防災FRONTLINEでは、
地震などの災害が起きた時に、
皆さんに役立つ情報を分かりやすくお届けしています。

来週の3月11日で東日本大震災から10年となりますね。

そこで、今日は、被災地の復興の歩み、
そして、町の現状と課題について、市長の声と共にお伝えしていきます。
きょうは、被災地の1つ、宮城県気仙沼市のお話しです。

気仙沼市は、
宮城県の北東の端に位置していて、太平洋に面している街です。

東日本大震災で大きな被害を受け
亡くなった方は、1043人、行方不明の方が214人、
震災関連死は109人に上り、
当時の人口、7万4千人のうち、1.8%の方が亡くなりました。
津波によって、市の4割の家、2万6124棟が被害を受け、
市の事業所の8割も被災し、市の誰もが津波の影響を受けました。

大きな被害を受けた気仙沼市は、震災後、津波死ゼロを掲げた防災事業や、
住宅の移転再建、港町、水産の町としての街づくりの事業などを
進めています。

気仙沼市には、漁業や魚市場、水産加工場、そして船を造る造船所など、
水産関連の産業が盛んです。
その特徴を活かして、こんな町を目指すと、
気仙沼市の菅原茂市長は語っていました。

菅原市長
世界に羽ばたく産業の街、日本で一番住みたい街というものを
将来像に掲げた所です。
津波と我々は付き合っていくと言うと恐れ多い話ですが
自然との共生がこの街としては基本になると思います。
続いて、都会の真似はしない、ミニ東京、ミニ仙台、目指さない。
一言で言うと、「世界の港町」と表現をさせていただきました。


世界とつながる豊かなローカルを目指して復興に取り組む気仙沼市ですが、
菅原市長は、「東日本大震災から10年を前に、今、伝えたいことについて」、
こう話していました。

菅原市長
よく、アンケートに「風化」していると思いますか?
という質問があります。私は、その事について、ずーとピンとこないんです。
残念ながら風化はしていくんです。
その事を、我々の口から「被災地を忘れないで」っていう姿勢は必ずしも
適切ではないと思います。
私たちが発信する事は沢山あると思っています。災害の怖さ。
例えば、震災以降伝承館が作られています。
そういった所からきちっと発信をしていく、その努力が大切だと思います。
また、復興の姿については、何について苦しんで、何について失敗し、
成功したかという事を発信していくという事が私達に求められているます。
風化がどうのという所の話ではないというお話しはこれまでもしてきました。


被災地が自ら
復興の姿を伝える努力が大事と、菅原市長は語ってました。
私達は、被災地の復興への取り組みや、被災地が伝える災害・防災について、
震災から10年を迎える今、知っていくことが大切だと感じます。

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