が上がっています。
番組内での、映画監督の福田雄一さんとの会話の中で、某テレビ局のプロデューサーと思われる人の話になった時、指原さんは嫌そうな顔をして、「キモイんだもん」と言った後、
「私がHKTに移籍したときから全然一言も喋っていないの。(総選挙で)1位になってからまた挨拶してくれるようになったから嫌い!」と語り、
その後指原さんは、A氏が指原さんが出る番組を褒めていると福田さんが言うと、
「うるせぇ!!!つっといてください」と怒鳴るように吐き捨てた、ということです。

これによって、総選挙で1位になってから天狗になっている、などと批判されているわけです。
私は番組を観ていないので、指原さんの台詞がどのような文脈で放たれたのか正確にはわかりませんが、私がこの出来事で思うのは、「どこにでもそういう奴いるよなぁ」ということ。
要するに指原さんは、手のひらを返されたということにご立腹なようですが、そのような人は芸能界でなくてもそこらへんにウヨウヨいると思います。

そして同時に思い出したのが「その人の状況によって態度を変えるのは嫉妬が原因」という、学生時代の担任の言葉。
それは「いじめ」をテーマにした道徳の授業での発言だったのですが、
人気者だった生徒がふとしたきっかけでいじめられる側になることがあり、そうするとそれまで仲のよかった友達まで攻撃する側に回り、ターゲットが他の生徒に替わり人気が回復すると、また何事もなかったかのようにすりよっていく。
そうした態度を取る生徒は、日頃ひそかに抱えていた人気者への嫉妬心を、人気者がその座から落ちたのをこれ幸いと悪口に込めて吐き出し、人気が回復するとまた嫉妬心をぶり返しすりよっていく。そのような意味です。
その人の状況によって態度を変える、というのはまさしく「手のひらを返す」ということです。

なぜ嫉妬心ですりよっていくのだろうとその時は不思議に思いましたが、今ならわかるような気がします。
結局、その人がよくない状況にある時に冷たくする人というのは、人気が戻っても、またその人が落ちることを心のどこかで期待しているのではないでしょうか。
そしてまた落ちるところを間近で見たいがためにすりよっていく……。
大袈裟と思うかもしれませんが、実際にそうとしか思えないような人がいるのです。
メディア関係の仕事をしていると、芸能人本人に対してはいい顔をして、傍から見ていると親密な関係にしか見えず、しかし本人がいないところで強烈な悪口を言っている、という光景をよく見ます。

漫画家の柴門ふみさんは、著書「バカボンのママはなぜ美人なのか 嫉妬の正体」の中で、「男は成功に嫉妬する」と語っています。
そして、相手が女性の場合には、より歪な形の嫉妬になるとも。
++++++
男性の嫉妬には、女性とは異なるひとつの特徴があることに気づきました。
それは、男性の嫉妬する対象が、「社会的成功」であるということ。男性にとっては、世の中にどれくらい認められるか、名を上げられるか、何を成し遂げられるか、そこに人生最大の関心事がある。
人よりも幸せになりたい、という女性とは、求めるものが全然違うのですね。
さらに相手が女性の場合は「女のくせに」という気持ちが微妙に混じってくるので、より捻れた形で出てくるのかもしれません。
++++++


私が見た、芸能人に対して態度を変える人も、その芸能人が女性である場合が多かったのです。
指原さんに手のひらを返したプロデューサーも、指原さんの「社会的成功」に嫉妬していたのかもしれません。
それだけ今の指原さんが芸能界の中で素敵なポジションにいるということでしょう。

しかし、スターのいる芸能界に限らず、どこの世界にもそういう人はいるのではないでしょうか。
今までと態度を変えてすりよってくる感じの悪い人がいれば、「自分の社会的成功に嫉妬しているんだ」と思って溜飲を下げる、それがつまらないことで腹を立てないための手段なのかもしれません。

(スタッフ:武市)

(2013/11/13 UPDATE)
番組スタッフ
おととい(10日)会見を行い、約7500万円の申告漏れを謝罪するとともに、「植毛」をカミングアウトした、タレントの板東英二さん。
板東さんは「約20年近く、植毛をずっとやってまいりました。経費で落ちると思っていた」と明かし、植毛費用を経費としていたと説明。
「カツラが経費として落ちると聞いていたので、当然植毛もと思っていた。今回の調査で植毛は美容整形と同じだと、初めて(経費にならないと)分かった次第です」と、苦しすぎる言い訳を披露しました。

植毛をカミングアウトすることによって、同情を引こうとする意図が透けて見える会見。
それゆえに最初は怒りの感情が湧きあがりましたが、すぐに板東さんが植毛をしていること、広く解釈するとハゲであることだけに意識を持っていかれ、最終的には怒りはすっかり消え、自然と板東さんの植毛(広く解釈するとハゲ)をからかう思考にシフトしていました。
このような思考のプロセスを辿ったのは、どうやらわたしだけではないようで、ネット上には「植毛ww」「ハゲww」などの書き込みが溢れています。

さらに、こうしたハゲに対するからかいの目は、かねてよりカツラの噂のある、フリーアナウンサーにも飛び火。
昨日(11日)、そのフリーアナウンサーがキャスターを務める朝の情報番組で「板東さんの植毛カミングアウト」が取り上げられ、それについてフリーアナウンサーが一言コメントすると、ネットはお祭り騒ぎに。
某巨大掲示板では、勢い20万超えという、ものすごいスピードで書き込みがされ、Twitterのトレンドにも「板東」「植毛」、そして「フリーアナウンサーの名前」が上位にくるという珍事が起こったようです。

板東さんの会見やフリーアナウンサーのコメントに対するネットの反応を見て、わたしがあらためて実感したのは、“ハゲている人はからかいたくなるし、笑いたくもなる”、ということ。
幼いころから、テレビのバラエティー番組などで、ハゲからかわれ、いじられている姿を目の当たりにしてきたからだ、と勝手に解釈していたのですが、他にも何か理由はあるのでしょうか。

ハゲた男性に対するからかいを取り上げ、そのしくみを考察した本、『ハゲを生きる 外見と男らしさの社会学』(著:須長史生/勁草書房)に、こんな記述を見つけました。
*****
ハゲた男性への攻撃においても、攻撃をする側は、自分はハゲではないというメッセージを周囲に送り続けているともとれる。
男性として好ましくない外見を有した男性への攻撃は、自分がその外見を有してはいない(つまり、外見的に好ましい男性の側にいる)という、さらには、<堂々と>していない他者への攻撃は自らが<堂々と>している側にいるというメッセージを送りだすことでもあるのだ。
ハゲをことさら攻撃することによって、自らがハゲという好ましくない目印をもった男性ではないという表明を間接的に行っているのである。
*****

また、フリーアナウンサーのケースのように、ハゲに対するからかいがエスカレートする理由についても、こんな分析がされています。
*****
ハゲに対するからかわれる側の態度、特徴をみると、その深刻さへの認識はからかう側とからかわれる側とで大きく差があるように思われる。
からかう側が「ここまでは大丈夫」として行うからかいが、からかわれる側からすると耐えがたい攻撃となっている、しかもそれが遊びとして仕掛けられているため、さらに外見に関することでとり乱すのは格好悪いという規範があるため、からかわれる側は怒りや悲しみの表出を抑えがちになり、それゆえそのことが一層からかいをエスカレートさせている、そういう側面があるのだ。
*****

よくよく調べてみると根が深い、“ハゲをからかい、笑う”という行為に秘められた心理。
結局のところ、“ハゲをからかい、笑う”という行為は、他人と自分を比べ、少しでも優位に立ちたいという、人間ならではの浅ましい一面のあらわれなのかもしれません。

ちなみにわたしは、父親が髪フサフサ、両親の祖父はいずれも髪フサフサという状況下で、ハゲる恐怖とは無縁の人生を送ってきました。
そのためか、昔からハゲをからかい、笑うことに、一切ためらいがありません。悪趣味ですが、テレビを見ながら、「この人、カツラっぽい」と指摘して、笑うことは日常茶飯事です。

当然、家族にも呆れられているのですが、昨日、テレビを見ながら、板東さんの植毛をからかっていたら、こんな厳しい忠告をうけてしまいました。
「いつか、ハゲればいい。そうすれば、ハゲの人の心の痛みが分かるでしょう」

体に沁みついた悪癖をすぐに直すのは難しいし、できればハゲたくもありません。
そんなわたしにできるのは、「“ハゲをからかい、笑う”という行為は、他人と自分を比べ、少しでも優位に立ちたいという、人間ならではの浅ましい一面のあらわれ」と心に刻み、そんな自分を少し恥じることぐらいなのでしょう。

(スタッフH)
(2013/11/12 UPDATE)
番組スタッフ
SNS大手のミクシィで大規模なリストラに向けた動きが起きているのではないか、という噂がネットをかけめぐっています。

発端は、10月23日に匿名投稿サイト「はてな匿名ダイアリー」に掲載された「オレンジなソーシャル会社の大規模リストラ」というタイトルの文章です。元の投稿はすでに削除されていますが、「数日前から大規模なリストラがはじまっている」として、一部の従業員が突然、コールセンターのような部署に配属されて、よくわからない作業を延々とさせられているのだと記していました。

「オレンジなソーシャル会社」つまりミクシィで、「追い出し部屋」を使ったリストラが行なわれているのではないか。ネットではそのように受け止められ、またたく間に情報が拡散しました。

翌24日、ネットメディア「CNET」が、<「オレンジのソーシャルな会社」の怪文書投稿--ミクシィは250名を超える組織改編へ>と題したレポート記事を掲載。複数の関係者に取材した結果として、次のような内情を紹介しました。


「派遣社員や業務委託については、契約期間終了に伴って期間の延長などをストップ。そしてその穴を埋めるため、複数部署の正社員約30人をカスタマーセンターに異動させることにした」

これだけならば、よくある話ともいえるのですが、ミクシィがとった手法は少々強引なものだったようです。

「10月18日金曜日の午後、異動対象となった社員は社外の東京・渋谷のレンタルスペースに集められた。そこで人事部から、11月1日付けの辞令で、カスタマーセンターへ異動するようにという旨の内示を受けたという。そして、会見等で利用していた社内のセミナールームを急きょカスタマーサービス専用の部屋として運用するという発表もなされた」

さらに、異動対象となった社員は、それまでアクセスできた社内のイントラネットにアクセスできないように設定されたということです。このような突然の動きについて、<「うがった見方をすれば、自己都合での退職を狙った実質的なリストラではないか」といった声が聞こえてくる>とCNETの記事は記しています。

その後、11月5日には、東洋経済オンラインが、<いきなり研修部屋へ ミクシィ不可解人事
約30人がサポート部門へ異動したのはなぜか>
というタイトルの記事を掲載。CNETとほぼ同じ内容で、約30人の正社員がカスタマーサポート部門への異動を命じられた様子を次のように紹介しています。

「ただならぬ様子で複数の社員がセミナールームへと向かっていく異例の席替えに、戸惑う社員も少なくなかったという。ある社員は『何か大きな事が起こっているのはわかるが、それを聞けるような雰囲気ではなかった』と語る」

これらの記事を見る限り、ミクシィのなかで大きな動きが起きているのは間違いないようです。ただ、ミクシィは各メディアの取材に対して、「リストラではない」と答えています。11月8日の決算会見でも、記者から質問を受けた朝倉祐介社長が「そのようなことは一切やっていない。通常の人事異動だ」と、リストラ説を否定しました。

ただ、ミクシィの最近の業績悪化からすると、大規模な人員削減に着手せざるをえないのだろうという疑念は消えません。ミクシィと同じころに創業したSNS大手のグリーはこの10月に、200人規模の希望退職者を募集し、大掛かりなリストラを実行しています。

ミクシィもグリーのように堂々とリストラを行えばいいと思うのですが、なぜかそのあたりはオープンにできないようです。

今回の騒動に関しては、J-CASTニュースが、<「追い出し部屋」はなぜなくならないのか
会社が潰れるまで解雇できないのが原因?>
という、ちょっと視点の違う記事を掲載しています。

日本の労働法では、正社員の解雇が厳しく制限されているため、企業は「追い出し部屋」のような手段を使わないといけないのではないかという指摘です。そのような一面もあるのかもしれません。

競争が激しいネット業界で生き延びていくためには、人員を急激に増やしたり、逆に急激に減らしたり、というフレキシブルな対応が避けられません。したがって、業績が悪化したときにリストラが必要になるのはやむをえないと思います。

問題は、リストラをどのようにして行うか、です。ミクシィにはネット業界を代表する会社として、もっとオープンな対応をしてもらえたらと望みます。

(スタッフ:K)
(2013/11/11 UPDATE)
番組スタッフ
毎週のように起こってしまう、Twitterに悪ふざけをした画像を投稿したことがきっかけによる炎上。
内輪だけのウケ狙いが、外野から本人たちが予期せぬ攻撃を受け、ある者は通っていた学校は退学となり、ある者は書類送検され、またある者は多額の賠償金を請求されてしまいました。
「悪ふざけ」の舞台となるその多くが、投稿主のバイト先です。
これまで多くの人が指摘しているように、バイト先での悪ふざけは少なからずあったことだと思います。
携帯電話の進化が悪ふざけの記録を容易にし、SNSの発展が記録した写真を不特定多数の人への周知を可能にしました。

私が学生の頃を思い起こせば、バイト先を見つけるというのは電話して、履歴書を持っていくだけで済む、特に難しいものではありませんでした。
バイト先で行われる悪ふざけによる炎上がきっかけで、潰れてしまう店もあれば、バイトに損害賠償を請求する店もあります。
そんな今、バイトとして正式に採用されるまで、少し手間がかかるようになってしまったと、大学生の息子を持つ知人の40代女性Aさんから聞かされました。

Aさんの息子は19歳の大学2年生。親元を離れて、一人暮らしをしています。
そんな彼が新しくバイトを探すことになったそうです。彼がバイト先として選んだのは、有名ドラッグストア。
履歴書を送り、面接で合格となったそうですが、それはまだ「内定」の段階。
後日、Aさんの元に息子から封筒が送られてきました。
中身は「誓約書」。Aさんは身元保証人として一筆書かなければならなかったようで、当初は息子が良からぬビジネスに加担しようとしているのではないか、何らかの詐欺被害に合ってしまうのではないかと不安になったと言います。
しかし、中身をよくよく見てみれば、それは昨今の悪ふざけ投稿対策だったことにAさんは気づきます。
誓約書には次のような文面が掲載されていたのです。

*****************
この度・上記の者が貴社のパーナーとして採用されるにあたりまして、私は身元保証人として、本人が貴社の就業規則および諸規則・諸規程を遵守して、誠実に勤務することを保証いたします。
もし本人がこれに反して、故意または重大な過失によって貴社に損害をおかけした場合は、本人がその損害を賠償する責任を負うことを確約します。
以上、誓約の証として本書を差し入れます。 13/10/31

******************

ここで言う本人とはもちろん、大手ドラッグストアチェーン店でのバイトが内定したAさんの息子。
この文面をAさんから見せてもらったとき、悪ふざけ問題もここまで来たかという驚きもありましたが、雇う側が“そうせざるをえない”必然なのかなとも思いました。
書類整理など事務仕事が主な業務内容のバイトでは、情報漏えいを守るために誓約書を書かされることがあるようですが、私自身のバイト経験を思い返してみても、接客業の場合、誓約書を書かされるということは一度もありませんでした。

一昔前ならば、身内だけの笑い話で終わっていたかもしれない「悪ふざけ」も、もはや「社会問題」です。
「悪ふざけ」がきっかけで企業は多大な損害を被り、「悪ふざけ」をした本人は大きな代償を払わなければならなくなってしまいました。
「社会問題」と化した以上、社会が企業と若者を守ろうとするのは必至です。

今月下旬から、神奈川で悪ふざけ画像の投稿を呼びかける啓発ポスターが掲示されるそうです。
ポスターには「ギャグのつもりが大きな代償 背負っていくの? 罪と賠償」という標語と、私たちがネットでよく目にした若者たちの悪ふざけをイラストして掲載しています。
ネットの世界を舞台にした悪ふざけによる炎上も、もはや駅でよく目にする「麻薬」「痴漢」「オレオレ詐欺」「飲酒暴力」と同じレベルの啓発対象となってしまったのです。

日進月歩のテクノロジー。そのスピードが早すぎるのか、多くの人たちがついていけず、“予期せぬ事故”に合っています。インターネットが私たちを多弁にしたのかもしれません。
しかし、ようやく悪ふざけ投稿による炎上がなくなったとしても、また次に新たなサービスや製品が生み出され、それに伴う新たな問題が生まれる可能性は大いにあります。
インターネットの世界には炎上させる人間、私刑人がいるということを徹底して知らしめておくことも、経験の少ない若者を救う鉄則なのではないか。これは大津のいじめ自殺問題の時にも思ったことです。

スタッフ:坂本
(2013/11/7 UPDATE)
番組スタッフ
みなさんは「おっさんレンタル」というサービスをご存知でしょうか?
これは、46歳の西本貴信さんという人がやっている、1時間千円で「おっさん(西本さん)」をレンタルしてくれるという、今話題になっているサービスです。
西本さんはファッションプロデューサーが本業で、大学などで講師もしており、その合間をぬって「おっさんレンタル」業をこなしているそうです。
依頼内容は何でもありで、洋服のスタイリングをしたり一緒にカラオケにつきあったり、悩み事の相談であったりと様々。

私がこのサービスのことを知ったのは、友人から、友人の知人のAさんという女性が「おっさんレンタル」なるものを最近利用するようになったという話を聞いたからです。
38歳の独身で事務職をしているというAさんは、すでに4、5回利用したとのことで、それが多いのか少ないのかわかりませんが、ホームページ上の写真で見る西本さんは、おっさんとは呼べないような若々しいイケメンで、アラサー女性のリピーターが多いというのも頷けます。

気になるのはやはりAさんがそれを利用する理由ですが、友人いわく「ものすごく寂しい」から。
「ものすごく」というのは気になりますが、理由としてはわりと普通です。
しかしAさんは、その原因を結婚していないからだと公言しており、結婚するまでは寂しさを紛らわす“何か”にお金を使い続けるというようなことを言っているそうです。
またAさんは周りの人に対して「とにかく結婚はしておいた方がいい」としきりに言っているそうで、それというのも「ある程度の年齢になると、考えている以上に寂しくなる」とのこと。

私は三十代前半(男)でまだ独身なので、結婚はした方がいいよと言われることもありますが、寂しさを感じたことはまだありません。
38歳という年齢でそこまで寂しさを感じるものなのかと驚きましたが、そこは男女の違いなのかもしれません。
恐らくAさんは、いつでもすぐに頼れるパートナーが近くにいないと、自分のように何かで穴埋めしないといけなくなる、ということを言いたいのかもしれませんが、
本人が何かに夢中になって、それで幸せを感じているのであれば、あまり問題がないのではという気もします。

どうも友人の話を聴いていると、Aさんはいわゆる“穴埋め”的行為をする自分をよしとしていないようで、必要以上に寂しがり、さらにそれを紛らわせる行為を恥じているAさんは、なんだか大袈裟な人だなと思いました。
けれどよくよく考えてみたら、私がテレビを見るのも、本を読むのも、「それをしないと寂しいから」ではないのかとふと思い、ぞっとしました。
私は何もしていない時間というものが嫌いで、常に何かしらやっていないと落ち着かないというか、不安にさえなります。
まさに、それが寂しさかどうかわかりませんが、何かの穴埋めをしているのかもしれません。

考え過ぎなAさんのことを心配している友人は、
「人生とは死ぬまでの暇つぶし」という、みうらじゅんさんの言葉を引用して、こう言っていました。
「人生なんて死ぬまでの暇つぶしなんだから、誰でも多かれ少なかれ、何かを埋めたりつぶしたりしてるんだって。だからあんまり深く考えることないんだけどね」

私と同じく人生経験の浅い友人がカッコつけて言っていましたが、みうらさんの言葉は深いと感じます。
「暇つぶし」と考えれば、やっていることのひとつひとつにあまり重要な意味はないというような気になります(本当に重要ではないという意味ではなく、気分の問題)。
「おっさんレンタル」にどれだけハマろうが、それほどたいしたことではないし、
結婚だって暇つぶしだと捉えれば(気分の問題)、それをしていなくてもたいしたことではないと思えるのかもしれません。

私は結婚をするのはまだまだ先でいいと思っているのですが、その時、Aさんの言う、考えていた以上の寂しさとやらが来たら、「暇つぶしだ」と思いながら乗り切ろうと、心に決めた次第です。

(スタッフ:武市)
(2013/11/6 UPDATE)
番組スタッフ
「和歌山市で2歳の長男に暴行し、死なせたとして、26歳の父親が逮捕された事件」「東京・大田区の公園に赤ちゃんを置き去りにしたとして、30代の夫婦が逮捕された事件」と、ここのところ、“親の自覚がない”と批判される事件が相次いでいます。

今、軽々しく、“親の自覚がない”と書きましたが、わたしにはまだ子どもがいません。
さらに、幼いころから成人するまで、父親が単身赴任でほぼ不在だったこともあり、親の自覚を持つ自信もあまりありません。
だからなのか、こんな疑問を抱いてしまいました。
「親の自覚はいつ芽生えるのか?」

「赤ちゃん取り違え事件」を下敷きに、“父親になりきれていなかった男がいろいろな経験をして父親になっていく姿”が描かれているという映画、『そして父になる』
この映画を監督した是枝裕和さんはあるインタビューで、親の自覚が芽生えていく過程を次のように語っています。
*****
わたしも5歳の娘の父なんですが、娘が生まれるまでは、自分に"父性" があるなんて思ってもみなかったんです。わたし自身が、あまり父と遊んだ記憶や愛された実感がなく、父親のことを家庭的な感情や父性が薄い人だと思っていたんです。自分も同じタイプだと自覚していたので、自分みたいな人がこどもを持つと、こどもが不幸だろうなと......。
でも、実際に生まれてみると、素直に『かわいいものだな』って思って。娘のおかげで自分にも父性があることを知ることができました。父性って、もともとあるものじゃなくて、こどもと一緒にいて、なんとなく浴びているうちに浸透してくるようなものなのかもしれません。

*****

そして、作家の落合恵子さんは『そして父になる』のパンフレットに寄稿したテキストに、こう綴っています。
*****
それにしても、一体親子とは何によって結ばれているものだろう。
「血縁」であったなら往々にして通過することもできる基本的な問いを、本編はわたしたちに投げかける。子どもを迎えたから、だから即、母に父になれるものなのか、と。
共に暮らし、変化を迫られ、互いに成長する日々の中で、ひとは母に、そして父になる、のではないだろうか。

*****

わたしの父親は、祖父と遊んだ記憶や愛された実感がないらしく、父性が極めて薄い人間です。
わたし自身も、父親と遊んだ記憶や愛された実感もほとんどありません。
そのため今も多少、不安は残るものの、「それでも何とかなる、親の自覚は芽生える」、上記二人の言葉にこう勇気づけられたような気がしました。

余談ですが、先日、中学生の連れ子(男の子)がいる女性と結婚間近という知人から、こんな物騒な話を聞きました。
「彼女の連れ子と反りが合わず、この間、バットで殴られそうになった。3人で住んでいたが、怖いから、今は一時、別居している」

親子で大事なのは、“血縁ではなく、過ごした時間”。
映画『そして父になる』と上記二人の言葉から、わたしはこのようなメッセージを受けとめましたが、知人のこじれた親子関係も今後、同じ時間を過ごすことでほぐれていくのでしょうか。
自分のことはさておき、これが気になって仕方がありません。

(スタッフH)
(2013/11/5 UPDATE)
番組スタッフ
昨日11月3日は文化の日。この日は、1946年に日本国憲法が公布された日でした。憲法といえば最近、憲法が定める国家の基本原則を軽視するかのような国会議員の行動が問題となっています。

今年9月4日、婚外子の相続配分について定めた民法の規定について、最高裁判所が「憲法に違反して、無効である」との判断を下しました。

現行民法では、婚外子すなわち非嫡出子の法定相続分は、嫡出子の半分であるとされています。しかし子どもは親を選べません。たまたま婚外子として生まれたからと言って、相続分が半分になってしまうのは不当な差別であり、憲法14条が定めた「法の下の平等」に反するのではないか。

そのような観点から裁判が起こされ、最高裁は民法の規定を違憲・無効としたのです。

●最高裁の「違憲立法審査権」の意味

これまでは、最高裁が法令について違憲判断を下すと、国会や政府がその判断にしたがって、法令の改正をおこなってきました。これは、憲法が国家の基本原則として「三権分立」を定めていて、司法権をになう最高裁判所に「違憲立法審査権」を与えているからです。

憲法に基盤をおく今の日本の制度では、憲法に反する法令は無効となります。そして、ある法令が違憲かどうかを判断する権限は、国会(立法)でも政府(行政)でもなく、裁判所(司法)に委ねられているのです。

そのようなことから、最高裁の決定が出た直後、菅義偉官房長官は記者会見で、「立法的な手当ては当然だ。できる限り早く対応すべきだ」とコメントしました。

ところが、与党・自民党に所属する一部の国会議員が、民法改正に反対しています。そこには、その議員なりの理屈があるようですが、すでに最高裁判所が違憲であると判断した法律について、国会議員が合憲であると主張することは、実は、あまり意味がありません。

●自民党議員の「抵抗」は無駄なコストを増やすだけ

それは仮に、この議員たちの抵抗が功を奏して、民法が改正されないままだったらどうなるかを考えてみれば、わかります。

もし民法の規定がそのままだった場合、婚外子の相続分をめぐる争いが起きれば、今回のように裁判になるでしょう。そのとき、各地の地方裁判所は今回の最高裁決定と同じように、「民法の規定は違憲・無効である」という判断を下すに違いないのです。

つまり、いくら国会議員が抵抗しても、婚外子の相続分に関する民法の規定は効力をもたないことになるわけですから、その抵抗は無意味ということになります。

むしろ、違憲である法律が改正されないために、本来やらなくてもいい裁判をやらなければいけないという無駄が生じることになります。このような事態は、裁判を起こす側、起こされる側、さらには裁判を審理する裁判官にとっても、「無駄なコスト」を負担させることになるといえるでしょう。

民法改正に異議を唱えている国会議員たちには、最高裁の違憲審査権の重みを考えるとともに、このような現実的な事情をふまえて、適切な行動をとってもらいたいものだと思います。

(スタッフ: K)
(2013/11/4 UPDATE)

MESSAGE ★ 番組へのメッセージはこちらから ★ 皆さまからのご意見お待ちしております


ページの先頭へ