DAILY NEWS ★あなたの気になる特集内容は?ソーシャルボタンでシェアしよう!

番組スタッフ
1990年半ばに大ブームとなった「たまごっち」。
ブームから20年あまりが経った昨日(30日)、たまごっちが「死ななくなっていた」ことが明らかになり、話題となっています。

「たまごっち」死ななくなっていた! 「らしくない」旧世代ファンがブーイング(「J-CASTニュース」2016/5/30)

ブームを巻き起こしたたまごっちは「死ぬこと」が特徴のひとつであり、それがヒットの一因でもありました。
たまごっちの開発者・横井昭裕さんはかつて、「たまごっちが死ぬこと」を「トゲ」と表現し、その重要性を説いています。
*****
横井さんがヒットを生み出す方法論の一つは、「トゲ」を潜ませるということ。
「たまごっち」では、一時停止ボタンをもうけないことが一つの「トゲ」だった。飼育をし続けていないと、ペットが弱って死んでしまう。学校に行く子どもが、お母さんに頼み、お母さんが今度は祖父母に預ける。そのように、たまごっちを通して人のつながりが出来た。
(中略)
ペットが本当に好きで、面倒だからかわいいのだという心の機微もわかっていて、そのような自分の「濃い」経験を、万人に受け入れられるような形で薄めたことがヒットにつながったと横井さんは言う。
<「茂木健一郎 プロフェッショナル日記」2007/3/5>
*****

毎日やらないと弱って死んでしまう。面倒だけれどもその分、愛着が湧く。
開発者も認めるヒットの一因だった「死ぬ」という仕様。それが今ではなくなり、「世話をしないと置き手紙を残して家出する」仕様へと変更され、置き手紙にはこんなことが書かれているようです。

「もっといっぱいかまってほしかった さみしかった こんどあえたらそのときはもっともっとあそぼうね」
「もっといっしょにいてくれたら、こんなけつだんをせずにすんだかも こんどあえたらそのときはもっともっとあそぼうね」

放っておくと、「人間になる方法を探しに旅に出るニャ もっとお話ししたかったニャ」というメッセージを残して忽然と姿を消す『どこでもいっしょ』のトロを彷彿とさせる文面で、切なくはありますが、「死ぬ」に比べたらかなりマイルドな仕上がりです。

たまごっちがこのマイルドな仕様に変わったのは、実は最近ではなく2009年に発売された「tamagotchi iD」から。
昨日・30日放送の「スッキリ!!」のなかで、たまごっちの発売元であるバンダイの担当者はその理由を次のように説明しています。
*****
世話をしないと死んでしまうというのが、玩具として衝撃的な内容だったので、そこを残すべきかどうかすごく社内で議論があった。
(「死ぬ」仕様が)子どもたちにとってすごくショックなのではないかと話題になり、『死なない』という形にしている。
<「J-CASTニュース」2016/5/30>
*****

バンダイの担当者が言うように、「死ぬ」というのはショックな設定です。ただ、ショックな設定ゆえのメリットがあることも忘れてはなりません。
わたし自身、たまごっちは、「死なせたくない」という動機が妙な切迫感を生み、熱中したのを覚えています。
一方、放っておいても死なない『どこでもいっしょ』は、毎日相手をするのが面倒という非情な理由からわずか2日で放り出し、引き出しの奥に封印しました。
熱中した前者と、2日で飽きた後者の違いは「死ぬ」という設定の有無で、「死ぬ」という設定がある種の中毒性を生み出していたのは明らかです。

「死ぬ」という設定が子ども心に与える影響もゼロではないでしょう。
「死」の尊さを学ぶというほど大げさなものではないにしろ、「死」を考えるきっかけぐらいにはなっていたはずです。
わたしがたまごっち以外で「死」を考えたきっかけとして覚えているのが、1992年に発売されたスーファミ版『ドラクエ5』で直面した主人公の父・パパスの死。
登場人物が生き返ることが当たり前のRPGにおいて、生き返ってくれない、しかもそれが主人公の父。この頃はまだ、身内が死ぬ経験をしていなかったせいか、パパスの死はショッキングで鮮烈に覚えています。
登場人物が一度死んだら生き返らないシビアな設定のゲームも同様。
この設定のゲームの代表作「ファイヤーエムブレム」シリーズは未プレイで、プレイしたことがあるのはスーファミ版の「半熟英雄」なのですが、感情移入した将軍に死なれたときのショックは筆舌にしがたいものがありました。

とはいえ、時代の流れは死を遠ざける、マイルドな方向へとシフト。
たまごっちだけでなく、“一度死んだら生き返らない”の代名詞的存在だった「ファイヤーエムブレム」シリーズも、DS以降は死んでも次のマップで復活するカジュアルモードが追加され、かなりマイルドになっています。
身内やペットの死以外で、「死」を考えるきっかけは消えゆく運命なのかもしれません。

(スタッフH)
(2016/5/31 UPDATE)
番組スタッフ
5月30日(月)佐々木俊尚●映画「FAKE」が示す、メディアの中立性へのアンチテーゼ
佐村河内守氏のゴーストライター騒動を映画化したドキュメンタリー作品『FAKE』が、東京・渋谷の「ユーロスペース」などで6月4日(来週土曜)から全国公開されます。
話題作『FAKE』から、今わたしたちが読みとるべきメッセージとは?

5月31日(火)速水健朗●同一労働同一賃金導入。格差は縮小されるけど、落とし穴の可能性も?
同一労働同一賃金、そのメリット・デメリットとは?

6月1日(水)ちきりん●「音楽なんてタダで聴かせろ!」は常識なのか?
無料で好きな音楽を聞く権利が常識になってしまいつつある現状、配信がもたらした意識の変化とは何か?
  
6月2日(木)小田嶋隆●イスラム教徒として初のロンドン市長はトランプにも屈しない
先月、投票が行われたロンドン市長選では、労働党のサディク・カーン氏が当選。イスラム教徒として初めて欧米の主要都市の首長が誕生します。
ロンドン市民の選択はロンドン、EUの大国としてのイギリスをどう変えるのか?
(2016/5/30 UPDATE)
番組スタッフ
依然として日本の社会問題として深く根をはる「ブラック企業」。
昨年5月、厚生労働省は労働基準法に違反した長時間労働を防ぐために行政指導の段階で企業名を公表するようにしました。
基準変更から1年。先日、初なる「ブラック企業」が公表されたのですがわずか1社でした。

【ブラック企業「社名」公表、1年で1社「一罰百戒の効果薄い」「労基署の体制整備を」】

国が認めるブラック企業かどうかを公表することは、該当する企業にとって痛手となりうるのでしょうか。自身と無関係なことに当事者以上に感情移入し、「悪」を徹底的に批判する昨今。もちろん、ブラック企業と公表された企業にはたまったものではないと私は思うのです。
公表されれば、その不買運動という戒めを取ることができ、社会問題の解決に至るではないかと思う人もいるでしょう。

手にする、口にする商品はオーガニックに限るとか、貧しい労働者の磨耗ある上で成り立つ安いものは買わないといった高潔さは持ち合わせていません。が、ブラック企業の悪評が立ったりで、その臭いを感じたりするとどうも敬遠してしまう潔癖さが私にはあるようです。
(古今東西のいわゆる炎上案件を見てみると、主張は違えど、燃料となるのはこういった高潔さや潔癖さでしょう)

牛丼チェーンがブラック企業問題で社会からの猛批判に晒された時。
閉店に追い込まれる店舗がある中、それでもそのチェーン店で牛丼を食べている人を見て驚きました。
仕事仲間は同じ光景を見て、「安さで見ても選択肢は少なくないのに、この時勢でなぜこれを選ぶのか。俺なら恥ずかしいからせめて持ち帰りにするな」という辛辣なことを言っていたのですが、聞こえは悪いかもしれませんが、私はこの恥ずかしいという感覚に同意できます。
余程のファンなのか。他に選択肢がないのか。

この春。私が住むマンションも複数の世帯が入れ替わったのですが、マンションの前に止まっていたトラックの中にはブラック企業問題が指摘された引越し業者のものがありました。
なぜ今、その会社なのか。批判の中にいるからこその特別サービスがあるのか。
事情は様々あれど、ブラック企業かどうかなど気にしない人がいるのも事実です。

義理の弟がこの春から社会人となりました。彼の就活活動は、まず気になった企業の名前を検索ワードとして入力し、第2検索ワードで「ブラック企業」と出てきたらエントリー候補として除外することから始まったそうです。
しかし、彼が参加した説明会に来ていたほとんどの企業に真偽の定か出ないブラック企業の噂があったため、途中でこの「ふるい落とし」に虚しさを覚え、最終的には「気にしない」ことを選んだと言います。

子が生まれ、我が家も手狭になってきたからというよくある理由でいくつかの不動産屋を訪れ、物件探しをしているのですが、2件目以降の不動産屋で「どこか別の不動産屋さんにも行きましたか」と聞かれました。
「●●さんに行きました」と答えると、その質問者は嘲笑にも似た表情を浮かべました。(これは私と妻が感じたことに過ぎませんが)。
確かにその不動産屋の名前をググると、第2検索ワードに「ブラック」と出てきます。
それでも嘲笑を浮かべた(と思われる)不動産屋さんが言うには、ブラック企業と噂のあるその不動産屋はここ数年、とんでもない躍進を見せているとのこと。

「第2検索ワード」なんて気にしないという人もいることだと思います。しかし、「第2検索ワード」というものは自分以外の他人が思っていること、つまり世間の声なのではないでしょうか。
自分が考えていることが世間のそれと合っているか、あるいはズれているかどうかを確かめるには「第2検索ワード」を確かめるのが実は手っ取り早い。
(例:もてはやされている芸人に違和感を抱き、検索してみると「おもしろくない」と出てきて安心する感覚)

人と違うことを創造する(想像する)には「第2検索ワード」にないかどうかを確かめるのも良いでしょう。
悪質な関連検索ワード操作に対してはYahooもGoogleも対策を講じているようですが、「第2検索ワード」や「噂」だけで全てを判断し、受け入れるか拒むかを決めることはおそらく尚早。

悪評が経ったところで企業の息の根が止まるわけでもありません。もちろん、悪評が続くことに連動して業績が振るわない企業もあります。
ブラック企業の代表とされた居酒屋チェーンの業績が振るわないのも、安さを売りにするデフレ的ビジネスが通用しなくなったという経済状況の微妙な変化もあるでしょうか。
昨年、マンションのデータ偽装問題が浮上した某上場企業。この時、株価は年初来安値を更新するほど暴落しました。問題発覚から半年ほどして、近所の住宅展示場に冷やかしがてら足を運んだ時、その企業の展示住宅には普通にお客さんが入って行きました。
人は忘れるのです。

企業の悪評のみならず、自分の目で確認していないことをどう捉えるか。気にするのか。気にしないのか。あるいは、忘れてしまうのか。
昨今の様々な炎上案件を見ていると、「第2検索ワード」に踊らされすぎている自分を少々戒めなければならないのかもしれません。

スタッフ・坂本
(2016/5/26 UPDATE)
番組スタッフ
東京・小金井市で“アイドル活動”をしていた大学生が刃物で刺され、重体となった事件。
アイドル活動をあえて“ ”でくくったのは、ネットで「アイドルではない」との指摘がされ始めているからです。
「アイドルではない」と主張しているのは、プロインタビュアーの吉田豪さん。
昨日23日、Twitterに以下のような書き込みをしています。

*****
冨田真由さんはもともと女優で、番組でアイドルを演じた流れで企画物ユニットでCDを1枚出して、その後はシンガーソングライターをやっている人なので、彼女をアイドルと呼ぶのは不適切だし、犯人もアイドルヲタじゃない。
地下アイドルの接触ビジネスにも問題はあるけど、まったく別の話なんですよ。
<吉田豪さんのTwitterアカウント(吉田光雄@WORLDJAPAN)より抜粋>
*****

被害者はアイドルではなくシンガーソングライター、犯人もアイドルオタクではないというのが吉田さんの主張なのですが、今朝の大手新聞各紙の見出しを見てみると、読売新聞を除いては「アイドル」と表記。

【読売新聞】 タレント刺傷
【朝日新聞】 アイドル刺傷
【産経新聞】 アイドル刺傷
【毎日新聞】 アイドル刺傷
【日本経済新聞】 アイドル刺傷
【東京新聞】 アイドル刺傷

ちなみに記事の中身を読んでみると、「朝日新聞」「日本経済新聞」は「アイドル活動をしている」、「産経新聞」「毎日新聞」「東京新聞」は「アイドル活動をしていた」と書いています。

テレビの報道も「アイドル」という表記をし続けていて、この表記を消したのはNHKのみ。
「NHK NEWSWEB」はおととい22日までは「女性アイドル刺傷事件」と表記していましたが、昨日23日12:59以降は「女子大学生刺傷事件」へと表記を変えています。
ただ、表記を変えた理由は不明。

女性アイドル刺傷事件 逮捕の男「殺すつもりだった」(「NHK NEWSWEB」2016/5/22)
女子大学生刺傷事件 1月ごろからつきまといか(「NHK NEWSWEB」2016/5/23)

また、吉田さんは今回の事件を「地下アイドルの接触ビジネスとはまったく別の話」だと主張していますが、今回の事件を報じるワイドショーで目に付くのは「地下アイドルの接触ビジネス」に関連付けたもの。
それだけでなく、「地下アイドルにアイドルオタクが入れ込んだ」といったベタな構図も目立ちます。
地下アイドルとシンガーソングライターの違いは大した違いではない。ネットにはそんな声もありますが、それは当事者ではないから言えること。
地下アイドルではない当事者からしたら、不本意な取り上げられ方であることは間違いありません。

ベタといえば、今回の報道では「自称」の使われ方もそう。
「自称」は、「自称・無職」など肩書きの前に付くのが自然ななか、今回は名前に自称が付き、事件直後は「自称・岩埼友宏」容疑者と報じられました。
明らかになっていなければ「自称」を付ける決まりとはいえ、名前の前に自称が付くのはあまりにも異様。
年齢は明らかになっていたので、「27歳の男」と報じるにとどめるという選択肢もあったはずです。
ちなみに、わたしの記憶のなかで名前に自称が付くのは今回が2回目。
1回目は去年5月に窃盗の疑いで逮捕された、自称「福山雅治」容疑者。
有名歌手と同姓同名かと思いきや、後に判明した本名は「山中八記」。共通するのは「山」だけでした。

先週、元東大学長・蓮實重彦さんの発言が話題になった三島由紀夫賞の受賞会見。
こちらでもベタな質問が確認されています。
「最初に伺いますが、三島賞受賞の知らせを受けてのご心境をお願いします」。

ただ、ご存知のとおりベタなのは質問だけ。返しはベタとは程遠いものでした。
「『ご心境』という言葉は、私の中には存在しておりません。ですからお答えしません」

最初の返しがこのあり様なので、会見の雰囲気はピリピリ。動画で見ていてもハラハラしました。
その一方で、ちゃんと答えてもらえる質問を投げてやろうという、いい緊張感が生まれているのを感じました。ベタな質問を排除する雰囲気とでもいいましょうか。
場をピリッとさせる存在というのは厄介ですし、身近にはあまりいてほしくはありません。
ただこういう厄介な存在がいない限り、ベタな言葉や構図というのは減ることはないのでしょう。

(スタッフH)
(2016/5/24 UPDATE)
番組スタッフ
5月23日(月) 佐々木俊尚 ●21世紀版「第三の波」が示す未来

アルビン・トフラーが1980年に発表した世界的ベストセラー『第三の波』。
それから30年余りが経った今、世界的ベストセラーと同じタイトルの『第三の波』という書籍がアメリカで出版され、話題となっています。
21世紀版『第三の波』とも言えるこの書籍が示す未来とは?
アメリカ在住のジャーナリストで作家の冷泉彰彦さんにお話を伺います。

5月24日(火) 古谷経衡 ●ニュース共有サイト「ニューズピックス」への批判から見えてくるもの

経済情報に特化したニュース共有サービス「ニューズピックス」に批判の声があがっています。
その批判の内容とは?そして批判から見えてくることとは?

5月25日(水) 飯田泰之 ●地方で静かに広がる、新たな二極化と地域カースト

地方で静かに広がっているという「地域カースト」。
その実態とは?「地域カースト」から逃れるために地方で起きている新たな動きとは?

5月25日(木) 小田嶋隆 ●ミックス・リアリティが普及する近未来

VR元年と言われる2016年。様々な技術、製品が発表される中、注目されているのがミックス・リアリティという概念。
私たちが生活している現実空間に仮想空間を融合させる技術のことなのですが、このミックス・リアリティが普及した近未来はどのようなものになるのでしょうか?
(2016/5/23 UPDATE)
番組スタッフ
その場にいることが似つかわしくない俳優がバラエティ番組に出ていた時。 それは映画やドラマの宣伝を目的としたものであるというのが定石です。
最近よくある若い男女が恋愛模様を繰り広げる映画は、少女漫画を原作にしているというのも定石でしょう。
特に少女漫画が原作となる映画は頻繁に公開されているように思うのですが、それらの宣伝を見て思うのが、少女漫画のヒロインは何故ドSの男に恋をするのか、ということ。
例えば、今月末から公開となる「オオカミ少女と黒王子」。
主人公の女子高生がラブストーリーを繰り広げるお相手はドSの男子高校生。
1年に1回はドSの男に恋をする少女漫画原作の映画が公開されているような気がします。
(この「ドSフォーマット」と呼ぶべき設定ばかり目につくことに異を唱えてみたいのですが、配給側も私のような三十路野郎に見て欲しいとは思ってもいないでしょう)

数年前に「壁ドン」なる言葉が流行ったのも、ドS男子に恋をする少女漫画の演出が多すぎたからなのでしょうか。
映画化される少女漫画の品が良いところは「ドS」男子と恋に落ちるのは決して「ドM」女子ではないということ。「ドS」は何だか許されるのに「ドM」はあまり見かけない。「ドS」という言葉とともに、自身のサディスティックな性質をカミングアウトする女優もいますが、「ドM」であることを積極的にさらけ出す人は少なくありません。

ドSのSは言うまでもなく、サディズムのS。サディズムとは本来、相手の体を痛めつけて満足する性的嗜好を意味します。少女漫画の設定で用いられる「ドS」をよく見ると実は、サディズムという言葉が実に甘く、都合よく「お花畑」的に解釈されていることがわかります。
私の知見が及ぶ範囲ではないかもしれませんが、なぜドS男子に女子が恋をするというフォーマットが少女漫画に多いのか。
多くの女子が潜在的に男子に支配されたい、あるいは引っ張っていかれたいと思っているのか。そうかもしれません。男を支配したい、経済的な意味合いも含めて主導権を握り、男を引っ張っていきたいと考える女性は少数派なのでしょう。
しかし、少女漫画と言えども様々です。たまたま映画化される作品が、ドSに恋をする設定が多いだけなのかもしれません。
あまりにも「ドSフォーマット」ばかり目につくと、行き過ぎたジェンダー論に捉えかねないのですが、政府が推し進める「女性の活躍」に支障を来しうるような気がします。

女たるもの、男たるものこうあるべきだというこれまでの価値観は更新を求められています。
それが正論かどうかはさておき、男か女かの二元論で語ることには時代遅れ感があり、嫌悪されうる昨今です。
生物的にはとてもわかりやすく差異があるのに、その区別が大雑把だと非難の的となり、繊細な区別が求められています。

男女が一緒になる酒の席ではいまだに「SかMか」という議題が上がることがあります。
数十年、変わらない議題であることに驚くと同時に、恥ずかしさも感じます。 何より人間の性質をSかMかの二元論で語るなど、とても乱暴です。

人間の性質も様々であれば、女性のそれも様々です。
結婚した人、しない人、子を持つ人、持たない人、同性が恋愛対象となる女性…。
「女性の活躍」という言葉でひとくくりにしてしまうことに、少々、乱暴さを感じるのですが、それはつまり、「一億総活躍」にも同じことが言えるということです。
私たちは何かとシンプルな二元論を元にした思考をしがちです。シンプルだからこそ、二元論で何かを考えるのはとても楽。しかし、世界で求められるのは多様化です。

よく目にする少女漫画を原作とした「ドSフォーマット」の映画。そんな映画が公開される日本ですら、多様化という言葉を叫ぶ声がよく聞こえるようになりました。その叫びを噛み砕き、世間に広く問題提起する力を有する媒介者こそが実は、多様化を受け入れられずにいるだけではないのかと思えてくるほどです。
昨今のいわゆる炎上案件を見ていると、それが好きか嫌いか、許せるか許せないかの二元論に収まっています。皆が感情を暴発させて、AかBかを言い争っている時には、たとえそれがニヒリズムだとか、天邪鬼だとか揶揄されようが、冷たく静かに、第三の思考法はないのか探してみるのも大切です。

シンガーソングライターaikoのライブ名物といえばコール&レスポンス。
私はaikoファンではありませんが、これは見ていてとても楽しそうでいつかやってみたいなと思うほど。
女子!男子!そうでない人!メガネ!コンタクト!レーシック!と観客に呼びかけていき、カテゴライズにそって観客が挙手や歓声で答えるものなのですが、最後に「全員!」と呼びかけます。
思い立ったかのように突然、「国民全員で活躍しましょう!」と呼びかける前に、面倒臭いかもしれませんが、国民がどのように細かく分かれているのか、活躍の仕方はどう違うのか、きちんと把握するのが先ではないでしょうか。

スタッフ・坂本
(2016/5/19 UPDATE)
番組スタッフ
「今日、大きな地震が起きる」。そんな噂がネットに流れています。
この噂をわたしが知ったのは今朝。
NHKの公式Twitterアカウント「NHK生活・防災」による以下のツイートがきっかけです。
*****
お問い合わせがかなり多いため個別にお答えできませんが、「明日地震が来る」という情報が拡散しているようです。
日本は多くの地域で地震が起きる可能性のある国ですが現在の地震研究では発生時間や場所を特定した地震予知は確立されていません。
ふだんの備えは必要ですが、情報にはご注意を!
<NHK生活・防災(@nhk_seikatsu) 2016年5月16日23:38のツイート>
*****

このツイートをきっかけに噂の出先を調べてみると、辿りついたのが「2026年から来た未来人」。
2010年11月14日、2ちゃんねるのオカルト板に「おれ、未来(2062年)から来たけど、なんか聞きたい事ある?」という書き込みとともに降臨し、それ以降、数か月おきにオカルト板に姿を現している人物で、判明しているのは日本人男性という情報のみ。
普通に考えればありえない話ですが、これまでに大きな地震を予言し、的中させた実績のおかげで書き込みが妙な説得力を持ち始めているようです。

2062年からきた未来人が予言する「日本の将来」〜「世界の将来」※更新中(NAVERまとめ)

これまでに的中させた予言は2つで、ひとつは東日本大震災。
根拠とされるのが2010年11月14日の以下の書き込みです。

「自然然災害に関しては、言う事が許されない。人口動態変化に繋がる事は言えないのだ。ただし、忠告しておく。yあ 間 N意 埜 b於 レ」

意味不明の文字列「yあ 間 N意 埜 b於 レ」は「山に登れ」を意味するようで、この書き込みから約4か月後の2011年3月11日に東日本大震災が発生。
「yあ 間 N意 埜 b於 レ(=山に登れ)」は、「津波が来るから高いところに避難しろ」という警告だったと都合よく解釈され、予言が的中したとみなされています。

2026年から来た未来人が的中させた予言、もうひとつが熊本地震。
根拠とされるのが2010年11月16日の以下の書き込みです。

「今回の任務が完了したら2016年4月15日へ行く。また会えたらいいな。」

意味ありげに書き込まれた日付の前日・4月14日には熊本県熊本地方を震源地とする最大震度7の地震が、16日には最大震度6強の地震が起きたことから、「熊本地震を予言したのでは」との憶測が広がり、これまた都合よく解釈され、予言が的中したとみなされています。

そして今広まっている今日・5月17日に関する予言が、4月15日に約束通り、オカルト板に現れたときに残した以下のメッセージ。

「南海トラフについては備えるべきだ。」
「次は5月17日にコミュニケーションできればと思っている。」

これらの書き込みを根拠に、今日・5月17日に「南海トラフ大地震が起きるのでは」との噂が広がっているというわけです。

冷静に考えれば、的中したと言われる2つの予言はこじつけ。5月17日に関する予言も信じるに足らず、気にする必要などないはずです。
ところが実際には「NHK生活・防災」に多くの問い合わせがあった。
なぜ、2026年から来た未来人の予言は気になってしまうのでしょう?

ひとつ考えられるのは、「法則を見いだして将来を的確に予測しようとする」という人間が生まれながらに持つ習性。
明治大学の石川幹人教授は著書『人はなぜだまされるのか』(講談社)のなかで、「人間のうちには、法則を見いだして将来を的確に予測しようとする傾向がある。予測が正確ならば、将来の利得を高めることができ、生き残りの可能性も高まる」との指摘をしています。

昨日の夜、茨城県で起きた震度5弱の地震の影響も少なからずあるのでしょう。
この地震が起きる前に鳴った緊急地震速報のアラーム音に脅えた、もしくはびびったという声を多く耳にしました。わたしも脅えたうちの一人で、ついに南海トラフ巨大地震がきたのか…そんな絶望感を抱きました。
ただ、その絶望感はほんの一瞬。すぐに、「南海トラフ巨大地震がいつ起きるのか」という不安へと変わります。
巨大地震への不安は実際に起こらない限り、消えることはないのですが、その不安を何かで紛らわせたい。その何かのひとつが未来人の予言なのかもしれません。

(スタッフH)
(2016/5/17 UPDATE)
番組スタッフ
5月16日(月)佐々木俊尚(作家・ジャーナリスト)
●ミレニアル世代とアメリカ大統領選挙
指名獲得が決まりつつあるアメリカ大統領選。
世界が注目する選挙を左右すると言われるのが、ミレニアル世代と呼ばれる若い世代です。ミレニアル世代がアメリカ大統領選挙に及ぼす影響とは?

5月17日(火)速水健朗●脱ゆとりから8年 教育現場はどう変わったのか
2020年度以降の実施に向けて、現在改定作業を進めている次期学習指導要領について、馳浩文部科学大臣は5月10日、学習内容を削減しないと強調し、「ゆとり教育」との決別を明確にすると明らかにしました。
教育現場の変化とは?


5月19日(木)小田嶋隆●ユーザーの政治的見解を支配しようとしたFacebookの「悪意」
Facebookがトレンドトピックから政治的に保守的なニュース媒体の記事を排除していたと報じられました。
このニュースが意味するものとは?
(2016/5/16 UPDATE)
番組スタッフ
有名人がイベント等に出演し、そこに集まった取材陣からイベントとは全く関係のないことを投げかけられるという光景をよく目にします。美川憲一さんや小林幸子さん、和田アキ子さんが時事ネタ問答を華麗にさばいていた頃が懐かしく思えてきました。

今朝は所ジョージさんがベッキーさんの不倫について、宝くじのイベントの際に答えていたのですが、あれってもうやめてあげたらどうかと思うのです。
取材するマスコミ側も省エネよろしく、ちょうど有名人が参上する場ということで、気の利いたコメントがもらえたら儲けもんだくらいの気持ちで行くのでしょうか。いや、イベントの紹介なんてついでだ、という意図がプンプン伝わってきます。
そもそも、時事ネタを投げかけられるイベント出演者たちは「言いたい!答えたい!」という欲求がどこまであるのでしょうか。

コスパが重要視される昨今です。取材にコストをかけないような手法にも思えます。
私がコストを抑えているなと思うのが、月曜日から金曜日にかけて放送される情報番組の木曜日。
だいたい毎週木曜日になると朝から夕方まで、情報番組には「今週の週刊文春コーナー」とも思えるような「昨日発売の週刊文春によると…」というナレーションが添えられるニュースを必ず目にします。

マスコミ業界に限ってしか私は知りませんが、何かとコストをかけ辛くなっていると実感します。
取材をするにあたっても、謝礼はクオカードとか。
いわゆるロケ弁1個にかけられるお金も数百円下がったとか。
時間、お金、人員。コストをかければいいというわけではありませんが、コストをかけたからこそ1次情報が掴める機会を得るのであり、検索しても出てこない情報を導き出すことができるのです。

見たことも聞いたこともない情報に誰もが一斉に群がり、誰もが簡単にシェアできる世界。
それらは「あ!」という間に「どこかで見たことある情報」になってしまうのですが、何度も何度も、同じ情報をこすって形を変えたように繕って、世界を漂い続けます。
どこかのバイラルメディアを通じて流れてきた面白動画を、数ヶ月後にそれを初見とする誰かが「おもしれえ!」とSNSでリアクションしているということは珍しくありません。例えば、ドラえもんのニセ最終回は1年に1回は誰かによってシェアされるような気もします。
既視感に囚われながらも、タイムラグにどう反応していいのか戸惑いながらも、自分の頭の中にある情報が更新されたのか、あるいは新展開かと思って、シェアされた記事をクリックするのですがやはり既知の情報。
侮蔑を込めて「いいね」を押してあげる必要もないですし、シェアした記事に新しさがないことを知ったからといって、恥辱に溺れる必要もありません。何らかのきっかけで「昔の記事がバズる」ことは珍しくないでしょうし…。

先日、「岡崎体育」というインディーズで活躍するアーティストによる、音楽業界とそれに付随するミュージックビデオ業界に一石を投じるメジャーデビュー曲が波紋を広げました。
知人の映像ディレクターが自戒の意味を込めてシェアしており、早速、見てみるとこれが皮肉たっぷりで面白い。もちろん、私は最大の賛辞を込めて、その曲に「いいね」をしておいたのですが、私が彼の存在を知ったのは、ヤフーニュースに載るよりちょっと早かった程度。
アーリーアダプターとして自慢できるようなものではありませんが、別に恥じらいを感じているわけでもなく。
1次情報を発信しない限り、誰が「1次以降の情報」をシェアするのが早かったかなんて実はどうでもいいこと。どこかで見たことある情報をこすり尽くすのが当たり前の世界で英雄になれるのは、未知の情報を与えてくれる人です。
最近で言うと、その英雄とは例えば、週刊文春なのかもしれません。

芥川賞を受賞した『アサッテの人』という小説があります。
突然、失踪した叔父の荷物を引き取ることになった主人公。日記を見つけて、叔父についての小説を書こうと試みるというのが大まかなあらすじです。
長年、吃音に悩まされていた叔父。ある日、吃音が治るのですが、これまで自身が置かれていた疎外感は突如、消え去り、「普通の世界」で暮らすことに。この「普通」が叔父には耐え難いもので、叔父は普通から脱すべく、奇行を愛するようになってしまうのです。そんな叔父を見て育った主人公もまた、「普通、小説はこうあるべき」という「作為」を嫌悪しています。
「岡崎体育」のミュージックビデオを見たとき、私はこの『アサッテの人』を思い出しました。

よく見る光景、普通、常識。これらは私たちの周りに空気のようにたゆたいます。
空気のようであるから、その存在を疑うこともありません。
しかし、脳みそのどこか奥底でこの「常態」で大丈夫なのかなという疑問や不安もなくもない。
だからこそ、週刊文春の他者を破滅に導き得るスクープや岡崎体育の挑発的創造が注目されるのかもしれません。

呪いのように繰り返される、情報の既視感。それらは常態化しています。
この呪縛から解き放たれるには、普通を疑って果敢なる一歩を踏み出す以外にないでしょう。

スタッフ・坂本
(2016/5/12 UPDATE)
番組スタッフ
ガダルカナル・タカさんの妻でタレントの橋本志穂さんがブログに寄せられた批判的なコメントに逆ギレしたことが話題となっています。

橋本志穂、実母が亡くなったことを報告 ブログに寄せられた心ないコメントに怒り爆発(「スポーツ報知」2016/5/7)

逆ギレのきっかけは4月28日付のブログ
このブログに綴られているのは「母が危篤という連絡を受けたこと」から始まる一連の出来事で、「夜中じゅう、3分ごとくらいに痛い 暑い、寒い、痛い、辛い、、、呻く母の手を握るしかできない…」などと苦しい胸の内を綴るとともに、ベッドで寝ている母親の手を握っている写真や、看護師が母親を処置している写真などがアップされています。

すると、このブログのコメント欄に「母親が危篤状態にもかかわらず、こんなに写真を撮れる余裕があるなんてさすが芸能人は違いますね」と批判的なコメントが書き込まれたのですが、橋本さんがこのコメントに反論。
橋本さんは5月7日付のブログで母親が亡くなったことを報告するとともに、「私は芸能人だから撮影しているのではない。テメーに見せるためじゃねーんだよ!」「来れない家族に報告するためや、生き別れになって連絡の取れないきょうだい、父の教え子たちにも手っ取り早く、お見舞いに来てあげてね!と伝えるためなんだよ!」と反論するだけでなく、「被災した芸能人を攻撃してみたり、被災地に手を差し伸べる芸能人に売名だと誹謗中傷したり 芸能人だというだけで、いけ好かないと思ってる輩のせいで、どれだけ多くの芸能人が傷つけられているのか」とも綴っています。

橋本さんはこのようにブログに綴っていますが、「芸能人だから」と言う理由だけで今回批判的なコメントが書き込まれたのでしょうか。
熊本地震で自宅が全壊した井上晴美さんが受けた「不幸自慢にしか見えない」という批判と同じにおいも感じ、「芸能人だから」も要因のひとつでしょう。
ただ、要因はそれだけでなく、今回のケースは芸能人でなくとも批判されていた可能性が高いように思います。

このように思うのは倫理観の違い。
闘病中の家族の写真を撮るのは自由です。生前最後になるであろう姿を記録しておきたいと思う人もいるでしょう。それを否定するつもりはありません。
ただ、その写真を不特定多数の人の目に触れるブログに載せるとなると別の話。疑問だけが残ります。
それに、病院に来ることができない家族や連絡が取れない人たちにメッセージを送りたかったのであれば、文字だけでもこと足りたはず。
このようにいくら考えても、闘病中の写真を載せる必然性が見えてこないのです。

熊本地震後、「不謹慎狩り」が尾を引き、「おかしいと感じたことをおかしいと言いづらい空気」がうっすらと広がっているのを感じます。
「地震があったのに笑顔の写真をアップしたから不謹慎」といった難癖が減ったのは歓迎すべきですが、その副作用として生じたこの空気、何とかならないものでしょうか。

(スタッフH)
(2016/5/10 UPDATE)
番組スタッフ
5月9日(月) 佐々木俊尚 ●報道の自由 世界72位の日本、問われるパナマ文書の扱い

税金逃れをしていた記録がおさめられている「パナマ文書」。
あす10日に明らかになるその全貌を日本の報道はどのように扱うべきなのか。
立教大学社会学部の砂川浩慶准教授にお話を伺い、考えます。

5月10日(火) 古谷経衡 ●LINE監視アプリ、いじめ救済と過干渉の狭間

LINEいじめが深刻な問題となる中、その対策として千葉県柏市が導入したLINE監視アプリ。
その是非とネットいじめ対策を考えます。

5月11日(水) 飯田泰之 ●内容未定

内容が決まり次第、お知らせします。

5月12日(木) 小田嶋隆 ●株価急落のApple。「世界の覇者」が打つ次の一手とは

13年ぶりの減収となったApple。
右肩上がりの成長を続けたAppleは「階段の踊り場」にいるだけなのか?
Appleの次の一手とは?
(2016/5/9 UPDATE)
番組スタッフ
高速道路渋滞とそれによる悲喜こもごも、新幹線のホームや空港で余暇の思い出を語る人、明日から仕事であることに不満を隠さない人。
ゴールデンウィーク最終日のお決まりの光景がテレビに映し出されます。
私はゴールデンウィークがあまり好きではありません。赤日があまり関係ない仕事をしているというのもありますが、「さぁ、皆さんレジャーしましょう!!楽しみましょう!」みたいな空気が何だか苦手です。

自宅近所の大きな公園では肉料理が集うイベントが開催されています。ゴールデンウィーク中、日本では食にまつわる様々なイベントが催されました。
一昔前のような印象を受ける「B級グルメ博」、グルメイベントの古典にして王道「ラーメン博」、そして新語として見事に定着した感のある「肉フェス」。
ゴールデンウィークだからか、あるいはそもそもSNSとはそういう場所なのか。ただゴールデンウィークに暇すぎで私がSNSをチェックする時間が増えているのか。
何処其処へ行ったという投稿に加え、何かを食べたという投稿が多いのは気のせいか。

5月になると、日本中に美食家が増えるような気がします。
そもそも存在していたのが、ゴールデンウィークの食イベントをきっかけに「我に味を評させよ!」と息巻いてSNSを通じて見えてきているだけなのでしょうか。

このゴールデンウィーク、どこかの肉フェスに赴きブラン娘よろしくの「食レポ」に挑んでいる人がSNS上でいたりするのですが、こういう人はだいたい、40代以上の男性だったりします。ゴールデンウィークでない日は深夜の「飯テロ」と称して、どこかの焼肉屋のA5ランクの生牛肉をアップしていたりするのです。まぁこれは私の周りの話ですが。

Facebookに垂れ流されがちな食に関する投稿。
SNS黎明期から数年後、SNSのタブーが指定されるようになり、食の投稿に対する批判(=ウザい)が高まりましたが、勘のいい人はそれらを慎んだことでしょう。
時間の経過とともに、「してはいけない投稿」つまり「恥をかかない投稿」といった暗黙のルールが定まったためか、facebookに投稿する頻度は減り、友人の投稿も少なくなり、ニュースアカウントが配信するニュースを見るだけになってしまう 。
自身の承認欲求を満たすべく、新たなSNSを求める。
LINEは承認欲求とは無縁。ではInstagramはどうか。
中年の仲間入りをした私にとって、Instagramは眩しくて目も開けていられないがどうしよう…。

承認を多く得るための手段が「自虐」であるTwitter、「リア充」同士がいいね!を与えあうFacebook、そして「キラキラ」の形容に尽きるInstagram。
リア充の境界を曖昧にし、優しく丸呑みしてしまうInstagramには、TwitterやFacebookで見る人をイラっとさせられるような投稿も許されているような気がします。
無意味に思える食べ物の投稿など、当たり前です。むしろ初級編といったところでしょうか。

何やらたくさんのハッシュタグが付けられており、本文や写真よりもそこで面白いことを言えばいいのか。主要ユーザーである若い女の子の倍は生きた経験則があれば、問題ない。ハッシュタグで簡単に評価を得られる自信がある。
浅はかにもこんなことを考えてしまう私はきっと以下のようになります。

【日刊SPA!:おっさんの“イタい”Instagram投稿――カレーを食べただけで#カレー部、社畜アピールの自虐ネタにうんざり】

Facebookに流れてくるニュースのコメント蘭を見ても、威丈高に意見を述べるのは私たち中年とそれより上の世代。コメントしているおっさんのプロフィール画像を見ると、目を見開き、顎を思い切り引いた自撮り写真も少なくない。かつてはそれらを見ると、何だかとてつもない悲哀に襲われたものですが、自分が中年の仲間入りをした今ではむしろそういったおっさんは可愛らしくすらある。

人生の先輩が気を抜くと職場、家庭問わず居場所がすぐ無くなるぞと警告してくれました。
SNSからもおっさんの居場所は無くなろうとしているのでしょうか。

5月になると、春の統計がまとまったからか。あるいは、上司からの友達申請に新入社員が悩まされるからか、「おっさんSNSやるな論」が目に付きます。 もちろん、全てのおっさんではありません。SNSで情報を与える側として熱い支持を得るおっさんもいます。
上記の日刊SPA!記事によると、Instagramで執拗に女子の投稿にコメントするおっさんに悩む声が取り上げられています。SNSでおっさんにコメントされまくる若い女性の苦悩は、FacebookやTwitterでも指摘されていました。すべての女子だけの領域や単なる自己満足に深入りしてこようとする、勘の悪いおっさんのSNS使いは若者をイライラさせるだけなのかもしれないと自戒します。
いずれにせよ男が若い女性とSNSで絡みたい理由には承認欲求に勝る、大なり小なりの助平心があるからでしょう。

「旅の恥はかき捨て」という言葉がありますが、インターネット上の恥は一生残ります。
リスクの大きい思わぬ恥をかかないためにも、百戦錬磨の”達人”でない限り、SNS上で若い女性とは絡まないのが良策です。

虚栄心、承認欲求、助平心。人間の不細工な煩悩を温かく抱きとめてくれるSNS。
SNSとは自意識の鏡であることもあらためて知らされる次第です。

スタッフ・坂本
(2016/5/5 UPDATE)
番組スタッフ
常識だと思っていたことがふとしたタイミングで覆されることがたまにあります。
小学校のとき、社会科の授業で習った「士農工商」もそう。
江戸時代の身分制度を表す言葉であると当時習いましたが、この言葉が今の教科書からは消えているというのです。

「士農工商が教科書から消えたこと」が話題になり始めたのは昨日・2日で、発端となったのは以下の記事と記事のなかでも触れているあるTwitterユーザーのツイート。

【おっさん世代憤死】士農工商という名称が教科書から削除されている件…最近の研究でそんな制度は存在しないことが判明(「ハムスター速報」2016/5/2)

このTwitterユーザーは以下のWikipediaの表記を根拠に「今はもう教科書に士農工商は載ってないから気をつけて」と注意喚起をしています。
*****
1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが実証的研究から明らかとなり、2000年代には「士農工商」の記述は教科書から外されるようになった。これに関係して、「四民平等」も本来の意味(すべての民は平等)ではなく、「士農工商の身分制からの解放」という認識を前提に用いられたものであったため、教科書から消された。
<Wikipedia>
*****

根拠がWikipedia。このことから「デマなのでは」との疑いを抱きましたが、よく読むとこの項目には脚注が示されており、それが教科書を出版する業界最大手・東京書籍のWEBサイト。

Q&A 教科書に関する質問事例を紹介します。

東京書籍はこのWEBサイトで「士農工商」という言葉を教科書に記載しなくなった理由を2つ挙げています。
1つが「身分を単純に士農工商とする捉え方がなかったこと」。
*****
1点目は,身分制度を表す語句として「士農工商」という語句そのものが適当でないということです。史料的にも従来の研究成果からも,近世諸身分を単純に「士農工商」とする表し方・とらえ方はないし,してきてはいなかったという指摘がされています。
*****
もう1つが「士農工商の身分としての上下関係の捉え方が適切でないこと」です。
2点目は,この表現で示している「士−農−工−商−えた・ひにん」という身分としての上下関係のとらえ方が適切でないということです。
武士は支配層として上位になりますが,他の身分については,上下,支配・被支配の関係はないと指摘されています。
これらの見解をもとに弊社の教科書では平成12年度から「士農工商」という記述をしておりません。
*****

つまり、「士>農>工>商」と教えていたのが、実際は「士>農=工=商」。大きな違いです。
常識が覆されたことも驚きですが、それ以上に驚きなのが教科書から消えたのが最近ではなく、16年も前であること。
16年も気づけずにいたことは恥ずかしいことではありますが、今回のようにネットで話題になるか、今の教科書を読まない限り、大人は気づきようがないのです。

16年前、「士農工商が教科書から消えること」は大々的にリリースされたのでしょうか。わたしの記憶にはありません。
士農工商以外にも、鎌倉幕府が開かれた年の変更、聖徳太子の名称変更、前方後円墳という名称の変更など教科書の表記変更は多数ありますが、いずれも変更のお知らせがきちんとしたかたちではなされていないはずです。

当時は正しかったけれども、その後、歴史の解釈が変わった。これは仕方がないことです。
解釈が変わったから、教科書の表記も変更する。これも当たり前のことです。
ただ、その変更のお知らせがきちんとしたかたちでなされていないことには違和感がありますし、変更を知らせる何らかのしくみがあれば、とも思います。

今回の件で想起するのが、道徳や公民の教科書が取り入れている「江戸しぐさ」。
2014年から「江戸しぐさの正体」の著者・原田実さんが創作だと指摘し続けていますが、教科書から「江戸しぐさ」が消えたというニュースは今のところ報じられていません。
従来通り、きちんとしたかたちでのお知らせがないだけですでに教科書から消えているのでしょうか。
それは願ったり叶ったりではありますが、江戸しぐさに関してはとくに、こっそり消すのではなく、「教科書から消えた」というニュースを大々的に報じてほしいものです。

(スタッフH)
(2016/5/3 UPDATE)
番組スタッフ
5月2日(月)佐々木俊尚●マイクロソフト、フェイスブックも参入。今、チャットボットが注目されるわけ
マイクロソフトやフェイスブック、グーグル、LINEなどがプラットフォームの提供を相次いで発表したことから、今「チャットボット」が大きな注目を集めています。
なぜ今、チャットボットに対する期待が高まっているのでしょうか?


5月3日(火・祝)速水健朗●「東京β」にみる、東京の変化と未来像
東京都心で再開発が進むなか、先月26日、筑摩書房から速水健朗さんの著書『東京β 更新され続ける都市の物語』が出版されました。


5月4日(水・祝)ちきりん●“二次被災”と言われる過剰物資。いびつな支援防止の切り札になるか?
熊本地震では、全国各地から支援物資が集まりましたが、その中には千羽鶴や使用した下着など、緊急支援物資とは思えないものも多かったと言います。
無駄のない支援策の課題を探ります。


5月5日(木・祝)小田嶋隆●「自己満足」か「支援の願い」か。折り鶴の是非
熊本地震発生後、ツイッターに「被災地いらなかった物リスト」というハッシュタグが登場。リストには「古着」「賞味期限の短い食物」などに加え、「折り鶴」「千羽鶴」も挙げられました。
災害時における、折り鶴の是非について考えます。
(2016/5/2 UPDATE)

MESSAGE ★ 番組へのメッセージはこちらから ★ 皆さまからのご意見お待ちしております


ページの先頭へ