Dream Heart(ドリームハート)

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REPORT 最新のオンエアレポート

Dream HEART vol.196 吉見俊哉さん

2017年01月01日

今夜お迎えしたのは、先週に引き続き、東京大学教授で社会学者の吉見俊哉さんです。

吉見さんは東京都の出身、2004年より東京大学大学院情報学環教授に。
また、2011年より東京大学副学長を兼任されていらっしゃいます。

演劇論的なアプローチを基礎に、日本におけるカルチュラル・スタディーズ(文化社会学)の中心的な存在として、
先駆的な役割を果たしてきた方です。
今週は吉見の人生を振り返っていただき、お話を伺いました。






──演劇から学んだこと


茂木:先生の研究されていることを一般の方にお伝えすると、どういうことになるんでしょうか?

吉見:研究対象はメディアだったり、都市、大衆文化、文化に関わること何でもありなんですね。
文化を単に作られたもの、消費されるものとして見るんじゃなくて、演劇論的アプローチと言ってるんですけど。

茂木:はい、そうですね。

吉見:様々な人々や社会がインタラクティブに関わりあう中で生まれたり、形を変えていったりする。
そういう文化をひとつひとつの現場で見ていこうという事で、これまで都市の盛り場とか博覧会、テレビやメディアのさまざまな現象だとか、そういうことについての分析をしてきました。

茂木:博覧会というと、大阪で2度目の万国博覧会をやろうという動きもあって今の問題でもありますね。

吉見:博覧会の時代は終わったと、以前から言ってますけど。そういうことを考えていく上で、私たちが1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博の成功体験に今だに呪縛されている。

茂木:なるほど。

吉見:東京文化資源区のように新しいビジョンで新しいものを作っていこうと、実践としては意味のあることだと思っています。
研究という面では、”オリンピック、万博は一体何だったのか?”ということを、数百年の歴史の広がりの中で、国家とさまざまな……私たちの欲望とか、社会の仕組みとか、それがどう関わり合いながら、万博やオリンピック、都市の盛り場が出来上がってきたのかを長いスパンの中で考え直してみるということですね。

茂木:聞いたところによると、吉見先生は演劇の方に力を入れていたとか?

吉見:原点ですね。なぜ、都市論とか社会学を始めたのかという出発点に戻るんですけど。
東京大学の駒場寮というのがあって、そのさらに奥に駒場小劇場というスペースがあって。
それこそ、野田秀樹さんなんかがスターになっていった場所です。そこで如月小春さんという80年代に大活躍された方がいて、如月さんと一緒に何年かお芝居をやっていました。その芝居での経験が今の原点にあります。

茂木:先生は役者もやられていたんですか?

吉見:僕は役者の才能はなかったんですよ(笑)。

茂木:脚本を書かれていたんですか?

吉見:如月さんと共同演出なんかもしました。
演劇って、なんでそんなに魅力があったのかというと、1つの同じ台本で14回とか20回やるじゃないですか。
だけど、同じ台本でも一回一回できあがってくるドラマって全部違うじゃないですか。
その時のお客さんの具合、役者のコンディション、裏方の状況とか、微妙なことでドラマが変わって進化していく。ドラマって、ものすごく一過性のものだと思うんですよね。

茂木:そうですね。

吉見:人と人が出会ってドラマが生まれてくる、それは劇場の中だけじゃないんじゃないかと思ったんです。
私たちが日常生活を送ったり、都市の中で生活したりする時に、さまざまな人に出会いながら、さまざまに私自身が演じている。
すごく素晴らしい魅力的な劇もあれば、そこから逃れたいような劇もあって。でも私たちは、それこそシェイクスピアが言うように
「人生はすべて芝居かもしれない この世はすべて劇場かもしれない」と、
でも、私たちが演じながら社会が成り立っているとすれば、そのドラマとか劇場は、どう成り立っているかということを社会学という学問の中で考えてみたいということですね。





──言うべき事、考えるべき事


茂木:先生は学者として論文を書かれて、でも学生時代の演劇の経験って役に立っていると思うんですけど。
学生時代、勉強とか学問以外にも一つ打ち込むものがあるといいですか?

吉見:あっても、なくてもいいと思います。
ただ、”今これは無駄だ”と思っていることが、長い目で見るとものすごく役に立つことって、すごく多いと思うんですよ。
今、役に立つと思っているものだけやっていると長続きしなかったりするんじゃないかと思います。

茂木:これは大学のあり方もそうですよね?いわゆる、役に立つ学部だけでは?

吉見:そう思います。2015年の夏に、「文部科学省が文系学部廃止を通知した」ということをマスコミが報道して大騒ぎになりましたよね。
あれはメディアが誇大に報道したというので、メディア側に問題があるんですけど。ここ10年、15年、人類社会科学系の学問が追い詰められていったというか、異常にジリ貧になっていった歴史が10年、15年単位であると思います。

茂木:そうなんですか。

吉見:あまりにも、役に立つことだけを追求しすぎる世の中になってきてしまったために、本当はもっと長い目で考えてきた時には、もっと役に立つものを見失ってきちゃったっていう事があるんじゃないかと思います。
『「文系学部廃止」の衝撃』という本を出したんですけど、マスコミの誇大な報道の問題点の指摘もしましたけど、一番言いたかったのは
多くの日本の人たちの中に”息子や娘を行かせるなら、理系の方がいいよね”とか、
高校生とかも”就職のことを考えたら、理系に進む方がいいよね”とか、
”理系は役に立つけど、文系は役に立たないよね”と思ってしまっている通念、常識のようなものが広がっているんじゃないかと思います。これに対して、”違うんじゃないか”っていうことを言いたかったんです。
文系は役に立たないと思っている皆さんがいるとしたらば、その”役に立つ、役に立たない”という考え方そのものが狭すぎるんだと。

茂木:前提が間違っているということですね。

吉見:それを言うべきだと思って。そういうことを、この本の中ではもう少し深い形で議論をしていったんですね。





「吉見俊哉研究室ホームページ」







来週のゲストは、神の手を持つNY在住の外科医、加藤友朗さんをお迎えしてお話をうかがっていきます。
どうぞお楽しみに。