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番組スタッフ
今週、はてな匿名ダイアリーに「箸マウンティングってなんなの?」という投稿がありました。
「話題になりました」と言いたいところですが、誰かとこのお題について話しあったわけでもなく、はてな匿名ダイアリーで人気記事として紹介されたからといって、それは広い世界でも通じることなのか疑問なので、ただ「ありました」としておきます。

件の投稿は、箸の持ち方が上手くない筆者は「箸をきちんと使えない=育ちが悪い」といった風潮に苛立ち、箸の持ち方の悪さを指摘することはマウンティングでなないかと指摘する内容です。
私はテレビで箸の持ち方がおかしい人が映っていたりすると、とても気になって仕方がありません。
箸の持ち方については、祖父母と両親、特に父親から厳しく教え込まれました。
美学とか、哲学とか、主義とか、そんな大層な言葉で綴られるものではないのですが、誰かに強要しない範囲で箸の持ち方については気を使っています。

食べないと生き物は死にます。自然界において、「食べる」とは命の代償だったりもします。
獲物を捕らえる時も命がけであれば、それを胃袋に入れるその時まで一寸の安心も許されない時もあるでしょう。
何かを食べるという動作はそもそも美しいものではありません。理性を排除し、本能に支配された状態で何かを食べた時など、美しさという言葉が入ってくる余地はありません。
生きるために「食べる」ということは必要ですが、そこに理性が加わり、美しさなどが求められることは人間が人間たるゆえんのような気もします。
だから、せめて誰かと食事を共にする時くらい、美しい食べ方を選んだ方が、相手を不快にさせないのではないかと思うのです。

先日、huluで刑事コロンボを観ていました。シーズン3に「別れのワイン」というエピソードがあります。1973年に放送されたもので、熱心なワイン・コレクターが犯人です。
犯人が知人とワインを飲むシーンがあるのですが、ワインを嗜むという文化が根付いた今考えると、まあ信じられないようなワイングラスの持ち方をしています。
『世界一美しい食べ方のマナー』(小倉朋子著、高橋出版)という本によると、ワインの飲む時はボウルを持つことが一般的で、日本では細い脚の部分(ステムというらしい)を持って飲むことを美しいとする人もいるようです。
コロンボでは、ステムの下にある台の部分を手のひらで包み込むように持ち、飲んでいました。
ワインのマナー云々はわからないのですが、時代なのか、とても違和感がありました。
同作が放送されたのは1973年。ワインというヨーロッパ主流の文化に当時のアメリカは戸惑いがあったのでしょうか、あるいはそもそもかつてはそうだったのでしょうか。

思うにマナーとは、誰か力のある人たちがそうだと決めて、大多数がそれに従って成り立っているという、「最初にやった人が大正義」のようなところがあります。
コロンボにおけるワインの持ち方が滑稽に映ったことから考えると、マナーとは時代に応じて改変される余地を潜在的に残しているものなのでしょう。その時はそれが最高だとしてもです。

誰かの力により、いつの間にか正解が決められているマナー。
多くの人が、子供の頃から正しく箸を持ちましょうと言われてきたことだと思いますが、それはルールの教えではありません。マナーとは、好きか嫌いか、あるいは興味があるかないかの次元に位置する「信仰」に近いものなのではないでしょうか。
「信仰」だと考えれば、変な箸の持ち方が許せない派、許せる派の折り合いがつかないことも納得です。

箸を美しく持つことはマナーを通りこして、良き大人の象徴、育ちが悪くないことの証明だと考える人もいるでしょう。

成功する人は腕時計に金をかける、金持ちは長財布を使う、社長は会った人の名前を決して忘れない、美人は他人の悪口を言わない…。
世の中、「信仰」だらけです。
今の自分を肯定するためのものもあれば、否定することで新たな自分を求めんとするものもある。
それらは全て、自分に幸福をもたらしてくれるかもしれない「信仰」なのではないでしょうか。

スタッフ・坂本
(2016/6/30 UPDATE)
番組スタッフ
昨今、珍しくなくなったネットでの告発。
先週2件相次いで発覚し、いずれもネット上を騒がせたのですが、わたしは告発に乗っかる側のリテラシーに目がいきました。

ひとつは、TBS系で19日に放送されたバラエティー番組「ピラミッド・ダービー」で、出演者の姿を本人に断りなくCGで消していた問題。

TBS番組出演者を加工で消す おわび検討、捏造は否定(「朝日新聞デジタル」2016/6/28)

この問題が発覚したのは、先週水曜・22日。
CGで消された出演者本人が、自身のブログで収録の内容と放送された内容をこと細かに説明し、「私の姿がCGで消されていた」「これは単なるテレビの捏造問題ではなく、マスメディアによる虐待(モラルハラスメント)です」と強い言葉で抗議していました。
この時点では告発の真偽は定かではなかったのですが、ブログはネットで拡散し、TBS批判に発展。
その後、TBSが行き過ぎた加工や編集があったことを認めたものの、真偽が定かでない時点での拡散には違和感を覚えました。

もうひとつが、東京都府中市の府中市美術館の展示見直し問題。

府中市美術館 学芸員「上司から展示見直し」にネット反応(「毎日新聞」2016/6/25)

問題となったのは、府中市美術館で7月から始まる予定の展示「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」で、府中市美術館の学芸員が先週木曜・23日、「内容が偏っている」として上司から展示の見直しを支持されたとFacebookに投稿。
*****
昨年から準備してきた展示に上の方からクレームがついたのである。中止の可能性も含めて再検討せよ、ということだそうだ。
(中略)なぜこのタイミングで圧力をかけてくるのか理解に苦しむ。理由は「内容が偏っているので公立美術館にふさわしくない」ということらしい。
半世紀も前に亡くなった画家の作品を展示するだけなのに、どこがどう偏っているのか説明を求めても納得のいく説明はない。
*****

強い言葉が散りばめられたこの投稿をきっかけに、ネット上では「行政による表現の圧力」などと美術館を非難する投稿が相次いだのですが、その翌日・24日の夜、学芸員はFacebookに再び投稿。
予定通り展示を行うことを報告する一方で、前日の投稿に対する反省の気持ちが綴られていました。
*****
準備段階ならいざ知らず、展覧会も直前になって、中止の可能性も含みつつ内容の再検討をせよいうことを言われて、内心憤ってしまい、語気つよく書いてしまいました。
中止という言葉にインパクトがあったため反響を生んだようですが、中止の強い要請だったというわけではなく、その点に関してはやや誤解が生じてしまったような気もしております。
*****

23日の投稿を読み返してみると、「中止の可能性も含めて再検討せよ」とあり、中止はあくまでもひとつの可能性。
ただ、コメント欄を見ると、中止前提で美術館批判をしている書き込みが多いように思います。

ネットでの告発、とくに強い言葉が用いられた告発を目にすると、つい告発者に肩入れしたくなりますし、拡散というかたちで肩入れしてしまう気持ちも理解できます。
弱者が強者の不正を明るみにするという構図が心に響くのでしょう。
告発をスルーしたら、告発が報われない。そんな思いもあるのかもしれません。
でも、2件目の告発の顛末を知ると、告発に脊髄反射するのではなく、静観する勇気も必要。そのように思います。

(スタッフH)
(2016/6/28 UPDATE)
番組スタッフ
6月27日(月)佐々木俊尚●「音楽に政治を持ち込むな」論争の背景にあるもの
今夏開催される野外フェス「フジロック・フェスティバル’16」に学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏らが出演することに対し、一部から「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用」などと批判の声があがりました。
この論争が巻き起こった背景を考察します。

6月28日(火)古谷経衡●相次ぐ人工知能を描くフィクションにみる時代の空気
囲碁のトップ棋士を破り、小説を書き、車を運転する。人工知能(AI)の目覚ましい進歩が報じられる中、人とAIが共生する未来を描いた小説や漫画の刊行、映画の公開が相次いでいます。
AIを描くフィクションが示す今の時代の空気とは?

6月29日(水)ちきりん●“ゲームで稼ぐ”が、子供の夢になる日は来るか?
海外では賞金総額が20億円という大会もあり、ゲームで食べていける“プロ”は世界におよそ1万人。しかし日本では数10人という規模にとどまっています
プロゲーマーが子供の夢になる日は来るのでしょうか。

6月30日(木)小田嶋隆●50年前の「音楽体験」から考える「2016年問題」のその先
横浜アリーナや渋谷公会堂など、首都圏のコンサートホールや大型施設の改修、建て替えが重なったことから、ライブやコンサートができにくくなる「2016年問題」が起きています。
日本武道館も例外ではなく、現在の収益の柱にまでなる「音楽イベント」を興すキッカケになったのが、東京オリンピック開催の2年後に行われた「ザ・ビートルズ日本公演」。
「ザ・ビートルズ日本公演」が与えた音楽イベントへの影響とは?
(2016/6/27 UPDATE)
番組スタッフ
SNSで自身が発見した「おもしろいこと」を投稿し、それが共感を得た時、想像以上の反響を得た時。
耐え難い快感があることでしょう。良い、悪い、両方の意味でSNSと親和性の高い承認欲求も刺激されることでしょう。

目の前で起こっている出来事を写真に収める人、文字のみで伝えようとする人(「マクドナルドで隣の女子高生が…」というフォーマットに見られるように真偽は後まわしにされがち)、
そしてテレビで起こっている珍事をキャプチャーする人。

先日、ニュース番組に出ていた女性アナウンサーの服装が「おかしい」としてキャプチャー画像が拡散されました。
「バックリボン」と呼ばれる背中にリボンがあしらわれた服を、後ろ前に着ていた、つまり胸元にリボンが来るように着ていたのです。

画像検索でもしたのか、その服に詳しい人だったのか。
ご丁寧にバックリボンのその服が売られている通販サイトの商品画像も添えられて、アナウンサーの失態だとして拡散されていったのです。

私も実際に画像を見ましたが、果たしてそれが失態であるのかどうかわかりません。わからないというか、バックリボンのものを「フロントリボン」で着る場合、タグが胸元に来ることを考えると信じるにいたりません。
その女子アナに思い入れはないのですが、何だかかわいそうになってきたので妻に聞きましたらば、「いや、ああいうものだから」と失笑。「ああいうもの」とは後ろ前両方で着られる服だという意味です。バックリボンと呼ばれる服の中にはそういう着方をするものは珍しくないと言います。

しかし、妻はファッションに関しては素人です。プロならばどういうのか。
仕事で一緒になるスタイリストに聞きましたら「バックリボンはフロントリボンとして着られるものもある」と言うのです。
問題となっている番組がどうかはわかりませんが、テレビ局のニュース番組で衣装を用意するのはだいたいスタイリストです。タグが付いているから後ろ前を間違えることはないのは当たり前だし、レンタルのものもほとんどだからタグをとることはないと言います。スタイリストがいるならばそれは失態ではないと。

男性から見て、女性のファッションとはわからないものです。
数年前から若い女性の間で真っ赤な口紅が流行っていますが、その良さ、意図とは何なのか、理解できないまま今に至ります。
ファッションとは異性を意識して色々と見繕うものではないのか。同性に認められればいいのか。あるいは自分の欲望のままに楽しむものなのか。本当に難しいところです。

女性から見ても、男のファッションに理解が及ばないこともあるのでしょう。
昨年くらいからか、丈が膝上のショートパンツが男性の夏のスタイルとして人気だそうですが、私の周りにいる女性らは「気味が悪い」と嫌悪感を示します。

先が異様にとんがった革靴も女性には評判悪い男性ファッションとして知られています。何年も前から言われていることかと思いますが、それでも売られているのを見ますし、履いている人も見ます。
男女がオシャレをわかりあうことなどできないのかもしれません。

何かと他人の粗を探して、不特定多数でそれを共有し攻め立てようとする時代です。
さらに不幸なことに、その粗探しに精度は関係ありません。それらしいもっともな解釈ができるのであれば、瞬く間に「大正義」としてもてはやされます。
失態だと嘲笑される女性アナウンサーの件も、発見した人はネットで画像検索をして、鬼の首を取ったような気持ちになっているのかもしれません。本当に失態である可能性も捨てきれないのですが、私はファッションに詳しい人の意見を今は信じています。
実際にコストをかけて得た、体温のある情報の方がインターネットで雑多に転がっているそれよりも信頼に値するのは確かだからです。

最近、卒乳した我が子の恐ろしいまでの食欲と早すぎる起床に悩まされていました。
もちろんグーグルで対策を講じるべく検索し、色々と早速実践してみたのですが、奏功の気配は感じられませんでした。そこで、区の保健センターに電話をし、栄養士さんに相談したところ、食事に少しの油分を加えて腹持ちを良くさせることなどいくつかの対策を指南してくれます。
試してみると、わずか数日で破壊的な食欲と超早朝起床は改善の気配がみられました。
もっと早くグーグル先生ではなく栄養士の先生を頼るべきでした。

デジタルがすべて冷たいとは言いませんが、グーグル先生に教えて貰った情報で決め付けで愚か者を炙り出し、鬼の首を取ったかのように振る舞うのではなく、時には面倒でもコストをかけて体温のある情報が重要だと思い知らされます。

スタッフ・坂本
(2016/6/23 UPDATE)
番組スタッフ
囲碁のトップ棋士を破って以降、書いた脚本をもとにした短編映画が公開、法律事務所に弁護士として採用などと、AI(人工知能)の目覚ましい進歩が伝えられる中、総務省の研究所がきのう(20日)まとめた“AIのリスク”を指摘する報告書。

AIネットワーク化検討会議 報告書2016「AIネットワーク化の影響とリスク -智連社会(WINSウインズ)の実現に向けた課題-」

今朝の産経新聞が一面で報じたこの報告書を細かく読むと、どこまで本気なのか疑いたくなるリスクも含まれています。

まず、本気度が高そうなリスクがこちら。

・自動走行車が、ネットワークを通じて、誤った情報を共有したり、共鳴することで交通システムが麻痺することにより、事故が生じるリスク
・ロボットに関係するクラウド等AIネットワークシステムがハッキング攻撃されることにより、情報が流出したり、ロボットが不正に操作されるリスク

これらは今の段階でも起こり得るでしょうし、真面目に考えているという印象があります。

次に、設定が妙に細かすぎるリスクがこちら。

・愛玩用の犬型ロボットが歌うサービスを提供していた会社が倒産したため、サービスが継続できず,ロボットが歌わなくなり、ショックを受けた飼い主の高齢者の健康が悪化するリスク

他のリスクと比べると設定が細かすぎるため、どうも不自然。
ただ、実際、修理サポートが終了したAIBOでは悲しむ所有者も出ているのであり得ない話ではないのでしょう。

AIBO、君を死なせない 修理サポート終了「飼い主」の悲しみ(「AERA」2014/8/4号)

そして、ここからはSFの影響が色濃く出ているリスク。

・親しみのある見た目の人型ロボットが、オレオレ詐欺の「受け子」や「出し子」など人間の代替物として犯罪に悪用される
・テレイグジスタンス・ロボット(触感を伝える遠隔操作ロボット)により外国人が入国審査を受けることなく「上陸」することが可能となり、出入国管理制度が機能不全に陥り、テロリスト等が流入するリスク
・個人Aの脳と連携したAI・ロボットが個人Bにより不正に操作され、個人Bが個人Aを利用して犯罪を実行するリスク
・遺伝子等を元に亡くなった人を再現するロボットが人間の尊厳との関係で問題となるリスク

現実味の問題はさておき、会議に出席したAIの専門家の方々の妙な情熱は伝わってきます。
オレオレ詐欺に関するリスクでロボットの見た目まで限定しているところなんかとくに。
普通に考えれば、「親しみのある見た目の」という前置きはいらないでしょう。

極めつきはこちらのリスク。

・人間に投棄された「野良ロボット」が徒党を組んで人間に対して参政権等の権利付与を要求するリスク

「野良ロボット」という言葉自体が初見であり、まず戸惑います。
それだけでなく、その野良ロボットが徒党を組んで参政権を要求する。現実味が薄すぎて、もうよく分かりません。
こちらの発生時期は最も遠い将来を示す「進展段階4」で、発生確率は「低」。
現時点でAIのリスクとして提示する必要があるかと問われれば、ないように思います。

AIに限らず、リスクは考え始めたらキリがありません。
リスクを見越しての法整備も必要でしょうが、それよりも重要なのは結局、AIを使う、もしくは開発する人間のモラルなのでしょう。

(スタッフH)
(2016/6/21 UPDATE)
番組スタッフ
6月20日(月) 佐々木俊尚 ●福島除外問題と「なんとなく忌避」への懸念

グリーンコープ連合が製作したギフトカタログの東日本大震災復興応援企画で、東北6県のうち福島県のみが除外されて「東北5県」として掲載されていることがネット上で指摘された問題。
「福島への差別ではないか」との声もあがっていたこちらの問題によって懸念される「なんとなく忌避」とは?
福島県在住のフリーランスライター・林智裕さんにお話を伺います。

6月21日(火) 速水健朗 ●コンテンツに押し寄せるファスト化の波

日経MJが6月10日に掲載した記事『短いことはいいことだ ヒットを生む時間の法則』。
この記事によると、J−POPの楽曲、動画広告をはじめ、あらゆるコンテンツが短くなっているのだといいます。
なぜ今、あらゆるコンテンツが短くなっているのでしょうか?
コンテンツのファスト化の背景にあるものとは?

6月22日(水) 飯田泰之 ●内容未定

内容が決まり次第、お知らせします。

6月23日(木) 小田嶋隆 ●ヨーロッパから民主主義は消えるか?

6月23日に行われるイギリスのEU離脱の是非を問う国民投票。
残留派の女性議員が射殺された事件も起きるなど、「移民問題」をきっかけに、ヨーロッパの各地で右傾化が危惧されています。
右派の躍進はヨーロッパをどこまで揺るがすことになるのでしょうか?
(2016/6/20 UPDATE)
番組スタッフ
6月、Appleファンにとって大事なイベントといえばWWDC。もはや、かつてほどの事前高揚を覚える人は減っているかもしれませんが、それでも世界が注目するものであることは間違いありません。
今回、新たなハードのリリースについて言及はありませんでしたが、watchOS、tvOS、iOS、Mac用OSという4つOSが一新されることが発表されました。

気にはなっているから実際に「更新内容」を見てみてものの、失望という言葉を使うまでがっかりはしないにしても、期待を超える高揚がない…それが最近のAppleだと思うのです。
今年のWWDCにも同じことが言えるのだと思いますが、注目を集めたのがMac用OSのリニューアル。
従来のOSXが「macOS」と名称を一新し、進化するそうです。

OSXが生まれて15年になります。ナンバリング「10」を捨てる…何だか寂しい気持ちもありますが、OSXがバージョンアップするたびに添えられるサブタイトルのようなもの(コードネームと呼ぶそうです)がMacユーザーとしてはいつも気になっていました。
15年前にリリースされた初期バージョンのコードネームは「Cheetah」。
以降、「Puma」「Jaguar」「Panther」「Tiger」「Leopard」とネコ科の動物の名前が与えられていきました。ネコ科と言っても、家庭が飼えるレベルの猫ではなく、荒々しい自然界の食物連鎖ピラミッドの先端に君臨する獰猛なタイプのそれです。

私がOSXを使い始めたのはPantherが最初だったと記憶していますが、Appleという会社はネーミングセンスまで想像の上を行くのだなと感心したものです。
「Panther」「Leopard」は和訳すると共に「ヒョウ」。毛が黒いのが「Panther」でいわゆるヒョウ柄と言われる斑点模様なのが「Leopard」だと知ったのはOSXのおかげです。
「Leopard」はレオパルドと発音するのか、レオパードと発音するのが良いのか。ためらいの感情をごまかしながら使用していたのは私だけではないでしょう(…と思いたいです)。

そして2009年のバージョンアップから様子がおかしくなります。
「Snow Leopard」「Lion」「Mountain Lion」…。
「スノーレオパルド」「マウンテンライオン」というネコ科の動物の存在を初めて知り、このタイミングでの「ライオン」の登場に首をかしげたものです。

網羅されていく獰猛なネコ科の動物たち。次はどんな動物の名前で驚きを与えてくれるのだろうか。次は「グリフォン」「マンティコア」などのネコ科要素のある幻獣になるのではないか…と空想していたら、突如、「ネコ科との決別」が訪れます。

2013年リリースの「OS X Mavericks」その次が「Yosemite」。そして、昨年登場の「El Capitan」。
驚きを覚えると同時に、「迷走」という言葉が頭に浮かびました。
「Mavericks(マーヴェリクス)」とはアメリカ・カリフォルニア州にあるサーフィンで有名な地名。
「Yosemite(ヨセミテ)」は同じくカリフォルニアにある世界遺産に登録された自然公園です。
私を混乱させた「El Capitan」(エル・キャピタン)はヨセミテ国立公園の中にある大きな岩のこと。

日本人には馴染みがあるとは言い難いカリフォルニア州の地名シリーズも「El Capitan」を最後に幕を閉じます。
10番目のOSとして名が付けられた「OSX」は11番目である要素は全く反映されない「MacOS」と変わるのですが、「iOS」と並ぶとわかりやすいものになったと言えるでしょう。

ナンバリングタイトルが付番を捨て、従来の路線から決別した時。
「一新した」というイメージは確かに受けますが、スペック、機能という実質的なところを見ると、「新たな驚き」が提供できなくなったからではないかと思ったりもします。

国民的人気を誇るゲーム「モンスターハンター」の場合。
『モンスターハンター2(ドス)』、『モンスターハンター3(トライ)』『モンスターハンター4(フォー)』などと言う名前で進化し、リリースされる度に数百万人のユーザーから睡眠時間を略奪してきた「モンハン」ですが、最新作は『モンスターハンタークロス』とナンバリングタイトルから脱却。
メインハードをニンテンドーDSにして以降、他のハードで出されるゲームと比べてグラッフィクへの不満がファンの間ではあったのですが、「5にもなってこのクオリティーか」という批判をそらす思惑があるのではと邪推してしまいました。

ナンバリングタイトルが続くと確かに、数字の大小が過去のスペックと現在のそれとを比較しやすくしてくれます。
3、4を比べる。3と4の差で何が変わったか。変わっていないことにユーザーは不満をつのらせる。
そんな時に用いされる策がナンバリングタイトルからの脱却なのかもしれません。

AppleのOSについては第2検索ワードに「ダウングレード」と出るほど、そのスペックを懐疑されることもしばしばでした。新製品の宿命なのでしょうが。
ナンバリングからの脱却、それはもしかしたら成長が鈍化したと言われるAppleの内実を表しているのかもしれません。

新しく名を変える「macOS」。コードネームは「Sierra」です。スペイン語で山脈を意味します。
何のシリーズが始まったのか、次のバージョンのコードネームが早くも気になってしまいます。

スタッフ・坂本
(2016/6/16 UPDATE)
番組スタッフ
「親に抱っこしてもらう」宿題なるものが今、ネット上で話題となっています。

「親に抱っこしてもらう」宿題が話題 「愛情表現の強制」なのか(「J-CASTニュース」2016/6/10)

ことの発端は、小学校に通う娘を持つというTwitterユーザーによる以下のツイート。
*****
次女の今日の宿題が、算数ドリルでも漢字練習でもなく「1分間抱っこ」というものだったんだけど
「先生がね、小学生のころにお母さんが死んじゃって、抱っこしてもらいたくても叶わなかったから、キミたちはいっぱい抱っこしてもらいなさいって言ってた」て聞いて、鼻水まみれで姉妹を抱くババア。
*****

この投稿は1万回以上リツイートされ、その後、是非をめぐる議論へと発展。
「素晴らしい宿題」「感動した」と称賛する声がある一方で、「両親がいない子はどうするの?」といった声もあり、賛否が分かれています。

わたしにとっては気味が悪いだけの、この「親に抱っこしてもらう」宿題。
その起源を調べてみると起源と言われているのは、2003年に出版された、いもとようこさんの絵本『しゅくだい』(岩崎書店)。
登場人物は全員動物で、先生は“やぎ”で名前は“めえこせんせい”。
最初のページでめえこせんせいは生徒たちにこう投げかけます。

「みなさん、きょうの しゅくだいは“だっこ”です。おうちの ひとに だっこしてもらってください」

この絵本の主人公、もぐらのもぐくんがこの宿題をやきもきしながらこなし、親子ともに温かい気持ちに包まれた様子が描かれた後、最後に再び、やぎのめえこせんせいが登場。
生徒たちに向かって「あら、みんな どうしたのかしら。きょうは とても げんきそうねえ〜〜。みなさん しゅくだいを やってきましたか?」と投げかけると、生徒たちは一人残らず手を挙げ、笑顔で「はーい」と返事をする。
そんな場面が描かれ、この絵本は終わります。

生徒全員が笑顔というのは絵本としては正しい表現ではありますが、大人が読むと疑いの気持ちが湧きます。
「本当にみんな笑っているのか?」と。

このあたりの違和感をきちんと描いているのが、去年6月に公開された邦画「きみはいい子」。
「幼児虐待」「いじめ」「学級崩壊」「認知症」といった今の日本が抱える問題が盛り込まれたこの映画には終盤、「家族に抱きしめられてくる」宿題が登場します。
この宿題を出したのは、学級崩壊状態のクラスを受け持つ小学校教師・岡田。

岡田が宿題を出した翌日、生徒たちに感想を求めると、「不思議な気持ち」「安心した」「赤ちゃんのときみたいになった」「やさしい気持ちになった」「気持ちよかった」「落ち着いた」「ほっとした」と好意的な感想が話される一方、「キモい」「とくにない」と否定的な感想を話す生徒の姿も。
それだけでなく、両親が離婚し、母親の再婚相手から乱暴な扱いを受けている男子生徒・神田が宿題を出された翌日、学校を欠席していることも控えめながら示されます。
その後、岡田は神田の家に行き、扉を何度もたたくものの、神田は出ない。
不穏な空気のまま、エンドロールが流れ、映画は幕を閉じます。

「家族に抱きしめられてくる」宿題によって笑えない子どももいて、そのひとつの要因が親による虐待。フィクションとはいえ、もうひとつの現実を投影しているように思います。

「2分の1成人式」をめぐっては“家族の美化”が問題視されましたが、今回の「親に抱っこしてもらう」宿題も根っこは同じ。
“家族の美化”が一部の子どもを追いつめているという、もうひとつの現実も忘れてはなりません。

(スタッフH)
(2016/6/14 UPDATE)
番組スタッフ
今週のタイムラインは「80代まで働く覚悟できていますか?〜人を幸せにしない日本」と題して、日本経済の未来を考えます。

6月13日(月)佐々木俊尚●一億総活躍プランに覚える違和感の正体
政府は6月2日、人口1億人を維持するための「ニッポン一億総活躍プラン」を閣議決定しました。
人口1億人を維持するための「ニッポン一億総活躍プラン」に覚える違和感とその正体

6月14日(火)古谷経衡●経済成長か、貧困対策か。「不平等」なこの世界の生き方
消費増税延期を受け、失敗したとされるアベノミクス。その背景には世界経済の失速、格差拡大があると語られますが、私たちはこの「不平等」とどう向き合えば良いのでしょうか。

6月15日(水)ちきりん●ロボット、人工知能が活躍する未来の働く意味
増税延期となり社会保障に不安が濃く残る日本の財政。成長戦略にはもちろん、ロボット、人工知能の技術進歩も盛り込まれているが…。ロボット・人工知能が代わりに働いてくれる未来において「働く」とは何なのか。

6月16日(木)小田嶋隆●
元々新国家アメリカで発達した考え方、グローバリズム。
日本もこのグローバリズムに巻き込まれましたが、この思想が80歳まで働き続ける社会をもたらすのでしょうか。
(2016/6/13 UPDATE)
番組スタッフ
サマーバレンタインという言葉をご存知でしょうか。
私は昨日、初めて知りました。

サマーバレンタインデーとは、織姫と彦星が出会うとされる7月7日の七夕にあやかった販促イベントのこと。
2月14日の本家・バレンタインデーを日本に広めたと言われるチョコレートメーカーが2010年から啓蒙しているのだとか。家族・恋人・友人などに愛情や感謝の気持ちを示すために菓子を贈るのが本来のサマーバレンタインデーの過ごし方のようです。
あるジュエリーメーカーは7月7日に向けて、限定ペアネックレスを発売。商品紹介サイトを見てみると「夏のロマンチックなイベント」と添えられています。

私の記憶を振り返ってみると、七夕がロマンチックだった試しなど一度もなく、梅雨真っ只中にある日本の蒸し暑さは、サマーバレンタインデーが持つロマンチックさを感じる余裕を与えてくれません。
私の周りにいる同年代の女性がこの「サマーバレンタインデーの限定ジュエリー云々」と耳慣れない言葉を使っていたので、すわググれとその意味を知り、少々うんざりさせられた次第です。

何やら最近、余計な年中行事が増えているというか、そもそもあった年中行事に「パーティー感」が演出されるようになったというか。
生まれた子供の月齢6カ月を祝う「ハーフバースデー」もそうです。
我が家に昨年、子供が生まれたのですが、我々はこれをスルーしました。
子育てには流行り廃りがあると言いますが、この流行に乗ってしまってはもうキリがない。6カ月も1年もそんなに変わんねーよ、と。

賛否がはっきりと分断される「ハロウィーン」。これもいつの間にか、定番行事になっています。
年々、膨らみ続ける経済効果を鑑みると、国民的イベントと化していると言えるでしょう。

「節分」も何だか、その時節にコンビニを訪れると店内の「節分オーラ」に圧倒され、きちんと祝わないと非国民であるかのような気になってしまいます。門戸を広げるためか、恵方巻きも本来の巻き寿司ではなく、ロールケーキ「恵方ロール」になっていたりするので笑えます。

誰かに感謝したり、愛を確かめ合ったり、何かを祝ったり 、何かを願ったり・・・そんなイベントが増えていることに辟易するのは私だけでしょうか。感謝や愛の確認を全否定するわけではなく、「特別な日」がインフレを起こして、本来の価値を失ってしまわないか、余計な御世話でしょうが心配しています。
私が未成年の頃はこんなことはなかったのですが、色々な業界が国民の消費活動を促すべく試行錯誤しているのでしょう。あるいは、参加者の立場で考えると、自身の承認欲求を満たさんがためにお金を投じて楽しんでいるのでしょう。

つまり、それだけキラキラな毎日を送りたい人が多いということでしょうか。
インスタグラムやフェイスブックなどのSNSを見ていると、女性同士がよく使う「キラキラ」という言葉。
誰かの誕生日には「キラキラな一年にしてね」という祝いの言葉が添えられます。
このキラキラってどういう意味なのか、定義は何なのかいつも疑問に思います。
いや、意味などないのかもしれません。
「素敵な一年となりますように」で用いられる「素敵」程度の意味しか持っておらず、我々のような中年が何だか気に入らないと、理解が及ばないと「何がキラキラだ!」と息巻くのでしょうか。 まぁ、「息巻く」と言うほど感情は高ぶってはいないのですが…。

注目後の高いスポーツの試合もパブリックビューイングが行われ、観戦後には街を練り歩き、行き交う人とハイタッチするのが当たり前となりました。
あらゆるところで、これまで普通だったものがパーティー化、フェス化しているように感じます。

いや、もしかしたらSNS用のネタが欲しいのか…
何だか全てはインスタグラムに集約されていくような気がします。
インスタ特有の「キラキラ」に目が眩んでしまうタイプの人間は、新興年中行事を思い切り楽しめないのかもしれません。

一年にどれくらい愛を確かめなければならないのか。
一年にどれくらい誰かに感謝しなければいけないのか。
一年に一度、きちんとその特別な日を過ごすというのではダメなのか。

「毎日がスペシャル」という歌詞があったような気がしますが、インスタに載せる意義なんてないかもしれない「普通の毎日」で何が悪いのかと胸は張らないまでも、怖じることのないようにしたいものです。

スタッフ・坂本
(2016/6/9 UPDATE)
番組スタッフ
北海道の山林に「しつけのため」と置き去りにされ、行方不明になっていた7歳の男の子。
発覚当初は、小石を人や車に投げつけていたという報道からバッシングを受けたかと思えば、今月3日に無事保護されるや、そのサバイバル能力に称賛の声があがり、勢いそのまま、今日(7日)病院を退院する際にはギャラリーが声援を送るなど、まるでヒーローのような扱いを受けていました。

北海道保護男児 函館の病院から退院…「野球したい」(「毎日新聞」2016/6/7)

バッシングが称賛に変わり、ヒーロー扱いまで受けるというのは異常な振り幅。
バッシングしていた人と称賛している人はそもそも別の可能性もありますが、もし同一人物による心変わりだとしたら理解に苦しみます。

この異常な振り幅というか心変わり。
保護された男の子だけでなく、男の子の父親をめぐる論調でも確認されています。

当初、「山菜採りではぐれた」と話していたのが、その後「しつけで置き去り」に変わっていることなどから「父親が怪しい」と疑う声があがり、挙句の果てには父親が犯人扱いされる始末。
「殺した後、山中に埋めたのでは…」、そんな物騒な書き込みも少なからずありました。

証言を変える父親と、なかなか見つからない男の子。こうした状況から父親を疑いたくなる気持ちもわかります。
でも、よく考えてください。この時点で父親は警察に通報しています。
殺して山中に埋めていたとしたら、警察に通報するという犯行の発覚につながる行動をとるでしょうか。
少し考えれば、理にかなっていないのはすぐに分かるはずです。

ちなみに、教育評論家の尾木直樹さんも以下のような辛らつな書き込みをしていました。
「今 大切なのは 子どもを救出し、命を守ることです!! こんな状況に置いた 親は厳しく批判されるべきです 警察にも間違いなく 逮捕されることでしょうね」。

男の子が無事に保護されると、こうした「父親を犯人扱い」する論調は一転。
父親を犯人扱い人たちに謝罪を求める書き込みへと変わりました。

この状況は、ニュースサイト編集者の中川淳一郎さんによると「反省モード」。
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これ(男の子の保護)を受けてネット上では「反省モード」になっている。
(中略)2007年、香川県坂出市で2人の姉妹とその祖母が殺害される事件があった。
ネットで散々犯人扱いされていたのが父親だ。
(中略)結果的に3人の殺害で逮捕されたのは、親族の男だったため、その直後、(中略)「ごめんね」と謝罪だらけとなった。
これはネットにおける冤罪事件の最たるものの一つとして今でも記憶されている。
(中略)男児の発見直後には、香川の時と同様に「おい、おまえら全力で謝れよ」といった書き込みが相次いだ。
<「東京新聞」2016/6/4朝刊>
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「反省モード」のさなか、「親が逮捕されることでしょう」とブログに書いていた尾木さんへの批判も相次ぎ、尾木さんは昨日(6日)、公式ブログで以下のように謝罪しました。
「あまりに発見出来ないことからお父さんのことを本当なのか疑念を抱いたことは完全に行き過ぎ、失礼でした…これは率直にお詫びいたします!」。

男の子が無事に保護されたおかげで父親への疑いは晴れたものの、「しつけ」への批判は未だに収まっていません。一方、男の子は小石を投げたことは棚上げされ、なぜかヒーロー扱い。
なんともおかしな状況であり、ネットの声が父親を追いつめているようにも見えます。
今後、バッシングのトラウマで「しつけ」ができなくなるのでは。余計なお世話かもしれませんが、そんな心配をしてしまいます。

(スタッフH)
(2016/6/7 UPDATE)
番組スタッフ
6月6日(月) 佐々木俊尚 ●中年男性を押し潰す「普通の人生」

雑誌『週刊SPA!』が35歳から49歳の中年男性を対象にした調査で、7割以上が普段の生活を「つまらない」と感じていることが分かりました。
35歳から49歳の男性といえば、働き盛りの世代。なぜ、普段の生活を「つまらない」と感じているのでしょうか?
「男性学」の第一人者で武蔵大学社会学部助教の田中俊之さんにお話を伺います

6月7日(火) 速水健朗 ●民泊全面解禁へと進む日本への警鐘

5月13日に政府が民泊の全面解禁に向けた原案をまとめるなど、民泊の全面解禁、普及に向けた動きが加速しています。
一方で、こうした動きを懸念する声が民泊先進国・フランスからあがっています。
民泊先進国フランスが日本に鳴らした警鐘とは?

6月8日(水) 飯田泰之 ●矛盾で読み解く「ズートピア」ヒットの背景

ディズニーの長編アニメーション『ズートピア』が全国映画動員ランキングで4週連続1位を獲得。
累計興行収入は50億円を突破し、今年ナンバー1ヒットになる可能性も出てきています。
『ズートピア』はなぜ、これほどまでのヒットになっているのでしょうか?
「矛盾」という視点からヒットの背景を探ります。

6月9日(木) 小田嶋隆 ●“ナマポ”でパチンコの是非

社会福祉の財源とする消費税の税率引き上げは延期される一方、生活保護者は増え続けています。10年以上、減少傾向は見られず、昨年は過去最多を更新しました。
格差ばかりが目立つ4年目のアベノミクス。もらわないと生きていけない立場で生きる人々の実情とは?
(2016/6/6 UPDATE)
番組スタッフ
子供が生まれた家庭に見られる小さくない変化。
親がEテレを異常に見るようになるというのが「あるある」でしょう。

Eテレというものは不思議なもので、愚図る子がどういうわけかあっという間にご機嫌がよろしくなる。
Eテレに潜む法則を見出して、テレビというメディアに頼ることなく我が子のご機嫌を回復させてみせようと思うのですが、その法則を見つけられず、ついついEテレに頼ってしまいます。
親連中の間では「わんわん様に足を向けて寝られない」などと、犬のキャラクターを「様」を付けて呼び、半ば本気で崇めています。

午前中、家でテレビを付けている時はEテレで決まりと断言できる我が家。おそらく、自身が子供の頃の「教育テレビ」時代と比較しても、今が人生で一番、2チャンネルを付けている時間が長いかもしれません。

「あるある」でもう一つ。Eテレの子供向け番組では、大人が見るテレビ番組では目にしない、「え、これ誰?」と思ってしまう人がキャスティングされています。
多くの場合は、主要登場人物なので番組名とキャラクター名でググって、その人物の素性を調べてしまうもの。 そういったキャラは大体、子供番組には似つかわしくない大人なのですが、お母さんお父さんから意外な人気を誇っているようです。
例えば、「みいつけた!」のオフロスキー。演じているのは俳優、演出家として活躍する小林顕作さん。私もオフロスキーファンの1人となってしまいました。

Eテレの中でも異彩を放つのが、『お伝と伝じろう「会話のキャッチボール」』に出演する「レ・ロマネスク」でしょう。私は「レ・ロマネスク」なる存在を知ったのはEテレがきっかけでした。
ググってみますと、「2000年フランスのパリで結成された音楽ユニット」で「欧州のクラブシーンやフェスティバルで人気を集め、2008年春夏パリコレでのライブをきっかけに、世界10カ国32都市で公演を行う」ほどの存在で、フランスでは最も有名な日本人なのだそうです。

前置きが長くなってしまいましたが、先日、レ・ロマネスクが出演する『お伝と伝じろう「会話のキャッチボール」』を見て、少々驚かされました。同番組の企画コンセプトはこうあります。

<フランス・パリからやってきた異質な転校生「伝(でん)じろう」と、内気で気の弱い小学生・サトル。価値観や性格の大きく異なる二人を中心に繰り広げられる、コミュニケーションをめぐる小さなドラマをきっかけに、「どうしたら伝わるのか」ということを子どもたち自身に考えさせます。また、各回のテーマに合わせた言語活動のスキルも紹介することで、子どもたちのコミュニケーションスキルを育てます。『お伝と伝じろう「会話のキャッチボール」』

「会話のキャッチボール」というタイトルから何となくわかるかもしれませんが、子供たちのコミュニケーション能力を育もうという番組なのです。先日は会話を弾ませる「しりとりの法則」を紹介しており、自身の子供の頃を思い出し、時代の大きな変化を感じさせられました。

昨今、何かとこの「コミュニケーション能力」という能力値が有り難がられます。
少し大袈裟ですが、人生を左右しうる就職でもこの能力値の高低が影響してくるようです。
就職という入り口で求められる能力であるということは、社会人になってもほぼ必要であるということ。私も社会人となり10数年が経過しますが、何かと「コミュニケーション能力」なるものを求められる場に出くわしてきました。それが欠けているがために叱責をくらったかと思うと、それがあると言われて仕事をもらったりもする。詰まる所、相対する人によって「コミュニケーション能力」の合格点は違うのです。

私が子供の頃、見ていた教育テレビでは人形劇に加えて、算数、国語、理科、社会、図工、音楽、体育、そして漠然とした道徳を指南する番組が子供向けに放送されていました。
道徳を除く、算数などの教科は何をいつどこまで勉強するのかが学習指導要領で決められているものです。
それに対し、「コミュニケーション能力」は道徳と同じで数値で評価することはできず、社会の仕組みや暗黙の決まり事によって「あればいい」とされているだけです。

なぜこれほどまでにコミュニケーション能力というものは「あればいい」とされるのか。多分、あった方が良いのでしょう。
幸福な世界へたどりつくために欠かせない通行証のようなものでしょうか。この場合の幸福とは異性関係であるでしょうし、お金であるでしょう。あるいは、この世知辛い世の中を孤独とは無縁に生きることかもしれません。
他人から求められた時のコミュニケーション能力ほど邪魔くさいものはないと私も思いますが、残念なことに今の社会はそれなしで「相対的幸福」は得られないことも認識しています。

あるかないかで言えば、今の世の中、まだまだあった方が良い。
親が子供に、「何かあった時のために資格を取っとけ」という感覚で『お伝と伝じろう「会話のキャッチボール」』は作られているのかもしれません。

大人ですら生き辛いとされる現代です。
これからの世界がどうなって、どんな能力を持っている人間が幸福を手にすることができるのか。
英語がいいのか。あるいは中国語かポルトガル語か。 それとも、プログラミングがいいのか。
やはりコミュニケーション能力に尽きるのか。
できることなら、まずは世界とその未来に漂う不安を取り除いてやる方が良いようにも思います。

スタッフ・坂本
(2016/6/2 UPDATE)

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