Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2018.05.27

「モノづくりの現場にいられるっていうのがすごく嬉しくて」:仲川希良さん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、モデルでありフィールドナビゲーターの仲川希良さんをお迎えしました。

仲川さんは、初の山登り本『山でお泊まり手帳』をリリースされたばかり!
この時期は初心者の方が山登りをはじめるのに絶好のシーズンです。

そんな仲川さんに人生のターニングポイントを伺いました。


●自然に親しむ時間


川田「山登りを始めたのは、小さい頃ですか?」

仲川「そうではなく、実家が埼玉なんですけど。家の周りは雑木林があるような田舎の香りが残っているような場所で
泥だらけになって遊ぶのが好きだったんですけど」

川田「はい」

仲川「特に家族で山登りに行くというのはなくて、山登りをするようになったのは大人になってからなんですよね」

川田「お父さんとお母さんは、フランスの方と日本の方ですよね」

仲川「父がフランス人で、母が日本人なんですけど。日本で出会っていて、私が生まれたのも育ったのも、ずっと埼玉なんです(笑)」

川田「言葉は両方喋れるんですか?」

仲川「いや、ほとんど日本語だけです(笑)」

川田「どんなご両親ですか?」

仲川「母は九州の方の出身で、その後、岐阜の方に移住している人なんですけど。ずっと自然に囲まれたところで育った人ではあるんですね。
父の方もフランスのロレーヌ地方という所で、大きい山脈のある圏なので両親とも自然の近くで育ってきた人なのかなとは思いますね」

川田「小さい頃家族で出かけたりするのも、自然が多かったですか?」

仲川「そうですね。緑がたくさんあるような公園の中だったり、森の中だったり、おばあちゃんちに帰ると近くの山に山菜採りに行こうとなったり、きのこを採りに行こうとなったり、そういうのはあったので自然に親しむ時間は多かったと思います」

川田「そうだったんですね」

仲川「ゲームが買ってもらえなかったり、漫画を買ってもらえなかったり、遊びは自分で工夫するしかないっていうような子供時代だったかもしれないですね。周りに自然はあったので、そこに行けばどんぐりだったり、お花があったり、それ自体がおもちゃという感じだったので」

川田「小さい頃の経験というのも今につながっているのは大きいんですね。そんな希良さんが、モデルを目指そうと思ったのはいつぐらいですか?」

仲川「モデルっていう職業を意識し始めたのは中学生の時でした。ちょうど職業調べとかがあって、モデルを調べたんですね。
それが一番明確に意識した時だったと思います」

川田「雑誌を読んだりするのは当時から好きだったんですか?」

仲川「雑誌も買ってもらえなかったので(笑)。夏休みとかに特別に買ってもらった一冊みたいなのを、穴が空くほど何度も読み返したりしてるような感じだったんですけど」

川田「うんうん(笑)」

仲川「今はなくなっちゃったんですけど、『mc Sister』というファッション誌があって、それに憧れていたんですね。
モデルっていう職業よりも、『mc Sister』の世界に行きたい、作る側に行きたいっていう気持ちが強かったと思います」

●日本人とフランス人のハーフ


川田「仲川希良さんに訪れた第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

仲川「200117歳のとき、憧れていた雑誌『mc Sister』の専属モデルオーディションに応募しました」

川田「”応募しよう”って、なかなか勇気がいりますよね」

仲川「そうなんですよ。また家庭が厳しかったので、そんなこと言ったら怒られるんじゃないかっていう気持ちがあって、言い出せなかったんですよね」

川田「はい」

仲川「何年も何年も、中学の頃から意識はしていたので、年齢的に17歳が最後のチャンスだったので、”これはやるしかない!”と思って、未成年なので親の同意欄があったんですね。そこに自分で名前を書いて、ハンコを押して応募してしまいました(笑)」

川田「じゃあ、内緒でっていうことですか」

仲川「そうですね(笑)」

川田「そのオーディションは受かったんですか?」

仲川「いくつか審査があって、途中で家に連絡が来たので大騒ぎでしたね『あんた!なにしてんの!』って(笑)」

川田「その時の反応はどうでしたか?」

仲川「その時は私の”やりたい!”という意識が強かったので、親がどういう反応だったかっていう記憶がないんです。
やる気満々だったんだと思うんですよね。話が進んでしまっているというのもあって、親も『最後までやってみれば』という感じだったと思うんですけどね」

川田「ご両親はどういう職業に就いてもらいたいという思いとかは、普段されてたんですか?」

仲川「両親ともに教師というか、教える仕事をしているので。『そういう仕事は向いてるんじゃない?』みたいなことは、よく言われてました。
自分のいいところを伸ばしてほしいとか、きちんと仕事をしてほしいということを、教師である以前に両親から言われていて」

川田「うんうん」

仲川「自分の特性を考えた時に、日本人とフランス人のハーフであるっていうことから、逃れようのない条件というか。日本に来てるかぎりは意識させられる部分だったんですよね。
『mc Sister』に出てるモデルさんたちはハーフの子がたくさんいて、その子達が輝いているというのが羨ましく思えて。
普通の小学校、中学校に通っていて、その中ではハーフって生きずらいことも多かったので。そういう生きずらさを感じている中で、それを武器にして仕事をしている子達がいる、“仲間はあっちの方にいるぞ”っていう気持ちがあったのもありますね」

川田「実際に憧れだったモデルの活動を始めてからはいかがでしたか?」

仲川「モノづくりの現場にいられるっていうのがすごく嬉しくて、毎日大興奮してました(笑)。
学校生活と並行して、学校を休むことなく撮影に行くっていうのが条件だったので。学校終わった瞬間に走ってスタジオに行ったり、オーディションを受けに行ったり、そういう毎日だったんです」

川田「なるほど」

仲川「自分自身の力で仕事をしている人たち、しかも、私が憧れていた世界を作っている人たち、そういう世界の中に身を置けているのがすごく嬉しかったですね」


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>>来週も引き続き、仲川希良さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!
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2018.05.20

「バトンを渡されたときに、俺らが恥をかかせないようにしないといけないから」:原口あきまささん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

先週に引き続き、今週もゲストには、ものまねタレントの原口あきまささんをお迎えしました。

原口あきまささんの第1の人生のターニングポイントは、1998年、23歳の頃。
コンビを解散してピン芸人になった時です。
このきっかけを経て、ものまね番組のオーディションに受かり、ものまねタレントとしての一歩を踏み出しました。

そんな原口あきまささんの人生に起こる、第2のターニングポイントを伺いました。


●ものまね次世代


川田「原口あきまささんの人生に起こる、第2のターニングポイントを教えてください!」

原口「これは2010年、34歳で結婚したことですかね。翌年に長男が生まれて、僕にも守るものができたんですよ。
その時に”ママの力ってすごいな”と思ったのが、お母さんが抱っこしてると子供って泣き止むんですよ」

川田「はい」

原口「お母さんから離れて、父ちゃんの温もりになった途端、”違う!”と感じて泣くんですよ。
その時に、嫁のお母さん方と音楽を聴かせた方がいいんじゃないかみたいな、その中の一曲が『トイレの神様』だったんですね」

川田「そうだったんですね」

原口「『トイレの神様』を流す、聴かす、もしくは歌うと見事に泣き止むんですよね」

川田「これをターニングポイントとして挙げた理由は何ですか?」

原口「ものまねをやりだして、なんとなく仲間もできて。大きく言っちゃうと、ものまね界を引っ張っていかないといけない、そういう世代になってきているかもしれない、ってどこかで責任を感じて。
でも、1人じゃ何もできないから、そのタイミングでカミさんが僕と結婚してくれた、しかも、子供も生まれてきてくれた」

川田「うんうん」

原口「そして、同世代のものまねメンバー、ホリくんだったり、山本高広くん、ミラクルひかるだったり、同世代のやつらと、もし力を貸してくれるんのであれば、ものまね界を引っ張っていかねーか?みたいな、グループができたというか」

川田「そのメンバーって、『変人』というイベントをされているメンバーですよね(笑)」

原口「そうなんですよ(笑)」

川田「今回、東京では6回目ということになるんですよね」

原口「ものまねの世界だけ、”ここの局に出てるから、あっちの局に出てるから”というので、なんとなく壁ができたというか。
共演もなければ、同じ仕事もないっていうところで」

川田「なるほど」

原口「でも、演者が集まると仲はすごく良くて刺激にもなるし、刺激し合っていかなければいけないということで。
当時、僕とホリ君が日テレの方のものまねに出てたので、じゃあ、フジテレビの方の2人を引っ張って、交流深めようぜっていうことで、山本高広くんとミラクルひかるちゃんを引き寄せたという……同じ思いだったので」

川田「それで、今回6回目になるということですね」

原口「ものまね四天王さんって、芸能界でものまねのジャンルを作り上げた人でしょ?
ものまねの世界に飛び込んだということは、一生ものまねを軸としてやっていくのは間違いないから、次の世代にバトンをなかなか渡してくれないコロッケさんはいるんですけど(笑)」

川田「コロッケさんはすごいですもんね(笑)」

原口「そんなコロッケさんが『次のものまね界を頼む』と、バトンを渡されたときに、俺らが恥をかかせないようにしないといけないから。
”今のうちに力つけておこうぜ”っていう意味での、ものまねライブ『変人』でもあるんですね」

川田「そうだったんですね」

原口「実はミラクルひかるとか、歌まねのイメージありますけど、舞台ではものまねで漫才をやったりするので。
舞台で一番爆発するのはミラクルひかるですからね」

川田「お客さんの反応を受けながらやるっていう、その難しさもありますもんね」

原口「実は4人コラボ、2人コラボネタが多くて。
ものまね漫才、ものまねコントが見れたり、東京公演に関しては、歌ネタを後半部分に持ってくるとかね。普段、歌まねをやらない僕とかが、ライブとかでやったり。意外とそういった部分でみんなが応援してくれるようになって、ぜひぜひ、来ていただきたいですね」


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>>来週仲川希良さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.05.13

「どこかで自分で腹をくくったみたいなところはありましたね」:原口あきまささん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週は、ソロ活動20周年を迎えた原口あきまささんをゲストにお迎えしました。

モノマネのレパートリーは、数え切れないという原口あきまささん。
そんな原口さんの人生に起こるターニングポイントを伺いました。


●モノマネが好き


川田「小さい頃からモノマネをするのは好きだったんですか?」

原口「中学くらいから、授業についていけない恥ずかしさ、悔しさを、自分のためになるものに変えないといけないと思って。
先生とか友達、人間観察をするようになって、モノマネができるようになったんですよ。だから、先生からしたら授業態度はいいんですよ」

川田「先生をめちゃくちゃ見てるわけですね(笑)」

原口「それがテストに反映されないから『どうしたんだ原口?調子悪かったのか?』という心配をされることが多々ありましたね(笑)。
”自分にできることはなんだ?”と思ったときに、テレビの世界っていろんな魅力があるかも、これは目指すしかないと思ったんですよね」

川田「はい」

原口「一番難関を越えないといけないのは、親父だったんですよ。その親父に『芸人になる』と言ったときに、『何考えてるんだ、おじいちゃん、おばあちゃんに何て報告するんだ!』って言われて。
僕が決めた専門学校が、東京アナウンス学院という専門学校がありまして。そこで、お芝居、声優、お笑いだったり、アナウンサーを目指してる人が集まって。
おじいちゃん、おばあちゃんに『俺、アナウンサーになる』って言うと泣きながら喜んでくれたんですよ」

川田「そうだったんですね」

原口「で、数年経ちまして、僕が歯をつけて出てるわけですよ。周りの人から『お孫さんじゃないの?』みたいな、『いやいや、うちの子はアナウンサーになるって出て行ったから』って、テレビを見た時に、おじいちゃん、おばあちゃんはびっくりしたと(笑)。
でも、喜んでくれて、その年におじいちゃん、おばあちゃんのところに行って、『いま、アナウンサーの人たちもいろいろな仕事をしてるし、こういう仕事もしていかないとね』って言われて、”ん?”ってどこかで思ったんですよ」

川田「はいはい(笑)」

原口「おじいちゃんから一言、『で、ニュースはいつ読むんだ?』って言われて(笑)」

川田「あら〜〜(笑)」

原口「『たぶん、読むことはございません!』って(笑)」

●モノマネをやっていくべき人間


川田「原口あきまささんに訪れた第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

原口1998年の23歳ですかね、コンビを解散してピン芸人になった時なんですよね」

川田「コンビは漫才ですか?」

原口「そうですね、鳴かず飛ばずで4年くらいやったのかな?相方を変え、品を変え、解散となって。
モノマネ番組のオーディションをやっていると聞いて、受けてみようとなって。そこで初めてピンのネタを作りました」

川田「なるほど」

原口「面白いと言ってくれる人が増えて、僕の中では次の相方見つけるまでのつもりだったんですけど。
モノマネという芸はどこかで邪道な感じがあって、人のキャラを借りて自分の芸にしてるから、胸張っていいかもわからなくて……自分の中で葛藤があったんですよ」

川田「うんうん」

原口「喜んでくれたり、モノマネ番組に呼んでいただけるようになってから、徐々にモノマネをやっていくべき人間なのかなっていう
どこかで自分で腹をくくったみたいなところはありましたね」


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>>来週も引き続き、原口あきまささんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.05.06

「選手一人一のモチベーションになると思うので楽しみですね」:リオデジャネイロ・オリンピック 卓球男子団体 銀メダリスト 吉村真晴選手
「選手一人一のモチベーションになると思うので楽しみですね」:リオデジャネイロ・オリンピック 卓球男子団体 銀メダリスト 吉村真晴選手

『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週も引き続き、リオデジャネイロ・オリンピック 卓球男子団体 銀メダリストの
吉村真晴選手をゲストにお迎えしました。

吉村選手の第1の人生のターニングポイントは、2012年。18歳。
全日本卓球選手権大会シングルスで優勝した時でした。
決勝の相手は水谷隼選手。
3つ年上の水谷選手を相手に接戦の末、高校生としては2人目の全日本王者になり
その後、ナショナルチームに選出されて、世界卓球を経験されたということでした。

そんな、吉村真晴選手の人生に起こる第2のターニングポイントを伺っていきます。
を伺いました。


●長所を伸ばす


川田「吉村真晴選手の人生に起こる第2のターニングポイントを教えてください」

吉村「2015年、21歳。ワールドツアー スペイン大会 男子シングルスで優勝した時です」

川田「これは初の海外大会でのタイトルだったんですね」

吉村「はい。オリンピックも近付いてきてて、選考も終わりかけていたんですけど、この大会はいつもと違うと感じていて。
決勝まで上がっていって、”俺、こういう風に戦っていけばこの先いけそうだな”と感じられたので。この大会は自分を大きく変えてくれましたね」

川田「はい」

吉村「ゾーンに入っていたと言ってもおかしくないくらい、相手がやること、自分がやることが見えていたというか。
自分でも”俺、怖いな”みたいな、”おかしいな”って思うんですけど、あってるんですよね。トーナメントを通してそれをやり切れたので、”これが新しい吉村真晴だ!”って感じられたっていうのは大きかったですね」

川田「そこにもっていけたのは、どういう要因だと思いますか?」

吉村「日本代表の監督さんが、毎日、”おまえはここが長所だから、ここを生かして戦え、負けてもそれが長所だから仕方ない”と、
それを自分が最後まで信じきれて、なかなか結果が出なかったんですけど、初めて結果が出た時に”これが吉村真晴なんだな”っていうのを感じることができたので」

川田「それって、いろんなところに通じることかもしれないですね」

吉村「間違いないと思います、どの業種、どのことでも短所ばかりを見てるとネガティブになっちゃうんですけど。
自分の長所を伸ばしていって、その先に新しいものが見付かっていけばどの世界でも勝っているのかなっていうのは感じますね」

●日本のプロリーグ「Tリーグ」


川田「今年の秋には、Tリーグ、卓球のリーグが日本でもスタートしますけど、感慨深いものがあるんじゃないですか?」

吉村「日本でプロリーグができるっていうのは、選手としては嬉しい”やっとか!”っていう熱い気持ちがあって。
日本の卓球はプロ化が進まなかった中で、日本でやれるっていうのは非常に嬉しいですね」

川田「世界のトップ選手と対決しようと思ったら、日本の選手は海外に出ていくしかなかったわけですよね」

吉村「今からは、日本で海外のトップ選手を呼んで、常に時代の流れを感じながら”今の卓球はこうだ”、”これからはこうなるだろう”という経験を常にできるということは、間違いなく自分のスキルアップに繋がるなっていうのを感じますね」

川田「吉村選手は、埼玉の『T.T彩たま』ですね。全部で何チームになるんですか?」

吉村「4チームあるんですけど、それぞれの地方で、日本でトップ選手が戦うところって、全日本選手権とジャパンオープンの2つくらいしかなかったんですよ。常にトップ選手が日本のファンの前で試合ができるっていうのは非常に嬉しいことなので、選手一人一のモチベーションになると思うので楽しみですね」

川田「そして、東京オリンピックがもう迫ってきましたけど。こちらに向けても、とても良い流れになりますよね」

吉村「これで日本が強くなれば、もっともっと卓球も盛り上がるし、2020年には金メダルも近付くと思うので本当に楽しみです」


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>>来週は、原口あきまささんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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