Legend Story
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15.03.07
「山本」

2014年秋。
まだ、あどけない面持ちの18歳の少年が、大相撲九州場所の新弟子検査に合格した。
彼のしこ名は「山本」。たった7人の合格者の中で、180センチ、171キロと、ひときわ恵まれた体格を持つ彼は、マスコミに囲まれ、「目標だった力士になれたこと」に、胸を踊らせた。

彼が注目を集めたのは、まだ小学生の頃。
横綱「貴乃花」をはじめ、数々の力士を輩出した「わんぱく相撲」でのことだった。
山本は小学4年生から6年生まで、3年連続優勝という輝かしい成績を残した。
当時すでに体重130キロを超えていた山本は、当然のようにマスコミから注目を集める。
周囲からも「将来、角界を背負う大横綱になる」と期待されていた。

長野県長野市で生まれた山本は、小学一年生の時に相撲と出会い、4年生になると頭角を現す。
その影には、相撲の盛んな木曽郡木曽町にある名門道場まで、週に二回、車で送り迎えしてくれた母の支えがあった。
中学に入ってからも、常に全国トップクラスで闘い続けた。

順風満帆に見える彼の相撲人生だが、強豪校である埼玉栄高校に、鳴り物入りで進学して間もなく、試練が訪れる。右膝を痛めたのだ。
更に悲劇は続く。その年の冬、選手生命を脅かす危機が彼に襲いかかった。
右膝前十字靱帯断裂(みぎひざぜんじゅうじじんたいだんれつ)。
15歳という、人としても力士としても成長する、大切な時期の大怪我。
山本は折れそうな気持ちと必死に戦った。

その時、山本を励ましたのは、埼玉栄相撲部監督、山田道紀(やまだみちのり)の言葉だった。
「小学生の時に運を使ったから、今は運をためる時。いつか運を使える時が来る」。
山本はこの言葉を胸に刻み、約一年間のリハビリに没頭した。
高校生ながら、新弟子検査にチャレンジすると、前相撲の結果、序の口昇進が決定した。

現在山本は、平日に高校に通いながら、週末を玉ノ井部屋で稽古する生活を送っている。
中学時代までは、相手力士と組み合う“四つ相撲”を得意としていたが、怪我以降は、膝への負担が少ない“押し相撲”の稽古に励んでいる。

「将来は、親方のような徹底した押し相撲を極めたい」と話す山本。
理想に掲げた玉ノ井親方、「栃東」が、徹底的な押し相撲で、2006年初場所で賜杯(しはい)を抱いて以来、日本出身力士の優勝はない。
外国人力士が台頭する相撲界の新たな星となり、相撲ファンの夢となれるか。
山本の押し相撲に、期待が募る。