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番組スタッフ
今月26日に行われたアメリカ大統領選候補、ドナルド・トランプ氏とヒラリー・クリントン氏によるテレビ討論。トランプvsヒラリーの直接対決に世界が注目したのは言うまでもなく、オンライン視聴者数は8000万人を超えたとも報じられます。
それぞれがアメリカ大統領になった場合、日本は世界は具体的にどう変わるのかをちゃんと考えている人はどれくらいいるでしょうか。討論会がここまで注目されたのも、未来がどうなるかはさておき、トランプvsヒラリーの「ノーガードの殴り合い」にも映る口撃の応酬が見たいという気持ちからでしょうか。

日本のメディアでは90分に及ぶ討論の全てを封じることは適わないようで、YouTubeにアップされた動画を見るなどして、今年1番の頂上決戦がどう展開していくのかを追ってみたのですが、気になったのは「アメリカの繁栄」について互いの政策、主張をぶつけていた討論開始15分ほどのところ。

トランプ氏はクリントン氏の夫のビル・クリントン元大統領政権時に発効されたNAFTA・北米自由貿易協定を「世界で最悪の貿易協定だ」と批判。そして、クリントン氏に対し「あなたは、今度は環太平洋経済連携協定(TPP)に署名したいと言っているが、NAFTAと同じくらい最悪だ」と述べました。クリントン氏は条件付きでTPPへの反対を表明しているのですが、トランプ氏は「TPPを金科玉条と言っていたのに、私の言葉を聞いたとたん翻したんだ」と畳み掛けます。

クリントン氏はこう答えました。

Donald,I know you live in your own reality, but those are not the facts.

【参照:TRUMP BLASTS CLINTON AS FIRST PRESIDENTIAL DEBATE BLOWS UP OVER NAFTA FIGHT】

ownは「自分だけの」「個人的な」「独特な」という意味があります。
真面目に訳すると、こうなるでしょうか。
「ドナルド、あなたは自分だけの現実に住んでいるわね。でもそれは事実じゃない」

ヒラリー氏がトランプ氏に放った「you live in your own reality」という言葉を「あなたはお花畑にいる」、あるいは「あなたは物語の中に住んでいる」と訳していたメディアもあります。

「自分だけの現実」「お花畑」「物語」…つまりは、トランプ氏は一般的な現実と乖離しており、そんな彼から放たれる言葉は妄言であるというヒラリー氏は指摘しているのでしょうか。

言葉に勢いのある人物が現実と乖離した世界に住んでいると指摘されたケースで、最近、他に思い当たるものがありました。
元東京都知事の石原慎太郎氏です。
築地市場の移転先、豊洲新市場で本来ならなされるべきだった盛り土がいつの間にか地下空間に変わっていた問題について、テレビ番組に出演した際に「だまされた」と発言していた石原慎太郎氏。しかし、2008年に地下にコンクリートの箱を埋める案に言及していたと報じられ、混乱を招いたとして謝罪文を発表。

息子である石原良純氏がそんな父親に対し、フジテレビの「ワイドなショー」の中でこう述べました。

「基本的には作家だから、創作活動の中で生きている」

石原慎太郎氏も現実と乖離した創造の世界にいるということです。
石原慎太郎氏もトランプ氏も確かに、現実にある問題を打開するための策が空想じみているような印象はあります。
しかし、時としてそれはつまらない現実を破壊してくれるかもしれないような耳触りの良さを醸すのも事実。

創造や物語の世界にいるように見えるのは、石原慎太郎氏、ドナルド・トランプ氏だけではないでしょう。
肌が粟立つようなポエムじみた言葉を並べて、日本の現実を憂う政治家、活動家。彼らが放つ言葉も、現実と乖離しているように思える。
社員におぞましい長時間労働を強いる経営者の言い分も、浮世離れした夢物語に聞こえる。
私たちが情報に触れる場面においてもいちいち、現実と乖離しているとは言わないまでも、物語じみている。

問題を見つけてきては、憎まれ役を設定し勧善懲悪の物語にしてしまう。
わからない問題には、「空白の」「謎の」といった文句が添えられてミステリー仕立てになる。
事実を事実として淡々と並べることにアレルギーがあるのか、人間が情報を紡ぐから当たり前なのか。
私たちの眼の前にある情報は「物語仕立て」です。

あらかじめ受け手がどのような感情を抱くかを想定した物語を作るのではなく、余計な感情をそぎ落とした情報を発信して、後は受け手がどんな感情を抱くかを委ねるということもあっていいと思うのですが、それはローリターンハイリスクの賭けのようです。
あらゆる問題に対して、それが好きか嫌いか、良いか悪いのかの単純な二元論の中で判断してしまうからなのか。
答えを2つしか想定しないならば、賭けも簡単。

あらゆる場面で難題山積という言葉が使われる現代において、あらゆる問題を知性ばかりと向き合っていると疲弊するのも事実です。
言葉の力を最大限に用いて繰り出される物語、創造は感情を掻き立てます。物語仕立ての情報が飛び交い、自分が生きる物語の世界に現実を無理やり当てはめようとする人が多々いる現代社会ですが、繰り出される物語が「お花畑」ではなく、現実にそぐうのかどうか。何か大事なひとつくらいは感情を捨てて判断しなければならないでしょう。
好きか嫌いか、感情で何かを判断するのではなく、自身の知性が蓄えられた場所を虐めるほどと考える訓練が私にも必要のようです。

スタッフ・坂本
(2016/9/29 UPDATE)
番組スタッフ
先週から今週にかけてネット上を騒がせた2つの炎上案件。
“炎上商法”という言葉でくくると、どちらの案件も反応した方が負けのように思えてきます。

ひとつは、フリーアナウンサー・長谷川豊さんの「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」という長いタイトルのブログ記事。

「自業自得の透析患者は殺せ」 BLOGOS、長谷川豊氏の記事を削除 「暴論」と炎上(「ITmediaニュース」2016/9/23)

日本の人工透析患者の多くは、医師からの注意を無視して自堕落な生活を送り続けた結果、透析を受けざるを得なくなった自業自得な患者だと主張する内容で、この記事に批判が殺到。
炎上状態となり、記事を転載していたBLOGOSが記事を削除し、「掲載段階でのチェック体制の不備から、編集部内で検討、筆者との協議などが十全に行われないまま掲載(転載)に至ってしまいました」と謝罪するに至っているのですが、記事を転載していたサイトが批判されるというのはおそらく初めてのケース。
炎上の対象となる範囲の広がりを感じます。

一方、当の長谷川さんは記事の削除も謝罪するつもりもなく、記事のタイトルだけ変更。
「医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」に変え、タイトルを変更した理由についてはこのように語っています。
*****
一人でも多くの人に拡散してほしくて付けたのですが、やはりこれは非難が来て当然。
タイトルだけ見て誤読されることも、悪用されることも予測しきれなかったのは完全に僕のミスです。いつもどおり『長谷川またふざけたことを言ってるよ』って拡散してもらおうと思ったら、多くの人に迷惑をかけてしまった。
<「J-CASTニュース」2016/9/25> http://www.j-cast.com/2016/09/25278891.html?p=all
*****
「殺す」という言葉を使ったことを反省しつつも、ブログのタイトルが炎上狙いであることを認めているわけで、つまりは炎上商法です。

そして、もうひとつの炎上案件も炎上商法のにおいがしていて、それが、鹿児島県志布志市が市へのふるさと納税を呼びかけるPR動画。

志布志市:PR動画で水着の少女登場 「卑わいだ」で削除(「毎日新聞」2016/9.26)

ふるさと納税の寄付者への返礼品である特産の養殖うなぎをPRする目的で作られた動画で、炎上の原因となったのは養殖うなぎを擬人化したスクール水着姿の少女。
「卑わいだ」などの苦情が相次ぎ、きのう(26日)、志布志市はwebサイト上で「視聴者の皆様に不愉快な思いをさせてしまった」と謝罪し、動画を削除しました。

謝罪するハメになったとはいえ、炎上したおかげで動画と自治体の名前が広く知れ渡り、PR効果は絶大。
「スクール水着」「少女」「擬人化」という炎上しそうな要素が揃っていることもあり、炎上商法を勘繰りたくもなります。
今回の2つの炎上がそうですが、炎上商法のにおいがする案件はまともに反応したら相手の思うつぼなので、スルーするのが正しいふるまいなのでしょう。

(スタッフH)
(2016/9/27 UPDATE)
番組スタッフ
9月26日(月) 佐々木俊尚 ●北大の人員削減案が示す研究現場の惨状

北海道大学による人員削減案がネット上で拡散し、話題となっています。
この人員削減案が示す理系の研究現場の惨状とは?
大学に詳しいジャーナリストで島根県立大学客員教授の山内太地さんにお話を伺います。

9月27日(火) 古谷経衡 ●「シン・ゴジラ」「君の名は。」のヒットから考えるオタクの終焉

大ヒット中の邦画『君の名は。』と『シン・ゴジラ』。
この邦画2作のヒットをうけ、思想家の東浩紀さんが「オタクの時代は終わった」とツイッターに書き込み、話題となりました。
オタクの時代は終わったのでしょうか?
13年前の2003年に「オタクは死んだ」と指摘していた、漫画評論家で東京工芸大学マンガ学科教授の伊藤剛さんにお話を伺います。

9月28日(水) 飯田泰之 ●中流転落不安が生む「結婚クライシス」

知らぬ間に日本に広がっている「結婚クライシス」。
その背景を探り、改善策を考えます。

9月29日(木) 小田嶋隆 ●ポリティカル・コレクトネスに縛られるアメリカ人

対人関係において相手の人種・性別・宗教などに十分に配慮する「ポリティカル・コレクトネス」。
このポリティカル・コレクトネスに関する疲れが、トランプ支持の大きな力になっているといいます。
こうした現状が示すアメリカの実情とは?
(2016/9/26 UPDATE)
番組スタッフ
世界一ダイヤが正確というイメージがある日本の鉄道。それでも、東京都においては電車の遅延は珍しいことではありません。
その理由が人身事故だったりしますが、それは東京に限ったことではない話。
今月21日午前、東大阪市の近鉄奈良線河内小阪駅で、女性が線路内に立ち入り、駅を通過する神戸三宮行き快速急行にはねられ、死亡するという事故がありました。
程度はどうであれ、人身事故はダイヤを乱れさせます。電車が止まってしまった駅に生じる人だかりは、時としてカオスとも言えるほどなのですが、目的地に目的の時間までに行けないかもしれないことに対して苛立ちを隠せない人の喧騒が状況をよりカオスにします。

近鉄奈良線河内小阪駅での人身事故は、様々なところで報じられるほどの大きな混乱を生みました。
その時、26歳の男性車掌が乗務する電車は東花園駅で運転中止になり、車掌もホームで乗客への状況説明などに当たったそうですが、その際に乗客と言い争いに発展。制服や帽子を脱ぎ捨てて線路に降りて、腰の骨を折る重傷を負いました。
新聞やネットで知りうる限りの情報で全てを判断してしまうのは危険ではありますが、このニュースに対して私は形容しがたい負の感情を抱いてしまいます。
男性車掌と同じような放棄の行動に出てしまいたい人は世の中にどのくらいいるのだろうか…、とも思います。

ただ一つ、はっきりと言えるのは誰かにキレないと気が済まない人がいるという現実です。
ネットにおけるしつこいまでの「エセ正義の鉄槌」。
決して刃向かって来ない人だとわかって攻撃する人。
白黒はっきりさせるような問題じゃないのに、敵だと決めつけて叩く人。

電車の遅延により、駅のホームで駅職員を叱責する光景は東京では珍しくないのですが、言い換えせない立場にある職員に向かって、公であるにもかかわらず怒りをぶつけている人(大体がいい大人と言われる年齢の人)を見ると、侮蔑の感情すら覚えます。職員を怒鳴らざるを得ないほどの、のっぴきならない事情であれば別ですが、人間が大声を張り上げたところで、電車は動かないし、事態がどうにかなるものではありません。

「正義は常に自分にある」とは言わないまでも、自分が理不尽な目にあう謂れはないとして、理不尽な目に合わせた関係者の誰かに攻撃的になりがちです。
日本の電車はとても正確です。正確だからこそ、少々遅れただけで怒りがこみ上げてしまうもの。
私も何度も電車の遅延に見舞われ、その度に苛立ちを感じてきました。仕事の約束に遅れてしまったことさえもあります。しかし、電車の遅延ひとつで私の仕事には何ら影響はありません。
「電車は正確でなければならない」という前提はもはや強迫観念として電車を使う日本人の精神に染み付いており、その前提を少々脱しただけで怒りが爆発するのでしょうか。

私もごく最近、本当に些末なことで怒りがこみ上げたことがあります。
先週、カップヌードルの特別な味「カップヌードルビッグ“謎肉祭”肉盛りペッパーしょうゆ」を一時、販売休止するとの発表がありました。発売開始からわずか3日のことでした。
昔のカップヌードルの「謎肉」が好きだった私はどうしても食べたかったのですが、発売日当日に買うほどのものでもないだろうと思っていたのですが、その判断が甘かった。
謎肉祭のカップヌードルは当初の販売計画を大幅に上回り、十分な供給量が確保できなくなったため販売中止にいたりました。
これに対して、あえて出荷数を少なくしておいて販売休止にし、消費者の枯渇感を煽るという品薄商法ではないかとの批判もありました。私も陰謀論めいたこの批判を同じことを考えてしまいました。
なぜもっと、昨今のSNSを機にする人気の爆発を鑑みてマーケティングをしなかったのか。
手に入れられない状況を理不尽だと感じました。
自分の思い通りにならないことへ抱く不快という、極めて単純な感情です。

電車は定刻通り、欲しい物はすぐ買えるのが当たり前。これらが少しでも覆ると怒りを覚え、決して言い換えすことのできない担当者・関係者を攻撃する。これはもはや病理と呼ぶに近いものです。
正確な想定が求められすぎている現代において、想定外に怒るのは仕方のないことかもしれません。ですが、その感情は無抵抗な人にぶつけるのは、公の場ではやめておいた方が賢明だと思います。

スタッフ・坂本
(2016/9/22 UPDATE)
番組スタッフ
今月初めに終了が予告されてはいたものの、いざ本当に終了を目の当たりにすると寂しいものです。
1976年から40年にわたって連載を続けてきた長寿マンガ『こち亀』。
先週金曜(17日)、長きにわたる連載に終止符を打ちました。
最終回が掲載された『週刊少年ジャンプ』と最終回が収録された200巻は同日発売かつ、ジャンプと200巻でオチが異なるという話題性もあり、ジャンプ、200巻ともに売り切れが相次いでいるといいます。
わたしは、ジャンプは売り切れを見越して発売日に購入。200巻はさすがに売り切れないとたかをくくったために、大型書店を数軒回ってようやく通常版を手に入れる有り様。
これまで『こち亀』が書店から消えた光景を目の当たりにしたことがなかったことから考えると、相当な売れ行きなのでしょう。

今回、200巻を手に入れるために大型書店を数軒回ってはいますが、わたしは“今は”『こち亀』の熱心な読者ではありません。
“今は”とつけたのは、かつては熱心な読者だったからです。
熱心な読者だったのは、20年ほど前の小学校学年から高校生にかけて。コミックスの巻数でいえば、確実に読んだと言い切れるのは50巻〜100巻。
85巻あたりで『こち亀』のお決まりパターンに飽きはじめ、そこからはよく分からない義務感でコミックスを買い続け、100巻到達を境に卒業。
それ以降は完全に『こち亀』を断ち、たまにジャンプを買うこともありましたが、読むことは一度たりともありませんでした。

時間にして20年、巻数にして100巻分のブランクがあるにもかかわらず、終わるとなると寂しい。
不思議な感情です。
*****
こういうときだけ「最近読んでないけど好きだった」とか、「もっと続いて欲しかった」とか言いやがって うれしいけど
<「こち亀.com」>
*****
『こち亀』の主人公・両さんはこのように皮肉っていますが、寂しいものは寂しいのです。

読んでいなかったのに寂しい。なぜこんな風に思ってしまうのでしょうか。
、“こち亀=日常の象徴”と位置付けるのが、『こち亀』全話のタイトルとあらすじを紹介するサイト「こち亀データベース」の管理人・まさひこさん。
*****
「こち亀」は私にとって、当たり前にある日常の象徴のような存在で、終了をリアルに想像することができていなかった感じです。
<「KAI-YOU.net」2016/9/16>
*****

「こち亀=日常」と捉える人は多く、社会学者の鈴木涼美さんもそう。
鈴木さんは、日常だからこそ「離れてみるとその盤石さと力強さが愛おしくなる」と分析しています。
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日常というのはそう簡単にそこから逃れられない退屈で平坦なものだし、多くの私たちにとってそれはとても冴えない。けれども一度そこから引き剥がされると急に心細くなり、平坦で退屈だった日常を懐かしみ、戻りたいと願う。
離れてみるとその盤石さと力強さが愛おしくなるのである。
<「iRONNA」>
*****

つまり、『こち亀』という存在自体が日常と一体化したからこそ生じた寂しさ。
よくよく考えてみると、寂しさというより、日常を構成するもののひとつが欠けることによって日常が揺らいでしまうという不安が根底にあるような気もしてきます。

今回よく目にしたのが、この“日常”という切り口での分析。
これとはまったく別の切り口で『こち亀』の連載終了を分析している人もいて、それがあるTwitterユーザー。
両さんのような破天荒な存在が現実世界では排除されていて、『こち亀』の連載終了はその象徴なのでは、と書き込んでいます。
マンガの世界ではせめて、現実ではありえない存在を描いてほしい。わたしはそのように思うのですが、今はこの考えですら時代遅れなのかもしれません。

(スタッフH)
(2016/9/20 UPDATE)
番組スタッフ
9月19日(月)佐々木俊尚●日銀の金融政策をAIが担う日
9月20日と21日に開かれる金融政策決定会合。これまでの金融緩和についてに総括的検証がまとめられます。そんな中、日銀の金融政策をAIが担うとの見方も。その可能性とは。

9月20日(火)速水健朗●「ほどこし」は排除すべきか?貧困対策としての「こども食堂」
相対的な貧困状態にある子どもが多い日本で、全国的に広がりを見せている「こども食堂」です。貧困状態にある子どもたちに対して、格安あるいは無償で食事を提供する社会サービスの是非とは。


9月21日(水)ちきりん●爆食中国にのまれ、牛肉が食べられなくなる日。
アメリカに次いで世界第2位の食糧輸入大国となっている中国。これまであまり縁のなかった牛肉についてもその需要は急増。その影響とは?

9月22日(木)小田嶋隆●フェイスブックに求められるメディア企業としての責任
フェイスブックが、ベトナム戦争でナパーム弾の攻撃を受けて逃げる裸の少女の報道写真を「児童ポルノ」に該当するとして削除していた問題。
フェイスブックが引き受けるべきメディアとしての責任とは?
(2016/9/19 UPDATE)
番組スタッフ
私の学生時代の知人が、田舎暮らしを始めました。田舎暮らしとは、普通の地方都市で不自由なく暮らすことかと思えば、その知人のFacebookを覗いてみると、私の想像を何段階も凌駕する暮らしぶりが投稿されていました。

住宅は半世紀以上が経過していることは明らかで、壁にはシダ植物が生えるほど荒れ放題。
その知人が、ある時、友人を招いていつもの料理を供するホームパーティーをやったそうです。
その時の写真に写っていたものも、私が想像する田舎の料理ではありませんでした。
冷夏時に出回った大タイ米を思わせる長い米。見たこともない野菜。
そして、それらが乗せられた葉っぱの器…。
彼ら(男女カップル)が田舎に移住した理由としてあげたのが、いずれ生まれてくるかもしれない子供を都会のしがらみの中で育てたくないということ。

彼らの食生活を知って抱く感想は、「どこか憧れている国があるんだろうな」くらいでしたが、この移住生活の理由生活に対して、都会で子育てをしている私は何だか精神が騒つく快くない感情を覚えました。もちろん、私の子育てに何か実質的な介入があったわけではないのですが…

田舎の移住理由について、度々、子供の未来への気遣いが挙げられますが、私は都会で子育てをすることが悪いとは思っていません。地方出身の私が思うに、都会は想像以上に自然と触れ合う機会が多いですし、地域のコミュニティもきちんと組織作られており、こちらが能動的になれば、子育てで孤立することはない。助成制度にもまだ不満はない。
保育園の待機児童問題にいつか直面するかもしれませんが、今のところ子供を育てる場所としての都会に、私たち家族は不満は感じていません。
子供を引き合いに出して都会を嫌い人の考える都会とは、いつも渋谷や新宿のような場所ではないかと思えます。

田舎か、都会か。自然か、人工か。子育てにおいて、これらのどれをいつどのように選択するかが、議論になりますが、その選択が正しかったかどうかは親の自己解釈につきますし、何より、子供がある程度まで成長しないとわかりません。もしかしたら、いつまで経ってもわからないかもしれない。

都会の子育てを否定する、時にカルトな人に出くわすと何がなんでも反論したくなるのですが、お互い選択の自由ということで、不可侵領域にしておかなければなりません。

明日、iPhone7が発売となります。なら初期ロットにありがちな不具合の人柱になることすら厭わなかったのに、ガラケー化と評される新機種にどうも購買意欲がそそられない。
それでも次に買う携帯電話はiPhoneだと決めているから不思議です。
購買動機となる金科玉条となっているのが、「他に選択肢がないから」という文句。
AndroidOSのスマホを使ってみるともしかしたら意外と良さがわかるかもしれないけど、機種の見た目が家電っぽすぎて受け入れられない。
MacにAppleTVと自身の日常に根を張ったApple製品のことを考えたら、iPhoneである方が望ましい。
というふうに、Androidにしない方が良いかもしれない理由をできるだけならべ、自身のAppleへの信仰心をできる限り肯定しようとしています。

選択でもう一つ。
社会人になってみてこんなにも考えると思わなかったテーゼのようなものに、賃貸か持ち家かという選択があります。
子育て世代になってみてあらためて、この選択の難しさを知らしめられるのですが、諸先輩方に色々とリサーチしてみると、家を買った人は買った方が得だと言うし、賃貸を選んだ人は損はしていないと言う。
要するに、どちらも自身の選択を肯定したい、否定できないのです。
何となくでも、半ば勢いでも選んでしまえば、その瞬間から選んだものへの信仰心の火種がともり、その火を消さないために、あらためて信仰の動機付け作業がはじまるのでしょうか。

誰も自分の選択を否定されるのは不快ですし、自分で否定する勇気も中々おこりません。
見渡すと、選択肢は多すぎます。そんな中から何かを選ぶという行為は慎重になりますし、だからこそその行為は崇高です。
信仰の議論など無意味ではありますが、大小問わない方々での諍いをみていると、自分が理解できない選択を否定するようなことばかり起こっているような気がします。

スタッフ・坂本
(2016/9/15 UPDATE)
番組スタッフ
強姦致傷容疑で逮捕されていた高畑裕太さんが一転、示談が成立。不起訴処分となり、先週金曜(9日)、釈放されました。
釈放された際、カメラの前で見せた大声での謝罪は異様でしたが、その日の夜、高畑さんの弁護人が公表したコメントは高畑さんの謝罪以上に異様なものでした。

高畑裕太さん事件についての弁護人の説明(劇団青年座)

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私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。
しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。
つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。
以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。
*****

異様なのは、もうすでに多数の識者の方が指摘している通り、高畑さんの主張だけを根拠に「悪質な事件でなかった」と断言している点です。
他の関係者の話を聞くことができず、事実関係を解明することもできていないのに、なぜ?
憶測だけでどうして悪質な事件と断言できるの?
論理展開が破たんしていて、疑問だけが次々と浮かび上がってきます。

この疑問は弁護士という同じ立場から見てもおかしく、弁護士の谷直樹さんは、「事実関係を解明することができなかった以上、被疑者の話だけではコメントしないのが普通でしょう」とブログで指摘しています。
*****
弁護人は,「他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。」と書いています.事実関係を解明することができなかった以上,被疑者の話だけではコメントしない,のが普通でしょう.
<「弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ」2016/9/11>
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高畑さんの弁護人によるコメント発表後、ネット上の反応をみていると、コメントを鵜呑みにして被害者を中傷する書き込みや、コメントを勝手に深読みし、示談が成立した理由を分析する書き込みを結構な数、目にしました。

ここでもう一度、冷静になって考えてみてください。
弁護人によるコメントのもとになっているのは憶測。そのコメントをもとに中傷するのは言うまでもなく、示談が成立した理由を分析するのも被害者を傷つけるだけです
コメントを出すなど被害者からのさらなる訴えがない限りは、静かにことを見守ることが現時点における第三者の正しい振る舞いなのではないでしょうか。

わたしは今回の件を受け、去年12月に起きた炎上を思い出しました。
ある法律事務所がホームページに掲載していた、「強姦事件の加害者を救い、示談までもっていくマンガ」が炎上した、あの騒動です。

「強姦を示談に」弁護士HPのPR漫画に批判殺到 一転「配慮に欠けた」と謝罪と削除(「J-CASTニュース」2015/12/17)
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強姦は親告罪のため、被害届が取り下げられれば、起訴できないことになっている。
弁護士が手を尽くした結果、被害者との示談が成立して不起訴になり、弁護士は「次からは気をつけてくださいね」と男性を励ます。
男性は、誰にも事件のことがバレず、仕事も順調だとして、「よおし!今晩は久々に一杯やるか!」と微笑み、漫画が締めくくられている。
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高畑さんの弁護人によるコメントと、このマンガの弁護士による仕事はスタンスが同じで、被害者の気持ちはおざなりにされている。そんな印象を受けます。

こうしたなか、昨日(12日)の夜、「性犯罪が非親告罪化へ」とのニュースが報じられました。

性犯罪、被害者の告訴不要に 法制審が答申(「日本経済新聞」2016/9/12)

まだ法制審議会が法務大臣に答申した段階で、今後成立するかどうかは不透明ですが、非親告罪になれば、被害者の訴えがなくても罪に問えるようになると言います。
冤罪が増えるのではとの心配は多少あるものの、泣き寝入りが多数を占めるという現状を変えるためにはこれぐらいの劇薬が必要なのかもしれません。

(スタッフH)
(2016/9/13 UPDATE)
番組スタッフ
9月12日(月) 佐々木俊尚 ●「液体民主主義」で政治は変わるのか

2006年にスウェーデンで生まれ、ドイツを中心に地方議会で多くの議席を獲得してきた海賊党。
その海賊党が提唱する「液体民主主義」とは?日本に導入することは可能なのか?
海賊党の議員に取材した、バズフィード・ジャパンのニュース記者・鈴木貫太郎さんにお話を伺います。

9月13日(火) 古谷経衡 ●風が襲った東北に寄せられた「外野の正義」

台風10号による豪雨で、岩手県内で20人が亡くなりました。
この豪雨災害をうけ、被災地以外から自治体の対応を非難する電話がかかってきているのだといいます。
台風10号に襲われた東北にはどのような正義の声が寄せられているのでしょうか?

9月14日(水) 飯田泰之 ●女性の活躍推進の影で労働市場から消える働き盛りの男性

安倍総理が「1億総活躍社会」を目指す中、働き盛りの男性就労者(25〜44歳)の減少が続いています。
なぜ労働市場から「25〜44歳の男性」が消えてしまっているのか、その実態に迫ります。

9月15日(木) 小田嶋隆 ●「適法」よりも「適切」を重視する世間の空気

パソコン専門店、ピーシーデポコーポレーションの高額解約料騒動の波紋が止まりません。
PCデポ騒動は企業にとって、あるいは個人にとって改めてどのような教訓となるのか、考えます。
(2016/9/12 UPDATE)
番組スタッフ
日本時間9月8日に行われたAppleのスペシャルイベント。「iPhone 7」「iPhone 7 Plus」が発表されました。
今回に始まったことではないのですが、iPhone7に関しては、正式発表となるまで様々な情報、画像がリークされていました。
明らかになったスペックを見て思ったのが、ほぼリーク通りであるということ。防水防塵機能、イヤホンジャック廃止、スペースグレイに代わって新色が登場することなどは、かねてから噂されており、まるでその「答え合わせ」をするかのような発表でした。

様々なリーク情報が紡がれ、iPhone7の全貌が何となく見えてきた段階では、ファンを信仰心を刺激するような目立った機能はなく、聞こえてきたのはiPhone7への買い替え不要論。
今回の発表はほぼリーク通りではあるものの、頭の中の情報を修正・更新し、無理矢理、iPhone7への期待を高めようとする自分がいます。
しかし冷静になれば、それって「ぬかよろこび」なんじゃないかと醒めるのです。

リーク情報が飛び交っていた時は、そればかりが取り沙汰されたためか、iPhone7最大の変更点はイヤホンジャックの廃止だろうと私は暗示をかけられていました。
イヤホンジャック廃止を受けて発表されたのが、完全無線イヤホン、AirPodsです。Bluetoothのイヤホンに免疫のない私にとっては装着している自分が滑稽に見えるように感じさせられる「何とも言えない見た目」だから、使わないかもしれません。あと、片方だけ無くなったりしそうだという不安もあります。

カラーバリエーションも増えました。これもリーク通りです。スペースグレイがなくなり、新たに加わったのは「ブラック」と「ジェットブラック」。初期のiPhoneのような光沢のあるジェットブラックに魅力を感じ、ケースなしで持ちたい!と感じました。しかし、これもぬかよろこびとなってしまうかもしれません。
Appleの公式サイトを見ると、下の方に小さく以下のような注意書きが記されています。

「表面には酸化皮膜処理された他のApple製品と同等の硬度がありますが、使用とともに光沢に微細な摩耗が生じる場合があります。磨耗が気になる方は、iPhone用のケースを使って表面を保護することをおすすめします」

光沢の意味がないではないか、と指摘したくなります。

防水防塵機能。スマホ水没未経験の私にとってこの機能は特に魅力を感じるものではありませんが、防水機能こそ待ち望んだものだと高ぶる人もいるようです。

ちょっとしたサプライズとされたのが、「FeliCa」への対応。これに伴い日本でのApple Payを10月下旬よりサービス開始となり、Suicaも利用できます。
Apple Payでクレジットカードを設定することで、日本全国のお店で支払いに使うことができるようにもなります。(VISAに対応していないのが不思議ですが…)
いよいよiPhoneが”おサイフケータイ”になる!定期として使えると喜ぶ人がいるでしょうが、他の携帯電話、スマートフォンの中には既に搭載されているものであって、目新しい機能ではありません。
今回の「FeliCa」搭載に魅力を感じている人は、それが「iPhoneだから」という理由なのかもしれません。

今回の発表で株式市場に影響を与えるほどのインパクトがあったのが、イベント冒頭で「マリオの生みの親」、任天堂・宮本茂氏の登壇です。iOS向け新作ゲーム「スーパーマリオラン」が発表され、ネットでイベント中継を見守っていたファンが熱狂しました。
株式市場に影響を与えたというのは任天堂の話。「スーパーマリオラン」の発表を受け、一時4500円近く値上がり、「ポケモンGO」の熱狂以来の暴騰を見せました。
Appleではない会社が一番、イベントを見ている人を盛り上げたかもしれないというのはファンとしては寂しい話です。

昨年、出荷台数が前年割れしたiPhone。
Appleは成長という名の階段の踊り場にいると言われたりもしますが、踊り場の先にあるのは上へ向かう階段か、下りのそれか。あるいは、いるのは踊り場ではなく、どこか違う次元へ向かう長い回廊なのか。
防水機能を待ち望んだ人、FeliCa搭載に喜ぶ人、iPhoneでマリオがプレイできることに興奮する人…。
多くの人を取り込むべく、多くの魅力的機能を取り込んでいくiPhone。見た目がiPhoneなだけで、徐々に日本のガラケー、スマホぽくなりつつあるなぁと感じます。

私の周りではiPhoneを卒業したという人はいません。選択肢は他にないという理由から、半ば妄信的にiPhoneを使っているのは私も同じ。
新しいiPhoneが登場するたびに、最初は文句ばかり言うけど、選択肢がないから選ばざるを得ない。しかし使ってみると、自身の肉体、日常に思いのほか適合していく…。
ダーウィンが『種の起源』で指摘した「適者生存」が思い出されました。

スタッフ・坂本
(2016/9/8 UPDATE)
番組スタッフ
昨日の昼、NHK金沢放送局が報じた石川県の町立図書館による寄贈図書の廃棄問題。
この問題を今回取り上げたのは、この問題に対する図書館関係者の反応があまりにも面白かったからです。

穴水町立図書館が寄贈図書廃棄(「NHK NEWSWEB」2016/9/5)

この問題は、石川県の穴水町立図書館が地元の研究者から寄贈された1878冊の図書を誤って廃棄していたもの。
寄贈から廃棄に至る経緯は以下のとおり。

▼2005年、漆器や民俗学の研究者が2179冊の図書を寄贈。
▼2年後の2007年、能登半島地震で図書館が大きな被害を受けたため、全ての図書を役場の倉庫などに移動。
▼その後、新しく建てられた今の図書館に移設するまでに職員が2179冊のうち1878冊を「利用頻度が低い」との理由で寄贈者に相談せずに廃棄。
▼今年7月、図書の寄贈者が、自分が寄贈した図書が見当たらないことに気づき、廃棄が発覚。
▼廃棄された図書の中には日本民俗学会の会員しか購入できない会報や、亡くなった妻が所有していた「芥川龍之介全集」の初版本など今では入手が困難なものも含まれていた。
▼穴水町教育委員会が寄贈者に直接謝罪し、穴水町の広報誌にお詫びの文章を掲載。

お詫びが掲載された広報誌がこちら。

広報あなみず

19ページの真ん中辺りに「寄贈図書の誤廃棄についてのお詫び」という見出しがあり、以下のようなことが書かれています。
*****
今後、図書館の運営においては職員の再教育を徹底するとともに、図書館システムや台帳等による管理体制を整備し、利用者の皆様からの善意を損なわぬよう職員一同細心の注意を払って、町民から信頼され、町民の負託に応えられる「町の図書館」を目指していきたいと考えております。
*****

この問題に対する反応をTwitterで拾ってみると、図書館関係者以外の多くが「もったいない」「図書の価値が分かる司書はいなかったのか」と図書館を責める意見を書き込む一方、図書館関係者が図書館関係者にしか分からない内情を吐露していて、これがめっぽう面白いのです。

たとえば、図書館員のいぬふぐりさん(@inufuguri)は「新館以外の図書館は大抵書庫が飽和状態になっている。増えた蔵書の分を除籍せざるを得ない状況」と“図書館の苦しい書庫事情”を明かし、司書の小鼠@BL図書館さん(@syoujinkankyo)は「本の絶対的な価値(初版本とか)と、図書館の蔵書であることの価値って全然イコールではなくて、むしろ相反するようなことも多いんだけど(市場でどんなに貴重でもこの図書館にとっては無意味、みたいな)、これを行政のひととかに理解してもらうのは結構難しい、と感じる」と“寄贈する側とされる側の本に対する認識の違い”を指摘。

公共図書館員の新出さん(@dellganov)は“寄贈された図書の廃棄の同意を得ることの面倒さ”を吐露しているのですが、NHKの記事を読む限り、穴水町立図書館は図書の廃棄を図書館に一任することを受け入れの条件にしておらず、ここに問題の一因があることが見えてきます。
*****
公共図書館には大量に寄贈がよせられるため、寄贈を受け入れるかどうか、また寄贈した資料の除籍を含め図書館に一任していただくことを条件に寄贈を受け付けるところが多い。
除籍というのは図書館にとって日常業務であり、そのたびに寄贈者の同意を調達するのは非常なコストだからである。
*****

とはいえ、普段、図書館の内情を知る機会は皆無に等しい。
元図書館員で音楽ライターのオラシオさん(@poljazzwriter)は経験則から、「知らないこと」が寄贈する側の怒りにつながっていると分析しています。
*****
図書館で起こる「利用者の怒り」の原因のたいがいが「そういうこと、知らんかった。知ってたら怒らんかったのに」というパターンが多い、というのは私の経験上そうだった。
寄贈に関する図書館側の判断基準とかリスクについても、ほとんどの人が何も知らないというのが寄贈問題の一番の原因かもしれない
*****

ここであらためて広報誌のお詫びを読むと、「今後、職員の再教育を徹底するとともに、管理体制を整備する」とあります。
これでは図書館側の負担が増えるだけで、再発を防ぐのは困難なのではないでしょうか。
現実的な解決法は、「寄贈された図書を廃棄するかどうかの判断は図書館側がする」という条件を徹底し、その条件を世に知らしめることのように思います。

(スタッフH)
(2016/9/6 UPDATE)
番組スタッフ
9月5日(月)佐々木俊尚●テロ容疑者の写真報道自粛が投げかける問い
テロ事件が相次いでいるフランスで、容疑者の写真や名前の報道をやめるメディアが相次いでいます。この自粛の意義とは?


9月6日(火)速水健朗●「シン・ゴジラ」のヒットから考える製作委員会方式の功罪
大ヒットを記録している映画「シン・ゴジラ」。このヒットを受け、巻き起こっている“製作委員会方式の是非とは?


9月7日(水)ちきりん●アメリカで発生したネトウヨ「オルタナ右翼」とは何者か
アメリカ大統領選で注目される「オルタナ右翼」とは何者なのか?


9月8日(木)小田嶋隆●人事をAIが司る時代はやってくるか?
AIを利用した人事管理の開発が本格的にすすんでいます。人事をAIが司る可能性とは?
(2016/9/5 UPDATE)
番組スタッフ
2世俳優の性犯罪、不倫騒動が報じられた歌手のデート報道、絶えないいじめ自殺
事件、事故、スキャンダルにいちいち湧く日本。良い沸き方もあれば、悪いそれもありますが、これが日本の通常営業状態なのでしょうか。

日本を俄然沸かせる”良からぬ出来事”。それの中心人物は…
「自身のイメージを覆すようなことをした真面目とされる人間」
「調子に乗ってはしゃぎ過ぎたDQN」
この2つのパターンが最近、目立つように感じます。

日本俗語辞典によると、DQNとは「常識に欠けている人や企業」を意味します。常識に欠けている人とは主に「ヤンキーっぽい人」を意味し、そういった人を分類するだけでなく、侮蔑する意味合いでも使われます。

DQNが付く言葉として、無茶苦茶な当て字で読み方がわからない「DQNネーム」が思い浮かびますが、この言葉は我々の業界では禁句とされています。「DQNネーム」と聞いて、抱く印象はあまりよろしくありません。むしろ悪いと言えます。その代替として「キラキラネーム」という言葉が使われることは説明するまでもないでしょう。
「DQNネーム」と使ってしまうと傷つく子供、親がいるかもしれないということで使用が避けられるのですが、ネットスラングの要素が強いからか「DQN」という言葉自体がネットで散見されるのは珍しくありません。

「調子に乗ってはしゃぎ過ぎたDQN」はしばしばニュースに登場し、顔の見えない人々から多くの批判を受けます。
今日、 渋谷駅前のハチ公広場に設置された、愛称「青ガエル」で知られる旧東急5000系車両が落書きされたというニュースがありました。
東京のあちこちで同じような作風の落書きを目にするのですが、その良さを理解できないことから感じるダサさに自分の家でもないのに怒りがこみ上げてきます。
キャンバスにされた物の所有者はさぞ無念でしょう。
この種の落書きは「DQN」と容易に結びつけられます。

そして、世間を震撼させた埼玉県で16歳の少年を殺害したとして、少年5人が逮捕された事件。逮捕された少年はDQNだという反応もありました。

一部の人から多いに嫌われるDQN。
本来、DQNを対象としていなかっったのにDQNが食いついた瞬間、それの終わりが始まる。しかし、商売としては成功する。以前、ともに仕事をした広告代理店の人がこのようなことを言っていました。ここで言う終わりとは、「アーリーアダプター」「古参のファン」と呼ばれる人にとってのそれでしょうか。
確かに私は以前、ある漫画が好きだったのですが、DQNと言われる層に人気となった様子を察知し、急激にそれに注ぐ熱量が失せていったものです。

DQNとそうでない人。この日本にどちらが多いかはわかりません。
しかし、DQNが好きと言われるものを見てみると、ワンピース、ドン・キホーテ、エグザイル…その道でトップクラスの支持を得るものばかりです。
圧倒的市民権がありながらもなぜこうもDQNが嫌われなければならないのか。私もDQNという人間ではなく、彼らが好きなものが嫌いです。
DQNが嫌われるのは彼らが反知性主義の象徴だからでしょうか。反知性主義という言葉が注目されるようになったここ最近、反・反知性主義と呼べる流れは明らかに見受けられます。
(そんな反・反知性主義の神経を刺激するかのように、脳みそでははなく魂で感じろ!と主張するかのような若者の運動も起こりました)

では、DQNは何が嫌いなのでしょうか。「知性を感じるもの」と言ってしまうと、それはあまりにも乱暴です。

DQNという言葉でひと括りにされて、忌み嫌われる集団。反知性主義の象徴かのように思える彼らを嘲ることで、自身に知性があることを認識したいのでしょうか。DQNが得ることのできる幸せは、本来のそれではないと思うことで自身の幸せを認識したいのでしょうか。
もしそうだとしたら、侮蔑の意味もはらむDQNという言葉はあまりにも、乱暴で破壊的です。

今日たまたま、ドラえもんののび太に関する2ちゃんねるのまとめを見たのですが、そこでののび太評が的確だと称賛されていました。

【のび太ってどう見ても劣化スネ夫だよね
こすく生きたいのにその為に必要な知恵も財力も無いから悪い事あまりしてないってだけ
道具使えるときはスネ夫的本性をすぐ現す
「無気力なだけでたいして善良でもない人間がやり手をDQN呼ばわりする」図】

「無気力なだけでたいして善良でもない人間がやり手をDQN呼ばわりする」
これはのび太以外にも当てはまることでしょう。
いつだって誰かを批判するのは善良でもない人間であることは、ここ最近の事件、事故を見れば明らかなのですから。

スタッフ・坂本
(2016/9/1 UPDATE)

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