オンエアレポート

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Thu

今日のゲストは…昨日に引き続き武田鉄矢さんをお迎えしました♪



今日のゲストは昨日に引き続き…今年、デビュー40周年を迎えられる“海援隊”のボーカルであり、リーダーでもある武田鉄矢さん! 武田さんが感謝しているのは・・・『母の言葉』

「私の姉が、阪神・淡路大震災の時、被災して地元福岡に帰って来た時、母は姉に…

母: 帰りなさい。神戸に戻ってお店をあけなくてどうするの?

ショックだったと思うんです。地震の起きる半年ぐらい前に、1億円貯金パーティーというのをやっていて、少しずつ貯めた貯金が…現実に1億円貯まったんです。小さな小料理屋を営みながら…でも その後の震災で、お店も、マンションも傾いてしまって、全て失ってしまったので…すると姉が、、、

姉: もう神戸から帰るわ…
母: 帰ってきたらつまらんたい。もう一回、神戸に戻って働かないと…なんでもよかけん店で売りなさい。

姉: のれんがかからへんねん…柱傾いてるねん母ちゃん。
母: のれんかからんならチョウチン提げればよかたい。どこでもまっすぐさがるけん…あんたたちは震災、震災ばかりいうとるけど、震災の時は炊き出しの飯がもらえるそうじゃない…

姉: そんな、毎日毎日にぎり飯ばかり食べれないわ…
母: 何を言うとるか…戦争負けた日の、日本の事を話してやろうか…なんも無かったとばい。博多の町は何にも無かった…B-29にやられて…300万人死んだとばい…日本人が…原爆 2つ落とされたとばい…でも、次の日の夕方“豆腐売り”がきたばい。小商いの人々はみんな夕方から働き始めた、戦争に負けた日から…持ち場、持ち場で商売がある。あなたも商売持ってるんだから自分の商売しないと…店がだめだと思って灯りを消したら真っ暗闇でしょう…なんでもいい、白湯でもいいから売りなさい。明かりを灯しておけば、灯した明かりが表に出て街頭になるんだから…そうして通り場作るったい。昭和の苦労を考えれば、出来ないことはなかばい…



リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム : ちりさんからのメッセージ

『私が「ありがとう」を伝えたいのは遠い九州に暮らす両親。高校卒業まで実家に暮らしていましたが、両親から与えられていた深い愛情のそのありがたみに当時は全く気付いていませんでした。実家を離れ一人暮らしを始めて、両親が私を寛大な心でいつも見守ってくれていたことを知りました。3月11日に起きた震災でもそうですが、日々のなかで「当たり前」と感じている多くの物事は、実は「当たり前ではない」のだと思います。生まれてこのかた、両親に愛情一杯に育ててもらったことに感謝しつつ、今あらためてこのメッセージに想いをのせて伝えたいと思います。「お父さん、お母さん、いつも私にたくさんの愛情を注いでくれて、ありがとう。』