

2015年1月18日、王貞治に憧れ、その1本足打法で、本塁打・打点の二冠王に輝いた、大豊泰昭がこの世を去った。
51歳。その早すぎる旅立ちに、多くの野球関係者や、ファンが悲嘆に暮れた。
台湾に生まれ、ものごころがついた頃には、王貞治に憧れていた大豊。
15歳の時には、小遣いを使い果たして購入した、756号ホームランの世界記録を称えた一冊を、ページがすり切れるほど熟読した。
日本でプレーすることを望み、20歳で来日。球団職員を経て、1988年に日本人扱いとして中日ドラゴンズに入団。
1年目から14本のホームランを記録し、早くもチームの主力となった大豊だったが、それでも歩みを止めることはなかった。
1992年の秋季キャンプ。
当時日本で唯一の3000本安打を達成した張本勲から、天性のパワーを爆発させるには一本足打法しかないと助言を受け、本格的なフォーム改造に着手した。
そして、変革をさらに後押ししたのが、尊敬してやまない王の言葉だった。
「一本足で立っていることが、普通にならなければならない。」
大豊の努力は、球団スタッフや選手たちも驚くほど、徹底していた。
駅のホームで、新幹線が到着するまで一本足で待ち続け、宿泊先の大浴場では、鏡の前でフォームを整えた。
トイレの中でも、左足のみで用をたすことも珍しくなかった。
そんな大豊の情熱が結実したのが、1994年だった。
38ホームラン、107打点で二冠王に輝き、巨人との優勝を賭けた、「10.8決戦」では4番を務めた。
球界を代表するホームランバッターへと上り詰めたのだ。
努力と情熱で通算277ホームランを記録。
大豊の前で、泣き言を言える選手は皆無だった。
チームメートとして、同じ時代を駆け抜けた山��武司は、大豊をこう賞賛する。
「天才とは、大豊泰昭である」
美しい一本足打法から放たれる見事な放物線。
ファンは、大豊のホームランを頭の中で鮮明に再現し、天国にこうささやく。
大豊は、本当に、いいバッターだった。