今月ワールド・クルーズにご乗船していただいているのは、
プロ・スキーヤー、冒険家・登山家としてご活躍の三浦雄一郎さんです。

三浦さんは今年の5月に世界最高齢の80歳でエベレスト登頂を果たした方です。
本日はスキーヤーとして、海外で体験されたお話を伺っていきます。


ー 野次馬的な好奇心というか、気持ちは世界一になってみたいと思うんですよね ー


干場「オリンピックを目指していた三浦さんですが、スキーアマチュア連盟から永久追放という厳しい決断がくだされた事もあったと思うのですが、その後世界プロスキー選手権へ出場するまでは、どのような苦労があったんですか?」

三浦「僕は結婚して、2人でオリンピックに行こうかと話してたんです。それから東京に出て、フクハラフィルムの六本木の物置に居候したんですよ(笑)」

干場「物置ですか!?どのくらいの大きさだったんですか?」

三浦「荷物をよけて、布団2枚ひければ良いくらいですね。東京でスキーをやる人は金持ちが多かったんですよ。でも、そういう貧乏暮らしは気にならなかったですね。「世界が待ってる!」みたいな感じで、そっちの方がキラキラしていましたね」

干場「そこからはどうやって世界へ行ったんですか?」

三浦「とりあえず山小屋に入って、足腰を鍛えようと思いました。荷物担ぎといって、山小屋へ食料を運んだり、工事現場に機材を運んだり、100キロの荷物を担いで、雪山を登ってセメントを運んだりしましたね。帰りは走って降りていくんですよ。1961年に第一回の世界プロスキー選手権のニュースが入って来て、それが29歳の時、初めてアメリカへ行きました。予選通過が大変で、少しずつ8位、6位、3位と順位を上げていったんですよ」

干場「常に、前人未到の分野でトップを目指して来た三浦さんの、その原動力は何ですか?」

三浦「結局、野次馬的な好奇心というか、気持ちは世界一になってみたいと思うんですよね」

干場「それがすごいですよね(笑)」

三浦「それを続けていくうちに、アルペン競技の世界一は無理だと分かってきたんですよね。せいぜい3番くらいまでですよ。次から次へと若い選手がオリンピックでメダルをとって、参加してますからね。それなら同じ人と競争してたんじゃ無理だと、スキーでまだやって無かった事を考えてみようと思って、日本に帰って、スピードスキーの世界記録を作って見ようと思ったんですね」

干場「スピードに対する恐怖は無かったんですか?」

三浦「いや、面白かったですね。前の世界記録が164キロだったんですけど、172キロを出して、世界新記録を出したんです。今考えると、何であの頃目標200キロにしなかったのかと思いますよ(笑)

「クルーズの中でフォーマル着用のシーンに着物はOK?」

クルーズのフォーマルシーンで、着物はもちろんOK。
むしろ、外国の船で着物は喜ばれるそうなんですよ。

荷物を考えた時に、乗船前や降りた時に利用出来る、
宅急便で送るのも一つの手ですよ。

海外では、お客さんや乗務員にも喜ばれるし、レストランのフォーマルな場面でも映えるんです。
ラグジュアリーなクルーズに、和の雰囲気が合わさって、着物はとても素敵ですね。