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番組スタッフ
もし自分が常識だと思っていることが、実は非常識だったら…。
最近、よくこんなことを考えるようになりました。
昨日も、私が小学校1年生の時、国語の教科書で読んだ「おおきなかぶ」にまつわる常識が覆るということがありました。

【童話「おおきなかぶ」。あの巨大カブが抜けなかった理由/The Huffington Post】

これまで私はかぶが大きすぎるあまにり、人間だけでは手に負えず、動物の力も借りることになったのだと思っていましたが、原因はかぶの大きさなどではなく、意外なところにあったようです。

大きなかぶの真実はさておき。
常識を逆転させることで、世界の見え方が変わる…。
そんな短編映画が明日(8月1日)まで、無料でweb公開されています。

タイトルは「Love Is All You Need?」

物語の主人公はカリフォルニア郊外に住む10代の女の子・アシュリー。
年頃となったアシュリーは男の子を好きになります。
しかし、この映画の世界において、「異性間の恋愛」は御法度。
なぜなら、同性愛者が多数派を占め、異性を好きになるのが少数派という常識が「逆転」した世界なのです。

皆、一様に同性同士で結婚しており、アシュリーの両親も共に女性。男女が子孫を残すために交わるのは政府が定めた「ブリーディング(交配)」の期間だけとされており、それ以外で関係を持ったり、近づいたりすると「変態」であると差別されてしまいます。

アシュリーは幼児期に自分の中の「非常識」に気がつくのですが、それをカミングアウトできぬまま、しかし芽生えた感情を殺すこともできぬまま成長します。
恋の1つや2つも珍しくない10代となったアシュリー。好きな男の子ができ、こっそりと会うようになります。
そんな「非常識」なアシュリーに待ち構えているのは、「いじめ」です。

異性間恋愛をした者は地獄に落ちるという表現すら登場するほど、「いじめ」を受け、多数派から排除されるアシュリー。いじめを発見した教師も、異性を好きになってしまうというおかしな感情はそのうち消えてしまうというような、おかしな慰めをアシュリーに与えます。

異性を好きになってしまう少数派だとしても、なぜ自分がいじめられなければらないのか、違和感を覚えるアシュリー。
誰からも理解されないアシュリーの感情は、良からぬ方向へ進んでいくのです…。


わずか19分の短編ですが、作品の最後に実話を元にしたものであるという注釈がなされます。
作品のホームページによると、この作品が作られた背景にはアメリカで深刻化する「10代の同性愛者のいじめを苦にした自殺」の問題があります。
思い起こせば数年前、レディー・ガガが同性愛者だといじめられ死を選んだ少年の事件をきっかけに、Twitterでいじめ撲滅を訴えていました。

人と何かが違っている、多数派ではなく少数派であった場合、その人はどうなるか。
人と違っているところをイジられます。多数派による超主観的な判断のもと、少数派は「劣」のレッテルをはられます。
その結果、多数派のコミュニティーから少数派は当然のように排除されてしまうのです。

「いじめを無くそう!」と叫ぶ啓蒙活動は確かに大事かもしれません。
しかし、社会の仕組み上、あるいは歴史が証明するように少数派、弱い者は排除されてしまいます。

とてつもなく悲しいことに、「いじめ」というものはそのレベルはさておき、学生生活において日常風景のようなものになっているように思われます。私が学生の頃も、いじめはありました。
日本でも何度かいじめが社会問題化していますが、その時のいじめ自殺に対する報道やネットの反応を見てみると…、学校の落ち度、加害者糾弾ばかりに注目が集まっているように思われます。
いじめで自殺にいたった被害者が何を思い、死を選んだのか。どんな環境が最悪の決断へと導いたのか。
いつも問題は学校、教育委員会、家庭の3つに限った議論ばかりがなされ、社会全体としては「いじめダメ!」と啓蒙するとどまるという着地点が何とも歯がゆい限りです。


「いじめダメ!」という啓蒙の主な受け手となるのは、いつだって子供です。
私はここに疑問を感じています。大人ができてもしないことを、子供に強要することは横暴ではないかと。
大人の世界にだって「いじめ」は存在してきました。「パワハラ」「かわいがり」がそれにあたると言えるでしょう。
大人の世界で真剣に解決しようとしなかったことを、子供に規範として押し付ける。
人と違っていることを認め、優しい人になれと願う。
大人ができてもしないのに、子供にできていてほしいと強要することはあまりにも酷です。


いじめをなくすのは、簡単なことではありません。私もこれといった解決策が思い浮かびません。
しかし、子供の世界にばかり大人の「願い」を強要するのではなく、子供たちを守るべき大人の世界こそが、まず「多様性」を認めなければならないのではないか。
そんなことくらいしか、私には思い浮かびません。


「Love Is All You Need?」は常識を逆転させた世界を描き、観る側に常識を疑ってみることを促すことで「いじめ」をどう考えるかを問いかけています。
常識を疑う…これは中々、勇気のいる作業です。骨も折れます。非常識になるということでもありません。しかし、やってみる価値のある作業ではあります。
8月1日までの公開ですが、19分という短さに加えて無料ですので、観ておいて損はない作品だと思います。

スタッフ:坂本
(2014/7/31 UPDATE)
番組スタッフ
ここ最近、地方議員の不祥事が何かと世間を騒がしていますが、先日、議会において不適切発言をしていたことがわかったのが、愛知県新城市の長田共永市議。
長田市議は6月18日の定例市議会の一般質問で、少子化対策として、「婚姻届を頂いた方には、来年の市制10周年の年に合わせて子どもを産んでもらうために、穴の開いたコンドームを配ったり、出産祝い金の代わりに(新城市の特産品の)自然薯を送ったりしてはどうか」と発言。

そしてこの発言を問題視した、同じ議会の尾洋平市議が、自身のブログで取り上げたことで表面化し、議長が今月16日、長田市議に厳重注意し、発言を議事録から削除することを決め、長田市議は謝罪しました。

ここまでなら、「不適切発言⇒批判⇒謝罪」という、近頃よく目にする流れなのですが、ここからが実に不思議な展開となりました。
新城市議会は23日に全員協議会を開催すると、浅尾市議がブログで長田市議の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作るとの方針を決めたのです。

「言いたいことがあれば議会で言いなさい。ブログに書くなんて、議会軽視だ」ということのようですが、問題視された発言は、議事録にも掲載されていた、公式な発言です。それに対して思うことがあり、ブログを使って発信するという行為は、問題ないはずです。
それを、ブログやSNSでの発信を制限するルールを作るという方向に発想が向かってしまったのは非常に残念です。
(ルール作りに関しては、浅尾市議を除いた、17人の市議全員が賛成多数で申し合わせた)。

武蔵野市議(東京)の川名ゆうじ氏は、地方議員についてのアンケート調査の結果を用いて、ブログ発信の規制について反対の声を上げています。
++++++
私が事務局長をしているローカルマニフェスト推進地方議員連盟と政治山とで地方議員についての印象などをインターネットで緊急アンケートを行った。
このなかの設問に「地方議員の印象」との項目があり、1位が「何をしているか分からない」(56.1%)。2位が「いてもいなくても同じだ」(34.9%)だった。
このことを打破するために、武蔵野市議会をはじめ多くの地方議会では情報の公開や議会報告会などの議会改革を進めている。もし、規制をするとこの流れと逆行することになりそうだ。
このようなことはあってはならない。議会の不信感がより深まるだけだ。地方議会全体として大きな懸念材料となったのは事実だろう。
++++++

国会中継などは見る機会も割とありますし、国会議員もテレビやなんかでよく見かけますが、地方議会・議員となると、確かにどんなことをやっている人(場所)なのか、正直よくわかりません。

私は個人的には、地方議員のブログやツイッターなどをたまに覗いたりしていますが、その日にあった議会についての感想が書かれていたり、他の議員についてあれこれ書かれていたりすると、興味深く読めます。
稀に、かなりきつめの批判的なコメントだったり、おやじギャグを連発していたりする、個性的なブログを書く議員がいたりしますが、そうした人たちは印象に残りますし、また覗きに来ようと思わせてくれます。

ちょっとした発言が批判を呼ぶといったことにもなりかねないので、さじ加減が難しいところかもしれませんが、ブログでも何でも使って、もっと情報を発信するべきだし、議会の方でもそれを推奨するぐらいでなければいけないと思います。

ぜひ新城市議会には、余計なルール作りなどはやめていただき、市民が興味を持てるような刺激的な情報をどんどん発信してもらいたいと思います。

(スタッフ:武市)
(2014/7/30 UPDATE)
番組スタッフ
酒鬼薔薇事件をはじめ、未成年による凶悪犯罪が起こるたびに繰り返される、「なぜころ問答」。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という難問をめぐる議論のことですが、「佐世保高1女子殺害事件」の加害者の「人を殺してみたかった」との供述がきっかけで再燃しています。

たとえば、、、はてなブログのエントリー<「なぜ人を殺してはいけないのか?」の疑問には誰も答えられない>が、「『人を殺してはいけない』ことに明確な根拠なんて存在しない」と主張すれば、同じくはてなブログの<「人を殺していい」社会は瓦解する>が、「わざわざ『理由なんてないんだ!』なんて叫ぶのは盗んだバイクで走りだす世代くらい。真夏の真っただ中、既視感満載」と、上記のエントリーをdisる、といった具合。

たしかに、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いには、明確な答えなど存在しないのかもしれません。
しかし、自分が子どもに問われたときのことを想像してみてください。問いに対する答えが、「理由なんてない」でいいものなのでしょうか。
「ダメなものはダメと教える教育も必要」という意見もあるようですが、それはいくらなんでも無責任。だからといって、東大名誉教授の養老孟司さんや社会学者の宮台真司さんの答えで納得するとも思えません。

*****
(※上が養老孟司さん、下が宮台真司さんの回答です)
こういう問いには、現代人よりも昔のお坊さんのほうがよほど簡単に答えることが出来たはずなのです。「そんなもの、殺したら二度と作れねえよ」と。
他人という取り返しのつかないシステムを壊すということは、実はとりもなおさず自分も所属しているシステムの周辺を壊しているということなのです。
<『死の壁』(新潮社)より抜粋>

酒鬼薔薇事件の直後、14歳の子どもたちに「人を殺してはいけない理由を説明してください」などという特集をした雑誌がありました。馬鹿げている。「人を殺しちゃいけない理由」はありません。
なぜならどの社会にも「人を殺しちゃいけない」というルールは存在しないからです。
<「webちくま 子どもに教えたい、新しい道徳」より抜粋>
*****

これぞ!という対応がなかなか見つからない中、ようやく見つけたのが、大阪府の市立中学校で「生と死の教育」を実践してきた元教諭の山下文夫さんの対応。
山下さんは、生徒に「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問われたら、問いてきた理由をとことん問い詰めるそうです。
*****
山下教諭のもとには一定の間隔で、そうした質問をする生徒がやってくる。山下教諭は、その問いに決して答えない。それよりもまず、なぜ生徒がそのような疑問を持つに至ったのか、なぜ自分に問いかけてきたのかを考える。
「なんでそんなことを聞くんや?」「誰か殺したいやつがいるんか?」「いつどうやって?」「ほんまにそれでいいんか?」「刑務所に入ってまでするほどのことか?」
何度も何度も畳みかける。子供が、「もうわかった」と言っても、しつこく問う。
疲れ果て、声はかれ、涙を流し合うかもしれない。それでも、その真剣な葛藤から生まれた一つの答えは、子供たちの心に深く根を下ろすはずだ。
<『「死」の教科書〜なぜ人を殺してはいけないか〜』(扶桑社)より抜粋>
*****

「人を殺してみたかった」と供述したという、「佐世保高1女子殺害事件」の加害者。
中学の担任や父親としつこい「なぜころ問答」をしていたら、最悪の事態は防げたのでしょうか。
わたしは防げたと信じたい。なぜか、、、それは加害者を「理解不能なモンスター」と短絡的に片づけようとしている報道に違和感を覚えているからです。

(スタッフH)
(2014/7/29 UPDATE)
番組スタッフ
7月28日(月)田中康夫●なんとなく、クリスタルが予見する2030年の世界

他の国に先んじて「少子高齢化社会」となっている日本。
こうした今の社会を33年前に予見していた小説がありました。
田中康夫氏の著書、「なんとなく、クリスタル」です。
「なんとなく、クリスタル」は1980年の5月に、当時、田中康夫氏が在籍していた一橋大学の図書館でおよそ3週間かけて書き上げたデビュー作で、後に映画化され社会現象となりました。

「なんとなく、クリスタル」が、33年振りに復活。続編の連載がスタートして話題になっています。
これまでの消費社会から少子高齢化社会になった今、世の中はどう変わり、
その変化の中で今や50代になった主人公たちはどう生きていくのか?
鋭い社会批評としての小説を残してきた田中氏に、少子高齢化社会の行方、その先を伺います。


7月29日(火)宇野常寛●集団的自衛権をドラえもんに例えることはできるのか?

先日、閣議決定されたことで内閣支持率にも大きな影響を与えている集団的自衛権行使容認の問題。
難解な集団的自衛権行使容認の流れを国民的人気アニメ「ドラえもん」を用いて理解しようと言う取り組みを紹介した朝日新聞の記事が物議を醸しています。
札幌のある高校での現代社会の授業において、弁護士を招いて集団的自衛権を学ぶ授業が行われました。大人でもわかりにくいこの問題を、アメリカを「ジャイアン」、日本を「のび太」に例え、「のび太が武装して僕は強いといっても、本当に自分を守れるかな」との問いを投げかけました。

この授業が国民的アニメドラえもんを安易に政治利用するなと批判されているのです。なぜ、“安易な政治利用”なのか。
あえて、ドラえもんで集団的自衛権・安全保障を考えるならば、どのように考えるべきだったのか?
評論家の宇野常寛さんとともに考えます。


7月30日(水)●かき消される不安。福島の母親たちの声

原発事故の後、生活が一変した福島の家族たち。
子を持つ母親は、不安や苦しみを抱えているが、
「復興」「地産地消」というキャンペーンによって、不安の声がかき消されている。
月刊誌「DAYS JAPAN」は、その証言を取材。
福島の母親たちの声とはどのようなものか。かき消されている不安に耳を傾ける。


7月31日(木)●知られざる「ネット終活」の実情

インターネット検索大手のヤフーは14日、終活サービス「Yahoo! エンディング」を開始。
このサービスは、利用者の死亡を遺族からの火葬許可証の提示で確認。確認されると、事前に登録しておいた最大200人の知人にお別れメッセージを自動送信。また、本人が利用していたヤフーの有料サービスを停止し、ネット上のクラウドに保存していたデータの削除も行います。
ヤフーによると、データ削除については現在、ブログやメールも対象にすることを検討中。
一方、データを削除せず、遺族に移管するサービスも考えているとのだとか。

世界中に広がっている「ネット終活」の波。その知られざる実情とは?
(2014/7/28 UPDATE)
番組スタッフ
SNSでのコミュニケーションにおいて、いくつか存在する「やっていはいけないこと」「やってしまうと他人を不快にさせること」。その中に「自分語り」というものがあります。
これは文字通り、自分が体験したことや思っていることを、時には自慢げに、時には自虐的に開示するという行為です。

中でも、タブー視されているのが「リプライで自分語り」です。
これはどういうことかと言うと、ある投稿に対し、投稿に対する感想ではなく、聞かれてもいない自分の情報を載せて返信するというものです。

例えば、SNSに「今日は表参道でパンケーキを食べて来ました。」という文面と無駄に加工したパンケーキの写真を投稿した人がいたとします。
それに対し、「私もちょうどこの前、このお店行った。パンケーキといえば代官山の●●も美味しいよ。ぜひ行ってみて!あ、でも私個人的に、パンケーキの次は■■が流行ると思う!」と聞いてもないのに自分の情報を載せた「自分語り」をリプライすることがタブー視されているようです。

納得できます。投稿主としてのSNSでの自分語りに対して、私は比較的、受け入れられる方なのですが、長々とコメント欄で「自分語り」をしている人を見ると確かに少しイラっとするものです。
私も自分自身のSNSのタイムラインを見返してみると、コメントや返信等のリプライに「自分語り」がありました。

ある人が週末に映画を観に行ったということをFacebookで報告。そのコメント欄にあったのはこんな「リプライで自分語り」です。

僕は「作品名A」、評判ほど楽しめなかった。監督の●●は「作品名B」の撮影監督でした。「作品名B」監督の作品は示唆に富んでいてどれもおもしろい。僕のお気に入りは「作品名C」!

おかわりいただけたでしょうか?
Aという映画を見た人に対し、自分が好きな映画は別監督の作品Cであるという「自分語り」を披露しているのです。
誰も聞いていないにもかかわらずです。

映画を見たという報告に対し、どのようなコメントで応えるのが最も美しいかは難しいところ。
そう考えるとFacebookというものは便利です。どうリアクションしていいかわからない投稿に対し、何らかのリアクションを示したいと思ったら、「いいね!」を押しておけば間違いないのですから…。

ネットの世界だけではありません。古来より、自分の話ばかりする人は疎ましがられて来ました。
おそらく誰もが、自慢という名の「自分語り」に陶酔する先輩に、吐き気を催したという経験があるはずです。
私も社会人となり、年輩者・異性の「自分語り」に何度も辟易してきました。

他人に肯定されたくて、評価されたくて「自分語り」をするのでしょうが、結果的に自分の価値を下げるだけ。

誰しも、心の中に自己顕示欲、承認欲求が潜んでいます。飼いならすのに必死です。
うまく飼いならしていたつもりが、時にそれらが魔物化し、暴走することがあります。
あらぶる魔物と化した承認欲求は容赦なく他人に襲いかかります。

ある人は他人の話を聞いているふりをして、いつの間にか自分の話にすり替える。
ある人は他人の意見を何でも否定し、誰よりも優位に立とうとする。
ある人は新聞や雑誌、ネット情報の受け売りを自分が発見した見解かのように、Facebookや質問投稿サイトで長々とコメントする。

自分の話をしたい、聞いて欲しい。でも他人の話は聞きたくない。
聞いても良いけど、聞きたい話だけにして欲しい…。
リアル、ネット問わず、これからも私たちはこの欲求と付き合っていかなければらないのは明白です。


もうこの世界に誰かに見てもらう、聞いてもらうという形で「自分語り」をする場所などないのではないでしょうか。
そうでもないと思います。
ブログという「自分語り」の手段が世に生み出されて以降、多くの人がブログでそれを行っていますが、面白い人の「自分語り」は面白い。「自分語り」と言っても、自慢や陶酔に満ちたものでなく、私が知らないことを教えてくれ、心の中で何となく思っていたことを言葉にしてくれる。そんな「自分語り」だと、思わずシェアボタンを押して誰かに教えたくなります。
社会的な問題、下世話なネタ問わずです。

「自分語り」が好きで承認欲求を満たしたいという人は、自身のFacebookやブログですればいいと思います。
それが面白いのであれば、評価されます。注目を集めます。SNSにはシェアなどの評価システムがあるのですから。
「リプライで自分語り」のように、他人のフィールドに分け入ってまでそれをしてはいけません。

一昔前なら、吐き気を催す「自分語り」は仕事中の雑談、飲み会の席くらいだったのかもしれません。
SNSがこの世界に爆誕し、誰とでもつながることができ、つながった人々に向けて自由に自分の情報を発信できるようになりました。
そんなSNS を承認欲求を満たすために「自分語り」のツールとして用いている人もいることでしょう。
しかし、無慈悲にもネットの世界にまで、「自分語りは禁ず」という暗黙のルールが生じています。


話す力、聞く力をアップさせる類いの本が日本全体で売れているようですが、これもいかに相手を不快にさせることなく「自分語り」ができるか、そしていかにうまく「自分語り」に対処するか、という私たちの気持ちが背景にあるからかもしれません。
少なくとも私の周りではそれらの本が功を奏しているようには思えないのですが…。

スタッフ:坂本
(2014/7/24 UPDATE)
番組スタッフ
夫婦ともに働いている家庭にとって、家事をどうするかという問題があります。
役割分担を2人で話し合って決めておく、あるいは手の空いている方がやる、など、やり方は各家庭それぞれでしょうが、基本的には2人でやるもの、と私は思っていました。
事情によってどちらかが担当する夫婦も当然いるでしょうが、「家事」というものを考えた時、「女性がやるべきもの」という古い考えが未だにあるんだと思わされる記事を見つけました。

それは今月14日、旭化成ホームズが発表した、家事を手伝ったことがある夫の約7割が妻から「家事ハラ」なる行為を受けているという調査結果。
これは旭化成ホームズの「共働き家族研究所」が、30〜40代の共働き世代1371人を対象に行ったネットアンケート調査で、調査によると、、、
家事を手伝ったことがある夫の割合は93.4%で、そのうち「妻の家事ハラ」を受けた経験がある夫は65.9%。そして家事ハラを受けた際に「やる気がなくなった」という夫は89.6%にものぼったそうです。

「家事ハラ」とは、妻による夫への家事のダメ出しのこと。
その内容はというと、1位「やり方が違う」が(42.6%)。2位「やり方が雑、ちゃんとしていない」(39.8%)、3位「やり方が下手」(26.3%)。

旭化成ホームズは今回の調査によって、子育て・共働き夫婦の中に「妻の家事ハラ」が多く存在していることがわかったとしていますが、これをサイトで発表すると、いくつかのメディアがこの調査結果を紹介し、「家事ハラ」という言葉(行為)をめぐって話題となったのです。

この調査には「夫が家事を手伝う」という前提があります。つまり「家事は妻がやるもの」という前提。
夫たちもそうした意識を日頃から持っているため、「せっかく手伝ってあげたのに注意された」という被害者意識が生まれるのではないでしょうか。
「やり方が違う」と言っただけでやる気をなくされ、ハラスメント呼ばわりされてしまってはさすがに気の毒です。

「家事ハラ」という言葉を生んだ悪因は、男性の頭の中にある「家事を手伝う」という意識なのではないでしょうか。

<『産後クライシス』内田明香(著)坪井健人(著)>
++++++
赤ちゃんがコップを倒して水をこぼし、夫が「大丈夫? 手伝おうか」と言いました。
夫のどこが悪いのでしょうか?
「えっ、何か悪いところあるの?」と思ったあなた、その悪気のない表情がまた妻のイライラの原因です。(中略)
「手伝う」と夫が言った場合、妻の耳には「あくまで育児の担当はおまえで、俺の本来業務ではない」と聞こえるわけです。(中略)
「手伝おうか」という「当事者意識のなさ満開ワード」は、口から出た瞬間「あ、この人だめだわ」と妻をがっくりさせる言葉なのです。
それ以外にも、たとえば子供が泣いているのに気づいて「泣いてるよ〜」と妻に知らせるとか、「おれイクメンだろ」などの言葉があります。
++++++


もちろん原因のすべてとは言いませんが、家事を「手伝う」といった意識でやってしまうことが、奥さんをイラつかせたり、「やり方が雑、ちゃんとしていない」などのダメだしを受ける事態をまねいてしまうのでしょう。
では、「手伝おうか」の代わりになんと声をかければいいのでしょうか?

<『産後クライシス』内田明香(著)坪井健人(著)>
++++++
理想的なのは「〇〇やっとくね」といった「主体性のある言葉」です。(中略)
ただ、この言葉を言えるようになるには〇〇に入る何かができないといけません。〇〇はおむつ替えや寝かしつけ、洗濯や食事の支度など、あらゆる育児・家事ワードが入りますので、まあなんにしろ、しっかりマスターしていなければ言えません。
++++++


「家事は立派な仕事だ」という声はよく耳にします。そう考えると、普通仕事を雑にやったり、やり方がよろしくなかったりすれば上司から怒られます。当然仕事である家事の場合も雑にやったら怒られてあたりまえとも言えます。

調査の中には、「夫の家事」の時給を妻が査定するという項目があり、夫自身の評価額1008円(平均)に対し、妻は「804円」(同)と、夫の自己評価よりも妻の評価は低いという結果も出ています。
「手伝う」のではなく、仕事としてきっちりこなせるよう、日々家事のスキルアップに励むべきなのかもしれません…。

(スタッフ:武市)
(2014/7/23 UPDATE)
番組スタッフ
酒の席をはじめ、初対面同士が集まる場では、定番ともいえる「血液型トーク」。
A型は「几帳面」、B型は「自己中」、O型は「おおらか」、AB型は「二面性あり」といったレッテル貼りは、しょうもないの極みです。
先日、そのしょうもなさを裏付けるような、統計学的な解析結果が発表されました。

<血液型と性格「関連なし」…日米1万人超を調査>(読売新聞・2014/7/19)

「血液型と性格の関連性に科学的根拠はない」とする発表をしたのは、九州大学の縄田健悟講師。
縄田講師は日本とアメリカの1万人以上を対象に生活における様々な好き嫌いなどを尋ねた意識調査に、回答者の血液型が記載されていることに注目。
この意識調査をもとに血液型によって回答に違いがあるかどうかを解析した結果、68項目の質問に対する回答のうち、血液型によって差があったのは「子供の将来が気にかかる」などの3項目だけで、その差もごくわずか。
このため、「血液型と性格の関連性に科学的根拠はない」と結論づけたようです。

このニュースを受け、ヤフーが「血液型と性格は関係あると思う?」という質問を投げかける意識調査を19日から29日までの期間、実施しているのですが、この途中経過が意外な展開に。
今日の16時時点で「関係あると思う」が54.1%(2万9034票)で、「関係ないと思う」の40.4%(2万1660票)、「どちらでもない/わからない」の5.5%(2933票)を上回っています。
上記の「血液型と性格の関連性に科学的根拠はないとする解析結果」を紹介したうえで、「血液型と性格は関係あると思う?」と質問しているにもかかわらず、この結果。
科学的根拠がないと判明してもなお、血液型性格診断を信奉する人たちが、思いのほか多いのはなぜなのでしょうか。

信州大学人文学部の菊池聡准教授は、人の行動を見て血液型を当てたという「的中感」が、血液型性格診断に対する信奉を促す要因であるとしたうえで、、、
*****
こうした研究(血液型がらみの研究)では「的中感」が血液型信奉を促す重要な要因であると指摘されてきた。つまり、人の行動を見ると血液型が当てられるし、血液型がわかると行動がいかにも腑に落ちることがある。
「科学的とか関係なく、血液型って本当に当たるから!きっと何かあるのよ」というわけだ。
<『なぜ疑似科学を信じるのか 思い込みが生みだすニセの科学』(化学同人)より抜粋>
*****

その「的中感」はただの「錯覚」だと断じています。
*****
これまでも、多くの心理学者が、比較的きちんとした性格テスト手法に基づいて、血液型によって人の適性や行動に、血液型性格論者が言うような診断力のある差異が見いだせるのかどうかを研究しています。しかし、そこには、信頼性と再現性がある差異は見つかっていません。
いわば、血液型で人を見分けることができるというのは、ただの「錯覚」だということなのです。
<『「自分だまし」の心理学』(祥伝社)より抜粋>
*****

「血液型性格診断」はしょうもないレッテル貼りであり、ネガティブな性格付けをされがちなB型やAB型が嫌な思いをするのが常です。
最近では「ブラッドタイプ・ハラスメント」という言葉も登場。
企業の採用面接で血液型を尋ねられるケースが後を絶たず、B型は「マイペースで就活に不利」という噂も流布しているといいます。
性格を決定づける科学的根拠は一切、存在しないにもかかわらずです。
結局のところ、「血液型性格診断」の根っこには、他人にネガティブな性格付けをして少しでも優位に立ちたいという、どす黒い感情が渦巻いているのでしょう。

(スタッフH)
(2014/7/22 UPDATE)
番組スタッフ
7月21日、想田和弘さん(映画作家)とお送りする今夜のテーマは、『消費者化する有権者の行く末』。

集団的自衛権の行使容認をめぐる協議が与党間だけで行われ、閣議決定に至ったことから、それを一方的だと捉え、反対派によるデモが全国各地で勃発、「徴兵制、再びか」と飛躍しすぎる論理を展開する反対派も登場しています。
こうした中、『選挙』『選挙2』などのドキュメンタリー映画で知られる映画作家の想田和弘さんは、「有権者」が「消費者」と化してしまっていると指摘しています。
なぜ、私たち有権者は消費者と化してしまっているのでしょうか?
また、消費者でなく、立候補や党員となる以外で、能動的に政治に関わる方法はあるのでしょうか?
映画作家の想田和弘さんにお話を伺います。



7月22日、岸博幸さんとお送りする火曜日は、『資源管理で漁業は成長産業になる 魚を獲り尽くす日本人』。

月刊誌「Wedge」からの特集です。
大間や壱岐の漁師が「マグロが消えた」と悲鳴をあげています。ウナギに至っては絶滅危惧種に指定。ここまではよく耳にする話ですが、これは氷山の一角に過ぎません。日本では漁業そのものが限界に差し掛かっていると言われています。
今年2月、世界銀行は主要国・地域の漁業の将来についてのレポートを発表。そのなかでマイナス成長と予測されたのは、日本だけ。
アメリカでは、ここ数年、雇用、収入、売上、利益など、向上していると言います。
魚を獲り尽くす日本人。今後、日本の漁業はどうなっていくのでしょうか?
「Wedge」の伊藤記者をスタジオにお迎えし、お話を伺います。


7月23日水曜日、上杉隆さんとお送りするのは、『施行まであと半年、、、今、「超訳 特定秘密保護法」が果たす役割』。

去年12月13日に公布された「特定秘密保護法」。施行は公布日から1年以内と決められています。つまり、施行まであと約半年。
こうした中、条文が難解なため専門家でも読みこなすのが大変だと言われる「特定秘密保護法」を、若手弁護士グループ「明日の自由を守る若手弁護士の会」が若者言葉に「超訳」した本が話題になっています。
「特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止」を「スパイっぽい活動の防止」といった具合に、難解なお役所言葉を大胆に言い換えた、『これでわかった!超訳 特定秘密保護法』。
先月5日に岩波書店から出版され、発売から1カ月で3刷1万5000部に達しています。
施行まであと半年に迫った「特定秘密保護法」。そんなタイミングで出版、話題となっている「超訳 特定秘密保護法」はどのような役割を果たすのか、考えます。


7月24日、伊藤洋一さんとお送りする木曜日は、『「ゴジラ」が鳴らす、日本への警鐘』。

いよいよ今月25日に公開される、ハリウッド版『ゴジラ』。先行公開されているアメリカなど61カ国では大ヒット。興行収入は約200億円に達し、全世界で話題になっています。
このゴジラの原点であるゴジラの第1作目、初代ゴジラが公開されたのが、ちょうど60年前の1954年。
この初代を徹底的に読み解いた「ゴジラの精神史」の著者で文芸評論家の小野俊太郎さんは、「初代ゴジラには日本の抱える問題がすべてあり、今もそれは消えていない」と語ります。
初代ゴジラが映し出した、“日本の抱える問題”。60年たった今も基本的には消えていないようですが、一体どのような問題なのでしょうか?
初代ゴジラを通し、今も消えない“日本の抱える問題”を考えます。

(2014/7/21 UPDATE)
番組スタッフ
ちょっと気になる記事を見つけました。
それは「どうすればアニメのファッションはお洒落になるのか?」というタイトルで、ファッションにおいてダサいと評されるアニメをいかにして、オシャレにするかが問題提起されています。

簡単に内容をまとめると…

・アニメ『ラブライブ!』のキャラクターが着ている服がダサい。
・アニメ『BLEACH』のキャラクターの私服もダサい。
・何故アニメのファッションはダサいのか。
・アニメの制作現場に於いてファッションの重要性が認められてないからなのではないではないか。
・セレクトショップやアパレルブランドがアニメのファッションデザインをしてしまえばいいのでは?


…というもの。

この記事が掲載されていたのは、ファッションに関するニュースやブログをピックアップするFashionsnap.comというサイトです。
ファッションアナリスト山田耕史氏のブログが引用されていました。
本コラムでは、アニメにオシャレなファッションは必要ないのではないか、という私の持論を述べようかと思っていましたが、その前にどうしても気になったことがあります。

SNSでも多数シェアされている「どうすればアニメのファッションはお洒落になるのか?」という、Fashionsnap.comに掲載された山田耕史氏の記事。本コラムで取り上げるなら、引用元である山田氏のブログのリンクを貼るべきだと思い、元記事に飛んだのですが、少し驚きました。

引用元の山田氏の記事、タイトルはこうです。

「どうすればラブライブ!のファッションはお洒落になるのか?」

Fashionsnap.comに引用された山田氏の記事は、アニメ『ラブライブ!』のファッションのダサさについて言及しています。
アニメ『ラブライブ!』とは、統廃合の危機にある学校を救うため、生徒達が学校の名を広めるべくアイドルとして活動をはじめるという内容の作品なのですが、確かに今どきの普通の女子高生が普通に着ているとは、想像しがたいファッションに身を包んだキャラクターが登場します。

Fashionsnap.comの記事を私が読んだとき、毎クール放送される作品のどれを見るかを事前にチェックするほどのアニメ好きを自称しながらも、ラブライブ!だけのダサさを指摘するのはおかしくないかと思ったのですが、山田氏のブログでは「どうすればラブライブ!のファッションはお洒落になるのか?」というタイトルに乗っ取り、ラブライブがなぜダサいか、どう改善できるかを問題提起しています。

それが、Fashionsnap.comというファッション情報が集まるサイトの手にかかれば、
「どうすればアニメのファッションはお洒落になるのか?」
となってしまいます。

なぜ『ラブライブ!』のダサさの指摘が、アニメ全体のダサさかのような指摘に置き換えられてしまったのか。
実際に、「どうすればアニメのファッションはお洒落になるのか?」というタイトルの記事の方が、SNSなどのシェア数で比較しても反響を得ています。それだけ、アニメのファッションがダサいと思っている人が多いのか、アニメ制作陣のファッションセンスの無さに共感している人が多いのかはわかりませんが…。

確かに山田氏もブログの中にも、「何故アニメのファッションはダサいのか」という言葉が見られますが、ブログ内で山田氏が指摘する本筋は『ラブライブ!』のダサさ。氏のブログを読んでみても、アニメ全体のファッションセンスのダサさを指摘しているとは、全く感じられません。

『ラブライブ!』や『魔法少女まどか☆マギカ』のような画風は、万人受けし辛いものがあります。『まどマギ』が面白いと聞いた時、見てみようと思ったのですが、コアなアニメ好きしか受け付けない画風なのかなと尻込みしてしまいました。しかし、実際見てみると、誰かに教えたくなるほど面白い。
『ラブライブ!』の画風も、私のような素人にはコアな感じがして中々受け付けられなかったのですが、周りには結構、同作のファンがいます。普通のOLがめちゃめちゃハマっていたりします。

Fashionsnap.com側は『ラブライブ!』という作品がわからなかったのかもしれません。固有タイトルを載せるのが憚られたのかもしれません。しかし、「某アニメ」などとしてカモフラージュする手段もあったはず。

これは完全に私の邪推でしょうが、ファッション業界は一部のアニメおよびその製作陣を見下しているようにも思えます。
「ダサい」という言葉がそれを象徴しているように思えてなりません。
相手のセンスを否定する言葉である「ダサい」。
これを言われた側は、自身の尊厳を傷つけられたような気がして返す言葉もなかったりします。

山本氏が指摘した『ラブライブ!』のダサさの問題を、アニメ全体に置き換える。
少なくともタイトルだけは、そうなってしまっています。

アニメとファッションのどちらが好きと言いきれない私からしてみても、アニメがダサいと見下すファッション業界の上から目線に腹が立ってしまう今回の記事。
オシャレであることが大正義で、何よりも勝っていると考える連中が大嫌いです。オシャレがこの世界で一番大事という人もいるでしょうが、センスや価値観の押しつけはいただけません。


スタッフ:坂本
(2014/7/17 UPDATE)
番組スタッフ
自治体や企業が何かを制作し、批判的な意見受けて公開を中止にする、といった流れは、最早おなじみの現象となってしまっている気もしますが、いま議論の的となっているのは、戦国時代の鳥取城籠城戦のマスコットキャラクターの「かつ江さん」。
これは、鳥取市教委がホームページで公開したキャラクターですが、批判のメールが寄せられるなどしたため、急きょ公開を中止しました。

「渇(かつ)え殺し」と呼ばれる羽柴(豊臣)秀吉軍による鳥取城の兵糧攻めをテーマに考案されたかつ江さんは、つぎはぎだらけの着物を着て、右手には蛙を持ち、頬はこけて顔色も悪いという、なんともインパクトの強い容姿をしています。
昨年12月〜今年2月に全国公募した鳥取城跡マスコットキャラクターの優秀作二つのうちの一つだそうで、選考委員から「籠城戦のことがわかるキャラがあってもいいのでは」という意見があり、次点に選ばれたということです。

市教委には「飢餓をちゃかすようなキャラだ」といったメールが寄せられ、一方で「籠城戦を知るきっかけになった。こういうキャラがあってもいい」という肯定的なメールもあったといいます。
公開からわずか3日あまりで「降板」が決定したということで、性急な対応を疑問視する声も上がっているようです。

かつ江さんの考案者の高藤宏夫さんはFacebookで次のようにコメントしています。

今回キャラクターの応募にあたり、私の大好きな久松山山頂の鳥取城跡を少しでも多くの人に知って欲しいという想いを込め、皆様に愛されるよう自分なりに可愛いらしく描いたつもりでしたが、感じ方は人それぞれだと改めて痛感しております。

製作者としては精一杯かわいらしく描いたつもりだったみたいですが、モチーフが悲劇だけに、万人受けする可愛らしさまではいかなかったようです…。
注目を集めることがゆるキャラの大きな役割だとすれば、その点に関してはかつ江さんは十分に役割を果たしているでしょう。しかし、もともと「死者の肉を食べるほどの惨状だった」とされる籠城戦の史実を伝えることが選定の目的だったようで、そうすると、その意図がきちんと伝わっていなければ、話題になっているだけでは良しとしないという市教委の考えもわかります。
ただ、史実を伝えるという目的のためにも、まずは興味を持ってもらうということは、やはり大事なことなのではないでしょうか。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授の山口浩さんは、「地域振興にこれほどの貢献をした「かつ江さん」に対して、この仕打ちはあまりにひどくないだろうか」とかつ江さんを擁護しています。
++++++
「かつ江さん」が幅広い関心を呼んだことは、「かつ江さん」で画像検索してみればすぐわかる。こういうつっこまれ方こそ、ゆるキャラがめざすべき状況といえる。すでにこのキャラクターは「愛されている」のだ。(中略)
そもそも「かつ江さん」登場以前に鳥取城籠城戦のことを知っていた人がいったいどのくらいいたか、考えてみるといい。見落としただけかもしれないが、歴史の教科書で見た記憶はない。せっかく今年のNHK大河ドラマは『軍師官兵衛』だったのに、官兵衛が軍師として活躍した秀吉の鳥取城攻めは完全にスルーされた。
++++++

私も鳥取城籠城戦のことはまったく知りませんでしたが、かつ江さんの件を知った時、興味を持った私はすぐにネットで調べました。私がすぐに調べたのも、あのかつ江さんの強烈なインパクトがあったからこそです。
見た人に「どういう意味があるんだ?」と嫌でも考えさせるであろうかつ江さんの姿は、あまり知られていない歴史を知ってもらうという効果は抜群にあると思います。

かつ江さんの今後の取り扱いについては検討しているそうですが、所謂爐罎襯ャラ疆な扱いではないにしても、何かしらのカタチで復活して、その役割をまっとうしてもらいたいと願います。

(スタッフ:武市)
(2014/7/16 UPDATE)
番組スタッフ
2年前のインタビューで「女性だって自分の性器をもっとかわいがるべきです」と語っていた、漫画家で芸術家のろくでなし子さん。
女性器を石膏に型どり、それを絵の具やラインストーンでデコレーションしたアート作品「デコまん」で知られていましたが、昨日までに「わいせつ電磁的記録頒布」容疑という、聞き覚えのない容疑で逮捕されたことが分かりました。

ろくでなし子さんは去年6月、クラウドファンディングサイトで「3Dスキャンした性器をかたどったボートを作成するための資金を募る企画」を実施し、これに応じた30歳の男性ら不特定多数に自分の女性器の3Dデータを配布。
3Dデータ自体はわいせつなものではなく、数字や文字の羅列だったのですが、このデータを3Dプリンターに入力すると石膏などで女性器を再現できるようで、警視庁はこれを「わいせつ電磁的記録頒布」と判断したようです。

「数字や文字の羅列をわいせつなもの」と判断するのはやや乱暴で違和感を覚えますが、ネットの意見は真っ二つ。
「芸術ではないからわいせつ」として「逮捕は当たり前」と逮捕を肯定的に捉える意見がある一方で、「芸術だからわいせつではない」として「逮捕はおかしい」と逮捕を否定的に捉える意見もあり、今のところ後者がやや多め。
署名サイト「Change.org」で行われている、ろくでなし子さんの即時釈放を求める署名活動の賛同者は10000人を超えています。

弁護士の伊東良徳さんも「逮捕はおかしい」派のひとり。
自身のHPで「3Dデータを受け取った人たちは、わいせつなものというより、おもしろいものとして受け取ったのでは」と、明らかになっている状況から推測。
その推測のもと、「当事者双方がわいせつなものとしてデータをやりとりしていないのであれば、それは刑法の適用上もわいせつな物と扱うべきではない」と主張しています。
*****
女性器を見せるということ自体がいかなる場合でも「わいせつ」だというのであれば、混浴は公然わいせつになりかねませんし、出産シーンのあるドキュメンタリーで女性器が映ってもわいせつ物陳列、泌尿器科や産科、婦人科、皮膚科などの医学書の出版・販売もわいせつ物頒布になりかねません。
そういう観点から、つまり女性器を隠すことが望ましくないという運動の当事者間のように、当事者双方が「わいせつな」ものとしてデータをやりとりしていないのであれば、それは刑法の適用上も「わいせつな」物と扱うべきではないと私は思います。
*****

これに限らず今も、「逮捕はおかしい」派と「逮捕は当たり前」派の議論は続いていますが、極論を言えば、「わいせつか、芸術か」を決めるのは受けて次第であり、議論自体が不毛なこと。
思い出してみてください。
去年2月に男性器が写ったわいせつな写真集を販売したとして、写真家のレスリー・キーさんらが逮捕されたときにも、「逮捕はおかしい」派は「芸術だからわいせつではない」、「逮捕は当たり前」派は「芸術ではないからわいせつ」とそれぞれが主張し、出口が見えることなく議論は収束していきました。

*****
<1>特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。
<2>人間が自らの生と生の環境とを改善するために自然を改造する力を、広い意味でのart(仕業)という。そのなかでも特に芸術とは、予め定まった特定の目的に鎖(とざ)されることなく、技術的な困難を克服し常に現状を超え出てゆこうとする精神の冒険性に根ざし、美的コミュニケーションを指向する活動である。
*****
<1>は辞書上の「芸術」の意味、<2>は『美学事典』(東京大学出版会)にある「芸術」の定義です。この説明で、芸術の意味と定義を理解できましたか?わたしにはさっぱり分かりませんでした。
意味と定義があいまいなものに、何かを当てはめて芸術だと言い切るのは至難のわざ。わたしはそう思います。

繰り返しになりますが、わたしは「数字や文字の羅列をわいせつなもの」とする警視庁の判断には違和感を覚えています。
その一方で、「芸術と言ってしまえば、どんなものでもまかり通ると思い込んでいる人たち」にも同じぐらいの違和感を覚えているのも、また確かなことです。

(スタッフH)
(2014/7/15 UPDATE)
番組スタッフ
7月14日(月)島田雅彦●人工知能が人類の知能を超える!?「2045年問題」がもたらす脅威

今夜をもってタイムラインを卒業する作家・島田雅彦さん。そんな島田さんと今夜は「2045年問題」について考えます。
28日から公開され、話題となっている映画『トランセンデンス』。コンピュータが人類の知能を上回るという、“トランセンデンス現象”を描いたSF大作です。
タイトルにある、“トランセンデンス”とは「超越」の意味で、人工知能が人類の知能を超えてしまう現象を指します。
このトランセンデンス、SFの世界の話にとどまらず、現実の世界においても、科学者やIT関係者の間で40年以内に実現するとも言われ、「2045年問題」として真剣な研究が進められています。
コンピュータが人類の能力をはるかに超えると言われる、2045年。
もし、この予測が現実になったとしたら、それは人類にどのような脅威をもたらすのか。
「2045年問題 コンピュータが人類を超える日」の著者で宇宙物理学者の松田卓也氏にお話をうかがいます。



7月15日(火)●危機感が煽られている「人手不足」への反論

人手不足を原因とした企業倒産が各地で広がっています。バブル崩壊後の景気停滞期にはほとんど見掛けなかったが、景気が上向きだした昨年から目立ち始め、今年はさらに倍増する勢いです。
東京商工リサーチによると、2014年上半期は求人しても人が集まらない「求人難」による倒産が10件、「人件費の上昇」による倒産は10件でした。年間を通してそれぞれ10件と9件だった13年を、今年は半年で既に上回るペースとなっています。求人難による倒産はバブル期に膨らみ、末期の1991年には258件に達しましたが、90年代の半ば以降はほぼゼロの状態が続いていました。今年に入って状況は一変、人手不足による倒産は今後も増える見通しです。
「深刻だ」「心配だ」などと危機感ばかりが煽られている「人手不足」。
危機感を煽る論調への反論を通し、「人手不足」の何が問題で今後どんな影響が出てくるのか、考えます。


7月16日(水)●自衛隊の知られざるリクルート戦略

集団的自衛権の行使容認が閣議決定された今月1日以降、自衛隊の採用説明会の案内が全国の高校3年生の自宅に届き始めているようで、それを示す書き込みがネット上で相次ぎ、話題となっています。
防衛省の広報担当者によると採用案内の文書は毎年、全国の高校3年生らに送付しているようで、「1日に始めたのは、文部科学省と厚生労働省連名の就職の文書案内についての通知に従った。集団的自衛権の問題とは関係ありません」と話しています。
ネットで相次いだ報告により注目を浴びることになった、「自衛隊のリクルート戦略」。その知られざる内幕とは?


7月17日(木)●日本人がゾンビに魅了されてやまない理由

ゾンビが徘徊する山の中でのキャンプが、キャンセル待ちの人気となっています。
静岡県賀茂郡の旧キャンプ場で開催される「ゾンビキャンプ」は、1泊2日のツアーで、参加者はゾンビがうろつく危険エリアへ潜入し、水や食料を調達するなどのミッションをこなしていくというもの。
「ゾンビに襲われる」ことのみならず、「ゾンビになりきる」ことも人気を博しています。六本木のバーでは定期的に「ゾンビなりきりイベント」を開催。ゾンビが一定数に達すると「ゾンビウォーキング」と題した練り歩きが行われます。
イベントや映画、マンガなど、日本にはびこる文化としてのゾンビ。
なぜ人々はゾンビを求めるのか。国際政治の観点からゾンビを解説するなど、世界の学術的ゾンビ事情に明るい、首都大学東京の谷口功一准教授(法哲学)にお話をうかがいます。
(2014/7/14 UPDATE)
番組スタッフ
ここ数年、大ブームとなっている、挽きたてあるいは淹れたての味が安価で楽しめるコンビニコーヒー。昨年、日経トレンディが選ぶヒット商品の一位に輝きました。
コンビニ各社がそれぞれ独自のコーヒーを導入しており、市場競争は激化。業界トップのセブン-イレブン・ジャパンは2014年3月に「セブンカフェ」の累計販売数が4億5千万杯を突破と発表し、日本経済新聞によると、大手コンビニ5社の合計で2014年度は13億杯を見込んでいるようです。
1杯100円だとしても、1300億円。街のコンビニがそれぞれ拠点となり、巨大市場へと成長しつつあります。

今、「セブンカフェ」のコーヒーマシンが予期せぬ形で話題となっているようです。
コーヒーマシンを含め、セブンカフェ全体をプロデュースしたのは、2010年からセブン-イレブンのクリエイティブディレクションに携わっている佐藤可士和氏。
クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏監修によるデザインが、どうも「わかりづらい」ようで、各店舗のスタッフがデザイナーの意向を無視し、「わかりやすくカスタマイズ」したマシンがネットに投稿され、まとめまで登場しています。
【#セブンカフェの様子 が各店舗の工夫いっぱいで面白い】

さっそく私も近所のセブンイレブンに足を運び、問題のコーヒーマシンを確認してみました。
確かに、オシャレです。ボタンは大きく分けて4種類。サイズは「レギュラー」と「ラージ」の2つで、それぞれホットとアイスがあります。ネットで話題の「カスタマイズ」は、ホットとアイスを「あたたか〜い」「つめた〜い」、RとLを「ふつう」「おおきい」と注釈付けするなどして、デザイナーの“個性”のようなものを完全に殺していて、笑ってしまいます。

ボタンの配置に違和感を覚える人もいるようです。「R」と「L」を冠した大きな丸いボタンが配されているのですが、「R」が左側にあり、「L」が右側にあります。「R」と「L」は右と左を意味する頭文字だったりしますが、これが逆の配置のため、混乱させるという指摘です。普通に利用していれば、コーヒーに左右など関係ないことなど明らかなのですが、何だか気持ち悪いのは何となく理解できます。

近所のセブンイレブンもカスタマイズしていました。レギュラーサイズ「R」のボタンの上に手書きの紙で「小」と貼ってありました。「普通」ではなく「小」と。
デザイナーの陵辱だ!という声もあるようですが、私はデザイナーおよび起用したセブンイレブンの失策だと思っています。
一昔前の(地方の)コンビニは若者が利用する場所というイメージがありましたが、今では都市部の高齢者の生活になくてはならないものとなっているのが現実です。

実際に、データがそれを証明しています。
1999年、あるコンビニの1日あたりの利用者において、50歳以上は16%を占めているに過ぎませんでした。それから12年後の2011年。50歳以上の高年齢層は30%を占めるまでに増加しています。

【コンビニは若者からシニアのものへ?〜少子高齢化は「脅威」ではなく事業成長の「機会」にも】

これはシンクタンクのニッセイ基礎研究所が2年程前に発表した調査です。しかも、調査対象はセブンイレブンです。
こういった実態が明らかになっているにもかかわらず、デザインした佐藤可士和氏、セブン-イレブン・ジャパン、フランチャイズのコンビニ店員、そして利用者の誰も得をしない結果を生んでしまっています。
マーケティング不足が生み出した結果と言えるでしょう。

コンビニ三強の一角であるローソンは、昨年、健康を意識した商品を充実させるなど、「高齢者」と「女性」に照準を絞った新規事業展開を発表しています。
【日経メッセ:「健康コンビニ」に集中、ローソンが新事業戦略、高齢者・女性に照準。】


高齢者に照準を絞りつつあるコンビニ。高齢者がお惣菜を買っている姿をよく目にします。コンビニ限定コンテンツを自身のnintendo3DSにダウンロードする子供、その母親も日常の光景です。ウコンドリンクを深夜に買うサラリーマンも同じです。
私もよく利用します。

若者しか利用しないコンビニでなら、何となくカッコいいスタイリッシュなデザインも許されることでしょう。
しかし、コンビニは、老若男女すべての人が利用する生活基盤です。
意味が伝えられない、直感でも理解できないオシャレなデザインなど、コンビニには無用。

超高齢化社会を迎えようとしている日本において、高齢者から子供まで一目で理解できる、新たなユニバーサルデザインが必要とされるのは明白です。某コーヒーチェーン店に行くと、注文時に「一番小さいヤツで」とコーヒーを注文する高齢者をしばしば見かけます。コンビニのコーヒーマシンは誰もが簡単に利用できるためのものなのですから、サイズひとつをとってみても、S・M・L、レギュラーかラージか、といったものとは別の「シンボル」のようなものが生み出されてもいいのかもしれません。
それこそ、時代に沿ったイノベーションでしょう。

佐藤可士和氏には彼なりの良さがあるのでしょうが、セブンイレブンは今回のような失敗にめげず、新たなマシンを作り直すなどして巨大市場を盛り上げていってもらいたいものです。

スタッフ:坂本
(2014/7/10 UPDATE)
番組スタッフ
東京ガスの『家族の絆・母からのエール』編というテレビCMをご存知でしょうか?
知らない方はまずはご覧ください⇒『家族の絆・母からのエール』編
今年2月1日から放送が開始されたこのCMが、1カ月足らずで打ち切りになったことについて、今更ながら話題となっているのです。

これは女子学生の辛い就職活動の日々を題材にしたCMで、スマートフォンに送られてきた「今後の就職活動のご成功を心よりお祈り申し上げます」と書かれた「不採用」メールを見ている場面から始まります。
女子学生は志望企業からいくつもの「お祈りメール(不採用通知)」をもらったあげく、やっと最終面接までこぎ着け、手応えのあった企業からも「お祈りメール」が届く。
近所の公園のブランコにぼうっと座っていると、母親がやって来て「やっぱりここだ」と声をかけ、彼女は思わず泣き出してしまう。家に帰り母親の温かい手料理を食べ、翌朝、スマホに「まだまだ」と打ち込んで新たな気持ちで再び就活に向かっていく、というシーンで終わる。

このCMに対し、視聴者から「リアルすぎて心が痛む」などといったクレームが寄せられ、そうした声に配慮したので打ち切りとなった、という噂が流れたため、「素敵なCMなのに、なぜ打ち切りにするのか?批判の理由がわからない」や「就活での苦労を思い出すから見たくない」など様々な声が上がり、ネット上で話題となっているのです。
しかしことの真相はというと、確かに「心が痛む」といった感想が放送期間中にいくつか寄せられたが、「批判が相次いだ」というほどではなく、打ち切りの理由は、このCMの前作「『ばあちゃんの料理』篇」が広告賞を受賞したため、「『母からのエール』篇」の枠をそちらに差し替えた、とのこと。

就活経験がある人ならば、何かしら心に刺さるものがあるのではないかというCMですが、主人公の女子学生は、内定を勝ち取ることができていないので、いわゆるハッピーエンドではありません。もしハッピーエンドであったならば「心が痛む」といった人も少しは減っていたのかもしれませんが、ハッピーエンドではないからこそ、ありきたりな感じになっておらず、よかったのではないかと私は思います。

ただこのCMを観て強く思ったのは、最後に母親が「就活だけがすべてじゃない(これは陳腐すぎますが…)」的な言葉をかけてあげればよかったのではないか、ということ。娘が聞き入れる入れないは別として、他の道もあるということを示した上で応援する、といった終わり方なら、個人的にはすっきりすると思いました。
ほっこりしたとてもいいCMには違いありませんが、なんだか女子学生が爐燭辰殖運佑農錣辰討い覘瓩箸いΔ佞Δ砲盡えたからです。

件のCMの母親は、それでも優しい母親ですが、実際には、保護者が就活生にとってよからぬ影響をもたらしている場合も、時としてあるようです。
思想家の内田樹さんは、「就活をやめる」と言い出した息子を持つ母親に対して、このような話をしたといいます。
++++++
言っておかなければならないのは、学生の不安をあおっている元凶のひとつが保護者だということです。とくに母親。
母親は自分の子どもが『弱い』生き物だと思っている。これは懐妊し、出産し、育児してきたことの実感ですから、否定しようがない。
母親は子どもが『他の子どもと同じようなものであること』ことを本能的に願う。子どもが悪目立ちすることを恐れる。だから、他の学生たちが就活していれば、自分の子どもにも就活して欲しいと思う。みんなが大企業狙いなら、自分の子どもにも『お願いだから、大企業に就職して』とすがりつく。(中略)
21歳や22歳で人生を決める必要はありません。焦るな、不安がるな、自分を安売りするな、そうお伝えください。
≪「内田樹の研究室」より抜粋≫
++++++

もちろんこれは母親に限ったことではないでしょう。10年ほど前になりますが、当時就活中だった私の学生時代の友人は、何社受けても内定が取れず、そのことで父親としょっちゅう喧嘩をすると言っていました。
「就活のやり方が悪い」といったようなことをガミガミと言われ、口論となってしまうのだとこぼしていました。
友人はだいぶまいっていたようでしたが、当時の私は、それがどのくらい深刻なことかよくわかっておらず、良きアドバイスなど一言も言わなかったと記憶しています。

本人が聞き入れるかどうかは別として、疲弊している就活生に対しては、ある種の狷┐夏鮫瓩箸覆襪茲Δ文斥佞鬚けてあげるべきなのかもしれません。
東京ガスのCMを観て昔の友人を思い出しながら、そんなふうに考えました。

(スタッフ:武市)
(2014/7/9 UPDATE)
番組スタッフ
都議会で女性都議に「早く結婚すればいい」と、やじを飛ばした男性都議。遠方への日帰り出張を繰り返し、約300万円を財務活動費から支出していた、兵庫県の号泣県議。
これらはメディアが積極的に報じた“地方議員の不祥事”ですが、あくまでも一部。先月18日の「都議会やじ問題」以降、“地方議員の不祥事”が相次いで報じられています。

先月18日には、「奈良県葛城市議会の男性市議」がナンパした女子高生を自宅に連れ込んでわいせつな行為をしたうえ、その動画をインターネットに投稿したとして逮捕。
今月2日には、「青森県むつ市の男性市議」が行政視察中にタクシーを蹴り、器物損壊容疑で逮捕。
今月3日には、「山口市議会の男性市議」が釣具店で約2000円の浮きを万引きして現行犯逮捕されたうえ、その後の捜査で覚醒剤を使用した疑いが出たため再逮捕されています。

こうなると自然と噴出してしまうのが、“地方議員バッシング”。
ネットは「地方議員の数が多すぎる」、「地方議員を減らせ」の大合唱。今朝の産経新聞の編集日誌にも<そもそも議員数が多すぎます>とあり、地方議員の議員数削減を訴えています。
そして、「地方議員を減らせ」という主張がされる際、よく引き合いに出されるのが、「地方議会のていたらく」。
少し古いですが、2011年に朝日新聞が実施した全国自治体議会アンケートでは、全国の地方議会のうち、首長が提出した議案を4年間(2007年〜2011年)で一本も修正や否決していない「丸のみ」議会が50%、議員提案の政策条例が一つもない「無提案」議会が91%、議員個人の議案への賛否を明らかにしない「非公開」議会が84%。いずれにも当てはまる「3ない議会」は全体の3分の1に及んだことが分かっています。

しかし議員数を減らしたところで、こうした「地方議会のていたらく」は変わらず、憲法学がご専門の神戸学院大学法科大学院の上脇博之教授によると、むしろ悪化してしまうようです。
*****
私も地方議会における議員全員の質が必ずしも高いわけではなく、質が良いとは言い難い議員が少なからずいるという現状を知らないわけではありません。
しかし、だからといって議員定数を削減しても、決して議会が少数精鋭になり活性化するというわけでもないのです。
むしろ、地方議会は保守系の議員または首長派の議員だけになり、ますます議会は弱体化し、再生する可能性を失うだけです。
<「どう思う? 地方議員削減」(日本機関紙出版センター)より抜粋>
*****

議員数を減らしたところで「地方議会のていたらく」が変わらないのであれば、議員の質を底上げしていくしかありません。
そこで胸に手を当てて考えてみたいのが、前回の地方選のことです。
東京都議会選挙は去年、統一地方選は2011年に行われましたが、このとき誰に票を投じたか、覚えている人はどれだけいるでしょうか。
わたしはこれを機会に自分の選挙区の候補者一覧を見直しましたが、まるで思い出すことができませんでした。候補者の主張や人となりを見たところでこれといった決め手もなく、極端なことを言えば、「誰でもいいか」という軽い気持ちで雑に票を投じていたわけです。
本来あってはならないことですが、これはわたしだけではないはず、、、

不祥事が発覚する度に当たり前のように起こる、“地方議員バッシング”。
バッシングをする前に、バッシングの対象である不祥事を生み出す一因が、わたしたち有権者の無関心にあることをそろそろ自覚すべきなのでしょう。

来年、行われる統一地方選と、3年後の2017年に行われる都議会選挙。どれだけの有権者がこれまでの無関心を改めることができるのでしょうか。
*****
もし支持するなら、その結果起こる事態を、それなりの覚悟を持って受け止めねばならないでしょう。
そして、もし望ましからぬ結果となったら、それを押し返すための努力をせねばなりません。
怒りが込み上げますが、頑張るしかありません。そういう選択をしたのですから。
<『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)より抜粋>
*****
わたしは「選択」することの重みを痛感する、専修大学法学部の岡田憲治教授のこの言葉を胸に刻み、3年後の都議会選挙に臨みたいと今は思っています。

(スタッフH)
(2014/7/8 UPDATE)
番組スタッフ
7月7日、星浩さんとお送りする今夜のテーマは、『戦後69年、「平和教育」伝承の難しさ』。

長崎原爆で被爆し、語り部として活動している森口貢さんが、修学旅行で長崎市を訪れた公立中学校3年生の男子生徒から、「死に損ない」などと暴言を吐かれていた問題。
森口さんは、「こんな経験は初めて。被爆69年となり、戦争や原爆をひとごとと感じているのだろうか」と話していますが、語り部による「平和教育」は時代に合わなくなっているのでしょうか。
「平和教育の有り様が問われている」と警鐘を鳴らす、ブロガーの木走正水さんにお話を伺い、今の時代に合った「平和教育」のかたちを探ります。


7月8日、岸博幸さんとお送りする火曜日は、『私たちを縛り付ける“規制”という名の役人の掟』。

アベノミクス第3の矢「成長戦略」に欠かせない、“岩盤規制”の打破。
安倍総理は今年1月、ダボス会議で「今後2年間で、岩盤規制をすべて打ち破る」と、世界のリーダーたちの前で宣言しましたが、その実現性はどの程度のものなのでしょうか。
また、なぜ、長年、規制という搾取構造は打ち破ることができないでいるのでしょうか。
元規制改革担当大臣補佐の原英史さんをスタジオにお迎えし、“岩盤規制”の打破に必要な子とは何なのか、考えます。


7月9日水曜日、上杉隆さんとお送りするのは、『「LINE世代」の退化するコミュニケーション能力』。

登録ユーザー数が4億7000万人を突破し、今やコミュニケーションの必須ツールといっても過言ではない「LINE」。
そのLINEの利用をめぐって、元文部科学副大臣で慶応義塾大学の鈴木寛教授は、<今の学生は昔の学生と比べて「話す力」と「書く力」が退化しており、その原因はLINEの普及が大きな影響を与えている>と指摘しています。
今後さらに利用者数は伸び続け、思春期からスマホを使い始める「LINE世代」の増加は必至。そんな中で懸念される、LINEが招くコミュニケーション能力の退化。
社会に出てからの異世代との円滑なコミュニケーションのために、LINE世代が身に付けるべきコミュニケーション能力とは何なのか、考えます。


7月10日、伊藤洋一さんとお送りする木曜日は、『「シェアリングエコノミー」が秘める可能性』。

新しい消費スタイルとして注目を集める「シェアリングエコノミー」、ご存知でしょうか?
個人間でモノや時間やスキルをシェアし合うことで、知らない人同士で車や家を貸し借りする、自分の車を運転して知らない人をどこかに連れて行くといった、奇妙な商取引が「世界のあちこちで普通の人が一般的にやっていること」となりつつあるようです。
この「シェアリングエコノミー」の成功例のひとつとして挙げられるのが、空いている自宅の部屋をユーザー同士が有償で貸し借りできるサービス「Airbnb(エアビーアンドビー)」。
2008年にスタートし、現在の利用地域は192カ国、宿泊者は1500万人を超えるなど、瞬く間に世界中に広がっています。
新たな消費スタイルとして世界中で注目を集める、「シェアリングエコノミー」。
どのような可能性を秘め、私たちの生活にどのような変化をもたらすのか、考えます。
(2014/7/7 UPDATE)
番組スタッフ
先日、私が携わるある番組で放送事故がありました。1年程前のものを放送してしまうという、ありえないミスです。事故を起こした担当ディレクターは事故報告書を書くことになったそうです。
必要以上におしゃべりなそのディレクターは、それはそれは神妙な面持ちをしていました。

放送事故とは言うまでもなく、「放送してはいけないものを放送する」ことを意味します。

先日、テレビを見ていて「これは放送事故だ!」と思ったのが、兵庫県議・野々村竜太郎氏の会見です。
野々村氏が謝罪するにいたったのは、自身の活動費用の問題。
2013年度に東京や福岡など4か所への日帰り交通費として、195回分、計約300万円を政務活動費から支出していたことが分かり、具体的活動の記載がなく、領収書も添付されていなかったため、不明朗支出だと指摘され、会見するにいたったのです。

私が放送事故だと思ったのは、世間が指摘するように会見での慟哭にあります。
スポーツ報知はこんな文面で報じています。

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野々村県議は1日に行った記者会見で「この日本を…うっうっ〜うっ世の中を、よ、世の中を変えたい。その一心で…」などと泣きわめきながら釈明。奇声を交え「高齢者問題は、我が県のみならず日本の問題じゃないですかぁぁぁ」と本筋とは違う持論を主張、感極まった。
<スポーツ報知:号泣県議に苦情殺到!兵庫・野々村氏、1年で出張195回、活動費300万円釈明会見で>
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文字面からでも十分伝わってくる、泣き叫ぶという異様な記者会見…。この異様さは海を飛び越え、イギリスのメディアでも取り上げられているようです。

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タイムズ紙(電子版)は、野々村県議が兵庫県の城崎温泉などに日帰り出張を繰り返していたことに絡め「温泉スキャンダルでフルスロットルの謝罪」と題して紹介。
野々村県議が記者会見で「日本の慣習となっている謝罪のための深いお辞儀」をする代わりに「体を震わせ、泣きじゃくった」と指摘。インターネット上で公開された会見の動画は何十万回も再生され、注目を集めているとした。
<毎日新聞:号泣兵庫県議:英でも高い関心「フルスロットルの謝罪」>
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外国がどう言おうが関係ない、日本は日本の流儀を貫けばいいと思われる方もいるかもしれませんが、野々村氏の記者会見が海外で話題となり、少し揶揄されている、いやもしかしたら大笑いされていることを考えるととても恥ずかしくなります。
全く、自分と関係のないことなのにも関わらずです。

野々村氏の記者会見は自身の正当性を証明する「釈明会見」でした。私は問題の会見を見て、“ヒキ”ました。
本人は本気で釈明したつもりなのかもしれませんが、見る者に「薄ら寒さ」を与えることが釈明でしょうか。

最近、何か社会を賑わす問題があれば、「まずは公の場で説明を、謝罪を」という風潮があります。
私はいつもこの際、「公の場での説明・謝罪」を求めることをやめてしまえばいいのではないか…思うのです。

「謝罪会見」を「釈明ショー」にしようとするパフォーマーはいます。
本質とは離れた、謝罪する本人をただ困らせたいだけの質問も聞かれます。「公開処刑ショー」です。
最近の釈明会見と言えば、佐村河内守氏が思い浮かびますが、記者がいかに「彼の耳が聞こえているのか」を暴きたいという気持ちが感じられるショーだったように思われます。あの会見を思い返してみても、問題がなぜ起こったかという本質がどこで触れられていたのか思い出すことはできません。

公の場に引っ張り出された渦中の人物が集中砲火を浴びる姿にある種の快感を覚える人もいるかもしれません。
また、引っ張り出される側の人の中にも、大勢の前で注目を浴びたいという性質を持つ人がもしかしたらいるかもしれません。
そして、引っ張り出された公の場で、自身が用意した”武器“で攻撃してみたい記者たちもいます…。

この三者の関係性がうまく絡み合い、海外から見ると少し異常な謝罪文化を生み出しているのでしょう。
そして時として、日本のみならず、海外に不快感を与えてしまう、異様なモンスターを生んでしまうのです。モンスターは一種類だけではありません。必要以上に追求するモンスター、それを楽しむモンスター…様々です。

これまでの釈明・謝罪会見の歴史を振り返って、見ている側の腑に落ちる、「ちょうどいい釈明、謝罪」などこれまであった試しがあるでしょうか?
佐村河内氏に小保方氏、ちょっと前の偽iPSの森口氏…少しは思い出せるのですが、これ以外ではそもそも、これまでどんな会見があったのかも、私は記憶すらしていません。
つまり、自身の人生には何ら関係のない、ただの暇つぶしに過ぎないのです。

「悪人」のレッテルをはられた人が、追求される様は確かに見ていて気持ちが良かったりします。
でも、それはかつての水戸黄門や大岡越前を見ていたときに覚えたような、どんな話だったかは記憶していないけど、何だか爽快だったという一瞬の快感…なのではないでしょうか。

野々村氏本人は、非難が殺到していることから、自殺の不安を口にしているようです。最悪の結末にいたらないためにも、同じような問題をそもそも生まないためにも、私たちが公の場で謝罪させることから、興味を失ってしまえばいいだけ…そう思います。

スタッフ:坂本
(2014/7/3 UPDATE)
番組スタッフ
4年間、サッカー日本代表の監督を務めてきた、アルベルト・ザッケローニ監督がW杯ブラジル大会を最後に退任を表明し、1日、羽田空港からイタリアに帰国しました。
ザッケローニ氏は6月25日、「すべての責任は私にある」と指揮官退任を発表したそうですが、今回、「代表引退」を示唆する選手もいて、そちらも注目を集めています。
DF内田篤人選手は、代表引退について「ちょっと前から考えていた。ただ、人に言っていなかっただけなので」と打ち明け、DF今野泰幸選手も「今はこの4年間が終わって、次の代表はまったく考えられない」と代表引退の可能性を示唆しました。
内田選手は26歳の若さということもあって、早すぎるのではないかとサッカーファンの間で話題となっています。

そんな中、選手が自分から代表引退の意向を示すことについて、Jリーグ内から批判の声が上がっていると報じられ、こちらもネット上で話題となっています。
記事によると、あるJ1クラブの強化担当者が「自分から代表引退を言うなんて、おかしいでしょ。いったい何様なんだという感じだよね。代表選手は、代表監督が選ぶもの。選手は選ばれる立場なんだから。そこを勘違いしては困る」と、苦言を呈したとのこと。

内田選手や今野選手が本当に代表を引退するかどうかはまだわかりませんが、本人がそう決めたのであれば、他人がどうこう言える問題ではないはずです。
私が前から気になっていたのは、サッカーに限らず、代表を辞退した選手に対する冷ややかな反応です。
例えば、野球の世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表に選ばれた選手(イチロー・松井秀喜・ダルビッシュ有、など)が辞退した際、それぞれの理由をきちんと説明していたにもかかわらず、「お前は日本人じゃない」などの痛烈なバッシングが巻き起こりました。

代表を引退・辞退する選手に対し「そんな光栄なことを自分の都合で断るなんてけしからん」といった風潮があるように思います。
スポーツライターの杉山茂樹さんは、「まず整備するべきは断る権利。断っても恨まれない環境づくりだ」と述べています。
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辞退は人間に与えられた当然の権利だ。だが、そうした選手は、非国民呼ばわりされやすい。ファンはもちろん、メディアもその代弁者にはなろうとしない。代表辞退は他国には普通にある話だが、日本では滅多にない。一番の問題はここにある。
(中略)
まず整備するべきは断る権利。断っても恨まれない環境づくりだ。サッカーの選手生命は儚く短い。怪我でいつ、ダメになるか分からない。
五輪代表合宿で大怪我し、その後のサッカー人生を棒に振った小倉隆史などはその典型だ。オランダのエクセルシオールで大活躍し、チーム関係者から是非残ってくれと言われていたにもかかわらず、五輪出場を狙うためにと、五輪チームの合宿に合流したところ、彼は取り返しの付かない悲劇に見舞われた。
サッカー選手には、悔いのないサッカー人生を送ってほしいものだとつくづく思う。問われるのは判断力。代表チームに参加するか否かは自己責任だ。海外組が増える中で、その重みはいっそう増している。
≪「杉山茂樹のBLOGマガジン」より抜粋≫
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「日本代表に選ばれること」=「無条件で喜ばしいこと」と私は勝手に思っていましたが、実はそう単純なことではないようです。
そして色々考えた末に代表引退を表明するとバッシングされてしまう…。

代表引退を表明していたにもかかわらず、監督からの強い要請で代表に復帰したという選手は過去にもいます。
その時になってみないと自分の気持ちがどう変わるかわからないということはあるので、今回引退を示唆している選手も、気持ちが変わるということもあるかもしれません。けれどもし、このまま正式に代表引退を表明した際には、何事も起こらぬよう、代表招集を断る選手を批判する風潮が無くなることを、願うばかりです。

(スタッフ:武市)
(2014/7/2 UPDATE)
番組スタッフ
今日、自民・公明両党が正式合意、閣議決定されてしまった、集団的自衛権の行使容認。
この集団的自衛権の行使容認と関連付けて議論されているのが「新宿焼身自殺騒動」で、この騒動をめぐって今、ネットでは憶測が飛び交い、メディア批判にまで発展しています。

メディア批判の原因は、自殺を図った男性が集団的自衛権の行使容認に反対する演説をしていたこと。
ネットの一部はこれを「政府にとって都合の悪いこと」と捉え、「メディアが報じない」と憤慨。「これだけ衝撃的事件を隠蔽するのは何かおかしい」「日本の主要メディアは政府の言いなり」といった声がTwitterなどに多数寄せられています。

「メディアが報じない」と憤慨する声は福島第一原発の事故以降、目にする機会が増えましたが、その後いくつかのメディアがちゃんと報じていたことが発覚するケースも少なくありません。
どうやら今回もこのケースで、「メディアが報じない」というのは嘘。
控えめではありますが、新聞は大手各紙が、テレビもNHKとテレ東以外が報じています。

・読売<新宿駅付近、男が焼身自殺図る…拡声機で主張後>
・朝日<新宿駅前で男性が焼身自殺図る? 集団的自衛権で抗議か>
・産経<新宿南口で男性が焼身自殺図る 「集団的自衛権の行使容認に反対」演説後>
・毎日<集団的自衛権:反対主張の男性、焼身自殺図り重傷…新宿>
・日経<新宿駅南口で焼身自殺図る 男が重傷>
・東京<集団的自衛権反対で焼身自殺図る 男性がJR新宿駅の横断橋>
・日本テレビ<集団的自衛権”抗議、焼身自殺図る 新宿>
・テレビ朝日<新宿駅前 一時騒然…男性が焼身自殺図る>
・TBS<「集団的自衛権に反対」東京・新宿駅で男性が焼身自殺図る>※現在はリンク切れ
・フジテレビ ※29日の「Mr.サンデー」、30日の「とくダネ!」が報じている。

NHKが報じていないことは不可解ではありますが、これは「自殺をセンセーショナルに扱わない」「自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない」といった、メディア関係者が自殺関連報道をする際に注意すべき点をWHO(世界保険機関)がまとめた、「自殺予防 メディア関係者のための手引き」を順守したため、との見方がされています。
ただ、過去にNHKが自殺の報道を一切していなかったかというとそうでもなく、もし安倍政権の意向が反映されているとしたら、残念ではあります。

メディア批判にまで発展した、焼身自殺騒動。わたしの違和感はこれだけでなく、今回の騒動を“抗議の焼身自殺”と評価する声にも覚えました。
こうした声は決して少なくなく、朝日新聞デジタル編集部記者の丹治吉順さんは、「人は主義主張など関係なく、自分に近しいものを美化したがる」と指摘。
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三島由紀夫の自殺を「右」側の人たちが伝説化してきた経過を見てきた身からすると、今日の新宿での自殺未遂を「左」側の立場の人が持ち上げているのを読むにつけ、人は主義主張など関係なく、自分に近しいものを美化したがるのだなと改めて感じる。
<丹治吉順さんのTwitterアカウント(@tanji_y)より抜粋>
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元プロ陸上選手の為末大さんは、「自殺に意味を与えること」に危機感を覚えています。
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もし男性の死を無駄にしないように活動が活発化して、本当に集団的自衛権を止められるような事があれば、私達は自爆テロ的手法を学習してしまう。つまり何か大きな政治的決定を阻害したければ、誰かが衝撃的な手法で死ね(※原文ママ)のが効率的という学習。
なんらかの主張を持った自殺に意味を与える事は、今後自殺をする動機を社会に残してしまうという事なのだと思う。
<為末大さんのTwitterアカウント(@daijapan)より抜粋>
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焼身自殺騒動の現場には、自殺を図った男性が亡くなっていないのにもかかわらず、花が手向けられ、デモを告知する怪しいチラシが配られていた、との情報もあります。
きな臭さも漂ってきましたが、とにもかくにも、筒井康隆さんが自著『アホの壁』で「アホな死にかた」として挙げている“後追い自殺”が起こらないことを心より願っています。

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誰かが飛び降り自殺をし、でかでかと報道されると、同じ場所から何人も飛びおりて、その場所は自殺の名所になってしまう。
自らの抱く死への衝動が、その場所で死ねば正当化される筈、といったような錯覚があるのかもしれない。
<『アホの壁』(新潮社)より抜粋>
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(スタッフH)
(2014/7/1 UPDATE)

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