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3年経った今、感じること

去年までの2年間、僕達はこの時期
「VOICE OF 東北〜東北の声〜」と題して、
ボイス収集隊、そしてスタッフと共に、
岩手、宮城、福島へと直接足を運び、現地の声を届けてきました。

そして今年。
この時期が迫る中で、僕達が気になったのは、
同じ被災地で感覚にズレが生じている中、
東京に暮らす人達は震災についてどう感じているのか?
ということでした。

なかでも、
岩手、宮城、福島といった被災地で生まれ、
今は、東京で暮らす人達のこと。
彼らは今、どんな想いで日々を過ごしているのか?
実際にお会いして伺ってきました。

 

イワブチ/いわて銀座プラザ/45歳

うーん……。実は私、直接被災はしていないんです。
被災された方と私、ずれがあるかもしれないですけど、あっという間の3年間でしたね。
私が地震があったとき、盛岡だったんですが、かなり揺れて、停電になったりしたんですけど、
まあ、それを被災したとはいえないですけどね。
水道が止まったり、エレベーターがとまって階段を上ったり、ガソリンが無いとか、色々あったけど、
まあ……、そのことをぱっと思い出すと、しばらく前のような感じがするんですよ。
つい、3年前の話なんでしょうけど。
それくらい月日がすぐに経ってしまっていますね。私個人的なあれだと。

いろんなお客様が東京でいらっしゃいますし、 帰省で帰る時もありますけど、あまり震災のことを触れる機会っていうのが、こっちから積極的にいけば別ですけど、普段生活している部分は、何も無いというか、そういう声も聞きませんし、最近マスコミさんなんかをみていると、3年目も近づいているので、触れていただく機会が増えているように思いますけど、普段、通常ベースであれば、なかなかそういうニュースも少なくなっていますので、もしかして、「かなり現地は落ち着いているのかな」って思っている方もいるような雰囲気がありますけど、実はまだまだこれから復興を進めるにあたって、まだまだ長い年月がかかるというのが実態ですね。

なので、普段生活していて触れる機会がかなり少なくなった。震災に関する話題と言うんですか。
それは感じていますね。
まあ、震災のことが少なくなった=ほぼ生活が元に戻っているんじゃないかと誤解されているかもしれないことが残念な感じはしますね。
さっき言いましたように、まだほぼほぼ更地のような場所もあるんですが、
まだ仮設住宅に3万人程の人が岩手にいらっしゃるんですけど、
そういう状況なもんですから、
なかなか現実を知ってもらう機会が提供できないのが残念な感じがしますよね。

キョウイチ/60歳/釜飯・うなぎ・やきとり「きさらぎ」店主

まだまだ全然進んでいないなと。
お盆とか、田舎に行っても、街灯とかは国道沿いはついているんですけど、
前みたいなあかりっていうのが全然ないので、夜7時とか8時くらい、
くらくなってくると、ほとんど人通りもなくて、くらいんですよ。
だから、なんか……怖いなって。
だから、何処かに灯りがあると、それをめがけて行くとかね。
そういうことで気持ちが灯りでほっとするっていうかね。
そういう感じはありますよね。
ただ、まだまだ全然進んでいないっていうかね。

これから、2.7mかさ上げして、おうちを建てて行くっていう情報をもらっているんですけど、
全体を2.7mかさ上げすると、「じゃあ何年かかるんだ」って。
これはまだまだ先だな〜って。
防波堤も10mとか聞いていますけど、
防波堤を10m。そして、かさ上げしてから建てるって聞いていますけど、
昔の山田町には戻ることはできないだろうなって思っていますけどね。

(1年目、2年目、3年目の感覚は変わっている?)
結構じゃなくて、ちょっとは変わってる。
例えば、憩いを求めてって感じで、飲み屋ぽつんぽつんとできているとかね、
商店街って感じで、プレハブの中に衣料品店とか、食料品店とか、
何店舗かできているので、多少はすんでいる人にとっては良いかなと思うんですけどね。
ただ、やはり、昔程は品物は揃わないだろうなって。

実際に僕お店をやっていて、今の時期ですと、毛ガニだとかいろいろ入ってくるんですけど、
採れる量が少ない。
季節にもよるんでしょうけどね。
この間、毛ガニが欲しいなって、田舎の方に電話して送ってもらおうとしたらば、
「あんまりとれてない」って。
とれたとしても、前は一個500円とかで手に入った物が、1000円とかで倍になったりしてね。
それを1000円で買ったとしても、また送料で200円かかって、
1200円とか、1300円とかかかって、こまったな〜って。

(東京にいて、向こうの物を使いたいって気持ちは大きい?)
やはり、時期的な物を入れて行こうと思うんですけどね。
なかなか、送料の問題だとか、うちのお客さんにそれを出そうと思っても、
その時に品物が無いっていう状態で、なかなか思った時に使えないっていうのが、
ちょっとジレンマかな。

今度、21日の祝日ですけど、「山田町応援団」っていうのが集まることになっているんですけど、
その人たちに合わせて、向こうの知り合いに電話を入れて、山田の物を食べる会ですから、
ほとんどは山田の物を揃えたいなと思って。
これから連絡をして、食べていただこうかなって。
先月もあったんですけど、先月は人数が少なくてね。
ちょうどあったのは、生のワカメ。
それを、ワカメしゃぶしゃぶってかたちで出させていただいたんですけど。
あと、ワカメのサラダ。
もちろん、生ワカメですから、シャキシャキして美味しいって食べてもらいましたけどね。

(毎月されているんですね。)
うん、大体ね。
ただ、「大雪りばぁねっと」の問題が出ましたよね?
山田町が騙されたって言う。
あれで、ちょっと応援団の活動がしにくくなったっていうか。

山田町の人たちが、
「あなたたち、私たちを騙しているんじゃないの?」って、
疑いの目で見られるようになって、活動しにくくなったみたいなんですよね。
今までですと、一ヶ月にいっぺん、山田町応援団の誰かが山田町にはいって、
自転車を買って、「コレを皆さんで乗ってください」とか、
そういう活動をしていたんですけどね。
最近やりづらくなったって言っていました。

(東京で働くと言うのはどんな想いが?)
うん、やはりね、
震災があった際は、ちょうどうちのおふくろが冬の間東京に来ていて、
5月に暖かくなって向こうに帰っていたんですけど、
震災以降は帰れなくなったということで、
完全に東京の方が、私を含めて、おふくろも、東京が拠点になったんですよ。
でも、私の家っていうのはまだあって、
今親戚の人にすんでいただいているんですけど、
やはり東京にいる人たちが、少しでも向こうの人たちのために、
頑張って仕事をするっていうことが向こうにすんでいる山田町の人たちにとっても良いことなのかなって。
たとえば、「山田町の瀬川(キョウイチさんのお名前)が東京で頑張ってるよ」ってことがね。

山田町の醤油、こういうのもお店で使っていましてね。
結構お客さんが「おいしい、おいしい。」っていうことでね。
1本100円。1リットルで400円ってことで販売して、
その利益を山田町に送っているんですけどね。
去年のお盆のときも、収益金を山田町役場にいって納めてきたんですけど。
少ししかならないですけど、山田町にとってよくなるかなということなんですけどね。

 

タミコ/60歳/釜飯・うなぎ・やきとり「きさらぎ」女将

そうですね〜。3年経って、私も1年に1回くらいは帰ってるかな、なんですけどね。
最初の方は、「どうなんだろう……みんなのこともいろいろ、大変だ……」って思ったりしていて、
一生懸命できることがあったら、って、少しでも頑張ってって程でもないんですけど、
こんな感じで関わって行きたいなって。
だけどね、年々、みんな前を向いて生きていかなきゃいけないからね。
頑張ってるなって。

私ね、毎日、岩手の山田町の「とことこ日記」っていうのを、
事務局とかそっちのほうの出来事を書いてくれる人がいるんですよね。
それを毎日見ていて、
「ああ、みんないろんなことをやっていて、元気出そうとしているんだな」って、
それを見るのが楽しみなんですけどね。
逆にね、昔は何も無かったのに、そういうことが、
色んな全国から応援に来て、コンサートだとか、劇団が来たりとか、
そういうのが増えてるかなって思いますね。
今まで何も無い街だったのに、そういうのがいっぱいあって、
かえってうらましいなって(笑)。
見ていていいな〜ってね。そういう風に思います。

ハラハラとかは無いですね。
だって、もう、前に進んでいるんだから。
一時期私の姉も具合悪いって言うか、大変だったときがあったんですけど、
歳を重ねてきて、やっぱり震災で母がなくなっちゃって、
3年経ったらいまは、実家の方に帰って、東京の方に避難していたもんでね。
また、3月11日の命日には、田舎に帰って元気になりましたからね。
そういうこともあるの。

やっぱりいつまでも、ね。
前に進まなきゃって。

(東京でお店をやりながらどんな感覚で?)
思いながらっていうか、田舎は自分の田舎だから、
常に「私の田舎よ!」って感じですけどね。
こっちはこっちで働いて行かないとね。
でも、自分は楽しんでやっています。前向きにね。

 

よしだ こうすけ/38歳/青山/「Osteria Casa Yoshida Pasta Bar」代表

難しいな〜・・・
感じることって言うよりも、僕が宮城県の出身で
お店を都内でやってるところで、やるべきこと、
宮城県食材大使も務めているので、
震災復興って意味合いで、店主としてやれることはないか模索している。

(1年目、2年目、3年目の思いそれぞれ違う?)
自分自身も「使命」みたいなものを、
機会をもらったおかげで芽生えてっていうのが
強くあるんですけど、どうしても東京にいるぶん、
地元仙台との温度差みたいなものっていうか、
僕自身すらなかなか感じることができない部分って言うのが
現実にあって、風化されていくことのないように、
なにか役に立てること、僕は料理の世界にいるでの、
食材をお店で東北の食材つかったりとか、
社会貢献型の、地方と東京をつなぐ事業みたいなものが、
小さいお店なので、その食材をつかってPRしていくのも
限られたことなので、何かもっと大きい事業として、
宮城県のために役に立ちたいなっていうのはあります。

(その思いは強くなっていく?)
もちろんあるんですけど、
なかなかそこに事業としてやっていくためには、
思いだけではできない部分もあるので、
むずかしさ、はがゆさは感じています。

(風化って言葉、宮城県出身、東京で働いている、風化を感じる瞬間は?)
この件に限らず、人ってわすれていくものだし、
忘れていかないといけない部分ってあると思うんです。人生において。
ずっとひきづっていたり、それが心のモチベーションになる場合もあるけど、
マイナスに作用する部分があるので。その境界線が難しくて、
全員が全員、あの1日のことを鮮明に覚えていたら、
生活なんてできないじゃないですか。苦しくて苦しくて。
なので、ここってすごく難しいですよね、
だから僕もうまく説明できないところがありますね。

(東京に暮らしていると、帰った時の感覚は?)
帰ったとき・・・・
帰った時より、こっちにいるときのほうが強いかもしれないですね。
やっぱ自分の、仙台に住んでいなくて、
東京でお店をやっている、僕自身の使命みたいなものを、
仙台にいるよりもすごく感じますよね。
なにかやんなきゃいけないな。って、思いはあるんですけど。

(地元の友だちは?)
そんなにでてきてないですね。
話はしますが、ただもう大きな僕のまわりでは
特別被害があったりとかは少ないので、
友だちの友だちが被害があったってきいているんですけど、
地元の友だちとその話をするってないので、
そういう意味では過去のものになっているってありますよね。

(1年、2年、3年、食材に変化は?)
元から地元のもの使うようにしてましたが、
震災以降、より多く東北・宮城の食材をつかって、
生産者のみなさん、なんとか、一生懸命やったもの、
いい商品・食材がたくさんあるので、そういうものをお客さんに
食べてもらってまずは知ってほしいな。
で、生産者のひとたちの架橋になりたいなって思いは強くなりました。

(今、ここがたりない困ってるって入ってくる?)
直接きいてませんけど、今の東北のほうの農家さんと、
一緒に商品開発をしてパスタとか、
宮城県の米をつかって開発をしているところです。
米粉なので、ライスヌードルって、
それ自身に味があるわけではないんですけど、
食感がすごくおもしろくてもちもちの食感がおもしろいです。
宮城県のなかたってところでつくっている「ササニシキ」です。

米粉のパスタに宮城県でとれたトマトをいれて、
野菜のパスタをいま作っています。

(1年目とかは大使をやっている中で、苦労は?)
ちょうど二店舗目だしたときがオープンの3日後に震災だったので、
そういう意味では大変なオープンを迎えました。
その後ですよね。連絡取り合って。

(そういうときに東京にいるときの迷いは?帰るとか・・・)
僕自身はそういう発想はなかったです。
僕のいまやれる中で、離れていますが僕しかできないことあると思うので、
せっかくお店持っているので、
僕がお店をもったときより、お店のもっている使命が強くなった気がします。

(3年経って、まだ3年?もう3年?)
僕個人的には、もう3年たってしまったって部分はありますよね。
ただ、僕ここにいる以上、なかなか大きな被害にあった人の立場にたって、
心情を窺い知ることができないので、わからないです、それぞれです。

(これからお店が続く中でも思いは?)
やはり宮城県の食材大使をつとめているので、
宮城県のいいもの、東北のいいものっていうのをPRする使命だと思っているので、
よりいっそうそういう食材をとって、たくさんの人に食べていただいて、
風評被害みたいな部分もあると思うので、そういう誤解もときながら、
たくさん宮城県のおいしいもの知っていただいて、
震災のあとに商品開発して地元に埋もれているような
食材とかたくさんあるので、そういうものを掘り起こして全国にPRしていきたいなって思います。

(最後にここきたら・・・なにたべたらいいでしょう!?)
気仙沼産のカラスミを入荷しているんですけど、
マグロのカラスミですごく希少なんですけど、
そちらを使ったペペロンチーノっていうか
オイル系のパスタをご用意しているので
そちらはすごく人気の高いパスタなので召し上がって下さい。

気仙沼の名酒「男山」っていうのがあるんですけど、
そちらで風味付けしているので、
ほかのカラスミよりも、気仙沼の男山の匂いが残る、
特徴のあるものなので、お酒のつまみ、ワインのつまみにもあうと思います。

あべ ひであき/63歳/日本橋/「仙台・あべちゃんの店」主人

まだ、不安って感じね。
ちょっとした揺れでもあ!っちゅう、恐怖感残ってる。
やっぱりふるさと仙台なんで。

(東京での不安?仙台への不安?)
両方だね、東京もああいうのきたら仙台よりね。

(まだ3年?)
そうだね、昨日みたいな感じ。
今でも女川とかおくって、子どもたちとかに獅子舞とか復帰して欲しいって
寄付しながら送ってるかんじ、ずーっとやってる。

(出身は?)
仙台市内、アイアムアシティボーイ(笑)
市内だと同級生、ひさしびりに小学校の何人かとあうんだけど、
当時のこと聴くとなみだでるくらい大変だったね。
死ぬかと思った人がだいたい。そういうのこないだきいて、
よく命あってよかったってそういう感じ。

(仙台によくかえる?)
毎年墓参りとか、同級生とあったり、幼なじみと何人かと。
自分も64だから、孫も中3だから、
歳とともにあえるようになるのかなって、

(震災あってから仙台に変える気持ち、これまでと違う?)
やっぱり違います、現場みたいな、どんな感じかな?
やっぱりみないほうがいいかなとか、うち仙台のお客さんいっぱいいるから、
石巻の人とか、腰抜かしたって、それでも200枚くらい写真とって。

(宮城出身、東京でお店開いて、東京で生活続ける。 東京にいる感覚が違う?)
自分もでてきたのは昭和39年にでてきて、今年で51年、
半々なところあるけど、
自分のうまれた仙台、誇れるかなって。
きたろく小学校、ごじょう中学っていってたんですけど、
仙台市内でよかったっていうのは。

(3年目にして宮城、仙台に対しての思いは?)
自分の場合は歳もとってきたし・・・

(震災があったから?3年経っていまある思いは?)
できたら二度とああいうの起きて欲しくないが本音。
いまでもちょこちょこ揺れてるって地元の人は言ってる。
震度4くらいきても慣れたって。

(心配なのでは?)
以前はしょっちゅう電話していたの。
いとことか幼なじみ、小学校の同級生。
「どう?大丈夫?」って。

(東京にいて、仙台、宮城にこういしていきたいというものは?)
早く復帰してほしいな。
形は違っても、以前の形とは。
あとは亡くなったひとへの気持ち、タイヘンな人も聴いている、
おふくろさん亡くなって、奥さんなくなって、子どもなくなって、
生き甲斐なくしたってひとも。

(仙台いいところありますよね?)
東京の100倍いいです(笑)
風、空気、やわらかい。いついっても変わらない。
友だちも50年ぶりにあったりすると、
みんなおじさんになった、おばさんになったって、
自分もそれだけなってるんだけど。

(この時期、仙台いったらどうしたら?おいしいものは?)
牛タンとか、牡蛎、気仙沼いくとふかひれとか、
サメの心臓にぎってくれる寿司屋さんあったりとか、
あとお酒ね。お酒おいしいのいっぱいあるよ。
う〜ん。3つ自分でえらぶとしたら、
わたや、はくらくせい、ひだかみ。かな?
一の蔵、浦霞は名の知れたものだけど。
自分にとっちゃ、ひだかみは若いかな?
はくらくせいが大人っぽい、わたやも大人っぽい。

(これから東京でお店を続けるんですよね、これから仙台に対しては思ってやっていく?)
とにかくコツコツこっちで募金集めておくってるし、
子どもたちに消しゴムかったり、鉛筆かったり、ノート買ったり、
直接その村にやるようにしているんです、
あとは、砂糖水産ってお父さんが亡くなって、
中国人を助けたってお母さんを助けにいくって波に流されて、
そういうのおおきいあれだった、そこにも送ってる。

やっぱり日本人の特権みたいな・・・
喉元すぎると忘れるちゅうのが日本人のあれ、
いっきにいくときはいくけど、あとはぱっとなるから、
そういうのないようにしてほしいって、今でも自分はやってるけど。

 

すずき/29歳/池袋/「宮城ふるさとプラザ」

東京にいるとなかなか実感できないんですけど、
震災からの復興は遅いかな〜って思います。
お盆の時期、お正月に帰省します。
出身は宮城県の東松島市ってところです。
場所でいいますと、松島町の東側で石巻市との中間で、
今回の震災でも浸水域が一番大きかったところなんですね。
自宅近くに災害公営住宅が建設予定地あるんですけど、
まだ土壌整備の段階で建物の建造までいってないので、
まだまだかなって感じがしますね。

(東京にいると地元へのどんな思いで3月を迎える?)
もう3年経つのかな。っていう印象の方が大きいですね。
ただ、私は幸いにして自宅は全壊になったとかではないので、
まわりの様子をみているとまだまだって印象があるので、
もう3年かって印象の方が大きいですね。

(東京のこと聞かれます?)
たまに帰っているので、聞かれるってことはないですけど。

(千葉出身のわたしと、宮城出身の方が東京に住んでいる感覚、
 同じ東京でも違うような気がする)
やっぱり出身地が向こうなので、基本的には宮城県の人間だって思っているので、
特別な思いがあります。
1年はほんとういろいろあっという間だったなって印象の方が大きいです。
震災をうけて、仕事の面でもいろいろ不都合があって、大変だったので、
それでやっと1年、もう3年っていうのは、まわりの様子をみていてまだままだなって。

アンテナショップにつとめたのは、
もともと仙台の運営団体にととめていて、着任したのは昨年です。
転勤で昨年4月に移動してきたんですね。
改めて自分が宮城県の人間なんだってつよく思うことがあります。
仕事柄宮城県のものを扱いますし、
宮城県の代表として対外的に接することが多いので、
宮城県に対する思いが強いと思います。

(宮城県ってどんな県?)
楽天イーグルス日本一、ベガルタ仙台も一昨年J1で第2位!
スポーツもさかんですし、なにより食が豊かですね。
お米もささかまぼこ、牛たん、ずんだもち、名物もありますし、
住みやすくいいところだと思います。

(楽天は感動的!)
そうですね〜、できすぎている感じも(笑)
美しい日本一だったと思います。
先月もソチオリンピックで金をとりましたし、
スポーツの面でも勇気づけられたのでは。

(優勝とか金メダルのとき、被災地がよぎるのって、どう思いますか?)
メディアで最近とりあげる機会が少なくなっていると思うので、
そういった機会に思い出していただけるのであればいいのかなって思います。

(今、宮城のイチオシは?)
沿岸部の被災地のほうでは、仮説ですが商店街で復興の勢いをみせて
色々なお店がやっておりますので、そちらのほうに足を運んでいただきたいなって思ってます。
我々の仕事は少しでも宮城県の観光物産をしっていただいて、
それが復興のひとつかなって思ってます。

 

つくうら けいこ/52歳/池袋/「宮城ふるさとプラザ」

今私の震災まで仙台だったので、
仙台で震災を経験してこちらに来ているんです。
最初にきたときは、逃げてきたような、そういうような意識がすごくあって
自分の中では故郷を捨てたって気持ちが強かったんですね。
ですから、なるべく宮城にかかわる仕事がしたいと思って、
こちらを仕事がしたいですって入ったいきさつがあるんですけども。

働いているうちに、最初の頃はみなさん気にかけて下さって、
だんだん薄れているっていうのは感じますね。
今でも、募金箱にいれてくださったり、
がんばってね〜って声をかけて下さる方もいるんですが、
過去のものになっている気はしています。

(最初に感じていた罪悪感みたいなものは3年経ってどうですか?)
やっぱり今でも、拭いきれないっていうか、ちょっとはあるんです。
ただそのためにも、宮城のことを少しでも東京のかたにしってもらうために、
こちらでつとめさせていただいているので。

私の住まいが住めなくなって、こちらにでてきているんですけども、
それでもやはり、向こうで苦労されている方がいっぱいいるなかで、
こちらにでてきているのが、罪悪感があります。

生まれは塩竃で被災したのは仙台市内なんですけど、
この歳で東京にでてくるとは自分でも思ってませんでしたから、
あれで人生が変わったのかなって。
私をはじめ多くの方がいらっしゃるのではないかなって思います。

(東京に来る日、複雑な思いがあったんですね)
複雑でしたね。
仙台をでて、有料道路を走っているときに、
有料道路の片方が津波で全部だめで、片方が残っている
ひがし道路を見たときにものすごいショックで
それをうしろにしてくる、っていう、
本当に後ろ髪を引かれるような思いがありましたね。

(仙台にいるみなさんとは連絡は?)
連絡はとりあっています。
向こうの方みなさんがんばっていらっしゃるので、
私もこちらでがんばらなくてはという気持ちで。

(気を使うことは?)
やっぱりどっかでは引け目を感じているところがあって、
たぶん、被災してこちらに出てきている方、
多かれ少なかれお持ちでいるんじゃないかなと思うんです。
だから、なにかしら役に立ちたいって思いはあるんじゃないのかなって思います。

(それが力になっているんですね!)
それはありますね〜
今は見通しは立ちませんけど、もしかして、いずれ帰る時のためにも、
それまでこっちでがんばろうって気持ちでいます。

(どんな思い出働いている?)
働いている時は、被災した時のことはすっかり忘れているので、
いま、いらっしゃるお客さまに喜んでいただけるように接しているんですね。
催事の方で宮城の方が毎週いらっしゃいますから、
そうすると、懐かしい話が聞けたり、
懐かしい言葉でふつうになまりがでて話すことができるのが、
ここの一番いいところかなって思いますね。

(震災の話ストレートに聴くの考えちゃう)
私は聞かれたことは教えてあげたい、
事実は事実としてしっていただきたいと思うんです。
実際ご自分の目でみていただくのが一番ですが、
いけない方もいっぱいいると思うので、
こうだったんだよ、ああだったんだよって、
私はみてきてますから、そういうのを知っていただくのはいいことだと思います。

なかなか帰れないですね〜
年に1回くらい、仕事も長く休みが取れないので、
帰れないですね。
だいぶ変わってきているなっていうのはありますけど、
まだまだっていうのがいっぱい残っていて、
前見ていた景色も変わってますから、
爪痕が大きいなって思います。

(感じる空気は?)
みなさん必死に頑張っているなって言うのは感じますね。
こちらで私はがんばる!って。
お友達にも「私はこちらでがんばる」って話してます。
お友達も被災をされていますから、
元の仙台、宮城に戻して行きたいって。

(友だちからメッセージは?)
東京でがんばってねって声かけてもらうので、
私もがんばるね!って。

まさか50をすぎて東京にでてくるとは。
私は仙台離れないって思ってましたから、
一生向こうでって思っていたところなので、
いまこっちにきて改めて向こうをみると思うこともありますし、
もっともっと宮城にがんばってもらいたいって気持ちが強くなってますね。

(これからは?)
今はとにかくここでがんばって働いて、
今のところ宮城に帰る予定はないんです。
いずれ帰れたら嬉しいなって思ってますけど、今は。

(宮城のいいところは?)
宮城は海と山がすごく近い。
海の幸、山の幸がどちらも味わえるんです。
本当に向こうで食べていて当たり前に美味しかったものが、
東京にでてきたときに「あれ?」ってまずお米・・・おいしくない・・とか(笑)
いろいろ感じて、私たちすごい贅沢だったんだね。
あんな美味しいものを普通に食べていて普通に買えて、
東京にでてきたらなかなかかえないんって感じましたね。

やっぱり人ががんばり屋、
がんばり屋さんが多いなって。好きですね、大好きです!

杉山 ゆうこ/37歳/池袋/「宮城ふるさとプラザ」

まだ3年なんだなって。
なんにも変わってないし、3年って長いじゃないですか!
それなのに、街の様子も更地で、3年って時間ばっかりたっていて、
すすんでいないなって・お客さまが気仙沼言ってきたよ〜って、
全然変わってなかったよって聞くので、そうなのかなって。

お客さまがいってきたよって話してくれるんです。
ぜんぜん変わってなかったって話ばかりで、
すすんでるって話しきかないですね。

私も実際いってないので、状況ってあんまりわからないんです、
お客さまの声が唯一の情報。

東京は10年以上います。
(311のニュースは?)ずっとテレビでみてました、
連絡が取れなくて何時間してからやっと連絡がとれたって感じでした。

(東京にいて3年、変わってますか?変わりました?)
変わってないと思います。
だって行方不明の人、2000なん人いるっていうじゃないですか、
すすんでないなって。

(帰ろうかな〜ってよぎります?)
市内なので、被害は目の当たりにしてないので、
そこまでの感情はないですね。

(東京でできることを考える?)
やっぱり一生懸命がんばっている地元の方々とつながるので、
一生懸命お伝えして、すすめていきたいです、美味しいもの、
頑張っている様子を。
私ここに入って1年しかたってないので、
でもこの時期になると、お客さまが大勢きてくれてますね、
気にしてくれてるのかなって、忘れてないんだなって、嬉しくなります。
もう、すごいんです!この1週間くらい。

なんかどんどん忘れちゃうじゃないですか、
だから覚えてくれてるんだなって嬉しいです。

(宮城の方とのつながりはどんな?)
毎週、1週間ごとにイベントがあって、
宮城の方が来て売ってくれるんです。
それで話をきくので、そういうつながりです。
よく来てくれるのは気仙沼とか石巻とか、
被害のひどかったところの業者の方が来て下さって
「やっと復興したんだよ」「やっと工場再開したんだよ」って聞くと嬉しいですね。

サンマとか、大豆のハンバーグとか、
あとお豆腐とか・・・いろいろあります!
よく買っちゃいます(笑)食べないと勧められない!
やっと復興したんだよ〜って。

(東京にいると、故郷に悪いなとかうまれたりするのかな?って。)
そういう思いはないですね、それぞれの場所でがんばっている。

(これからどんな風に働いて行く?)
ここは宮城と都内のみなさんとの架橋がテーマ、
美味しいものをちょっとでも多くの方に届けて行きたいです。
やっと復興した牡蛎とか。
津波でぜんぶ養殖の牡蛎が流されちゃって復興したので、
ぜひ食べていただきたいです!!

 

さとう ゆずる/42歳/海鮮居酒屋「いわき七浜」店主/池尻大橋

福島いわき市の小名浜出身で、
このお店を開く時も、屋号をつけるなら、地元の関連した名前をつけたいなと思って。
震災の2〜3週間前から物件の話が決まって、
その準備をしてて、店の屋号を決めた1週間後に震災があった。

田舎から食材とろうとしていたのもダメになっちゃって。
放射能があるから、築地の方からとるように。

で、4月11日にオープンしたんだけど、その日も大きな地震があったよね、
ニュースを気にしながらお祝いもらったりしてました。
オープンして3か月後くらいに、いわきの常連さんができて、
Facebookやってみない?と言われ、条件検索で、いわき出身で都内在住の人に一方的に申請しまくっていたら、ひとり増え、ふたり増え。
いわきの人、震災直後なので、集まれる場所になればと思って。
みんなでここでパーっと飲みませんか?と。30〜40人集まりました。

アマゾンでいわきの地図を買ってきて、
そこに自分の実家の付箋を貼って、お客さん同士で近いね〜とか。

(ご実家の被害は?)
津波は大丈夫だったけど、
複雑だった。東京で知り合った友人は、大変だったねと言いつつ、おめでとう!
とお祝いを持ってきていたので。でも、実家は気が気じゃない。
開けたもんはしょうがないし、自営なので、常駐しないといけない。
とりあえず、この店で人と人をつなぐことはできる。
また、来た人がボランティアをしていたりするので、イベントのパンフレットとかを置かしてくれって来たりするパイプ役にはなってるかな。

この前も、震災直後からドキュメンタリー撮ってる監督の新作の上映会をこの店でやったり。

まず知ってもらわないことには仕方ない。
いくら地元が被災地だと言っても、身近に被害にあった人がいないと、感情移入ってできない。ます知って友達になって、その友達が苦労したと知ると、助けてあげたいってなる。
その橋渡しはできるかな。

(そうですよね、3.11の瞬間はそこにいなかった。でも、実家が東北にある。
という複雑なみなさんの心情って・・・)
歩道が地割れじゃなく、ねじれてるんですよ。
でも、普通に生活できてる人もいて、被災地でも、被害の差があるから、難しいよね。

田舎にいた時間より、こっちが長いし、こちらでは普通に生活できる。
申し訳ない感じになる。
だから、そういう人の手助けを間接的にしたり。
いわきの食材が売れないから、東京でPRしたりね。

(東京にいながらにしてできることってたくさんありますよね、
私も罪悪感がありました。正直、こっちで普通に暮らしていると、震災を忘れる瞬間てあるんですよね)
ふがいないような、複雑な感じはありますよね。

(3年経った今、感じることは?)
人の輪は広がりました。でも、数は減ってきていると思う。
それでも一生懸命続けてる人もいっぱいいる。

当り前に生産者だった人が、当り前じゃなくなった。
普通にやってても野菜も魚も売れないので、新たなことをたくさんやっているよね。
東京のイベントで売ったり、自分で作っていた野菜をブランディングしたり、色々なものに参加しているよ。そいういう意味ではいいと思う。
被害にあった。じゃあ助ける、助けられる。じゃあ長続きしないと思う。
これを機に、福島のこと知ってもらったから、じゃあもっとPRしようっていう!動きの方が前向きでいいよね。

まのめ ゆうこ/42歳/医療関係/池尻大橋

(実家が東北だけど、東京に暮らす人を)
隠れた被災者と呼んでいて、みんな心の中に何か抱えているんですよね。
親戚とも温度差があるよね。
結構分かり合えるのは、職場に同郷の人が結構いて。
なんにもできないねって言いながら、
こういうところに来て、いわきの事を話し合ったりして。

(3年経って今感じること)
まだ全然終わってないよね。
いわきには、浪江の人(原発避難の人)が避難してきている。
馴染めないけど、一緒にバレーボールをしたりしているうちに馴染めてきて、
でも、またどこかに行ってしまう。
外から入ってきた人と、いわきにいる人の関係もすごく複雑。
原発ですごい補償金はもらったけど、家に帰れないとか。
色々な格差が生まれていると思うと、なんかねぇ、複雑。
でも、何かできるかといっても、できない。

募金するくらいだよね。
どうしたらいいんでしょう。
うちの会社が浪江の人の健康診断をいわきでやっていて、
そろそろ地元で引き継いでくれないかなって。そういう団体を探してあげたりはできるけど、みんな生活があって、なかなか見つからない。
そうなると、何もできないなぁって。
でも、自分が実家に帰ってそういう活動をするかというと、そこまでふんぎりがつかない。

(どういう時に実家に帰ろうと思いますか?)
災害関係の研修が職場の中であるし、
被災した人の心のケアなどする機会があるので、そういう時に地元のこと考えたり。
でも、そいういう時、自分は被災していないけど、色々な思いを抱えちゃってんなぁって。

直接被災してないことへの負い目じゃないけど、
本当にしんどかったことは分からないよねって。そう言われたわけじゃないけど、
そう思っちゃう。

(いわきの好きなところは?)
自然や海だよね。
汚染されていて残念だけど、漁業も復活してほしいし、
海だけではない緑豊かなところもあるし、
あと、人がみんなのんびりしてるよね。

せきぐち(写真左)/47歳/ドライバー/とらぞう(写真右)/41歳/会社員/池尻大橋

(3年経った今感じること)
相馬の、僕らのバイク仲間が亡くなっているんですよ。
タイガーゼットシンイチ!
相馬の、海から100m満たないところに実家があって、親父さんと犠牲になったんです。
奇跡的におふくろさんが助かって、今もおふくろさんと交流がある。

せきぐち:
3年は長くはないよね、あっという間だよね。

とらぞう:僕は浪江なんです。おふくろと妹はこっちに避難してきています。
仲間が犠牲になってるけど、場所も時も変われば、自分たちだったかもしれないし。
また、この震災がなければ、うちらも会ってなかった。
ヤツが改めて俺たちをつないでくれたんじゃないかなって。
(それをきっかけで生まれるものもあるんですね)

(実際に被災していないけれど、地元が大変である複雑さがあります)
せきぐち:
その時にその場所にいなかったら、分からない。
分かったふりはできても、本当は分からない。
ありきたりな言葉だけど、忘れずにいてほしい。

(こっちにいながらにしてできる事、たくさんある?)
あるかもしれないけど、実際何ができるかと言えば・・・・
募金を呼び掛けてる人もいるんだけど、最近疑っちゃう。
本当にこの人、このために使ってるのかな?と。

とらぞう:
今はインターネットで活動している団体が分かるから、その中で各々が心に響いた団体に活動を支援するのはできると思う。
できなくても、心にとめておく。俺たちの仲間が逝ったっていうのもあるけど。
常にヤツがここにいますよ。

 

はやしざき ともみ/22歳/大学生/有楽町

今日は福島市から来ました。
生まれは南相馬市の原町区で、原発から18キロのところに家があります。
今は福島市の大学に通っています。

(今回、どういう活動を?)
3年前の震災のことを思い出してほしいと思い、募金活動に参加しました。
募金活動になかなか関心を持ってくれないことが辛かったり、
募金してくださる方が、福島に縁のある方で、どうしても福島で起きてる事が遠くで起こってる事なのかなと思います。
悲しいです、福島だけの問題じゃないし、いつどこで災害が起こるか分からないので、
もっと自分事として考えて欲しい。

(県内出身で東京に住んでいる友達は?)
います。関心や情報が薄れてる友人もいるので、なるべくお話ししたいんですが、
東京でそういう話をしたくても、周りと温度が違くて話せないという友人もいるので、
全体的にもっと関心を持ってもらったらいいな。

(3年経った今、感じること)
自分はいろいろなことに気づいたり出会ったり、考え方が変わったり、伝えたい事もどんどん増える一方で、そういう事に増える機会がない人もたくさんいて、人の意識を変えていくのは難しいと感じています。

世の中への関心への低さ、何が起きているのか知るのも大切ですが、
政治とか、自分が世の中にどういうアクションを起こすかが、なかなかまだ出せてないかなと感じています。

(福島の伝えたいところ、好きなところ)
食べ物が美味しいところや自然が豊かなところもあるんですが、
私が福島に残りたい理由は、あったかい人がたくさんいるからです。
3日間東京にいます。

私たちが3年前に苦しい思いや悲しい思いをしたので、これ以上増やしたくない。
防災や、世の中に対してもっと関心を持ってできることを探していただけたらと思います。

*女子の暮らし研究所
http://www.girls-life-labo.com/labo.html

あおやぎ みつあき/46歳/東日本大震災復興支援チームリーダー/有楽町

(どんな活動を?)
東日本大震災から3年経ちますが、
NPOやボランティアに活動資金の援助を行ったり、避難所のアセスメントと言って、生活状況の調査を行って、足りないものを運んだり。
震災直後からすぐ動いて、3年経ちます。

(特にどんな場所へ?)
被害が大きかった、宮城、岩手、福島にはまんべんなくまわっております。
3年経つと、岩手、宮城は復旧復興で、元の街に戻そうと取り組み、比較的に前向きな話は聞けますが、福島は状況が違うので、なかなかそういう気持ちになれない方が多いかな。

(福島出身で、在京の方と触れ合う機会は?)
あります。県外非難といわれる方がいますよね。
私だったら、あの状況で生まれたところに留まれるのか、東京に出てこれるか、
判断が迷う。出てきてる方もいますが、落ち着いた生活はしていないと思います。

(3年経った今、感じること)
私は、東京でこの支援活動を続けています。
毎週東北へ行っていますが、拠点は東京です。
首都圏で暮らす人の東北へ対する気持ちは、3年経つと、どうしても薄れてしますかな。
3月になると、報道が増えるけど、また4月5月になると、忘れられていくのかな、という気持ちの方が大きい。

(そういう事実ってどうなんでしょうか)
まじめに言えば、少し寂しいですよね。
募金活動していて、素知らぬ顔で通り過ぎる方が9割なので、悲しい。
でも、忘れないでいてほしいというのをおっしゃってる方が多い。
自分事ではなくなっている感じがあります。

(福島のいい部分は?)
東北の方、みなさんそうなのですが、
福島は気持ちがあったかくて、いい意味で引っ込み思案。
なかなか自分の気持ちを表に出して言うことはないけど、
その分表情やしぐさで、気持ちが分かる。お話していると、気持ちがあったかくなります。

(最後にひとことどうぞ)
震災から3年経ちましたが、
東北で起きてることは、日本のどこでも起こりうることです。
災害が起きていなくても、高齢者が多くて子供が少なくて、
地元の産業が元気がなくなってというのは、色々なところで起こっています。
なので、復興支援としてではなく、自分の事として捉えて、できれば一緒に何か行動して欲しいと思います。