今日のゲストは…昨日に引き続き山下達郎さんが感謝されていることとは…
「僕が一番感謝している人達は…僕がブレイクする前、地方局にプロモーションをしに行った時。一番、そういう意味で印象に残っているのは…1979年に、初めて岡山に行ったんです。それで山陽放送という放送局のラジオ制作副部長であり、プロデューサーである方が、岡山の駅前の天満屋という所にあるサテライトスタジオで、いきなり2時間半の生特番を入れて…僕はまだアルバム『MOONGLOW』を、出したか、出さないかぐらいの時だったから一般的に知名度はなくて。アナウンサーの方も僕の名前を知らないし、生で不安で、どうなるかって思ったんだけど、近所のレコード屋とか、ラジオを聴いて、若い子たちが見にきてくれたから、事なき得たんです。でも、その方は…なんで午後の重要なゴールデンタイムに、そんな無名のミュージシャンを出したんだ?と、始末書を書かされたそうなんです。その人はでも、すごく不思議な人で…でも、そういう方が全国に何人かいるんですよ。それで、その人も博覧強記というか…カントリーと、SFと、ドラクエ教えてくれたのもその人だし…歳はとっているんだけど、非常に鋭敏な人で…でも、そういう人が本当に何人も全国にいて、それで…そういう人が助けてくれたんです。それで、僕らの事を後押ししてくれたんです。行動でね。例えば…大晦日にフォークシンガーを呼んで“餅代”っていうか、公開録音をして、そのギャラを“餅代にしろ”って渡してくれたんです。そういう人なんです…だから今でも、もちろん感謝しているし、その人たちの所に行けば酒も飲みますし、飯も食いますけど…でも、そろそろ皆さん定年で、完全にリタイアになってきたので、もうちょっと…お元気で、長生きして欲しいと思っています。」
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム : 粉フキンさんからのメッセージ
「妻へ … 結婚して9月4日で20年です。振り返れば、当時自分は21、君は19で世の中を知らない二人で、県外に出てアパート暮らししましたね。今では三人の子供に恵まれ、家族五人で楽しい生活が出来るのも君のおかげです。結婚してからたいしたプレゼントしてないですが、疲れを癒しに温泉にでもいきましょう。そしてこれからもよろしくお願いします。 誠」