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番組スタッフ
5月28日(月)佐々木俊尚 ●日本型組織がかかる集団催眠

悪質タックル問題を受けて指摘される、日本型組織がかかる集団催眠とは?

5月29日(火)速水健朗 ●テレビで重視される“ストレス回避”がもたらすこと

視聴者がストレスを感じる映像を回避する姿勢は何をもたらすのか、考えます。

5月30日(水)ちきりん ●「培養肉」は「食糧安全保障」の切り札となりうるか

食料安全保障を担う、培養肉の現実味とは?

5月31日(木)小田嶋隆 ●新たな女性蔑視主義者「インセル」の脅威

新たな女性蔑視主義者「インセル」がもたらす脅威とは?

(2018/5/28 UPDATE)
番組スタッフ
最近、スマホのニュースアプリを開くと記者会見ライブ配信中と表示されていることが多くなりました。
そのつもりはなかったのに、件の日大生が開いた記者会見を受けて日本大学側が開くということで、ついつい見てしまいました。

当初は「学生が不憫で…」という感情を持ってスマホの画面を眺めておりました。”勧善懲悪”もののドラマを視聴するときに抱くそれと似ているななどと思っているうちに、何だかグダグダというか、誰が何について、何を話しているのかわからなくなってきてしまい、見るのをやめました。

見ていた人なら誰もが思ったでしょうが、案の定、一夜明けた今日、ネットを見て見ると監督と大学への批判、さらには記者会見自体のグダグダ感への不満が散見されました。

繰り返しになりますが、ネットで記者会見はライブ配信されるようになり、もはやそれはテレビや新聞等の特権ではありません。注目される記者会見はヤフーニュースのトップに常に乗っていますし、どこかのニュースサイトを見れば必ずライブがあります。

ライブ配信されるということは、ログが残ってしまうということです。
一生、その記者会見がネット上に記録されてしまう、と言っても過言ではないでしょう。
そして、ログが残ってしまうということはツッコミをいれられる=粗探しをされるということです。

記者会見でヘマをやらかすと一生語り継がれ、幅広くネタにされるという前例がいくつもある通り、記者会見に臨む人はできるだけ波風立たぬように穏便に謝罪なり、釈明なりをしなければなりません。
記者会見を世間が納得するように処理する、対応するのは至難の技のようです。

粗探しされるとわかっていて臨む記者会見ですから、それなりに準備が必要です。質問する側もされる側も。
今回の日本大学の記者会見を見ていると、質問を受ける大学側、質問をする記者、さらには会見を仕切っていた大学関係者も自分が言いたいことだけを言う場になっていたように感じます。

ネットでライブ配信される記者会見は粗探しされると書きましたが、それは謝罪、釈明する側だけでなく、矛先は質問する側にも向けられています。
事実、連日の記者会見を受けて、的外れな質問をした記者は名指しで批判されてしまっています。

グダグダの記者会見を見ていると、「こんな会議あるな」と思わずには入られません。
ゴールを決めず、何らかのアウトプットを必ず出すと意思統一を図っていないまま始まってしまったが最後、時間を消耗するだけの不毛な会議。
ワイドショーの記者たちにとっては会見で真実が語られなくても別に構わないのでしょう。
謝罪に臨む「想定悪人」が記者たちの質問にたじろぎ、言い淀み、沈黙しても、それはそれで都合よく編集できるからです。

昨日の記者会見に限らず、記者が同じ質問をし、会見を仕切る人や見ている人を苛立たせることは珍しくありません。
私の知人が昨日の記者会見の場にいたそうですが、ワイドショーの記者(リポーター)たちが同じ質問をするのは、編集して番組で放送する際、記者の質問から使うと臨場感や独自感が出るためなのだとか。
同じであろうが、「番組が質問した結果の答え」という武勲が欲しいのだそうです。

記者会見に臨む人が感情的になれば、あるいは沈黙すれば記者は満足でしょう。番組スタッフ内のうけも良いかもしれません、しかし、見ている側、ログを取っている側はそうはいきません。
記者の的を射ていない質問もきちんと記録しています。

世間は法や規範ではなく、感情や空気に動かされます。
世間というものがすでに「空気」や「感情」で形成されているようなものなのでそれは仕方がないのでしょうが。

記者会見のライブ配信というもの自体が、見ている人の何らかの感情を刺激し、「シェア数」「いいね」を稼ぐためのシステムと化しているような気がします。

粗探し、間違い、嘘、不誠実さを見つけた人はそれなりに共感を得て、もしかしたら英雄視されるということもあり得ます。
ささやき女将、号泣市議・・・
悪い意味で語り継がれるような記者会見にならないためには、必要なのは謙虚さや誠実さ、機知といったところでしょうか。

スタッフ坂本
(2018/5/24 UPDATE)
番組スタッフ
登山家の栗城史多さんがきのう(21日)、エベレストの登山中に亡くなりました。
死の詳細は明らかになっていませんが、体調不良で下山中だったといいます。

登山家・栗城史多さん死去 8度目のエベレスト挑戦中(「朝日新聞デジタル」2018/5/21)

栗城さんは大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰などに登頂し、2009年からは「冒険の共有」として登山のインターネット生中継を開始。
2009年からエベレストに7回挑戦していますが、登頂には至らず、今回が8回目の挑戦。
2012年には、指を露出した手袋を使ってまでスマートフォンの使用にこだわったことなどから重度の凍傷となり、両手9本の指を失ったことが話題となりました。

栗城さんが挑戦していたエベレスト登山は、難易度が高いという「単独無酸素」。
エベレストのような高所は、8000mを越えると人間が生存できないほど空気中の酸素濃度が低くなるのですが、そのような状況下で酸素ボンベを使わず、しかも単独で登頂を目指していたのだといいます。
しかも、登頂を目指していたルートも難易度が高いもの。

映画監督・映像ディレクターの藤岡利充さんによると、栗城さんは「"否定という壁への挑戦"と銘打ち、山頂に登る様子を中継して"冒険の共有"を行い、人々が諦めた"自分の山(夢・目標)"に挑戦することを真の頂としていた」ようです。

エベレスト8度目の挑戦 登山家・栗城史多の試練(「ヤフーニュース個人」2018/4/17)

こうした栗城さんの“挑戦”に対し、専門家からは「無謀な挑戦を繰り返しているだけ」などと批判の声もあがっていました。
その一人が、去年、自身のブログで2度にわたって栗城さんの挑戦に疑問を投げかけていた登山ライターの森山憲一さん。

栗城史多という不思議(「森山編集所」2017/6/2)
栗城史多という不思議2(「森山編集所」2017/6/9)

森山さんは栗城さんの訃報が伝えられた後、ノンフィクションライター・石戸諭さんの取材に対し、ブログでも言及していた「無謀な挑戦」である理由を語っています。
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まず西稜や北壁というルートもものすごく難しく、栗城さんのレベルで登頂できることはほぼ100%ないと断言できるものでした。
専門家ほど挑戦に対して無理と断言することは躊躇しますが、明らかに無理です。例えるなら大学野球の選手が、メジャーリーグの本塁打記録を更新するようなものでした。
南西壁に関していえば、エベレストでも一番難しいルートで、日本人で『単独・無酸素』で南西壁から登頂できる登山家はいません。世界を見渡しても1人、2人いるかどうかというルートです。
彼らですら、やってみないと成功するかどうかはわからない。栗城さんのレベルで、山頂に達することはありえないことです。
<「ハフポスト」2018/5/22>
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批判がある一方で、栗城さんの“挑戦”を多くの人が支持していました。
たとえば、57歳の時に初めてエベレスト登頂に成功した登山家の大蔵喜福さん。大蔵さんは栗城さんを「人生の芸術家」と表現し、生きざまを称賛しています。
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8回目のエベレスト挑戦を揶揄する人もいますが、物事の本質は彼を批判することではなく、『どう理解するか』だと考えています。
私が理解する彼の面白さは、彼が『ただの登山家ではない』ところにあります。
(略)
やりたいことを突き詰めるという行為は、人間にしかできない。彼がそれを突き詰めた結果が「たまたま山だった」という理解です。
言うなれば、彼は『人生の芸術家』。山という壮大なキャンパスに、山登りを通じて、自分の思いを描こうとしているだけ。その結果が曲がりくねっていようが、下を向いていようが、そんなことはどうでもいい事なんです。
<「AbemaTIMES」2018/5/18>
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私は、栗城さんのことは名前と指を9本失ったことを把握している程度で、これまでに背景やネットでの評判を調べたことがありませんでした。また、登山にも詳しくありません。

訃報を受けて初めて調べ始めたぐらい無知だったわけですが、調べれば調べるほど、栗城さんのことが嫌いになっていきました。
私は、物事に何らかの意味を求めてしまう性質があり、栗木さんが繰り返していた「成功する可能性が限りなく低い挑戦」に意味を見い出せなかったのです。

また、栗城さんの死を「挑戦を貫いた末の死」と美談に仕立て上げることにも違和感があります。

一方で、亡くなった人を責める気にはなれず、「栗城さんの死」によって嫌悪と同情が同居する複雑な感情が湧き上がりました。

これは、そんなときたまたま目にした、ブログに書かれていた「栗城さんの死」に対する感想。
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もし、メディアと後援者、あるいは純粋なファンによってひくにひけないなくなっての事故だとしたら悲惨だ。一点の曇りもない登山家がアタックに失敗して死ぬよりも悲劇だろう。いや、それよりも自分自身に対してひけなくなって判断を失っていたとしたら? あるいは判断の上で死に場所を求めていたとしたら?
やはりそこには冒険家の悲哀がある。おれのなかには、「実際に死んだやつはえらいんだ」という妙な価値観があって、どうにも悲しいところがある。
<「関内関外日記」2018/5/22>
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「死んだやつはえらい」には同意しかねますが、「どうにも悲しいところがある」には思わず頷いてしまいました。

(スタッフH)
(2018/5/22 UPDATE)
番組スタッフ
5月21日(月)佐々木俊尚●なぜ彼女たちは「ゾゾる」のか
今、若い女性がスマホを手にしてやっているのが「ゾゾる」という行為。「ゾゾる」とは何なのか?彼女たちが「ゾゾる」理由とは?


5月22日(火)古谷経衡●目的は分断だった、ロシアによるFACEBOOK広告とその効果
5月10日、アメリカの下院情報委員会で、民主党は前回の大統領選期間にロシアが絡んだとされるFACEBOOKの広告の内容とその効果を発表。ロシアによるネット介入の目的は?


5月23日(水)飯田泰之●「カリフォルニアがアメリカから独立!? “キャレグジット”実現の可能性」
人口4000万人、GDPは世界5位の国に相当する生産力を持つカリフォルニア州。トランプ大統領誕生以降は、独立を画策する動きが強まっているといいます。その実態とは?


5月24日(木)小田嶋隆●機械が人間のように話す。Google Duplexがもたらす社会的インパクト
Google Duplexがもたらす社会的インパクトとは?
(2018/5/21 UPDATE)
番組スタッフ
百貨店に足を運ぶと、どうやらお中元商戦が始まった様子。
6月から本格化するようですが、我が家はお中元はスルーしています。
我が家だけでなく、同年代の友人・知人も個人間ではやっていないようですが、会社レベルのやりとり、あるいは年配者の間では当たり前の慣習なのでしょうか。

我が家に限ってですが、5月は誰かに何を贈るイベントが目白押しです。近しい親族3人の誕生日、そして母の日。
6月になると、また親族の誕生日があり、父の日がやってきます。
そんな我が家ですから、お中元のことに思考をさく体力がないのです。

思えば、毎月、一年中、誰かへのプレゼントについて考える時間があるような気がします。
贈り物は貰うと嬉しいですし、何を贈るか考えるのも楽しいもの。しかし、そのような感情に至るには贈る本人がある程度、能動的でなければなりません。
文化なのか。理なのか。日本には贈り物を半ば強制する、=消費を促す慣習が多すぎて、辟易してしまいます。

お中元やお歳暮には添えられる「慣習」「伝統」という言葉に同調圧力のようなものを感じますし、消費が絡む全ての慣習や伝統にきっと仕掛け人がおり、一番の目的は消費を促すことにあるのでしょう。

感謝と消費をセットにしたイベントは実に多く存在します、
感謝することを教える、心がけることは良いことだと思います。しかし、感謝をまとった「伝統」や「慣習」は強制や圧力となりかねません。
”相手への感謝を表す”と銘打たれてしまうと、それに背くとまるで悪人かのように捉えられるのではないか、と不安になったりもします。

例えば私が母の日、父の日には何も贈り物をせず、メールで「ありがとう」と伝えるだけだとすると、体裁としてはあまりよろしくないでしょう。きちんと、贈り物もし、手紙も添える。ここまでが「きちんと感謝できる人」と見られるためのワンセットなのでしょうか。
イベントなんかなくたって、私は両親、義両親に感謝していますし、その旨をきちんと伝えられていると思っています。


母の日といえば、こんなこともありました。

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母の日(2018年5月13日)の翌日14日、花屋さん数軒とスーパーの花売り場を見て廻ると、カーネーションがたくさん売れ残っていた。ある花屋では30%引きになっていたが、それでも売れている気配はなかった。
【食品ロスだけではない、母の日の「花ロス」 子ども食堂へ寄付する事例も(井出留美) - Yahoo!ニュース】
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廃棄されたであろうカーネンションのみならず、安易にイベントに乗っかって消費を促そうとしてしまったがために、生産者への感謝が無視されるという事例は枚挙にいとまがありません。

人間が積極的に表現できると良いとされる「感情」。この感謝ほど、巧みに利用される感情はないのではないでしょうか。
時として消費者心理を刺激し、時としてブラック企業の社訓に掲げられ、労働者を洗脳する…

最近では小学校で2分の1成人式として、10歳のときに自身の生い立ちや家族への感謝を述べるという行事があるそうですが、これも色々な側面で批判の的となりますが、「感謝」ということにおいてはもっとシンプルに教えられるのではないだろうかと思っています。
我が子にはできるだけ店員さんに聞こえるようにありがとうと言いなさい、と諭していますが、行き過ぎると感謝することの押し付けになりかねません。

絵文字やスタンプ1つで、感謝の気持ちが表せる時代です。
お金をかけた贈り物であろうが、気持ちだけであろうが、イベントに乗っからずに自分が思い立った時に感謝を伝え られるのが一番良いと思います。

スタッフ坂本
(2018/5/17 UPDATE)
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