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番組スタッフ
揺れる新国立競技場の再入札問題。
国際オリンピック委員会理事会での説明のため、クアラルンプールを訪れた東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗元総理がマスコミに追いかけられます。

これから説明に臨む心境を聞かれた森氏はこう答えます。
「天気晴朗だね。知らない? そういう言葉、天気晴朗。あとに続く言葉知っている?」

調べて見ると、日露戦争の日本海海戦に、日本海軍の連合艦隊が出撃した際の報告電報の一説で、「ナレドモ波高シ」と続くようです。

「天気晴朗ナレドモ波高シ」…その意味を調べてみると、「日本海軍」が有利ということを示唆しているようですが、いまいちピンと来ません。

森氏いえば、新国立競技場問題で責任の所在を追求され、こんなことを言いました。

「我々はクラウンぐらいの車に乗っていたら、後ろから大きなセンチュリーが来て、こっちの車の方がいいから乗せてあげますよと言って、乗ったらパンクして、降りなさいとなった」

森氏の悲願とも言える2019年ラグビーW杯日本大会までに新国立競技場の建設が間に合わなくなった状況を例えたもの。私だけかもしれませんが、ピンと来なさすぎて吐き気すら覚えました。

森氏は政治家を引退されていますが、ピンと来ないと言えば、安倍総理の新たな安全保障関連法案をめぐる例え話もその一つ。

「アメリカの家が燃えて、横にある離れにも火が燃え移っても、日本は何もしない。でも、離れの火がぎゅーときて、日本の家が燃えたら日本の消防士がはじめて出てくるけど、これからは風向きでアメリカの離れの火が日本の家まで来そうなら、日本の消防士は道の上から離れの消火活動ができる。でも、アメリカの家までは行かない」

参考【離れ、http://lite-ra.com/2015/07/post-1307.html
振り込め詐欺、生肉…安倍首相の安保法制説明がワケわからなさすぎで失笑! フジテレビへの生出演は逆効果】


具体的な一例を挙げる。
全く関係のない事柄に置き換える。
例え話とは一般的にこのどちらかだと思います。

昨今の政治家の例え話がピンと来ないのは「全く関係のない事柄に置き換える」パターンでしょう。
別の事柄に置き換える例え話というのは得てして、例える話者、あるいは話者と同じ考えを有するものにしか理解できないもの。つまり、考えの異なる人には全く伝わらないことがほとんどです。
何とか理解しようと、聞く側が「あぁ、この人はこう例えることでこんなことを言いたいのだな」と想像の糸を張り巡らせるのです。
例えを一回、頭の中で例える前のものに変換し直して理解しようとしなければいけません。想像力が足りない私のような人間にとって、これは本当に面倒なことなのです。


目の前の議論において、全く関係のない事柄で置き換える例え話をすると「うまく伝えること」よりも「うまく例えること」に注力しがちです。
「うまく例えること」は噺家など、お話のプロが使う手法。政治家ならば、自身が成し遂げようとする政をいかに実現するか、国民にその言葉でもってして「うまく伝えること」に惜しまぬ力を注ぐべきではないでしょうか。「言葉に生き、言葉に死ぬ政治家」と言われますが、政治家が「言葉で生きる」ためには、そのくらいのことはして欲しい。国民の「代弁者」でもあるのですから。

レッテル貼りによりまともな議論ができない。それをはぐらかすからさらに進まない。
中心部が形作られないまま、外枠が固まりつつあることによる不安定さと気持ち悪さ。
国民の一人としては、確かな言葉で議論を建設していってもらいたいと願います。

しかし、政治家に期待していても仕方がありません。
永田町用語、霞ヶ関用語といった言葉があり、政治が扱うそれは実に奇々怪々。つまらない例え話や独特の政治家用語で今の日本で何が起こっているのか、どんな処方箋が必要なのかという議論から置いてけぼりを食わらないためにも、有権者、国民が能動的に政治を理解することが一番の防衛手段だと思います。例え話など必要としないくらいに。


スタッフ・坂本
(2015/7/30 UPDATE)
番組スタッフ
東京都現代美術館に展示されている現代美術家・会田誠さんの作品に、東京都現代美術館から改変要請が出されている問題。
まだ、わたしは作品そのものを観ることができていない状況ではありますが、この時点ですでに、美術館側がこの作品を「子どもにふさわしくない」と判断したことに違和感を覚えています。

問題となっている作品は、今月18日から開催されている東京都現代美術館の子供向けの企画展「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展に展示されている2作品。

ひとつは、会田さん、会田さんの妻(現代美術家の岡田裕子さん)、長男の共作でタイトルは「檄」。
白い6メートルの布に墨文字が書かれた作品で、大きな文字で「文部科学省に物申す 会田家」、小さな文字で「教師を働かせすぎ。みんな死んだ目をしているぞ」「教科書検定意味あんのかよ」「特別支援教育がただの隔離政策みたいになってる」「役人風情が無限の可能性を持った人の心に介入すんな」などと、3人が学校生活で感じた不満がびっしりと書かれています。

文字面だけではよく分からないという方は、会田さんがTumblrにあげた画像を見ていただければ、かなり雰囲気をつかめるかと思います。

もうひとつが、会田さんが去年作ったという「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」という映像作品。
会田さん自身が日本の総理大臣に扮し、たどたどしい英語で演説するという内容で、去年11月に会田さんはTwitterでこの作品について言及。
画像とともに、「ちなみにこれが今回香港で見せているビデオ作品「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」です。安倍首相とは別の架空の首相を演じてます。」とツイートしています。

演説の内容については会田さんがTumblrで触れていないこともあり、情報はひじょうに少ないですが、こちらの記事には「私はチョコレートが好きです。でも鎖国したら、明日からはチョコレートは食べられなくなるでしょう。でもいいんです。我慢すれば」とあり、演説内容からはそれほど政治色が感じられないことがぼんやりと見えてきます。

この2作品に対し、東京都現代美術館は観客のクレームと都庁の要請を受け、改変要請を決めたようなのですが、そのクレームを寄せた観客は1人だけ。
そして、改変要請の理由については、「子どもにはふさわしくないため」としています。

「子どもにはふさわしくない」。東京都現代美術館はこの作品のどこを観て、子供にふさわしくないと感じたのでしょうか。
冒頭でも書いたように、わたしは作品そのものはまだ観ることができていませんが、作品の画像や会田さんによる作品の意図、実際に観た人による詳細なレポートを読む限り、子どもにふさわしくないとは決して思いません。

思えば、2年前(2013年)に物議を醸した、島根県松江市の小中学校による『はだしのゲン』の閲覧制限も、理由は「子どもにふさわしくない」からでした。
『はだしのゲン』は残酷な描写があるため、悪影響を心配する親もいるでしょう。ただ、悪影響だけでなく、好影響を与えることも忘れてはなりません。

わたしは小学5年生のとき、教室の本棚に罠のように仕掛けられてあった『はだしのゲン』を読み、吐き気をもよおしました(実際には吐いていませんが)。理由は言うまでもなく、大人が子どもに容赦なく振るう暴力の描写や溶けた皮膚の表現があまりにも衝撃的だったからです。
その後、一週間ほど塞ぎ込むことになってしまいましたが、同時に「戦争はやってはいけないもの」という感情も強烈に刷り込まれたのを子どもながらに覚えています。

「子どもにふさわしい」という言葉は、大人の身勝手のかたまりみたいなものです。悪影響を先回りして、成長の機会を奪いとってしまう。
子どもは子どもなりに作品を観て、何かを感じとる。この何かを感じとる機会を「子どもにはふさわしくない」によって奪うことこそ、問題なのです。

(スタッフH)
(2015/7/28 UPDATE)
番組スタッフ
7月27日(月)佐々木俊尚●少子化日本に待ち受ける「ファミレス社会」
介護保険制度がスタートして15年。サービス利用者は149万人から492万人へと3倍にも増加しているが、その数は今後さらに増えていく見通しです。
日本は今、大介護時代を迎えようとしています。ほぼすべての人が子または配偶者として、時には孫として、家族の介護に長期従事せざるを得ない時代がやって来るのです。
背景にあるのは、人口構造の大変化による「ファミレス化」があると言います。
ファミレス社会を乗り越えるための策とは?


7月28日(火)古谷経衡●戦後70年談話 「敗戦責任」が議論されない背景とは?
戦後70年という節目の年を向かえるにあたり、安倍総理大臣が出す「戦後70年談話」のゆくえが、今年に入ってから俄に注目を集めています。
「戦後70年談話」をめぐる論点や議論の中から、脱落しているとされるのが「敗戦責任」に対する言及です。「敗戦責任」とは何か、それが議論されない背景には何があるのか考察します。


7月29日(水)ちきりん●世界で注目を集める「社会的インパクト投資」の課題とは
社会的分野に係る問題解決と収益確保の両立を図るのは難しいとされる中、近年、それを両立させる新しい投資「社会的インパクト投資」が、世界的に注目を集めています。
「社会的インパクト投資」の実態と課題とは?


7月30日(木)小田嶋隆●『火花』芥川賞受賞に見る「文学性」と「話題性」の共存
第153回芥川賞(日本文学振興会主催)を受賞したお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さん(35)の小説「火花」(文藝春秋)。新人作家の作品としては異例のミリオンセラーを達成していますが、テレビ番組であるキャスターが「芥川賞と本屋大賞の区分けがだんだん無くなってきた」とコメントして物議を醸しました。
芥川賞受賞作品において、文学性と話題性の2つは両立しうるのか考えます。
(2015/7/27 UPDATE)
番組スタッフ
先日、自宅マンションのインターホンが鳴りました。出てみると、ご近所さん。
会えば挨拶をして、たまに世間話をする程度の関係なのですが、何やら手にプレゼントのようなものを下げています。
プレゼントを受け取り、その場で開けてみると「よだれかけ」。
数ヶ月前、子供が生まれたことを知った私たちに買ってきてくれたというのです。
子供が生まれたという旨は不動産屋、大家には伝えていましたが、産前・産後の慌ただしさの中、お隣さんには言う機会を逸してしまっていました。

お隣さんはこんな言葉を私たちにかけてくれました。
「赤ちゃんが泣いたって気にしないで下さいね!私は全然、気にしませんから。何だか言いづらいんじゃないかなと思ってこちらからうかがいました」

東京に住まう見知らぬ者同士の人情に期待などしていたなかった私は、お隣さんからの不意の贈り物と言葉に心が温まり、潤っていく感覚を覚えました。

自分が逆の立場の時、同じことができるであろうか。
お互い、それほど親しくもない。良いお隣さんに恵まれたものだ。
しばらくの間、よだれかけを見ながらそんなことを思っていました。

…と、ネットによくありそうな心温まる風の話をしてみましたが、なぜこんな話をしたかというと、『「子供の声がうるさい。騒音」住民から寄せられる苦情。それを見た管理人が配布した「意見書」が胸に刺さる』というネットでよく見る良い話が私のFacebookにシェアされてきたから。
Facebookでは14万も「いいね」されているのですが、子育て世代である私の琴線には全く触れませんでした。胸には刺さりませんでした。
どうも創作臭い。染み付いてしまった習性なのか。ネットでフラッとやってくる良い話は疑わしい。知人(あるいはそのまた知人)が実際に体験したことでないとどうも疑ってしまいます。

仮に創作だったからとして、誰もその嘘で傷つくわけではありません。
子育て(子供)に関する良い話は特にシェアされやすい傾向にあると感じます。
本当かどうかはわからないけど、信じてしまう。そんなこと気にする暇すらなく、誰かに伝える。
子育て世代にとって風当たりが強い社会だからかもしれません。

限りなく1次情報に近い掲載サイトに行くと、こういった良い話だけではなく、ネットで話題の画像から小ネタまで様々。
こんな話もありました。

『トイレ清掃員のおばさんを馬鹿にした大学生。しかし横にいたおじさんの”ボソッと一言”に彼らは凍り付いた』

企業のトイレの清掃員をしているという「私」からの投稿で、就活中の大学生に「こんな仕事イヤだ」と暴言を吐かれたと言います。すると、同じくトイレにいたおじさんが就活生が驚くような一言を放つのです。
何となく、どういうオチかは想像できると思います。

この話はFacebookで見ると、6万5千件もシェアされていました。この手の話がよく拡散されるのは、最近に始まったことではありません。
掲載サイトが投稿の話が「事実である」とはもちろん謳っていませんし…。

良い話のみならず、現実でおこった出来事をネットに投稿する際、それが本当かどうかを証明することは不可能。書く人と読む人の信頼関係によりけりというところでしょう。

書店に行くと、良い言葉だけを集めた「心の栄養」かのような売り文句の本も多数です。
心温まるネタがとても好きな私たちは、それほど現代社会によって心が磨耗し、「栄養」が必要なのでしょう。
都合よく編集された言葉を自分の都合よく解釈するのではなく、少々骨が折れようが、文脈で判断する。
その徒労と達成感こそ、精神の養分となるのだと私個人は思っています。
日本文学に登場する言葉を切り抜いた、格言・名言集もあります。その言葉を発した人がその時置かれていた状況、大まかな前後関係も書いていたりしますが、やはり物足りない。
小説を読む人によって、心を動かされる箇所は違っています。言うまでもなく、小説を1冊丸々読めば、切り取られた名言集には載っていない良い言葉を探すことも可能です。

ちなみに、冒頭で紹介した話は本当にあったこと。真実か否かを証明する術はありません。
良い言葉や話というものなど、誰かから「これ良いでしょう?」と押し付けられるものでもなない。
自分が実際に体験し、そこから浮かび上がるものこそ本当の良い言葉。その良さは自分にしかわからないし、シェアしようと思っても良さはなかなか伝わらない。
だから、体験主や登場人物をあやふやにした美談がはびこるのでしょう。
良い話や言葉をシェアすることが、悪いわけではありません。しかし、精神の基礎体力を養う体験がショートカットされているようにも思われます。

スタッフ・坂本
(2015/7/23 UPDATE)
番組スタッフ
“ダサさ”と“かっこよさ”は紙一重とも言いますが、最近、世間を騒がせている東京オリンピック関連の2つのデザインは“かっこよさ”よりも“ダサさ”が際立っていました。

ひとつは、迷走の末、建設計画が白紙に戻った「新国立競技場のデザイン」
わたしには近未来のイメージが強すぎて、ダサい以外のなにものでもなく、近未来すぎるデザインがたった5年後の東京の風景に馴染むとも思えませんでした。
景観を乱すとまでは言いませんが、白紙に戻って、少しほっとしているのは確かです。

ちなみに、ダサい派からは「近未来すぎる」以外にも、「カブトガニみたい」「宇宙船みたい」「ヘルメットみたい」との声も。
東京オリンピック組織委員会の会長を務める森喜朗元総理も今さら、「もともとあのデザインは嫌だった」「当初からあんな生牡蠣をドロッと垂らしたようなデザインを見せられて『へーっ、こんなのは嫌だなあ』と思った」などと、デザインに対する違和感を漏らし始めています。

白紙に戻ったことであらためて酷評されている、幻となった新国立競技場のデザイン。
これ以上に「ダサい」と今、酷評されているものがあり、それが東京オリンピックの「おもてなし制服」です。

こちらは、5年後の東京オリンピックに向けて、外国人観光客を案内するために生まれたボランティアチーム「おもてなし東京」が着る制服で、こちらもなかなかのダサさ。

基本は、赤い水玉模様の帽子、白地のポロシャツに、青のベストを重ねるスタイル。
ポロシャツの首元には着用しているように見える、ストライプのネクタイをプリント。ポロシャツの背中には「おもてなし東京」「OMOTENASHI TOKYO」という文字がプリントされ、手にはど真ん中に「東京」と書かれたバッグを持たされています。
文字面だけではよく分からないという方は、ぜひこちらの画像、もしくはこちらの画像をご覧ください。
どうですか?ダサさが十二分に伝わったのではないでしょうか。

YAHOOニュースの意識調査でも、『東京五輪の「おもてなし制服」どう思う?』という設問に対し、「良いと思う」が9978票、「良くないと思う」が7万6581票(21日14時時点)と、「良くないと思う」が圧倒的多数を占めていて、「良くないと思う」理由は次のようなもの。

・こんなにダサい制服を着るのなら…という理由でボランティアをやらない人も出てくるのでは
・世界の笑い物レベル
・日本のセンスを疑われること間違いなし
・この制服も新国立競技場と同じように白紙に戻してほしい

ダサいという感覚は主観的なものであり、人それぞれ。でも、これだけ「ダサい」という声が圧倒的だと、ダサくなってしまった原因が気になってきます。
多くの人にダサいと評価されてしまった原因はどこにあるのでしょうか。
こちらの記事を読むと、その原因が少しだけ見えてきます。

*****
選考時のデザインの条件は、男女兼用で4サイズ展開のポロシャツと帽子、バッグを製作するというもので、ポロシャツの後ろ身頃には公募で決まるボランティアチームの名前(『おもてなし東京』に決定)がプリントされることも決まっていた。
*****

この記事から見えてくるのは、選考前に制服の大まかなかたちが決まっていたということ。
つまり、デザイン以前の段階で、ある程度ダサくなるのは目に見えていたわけです。

政府や東京都が盛り上げようとしている5年後の東京オリンピック。
度重なるデザインのダサさが一因となり、国民の気持ちは政府の意向とは裏腹な方向に進みつつあると感じているのはわたしだけでしょうか。

(スタッフH)
(2015/7/21 UPDATE)
番組スタッフ
7月20日(月) 佐々木俊尚 ●リブロ池袋本店が果たした役割

今日・7月20日に閉店する、個性ある店作りで一時代を築いた書店「リブロ池袋本店」。
書店員のつくる個性的な本棚がリブロ池袋本店の最大の売りで、数々の試みは書店界、出版界に与えた影響は大きいと言われています。
今年になって百貨店側から契約継続が認められず、閉店が決まったわけですが、常連客からは惜しむ声があがっています。
リブロ池袋本店は書店界、出版界にどのような影響を与えたのでしょうか。
その功績について、フリーライターの永江朗さんにお話を伺います。


7月21日(火) 速水健朗 ●プレミアム商品券では地域活性化できないワケ

国からの交付金を利用し、額面より安く購入できる「プレミアム商品券」。
上乗せ率20%の商品券を1万円で購入すれば1万2000円分の買い物ができる代物で、発売以降、発売会場で1000人を超える行列ができたり、数分で売り切れた自治体も現れたりするなど、各地で大人気となっています。
地域での消費喚起と経済活性化が目的のようですが、どれほどの効果が期待できるのでしょうか?


7月22日(水) 飯田泰之 ●日本企業は遅れている?後継者育成「サクセッション・プラン」の必要性

今月11日、任天堂の岩田聡社長が55歳という若さで亡くなりました。
突然の訃報に驚きと失望の声が広がる一方で、市場の注目はすでに、岩田社長亡き後の経営を誰が担うかに移っています。
今の任天堂に岩田社長に代わる経営判断をできる人は見当たらないとの声もあり、任天堂は後任社長の選定については「スケジュールを含めて未定」と発表しています。
岩田氏の突然の訃報で浮上した任天堂の後継者問題。これを受け、注目されるのが後継者を事前に育成する「サクセッション・プラン」。
欧米の企業では経営の最優先事項の1つとして取り組まれているこの制度、日本でも広がっていくのでしょうか。


7月23日(木) 小田嶋隆 ●ジワリと広がる「煙独ムード」。日本とドイツの「正しい比較の仕方」とは?

日本とドイツ。戦後70年の「安倍談話」を巡る論争の影響もあり、過去への姿勢で何かと比べられる両国ですが、どちらかといえばドイツが優等生扱いされることが多い。
そんな状況に「ドイツがそんなに立派なのか」といらだちを募らせる言論が、ネット上や一部メディアで目立ち始めています。
「嫌独」とまではいかないものの、ちょっと煙たがる「煙独」ムード。
この「煙独」ムードから、日本とドイツの「正しい比較の仕方」を考えます。
(2015/7/20 UPDATE)
番組スタッフ
今週月曜日の朝こと。東京・赤坂の某テレビ局の情報番組を見ていました。
画面で流れていたのは、ウィンブルドン男子決勝、ジョコビッチ対フェデラーの一戦のハイライト。
スポーツニュースのハイライトはどうしていつもそうなのか、男性アナウンサーが朝とは思えないほど熱を帯びた実況で過去の映像に臨場感を加えようとします。
フェデラーを下し2年連続3度目の優勝を飾ったジョコビッチ。試合終了直後、ジョコビッチは芝を食べるという行動に出ます。
ジョコビッチのことを全く知らない人にとっては、「奇行」とも映る少々刺激が強いこの光景。しかし、これはジョコビッチの例年通りの「食事」なのです。

VTRはジョコビッチが芝を食べることをオチにして終わり、それを受けてのスタジオ。
「興奮冷めやらぬ」と形容するにふさわしい男性アナウンサーが、その日のレギュラーコメンテーターである某芸人に、小さなプランターに生えた芝を食べさせられるという演出がありました。
体を貼ることが是とされる芸人。もちろん、そこは食べるという選択をします。
時間もなかったのでしょうが、プランターの芝を食べるという行為に他出演者からの何の指摘や反応もないまま、次のニュースが始まりました。

ニュースを視聴者にどう見せるか、どう味わってもらうかという「調理法」は、「料理人」であるスタッフの腕次第。しかし、私は目の前に供されたジョコビッチが芝を食べることを受けて、芸人が芝を食べるという「料理」に疑問府が浮かびました。
芸人が食べた芝は、食用のそれなのかもしれません。おそらくそうなのでしょう。

ウィンブルドン男子決勝というニュースの締めとして、芝を食べる芸人。
何もかもが突然すぎて、それを面白がる隙もない。どうせ食べるなら「笑い」という見返りは保証してあげるべきで、誰も得をしない調理法に思えました。

ワイドショーやニュースを扱う情報番組にはコメンテーターとしての「芸人枠」が設けられるようになりました。その傾向はこの春から強くなった印象を受けます。
朝から夕方まで放送される各局のニュース系情報番組を見ると、ほぼ「芸人枠」があります。

芸人に真面目な発言なんて求めてねーよという声もあるようですが、フジテレビ「ワイドナショー」の放送後には必ずと言っていいほど、話題の社会問題について発言した松本人志氏なりの考えがネットニュースとなります。おそらく、業界的にも注目されているのでしょう。視聴率も悪くないと聞きます。
深夜から日曜朝に進出してきた同番組の成功もあって、社会問題、時事問題をこれまでにない視点で切り取るコメンテーターとしての「芸人」が重宝されるようになったのでしょう。

理由は他にもあると思います。
ニュースや情報番組の新聞のラテ欄を見ると、どこも大体同じようなネタを取り扱っていたりします。各局、各番組でその日がな同じ情報を与え続けられるとしたら、視聴者は何を優先して見る番組を選択するか。
「コメンテーターが何を言うか」が気になるのではないでしょうか。
ニュース系情報番組、ワイドショーは扱うネタよりも、「コメンテーターが何を言うか」が重視されていくのかもしれません。

受け手、作り手ともに芸人に色々、求めすぎです。
芸人という枠を超えての活躍を期待している(おそらく視聴者はそのニュースを芸人がどう切るかを見たい)にもかかわらず、「芝」を食べるという救いのない演出を与える。
笑いもとって、ピエロ役も買って出て、文化人とは違った視点で気の利いたことを言う。
芸人として売れてテレビに出続けるとは、何たる苦行でしょうか。

色々と求めておきながら、シリアスなことを芸人として昇華しようとすると、それはそれでどこからか非難される。大島美幸さんの出産の放送が良い例です。
大島さんが流産した告白し、女芸人としては珍しいと言われる妊活休業に入ったことにより、大島さんらと同じく妊活に前向きになれた夫婦もいます。私の親戚、友人がそうです。

毎年のように新たな芸人が登場しては消えて行きます。その一方で、バラエティ番組の主要キャストを務める芸人はいつも同じ顔ぶれ。厳しい世界を生き残った数十人の芸人で番組を行き来しているような印象を受けます。
次を担う世代が育っていないからこそ、いたずらに芸人を消費するという演出がなされるのでしょう。

スタッフ・坂本
(2015/7/16 UPDATE)
番組スタッフ
「男はこうあるべき」、「女はこうあるべき」といった考えは古い価値観であり、嫌われがちです。
でも、嫌いだとは思いながら、完全には捨てきれず、心のどこかに「こうあるべき」という考えはかさぶたのようにこびりついていたりします。

こんなことを思うのは、今月4日から公開されている映画『フレンチアルプスで起きたこと』を観たから。
2014年のカンヌ国際映画祭で絶賛されたこの映画、あらすじは、「フレンチアルプスに5日間のスキー旅行にやってきたスウェーデン一家(妻、夫、息子、娘)の家庭内の状況が、“ある事件”をきっかけに一変するさまを描いた人間ドラマ」というもの。

“ある事件”というのが「こうあるべき」に関わるもので、旅行の2日目に起きます。
その日の昼、レストランのテラス席で食事をしていると、スキー場が安全確保のため人工的に起こした雪崩が目の前で発生。
最初は大したことないと誰もが高をくくっていたのですが、思った以上の規模だったため、夫が妻と幼い子供二人を置き去りにして逃げ出してしまう。
つまり、「こうあるべき男像」とは真逆の「男らしくない行動」を家族の前でさらしてしまったわけです。

この行動がきっかけで、妻との仲、子供たちとの仲がぎくしゃくし始めるのですが、この夫の「男らしくなさ」はこれだけにとどまりません。
とにかく雪崩に恐れをなして自分だけ逃げたことを認めようとしない。というより、「なかったこと」にしようとします。
たとえば、妻に「あのとき、なぜ逃げたのか」と問いただされても、「君の見間違いだ」ととぼけ、開き直ってしまう。

この夫は終始こんな感じで、本当にしょうもない男と思ってしまうのですが、そのしょうもないという感情の根底にあるのは、「男はこうあるべき」という考え。
「目の前で雪崩が発生しても決して逃げないのが男」という勝手なイメージが、この夫をしょうもない男に仕立て上げているのではないでしょうか。

自分の胸に手を当てて見れば分かるように、実際のところ、世の男たちはそれほど勇敢でも誠実でもなく、ある調査でも「自分の生存が掛った場合、男性の方が女性に比べて逃げ出して自分を守る傾向があること」が明らか(『フレンチアルプスで起きたこと』プロダクションノートより)になっています。
誰だって自分の命は惜しいのですから、当たり前といえば当たり前。でも、「男はこうあるべき」という身勝手な考えが当たり前とは思えなくしているように思います。

対象になる人を縛り付ける「こうあるべき」という考え。これは何も男と女に限ったことではなく、いま世間を騒がせている、岩手県矢巾町で中学2年生の男子生徒がいじめを苦に自殺したと見られる問題でもそう。
この問題では、担任だった教師が「こうあるべき」を押しつけられているように感じます。

それを強く感じさせるのが、男子生徒と担任がやりとりをしていた「生活記録ノート」の内容に対する反応。
「もう市ぬ(※原文まま)場所はきまってるんですけどね」という記述に対し、担任は「明日からの研修たのしみましょうね」、「先生にはいじめの多い人の名前をおしえましょう。もうげんかいです」という記述に対しては、「上から目先ですね」とそっけなく書いていることが報じられると、ネット上は担任への批判コメントで溢れました。

「教師なのに生徒のSOSを無視した」「なんでもっと親身になってあげなかったのか」。
こういったコメントが数多く見られますが、そもそも、教師に求める「こうあるべき」のレベルが高すぎるのです。
「金八先生」「スクールウォーズ」「ごくせん」「GTO」など、誰もが知る人気ドラマやマンガに登場する教師たちは親身で、いじめを見つけると放っておくことなどできません。
でも、これはフィクション。ちなみにわたしはこんな超人的な教師と巡り合ったことは一度もありません。

あまり大きくは報じられていませんが、その後、担任の真摯な対応を裏付ける証言も出始めています。
この記事によると、ある生徒は、男子生徒に暴力をふるっていたグループを担任が「別の部屋に連れて行って叱っているのを何度か見た」と証言、担任について「優しくて、いい先生だった。生徒から慕われ、相談にもよく乗ってくれた」と話した生徒もいるようです。

真偽のほどは定かではありませんが、男子生徒のクラスメイトと知り合いだというあるツイッターユーザーのこんな証言もあります。
*****
昨日、岩手中2自殺のニュースの学校の子(中2)と話す機会があったのですが、担任教師への酷い偏向報道に憤慨してました。
担任の先生は直接その生徒と話し合ってた、いい先生だったそうです。
ノートにも「先生相談に乗ってくれてありがとう」という旨の記述があったのに全く取り上げられない事に強い不満を感じていました。生徒とも、クラスとも色々話し合った背景があった上での「研修頑張りましょう」だったのだそうてす。
<マスコミの偏向報道に岩手中2自殺のクラスメイトが憤慨!! 中学生「先生はいい先生!頭おかしい先生のように扱われているのは納得できない」>
*****

担任を悪者に仕立て上げるような報道の仕方にも問題があったのでしょう。
ただ、すべてを報道のせいにするのではなく、報道を受け取る側の中にある、「教師はこうあるべき」のレベルの高さも忘れてはなりません。
教師に期待するなとまでは言いませんが、せめて教師に求める「こうあるべき」のレベルを下げてほしい。そのように思います。

(スタッフH)
(2015/7/14 UPDATE)
番組スタッフ
7月13日(月)佐々木俊尚●マスコミは“こらしめられる”?放送アーカイブ構想の是非
政治によるメディアへの圧力に注目が集まる中、国立国会図書館がテレビやラジオ番組を録画・録音して保存する「放送アーカイブ」構想の実現に向け、国会の議論が加速しています。今年5月には超党派の議連が発足。議論を主導する自民党内には、テレビの報道への不満から、事後検証にアーカイブを活用しようとする意見もあるといいます。
ただでさえ政治によるメディアへの圧力が指摘される中で、放送アーカイブ構想はどのような意義を持つのか。



7月14日(火)古谷経衡●日本でも広がりをみせる学生デモ
集団的自衛権の行使容認に向けた政府の安全保障関連法案に反対する学生たちの抗議活動が広がりを見せています。
新しい学生運動のムーブメント。その戦略とは?


7月15日(水)ちきりん●政治と芸術が結びつくことの意味
メディアを威圧する発言が出席者から相次いだことで批判を招いた自民党議員の勉強会「文化芸術懇話会」。設立趣意書によると、「心を打つ『政策芸術』を立案し実行する知恵と力を習得する」ことが会の目的で、文化人や芸術家を自陣営に引き込むための会だったといいます。
文化や芸術と政治が結びつくと、どんなことが起こるのか考えます。


7月16日(木)小田嶋隆●新幹線放火事件で知る「拡大自殺型犯罪」との向き合い方
神奈川県小田原市内を走行中の東海道新幹線で起きた放火事件で、焼身自殺した71歳の男。放火直前、車内から杉並区役所に生活苦を訴える電話をしていたことがわかりました。
経済的な困窮が自殺を図った動機につながったとみられています。
今回の放火事件は周囲も巻き込んで自分も死ぬという「拡大自殺」にあたると言われます。、
「拡大自殺型犯罪」を防ぐためにどのような対策が必要なのでしょうか。
(2015/7/13 UPDATE)
番組スタッフ
テレビ離れが加速しているようです。NHK放送文化研究所が7日、ビデオやDVDの再生を除くテレビの1日の視聴時間を「30分〜2時間」もしくは「ほとんど、まったく見ない」と答えた人の割合がそれぞれ5年前と比べて増加したと発表しました。30分〜2時間の「短時間視聴」の割合が増加傾向となったのは1985年の調査開始以来初めてなのだとか。

一般的に最近のテレビには子供と主婦、お年寄りを意識した番組が多いと言われますが、今、テレビを見ているのは誰でしょうか。
お年寄りがよく見ているというイメージがある番組がご存知、「笑点」です。
先日、日曜日の夕飯前に何となく見た笑点。あらためてこの長寿番組が絶対的とも言える安定感を知らされました。

笑いを取ることによって座布団を獲得し、座布団を剥奪されることによってもうひと笑い起こる。
かなり雑な言い方ですが、これが笑点のフォーマットです。
そこに、時として司会者の歌丸さんや山田くん、さらには他のメンバーをいじることによる笑いも加わる。
そのフォーマットに則ってさえいれば笑いが取れないということはない、ゴールデンルールが存在していると言えるでしょう。

7月5日放送の笑点の視聴率は17・8%。日曜日に放送された全テレビ番組の中では第3位。
よくよく考えると恐ろしい数字です。番宣もせず、これだけの数字を叩き出すのですから。文字通り、お化け番組と言えるでしょう。

笑点の何がおもしろいのか。なぜ、何も考えることなく見ていられるのか。
私が先の日曜日に見て思ったのが、昨今のテレビ番組にありがちな演出がほとんどないという点です。
その一つがテロップという文字による演出です。地上波の人気番組の中でおそらく笑点は、最もテロップが少ないのではないでしょうか。

Huluで7月5日の放送回を見て、テロップの数を数えてみました。(オープニング、エンディングをのぞく)
まず、司会者である「桂歌丸」の名前が入ります。
その後、その回の収録場所として「後楽園ホール」が。
前座を務めたお笑い芸人「東京03」の紹介。
それが終わり、「ひきつづき大喜利をお楽しみください」。
そして、例の音楽と共にメインのコーナーが始まると「大喜利」と一言。
メンバー紹介で「三遊亭小遊三」「三遊亭好楽」「林家木久扇」「春風亭昇太」「三遊亭円楽」「林家たい平」、そして「山田隆夫」とのテロップが入ります。右上に「笑点50周年」と数秒、登場します。
テロップの総数は13。それ以降、10分以上にわたってテロップによる演出はありません。(ちなみに私が担当する別のテレビ番組では、1分以上、テレビ画面にテロップがないということはありません)
つまり、笑点は「余計なこと」をしていないのです。

金科玉条とも言うべきフォーマットにより、視聴者が先の展開を予測しやすいという点も笑点が長寿番組たるゆえんかもしれません。
歌丸さんをいじるとどうなるのか、誰がどういじるのか。
毎週、欠かさず見るという人でなくとも、たまに見ればその先がどうなるかは何となく想像がつきます。
想像を裏切られることもない。だからこそ何を期待するわけでもなく、安心して見ていられる。
「何を期待するわけでもなく」というのが昨今のテレビ業界においては希少なのかなと思います。
いつからこうなったのか、情報番組、バラエティ番組を見ていると、「なんと!」「まさかの事態が!」「この後、驚きの●●を発表!」など、いったん間を置き、視聴者の期待を必要以上に膨らませるという演出が散見されます。
この必要以上に期待を膨らませる演出に、どのくらいの人が膨らんだ期待を裏切られてきたことでしょうか。
失望に変わりうる裏切りが、テレビ離れの原因は数あれど、その一つなのではないかと思います。
今後、高齢化が進み地上波放送の多くが高齢層をターゲットにすると予想すると、放送界が本当にテレビ離れを食い止めようとするなら、笑点の「余計なことはしない」演出を真似てみると良いのかもしれません。
もちろん、余計な演出がなくても済むフォーマット、構成であることが大前提だとは思いますが。

テレビ番組の一つの画面を切り取って見ても、視聴者はどこをどうおもしろがるべきなのか、何を知るべきなのか、馬鹿丁寧に指南されています。情報過多となっているのはテレビだけではありません。いまや、あらゆるメディアで情報が氾濫しています。

情報がたくさんあった方がにぎやかで良い、という人もいます。
「好み」の問題です。たくさんチャンネルがあるのだから、余計なものを削ぎ落としたコンテンツがあって欲しい、それを見たい、選びたいと私の好みは言っています。

スタッフ・坂本
(2015/7/9 UPDATE)
番組スタッフ
「インターネットで見ず知らずの人から母乳を買って、自分の子供に飲ませる」。
これだけでも十分驚きですが、「母乳だと思って買ったものが偽母乳だった」というさらなる驚きのニュースを毎日新聞が報じています。

偽「母乳」ネット販売:細菌1000倍、乳児に危険(毎日新聞2015年7月3日)

記事によると、毎日新聞がインターネットで販売されている「新鮮な母乳」をうたった商品を入手し、複数の検査機関で分析したところ、少量の母乳に粉ミルクと水を加えた可能性が高い偽物と判明。
しかも、栄養分が通常の母乳の半分程度で、細菌量はなんと最大1000倍。
デメリットしかないこの偽母乳に1日10件程度の購入の問い合わせがあり、会員は約300人いたといいます。
販売価格も決して安くなく、ある販売業者は「6か月(※母乳を提供する母親の出産からの経過時間) 50ミリリットル1200円」「12か月 50ミリリットル800円」と設定。
生後1か月の子供の一日のミルクの量の目安はだいたい700ミリリットルなので、買った母乳だけで賄おうとすると、「6か月 50ミリリットル1200円」の場合、単純計算で一日1万6800円、1か月で50万円以上かかることになります。この高さは異常です。

この販売価格の高さから考えると、意外なのが「需要の多さ」。
記事にある業者だけでも、会員は約300人。さらに、検索サイトで「母乳 販売」などと入力しただけでも6社、販売業者のWEBサイトがひっかかってくるので、それぞれに同じぐらいの会員がいるとしたら、結構な需要です。

そもそも、「インターネットで見ず知らずの人から母乳を買って、自分の子供に飲ませる」という行為は、衛生面の心配はもちろん、生理的にも受け入れ難いもの。
母乳が出ないなら、粉ミルクを飲ませればいいのに・・・男だからなのか、わたしはこう思ってしまいますが、世の母親たちにこうは思えなくしている空気が蔓延しているようです。

この嫌な空気の元凶が「母乳信仰」。
まず、こちらの記事にあるのが、偽母乳を購入し、長男に飲ませたという30代女性の「母親なんだから我が子を母乳で育てるのは当然と思い込んでいた」という告白。
また、ネット上には「母乳での子育てを神聖視する社会の風潮がよくないのではないか」とする意見があり、社会学者・古市憲寿さんの著書『保育園義務教育課』にも、「母乳教とも呼ぶべき思想が一部で広がっている」という記述を見つけることができます。
*****
妊娠中の約4割の女性が「ぜひ母乳で育てたい」、約5割が「母乳が出れば母乳で育てたい」と答えているというデータもある。
(中略)「母乳のほうがいい」という考えが一歩進んで、どうやら今「母乳教」とも呼ぶべき思想が一部で広がっているようなのだ。
母乳教の熱心な信者たちは、「完全母乳育児」にこだわる。母乳で育てないと母子間に愛情は生まれない。だから初乳から卒乳まで一滴も粉ミルクを与えず、完全に母乳だけで育てるのが正しい、といった考え方のことだ。
<「保育園義務教育化」(小学館)より抜粋>
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下記のUNICEF とWHOによる共同声明「母乳育児を成功させるための10ヵ条」が母乳信仰を助長させているとの指摘もあります。
UNICEFとWHOがすすめたところで、母乳信仰者が信じる「完全に母乳だけで育てるのが正しい」という考えに、根拠がないことに変わりはないのに。
*****
1.母乳育児の方針を全ての医療に関わっている人に、常に知らせること
2.全ての医療従事者に母乳育児をするために必要な知識と技術を教えること
3.全ての妊婦に母乳育児の良い点とその方法を良く知らせること
4.母親が分娩後30分以内に母乳を飲ませられるように援助をすること
5.母親に授乳の指導を充分にし、もし、赤ちゃんから離れることがあっても母乳の分泌を維持する方法を教えてあげること
6.医学的な必要がないのに母乳以外のもの水分、糖水、人工乳を与えないこと
7.母子同室にすること。赤ちゃんと母親が1日中24時間、一緒にいられるようにすること
8.赤ちゃんが欲しがるときは、欲しがるままの授乳をすすめること
9.母乳を飲んでいる赤ちゃんにゴムの乳首やおしゃぶりを与えないこと
10.母乳育児のための支援グループ作って援助し、退院する母親に、このようなグループを紹介すること
*****

育児には正解など存在しないのに、ネットの普及によって存在しない正解を求める母親が増えている。そんな見方もあります。
実際、わたしの妻も、子供に何か異変が起こる度に質問サイトを閲覧、自分の対処に間違いがないことを確認し、安心していることがよくあります。
質問サイトには育児に関する質問が溢れ、育児に不安を抱える母親はベストアンサーを拠り所にする。母乳信仰の高まりは、こうした育児に正解を求める時代の象徴なのかもしれません。

(スタッフH)
(2015/7/7 UPDATE)
番組スタッフ
7月6日(月) 佐々木俊尚 ●18歳選挙権成立 今後充実すべき主権者教育の形とは?

先月17日に可決・成立した、選挙権が得られる年齢を引き下げ、18歳以上にする「改正公職選挙法」。
この選挙権年齢の引き下げをめぐり、与野党で共通しているのは、「主権者教育」を充実させるべきだという点です。一方で、教育基本法は「学校は特定の政党を支持したり反対したりするための
政治教育や政治的な活動をしてはならない」と定めていて、授業内容によっては「政治問題化」するとの指摘もあります。
「主権者教育」、どのように行っていけばいいのでしょうか。
東京大学大学院教育学研究科の小玉重夫教授にお話を伺い、考えます。


7月7日(火) 速水健朗 ●メルヘンが現実になる!?「ミックスチャンネル」の世界

「ミックスチャンネル」という動画共有アプリが若者を中心に人気となっています。
ユーザーが動画や画像を編集し、10秒の動画を投稿するこのアプリ、2013年12月にリリースされ、今年3月には月間再生数が5億4千万回を突破、アプリは350万件以上ダウンロードされています。
このミックスチャンネルの中でも最も特徴的なのが「LOVE」というジャンル。
キスをするカップルの「キス動画」や「付き合って×カ月記念日」の記念動画、親友との仲良しをアピールする動画など、さまざまな動画がアップされています。
若者はミックスチャンネルに何を求めて、大人が理解し難いイチャイチャ動画を投稿するのでしょうか?


7月8日(水) 飯田泰之 ●出版取次というビジネスモデルの限界

書籍や雑誌を出版社から仕入れて全国の書店に卸す、出版取次会社。この出版取次会社の業界4位の「栗田出版販売」が先月26日、東京地裁に民事再生法の適用を申請しました。
近年の出版不況を象徴する出来事で、出版関係者からは「戦後の出版流通システムは制度疲労を起こしている」と、変革を求める声も出ています。
変革が必要とはいえ、出版取次会社がなくなった場合、出版社や書店はやっていけるのでしょうか
出版取次会社の破たんから、出版業界の新たなビジネスモデルを考えます。


7月9日(木) 小田嶋隆 ●「マルコポーロ事件」から考える、報道圧力発言の意味

自民党の若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で報道機関への圧力を求める発言があった問題。
出席した議員から「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」など、政権に批判的な報道を規制すべきだという意見が出たといいます。
この問題をうけ、引き合いに出されているのが1995年に起きた「マルコポーロ事件」。
ナチスによるユダヤ人大量虐殺「ホロコースト」の存在を否定する記事を掲載した月刊誌「マルコポーロ」(文藝春秋)が、広告ボイコットの末、自主廃刊に追い込まれた騒動。
20年前に起きた、この事件がもたらした影響から、今回の報道圧力発言の意味を考えます。
(2015/7/6 UPDATE)
番組スタッフ
今日のような日は、「非国民」扱いされてしまった日本国民がいたのではないでしょうか。
「今日のような日」というのは、日本代表の2大会連続の優勝が期待されるサッカー女子W杯の準決勝が行われた日のことです。

泊まりがけで仕事をしていた私は、流れでなでしこジャパンの試合を観ることとなりました。
数十人がいくつかのテレビ画面に夢中になっており、ゴールし損なったり、フリーキックがあったり、どちらかのゴールをサッカーボールが揺らしたりすると、その旅に感性と拍手が沸き起こります。

私は全くサッカーに興味がありません。何だか居心地が悪くなり、やるべき仕事も済ませたのでハーフタイムに入ってフェードアウトしようとすると「出た!非国民!」と茶化されました。

私の周りだけかもしれませんが、日本代表と冠の付く、重要だと言われる試合に全く興味を示さない人は珍しくありません。
ある中年ディレクターは「社会から満足な承認を得ていない自分が、なぜ他人を応援できようか」とよく口にします。理由がないと他者を応援できないという例ですが、その理由が「日の丸を背負い、日本を代表する人々」だったとしても興味を示さないのです。

おそらく世界で最も愛されるスポーツだからこそ、好きという度合いも幅が広い。
サッカーを知らないがために、私は何度もサッカー好きであれば得られたはずの仕事を得られなかったということを経験しました。知識としてのサッカーを仕事にしている人が有する情報量に途中参戦した人間が対抗するなど、よほどの覚悟がない限り不可能です。
伝説とも称される名試合は、ファンの間では共通言語のようになっています。
上級知識で構成された共通言語を扱う人々にとって、「渋谷のスクランブル交差点でハイタッチをする人」は「ただ騒ぎたいだけのにわか」という忌むべき存在だったりもするのです。

みんなで応援しましょう。こう呼びかける人もいます。しかし、みんなで応援することの楽しさがわからない人もいます。
前回の男子サッカーのW杯時。私の友人がFacebookで日本代表の試合中に「バックトゥーザフューチャーを観る!」という投稿をして、「浮かれる群衆の中に入らないオレ、カッコイイって思ってんじゃないの?」と指摘されていたことを思い出します。

サッカーにも興味がなければ、みんなで応援するのもイヤ。
非国民ならまだしも、時として人間失格かのような烙印まで押されることすらあります。
顔に国旗をペイントしようが、みんなで応援しようが、一人でただじっと観戦しようが、スポーツの楽しみ方は自由です。同時に、楽しまないということも選択肢として存在しています。

「サッカー日本代表を応援しない」だけで、熱くなることが恥ずかしい、すかした人間でしかも非国民という答えに帰結しすぎのような気もします。日本人なのにサッカー日本代表の試合を観ない理由として、そう考えるのがしっくり来るからなのでしょう。

「そう考えるとしっくり来る」。
この考え方が、想像力の可能性のようなものを摘み取っているような気すらします。

なでしこジャパンの活躍はとても素晴らしく、日本を良い意味で賑わせてくれていますが、悪い意味で賑わせているのが71歳の男性による新幹線の車中での焼身自殺です。
事件から数日を経過し、容疑者宅の家宅捜査が行われたものの遺書のようなものも見つかっておらず、まだ自殺の動機は明らかになっていません。

推測として年金受給額が減ったこと生活苦が凶行の背景にあるのか、と報道するメディアもあります。
昨今、高齢者の貧困が社会問題となっていますが、今回の許されざる凶行はどうやら高齢者の貧困を語る上で欠かせない事件となるかもしれません。
しかし、一方でフジテレビのお昼の情報番組は、関係者のインタビューから容疑者の「年金制度への不満」と「正義感」も見えてきたと報じていました。もちろん、新幹線での凶行に及んだ容疑者の正義感など、身勝手で独りよがりです。死亡した女性が、もしそんな正義の下で巻き添えを食らったのだとしたら、あまりにも残酷すぎます。

生活苦ゆえの凶行。今回の焼身自殺はそう考えるとしっくり来るような気もしますが、その考え方に頼ってしまうと、飛躍はしますが、国民年金を受給する単身の高齢者はまるで犯罪に手を染めうる存在になってしまうことにも少し不安を覚えます。
過疎化した地方の田舎に住む私の親戚(単身者)など、実に慎ましく、ミニマライズされた生活を堪能しています。
犯罪に至る引き金を引いてしまうかどうか。それは実は本人の生来のものに起因しているのでないか。

本質を見極めよとは言いません。本質など、容疑者にしかわかりせんし、 巻き込まれた人にとってはひょっとすると本質を知りたい感情よりも、怒りがまず沸き起こっているかもしれない。

制度という大きな枠気味から、趣味嗜好という個人の小さな思想まで複雑化した現代社会において、複雑だからこそ最短距離で「答え」を導くことが求められます。
しかし、複雑だからこそわからないものはわからなかったりします。

サッカー日本代表の試合を見なかっただけで非国民扱い。
「孤独」で「貧困」にあえぐ高齢者は暴走する。
両者の毛色は全く違いますが、「そう考えるとしっくり来る」という本能に任せて判断するのではなく、別の選択肢も想像する。
社会システムという大きな枠組みから、個人の趣味嗜好という細部まで複雑化した現代。

今や常識、非常識が逆転しうることは珍しくありません。
天邪鬼と言われようが、「そう考えるとしっくり来ること」を疑うことも必要に思います。

スタッフ・坂本
(2015/7/2 UPDATE)

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