便利な生活から離れてみる

稲垣えみ子(フリーランサー)×山極寿一(総合地球環境学研究所所長)

2021

11.19

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元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣さんは、『週刊朝日』編集部などを経て、論説委員、編集委員を務め、2016年に50歳で退社。以来、夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしの”楽しく閉じて行く生活”を模索中です。

一方、ゴリラ研究の第一人者と知られる山極さんは、京都大学の教授、京都大学の総長を経て、現在は、地球環境問題の解決に向けた学問を創出するための総合的な研究を行っている総合地球環境学研究所で所長を務めています。

電気代月200円の超節電生活を送る稲垣さんとアフリカの森で野生のゴリラの群れの一員としてゴリラと共に暮らしていた山極さん。今回が初対面となります。

ジャングルと都会での暮らし



稲垣
はじめまして、こんにちは、稲垣えみ子と申します。

山極
山極です。ゴリラと思って話してください。

稲垣
今日、先生がいらっしゃった時、歩き方がゴリラ風かと思いながら見ていたのですけど、

山極
そんな認識するわけではないですけど、背後霊がゴリラだから、向こうが僕を操作しているかもしれないね(笑)。

稲垣
背負っている感じですかね。

山極
ところで、稲垣さんは、激し目の節電生活を都会でやるのは、大変では?

稲垣
新聞記者時代に東日本大震災と原発事故が起きて、これからやっていくのは厳しい印象をみなさん持ったと思うんですけれども、とりあえず電気代を半減してみようと思って、そこから始まって、電子レンジ、掃除機、テレビ、冷蔵庫、洗濯機とどんどん電化製品をやめていったんです。決死の覚悟でやってみたら、案外、全部ない方が良かったんですね。不便な部分もあったでしょうけど、ないとそれなりに自分で工夫して、何かやろうとするので、その工夫することを生涯忘れていたことに気が付いて、ちょっと工夫をすれば全部できることがすごい楽しくなって、案外ない方が快適なことに気がついて。

山極
僕は、全く物がないアフリカのキャンプ生活と、なんでもある日本の生活を行ったり来たりしていたけど、向こうの生活は不便ではなかったですよ。電気はない、冷蔵庫もない、マッチ1本なくても、現地の人は火をおこせる。ただ火は重要だよね。夜は寒いし、食べるものは焼かないと危ない。熱帯は寄生虫がいっぱいいるし。電気がないからスマホもないし。お風呂は川。快適ですよ。日本に帰ってきたらなんでもある生活にスッと戻れる。

稲垣
両方とも違和感ないですか?

山極
違和感ないな。ただ1日をうまく組み立てないといけない。一つ一つ時間がかかるから、料理を作らないといけない、洗濯もしないといけないし、体も洗わないといけないし、川に行くと、体を洗うと共に洗濯もして、それを干して、雨が降ってきたら、取り入れて、1日を段取りつけて過ごさないと溜まってしまう。

稲垣
都会だとその辺は水道も出るし、そこまで段取りをしなくても結構やっていけるんですね。

山極
現代の危機は、時間を節約して、自由な時間を作ろうとする方向で動いてきたわけよ。みんな自由の時間を持ったけど、持て余して、ずっとネットを見ている。森の中で暮らしていると、いろんなことが終わった後に、ゴリラの観察に行くとか、出会いに行くわけよ。相手がゴリラでなくても人でもいいし、植物でも鳥でもいいし、それが楽しみで、歩くことも好きになるし。でも、都会は、あらゆるものが便利にできているから、結局、自分が関与して、いろいろなものが変わっていく感触が得られないから自分が動かされている感触が来ちゃうんだよね。自分がやっているのでなくて、自分がやらされている感じがあって、それがイライラするのではないかな。例えば、洗濯機が動かなくなったり、ガスが付かなくなったりすると、自分一人で直さないから、そこでぷつんと切れてしまう、自分もぷつんと切れてしまったような気がしてしまい、本来アナログである人間が、まるでデジタルに、要するに機械になってしまう。そういう気になってしまうのが辛いなって感じだね。

稲垣
そうですね。


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自由な時間は孤独の時間を作ること



稲垣
私は都会にいますが、デジタルとか便利なものをかなり止めたので、都会の中ですけど、例えば、冷暖房もなく、火鉢の火をつけるとか、大変ですけど、慣れてきたら、それ自体が楽しいというか、壊れても平気だし、なかったらなかったでやっていけるのを一つ一つ学んでいったので、便利なもの止めて、すごい豊かになったんですよ。それまで便利なものが自分を豊かにすると思っていたら、便利なものを止めたらそれ自体が全部楽しくなっちゃって、すごく人間の便利とか進歩は何だったのかという疑問が湧いてきました。

山極
便利とは、本来なら自分がやっていたことを何かに任せること。何かに任せたほうが、自分が自由でいられるし、どんどんどん効率化してくれる。でもそれは逆説的で自分の関与が減っていくだけだから、自分が参加している、自分が作っている意識から遠ざかっていくわけだよね。例えば、アフリカの熱帯林で、周りから見たら不便な生活をしていても、人と人とがやりあっていたり、人と自然が対峙しているから、自分が巻き込まれている感じがいつもしていて、その緊張感とワクワク感が止まらないですよ。その方が生きている感じがするよね。都会には都会のルールがあって、僕は”接して関わらず”と言っているけど、そういう中で暮らしていると、互いに関わりあって熱く生きようみたいな姿勢がだんだん薄れてくるんじゃないのかな。他人とはちょっと距離を置いて、眺めて、自分のことだけを一生懸命やっていればいい。他人に迷惑がかからなければいいでしょみたいな、そういうのが都会だよね。田舎は向こうから来る人が知っていれば、絶対にそこで話をしないといけないから時間を使うのよ。時間はコストではない、都会はコストになってしまうんだよね。自由な時間と言っているけど、それ結局、鯔のつまり、孤独の時間を作ることになっているわけだよね。


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