『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!
今週のゲストは、先週に引き続き、シンガーソングライターであり、俳優としてもミュージカルなどで活躍されている中川晃教さんです。
中川さんの第1のターニングポイントは、2001年。18歳の時。
『I Will Get Your Kiss』でデビューし、ミュージカル『モーツァルト!』の主演に抜擢された年でした。
今週は中川晃教さんの、その後の人生に起こる第2のターニングポイントについてお話を伺いました。
●どん底から這い上がる
川田「200
1年にシンガーソングライターとしてデビューされて、すぐにミュージカル『モーツァルト!』の主演に抜擢された中川晃教さん。その後は、舞台のお話がひっきりなしに飛び込むんですよね。
20
13年は、
1年間に9作品も舞台に出演されています。そうなると、お稽古や公演がかぶっていくわけですよね。どういう風に切り替えるんですか?」
中川「切り替えは、だんだんできるようになってきたんですよね。僕は食べるのが大好きなんですよ。気軽に切り替える方法は食べる、飲むなんですけど」
川田「今も舞台に出続けてらっしゃるわけですけど、そんな中川さんの人生に起こる第2のターニングポイントは、いつ、どんなことになりますか?」
中川「2009年、孫悟空の物語『SUPER MONKEY』という公演が中止になったときです。ようやく、こうやって初めて自分の口でお話出来てる、新鮮な感覚なんですけど。
幕が開く2週間前くらいにプロデューサーの方々が稽古場に来て、『今回いろいろな理由があって、この公演が中止になりました。今日でこの稽古場は解散です』と言われたときに、みんな震えてたし、怒りを通り越して、”どうすればいいんだろう”ってなっていましたね」
川田「そういうことは、あるんですか?」
中川「ないですね、あってはいけないですよね。なぜ、このお話をしようかと思ったかと言うと、前の年は音楽だけに集中した年なんですね。翌年の『SUPER MONKEY』に全てをかけようと準備をしていたんです。
思いもたくさんあったんですけど、いざ中止になった時に、どん底に落ちた感じになったの。公演が中止になったショックの中に、感情が飲み込まれて、そんな時にある演出家の方から、『中川くん、やらない?』と言ってもらったのが、『女信長』という舞台だったんですよね」
川田「そうだったんですね」
中川「この舞台に抜擢していただいたときに、”言われたことはなんでもやろう!”って、気持ちが変わったんだよね。
この経験をきっかけに”とにかく、しのごの言わずにやる!”と、決めたんですね。どん底まで落ちたら、あとは這い上がるしかないだろうと、思わせくれたんだよね」
川田「それまでは、自分の中で作られていたわけなんですね」
中川「やっぱり、本当の意味で自信がなかったんでしょう。いろんなチャンスをもらったし、いろんな役をもらってきたし、それに
120%応えようとやっていたけど。果たして、周りがどこまで見れていたか分からないよね。
”座長って、本当の意味でなに?”っていうのも分かってなかったかもしれない。
その中で一生懸命やってきてたけど、実際に舞台が中止になって、自分を見つめ返したと思うし、声をかけてもらった、それに対して全力で応える、そこに最終的に結果がついてくるだろうと、そうやって思えた。
『SUPER MONKEY』の後に、NHKのドラマが初めて決まったり。そして、香川照之さん、鈴木省吾さん、ラサール石井さん、そして僕、の4人の芝居、『7Days Judgement -死神の精度-』脚本・演出が和田憲明さん、この方と出会ったことで、芝居の面白さに気付いたし。
もっともっとできると思えた自分がいたから、景色が全部変わったんですよ。
2009年は、どん底から、一気にいろんな人との出会いに恵まれ、そこに自分自身が挑んでいくことで、いまの20
16年の自分に繋がってるターニングポイントでしたね」
●『フランキーヴァリという役と出会ったことが、第3の声といってもいいくらいですね』
中川「第
1の声が、デビュー曲の『I WILL GET YOUR KISS』そして、ミュージカルと出会ったことで第2の声。表現というものが、広がって深まっていった。自分の人生と重なって、歌というものに命をかける、生きる事イコールになっていきました。
まさに、フランキーヴァリという役と出会ったことが、第3の声といってもいいくらいですね。
この声を出せて、それが自分の中でフィットしていて、お客さんから見ても違和感がなくて。というのが、役になりきる上でマストなわけですよ」
川田「なるほど」
中川「デモテープを送って、本国からOKをもらうという流れの中で、最初歌った中に『Sherry』という曲があったんです。
このミュージカル『ジャージー・ボーイズ』の虜になっている関係者って多くて、僕よりも熱い人がいっぱいいて、『中川にやってほしい』って言ってもらったところから始まってるんですよ。
実際にやりましょうってなってから、”やばい、この曲難しい!なに?”って思ったんですよ(笑)」
川田「最初、女の人が歌っているのかと思ってしまうくらいの…」
中川「”天使の歌声”って言われてるくらいですからね。音域としては出していても、この発声法では出してなかったですね。
発生の違いをコントロールすることが、この役に必要だったということと、そのOKをもらうための、テープを送るっていう審査ということが後にわかり。これで、本国からノーって言われたら出来ないってことじゃん!って(笑)。真剣にやって、見事獲得しました(笑)」
川田「本国に送って聴いてもらうっていうことで言うと、いろんな方に認めていただけなければ、決まらなかったわけですよね」
中川「世の中、いろんなことがありますけど。この作品に関してはそうですね」
川田「中川さんの、これからの夢を聞かせていただけますか?」
中川「いろんな経験が、この33年の人生の中にありますけど、2つあります。まず、オリジナルのミュージカルを作らないといけない、そんな気持ちになっていますね」
川田「オリジナルですか!」
中川「もうひとつ、ミュージカルをやりながら音楽活動をやっていく。ミュージカルって、やっぱりエンターテイメントだと思っているんです。どんな人が足を運んで、劇場に訪れて、その瞬間を観て、必ず劇場を去る時に”感動した、楽しかった。なんだろう、この感覚?”って、日常がひとつも、ふたつも変わる。
エンターテイメントの持つ力、どんなに苦しいときも、エンターテイメントはなくなってほしくないですね。そう思えるのは、この仕事に携わることができてるからだと思います。
音楽をやることで、エンターテイメントの世界の中での新たな道、誰も歩いていない道、中川晃教が歩いてる道というのが、しっかりと残せたらなと思っています」
>>来週は、映画プロデューサーの川村元気さんをお迎えします。
お楽しみに。