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22.03.12
プロ野球開幕直前インタビュー!
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今週の「Athlete News」は、プロ野球開幕直前インタビュー! 今シーズン注目の2人の選手がリモートで出演してくださいました。

まずは、去年のセ・リーグの新人王で、東京オリンピック金メダリスト、広島カープの栗林良吏(くりばやし・りょうじ)投手です。

栗林良吏投手は、1996年、愛知県生まれ。
名城大学を卒業後、トヨタ自動車に入りし、最速153キロのストレートと、多彩な変化球を武器に活躍。
去年、ドラフト1位で広島カープに入団すると、ルーキーイヤーから守護神としてフル回転。
新人最多タイ記録の37セーブを挙げ、新人王に輝きました。
また、東京オリンピックの野球日本代表・侍ジャパンの抑えの切り札に抜擢され、5試合すべてに登板し、2勝3セーブ、チームの金メダルに大きく貢献されました。


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──ルーキーイヤーの去年、本当に充実の、素晴らしいシーズンだったんじゃないですか? 初登板から22試合連続無失点の新人記録。そして新人最多記録に並ぶ37セーブを挙げて、防御率は何と0.86! なかなか1点は切らないですよね。

そうですね。自分で言うのもちょっと変ですけれども。まあ、「一生出ない」とはよく言われます。この(防御率)0点台と、去年はセーブシチュエーションも失敗しなかったんですけど、「この2つは、多分、これからの野球人生でもなかなかクリアできることはないと思うよ」と言われました。

──その言葉を覆しましょう!

そうですね(笑)。

──そして新人王にも輝きましたけれども、広島では先輩の森下暢仁投手に続いて、2年連続の新人王。これは目標にしていたと思いますけれども、やはりタイトルを獲って、どうですか?

一番最後に獲りたかったタイトルが獲れたということはすごく良かったですし、目標が達成できたというのも良かったなと思っています。

──新人王争い、すごく激しいレースでしたよね。DeNAの牧選手がこれまた1年目で、素晴らしい数字を残しましたよね。

そうですね。最後の方は牧選手がすごくて。前半は逆に佐藤輝明選手(阪神)が独走状態だったので、自分はずっとその後ろに隠れながら1年間戦えたので、良かったのかなと思います。

──いざ蓋を開けてみたら圧勝でしたよね。2/3近くの票を集めましたからね。
そしてパ・リーグの新人王を獲った宮城投手(オリックス)、さらにはヤクルトの奥川投手、そしてロッテの佐々木朗希投手など、新人王の資格を持っていた1年目・2年目の選手の活躍が目覚ましいシーズンだった気がするんですが、そういう選手たちの活躍というのは、意識と言うか刺激になったりしましたか?


そうですね。奥川投手は高卒2年目で僕より4つ、5つぐらい年下なので、そういう意味ではあまりライバル視はしていなかったんですけど、阪神の伊藤投手と中野選手は同級生なので、その2人はライバル視しながら、“彼らは結果を出しているから、自分も頑張ろう”と思いながらプレーしていました。

──やっぱり同学年、同い年の人はつい意識してしまう?

そうですね。できれば負けたくないなと思っています。

──1年目のシーズンにいきなりクローザーという大役を任されて。その話を聞いた時にどう思いましたか?

“僕でいいのかな?”という気持ちが一番でしたし、もっと他にも良いピッチャーがいる中で自分を選んでいただいたので、そういう意味ではプレッシャーと重圧と責任というものをすごく感じました。

──先発とクローザーでは、どちらをやりたいとかありましたか?

入団した当時は本当にどちらでも良いと思っていて、“与えられた場所で仕事をしたい”と思っていたんですけど、今は1回は先発もやってみたいなという気持ちはあります。
でも、リリーフでも結果を出せたので、今はリリーフでやりたいと思っています。

──クローザーは、僅差でリードしている9回に出て行かなきゃいけない。これはけっこう痺れるんじゃないですか?

そうですね。シーズンの序盤はそれほど(クローザーの)大事さというものをわかっていなかったので、“とりあえず抑えるぞ!”という気持ちだったんですけど、シーズンの終盤は、「チームがクライマックスに行けるか、行けないか」というところまで来ていて、“自分が打たれて負けてしまったら最悪だ”と思いながら1日1日過ごしていたので、正直、しんどかったです。

──「対戦してみたいバッター」として福留選手(中日ドラゴンズ)の名前を挙げられてましたけれども、いろんな素晴らしいバッターと対戦して、“このバッターはやっぱりすごいな”と感じた方はいらっしゃいますか?

柳田選手(ソフトバンク)は、対戦した時にちょっと雰囲気を感じて、オーラに負けてしまった感じはあります。福留選手は、もちろん自分がファンだったので、違う感情がこみ上げてきてしまって。
そのお二方はすごく自分の中で印象に残っています。

──そして去年といえば、ビックイベント・東京オリンピックがありましたよね。ここでクローザーとして活躍し、金メダルに貢献されたわけですけれども、日の丸を付けて、そしてオリンピックという特別な舞台で戦ってみて、どうでしたか?

やっぱり重圧が違ったなということと、あとは、“ファンの方々の大切さ”というものがすごくわかりました。
オリンピックは世界が注目する大会で、1試合勝つごとにたくさんの方から連絡をいただきましたし、“やっぱり日本代表としてやっている試合なんだな”とすごく重みを感じながらマウンドに上がっていました。
あと、オリンピックは無観客だったので、本当に独特の雰囲気の中で試合をしていたんですけど、やっぱりファンの方々がいた方が緊張感もありますし、“頑張ろう”という気持ちにもなるので、そういう意味ではファンの方の有り難さというものをすごく実感したオリンピックだったなと思います。

──予選が終わった後の、決勝トーナメント。トーナメント戦は、負けは許されない。実力的に勝てるかもしれないけれども、この一試合(は落とせない)と思うと、そういう緊張感の中でクローザーとして9回にマウンドに立つというのは、かなりプレッシャーだと思ったんですけれども。

そうですね。本当に、良いピッチャーがたくさんいる中で自分が任されたポジションだったので。
でも、「自分が3つのアウトを取って試合を終了させる」というよりは、“1人でも多くのバッターをアウトにして、1アウトでも取って次のピッチャーに回したい”という気持ちで戦ったことが、この結果に繋がったのかなと思います。

──ルーキーイヤーから輝かしい活躍を見せましたけれども、今シーズンにかける思い、目標を聞かせてください。

昨年、自分たちは4位という悔しい結果だったので、やっぱりチームとして「リーグ優勝」と「日本一」というのは獲りたいなと思います。
昨年、ヤクルトとオリックスが笑顔でシーズンを終えているのを見て“羨ましいな”とすごく思ったので、まずリーグ優勝と日本一が達成できるようにしたいのと、その中で、個人では、守護神を任せていただけるなら、セーブシチュエーションで失敗しないこと、あとはセーブ王なども獲れたらいいなと思います。

──今シーズンも応援しています!

ありがとうございます!


続いては、東京オリンピック金メダリストで、パ・リーグ覇者にして首位打者に輝いたオリックスバファローズ・吉田正尚選手です。

吉田正尚選手は、1993年生まれ、福井県出身。
強豪、福井県の敦賀気比高校を経て青山学院大学へ進学。
2015年のドラフト会議で1位指名されオリックスバファローズ入り。
173センチ、85キロと小柄ながら、力強いスイングで、左打席から豪快な一打を放つ和製大砲として活躍。
去年は東京2020オリンピックで金メダルを獲得。
シーズンでは打率3割3分9厘で2年連続のリーグ首位打者に輝き、チームの25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献されました。


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──昨シーズンですけれども、怪我などありましたが、充実した一年になったんじゃないですか?

1年間、すごくタフなシーズンとなりまして。オリンピックもあり、日本シリーズにも出場させていただいて、濃い1年だったなという印象ですね。

──2年連続となる首位打者。そして出塁率が4割2分9厘。最高出塁率のタイトルも獲得されました。おめでとうございます! 2年連続の首位打者になったお気持ちはいかがですか?

やっぱり“1年間を通して出る”ということを目標にしていたので、これからの課題もありますけれども、とにかくタイトルを獲れたという点では良かったのかなと思います。

──去年タイトルを獲った時に、オリックスの生え抜きではイチローさん以来ということで。「イチローさんは7年連続ですから」と仰ってましたけど、あと5年で追いつきますね!

(笑)。改めて、7年連続というのは本当にすごいですよね。やっぱり野球も数字の世界なのですごく気になりますし、特に打率というのは落ちたりしますし、率というのは変動がありますので、その中でずっとトップを取るという安定感がすごいなと思います。

──そして吉田選手は、三振の数も毎年減ってますよね。やっぱり“三振したくない”というこだわりみたいなものもあるんですか?

やっぱり“なんとかバットに当てて、事を起こしたい”という気持ちはベースにあります。
だから、同じようなスイングをしてしまうと空振りになってしまうと思うので、その空振りを続けない。1球1球、なんとか対応していく。その修正能力だったりが、シーズン通して1年間、大きな波がなくなる要因じゃないかなと思っています。

──そして9月以降、怪我による戦線離脱もありました。太腿を故障された。ただ、復帰してすぐに、デッドボールで骨折されましたよね。

あの時は、太腿の怪我から上がってきて、正直、ベストコンディションではなかったんです。その中でなんとかプレーしていて、大関投手とは初めての対戦で、余計に自分の甘さがあったというか、後から映像で見てみると、やっぱり体があまり動いていなかったんですよね。
あの時は普段と違う(ボールの)待ち方をしていて、いつもだったら肩口の変化球を待つんですけど、それを真っ直ぐを引っ張りにいってしまった分、避けれなかったですね。衝突してしまった。
厳しいところを攻められるのもわかりますし、自分の中では防げたなというのはありますね。

──復帰を目指した1ヶ月間は、やっぱり相当な苦しみがあったんですか?

気持ちも折れかけたり、“またか…”という感じもありましたけれども、家に帰って家族もいて、家族との時間も増えましたし、一緒にテレビを見ながら…不思議な感覚でしたけれど(笑)、家族の支えというのは本当に大きかったですし、オリックスの試合を一緒にテレビで見るというのはすごく不思議で。妻も、そのことに関しては「変な気持ち」と言ってました(笑)。やっぱり、いつもは自分が出ているところを応援しているという感じだったので。
そういう気持ちもありながら、“早く復帰したい”という気持ちでリハビリに励んでいました。

──日本シリーズですけれども、本当にヤクルトと接戦続きで、みんなが大注目して盛り上がった日本シリーズでしたよね。

僕は厳しかったですけど(笑)。
でも、日本一を目指して戦う短期決戦というものを初めて味わえたので、すごく良い経験だったと思いますし、チームとして今後に生きてくるんじゃないかなと思います。

──そして、去年は東京オリンピックがありました。いつもと違って、日の丸をつけた戦いというのは、いかがでしたか?

本当に独特な雰囲気でした。無観客にはなってしまったんですけど、やっぱり国を背負って戦う、そして国歌を歌うということはすごく重みがありましたし、初戦とかでは“体が動かないな”という感じもありました。なかなか普段通りの気持ちでプレーするのは難しかったと思います。

──それは、精神的なプレッシャーを感じながらの戦いだったからということでしょうか?

やっぱり注目度も高かったと思いますし、なかなか普段は一緒にプレーすることのない選手たちと一緒に過ごして、ホテルでも外出禁止という中でコミュニケーションを取る難しさもありましたけれども、でも本当に良い経験をさせていただきましたし、「金メダルを獲る」ということが全員の目標でしたので、その結果を出せたことは良かったと思います。

──苦労の末に手にした金メダルは、重たかったんじゃないですか?

すごく重みも感じましたし、家族やお世話になった方々に金メダルを見せて、すごく感動している姿を見て、“ああ、こういうものなんだな”ということをすごく感じましたし、みんなが喜んでくれたことが僕も嬉しかったです。

──それでは、今シーズンの個人、そしてチームとしてのそれぞれの目標をお聞かせください。

チームとしては、やっぱりパ・リーグ連覇。そしてもう1回日本一にチャレンジしたいなと思いますし、そのためには、自分自身としても、1年間、怪我を防いで、ベストコンディションの中1年間戦い抜いて、また(昨年は)打撃部門でも首位打者、そして最高出塁率も獲らせていただきましたけれども、それ以上にたくさん獲得できる位置にいたいなと思います。

──今シーズンからは背番号が「7」に変わりましたものね。かつては糸井選手が付けていて、世界の盗塁王・福本さんも付けていらっしゃった。今シーズン、ひょっとして盗塁が増えるかも?

どうですかね(笑)。まあ、隙があったらどこかで(笑)。

──今年も活躍を期待しております。ぜひ頑張ってください!

ありがとうございます。


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