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トウキョウハナコマチ

アスファルトを剥がし時代を遡る
東京の過去を旅するタイムリープ・コーナー。

※こちらに掲載されている記事の内容については諸説あります。

【番外編】様々な時代のお正月


2019.1.3 (thu)

昭和のお正月

間もなく、2つ前の時代になる「昭和」。30代以上の人は、小さな頃の「お正月」を思い出して懐かしくなることも多いのではないでしょうか。

激動の時代だった昭和。文明開化の明治、そして大正を超えても、お正月はまだ2つ存在しました。新暦を受け入れてなお、お正月だけは旧暦もお祝いしていたのです。戦前までは新正月には初詣に行くくらいでおしまい。おせちやお雑煮、挨拶回りも旧正月にしていた人も多かったそう。

戦後、旧正月でのお祝いをしなくなった理由は、至ってシンプル。「会社のお休みが取りづらいから」。新暦のお正月休みは取れても、旧暦に再度取るのは難しい……高度成長期のさなか、そんなにたくさん休暇は取れなかったのかもしれません。

昭和のお正月というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。大晦日は、大掃除のすんだいつもよりきれいな部屋で、家族でこたつに入って紅白歌合戦。視聴率は、70%を超えていました。元日の朝、白い息を吐きながらポストを開けると、分厚い年賀状の束があります。郵便番号は、まだ5ケタ。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、私……それぞれの数を競い合ったり、友達からの年賀状を見ながら午前を過ごします。

三が日はどのお店もお休みで、商店街もいつもの賑わいはウソのよう。午後には親戚たちがやってきて、女性達はゆっくりする暇もなく、来客のおもてなしのため1日中台所と居間をいったり来たりです。子どもたちはお年玉をもらったら、外で凧上げや羽根つき。いつもは遊んでくれない大人たちも、お正月は特別です。みんなで一緒にかるたやすごろくをしたり、おせちをつまんだり……。夜更かししても怒られない、無礼講なお正月の夜が過ぎていきます。

今ではあまり見かけなくなった、そんな昭和の風景。遠い昔のようでもあり、つい昨日のことのような気もします。

 

平安時代のお正月

お節や鏡餅、子どもたちの凧あげ。元旦を祝う風習は、平安時代に生まれたものが多くあります。「源氏物語」や「枕草子」など当時の有名な小説や随筆にも、お正月を華やかに祝う様子が描かれています。清少納言曰く「元旦に着飾ってお祝いするのは、とっても楽しい」のだそうです。

お正月に最も忙しいのは、やはり宮中の人々。朝四時から行う元旦の「四方拝」からスタートし、若葉摘みや白馬節会、昇進のお礼回り、望粥の節供。パッと聞いただけではなんのことだかわからない、たくさんのイベントが次から次へと行われます。

中でも重要なのは「四方拝」です。「四つの方向を拝む」と書いて「四方拝」。天皇陛下お一人がされる特別な儀式で、元旦の早朝に天皇が天と地、四方の神々を拝み、1年の災いを祓って、豊作を願う、というもの。平安時代に定着し、現在も行われています。

宮中ではなく、平安時代の庶民はどうでしょうか。実はこの「四方拝」の時間は、庶民も1年の無事を願ってお祈りをしていました。まずは北の方向、北極星に向かって拝み、そこから時計回りに各方角に向かって拝みます。そして最後に伊勢神宮の方向、そしてご先祖のお墓に向かって拝むそうです。ビルなどない広々とした空に向かって、今年1年の豊穣を祈る人たち。きっとその思いは、現代よりもずっと強かったことでしょう。

平安時代の人たちにとっても、元旦やお正月はやはり節目であり特別な日だったのですね。

 

江戸のお正月

めでたいお正月。私たちもこうして新年をお祝いしますが、江戸の人たちにとって新年は今よりもずっと特別なことでした。一体なぜそんなにめでたいのか・・・それは、1月1日が、国民全員の「誕生日」だったからです。

「数え年」というものがあります。お母さんのお腹の中にいる時を0才と考える、日本古来の考え方です。なので、生まれた時点で「1歳」。そして、生まれた日を誕生日とする風習も、ありません。全ての人が、元旦に同時に歳を取るのです。もし大晦日に生まれた赤ちゃんがいるとすれば、生まれた翌日には2歳。なんだか不思議ですが、全員が同じ誕生日なのは楽しそうですね。

現代では「おめでとう」という言葉は日常でも使われますが江戸時代に使うのは主にお正月だけ。「めでたし」という言葉が語源で、これは「愛でていたし」……大切なものを愛し、いつくしむ、という意味です。皆が歳を重ねる中で、大切な存在である家族や友人に「めでたし」と声をかける。生まれてきた命に、おめでとうと言う……それが江戸風のお正月です。

ではどんな忙しい1日を過ごすのか?といえば、なんのことはありません。江戸っ子の元日は「寝正月」が当たり前。大晦日の夜中まで、江戸庶民は借金の取り立てに逃げ回り、商人は徹夜で帳簿付けをしています。それが終わり元日になると、お店を閉め、お正月は寝て過ごすのです。朝から晩までゴロゴロ。そもそも”三が日はゆっくりと過ごし、仕事始めは4日”、という習慣が始まったのも江戸時代から。さすが江戸っ子、私たちがお正月に休むようになったのも彼らのおかげだったんですね。

 

戦国時代のお正月

織田信長・豊臣秀吉が政治的実権を握っていた安土桃山時代。戦乱の世に、果たしてお正月のようなおめでたいイベントをしていたのでしょうか。答えはもちろん、イエス。武士たちを中心に、新年の挨拶や初詣などが行われていました。

お正月といえば楽しみなのは、お節料理ですよね。その原型を作ったと言われているのは、実はあの伊達政宗です。戦国時代の武将イチのグルメと名高い伊達正宗、彼のお正月のお雑煮にはアワビ、ナマコ、ニシン、ごぼう、豆腐、黒豆などが入っておりお雑煮以外の食事も60種類以上の食材が使われていたそう。戦が多い当時の武士は、金色に輝く栗きんとんと「喜こぶ」にかけた昆布巻きが特にお気に入りだったようです。

戦国時代に始まったお正月の風習は、他にもあります。例えばお年玉。子どもにお小遣いをあげることから「玉」は「100円玉」などの小銭を指すのではと思いますよね。実は元をたどると「魂」のことであると言われています。

皆が神様を信じていた当時。お正月は年神様を迎える大切なイベントでした。その年神様から「新しい魂」をいただけるのが、家の主。神様からもらった大切な魂を分け与えるため、家族には刀などを渡したのだそうです。これがお年玉の始まり。元々はお金ではなく、武器などを授けるものだったのですね。

ちなみに戦国時代の庶民は、お正月は高価なお餅の代わりにサトイモを食べていたので「芋正月」と呼んでいたそう。江戸より前の時代、庶民は本当に質素に暮らしていたんですね。

 

平成のお正月

平成最後のお正月。30年の過去を振り返る番組も多く、感慨深く新年を迎えた方も多いのではないでしょうか。お正月の過ごし方も大きく変わったこの時代。三が日でもコンビニやスーパーは開き、年始の挨拶をメールですることも増えました。スピード感のある変化の中でも、特に印象的なのは「西暦2000年」、ミレニアムを迎えた時ではないでしょうか。

1999年の大晦日。ノストラダムスの大予言も空振りに終わり、ほっとしたのもつかの間人々の前に「2000年問題」が立ちはだかります。コンピューターが西暦2000年であることを正常に認識できず、世界的に大混乱が起こるのではないか、と言われたこの問題。大きなトラブルに備え年をまたぐ間も出勤する人々が多くいました。結果的には大混乱にはならず無事に新年を迎えましたが、なんだかドキドキしたのを覚えていますよね。

区切りの年ということで、街では特別なイベントがたくさん行われました。例えばここ、銀座では「年越しカウントダウン」が。4丁目のミキモト前に特設ステージが作られ夜11時55分から、街頭ビジョンに時刻が映し出されます。5万人以上の観客がカウントダウンしていき、2000年を迎えると無数のバルーンが空へ放たれました。銀座の店は特別に深夜までオープン。まさにお祭り。新しい時代の幕開けを、皆で祝ったのです。

お正月というとフジカラーのCMを思い出す方も多いのではないでしょうか。「お正月を写そう フジカラーで写そう」そんなキャッチコピーで登場する人といえば、女優の樹木希林さん。樹木さんは40年にわたりこのCMに出演されました。そんな樹木希林さんは昨年9月に亡くなりましたが、今でも心に残る、印象的なお正月のCMです。

時代の終わりは、新しい時代の始まり。これからのお正月がどう変わっていくのか、楽しみですね。

七味五悦三会


2018.12.31 (mon)

今日は大晦日。一日の時間は変わらないのに、なんだかとても長く感じてしまう1年最後の日です。今年を振り返れば、色々なことが頭に浮かぶことでしょう。江戸時代の人たちにとっても、この日は一年を思い返す大事な日だったようです。

江戸庶民にとって、大晦日はとても忙しい日。なぜなら、全てのツケを清算する決算の日だからです。支払いのための資金を工面するため、食事を取る暇もなく駆け回る江戸っ子たち。大騒ぎの昼間を超え日が暮れると、家族が集まりようやくゆっくりと年越しの準備を始めることが出来ます。

そんな忙しい日でも、彼らが大晦日に必ず行う大事な風習がありました。それは、「七味五悦三会」と呼ばれるもの。七味とは「七つの味」。五悦とは「五つの悦び」。そして三会とは「三つの出会い」と書きます。今年食べた美味しいものを七つ。今年あった嬉しいことを5つ。今年出会った、忘れられない人を3人・・・除夜の鐘が聞こえ始めたら、家族そろってこの「七味五悦三会」を発表するのです。

もしも除夜の鐘が鳴り終わるまでにスラスラと言えたら、きっとその年はとてもいい年だった証拠。でももしかしたら、なかなか嬉しかったことが出てこない時もあるかもしれません。ですが、例えどんなにその一年が大変でも、例えどんなに悲しいことがあっても、この「七味五悦三会」は絶対。なるべく見つけ出して、美味しかったものや楽しかったこと、出会えた素敵な人について話します。すると「思っていたより、良い年だったのかもしれない」…そんな風に思えて、次の年もまた楽しく過ごそうと思えるのです。

どうでしょう?皆さんの「七味五悦三会」・・・考えてみませんか?人生の小さな喜びを探すことが出来れば、来年もきっと幸せがやってきます。大切な人やモノを思い出しながら、行く年を送ってみてはいかがでしょうか。

それではみなさん、また来年。良いお年を!

日本人と死生観


2018.12.26 (wed)

今私たちの生きている時代に根付く価値観。普段疑問を持つこともなく、当たり前のように感じていることが、実はとても最近生まれた価値観だということに気付くことがあります。

幕末。鎖国が終わり、急激に欧米の文化が入ってきた日本。生活だけでなく、物事に関しての感覚が大きく変化しました。中でも一番変化したのは「死生観」だったかもしれません。

江戸までの人たちにとって「死」はとても身近なものでした。現代では誤解を受ける表現かもしれませんが、「苦しみ・痛みは生きていくうえで当然なこと」と考えられていたのです。侍や武士だけでなく、普通の一般庶民にとっても「死は甘んじて受け入れるもの」であり、「悲しむことではない」ものだったのです。

「人間一生、物見遊山」という言葉をご存知でしょうか。江戸研究家の杉浦日向子さんによると、江戸庶民の生き方を一番表しているのはこの言葉だそうです。生まれてきたのは、この世を寄り道しながら見物するため。「せいぜいあちこち見て、見聞を広めて友だちを増やし、死んでいけばいい」それが江戸の人々の生き方だったのです。

こうしてみると、宵越しの金を持たないというのが粋とされたのも納得です。享楽主義、刹那主義と言われればそうかもしれません。現代は、将来のことを考えながら生きるのが普通とされていますし、どちらがいいということは言えません。ただ、良い、悪いは別にして、たった数百年でここまで価値観が変わってしまったのは事実です。

幕末に日本に滞在した牧師のマーガレット・バラはこう言っています。「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質の一つです。生きていることを喜びあおうという風潮が強いせいでしょう。」

どう生きるかは、自分次第。時には時代を飛び越えて考えてみることも大切かもしれません。

日本人と自然


2018.12.25 (tue)

東京に居るとふと忘れてしまう自然の存在。ですが日本は元々奇跡的とも言える豊かな自然が存在する国です。切っても切れない人間と自然の関係・・・私たちは日々の暮らしに追われ、少し忘れがちになっているかもしれません。

太古の昔から、日本人は農耕民族。資源は限られているものの、農作物を育てるにはピッタリの地形と条件でした。恵みを与えてくれるのは、自然そのもの。でも、その恵みを奪っていくのもまた、自然の驚異でした。大雨や台風、地震、大雪・・・全ては自然の思うまま。そのため、私たちの祖先は「神様」として自然と共生することを決めたのです。

例えば、太陽のことを「お天道様」と呼びますよね。これは太陽を神様として、親しみを持って呼ぶ言葉。「お天道様が見てるよ」「お天道様に恥ずかしくないように」なんて言われたことはありませんか?自然が私たちを見守っているという感覚は、私たち日本人に昔から根付く考え方だったのです。

日本人の自然観を表現する作家として、最も有名なのは宮沢賢治かもしれません。岩手県花巻市の出身で、故郷を愛し、その場所を「イーハート―ブ」・・・理想郷と名付けた賢治。彼は多くの童話や詩を残しましたが、その全てを「心象スケッチ」と表現していました。

現実と、空想の融合。そして自分と、自然との融合。そこに明確な線引きは無く、そこに広がる世界を言葉でスケッチしたのが、彼の作品。賢治の文章が今もまだ愛されるのは、今も日本人が深い部分で自然と繋がっているからなのかもしれません。

誰もが持っている故郷を愛する心。思い起こす情景は一人一人違っても、その場所はいつも私たちを待ってくれています。

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