Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2018.04.29

「自分が親になって、自分の子にあれだけ怒れるってすごいなと思って」:リオデジャネイロ・オリンピック 卓球男子団体 銀メダリスト 吉村真晴選手
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、リオデジャネイロ・オリンピック 卓球男子団体 銀メダリストの吉村真晴選手をゲストにお迎えしました。

吉村真晴選手は、2016年、水谷隼選手、丹羽孝希選手とともに
卓球男子団体で準優勝、オリンピックでメダルを獲得したのは日本男子卓球史上初です。

昨年の世界卓球選手権ドイツ大会では石川佳純選手と混合ダブルスに出場し見事優勝
混合ダブルスとしては48年ぶりの快挙達成、輝かしい戦績を残しています。
そんな、吉村真晴選手の人生のターニングポイントを伺いました。


●厳しい練習の中で


川田「ご自身で振り返って、2年連続の輝かしい成績はいかがでしたか?」

吉村「怒涛でしたね(笑)、まさか自分が世界チャンピオンになるっていうことも考えてなかったですし
ましてやオリンピックのメダリストっていうのは小さい頃からの夢だったので、すごい充実した2年間だと思っています」

川田「卓球を始めたのは物心ついたときからですか?」

吉村「幼稚園の頃からやりたかったんですけど、お父さんがなかなかやらせてくれなくて」

川田「お父さんは卓球選手だったんですよね、どうしてですか?」

吉村「何だったんでしょうね?”なんで卓球やらせてくれたの?”っていう話は聞いたんですよ。
そしたら、『悪ガキになったら困るから、卓球は俺の方が強いから文句言われても言い返せるだろ』みたいな(笑)。だから、僕が卓球始めたのは小学校1年生の時なんですよね」

川田1年生でスタートしたときはスパルタだったんですか?」

吉村「最初はまったくだったんですけど、小学校2年生で全国大会出て、ベスト8に入って、お父さんが『真剣に卓球やるぞ!』となって。そこからは地獄でしたね(笑)」

川田「どういう厳しさなんですか?」

吉村「基本練習を毎日やるんですけど、これがやれなかったら次に進めない、できないとラケットでボールを当てられたりとか、叩かれたりとか」

川田「体も使って厳しく、ですね。やめたいとは思わなかったですか?」

吉村「やめたかったです、本当に苦しくて。でも、やめたいって言ったら、もっとすごいのが来るっていう恐怖でねじ伏せられてました(笑)。
『卓球やめろ!』って言われるんですけど、”これでやめるって言ったら、俺、どうなるんだろうな?”っていう(笑)。『やる!』って言って、続けさせられてました」

川田「それって、お父さんが吉村選手の性格というか、そういうのもわかった上でそうしていたんですかね」

吉村「だと思います、今思えば、あれがあったから自分がここまでこれたっていうのを感じられるんですけど。
自分がいま親となって、自分の子にあれだけ手を出せる、怒れるってすごいなと思って」

川田「なかなかできないものですよね」

吉村「無理ですね、ちょっと尊敬するところはありますね」

●大きなターニングポイント


川田「吉村真晴選手に訪れた、第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

吉村「2012年の18歳のときにあった、全日本卓球選手権大会シングルスでの優勝のときです」

川田「吉村選手は仙台の中学に行かれるんですよね?」

吉村「そうですね、卓球で生きていこうとほぼ決めて」

川田「中学生の時に、ご両親と離れるというのはどうでしたか?」

吉村「嬉しかったですね(笑)。すごい苦しい練習をしていたので」

川田「どんな感じだったんですか?」

吉村「顧問の先生に怒られても、お父さんの方が厳しかったので慣れちゃってるんですよね。
他の人を見てたら、ちょっと柱の横で隠れて休憩してたりとか、ガキンチョでしたね」

川田「そうしてしまうと、成績も落ちてしまうものですよね」

吉村「中学3年間で、最高3回戦でしたね。ベスト64、128とか。小学校では1位、2位とかだったんですけど、まったく置いていかれた存在になっちゃったので」

川田「そこからもう、一回スイッチを入れ直したのはどういうきっかけですか?」

吉村「監督さんと山口に転向して、『3年後に山口国体があるから、チームの中心として戦ってくれないか?』っていうのを言われて”これはやってやるしかないな!”と思って。結果が出てない僕に頼んでくれるのが嬉しくて、初めて責任を感じて”これで俺がやらないと、山口に来た意味ないんだな”って」

川田「なるほど」

吉村「行ったら行ったでメディアに注目されて、『3年後、注目の吉村選手です』と言われて、”俺、本当にやらないといけないんだな”って。
そこから練習量も増えましたし、どうやったら勝てるか、ビデオを見て自分で研究したりして、本当にいろんなことをして大きく成長できたのかなと思っています」

川田「そして、全日本卓球選手権大会シングルスで優勝しましたね」

吉村「高校生で史上2人目ということもあって、自分が全国タイトルをとったのが2回目なんですよ。
普通だったら全中で優勝、インターハイで優勝、大学で優勝したりして、全日本チャンピオン。この流れが一般的なんですけど、それを通り越して、監督のもと6年間やってきたのがやっとつながって優勝できたこともあって。
ようやく自分も、日本代表の一人として戦える力がついてきたのかなと感じたので、自分にとってのお大きなターニングポイントですね」

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>>来週も引き続き、リオデジャネイロ・オリンピック 卓球男子団体 銀メダリスト 吉村真晴選手をお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.04.22

「それは自分が望んで幸せな中で授かった命なので必死で」:歌手・荻野目洋子さん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、今週も歌手の荻野目洋子さんをゲストにお迎えしました。

荻野目洋子さんの第1の人生のターニングポイントは、1985年。16歳の頃。
『ダンシング・ヒーロー』に出会った時です。

そんな、荻野目洋子さんの人生に起こる第2のターニングポイントを伺いました。


●結婚して気づいたもの


川田「荻野目洋子さんの人生に起こる、第2のターニングポイントを教えてください!」

荻野目「2001年の結婚した年ですね」

川田「この時に仕事は一旦セーブをされたんですよね?」

荻野目「はい。レギュラー番組とかやらせていただいていたものは一旦終わりで。特に『休業します』と言ったわけではないんですけど。
主人が元プロテニスプレイヤーで、テニススクールとかも知人と始めたので山梨に引っ越したりとかもして」

川田「ご主人とは同級生でいらっしゃるんですよね?」

荻野目「『ドラマみたいだね』って言われるんですけど、自分たちとしては仕事のために別れなきゃいけなくて、再会して結婚に至ったんですけど。
綺麗事というわけでもなく、主人も一回結婚した経験もあるし、バツイチでまた色んな人生があって、私も色んな人生があって出会えたので」

川田「はい」

荻野目「お互いにフラットな状態で結婚できたので、そこからは高校生の感性のまま、素の自分でいられるっていう感じで家族を築き上げていきました」

川田「娘さんが3人いらっしゃるということで、家事と育児は大変だったと思うんですけど。この時はどういう生活だったんですか?」

荻野目「大変ですけど、それは自分が望んで幸せな中で授かった命なので必死で。一昨日くらいも、電車に乗ってたら隣に3人の幼い子供を連れているお母さんがいて、思わず話しかけてしまったんですけど(笑)」

川田「荻野目さんが電車にいるのもびっくりですし、話しかけられたお母さんもめちゃくちゃびっくりしますよね(笑)」

荻野目「全然気付いてないですよ、すごい大変そうだったので。でも、3人ともぐっすり寝てるんですよ。
”かわいいな〜”と思って、自分も思い出すなと思って『今が一番大変だけど頑張ってくださいね』って言って」

川田「きらびやかな芸能生活をされていたわけですけど。お休みされている時はまったく違う生活に?」

荻野目「全然違う生活で、食べさせて、風邪ひかないようにとか、ちゃんと成長してるかなとか、慌ただしくてやっていました」

川田「家族に専念された、その期間があって変わったことはありますか?」

荻野目「すっごいありますよ。10代の時からラッキーなことにすっと入れて。そこしか見てないから一般的な常識もかけ離れている部分も、自分ではないと思っていても、やっぱりあったんですよね。
生活してて、『これはこういうものだよ』と主人に言われながら、”ちゃんとした人にならないとな”みたいな感じで、修正しながらようやく社会人っぽくなってきて」

川田「はい」

荻野目「その上で、また音楽番組とか見るようになったら、”こういう感じで音楽がヒットしてるんだな”とか、バラエティ番組が増えて”今は喋れるようにならないとダメなんだな”とか(笑)」

川田「荻野目さんもそういう風に考えられるんですね(笑)」

荻野目「私は若いとき喋るのが苦手だったので、人見知りとかもあって。不器用だけど、歌ってる時にしっかり歌えればいいかなとか思ってたんですけど、逃げてたんですけど(笑)。
それじゃ面白味もないし、自分が誰を好きになるかと考えたら、トークとか人生観も含めて、海外のアーティストも好きになったりするから、それは一緒だなと思って。自分も仕事でやる時は、ちゃんと喋れるようにそういう人になるようにしようと思って」

川田「テレビを観る側になって、気付いたんですね」

荻野目「主人を通して、いろんなテニススクールのお客さんと話すようになって、会社員の方とかお母さんとか」

川田「そうですよね。金曜日の夜の感覚とか、会社員の方の感覚とかわからないですもんね」

荻野目「そうなんですよ。だから、他の保護者の方の話とか、いろんな会話をしていく中で、ようやく怖がらずに喋れるようになりました(笑)」

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>>来週は、リオデジャネイロ・オリンピック 卓球男子団体 銀メダリスト 吉村真晴選手をお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.04.15

「自然に誰かが何かをしてくれるっていうのが、この楽曲のすごいところなんですよね」:歌手・荻野目洋子さん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、歌手の荻野目洋子さんをゲストにお迎えしました。

昨年『ダンシング・ヒーロー』がリバイバルヒットして
バブル世代の方々だけでなく、10代の若者にも注目されています。

そんな、荻野目洋子さんの人生のターニングポイントを伺いました。


●歌が好きで


川田「荻野目洋子さんは、10代の3人の娘さんのお母さんでもあるんですよね?」

荻野目「そうなんです」

川田「娘さん達は、どう仰っていますか?」

荻野目「娘達も、”そういう仕事をしてたんだね〜”みたいな、自然体で。
学校の友達に言われるようになったっていうくらいで、特に私に対して変わることはないので」

川田「荻野目さんご自身は、歌に興味を持ったのはいつくらいですか?」

荻野目「小学生の時から、父が趣味で民謡を習っていたので、それに合いの手を入れるようになって。
公民館で教えてくれるっていうから、習いに行こうかなみたいな感じで習い始めたんです」

川田「街の教室で、という感じだったんですね」

荻野目「その後に、お祭りの舞台で歌ったのが一番の大舞台ですね(笑)」

川田「そこで、『上手いね!』と言われたり?」

荻野目「そうですね。大人も交えての『のど自慢大会』で、大人が優勝して2位は私だったんですよ」

川田「すごいですね!」

荻野目「それが嬉しかったんでしょうね、自信を持てて、自分で応募してテレビに出るようになったんです」

川田「デビューも早いですよね、10歳でミルクというユニットですか?当時をどのように覚えていますか?」

荻野目「当時は小学生だから趣味の延長で、テレビにも出れるし、衣装も作っていただいて、ハイヒールとか履いちゃって。大人の世界に踏み出して、キラキラした世界で”たのしいな〜”みたいな(笑)」

川田「それが中学に入学される前に解散するということなんですね」

荻野目「本当に申し訳なかったんですけど、私が『学校は普通に通いたい』っていう意見を言って自然消滅になってしまったんです。
学校生活が好きだったんですよね、友達といる時間が大好きで”休みたくない”と思っちゃって」

川田「中学生になってからは、普通の学校生活を送るようになるんですね」

荻野目「まったく歌わずに過ごしてました」

川田「ここで、再び歌いたいと思ったのはいつくらいですか?」

荻野目「中学2年で、”進路について考えましょう”っていう時になって。
真剣に自分のことを考えたら、やっぱり私は歌かなと思いました」

●リバイバルヒット「ダンシング・ヒーロー」


川田「荻野目洋子さんに訪れた第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

荻野目「デビューして2年目ですね、1985年私が16歳の時に出会った『ダンシング・ヒーロー』という曲。この時がターニングポイントですね」

川田「これが7枚目のシングルになるんですよね。ここまでっていうのは、なかなかヒット曲に恵まれないという感じだったんですか?」

荻野目「デビュー曲とかは、15万枚とか?わりと売れたんですよ。
新人としてはいろんな方に買っていただいたなと思うんですけど。そのあとも、ずっと同じ枚数とはいかなくて。
TOP10みたいな番組には入れずに、”どうしたら、もっと上にいけるんだろう?”と思ってた時に出会ってんですよ」

川田「最初はどう感じましたか?」

荻野目「当時の声って、私、細いんですよ。
今聞くとかわいらしいタイプの声質だから、それにこの楽曲が合うのかな?という不安はありました。やっていくうちに、自分で見えた瞬間があったので。”これだ!”と思って」

川田「そうだったんですね」

荻野目「でも、それは今までになかった自分の発声の仕方だったから。毎回テレビに出るたびに、当時は生放送が多いから失敗することもあるんですよ」

川田「できるはずなのに…と」

荻野目「いろんなプレッシャーもあるし、生放送の緊張感もあるし、体調もあるし、時には失敗したりもするんだけど。
それはチャレンジしていくしかない、みたいな。そういう心境でした」

川田「『ダンシング・ヒーロー』が再びヒットして、当時と今とで、この曲に対しての向き合い方、歌い方、変わっているところはどういうところですか?」

荻野目「いろいろ変わったとは思うんですけど、気持ちは変わらないかもしれないですね。キラキラするというか」

川田「なるほど」

荻野目「たまたまビクターの方から聞いたんですけど、『フィギュアの世界選手権でかかってるよ!』って連絡があって」

川田「使ってらっしゃる選手がいるんですね」

荻野目「演技で使ったんじゃなくて、待っている間に流れたんですよ(笑)。点数が出る間とか、試合に入る前の時間とかに、ミラノだったのになぜか『ダンシング・ヒーロー』が流れていたっていう(笑)。そういう、自然に誰かが何かをしてくれるっていうのが、この楽曲のすごいところなんですよね。
盆踊りで使っていただいた時もそうなんですけど、自分の知らないところでいろんなハプニングが生まれて」

川田「本当に、世界的にまた広がりを見てる『ダンシング・ヒーロー』なんですね」

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>>来週も引き続き、荻野目洋子さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.04.08

「どれだけ準備しても、不十分なんですよ」:俳優・渡部豪太
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、先週に引き続き、俳優の渡部豪太さんをゲストにお迎えしました。

渡部豪太さんの第1の人生のターニングポイントは、2005年。19歳。
茨城から東京に出て、一人暮らしを始めた時でした。

今日はそんな渡部豪太さんの人生に起こる
第2のターニングポイントを伺いました。


●石を積み上げて


川田「渡部豪太さんの人生に起こる、第2のターニングポイントを教えてください!」

渡部「『西郷どん』という大河ドラマに出演させていただくことになったことですかね」

川田「大きく変化したと思いますが、どういうところで感じますか?」

渡部「個人的に言ったら『渡部豪太』という名前が広まるきっかけだと思いますし。
街を歩いてると、いろんな人が『見てるよ!』って言ってくださるのでありがたいですし」

川田「はい」

渡部「キャストも、スタッフの数も沢山なんですよ。このみんなでひとつひとつ石を置いて、大きな川の流れを作ってる感じ。
鈴木亮平さんを先頭に置いて、石を積んで川を作っていくっていう作業はいい経験ですね」

川田「今回、大河ドラマに出演されるのが2回目ですよね、また、ご自身の成長もあったと思います。
いま32歳で演じてる大河ドラマはいかがですか?」

渡部「最初の『平清盛』では、自分の準備が十分ではなくて、現場の雰囲気に飲まれてしまったと思うんですよ。
今度は、ちゃんと準備してから入ろうと思って」

川田「鹿児島に行かれたりもしたんですか?」

渡部「もちろん鹿児島も行きましたし、友達もできましたし、たくさんの人にお世話になりました。
どれだけ準備しても、不十分なんですよ。そういうところを共演者さんが補ってくれるんですよね。
『俺の知ってる鹿児島、こんなんだぜ』とか、俺も俺で『こういう鹿児島知ってるよ』っていうのもあるし、そういう感じですかね。

●将来の夢


川田「渡部さんが、これからやってみたい事はどんなことがありますか?」

渡部「夢は、下北沢の本多劇場でシェイクスピアの『ハムレット』をやってみたいですね!」

川田「ほ〜!ハムレットを」

渡部「こんな大きなことを言うと『おまえ、ふざけんじゃねえよ』って言われるかもしれないけど、夢は夢です!」

川田「本多劇場っていうのは、役者の方にとって別格の場になるんですか?」

渡部「日本の演劇史において、とても重要な場所じゃないですかね」

川田「もう立たれてはいますよね?」

渡部「二度ほど立たせていただきました。だけど、もっともっと立ちたいですね」

川田「こうやって口に出して言うと、本当にそれが近づいてきたりするかもしれませんよね。
いま、その夢に向かってされていることは?」

渡部「レッスン行ったり…バレエしたりしてますね、バレエ楽しいですよ(笑)」

川田「どうですか?」

渡部「始めたのが24歳くらいなんですけど、最初、全然できないんですよ。でも、できないから面白いんですよね。一個一個クリアしていくんですよね、できないことがあるっていうことは素敵なことで。
だって、できるようになれる可能性があるっていうことだから。もし、興味があるんだったら、何でもすぐにやったほうがいいと思います。
年齢とかも本当に関係ないと思います。

川田「はい」

渡部「体力的なものとかあるかもしれないけど、やりたいと思ってやれる自分がいるんだったら、やれる方がいいと思います。
それが明日のあなたを作ることになるから、あと、単純に汗かくのは気持ちいいですよね(笑)。

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2018.04.01

「明日は昨日より素敵な自分になってるはずじゃないですか?」:俳優・渡部豪太
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、ドラマ、映画、舞台で活躍されている俳優の渡部豪太さんをゲストにお迎えしました。

渡部さんは現在、NHK大河ドラマ『西郷どん』に西郷隆盛の弟・吉二郎役でご出演されています。
女性は、ゼクシーのコマーシャルでファンになった方も多いのではないでしょうか?
そんな、渡部豪太さんの人生のターニングポイントを伺いました。


●表現の方法


川田「渡部さんは、芸能界で20年になるんですか?」

渡部「デビューしてからはそうですね、11歳からやっているので」

川田「どういうきっかけで芸能界に入ったんですか?」

渡部「お母ちゃんがぶち込んだんですよ(笑)。新聞の切り抜きに書いてあった、芸能事務所の応募を見て応募したんですよね」

川田「え!?」

渡部「ある日学校に行こうとしたら玄関で、『あんた、今日学校行かなくていいわよ、東京行くから』って言われて。
特急電車乗って、原宿で降りておもちゃを買ってもらって、青山の大きなビルの中に入って行って、ドアを開けるたら大人4人が座ってて。
自己紹介をさせられて(笑)、それがオーディションだったんですよ」

川田「気付かずに行ったんですか(笑)」

渡部「そうなんですよ。そこで受かって、両親も交通費とかかかるから、もし入れても仕事が無いようであれば辞めさせようと思ってたらしいんですけど」

川田「はいはい」

渡部「わりとすぐに、高田純次さんとコマーシャルをやったりとかして、それが始まりですね」

川田「ご自身は楽しかったですか?」

渡部「楽しかったですけど、中学校で柔道を始めてすごく楽しくて。
この仕事をやっていたから坊主にもできなかったので、『辞めたい』ってずっと言ってたんですよ。
でも、母ちゃんが辞めさせてくれなくて(笑)」

川田「自分でお芝居をやることに楽しいと思ってきたのはいつぐらいですか?」

渡部「『独立少年合唱団』という映画で、合唱団員の役だったんですけど。
伊藤淳史さんが主演で、みんなで歌を歌ったり練習して、地方ロケに行くっていうことを繰り返して”いま、淳史くんがこういう芝居をしてるから、僕たちは後ろでこういうことやってようか”と、考えてやってたんですね。それが新鮮で。
”自分で考えて表現していいんだ!”と思ったんですよね。すごく楽しいなと思って、それがきっかけですね」

●自分を育てること


川田「渡部豪太さんに訪れた第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

渡部19歳の頃、2005年に東京で一人暮らしを始めたことです」

川田1年間カナダに留学をされて、そのあと東京で一人暮らしということですよね」

渡部「帰ってきて一人暮らしを始めたんですけど、上京するのが怖くて(笑)。
カナダに行くのは『行ってきまーす!』っていう感じだったんですけど。茨城から出て東京に住むっていうのが怖くて、”住みたくないよ〜”って一ヶ月くらい思ってたんですけど、父親に『何してんだおまえ?早く行けよ』って言われて(笑)」

川田「おお〜〜(笑)」

渡部「良かったですね、東京ってたくさんの物事が起きてるので、その近くにいるっていうのは大事なことなんですよね。
時を同じくしてバイトも始めたんですけど」

川田「何をされてたんですか?」

渡部「アメリカンレストランで働いてました」

川田「じゃあ、英語も使えるし…ということで」

渡部「とにかく、新しい事を11つやりたかったんです。11つ何か新しいことをすれば、明日は昨日より素敵な自分になってるはずじゃないですか?」

川田「そう思うようになったきっかけは何かあったんですか?」

渡部「それこそ、役者を志して、勉強し始めたときに”自分って何なんだろうな?”っていうことを考え始めて。
自分を育てること、自分を新しい場所に連れて行けるのは自分なんですよね、だから、いろんなところに行って、色んなことしました」

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>>来週も引き続き、俳優の渡部豪太さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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