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22.02.26
「挑戦者」の気持ちで、全力で臨む
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今週の「Athlete News」は、北京パラリンピック・アルペンスキー日本代表の村岡桃佳選手をゲストにお迎えしました。

村岡桃佳(むらおか・ももか)選手は、1997年生まれ、埼玉県のご出身。
4歳の時、横断性脊髄炎を発症し、車いす生活となります。
中学2年生の頃から本格的に競技スキーを始め、2018年、平昌パラリンピックでは、大回転の金メダルを含め、出場全5種目で5個のメダルを獲得。
2021年、夏の東京パラリンピックでは、陸上女子100メートル、車いすのクラスで6位入賞を果たされました。
北京パラリンピックでは、2大会連続の金メダルを目指します!

今回はリモートでお話を伺っていきました。



──北京パラリンピックを来月に控えて、今、どんなお気持ちですか?

本当に、この4年間があっという間だったなと感じています。私にとっては本当にこの4年間は怒涛の日々だったので、スキーの方にかけられた時間というのはすごく少なくはなってしまったんですけれども、ただ私にとってはすごく貴重で、また色々なことを感じることができて、成長できた4年間だったかなと思います。

──やはり村岡選手といえば、驚いたのが、パラ陸上への挑戦。そして東京パラリンピックで6位入賞。これは、どのようなお気持ちでパラ陸上をやってみようと思われたんですか?

私のパラスポーツへの入口というのが、実は元々は陸上競技だったんです。小学校2年生の時に初めて車いすスポーツというものを体験したんですけど、そこで初めてやったのが車いす陸上だったんですね。そこからずっと、週に1回とか2回程度でしたけど、継続的に練習をして続けていたのが陸上競技で、本当に趣味の延長みたいな形でやっていたんです。
でも、アルペンスキーを始めてからは、スキー自体が冬のスポーツなので、冬になると「今しかできない」という特別感がすごくありましたし、雪上に上がったらすごく楽しいし、また、私は埼玉県生まれ・埼玉県育ちで身近に雪というものがなくて、すごく私にとっては(スキーは)特別で、“非日常感”みたいなものがあったんです。それで年々、そのスキーの楽しさにどんどんハマって行く回数も増えていって…という中で、自然とスキーの方にシフトして、陸上競技からはちょっと離れてしまったっていうのがあったので、正直、陸上競技に対しての心残りみたいなものがあったんですね。
ただ、ソチ・パラリンピックに初めてスキーで出場して、その4年後、「平昌(パラリンピック)で絶対にメダルを獲る」ということが私にとっての一番の目標で夢だったので、そこに向かって駆け抜けていたんですけど、平昌が終わった時に、“次はどうしよう、何を目標にしよう”って考えた時にふと浮かんできたのが、陸上競技への本格的な再挑戦だったんです。
ただただ、私がもう1回、陸上競技をやりたかっただけですね(笑)。

──そして、見事6位入賞。自分を褒めてあげたいんじゃないですか?

そうですね。「東京パラリンピックに出場したい」という目標ができて、そこから東京オリンピック・パラリンピックの1年の延期があったことで、自分の中では“陸上競技においては1年間の準備期間が増えた”という風に捉えていたので、元々の「東京パラリンピックに出場する」という目標から「東京パラリンピックで決勝に進出する」というところまで目標を引き上げたんですね。その結果、ギリギリのラインでしたけど、決勝に進むことができた。
ただ、予選では自分の思っていたようなレースが全然できなくて、めちゃくちゃ悔しかったんですよ。パラリンピックの緊張感だったり、また目の前で世界のレベルの高さというものを改めて目の当たりにした時に、ものすごく怖くなってしまって、予選では自分の思っていたような走りができなかったのがすごく悔しくて。予選ではギリギリの8位での通過だったので、“決勝では絶対にビリでゴールしてなるものか”という(笑)私の意地で走った決勝で、自分のその時持っていた力は全て発揮できたレースだったのかなと思っています。
結果として、自分の中で掲げていた目標を達成できたことも嬉しかったですし、また、走り終わった時に、満足感だったり多幸感みたいなものが溢れていたのは嬉しかったですね。

──パラ陸上のトレーニングをしたことで、アルペンスキーに返ってきた部分というのもあったんじゃないですか?

かなりありましたね。陸上競技を始めてから約2年半の間は本当に陸上に注力していたので、丸々1年半とかの期間、雪上に上がっていなかったんです。スキーを始めてからこんなに雪に触れていなかった、雪の上にいなかった時期はなかったので、やっぱり改めて雪上に立つ時はすごく不安でしたし、“大丈夫かな、滑れるかな”という気持ちの中で戻ったんですけど、ただやっぱり、これだけ積み重ねてきていたので、自分が思っていた以上にスキーの感覚は自分の中に残っていましたし、また、陸上の方から還元された、体を鍛えたことによる安定感や強さ、気持ちのモチベーションや精神的な強さみたいなものも(以前とは)変わったなと思っていて。スキーに対しての向き合い方も自分の中で変化したなと感じたので、4年間のうちの約2年半を陸上の方に費やしましたけど、でもその期間は無駄じゃなかったんだなと思えたので、すごく自分にとっては良い期間でした。

──今回は女王として臨む北京大会。過去のパラリンピックとはモチベーションが違ったりしますか?

あまり変わらないですけど、ただ、前回とは違う意味でのプレシャーがやっぱりすごくありますね。

──やっぱり注目度も違いますものね。

そうですね。前回の平昌で5種目全てでメダルを獲得したというのは、やっぱり自分にとってはプレッシャーだったりもします。また、平昌から北京までの4年間、私は陸上競技に取り組んでいて、スキーに十分に時間をかけられなかったので、“大丈夫かな”という不安も、もちろんあります。ただ、前回の北京大会で金メダルを獲れたのは大回転という1種目だけで、他は銀メダル・銅メダルと、いわば“負け”と一緒なので、私の中では「挑戦者である」という気持ちは一切変わらず、大会に臨むつもりでいます。

──アグレッシブに挑戦者の気持ちで臨んだ方が、結果は後から付いてくるものですよね。

そうだと嬉しいんですけど(笑)。でもやっぱり、不安は大きいですね。スキーに費やせた時間は、他の選手たちに比べるとどうしても劣ってしまうというか、少なくなってしまっている部分なので、“大丈夫かな”という不安はどうしても拭いきれはしないんですけど、ただ、全力で挑戦をするのみです。

──さて、この番組ではゲストの方にcheer up songを伺っています。村岡桃佳選手の心の支えになっている曲を教えてください。

嵐の「ファイトソング」です。この曲は、歌詞の言葉が直球なんですよね。すごく落ち込んでいたり、“辛いな”という時に聴くと、“頑張ろう”って思えたり、“そんなに頑張りすぎなくてもいいんだな”とか“ありのままの自分でいいんだな”と自分を肯定してくれるような気がしますし、“自分らしく頑張ろう”と思える曲なので、ちょっと落ち込んだ時とか、また逆に“やる気になりたい”とか“元気を出したいな”という時によく聴いています。

──改めて、チェアスキーの魅力を教えてください。

まずは、見た目のメカニック感。“こんな物に乗って、歩けない人が滑るの? しかもこんなスピードで?”という、スピード感だったり迫力というのが、チェアスキーの一番の魅力かなと思います。


今週のゲスト、村岡桃佳選手のサイン入り色紙を1名様にプレゼントします!
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