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TOKYO FM

MUSIC WORLD MAP 〜USA For Africa〜

ON AIR REPORT / 2021.09.08 update
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音楽で世界を知る/歴史を知る企画 、最終日の『MUSIC WORLD MAP』
Vol.14 USA For Africa「We Are The World」 (1985)

1985年、飢餓に苦しむアフリカを救おうという目的の下、40名以上のアーティストが集結して、誕生したのが「We Are The World」。
マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共同で作詞、作曲を行い、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎え、レコーディングされた事で知られますが、この曲が誕生するきっかけになったのは、実は、ハリー・ベラフォンテというアーティストなんです。

ハリー・ベラフォンテは、人種差別や戦争に対する抗議の念を込めた楽曲を歌うのは、もちろん、公民権運動、ベトナム戦争反核運動にも積極的に携わってきた人物。ジャマイカ人の労働歌の1つ『バナナ・ボート』を歌ったことでも知られています。そんなハリー・ベラフォンテは、アフリカのエチオピアの飢餓を救済するためにイギリスで、結成されたバンド・エイドが、1984年に発表したチャリティーソング「Do They Know It's Christmas」に触発され、「アメリカでも、何かアフリカに対して、活動をせねば!」という思いから「We Are The World」の作るために動き始めました。

まず、彼が始めた事は、ケニー・ロジャースとライオネル・リッチーのマネージャーだったケン・クレイガンという人物に連絡をする事でした。ケン・クレイガンは、ハリー・ベラフォンテの話を聞き、すぐライオネル・リッチーに連絡を取りました。ライオネル・リッチーもアフリカの飢餓救済のために行動を起こそうとしていた一人だったので、ライオネル・リッチーも、即行動に移し、レコーディング・プロデューサーのクインシー・ジョーンズに連絡を取りました。さらに、クインシー・ジョーンズがマイケル・ジャクソンに連絡を取ったことから、この曲を作り上げる3人が揃ったんです。

その後、この3人を集めたケン・クレイガンの活躍により、1985年1月28日、ボブ・ディラン、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、シンディー・ローパー、ブルース・スプリングティーンといったアメリカを代表するアーティスト40組以上が、このレコーディングに参加することになりました。

僕らこそが一つの世界 僕らこそがその子供。僕らこそがもっと明るい日にできる人たち。だから与えることを始めよう。君と僕とで。僕らは選択できるから。僕ら自身の命を救うんだ。本当だよ、、もっと良い日にできるでしょ。

アメリカがアフリカのためにやることと思いますが、違うんですよ。アーティストがアフリカのためにユナイトするよという意味。「We Are The World」という、みんなをハグするようなタイトルの歌。「TheyではなくWe。分け隔てなく『みんな』で一つのことに取り組む歌。これは人ごとじゃない。自分達の問題として取り組む.それが一番大事。」ハリー・ベラフォンテは、こんな言葉を残しています。


最終的にはアメリカだけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付されました。プロデューサーのクインシー・ジョーンズは、「私は音楽の力を信じている。その例として“We Are the World”以上のものはないかもしれなし。だからこそ、それが世界中で共鳴し今でもそうなんだ。」そんなメッセージを残しています。

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(*1週間聴取可能です)

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