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番組スタッフ
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、ももいろクローバーz、モーニング娘。'14、などのメジャーなグループ、ブレーク間近の次世代アイドル、そして47都道府県それぞれに一組は必ず存在すると言われるご当地アイドルなど、それら全てを合わせると、いったい何組のアイドルグループがいるのかわからないほど、群雄割拠のアイドル戦国時代である現代。
グループとして売れることももちろんですが、個人としても注目をされなければ、その他大勢のうちの1人として埋もれてしまうため、いかに個性を発揮して目立つべきか、日々アイドルたちは頭を悩ませているのかもしれません。

そうした中で、以前ハロー!プロジェクトのアイドルグループ「カントリー娘。」に在籍していた、斎藤美海さんのブログが物議を醸しています。
ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手の奥さんの里田まいさんらとともに活動していた斎藤さんは、07年にグループを卒業し、現在はセラピストやコラムニストとして活躍中。
話題となっているのは、そんな斎藤さんが「アイドルをやって失ったもの」と題して投稿したブログの記事。
「思い残すことはないと思って引退したのに、失ったものがあまりにも大きくて、いまでも後遺症のように悩まされるほどです。ここだけの話ですが、書きます。」と前置きした上で、こう記しています。

私がアイドルをやって失ったもの。それは、自発的に考えて行動していく力です。
だって仕事がアイドルですから。大人たちが用意してくれた、ステージに衣装に歌にダンスに、笑顔でイメージを守りながら発言をしていくのが仕事です。与えられたものをうまくできればできるほど上司に評価されるので、自発的に考えて行動していく力とか、アイドルには必要じゃないんですよね。その能力はないほうが仕事としてはいいって感じ。
それが私の社会人1年目〜3年目の常識だったので、最近になって「自分で考えろよ!」って怒られる原因がなぜなのかわからなかったことがありました。
ゼロから、社会人学び直しだなーって思っています。


この記事を投稿したのは先月の24日ですが、今月の21日頃からネット上で広まり始めたようで、「そんな考え方しかできないから、アイドルとして大成できなかったのでは。頭角表す子は皆自分の頭使ってる」などの厳しい意見が多く挙がりました。

アイドルに詳しいライターのロベルト麻生氏は、このように語っています。
「アイドルは自発的に考えて行動しないなんて、残念ながら売れない子の言い訳でしかない。後列の干されメンから、カリスマリーダーに上り詰めた道重さんを見てください。ただ与えられた仕事を言われた通りにやっていただけだったら、彼女はこうはならなかったはずです」
13歳でモーニング娘。に加入した道重さんは、致命的に歌が下手だったために、グループでは干されてしまっていたそうです。けれど、番組に出演するたびに、反省点をノートに書き込むなどの努力を重ね、トークの腕を磨いた結果「ぶりっ子で毒舌」というキャラで頭角を現すようになったのです。

アイドルというものは普通、斎藤さんも述べているように、楽曲提供者、振り付け師、スタイリストなどがいて、あらゆるものを与えてくれます。アイドルである以上これは仕方がないわけです。つまり基本的には他のメンバーと同じことをやらされるので、パフォーマンスにおいて圧倒的な差をみせつけるというのは難しいことなのかもしれません。
となると、それ以外のところで何かしら武器となるものを磨かなければいけないということでしょう。
やはり個性的で目立っているアイドルは、トークが面白かったり、喋り方や声が特徴的だったり、ファンタジーな人物設定(ゆうこりん的な)をしていたりと、何かしら工夫があるもの。その努力をやらずして売れないと嘆くのは許されないということになるのではないでしょうか。

とは言え、最近のアイドルは、一昔前ならアイドルとしてはタブーとされるような、例えば、芸人顔負けの体当たり・リアクション芸や、過去の恥ずかしい出来事の暴露など、より過激な方向へと個性が向かっていて、面白いと思うと同時に、何かちょっと無理してるんじゃないか?と複雑な気分になる時があります。
AKB48川栄李奈さんなどは、おバカキャラに加えて「足がクサイ」というのを売り?にして笑いを取っているというツワモノで、基本的に私は無茶をするようなアイドルは好きなのですが、その反面、抜きん出るために無理をしてそうな人を見ると(川栄さんのことではない)そこまでしなくてもいいのではないかと思うこともあります。

以前聞いた話ですが、ある新人アイドルオーデションでは、歌と踊りはほとんど審査対象とせず、何かしら特技をやってもらい、それがどれだけすごいか、面白いかで合否が決まるそうです。
そうした、私たち見る側の、より過激で衝撃的なことをやってくれるアイドルを欲する気持ちが、アイドルの破天荒化を助長するのかもしれません。
もちろんそれが悪いということではありませんが、純粋に歌って踊れるかいわいいアイドルを目指したい人にとっては、なんとも生き辛いアイドル界となっているのではないでしょうか。
斎藤さんの言う「自発的に考えて行動していく力」は今のアイドルにはなくてはならないものでしょう。けれどその演出を、あまり奇抜な方ばかりに向けず、一昔前の、“いかにもアイドル”的なアイドルが登場することを、個人的には願っています。

(スタッフ:武市)
(2014/4/30 UPDATE)
番組スタッフ
『101回目のプロポーズ』『ずっとあなたが好きだった』など、1990年代には高視聴率を記録し、社会現象になる作品も数多く生み出された、“恋愛ドラマ”。
2000年代に入って人気に陰りが出始め、2010年代以降は多くが視聴率10%程度に低迷。
ビデオリサーチがまとめた、テレビドラマの歴代高視聴率トップ20でも、恋愛ドラマは2000年の「ビューティフルライフ」以降の作品でランクインしたものはありません。

●トップ20にランクインした恋愛ドラマ
3位:TBS『ビューティフルライフ』最終回(2000年) 41.3%
12位:フジテレビ『101回目のプロポーズ』最終回(1991年) 36.7%
13位:フジテレビ『ロングバケーション』最終回(1996年) 36.7%
14位:TBS『男女7人秋物語』最終回(1987年) 36.6%
18位:TBS『ずっとあなたが好きだった』最終回(1992年) 34.1%

さらに、視聴率の低迷とともに作品数も減少。2014年1月期は『失恋ショコラティエ』のみ、2014年4月期は『続・最後から二番目の恋』のみと、絶滅危惧種のような存在になっています。

「恋愛ドラマ冬の時代」と言われる状況の中、先週金曜(25日)、フジテレビの亀山社長が恋愛ドラマに関する持論を披露。話題になっています。
持論というのがこのようなもので、、、
「テレビ業界全体で、僕らよりも若い作り手たちが恋愛ドラマに興味をなくしているのかなと思う。他局でも作り手が出てきていない。テレビ全体の流れだと思う」

「携帯が誕生して、恋愛ドラマを作りづらくなっていると思う。“すれ違い”や“思い違い”が作りづらいんですね。『待ち合わせにすれ違いが生じて、やきもきする』というシーンがなかなか作れない。その中で仕事や同僚、いろいろな条件を入れると、純粋に恋愛だけにならなくなって、見え方が違ってきてしまうのではないか」


つまりは、若い作り手が恋愛ドラマに興味をなくしているのに加え、携帯電話などの登場により、恋愛ドラマが作りづらくなっている、ということのようです。
厳密に言えば、恋愛ドラマを作りづらくなっているのではなく、「待ち合わせにすれ違いが生じて、やきもきする」といった“ベタな展開”を恋愛ドラマに盛り込めなくなっているということなのでしょう。
しかし、これは随分前から言われ続けていたこと。
3年ほど前、シナリオライター養成学校の講師に話を伺ったときにも、「携帯電話を持っていることが当たり前になった今、待ち合わせですれ違いが生じるのは不自然。携帯電話の普及によって、恋愛ドラマにおける『枷(かせ)』(※心理的、物理的に行動の妨げになるものを指す)が作りづらくなった」、と話していました。

そして、亀山社長の分析は間違っている、との指摘もあり、テレビドラマ研究家の古崎康成さんはツイッターで亀山社長の分析に異論を唱えています。
*****
先日のフジテレビ亀山社長の会見での恋愛ドラマ退潮分析は間違っている気がする。フジの作る絵空事のような恋愛劇が視聴者をキャッチアップできていないだけでは?
2000年代以降恋愛ドラマが退潮しているという声があるけど、『電車男』『マンハッタンラブストーリー』『モテキ』など、一部の恋愛ドラマは深化したのではないか。
反動で歯の浮くような絵空事の恋愛ドラマが陳腐化して敬遠されているということじゃないか。
<古崎康成ツイッターアカウント(@furusaki_y)より抜粋>
*****

ネットで亀山社長の分析に対する反応を拾ってみると、「恋愛ドラマはそもそも見ない」という意見が数多くありました。
わたしも、恋愛ドラマというだけで見る気が失せる側の人間ですが、その理由は、古崎さんが言うような、絵空事のような陳腐なものに貴重な時間を割きたくないからです。
その一方で、恋愛がテーマの少女マンガには積極的に手を伸ばします。理由は、テレビドラマより遥かに斬新な恋愛模様を描いたものに出くわすことがあるからです。
たとえば、2014年1月期に放送されたテレビドラマの原作としても知られる、水城せとなさんの『失恋ショコラティエ』。

あらすじは、「チョコレート好きの女性の気を引くために修行を積み、ショコラティエになった主人公の片思いを描くラブストーリー」、というもの。
あらすじだけ見るとベタな少女マンガのようですが、とにかくヒロインのキャラクター設定が斬新。
ヒロインは人妻でありながら、主人公を誘惑する小悪魔女子で性格も悪い。こういうキャラクターは本来、ヒロインの恋敵がいいところ。ヒロインになることは、まずあり得なかったと思います。
ヒロインといえば、“清楚で性格がいい”というのがお決まり。その固定概念を捨てるだけで、ベタな少女マンガが男性でも読むに値する魅力的なものに変わることを示した、成功例と言えるのではないでしょうか。

少女マンガを読んでいるとつくづく思うのは、テレビの恋愛ドラマ自体がつまらないのではなく、今の恋愛ドラマがつまらないだけということ。つまらないというイメージを変えるには、固定概念を捨てることが先決です。
テレビの恋愛ドラマも少女マンガにならい、“すれ違い”をはじめとする恋愛を描くときのお約束を捨てる時が来ているのかもしれません。

(スタッフH)
(2014/4/29 UPDATE)
番組スタッフ
4月28日、島田雅彦さんとお送りする今夜のテーマは、『日本社会を覆い尽くす「虚ろな力」』。

日本中が注目する中で開かれた、STAP細胞をめぐる小保方晴子さんの釈明記者会見。
会見後も厳しい状況に変わりはないにもかかわらず、やつれた表情で涙を浮かべながら謝罪を述べる小保方さんをかわいそうだと思った殿方も少なくありません。
この小保方さんの会見を、コラムニストの小田嶋隆さんは「女子力のイベントだった」と評しています。
「実力」以外のすべての能力は「虚力」であるはずで、「女子力」もまた、数多ある「虚力」のうちの一つとし、「そんなものは目くらましの手練手管(てれんてくだ)に過ぎない」と言うのです。
実力以外にすがり、楽をしようとする人々が増える日本が行き着く先とは?
「虚力」が評価基準となる日本社会の処方箋とは?
小田嶋さんにお話を伺い、「虚力」の危険性と対処法について考えます。


4月29日、岸博幸さんとお送りする火曜日は、『英知25人が示す『日本の針路』』。

月刊誌「WEDGE」の最新号では、創刊25周年を記念して、25年後の日本の姿を取材する特集を組んでいます。
タイトルは『「25年後を見据えた提言」 英知25人が示す「日本の針路」』。
政治、経済、企業、外交、司法、教育、医療、、、WEDGEが取材した各分野における25年後の日本の姿とは、どのようなものなのでしょうか?
「WEDGE」の大江紀洋編集長をスタジオにお迎えし、2039年の日本を見据えた25人の英知の提言を分析します。


4月30日水曜日、上杉隆さんとお送りするのは、『ヘイトスピーチ、お遍路の差別貼り紙…日本に蔓延するレイシズムへの警鐘』。

「最近、礼儀しらずな朝鮮人達が、気持ち悪いシールを、四国中に貼り回っています。『日本の遍路道』を守る為、見つけ次第、はがしましょう」
このような差別的な文章が印字された貼り紙が、四国遍路の徳島、香川、愛媛三県内の休憩所など30カ所以上から相次いで見つかっています。
韓国人の崔象喜さんが、外国人が迷わないよう、道案内のシールを貼る活動をしており、差別的な貼り紙はこうした行為を中傷しているとみられていますが、背景には日韓関係の冷え込みもあるとの見方も、、、
日本に蔓延するレイシズム。このまま高まり続けたとしたら、その先には何が待っているのでしょうか?
話題となっている、関東大震災直後の朝鮮人虐殺を追ったノンフィクション、『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』を通し、危険な現状に警鐘を鳴らします。


5月1日、伊藤洋一さんとお送りする木曜日は、『「何様のつもり?」』。

ミサイルを弄ぶ「北朝鮮」や、今や世界を導こうとする「中国」。「反日」がブームとまでいわれる「韓国」に、オバマを舐めきる「ロシア」。
世界は一筋縄にはいかないようで、気が付けば周りは敵意剥き出しか、尊大無礼な国ばかり。
ひるがえって我が国はといえば、面の皮の厚い面々と何やら偉そうな輩がメディアを覆い尽くしているようにも見えます。
「何様だ?」「オレ様だ」。社会的地位と自分自身が一体になっている厄介な人種。何も恐れぬ無敵な人々につける薬はないのでしょうか?
「新潮45」の三重博一編集長にお話を伺います。

(2014/4/28 UPDATE)
番組スタッフ
IDを出すことなく匿名で日記が執筆できる「はてな匿名ダイアリー」。
匿名の傘の下か、暴露めいた投稿等で話題になることがありますが、先日、こんな投稿を見つけました。

「それがAmazonですから」〜Amazonに殺されそうな私の記録〜

内容をまとめると以下の通りです。

++++++++++++++
●Amazonで物を売っていたという投稿主。

●何故かAmazonから出品用のアカウントを一方的に停止させられてしまった。

●「全く心当りがないので、なにかマズイことがあるなら教えて欲しい。ぜひ改善してストアの再開をしたい」とAmazonに問い合わせすると、「調査内容はセキュリティの問題上開かせません。アカウント再開はできません。」との返事が。

●「飯の種」がなくなるため、投稿主はさらに食い下がるも「再開はできかねる旨、ご連絡申し上げます。 また、新規でアカウントを開設することもできませんので、ご了承ください。」とAmazon。

●「新規でもアカウントを作れないことはどういうことか、私個人に重大な規約違反があったのか」とさらに食い下がる投稿主。

●「当サイトの規約にご同意いただけないと判断されたアカウント及びその関連アカウントについては、 総合的な判断より閉鎖の処置を行わせていただく場合がございます」との返信が。

●隣にいた親戚に新ストアを開設させるも、かなわず。共通項は無線LANのアクセスポイントくらい。

●レンタルオフィススペースなので、誰かがやらかした。ここ数日で、同じオフィスエリアの人たちも次々とアカウント閉鎖に追い込まれている。

●それでも最後に、Amazonに電話をすると、「どうにもなりませんね。それがAmazonですから」と担当者。

++++++++++++++

投稿主が使用していたレンタルオフィスのIPアドレスがAmazonに「危ない」と判断されたため、投稿主は自身が運営するAmazonでの商店が閉鎖されてしまった、Amazonにどう訴えてもダメだったというお話です。

この話の真偽はともかく、私はAmazonを買い手として利用する側なので、売り手側の事情は知りませんでしたが、この投稿を読んであらためて感じたのは、Amazonが有する力の巨大さです。その力は「権力」と呼ぶのがわかりやすいでしょうか。
Amazonの躍進、経済力は誰もが知るところです。その力を私は、彼らはどんな未来を提示してくれるのか、そんな期待を寄せながら見ています。
しかし、私はただの買い手という利用者に過ぎず、Amazonというプラットフォームでお金を稼ぐものたちへの、頑な厳格さは想像する機会はありませんでした。
Amazonが頑になるのも当たり前です。
ネットにはあやしい商品、ビジネスが跋扈しているから、Amazonくらいの対応がこのご時世、ちょうど良いようにも思われます。もちろん、Amazonでの売り手にとっては、冗談じゃない対応かもしれませんが…。

Amazonだけではありません。
Appleも同じような圧倒的力を有していることで知られます。Appleと仕事をする企業は同社と秘密契約を結びます。ドコモからiPhoneが発売されましたが、その報道があったのは正式リリースの1週間ほど前。ドコモは当初、報道を否定しました。
なぜなら、いかなる情報を漏らしてはならないというAppleとの秘密契約を破ってしまうと、その会社は20億円以上の違約金を支払わなければならないからです。

世界を統べる王のような、あるいは神のような圧倒的な力で君臨するAmazon、Apple、そしてGoogle。
これらの企業に、日本の常識は通用しないのかもしれません。そこが神たるゆえんなのでしょうか。
AmazonやApple、Googleというプラットフォームで、お金を稼ぐ人は今後も増加していくことは簡単に予想できます。これから増えて行くであろうそんな人たちは、これまで培った自身の常識が一切通用しない「神の掟」の下に、身を委ねなければならないことも想像しておかなければなりません。
Amazon、Apple、Googleというった超グローバル企業が提示する未来はいつも私たちを興奮させてくれます。しかし、その興奮の陰には、疑わしきは罰する、グレーゾーンは許さない、極めてわかりやすく合理的な、非情なる掟があるのです。

グローバル化が世界を弱者と強者に二分する、そんな当たり前のことと同時に、神様に嫌われるとやっぱりロクなことにならないなと感じさせてくれた「はてな投稿ダイアリー」でした。

スタッフ:坂本
(2014/4/24 UPDATE)
番組スタッフ
いま海外で、ある番組を巡って、炎上騒動が起こっています。
それは、複数の男女が外部から隔離された家で生活し、隠しカメラで撮った内容を放映するというイギリスの人気番組『ビッグブラザー』。
その番組に、23歳のジョシー・カニングハムというモデルの女性が、出演したいと希望しているのですが、彼女は妊娠しており、出演することができない。
この女性は、2人の子を持つ母親で、有名になればお金に困らなくなり、豊かな暮らしができると考えてモデルとなったそうですが、そんな彼女が、あるニュース紙のインタビューでこのように話しました。
「中絶は私のキャリアの伸ばすわ。来年の今頃には赤ちゃんはいないでしょう。その代わりに有名になって、ピンクのレンジローバーに乗り、大きな家を買ってると思うの。私の邪魔をするものは何もないわ」

この発言により、テレビ局には視聴者からの苦情が殺到し、大きな騒ぎになっているとのこと。番組サイドは、この女性を出演させる考えはないという態度を示しているそうですが、“赤ちゃんを犠牲にしてまで有名になる”という執念は狂気すら感じさせます。

この言動に関しては、批判されても仕方がないと思いますが、では、養っている家族がいるにも関わらず、夢を諦めきれずに思い切った行動に出る人はどうなのか。

先日、芸人の有吉弘行さんが、自身のラジオ番組で、家族を巻き込んでまで芸人を目指す人に苦言を呈しました。
アシスタントを務める後輩芸人の西堀さん(マシンガンズ)の、ほとんど仕事がないという苦労話を聴いていた有吉さんは、その流れで、あるドキュメンタリー番組で、芸人を目指している男性がとりあげられていたことを話す。
会社社長で年収2000万円あったその男性は、妻と3人の子供がいる身だが、芸人を目指すために会社を辞め、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの養成所に入学。男性は保険料も払えなくなってアルバイトを始めるも、芸人仲間と合コンすると言ってサボり、妻を泣かせていたと言います。
有吉さんは「さすがに、今日のドキュメントや、西堀の現状を見てるとさ、あまりにも迂闊に入ってきすぎだぞっていう。迂闊だよ!」と言い放つ。
西堀さんが反論すると、「お前は良いよ。迂闊に入って続く奴はいるけど。今日のドキュメントを見てたら可哀想だもん。何が幸せかは分からないけどね」と有吉さんは返す。

年収2000万円もあったのなら、芸人活動を見越してたっぷり貯金し、それからやめるのであれば問題ないと私は思います。
やりたいものは仕方がない。奥さんと子供に経済的な迷惑をかけなければ、思い切って行動を起こすのもありなのではないかと……。

私は仕事柄、売れていない芸人や売れていない役者の知り合いがけっこういますが、結婚するので引退して別の仕事を探します、という人は割といます。
一方で、アルバイトをがむしゃらに頑張りながら、奥さんと子供を養っているという人も多いです。
また、稀なパターンとして、ほとんど働かず奥さんに食べさせてもらっている、いわゆる“ヒモ”といったやり手もいます。
“ヒモ男”の場合、往往にして批判の対象となりますが、私の知っている、奥さんに食べさせてもらってるタイプの舞台役者は、働いていない分、徹底的に家事の技術を磨いて完璧にこなしているため、奥さんから働いていないことに関して文句を言われたりはしないと言っていました。
この場合、経済的には迷惑はかけるが、その分ほかのところでカバーしているから許される、ということ。結婚していて夢を追い駆ける場合、金銭的な苦労をかけてしまうのはある程度仕方がないとして、しかしそれに代わる“何か”すら持っていなければ、それはもうアウト。仕事をやめてまでそれにかける、などということは許されないでしょう。

また、以前私が仕事で取材した人でこんな人がいました。
その人(男性・既婚)は、市役所に勤めていのですが、急に仕事をやめ、劇団を立ち上げ、昔からの夢だった役者として活動を始めました。
アルバイトで少ない生活費を稼ぎながら、風水を徹底的に研究し、それに基づいて宝くじを買い続けたそうです。
結局、2年間買い続けてもまったく当たらず、逆にお金を無駄に使う結果となり、劇団も畳まなければいけないかもしれないと言っていました。
その後、彼の研究が実を結んだのか、地道に働いているのか、それはわかりませんが、
リスクを背負って夢を追い駆ける人は、それが常識から外れているかどうかは別として、そのくらいの覚悟が必要なのだと思います。

(スタッフ:武市)
(2014/4/23 UPDATE)
番組スタッフ
今週は「三島由紀夫」をもとに、今の日本について考えるスペシャル企画をお届けします。

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1970年の三島事件から40年、2010年以降、
再び三島由紀夫、Mishimaが内外で再び注目を集めて久しい。

自死の直前、三島は次のような不吉な予言をしている。
「…私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない」

海外の文学者はもとより、ポール・シュレーダー、コッポラ、ポランスキー、ルーカス、
モーリスベジャールらからも、数少ない顔の見える日本人として、
その作品や人物が注目を集めてきた三島由紀夫は今でも世界中で読み継がれている。

世界の警察アメリカの影響力が薄れて、隣国の中国の存在感が本格的に増す中で
世界の新しい秩序が形成され始めている中で繰り広げられる憲法論議は、改めて顔の見えない、
顔を失いつつある日本人自身によるアイデンティティーの再確認かもしれない。

今週のタイムラインでは、菊と刀、武士道などと並ぶ日本関連ワードとしての三島に注目。
変わる世界の中での日本、日本人を考える。

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4月21日(月)星浩●SP企画:三島由紀夫の憲法改正草案から読み取るべきメッセージ
三島の覚悟をいまに伝える唯一の遺産、憲法改正草案が去年8月に初めて公開されました。
〈天皇は国体である〉
〈日本国民は祖国防衛の崇高な権利を有する〉
この条文は、三島由紀夫が「楯の会」の憲法研究会に作成を指示し、自らも議論に加わってできあがった憲法改正草案の一部です。
三島の死後の1971年2月、残された「楯の会」会員らによって「維新法案序」と題された草案がまとめられたが、一部公開されることはあったものの、原文は封印されたままだった。
ところが去年の8月、当時の楯の会主要メンバーであり、憲法研究会に所属していた本多清さんが、その全文公開に踏み切りました。しかもそこには、三島が草案作成に先だって記した直筆の「問題提起」が添えられていたといいます。

憲法改正の機運を高めるため、自民党が全国対話集会を宇都宮市内でスタートさせるなど、憲法改正に前のめりな安倍政権。
憲法改正が議論になっている今、三島の憲法草案から日本人が読み取るべきメッセージとは?


4月22日(火) 番組休止

4月23日(水)●SP企画:ヤンキーが日本の政治を支配することのおぞましさ
その消費形態を分析する本が登場するなど、今、社会論評の場において主要テーマとなっている「ヤンキー」。
日本社会にヤンキー文化が拡大していると語る精神科医の斎藤環氏は、ヤンキーを『バッドセンスな装いや美学と、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観と融合したひとつの“文化”』と定義付けます。
安倍晋三政権もヤンキー特有の「気合入れれば何とかなる」という空気に支持されている、と指摘した、斎藤氏による「自民党ヤンキー論」も大きな注目を集めました。
自民党のみならず、昨今の政治そのものがヤンキー化しているとの指摘もあります。
知性を放棄し、難局を気合いやポエムで乗り切ろうとするヤンキー性が、政治の中でも
当たり前に見受けられるという恐怖。
政治はいつまでヤンキー性と付き合わなければならないのか。
ヤンキー性を捨て去ることは可能なのか考察します。


4月24日(木)●三島由紀夫も嫌った、「愛国心」という言葉への疑念
内閣府が3月22日に発表した「社会意識に関する世論調査」で、愛国心が強いと答えた人(「非常に強い」「どちらかといえば強い」の合計)は前年に比べ3.7ポイント減少し55.3%、「愛国心を育てる必要はない」と答えた人の割合は過去最高の13.2%となったことがわかりました。
愛国者というイメージのある三島由紀夫も、自著『日本人養成講座』に「愛国心という言葉があまり好きではない」と記しています。
好きではない理由については、、、
愛国心は国境を以て閉ざされた愛が、「愛」という言葉で普遍的な擬装をしていて、それがただちに人類愛につながったり、アメリカ人もフランス人も日本人も愛国心においては変りがない、という風に大ざっぱに普遍化されたりする。これはどうもおかしい。
アメリカ人の愛国心と日本人の愛国心が全く同種のものならば、何だって日米戦争が起こったのであろう。「愛国心」という言葉は、この種の陥穽(※「人をおとしいれる策略」の意味)を含んでいる。

安倍政権が重視する「愛国心」と、「愛国心」という言葉を嫌った三島由紀夫。
三島の言葉を紐解き、「愛国心」という言葉の意味を問い直します。
(2014/4/21 UPDATE)
番組スタッフ
少し前ですが、カエルのキャラクターを起用したことにクレームが入り、放送自粛となったチューハイのCMがありました。また別のCMでは、お笑い芸人が外国人を思わせる高い鼻を付けた演出により、これも放送自粛となりました。
CMだけではありません。テレビドラマやバラエティ番組に寄せられた様々なクレームが、行き過ぎだとしてメディアで大きく取り上げられたのも記憶に新しいところです。
どんなあらを探して、クレームを入れてやろうか。想像を凌駕するクレームをどう処理するか。あるいは考えることを放棄してクレーマーに屈するか。
クレームというものに対して、出す側も出される側も異常なまでに敏感になっているのが、今の日本なのかもしれません。

クレームといえば、訴訟大国でもあるアメリカというイメージがあります。
先日、あるクレームとその処理の仕方が話題になりました。
そのクレームとは、アメリカ・ユタ州でアイラ・レヴィン戯曲の演劇『デストラップ』の上演を見た女性が、男性同士のキスシーンがあることに激怒し、「チケット代を払い戻せ」と劇団に抗議したというものです。

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わたしは通常冷静で、温厚で、動転したりはしない人間ですが、昨晩の『デストラップ』の第1幕末に演じられた露骨な同性愛表現には激怒いたしました。(中略)
あなたがたが単純に「同性愛の内容が含まれます」と書くことができなかったことにはぞっとさせられます。こんなにムカムカして激怒したのは初めてです!

<参考:男同士のキスシーンに苦情。劇団が出したパーフェクトな回答とは?>
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このクレームに対する、上演した劇団側の対応が称賛されているのです。
劇団側はこう解答しました。

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キスには反対するのに、彼らが人殺しだという事実には反対しないのですか?息子さんが殺人の芝居を目撃するのはよくて、同性同士のキスはだめなのですか?
『デストラップ』のような現代物の殺人ミステリーであろうと、『マクベス』のような不朽の悲劇であろうと、殺人を描く演劇が道徳的に容認できる理由は何ですか?

<参考:男同士のキスシーンに苦情。劇団が出したパーフェクトな回答とは?>
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さすが、クレーム大国。いや、ジョークが愛される国、アメリカ。クレームされる側も機知に富んだ反応を見せてくれます。

さて、長くなりましたが、ここからが私が今日、一番言いたいお話です。
4月から新ドラマが始まりました。いくつか注目作がありますが、私が個人的に一番楽しみにしていたのが、西島秀俊さん、香川照之さんをはじめとする錚々たるキャストが揃った『MOZU』。
ハードボイルド作家・逢坂剛の代表作、「百舌」シリーズを映像化したもので、同作は直木賞などを受賞しました。
警視庁公安部の警部が、妻を爆弾テロで亡くしたところから始まり、記憶を失った殺人鬼の青年がそのテロとどう関係していくのか、といった謎と並行して、事件の真相に迫っていくという、ホラー要素も入ったサスペンスです。

そんなドラマ『MOZU』が、喫煙シーンが多すぎるとして話題になっているようです。
中には以下、ブログのように喫煙シーンを逐一数えた人物も登場しました。
<ドラマ「mozu」の喫煙シーンが異常に多いのでしっかり数えてみました>

喫煙シーンの回数は合計21回で、放送時間の実に約20%の時間が喫煙シーンに費やされていると、ブログの著者である政治活動家は報告。そして、「タバコが映っているだけで問題視される事が多くなったこの時代に、意図的な喫煙シーンの連続。誰が、なぜ、何の意図があってこういう演出をしているか」と問題提起しています。

冒頭で長々と、アメリカのお芝居に対するクレームを紹介した私が何を言いたいか、お分かりかと思います。
『MOZU』では第一話からたくさんの人が死にました。ゴールデンタイムのドラマでは最近、珍しい残酷なシーンもありました。
にもかかわらず、なぜ喫煙シーンだけが批判されるのか。
昨今、話題となるクレームは果たして、物事の本質への非難・批判なのでしょうか。自身の物差しにあてはめて、そこからはみ出す些細な枝葉に対して怒りを覚えるという、お粗末な感情論に過ぎないようにも思えるのです。

おかしな言い方になってしまいますが、私たちは“フィクションとしての殺人”を許容しています。殺人がきっかけとなり、その物語を大きく展開させることは言うまでもありません。
フィクションとしての喫煙も同じです。紫煙をくゆらせるシーンが、その人物から漂う渋さや凄み、さらには哀愁を見る側に感じさせます。
特に小説の「百舌」シリーズの作者は日本を代表するハードボイルド作家と言われる逢坂剛氏です。ハードボイルドに喫煙は演出として付きもの。(どうでもいいかもしれませんが、私は非喫煙者です。)

本当に嫌いなら、きっと見ません。私の知人に映画やドラマの暴力シーンが大嫌いという女性がいますが、その人はそういったシーンになると、見ないことを選択します。また、私は虫の幼虫が大嫌いです。自然番組だけでなく、時としておかしなバラエティでも、幼虫はテレビに映ることがあります。そういった時は、即チャンネルを変えます。見ないことが最良の自衛手段に他ならないからです。

今年の1月から3月まで放送されたドラマ『明日ママがいない』に、児童養護施設で暮らす子供たちへの差別を助長しかねないという理由で放送中止を求めるクレームも議論を呼びました。私はこのクレームは本質にあたるものだと思っています。
なぜなら、このドラマでは「児童養護施設で親と離れて暮らす子供たちが愛情を知っていく過程」が主たるテーマとして描かれているからです。

私の主観ですが、昨今のクレーマーは少数派だと思っています。ごく一部にも関わらず、そのクレーマーの声があまりにも大きいがため問題視され、提供側がやむなく自粛するというケースは今度も起こりうることでしょう。
感情論が先行しすぎて、本質が見えなくなっているということがあまりにも多すぎます。
しかしこういったクレームの数々が、人間は自分が見たいようにものを見、聞きたいようにものを聞く生き物だということを証明しているようにも思われます。

スタッフ:坂本
(2014/4/17 UPDATE)
番組スタッフ
今月11日に、10歳下の一般人女性と5回目の結婚をしていた、ビッグダディことコダカラー・清志さんが、レギュラー出演する「バイキング」(フジテレビ系)で新妻を披露しました。
ビッグダディの「全部が好き」と話すなど、ダディが大好きな奥さんですが、その昔、芸能関係に身を置いていたといううわさがあり、今回の結婚は芸能活動を再開させるためなのではないかと報じられたこともあり、ネット上では、「売名行為」や「すぐに離婚して、奥さんはタレントとしてブレイク」などと、さっそく賑わっています。

思い出すのは、加藤茶さんやラサール石井さんの年の差結婚の時も「金目当て」「売名行為」「介護しないといけなくなるから大変」などと散々言われていたこと。
そこにあるのはやはり“嫉妬心”なのだと思います。
年下の美人な奥さんをもらった男に対する嫉妬、金持ちの旦那をつかまえた女に対する嫉妬。
ビックダディの場合は、ただ面白がられているだけ、ということもあるでしょうが、素人のおじさんが売れっ子芸能人のようになり、たくさんの子宝に恵まれて楽しそうに暮らしていることへの嫉妬、ということが言えるのかもしれません。
けれどこれはもう、芸能人である以上、宿命と思って諦めるしかないように思います。

しかし、たとえ一般人であっても同じようなことは起こり得ます。
私の知人に12歳年下の女性と結婚した人がいますが、わずか12歳差、しかも金持ちでも何でもないにも関わらず、周りの人から色々言われたと言っていました。
もちろん芸能人ほどのバッシングはありませんが、あまり関係の深くない人からも、嫌味を言われることもあるそうです。
「だいぶ年下の女性と結婚した」という事実だけで、何かひとこと言ってやりたいと思うほど、感情が動かされてしまうということでしょうか。
そのことが自分に何の悪影響も与えないのであれば、余計なことは言わず、そのことをただ面白がっていればいいのでは、と思いますが…。

私は、ビッグダディのように、いわゆる世間の常識というものから少しばかりズレている人を見るのが好きです。
その時は意識してはいませんが、そういう人を興味本位で観察しながら、参考にすべきポイントを見出したり、反面教師として利用したりしていることに、後々気がつきます。

俳優の坂上忍さんは、世間からズレた人に学ぶことの意義について、このように語っています。
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「格好いい生き様って、果たしてどうやったらできるんだろう?」
そんなことをリアルに学べる教科書があればいいですが、そんなものは学校にもありませんし、書店にも置いていません。
結局のところ、自分より先に生きている“先人に学ぶ”。これしかありません。
(中略)
ひとつだけ言えるのは、細かい会社のルールをひたすら厳守しているだけの人より、そこから多少“ズレた人”に興味を持ったほうが断然面白い、ということです。
僕の場合、子役をやっていたころに出会った大人たちのいい部分や悪い部分を見るだけで、かなりの刺激を受けました。大御所の俳優さんたちは、それはもう、その場に佇んでいるだけで恐ろしいほどの存在感がある。一方では、なかには大きな借金を抱えた役者さんもいます。そういう人が、撮影所で借金を取り立てられている姿はとてもみじめなものでしたね。
でも、これもまた大人の世界なんだ――と勉強させてもらいました。
(坂上忍・著「偽悪のすすめ」より抜粋)
+++++++++


ビッグダディの言動が果たして“格好いい生き様”なのかはわかりませんが、世間一般の感覚からズレている人に対しては、自分では体験できないことをやってみせてくれるありがたい存在(教材)として、無責任に遠くから眺めるのが一番、そんな気がします。

(スタッフ:武市)

(2014/4/16 UPDATE)
番組スタッフ
物議を醸している、「我が子の入学式を優先し、担任を務める学校の入学式を欠席した教師」をめぐる騒動。
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埼玉県立高校の女性教諭が長男の高校入学式に出席するため、日程の重なった勤務先の入学式を欠席していたことが14日、埼玉県教育委員会への取材で分かった。
県教委によると、50代の女性教諭は8日、長男の入学式に出るため、勤務先の高校で担任を受け持つ1年生の入学式を欠席した。
<「産経ニュース」(2014/4/15)より抜粋>
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こういったニュースが報じられると大抵、ネット上には教師に対するバッシング意見が溢れるような印象がありますが、今回はこれまでとは異なる意外な展開。
教師に理解を示す声がバッシングの声を上回っています。

埼玉県教育局に寄せられた86件(14日の午後5時時点)の意見のうち、「教師の行為に理解を示すもの」が45件(52%)を占め、「教師の行為を批判するもの」はわずか9件(10%)。
ヤフーの意識調査でも、<あなたは担任が「自分の子供の行事」を理由に、学校行事を欠席することについてどう思いますか?>という問いに対し、「問題だと思わない」は14万2916票で、「問題だと思う」の12万5716票を上回っています。

さらに、「脱社畜ブログ」の電脳くらげさんも、<教師が「けしからん」という意見が気持ち悪い>としたうえで教師を擁護。<教師は率先して「仕事よりプライベートを優先」する姿勢を見せるべき>と主張しています。
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この件で教師に何か言える立場の人がいるとしたら、それは県議でも保護者でもなく生徒だけだろう。二言目には「教師の倫理観」で、まるで中身がない。
僕は今回の事例のように、教師が率先して仕事よりプライベートを優先する姿勢を生徒たちに見せることは、教育上とてもよいことだと思っている。むしろ、どんどんやっていくべきだと思う。
<「脱社畜ブログ」より抜粋>
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これらの反応から感じるのは、教師には当たり前と考えられていた“自己犠牲”に対する意識の変化です。
埼玉県内の県立高校では、今回騒動になっている女性教師以外にも、同じ理由で勤務先の入学式を欠席した教師が3人いたようで、教師には当たり前と考えられていた“自己犠牲”に対する意識が教師以外の第三者だけでなく、当事者の教師においても変化が起きているように思います。
とはいえ、昔ながらの“自己犠牲”肯定派がしぶといことも確かですが、、、。

ブライダル業界で働く知人(30代女性)は、今回の騒動を自分の立場に置き換え、あっけらかんとこう言っていました。
「自分が担当する結婚式と子供の入学式が重なったとしたら、重なると分かった時点で担当を代えてもらう」。
教師に限らず、かつては当たり前だった“仕事のための自己犠牲”という意識が薄まりつつあるのかもしれません。

どうでもいい話ですが、高校の入学式の前日、親に「絶対に来ないで」と懇願したことを、今回の騒動を見て、ふと思い出しました。
思春期特有の自意識の高まりがそうさせたのでしょうが、自分の心の狭さを呪い、今さら後悔の念に駆られました。

(スタッフH)
(2014/4/15 UPDATE)
番組スタッフ
4月14日、代演の宇野常寛(評論家)さんとお送りする今夜のテーマは、『なぜ、日本人はロボットアニメを欲するのか?』。

4月から放送が始まった「2014年春アニメ」。多種多様なラインナップとなっていますが、中でも今期、大豊作なのが「ロボットアニメ」。
『STARDRIVER 輝きのタクト』、『キャプテン・アース』、『ブレイクブレイド』、『シドニアの騎士』、『テンカイナイト』、『M3〜ソノ黒キ鋼〜』、『風雲維新ダイ☆ショーグン』、『健全ロボ ダイミダラー』など、同時期に8作品もラインナップされています。
特に今期はロボットアニメが多いですが、日本人のロボットアニメ好きは今に始まったことではありません。鉄腕アトムに始まり、鉄人28号、マジンガーZ、ガンダム、エヴァンゲリオン…とロボットアニメは時代にかかわらず、登場し続けています。
なぜ、日本人はこうもロボットアニメが好きなのでしょうか。宇野さんにお話を伺い、その理由を考えます。


4月15日、岸博幸さんとお送りする火曜日は、『あまちゃん効果でも赤字 「ローカル線」が生き残る道』。

今月6日に全線の運転が再開された、岩手県の三陸鉄道。3年ぶりの全線開通に喜びの声があがっていますが、人口減少のなかで三陸鉄道の経営は厳しい状況にあります。
「あまちゃん」効果で乗客数は増えたものの、震災前の6割に満たず、2013年度の決算では経常損失が2億2142万円(前年比60.9%増)。20年連続で赤字を計上しています。
ただ、赤字に陥っているローカル線は三陸鉄道だけではなく、2000年以降、廃線となったローカル線は全国で35路線にも及んでいます。
苦しい状況にあるローカル線が生き残るためにはどうすればいいのでしょうか?
慢性的な赤字から黒字に転換した「いすみ鉄道」のケースを参考に、ローカル線が生き残る道を探ります。


4月16日水曜日、上杉隆さんとお送りするのは、『「アクト・オブ・キリング」が映し出す、インドネシアの闇』。

1965年にインドネシアで起きた「9・30事件」後の大虐殺を加害者側から描いたドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」が、先週土曜(12日)から公開され、話題になっています。
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スカルノ大統領(当時)親衛隊の一部がクーデター未遂事件を起こす。クーデターの収拾にあたった軍部のスハルト少将らは、事件の背後にいたのは共産党だとし、西側諸国の支援も得てインドネシア各地で100万とも200万ともいわれる人々を“共産党関係者”だとして虐殺。以来、彼らは権力の座に就いている。
映画作家ジョシュア・オッペンハイマーは、虐殺に加担した実行者たちを取材し、彼らが過去の殺人を誇らしげに語る理由を知るために、殺人を好きな形で再現し映画にすることを提案した。この映画はその過程の記録である。
<「アクト・オブ・キリング」パンフレットより抜粋>
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この映画が描く「9・30事件」後の大虐殺について、『9・30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』の著者で「アクト・オブ・キリング」の字幕監修もされている慶應義塾大学名誉教授の倉沢愛子さんは、「日本も欧米諸国と横並びで口を閉ざした」「スハルト新体制への経済援助を契機に、日本は世界の経済大国へと上り詰めていった」と指摘しています。
つまり、大虐殺は日本人が長いあいだ享受してきた富や繁栄と無関係ではない、と言うのです。
話題のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」が映し出す、“インドネシアの闇”とは?
そして、その闇から見えてくる“日本政府の罪”とは?
話題の映画を通して、“インドネシアの闇”と“日本政府の罪”を考えます。


4月17日、伊藤洋一さんとお送りする木曜日は、『深刻化する被災地のシングルマザーの貧困』。

先月末に開催された東北のシングルマザーたちの現状を聞く集会で明らかになった、復興政策や福祉政策からこぼれ落ち、貧困や差別に苦しむ“シングルマザーたちの厳しい状況”。
岩手県陸前高田市を活動拠点とするマザーリンクジャパン代表の寝占理絵さんは「経済的には震災で母子家庭になった人よりも、震災前から母子家庭の方が大変。震災で父親が亡くなった家庭には、あしなが育英会をはじめ、義援金、生命保険金が入ったケースも多いです。それに対し、震災で安定した職を失った母親も多く、3人の子供を持ちながら、3つのパートを掛け持ちしている人もいる」とその格差について言及しています。
また、シングルマザーを支援する制度はあるものの、偏見や差別が気になって使っていないという現状に加え、罹災証明書もなかなか出ずに制度からはじかれる人もいるといいます。
当事者にお話を伺い、被災地のシングルマザーたちの間で深刻化する貧困の実態に迫ります。
(2014/4/14 UPDATE)
番組スタッフ
先日、小保方晴子さんのSTAP細胞問題に関する記者会見が行われました。
テレビ番組が人気ドラマの再放送を中止して、小保方さんの記者会見を延長放送するなど、異常なまでの注目度に、驚いているのは私だけではないはずです。
夕方、夜のニュースを見ても、小保方さんの会見がトップで扱われるものがほとんどでした。
そんな小保方会見を受けて、夜のニュースの代表格「報道ステーション」での古舘伊知郎キャスターの発言が批判されています。

記者会見で小保方さんが追求されたもの一つが、「画像データの拝借元が、パワーポイントであった」という点です。

Q:なぜ論文作成の時に論文の画像データを実験の元データからではなく部内説明用のパワーポイントから持ってきたのか。

A:何度も何度もパワーポイント内で更新していたので、そこに載っていたデータを安心しきって使ってしまった。元データを確認すれば良かった。毎日反省している。
<参考:日刊スポーツ・小保方氏が開いた会見での主な発言>

こういったやりとりを受けて、報道ステーションでは、パワーポイントが何かを説明、古舘さんが私はパワーポイントが何かはわからない…という発言したのです。

ニュース番組のキャスターがパワーポイント(以下、パワポ)を知らないことに、ネットには古舘さんの無知に対する批判が殺到しました。
下記サイトに、放送を見ていたツイッターユーザーのリアクションがまとめられているので興味のある方はご一読を。

【衝撃】古舘伊知郎、報道ステーションで「パワーポイントを知らない」と告白→無知すぎると批判殺到

パワポなんて、59歳の古舘さん以上の世代なら知らない人も多いのかもしれません。
古舘さんのプライベートを勝手に想像してみると、彼がパワポを普段、使わないことは大いに考えられます。古舘さんはおそらくプレゼンする側ではなく、される側。手元にある資料がどんなソフトを使って作られたものなのか、知る必要はないのです。
また、テレビ番組の会議において、パワポで作られた資料が出て来ることはほとんどありません。新番組立ち上げにいたるまでの会議において、番組のコンセプトや詳細、出演者情報などを記したパワポ資料が登場することはありますが、番組がランスルーしてしまえば、資料のほとんどがワードで作られたものとなります。

また、パワポ不要論があるのも事実です。スティーブ・ジョブズは自伝の中で、「自分が何を話しているのか分かっている人にパワーポイントは必要ない」という言葉を残しており、私の周りのプレゼンが上手な人を見ても、パワポに依存しているという人は皆無です。第一線で活躍する人、仕事ができる人にとって、パワポとは知らなくてもいいものなのかもしれません。

マスコミの揚げ足取りがネットで好まれるのも、別に今に始まったことでもないし…

…と古舘さんを擁護しようとしてみましたが、やはりそれは適いません。
この古舘さん発言については、賛否両論あるようですが、私は「否」です。

古舘さんは報道番組のキャスターです。
果たして、一連のSTAP細胞報道を見ていて、あるいはキャスターとして携わっていて、思い浮かぶのは「パワポとは何か」という疑問でしょうか。
捏造があったかどうかは置いておいたとしても、実験ノートとは何なのか、ネイチャーとはどういう雑誌なのか、結局、STAP細胞とは何なのか…。番組制作者としては、こういった疑問をきっかけに問題を検証していきたいものです。
疑問を抱くポイントのズレに違和感を覚えると同時に、放送前にどんな事前打ち合わせをしているのか、知りたくなりました。
ニュースにしても、バラエティにしても、ドラマにしても、必ず事前にスタッフが出演者に内容を説明する打ち合わせが行われます。多くの場合、出演者は内容に関する疑問などを大体、打ち合わせでぶつけて本番までに消化します。
生放送のバラエティならば、台本なし、事前打ち合わせなしのぶっつけ本番でおもしろがれるのでしょうが、報道ステーションは情報を正しく伝えることが基本の報道番組。

パワポを知らないことが悪いのではなくて、パワポを知らないという疑問が本番で出るのが悪いのです。それは、キャスターなのに予習をしていないことを意味しているように思えます。
キャスターに予習は必須です。私が担当している某テレビ局の報道番組において、キー局の女子アナ上がりのキャスターは毎日、予習を欠かしません。スタッフから配られる次回放送用の資料を読み込むだけではなく、わからない言葉などをノートにメモし、自身で調べ、本番にあたっています。

もちろん、ニュースで取り扱う情報は政治経済のみならず、スポーツ、文化、科学などと幅広いため、キャスター自身で予習しきれない場合が多々あります。
そんな時は大抵、その分野に明るいコメンテーターを用意して意見を賜り、情報を補うのが常です。

何でもかんでもググることが、思考の放棄だとして批判されることがありますが、自分が既に持つ知識、あるいは興味を抱く対象だけで、全てを成立させようすることこそ思考の放棄でしょう。

若者のテレビ離れ、テレビは年寄りのものといった声が叫ばれて久しいですが、テレビを観察しているネットユーザーはいます。今回の批判が、観る側と作る側の乖離を浮き彫りにしたのではないでしょうか。

そういえば…、かつて古舘さんが一般常識を問うクイズ番組の司会をやっていたことを思い出しました。

スタッフ:坂本
(2014/4/10 UPDATE)
番組スタッフ
7日に放送されたフジテレビ系『バイキング』に、大人気のご当地ゆるキャラ・ふなっしーが出演。
MCの坂上忍さんに悩み事を相談するというコーナーに登場したふなっしーは、「最近子供だけでなく大人にまで殴られる」という悩みを打ち明けました。
「そこらへんの通行人をバーンって殴ったら、警察にしょっぴかれるなしな。でもふなっしーの場合、なんか“あり”みたいな雰囲気で・・・」といつもの明るい調子で喋っていましたが、どことなく真剣みを帯びた口調からは、悩みが切実であることが窺い知れました。

後日このことはネットでも記事になりましたが、記事によると、ふなっしーの悩みに対してネット上では、「ボディガードを付けた方が良い」との声が見受けられたが、マスコットキャラの使命は人々と交流することであり、気軽にイベント会場を歩き回って人々と触れ合うことであるため、アイドル並みの人気者となったふなっしーであっても、物々しい警護を付けることは、何よりも本人が望むことではないだろうとのこと。

しかし、極端に視界が狭く、アテンドと呼ばれる付き添いがいなければ、歩けないキャラクターもいるそうで、たとえ俊敏なふなっしーであっても、後ろから押されただけで大ケガにつながる可能性さえあるのだという。

私は学生時代、いわゆる“中の人”のアルバイトをやっていたことがあるので、その辛さは経験上、多少は理解できます。
私がやっていたのは、某飲料メーカーの、当時はそこそこ人気だったマスコットキャラクターで、イベント会場に登場すると、子供たちに囲まれ、バシバシと叩かれるわけですが、これがかなりの衝撃なのです。とてつもなく“痛い”んです。大勢に囲まれて叩かれた時は、恐怖すら感じるほどで、そんな時は、アシスタントの女性に合図を送って助けに来てもらうようにしていました。
ふなっしーほどの人気者になると、集まってくる人の数も半端なものではないでしょう。想像しただけでぞっとします。

しかし不思議なのは、子供たちの親が、叩いているのを見てもほとんど注意をしないということ。私はいつも叩かれながら「なぜ止めさせないんだ」と憤っていましたが、恐らく「痛そうに見えない」からなのでしょう。
子供たちは、キャラクターが痛がっているとは思っていないので、大人が注意するしかないのですが、大人もそれが普通のスキンシップにしか見えない、ということだと思います。

ふなっしーの大ファンであることを公言している弁護士の大渕愛子さんは、自身のブログに、こう記しています。
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先日の東大和のイベントに行った友人からも、ふなっしーが歩き回ってファンサービスをしているときに、子供たちがふざけてふなっしーをボコボコ叩いてしまった場面があったけれど、ふなっしーはじっとうずくまって何も言わずにただ時が過ぎ去るのを待ち、楽しい雰囲気を乱さないようにしていたと聞きました・・・
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「じっとうずくまって何も言わずに」いたのであれば、さすがに誰か大人が注意したのではないかと願わずにはいられません。

けれど、注意しない大人よりも更に酷いのが、ふなっしーも番組で訴えていましたが、「叩く大人」です。
さすがに子供ほど多くはありませんが、私も何度か遭遇したことがあります。
アルバイト時代の自身の経験もありますが、今のマスコミの仕事をするようになってから関わった仕事でも見たことがあります。
あるテレビ番組のマスコットキャラクターが、夏祭りにサプライズ参加するという企画では、登場してすぐに地元の中学生たちに殴られ、ケガをしてロケが中止になるということがありました。

「ちょっとしたことでも中の人は大変」ということをメディアで訴えることができれば改善されるのかもしれませんが、そこらへんは“タブー”とされている領域です。
ふなっしーが番組で相談したことを、ネットでは「他の暴力を振るわれているゆるキャラのための行動」と称える声もありましたが、ゆるキャラとしての“タブー”があまりないふなっしーに、そこらへんのことも、うまく誤魔化しながら、世間への警鐘を鳴らしてくれることを期待してしまいます。

(スタッフ:武市)

(2014/4/9 UPDATE)
番組スタッフ
好き嫌いが分かれる飲み物の代表といえば、牛乳。
わたしにとっては、「飲もうと思えば飲めるが好んでは飲まないもの」という位置づけで、好きか嫌いかと問われれば、嫌いと答える類のものです。
当然、学校の給食で出される牛乳を飲むのは苦痛以外の何ものでもありません。
牛乳にあまり手をつけないわたしを見て、先生はよくこう言っていました。「飲まないとカルシウムが足りなくなるから、飲みなさい」と。

これは20年以上も前の話ですが、今でもこうした「牛乳=カルシウム」信仰なるものは健在で、産経新聞の記事「新潟・三条市 試験的に学校給食の牛乳中止へ」に対するネット上の反応からも、それは見て取ることができます。

この度、給食で牛乳を出すことをやめる決定をしたのは、新潟県三条市。三条市内にある30の小中学校で今年12月から来年3月までの4カ月間、給食のメニューから外れるようです。
理由は、三条市が全ての給食を米飯にする「完全米飯給食」を実施している関係上、メニューが基本的に和食だから。
つまりは和食中心のメニューに「牛乳は合わない」といった保護者からの声に応えたもので、三条市は「どんな献立でも必ず牛乳を付けることで食べる組み合わせが分からなくなっている。学校給食は食べることを学ぶ時間でもあり、一汁三菜の望ましい和食を提供することで子供たちに将来の食習慣をつくる献立のバランスを学んでもらいたい」とその意図を説明しています。

この記事に対し、ネットには「給食で牛乳廃止なら、魚を骨まで食べられるように工夫させないとカルシウムは摂れない」「牛乳なくなったら給食で規定のカルシウム超えるのむずかしくなってきそう」といった、頑なな「牛乳=カルシウム」信仰を感じさせる書き込みがちらほら。

1998年に女子栄養大学が行った食品別カルシウム吸収比較試験では「牛乳40%、小魚33%、野菜19%」という結果が出ており、牛乳と小魚のカルシウム吸収率はそれほど変わらないことが分かっているだけでなく、三条市が小魚を入れたふりかけや乳製品のデザートを出す回数を増やすなどして、牛乳で取っていたカルシウムを補うとしているにもかかわらずです。

さらに、フードプロデューサーの南清貴さんも、「牛乳=カルシウム」信仰には懐疑的。
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まるで信仰のように「牛乳は完全栄養食品」と言うのはやめていただきたいのです。牛乳が完全栄養食品と言われているのは、タンパク質、脂質、糖質、各種ビタミン類、ミネラルなど、食品成分表に記載されている栄養成分のほとんどが入っています、というだけのことで、バランスのことまで言及しているわけではありません。
しかも、8割以上の日本人は乳糖を分解できる酵素を持っていないので、体質的に合わないため、牛乳からカルシウムを補給することはできません。
カルシウムを補給したいなら、毎日の食事の中で小魚や野菜、海藻、種実を食べていれば大丈夫です。
<『じつは体に悪い19の食習慣』(ワニブックス)より抜粋>
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『変な給食』『もっと変な給食』の著者で管理栄養士の幕内秀夫さんは、どんなメニューにも牛乳が組み合わされる現状を“極めておかしなこと”だと断じています。
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ご飯のない給食、パンのない給食はあっても、必ずと言っていいほど「牛乳」が出されています。ご飯と焼き魚にも牛乳。ラーメンにも牛乳。雑煮やすいとんにも牛乳。
家庭でそんな組み合わせの食事をする人はめったにいないと思います。学校給食では極めておかしなことが行われていると思っています。
<『もっと変な給食』(ブックマン社)より抜粋>
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今でもわたしの記憶に刻まれている、おかしな組み合わせは、「うどんに牛乳」「ご飯とみそ汁に牛乳」「シチューに牛乳」の3つ。食事としておかしいことは一目瞭然です。

東京新聞(2006/10/14朝刊)によると、文部科学省学校健康教育課は「そもそもミルク給食は戦後の食糧難に始まったもの。今もカルシウム源として薦めてはいるが、出す出さないは自治体や各学校の判断。一日一本という決まりもない」と説明。
給食に牛乳を出すかどうかの判断は現場に委ねられているといいます。
近年では、福島県喜多方市立熱塩小学校が「和食に牛乳は不要」と給食にはお茶を出し、放課後に牛乳を出すという試みを実施、牛乳の替わりにヨーグルトや牛乳ゼリーを提供している学校も出てきているようです。

ただし、こうした動きが大きく報じられるのは、ごく稀なこと。
なぜか大きく報じられた今回の三条市の試みによって、こうした動きが全国に広がり、頑なな「牛乳=カルシウム」信仰が解かれるのはもちろん、給食のおかしな組み合わせが減ることを願うばかりです。

(スタッフH)
(2014/4/8 UPDATE)
番組スタッフ
4月7日(月)ゲスト:作家・海堂尊さん●揺らぐ「本屋大賞」の存在意義
毎年恒例となった、書店員による投票で選ばれる文学賞「本屋大賞」。
2014年の大賞は4月8日に発表されますが、その発表を前に、
『チーム・バチスタの栄光』などの小説で知られる医師で作家の海堂尊さんが
自身の公式サイトで「本屋大賞」を痛烈に批判し、話題となりました。

出版市場が縮小傾向にある中、書店から「売れる本」をつくるのを目的として
2004年に始まった本屋大賞。
海堂さんは「本屋大賞は書籍の売り上げ低下傾向に拍車を掛ける」と苦言を呈します。その理由とは…。

ベストセラー作家が批判したことで存在意義が議論されている「本屋大賞」。
2004年の設立から10年が経つが、もうその役割を終えたのか…。
作家の海堂尊さんをゲストにお迎えして、揺らぐ「本屋大賞」の存在意義を考えます。


4月8日(火)●専業主婦を選択するアメリカの高学歴女子。そして日本は…?
『ハウスワイフ2.0』という本が話題になっています。ハーバードやエールといった一流大学を出て得た輝かしい職を捨て、専業主婦になるアメリカの若い女性たちの実像を紹介しています。専業主婦の道を選んだ高学歴女子たちは、子育てや料理に時間を割きながら、ブログで情報発信し、手作りの品をネットで販売しているというのです。
その一方、研究者を中心とした高学歴女子がワーキングプアになっている現状を明らかにした『高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか?』という本も話題です。

アメリカで礼賛される高学歴女子たちが専業主婦を選択する「ハウスワイフ2.0」は
日本でも受け入れられるのか?
貧困にあえぐ日本の高学歴女子たちを救うことはできるのか?



4月9日(水)●袴田事件に見る、刑事司法の現実
1966年の殺人・放火事件で死刑判決を受けていた、元プロボクサーの袴田巌さんが27日、静岡地裁の再審開始命令を受けて、48年ぶりに釈放されました。
静岡地検は31日、決定を不服として東京高裁に即時抗告。再審をめぐる審理は東京高裁に。事件への海外メディアの注目度も高く、死刑制度への批判や日本の司法の不備を突く報道が目立っています。
なぜ袴田事件は起こってしまったのか。そこから見えてくる、日本の刑事司法の現実とは。



4月10日(木)●「すき家」騒動にみる、社会的行為としてのサボタージュ
外食産業最大手ゼンショーグループが全国1985店舗を誇る牛丼チェーン「すき家」に一時閉店が相次いでいると話題になっています。
3月中旬より、すき家の店舗が、「人手不足のため」という旨の貼り紙をして一時閉店するという事態が起こり、Twitterなどで報告されていました。
また、2ちゃんねるには、2月中旬より『吉野家』の後追いで始めた「牛すき鍋定食」があまりにも手間がかかり、アルバイトがキレて辞める事態が続出しているという書き込みが相次いでいたといいます。
一方で、ゼンショーは3月24日、公式ホームページに「リニューアル(改装)工事」を順次開始すると発表。ゼンショー広報は、現在、全国百数十店舗がリニューアル閉店中だとしています。

ネットの書き込みとゼンショーの発表で整合性のとれない、今回の騒動。
フリーライターの赤木智弘さんは、「ネットの憶測は単純に憶測と切り捨てるわけにもいかない」として、「労働を拒否することでしか状況改善は望めない」と、“サボタージュの価値”を説いています。
憶測が飛び交う「すき家」騒動。この騒動から見えてきた、“サボタージュの価値”とは?
(2014/4/7 UPDATE)
番組スタッフ
年齢が年齢だからかもしれませんが、私のFacebookのタイムラインは、友人たちの子どもの写真で溢れかえっています。
否定的なリアクションを示す人は誰もいません。しかし、こういった写真は見る人が見たら、不快の対象でしかないことも考えられます。
先日、子どもが生まれた友人が生まれたての赤ちゃんの写真をアップしていました。
「かわいい」「お父さん似だね」という微笑ましい書き込みがある中、ある男性が「親バカもほどほどにしろよ」と他のコメントとは気色の違うものを書き記していました。その“ある男性”が独身なので、私の頭が勝手におかしいと思ったのかもしれませんし、投稿主とその男性の関係性をよく知らないので、一概に言うこともできません。しかし、私はこのコメントを「何かのやっかみだろうか」と想像してしまいました。ただ写真をアップしただけで「親バカ」になるものなのか…。

インターネットには、自身が自慢のつもりで投稿しなくても、それを見た人には胸糞悪い自慢だと映ることがあります。ネットの茶飯事となっている炎上にも、こういった自慢と嫉妬の関係が一因となっている場合もしばしばです。

例えば最近、女優の矢田亜希子さんのブログが炎上しました。
自身のブログに長男の卒園式を訪れた際の写真を掲載しているのですが、シャネルをアピールしたファッションだということで炎上にいたったのです。ネットには「ドン引き」「自慢臭しか漂ってこない 」「全身シャネル、ミニスカートってどうなの」といった反応があったと言います。
芸能人なんだから、良い格好ができて当たり前。卒園式に親がめかしこんでいくのも許されるはず。
“あの”矢田亜希子さんだったから、とでも言うのでしょうか。

これは私の話ですが、先日、送別会があり、私の住んでいる所を尋ねられました。
「目黒区です」と私が答えると、
「高級住宅街じゃないですか!税金、高いでしょう?」と質問者。
「いやいや、そんなことないですよ…」と私。
目黒区に住み始めて以降、こういった不毛なやりとりを幾度となく、繰り返してきました。
言わずもがな、目黒区だって色々な人が住んでいるのです。税率は収入によって違うのです。目黒区に住むことが大罪であるかのような錯覚を覚えてしまいます。

私と同業の40代男性は、マンションを購入したことを一部の人にしか話していないと言います。
理由は余計な嫉妬はされたくないからだそうです。

Facebookに投稿する写真や文面にも、読む人に自慢と取られないように細心の注意を払ったり、嫉妬されないように自身をわざと卑下してみたり…色々と本当に面倒くさくなりました。
なぜこうも嫉妬という感情が、事態をこじらせるようになったのか。自慢をする人が増えてしまったからなのでしょうか。
コラムニストの小田嶋隆氏は著書の中でこう述べています。

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われわれの住んでいるこの国では、この10年か20年の間の変化として、資産であれ、血統であれ、学歴であれ、勤務先の知名度であれ、自分に関するスペックを他人に誇る態度が、最悪のマナーとして忌避されるようになっているわけで、遠回しの自慢であっても、何かをひけらかしていると見なされたが最後、その人間はバッシングのターゲットとしてロックオンされるのだ。
(『ポエムに万歳!』小田嶋隆著)
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自慢が最悪のマナーとなってしまった背景については、次のように分析しています。

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おそらくわれら現代人の過度な謙虚さの背景には、インターネット時代になって表面化した「匿名の悪意」がある。
嫉妬は、そもそも陰陽で言えば陰の感情だった。それゆえ、その身のうちに嫉妬を抱いている人間がいたのだとしても、彼または彼女は、その自分の中にある感情を、大っぴらには表明しなかった。
(『ポエムに万歳!』小田嶋隆著)
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「非リア充」であることが是とされていたインターネットの世界。
20年以上インターネットを利用している私の知人は有名企業に勤務し、かなりの収入もあり、容姿にも恵まれているのですが、SNSや2ちゃんねるでは「非リア充」を装います。SNSの場合は妬まれたくない、2ちゃんの場合は無職で童貞として書き込む方がおもしろい…とのこと。

技術の進歩により、インターネットの間口は広がりました。リア充、非リア充、情弱、情強、その他大勢…様々な属性の人が混在しています。共棲できているかはわかりませんが。
インターネットは「非リア充」のものという独占欲をはらんだルールが、嫉妬という原始的な感情を複雑にしているのかもしれません。

スタッフ:坂本
(2014/4/3 UPDATE)
番組スタッフ
先日、ユーミンこと松任谷由実さんのコンサートで起こったとされるある出来事が話題となっていました。
きっかけとなったのは、ユーミンのファンサイトに寄せられた次の一文。

“一列の真ん中のお客さんが、コンサートの半ばの曲でスタンディングをなさったのですが、その真後ろの席の方が、ふいに立たれた方の頭をたたいたんです。邪魔だから座れ! という合図だったと思います。そのあと、最前列の方は席に着かれました。あまりに唐突な出来事で、びっくりしてしまいました”

事が起こったのは、昨年12月6日の大阪でのコンサートだそうですが、この書き込みによってネット上では「コンサート中に立つのはOK?NG?」という議論が巻き起こりました。
どんな理由であってもさすがに叩いてはダメですが、私もコンサートなどに行くとノリノリになるタイプではないので、座ってじっくり楽しみたいという人の気持ちはわかります。

音楽評論家の富澤一誠さんは、このように語っています。

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「ユーミンの多くのファンは、以前と同じようにコンサートは最初から最後まで盛り上がるものと考えているはず。でも少数ですが、『ちょっといい加減にしてよ。コンサートはじっくり聴くものでしょ』という人も増えつつある。その過渡期に起きた事件ですね。
暴力は論外ですが、正直、僕もずっと立つのはしんどくなっている。なんでもかんでも立つというファンは、今後、関係者から注意されることもあるのでは」
(女性自身・2014年4月8日号)
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コンサートのマナーということで言えば、「座る・座らない」の問題以外にもいろいろとあります。
私は以前、よく付き合いでいろんなアーティストのコンサートに行くことがあったのですが、たまに迷惑な人に遭遇しました。
となりで大声で歌う人、会場の出入りを繰り返す人、バラード曲になるとジッポライターを取り出してペンライト代わりに使い、その度に係員に注意される人、など。

あの時は嫌な気分にさせられましたが、今思えばこういった人たちは、気分が高揚して普段とは違う心持ちになっているため、まわりに迷惑をかけているという自覚がなかったのかもしれません。
そして、コンサートの途中で立つ人も、同様に悪気があってやっているわけではない、ということでしょう。

どのタイミング(曲)で立つのかという問題は、結局、どんなコンサート(アーティスト)なのかによって違ってくると思うので、その場の空気を読んで行動するしかないような気がします。

けれど、私が経験上いやだなと思ったのは、「立つのが当然」のように考えている人。
ノリノリの曲の時に立つのは自然なことですし、その時に自分が座っていて見えなかったとしても仕方がないと諦めるようにしていますが、そんな座っている私に対し、となりにいた人が、「ファンが一体となって盛り上げようとしてるのに、何で水をさすんだ」みたいな目を向けて来た時は(私の思い込みかもしれませんが)、何だかいたたまれない気持ちになりました。

私のように「座ってはいても、心の中ではノッている」人もいるし、興奮のあまり思わず立ってしまう人だっています。
そんな人をいちいち気にして目くじらを立てるより、コンサート会場ではひたすら自分だけの世界に没入すればいいのではないでしょうか。

(スタッフ:武市)
(2014/4/2 UPDATE)
番組スタッフ
きのう最終回を迎え、32年の歴史に幕を下ろした、『笑っていいとも!』。
ビートたけしさんが読み上げた表彰状共演NGと噂されていた芸人の共演、「バラエティーって残酷」という言葉が印象的だった中居正広さんのスピーチタモリさんの最後のあいさつなど、話題に事欠かない内容で、昼の最終回は16.3%、夜の生特番は28.1%といずれも高視聴率を記録しました。

「最終回に涙は不要」だと信じてやまない、わたしにとっては“涙”を意識した中盤から後半にかけての演出には違和感がありましたが、それはさておき、昼と夜合わせて4時間超を見ていて無性に気になったのが、「出演者がタモリさんを呼ぶときの呼び方」です。

大多数は「タモリさん」なのですが、「タモさん」と呼ぶ出演者もちらほら、「タモタモさん」、「あんた」という独自の呼び方もありました。
以下は昨日の放送内で確認できた呼び方の一覧です。

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●「タモリさん」と呼んだ出演者
ベッキー 指原莉乃 木下優樹菜 柳原可奈子 設楽統 日村勇紀 山崎弘也 渡辺直美 綾部祐二 又吉直樹 千原ジュニア トシ タカ 三村マサカズ 大竹一樹 関根勤 田中裕二 草なぎ剛 石橋貴明 木梨憲武 天野ひろゆき 柴田理恵 稲垣吾郎 吉永小百合

●「タモさん」と呼んだ出演者
劇団ひとり ウド鈴木 勝俣州和 ピーコ ヒロミ 岡村隆史 ビートたけし

●「タモリさん」と「タモさん」を併用した出演者
太田光 中居正広 香取慎吾 木村拓哉

●「タモリさん」と「タモタモさん」を併用した出演者
ローラ

●「あんた」と呼んだ出演者
笑福亭鶴瓶 明石家さんま 
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「タモタモさん」や「あんた」は独自すぎるので放っておくとして、注目すべきはやはり「タモさん」という馴れ馴れしい呼び方です。
一覧を見れば分かるように、昨日の放送内でタモリさんを「タモさん」と呼んだ芸能人は中堅や大物ばかり。「タモさん」と呼んでいても違和感がないと思う一方で、「タモリさんと自分の関係は、他の芸能人とは一味違う」という意思表示のようにも見えます。

コラムニストのナンシー関さんは今から12年前、『噂の真相』2002年3月号に掲載されたコラムの中で、タモリさんを「タモさん」と呼ぶことの意味を「タモリを定点とした自分の位置宣言」と分析。
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若手のお笑い芸人やアイドル、ミュージシャンが口にする「タモさん、タモさん」は単なる呼称ではなく、「対タモリ」観、ひいてはタモリを定点とした自分の位置宣言という側面もある。
タモリを「タモさん」と呼ぶこと自体よりも、タモリを「タモさん」と呼ぶ自分に意味があるのである。
「タモさん、タモさん」と言うことにリスクがない。かつてBIG3と言われたたけし・さんまに置き換えてみるとそのノーリスクぶりが際立つ。
<「噂の真相」2002年3月号より抜粋>
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また、つぶやきシローさんは「テレビでタモさんって呼ぶことによって、馴染んでいる感を出したいのだろう」と指摘しています。
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タモリさんを「タモさん」と呼ぶ若いタレントがいる。よく呼べるな〜と思う。愛称とは言え、歳も離れた大先輩に失礼だとは思わないのかね?みんな言っているし、とかテレビでタモさんって呼ぶことによって、馴染んでいる感を出したいのだろう。
計算高い若手がいきなりタモさんって呼ぶのを見ると引いてしまう。
<「東京新聞」2014/3/25朝刊より抜粋>
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関連本が相次いで出版されるなど、リスペクトの機運がこれ以上ないぐらい高まっているタモリさん。
そんなタイミングだからこそ、タモリさんを「タモさん」と呼び、必要以上に馴れ馴れしく接する芸能人は注意深く観察していくべきですし、今それをするか否かはその芸能人の人間性を測る尺度にもなり得るように思います。

(スタッフH)
(2014/4/1 UPDATE)

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