Orico presents FIELD OF DREAMSOricoFIELD OF DREAMS

この番組では、「夢に向かって頑張っている人を応援する」をコンセプトに、夢をかなえ活躍する方々をゲストに迎え、そこに向かうまでのプロセスや、努力、苦労、そしてかなえたときの喜びを深く掘り下げていきます。

パーソナリティ 川田裕美プロフィール


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2018.09.23

「“もう一回立ち上がってみよう”と思えたきっかけのお仕事なんですけど」:元宝塚歌劇団 宙組 男役スター・悠未ひろさん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、元宝塚歌劇団・宙組男役スター 悠未ひろさんをお迎えしました。

悠未ひろさんの第1の人生のターニングポイントは、中学3年生、宝塚に出会った時です。
これをきっかけにしてレッスンを重ね、自分を信じることを貫き通して、宝塚音楽学校に合格したということでした。

今週はそんな悠未ひろさんの人生に起こる第2のターニングポイントを伺いました。

●人間らしい生活


川田「世の中は3連休ですね。24日は十五夜なんですけれども季節の移り変わりは大切にされていますか?」

悠未「宝塚にいたときは日々に追われすぎて季節を感じることがなかったんですよ。
卒業してから外に出ることが多くなって、今まで経験してこなかったことを味わっている感じです」

川田「うんうん」

悠未「明るい時間に外に出ることがなかったのでランチをするっていうのがすごい嬉しかったですね(笑)」

川田「ランチといえども女性同士だと夕方くらいまで話せますよね(笑)」

悠未「ゆとりのある暮らし……時間に追われていたので、人間らしい生活を初めてしているんですけど(笑)」

川田「それでなんですね、わたし『土用の丑事件』を拝見しまして(笑)」

悠未「見ていただいてありがとうございます(笑)」

川田「SNSに書かれていたんですけど、『土用の丑の日』を“土曜日の土曜”と書いて『土曜の丑の日』だと思っていたそうですね」

悠未「宝塚オタクすぎて、そういういことも知らないまま入ってしまったので。
卒業してから、土用の丑の日スーパーとかにうなぎが売っていて“うなぎを食べる日なんだ”と思って、土曜日に“よし!食べるぞ!”と用意したら、『今回の土用の丑の日は日曜日でした』みたいな、“え?土曜ってこの土曜じゃないんだ?”って、この歳になって恥ずかしながら(笑)」

川田「無事うなぎは食べられましたか?」

悠未「はい、二の丑の方でちゃんとした日に食べました(笑)」

川田「今はお時間もできるようになったということで、お料理をされたりとかそういうことも楽しまれているんじゃないですか?」

悠未「得意ではないんですけど、結婚したりもあって。体のことも気を付けていかないといけない年代なので作ってみてはいます(笑)」

川田「最近のヒットはありますか?」

悠未「私はクックパッド様がいらっしゃるので(笑)」

川田「じゃあ、レシピ通りに?」

悠未「そうですね。あと、私は美味しい物はいただいてきてる舌があるので(笑)味付けのセンスはいいんじゃないか、という評価はいただいております」

●新たな一歩


川田「ターニングポイントに挙げられたのが宝塚卒業ということなのですが
2013年の『風と共に去りぬ』の千秋楽を最後に卒業されたということですよね?」

悠未「はい、そうですね」

川田「なぜ、ここをターニングポイントに挙げたんですか?」

悠未「すべてをかけて、17年間宝塚一筋で“趣味は舞台のことを考えてる以外ないので”という感じの人間だったので。
そこを卒業するということは勇気がいったし、その他にやりたいことがなかったので。
ここを出て新しい世界を見るっていうのは、今まで生きてきた中で大きなターニングポイントですね」

川田「実際に卒業されて、新しい次の一歩はどうでしたか?」

悠未「刺激的でした(笑)知らなかったんですよ。宝塚の生徒でも外部の舞台を観たりする子もいた中で、私は外部の舞台に意識がいかなくて。
宝塚の昔のビデオを見たり、同じ時期にやっている他の組の舞台を見たりとかしていて」

川田「宝塚一色ですね!(笑)」

悠未「初めてちゃんと外部の舞台に目を向けることができたんですけど、知らない分すごい刺激が多かったですね」

川田「退団の翌年にはGACKTさんの舞台をされたんですよね?」

悠未「そうなんです、お話をいただいて。“もう一回立ち上がってみよう”と思えたきっかけのお仕事なんですけど。
私は平教経を演じさせていただいたんですけど。GACKTさんが源義経で、全部GACKTさんが考案された架空のお話で、ゴリゴリの男性の中で私も男役をやるというハードな舞台でした」

川田「今までも男役をやってらっしゃったわけですけど、また全然違うんですよね?」

悠未「やっぱり本物の男性には敵いませんから。
宝塚って女性が演じる男役っていうのがベースにあって、それがいかにかっこよく、美しく、強く見えるかっていうところを計算され尽くした世界だったので、そことは違う土俵でしたね」

川田「うんうん」

悠未「GACKTさんのアイデアとか、不思議な化学反応を起こし、普通の男性と、女性が演じてる男役である私が絡み合うことによって…こういうこともあるのかっていうのは気付かされました」

川田「新たな男役像というのができたわけですね」

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2018.09.16

「あの世界が好きになっちゃったんですよね」:元宝塚歌劇団 宙組 男役スター・悠未ひろさん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、元宝塚歌劇団 宙組 男役スターの悠未ひろさんです。

宝塚歌劇団時代は、劇団史上No.1と言われた180cmの身長をお持ちです。
現在では、舞台などでご活躍中の悠未ひろさんに起こった、人生のターニングポイントについて伺いました。

●コンプレックスだった高身長


川田「身長180センチということで、宝塚時代は衣装に困ったりしませんでしたか?」

悠未「本当に大変でした。私が入った当時はクラスに背の高い人もいたんですけど、ここまでの人はいなかったので衣装と靴がなくて。
劇団も入学試験の時に、この身長を入れるか、入れないかで躊躇ったんじゃないかと思うんですよね」

川田「入学の時にはすでに180センチですか?」

悠未「その時は高校3年生だったんですけど174センチと言って受けたんです、嘘なんですけど(笑)。
受かりたかったので、ちょっと小さくサバ読ませていただいて」

川田「そうだったんですね(笑)」

悠未「本当は178、179センチとかあって、見破られてしまったんですけど(笑)。
いざ入団して、衣装がつんつるてんで、靴も自分のサイズがなく纏足状態で…衣装も袖とズボンの丈が足りないのでそこだけ生地を変えて“こういうデザインだよ”みたいな(笑)」

川田「ちょっとオシャレに見えるようにされていたんですね(笑)」

悠未「でも、バレるよねっていう(笑)みんな一色の衣装なのに私だけそういうのだったりして。ヒールもあまり高いのだと丈が足りなくなるので、低いのを履いて合わせていました(笑)」

川田「小さい頃から大きかったんですか?」

悠未「赤ちゃんの時もちょっと大きかったみたいなんですけど、物心ついて幼稚園とか学校に行っても女の子の中では一番大きくて」

川田「だったら、スポーツなんかはみんなに比べてできたんじゃないですか?」

悠未「そうでもないですね(笑)。バレー部だったり、バスケットボール部だったり、勧誘されたんですけどスポーツが得意じゃなかったので(笑)」

●「ベルサイユのばら」の衝撃


川田「悠未ひろさんに訪れた第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

悠未「中学生3年生、宝塚と出会った時です」

川田「どういう出会いだったんですか?」

悠未「当時、『ベルサイユのばら』の漫画、愛蔵版が流行っていて。それをまわして見ていたんですけど、ベルばらにはまっちゃったんですね。
そこに宝塚歌劇で上演されるっていう写真がついてて“どんな感じなんだろう?”と思って、女性だけでやっているっていうのを聞いて“ベルばらなら観に行こう”と思って。チケットが入手困難なので朝から並んで見たんですね」

川田「最初に見た『ベルサイユのばら』は、どなかが出てらっしゃったんですか?」

悠未「涼風真世さんと、天海祐希さんがオスカルとアンドレで」

川田「当時、見た時の気持ちはどうでしたか?」

悠未「“ベルばらだから見に来たぞ”っていう感じで見てたのに、男役のかっこよさにはまってしまって…稲妻に打たれたみたいな。
わたし身長が高いのがコンプレックスだったので、男役だったら身長が高くてもいいんじゃないかと思ったんです。ここに入りたい、男役やりたいって、一回目の観劇で人生変わっちゃったんですね」

川田「ファンになるだけじゃなくて、自分が立ちたいというところにまでいったんですね」

悠未「そこから調べて、中学3年生から高校3年生の間しか受けられないから、“あ、間に合った!”と思って(笑)」

川田「じゃあすぐに宝塚音楽学校に入る準備にかかるわけですか」

悠未「そうなんですよ」

川田「途中でなかなかの難関というのは気付きますよね(笑)」

悠未「いろいろ調べてたらすごい倍率なんですけど。“そうか……でも絶対に入る!この身長で、宝塚以外考えられない!”って思っていて。
ちょっと辛かったんですよね、この身長で普通の道を歩むのが」

川田「はい」

悠未「まず、そこが生かされるかもしれないっていうのと、あの世界が好きになっちゃったんですよね」

川田「一度の受験で合格されるんですか?」

悠未「いえ、わたしは3回目で受かったんですけど。なぜかあの時、“私は高3で受かろう”とか思っていたんですよ。
高校まで味わってから、私は宝塚に行くんだって思い込んでいて。それって大人になって考えてみるとすごい強い意志だなって。信じる力が合格させたという感じがしますね」

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>>来週も引き続き、悠未ひろさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.09.09

「生涯で一度きり、試合中に風向きが変わった試合でしたね」:プロレスラー・棚橋弘至さん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、先週に引き続き、新日本プロレスのエース 棚橋弘至さんです。

棚橋弘至さんの第1の人生のターニングポイントは、高校2年生。
弟と夜中に放送されていたプロレスを見るようになった頃です。

それまでの棚橋さんは、自分に自信がなく、劣等感を持っていたけれども
プロレスラーになれば、精神的にも肉体的にも強くなれるかもと思うようになったそうです。

棚橋弘至さんの人生に起こる第2のターニングポイントを伺いました。


●生涯一度きりの試合


川田「棚橋弘至さんの第2の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

棚橋「2006年、29歳で初めてIWGPヘビー級王座のチャンピオンになったんですけど『おめでとう!』ってなったんですけど
そのあとが悲しいぐらいにブーイングがきてしまって。そのブーイングが2年、3年ぐらいずっと続きまして」

川田「それはどうしてですか?」

棚橋「新日本プロレスっていうのは、アントニオ猪木選手、長州力選手…が正統派のレスリング、ストロングスタイルと言われていたんですけど。
新日本プロレスらしさというものがあって、僕は見た目もロン毛で茶髪だし、発言もチャラチャラしてるし『愛してまーす!』とか(笑)」

川田「はい(笑)」

棚橋「最も新日本らしくないプロレスラーがIWGPのチャンピオンになってしまったんです。
みんなが思い描くチャンピオン像と棚橋のズレがひどかったんですね。なので、僕は盛り上げようという一心でやっていたんですけど、ファンからはすごいアレルギー反応がきましたね」

川田「ブーイングを受けてる間のお気持ちはどうだったんですか?」

棚橋「初めは戸惑いますね。なんでブーイングがくるのかわからなかったんですよ。
悲しいというよりは意固地になっていた部分があって『なんで俺の良さがわかんないんだろうな?』と、強がっていたんですけど」

川田「はい」

棚橋「分析していって“そういうことか”と、みんなトラディショナルな新日本プロレスのスタイルを求めているんだなって。
で、僕にブーイングがくるんだったらっていう、新しい気づきがあったんですよ」

川田「どういうことですか?」

棚橋「僕にブーイングがくるっていうことは、対戦相手に声援がいくわけですよね。ファンの人は相手を応援すればいいわけですよね、なので、そのブーイングを受け入れたんです。
よりチャラく、自意識過剰に、ナルシストに振る舞い続けたんですよ。もともとそういう性格だったので無理はしてないんですけど(笑)。
なので、ブーイングをもっともらうようになったんですよ」

川田「そこで腹をくくったんですね」

棚橋「そうですね。これで対戦相手に声援がいけば試合としては成立して盛り上がるじゃないかと思って、逆転現象が起きてしまうんですけど。
そこが一番のターニングポイントでしたね」

川田「受け入れるようになってからはお客さんの声は変わっていきましたか?」

棚橋「僕のいいところは、自分で言っちゃいますけど(笑)プロレスに真摯なところなんですよ。一生懸命考えて、動いて、プロモーションして、少しずつファンの人もわかってくれて。少しずつブーイングが消えていくんですね」

川田「なるほど」

棚橋「2009年の6月の大阪大会。中西選手が初めて僕を倒してチャンピオンになって、リターンマッチで棚橋が挑戦するっていうタイトルマッチだったんですけど。キャリアだいぶ経ってからとった中西選手に声援がいくわけですよ」

川田「はい」

棚橋「で、試合で大きい中西選手に僕が一生懸命向かっていく試合展開になったら、その姿、一生懸命なのが良かったんですかね。
ブーイングが歓声に変わったんですよ。生涯で一度きり、試合中に風向きが変わった試合でしたね」

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>>来週は、悠未ひろさんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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2018.09.02

「僕はプロレスを知ってから生活が千倍楽しくなったんですよ」:プロレスラー・棚橋弘至さん
『Orico presents FIELD OF DREAMS』では、夢を叶えた方、今まさに夢に向かって突き進んでいる方をゲストに迎え、その人生のターニングポイントに迫っていきます!

今週のゲストは、新日本プロレスのエース 棚橋弘至さんです。
先月開催された、新日本プロレス真夏の最強戦士決定戦「G1クライマックス28」で、3年ぶり3度目の優勝を飾りました。

9月21日(金)ロードショー『パパはわるものチャンピオン』で
初の主演を務める棚橋さん!

棚橋弘至さんの人生に起こるターニングポイントを伺いました。


100年に1人の逸材


川田「棚橋さんは小さい頃からプロレス好きですか?」

棚橋「見てたんですけど、それほど熱中はしてなかったですね。本当に熱中し始めたのは、高校2年生の時ですね」

川田「それまでは、たまにテレビで見たりするけど…程度だったんですね」

棚橋「小中高と、野球をやっていたんですよ。プロ野球選手になりたいばっかりで、一生懸命野球やってて」

川田「みんなの中ではやんちゃな方だったんですか?」

棚橋「それがですね、野球はやっていたんですけどあまり上手じゃなかったんですよ。
打つのは好きだったんですけど、守備が超下手くそで、いつも“飛んでくるな、飛んでくるな”と思っていたので(笑)。どことなく自信がないような子供でしたね」

川田「今の姿からは想像できないですね(笑)」

棚橋「今はね、“100年に1人の逸材”って言い切ってますからね(笑)」

川田「じゃあ体もそんなに大きくなかったり?」

棚橋「そうですね。背は大きかったんですけど、ひょろっとしていたのであだ名が“ひょろし”だったんですよ(笑)」

川田「じゃあ、よっぽど線も細かったんですね(笑)」

●モデル体型からレスラー体型へ


川田「棚橋弘至さんに訪れた第1の人生のターニングポイントはいつのことですか?」

棚橋「高校2年生のときに弟が夜にプロレスを見てて。それを一緒に観るようになって、そこが僕のターニングポイントでした」

川田「その時っていうのは、それまでもご家族と一緒にテレビで見たりはされていたと思うんですけど何かが違ったんですか?」

棚橋「何か、心の隙間をパッと埋めてくれたというか。小学校、中学校、自分に自信がないと…野球をずっとやっていたんですけど。
自分から雑誌を買ったりとか、会場に見に行ったり、積極的に自分からやるっていうことがプロレスが初めてだったんですね」

川田「そうだったんですね」

棚橋「そうするとフットワークも軽くなるし、積極的に動けるようになって僕はプロレスを知ってから生活が千倍楽しくなったんですよ。
“こんな面白いジャンルがあるのか!”って気付いてしまって」

川田「この時っていうのはご自身の学校で感じているような、劣等感みたいなものを埋めてくれると仰っていましたけど、どのような感覚ですか?」

棚橋「勉強もできて、運動もそこそこできるんですけど。赤面症もあって女子と話すと顔が真っ赤になってしまうっていう(笑)。今じゃ想像つかないと思いますけど(笑)」

川田「本当ですか(笑)」

棚橋「プロレスラーを知って調べるじゃないですか?そしたら、年間130試合くらいやっているんですよ。
あれだけすごい試合をしてたのに、またけろっとリングに立つじゃないですか? プロレスラーっていうのは、肉体的にも精神的にも強くないとダメだと、僕もプロレスラーになったら、自分自身に自信が持てるんじゃないかっていうところがプロレスラーになりたいと思った一番のきっかけですね」

川田「プロレスラーになりたいと思ったのは高校生の時ですか?大学に入ってからですか?」

棚橋「大学に入ってからですね。すっごいモデル体型だったんですよ(笑)65キロしかなかったんですよ」

川田「細くて、背が高いわけですもんね」

棚橋「大学入ってプロレス同好会とかレスリングを始めて、65キロだった体重が1年で80キロに増えて…肉体の変化が、“俺、なれるんじゃないか?”っていう夢に近づけてくれたというか。
4年間食いまくって練習しまくって、65キロのモデル体型から90キロのレスラー体型になりましたね。親はびっくりしてましたけどね(笑)」

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>>来週も引き続き、プロレスラーの棚橋弘至さんをお迎えしてお話を伺っていきます。
お楽しみに!

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