木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

2022年02月27日Flow 第百八十七回目

今週は、みなさんからいただいたメッセージを紹介させていただきます。
そして、久しぶりにみなさんのオススメする「地域の名物ラジオDJ」ともトークセッションします! 最後までよろしく!


木村: いつもたくさんのメッセージありがとうございます。早速、紹介していきましょう。
まずは、現在行われている僕のライブツアーについてのメッセージです。代表してこちら。

【神奈川県 aya 40歳 女性】
拓哉さん、こんにちは。
Takuya Kimura Live Tour2022 Next Destination、神戸の初日の公演に参加させていただきました。
ずっと前から、拓哉さんは、一緒にステージを盛り上げてくれるダンサーさんやバンドメンバー、そして裏で支えているスタッフさんへの感謝の気持ちを持っていらっしゃると思いますが、今回はより一層ライブに関わる全ての皆様への拓哉さんの愛が感じられました。
残りの公演もぜひ楽しんで、そして最後横浜公演まで、無事に完走出来ますように!!


木村:ありがとうございます。神戸・広島・名古屋。3ヶ所、計6回の公演が終わった状態なんですけれども。ホントに初日、待っていてくれている人たちが”ドワッ”といてくれたので、その時ですね、やっぱり。「よっしゃ! 行くしかねぇだろ!」みたいな感じになりましたね。
これは僕が勝手に思ってることなんですけど、要はリハーサルと本番しかコミュニケーションを取る瞬間がないから、余計、本番中、ステージ上のコミュニケーションが濃くなるんですよね。“いつもこんなに目を合わせなかったよね?”というバンドメンバーや、それこそ、一緒にパフォーマンスしてくれてるダンサーのみんなと、なんかすごく目が合ったりとか。だから、今回のステージをやっていて自分で思うのは、すごくアイコンタクトが多いですね。非常にこみ上げるようなものはありますね。本当に感謝しております。ありがとうございます!
続いては、 先日発表となった4月からのドラマについてのメッセージ。

【愛知県 がっぴちゃん 37歳 女性】
拓哉キャプテンこんにちは4月スタートのテレビドラマ「未来への10カウント(仮)」の発表がありました。すごく楽しみです。
「教場」では教官、「未来への10カウント」ではコーチと教える立場の役が増えてきたと思いますが、役作りを考える上で思い浮かぶ先生、指導者みたいな方はいますか?


木村:今回は、『HERO』(フジテレビ系ドラマ)でお世話になりました、福田(脚本家・福田靖)さんと7年ぶりのタッグなんですけども、今回は高校のボクシング部のコーチ的な役割らしいです。「なんでボクシングなんですか?」って話は福田さんともいっぱいしたんですけど、福田さんの中で”木村さんとドラマをやるってなったら、(この役を)絶対やってほしい!”みたいなことみたいです(笑)。
ちらほら(ボクシングを)やってはいるんですけど、ビックリするくらいキツいですね。あのリズムボールみたいなやつ?(パンチングボール) あれ、超難しいですよ。この間、松山ケンイチさんと東出(昌大)君が演った『BLUE』というボクシングの映画があったんですけど、それを観たら、松山ケンイチ、すげーちゃんとやってて。ビックリした。あれは相当練習してましたよ、きっと。じゃないとあんな打てないもん。だから、改めて自分がそういう立場になってみて、“みんなすごいなぁ”って思うようなことがいっぱいあったりとかもするし。
「役作りをする上で思い浮かぶ先生、指導者」ってパスががっぴちゃんから来てるんですけど、うーん…。思い浮かぶというよりは…丹下団平さん(『あしたのジョー』の中の登場人物)ではないですね、間違いなく(笑)。

木村:そして続いては、リスナーのみなさんが一生懸命チャレンジしていることを応援する【リポビタン×Flow 頑張るリスナー応援企画!】
今回はこちらのメッセージをご紹介したいと思います。

【宮崎県 リオン29 46歳 女性】
木村さん、こんにちは!初めてメッセージさせていただきます。
私は、公共機関で就職のご相談を受ける仕事をしています。

毎日、様々な方のお悩みを聴かせていただいていますが、相談に来られる方と向き合いながら、「自分自身と向き合う」ということを日々、一生懸命に行っています。

自分の中の「べき」や価値観を認識しつつ、相手に押し付けないこと、自分自身がクリアな良い心の状態で全力で相談に来られた方の話を聴かせていただくこと。
スゴく、難しいなぁと日々思いながら、相手がちょっとでも笑顔になって帰って頂けると、何とも言えない喜びを感じます。

木村さんも日々、ご自身と向き合っている、とおっしゃっていましたが、その言葉がストン、と府に落ちました。
だからこそ、木村さんの表現される音楽、映画、全てに勇気付けられ、癒され、力を頂けるんだと思いました。

一つ一つのお仕事に全力で向き合われている木村さんの姿に、私も勇気と力を沢山頂いています。本当に、いつもありがとうございます。
これから私も、毎日、真摯に自分と向き合いながら、目の前の方を大切にしたいな、と、改めて決意いたしました。

木村さん、これからもどうか、お身体を大切にご自愛ください。
ずっとずっと応援しています。


木村:公共機関で就職の相談を受ける仕事って、お仕事ではあるけれど、“就職のご相談”というよりは、人生相談ですよね。”どうしよう、これから…”っていう方がきっと多い中で、そういう人たちの相手をするということだけでも、すごく大変なことをされていてるなって思うんですけど。
でも、僕のことを色々話をあげてくれて、「全力で一つ一つのお仕事に向き合われている」とか言ってくれてますけど、単純にですね、リオン29さんに伝えたいのは、僕の場合なんですけど、自分が出向く先に”適当な人がいない”んですよ。適当な人がいない中で自分が適当にやると、その人たちにも失礼だし、その人たちとの“歯車が合わない”んですよね。だから、「自分のアクセルを踏み込んで出力を上げている」って言えば(イメージが)良い存在になれるとは思うんですけど、自分の場合は、どちらかというと“自分でアクセルを踏んでいる”というよりかは、“周りの方に出力を上げてもらっている”というか、“本気にさせていただけている”という感じだと思いますね。
リオン29さんも、ひょっとしたら、真剣に就職相談に来られているそのみなさんの温度、その真剣さに向き合ってるからこそ、笑顔になって帰っていただけた時の、なんとも言えない喜びを感じられているんだと思う。うん。本当に応援したいと思います。メッセージありがとうございました!

【リポビタン×Flow 頑張るリスナー応援企画!】
あなたがいま、一生懸命チャレンジしていること、頑張っていること、頑張っている理由など、エピソードと共に番組宛に送ってください。メッセージをくれたリスナーの中から10名様にリポビタン製品をプレゼントします!
みなさんの熱いメッセージ、お待ちしております!

木村:続いては久しぶりに、みなさんがオススメする「地域のラジオDJ」と、トーク・セッションをさせていただきます。
たくさんメッセージが届いています! 情報、ありがとうございます!

【宮崎県 あいれん 45歳 男性】
オススメ名物DJ、宮崎にもいらっしゃいますよ!その方はDJシローこと濱田詩朗(はまだ しろう)さんです。
ラジオDJだけではなく、バンド活動、弾き語りライブ、CMナレーション、テレビ番組の司会と、マルチに活躍されております。
その中でもFM宮崎で毎週月曜日〜木曜日に、約三時間の生放送でオンエアされている「Radio Paradise 耳が恋した!」は彼の持ち味が発揮されたラジオ番組だと思います!
内容は真面目にふざけた、どうかしてる番組ですが、そんな番組にりすなーは毎日元気を頂いております。


木村:その他にも、【ラジオネーム トトロ】、【ラジオネーム ひろにー】 からも推薦メッセージが届いております。
ということで、FM宮崎のDJ シローさんこと濱田詩朗さん(以下・シロー)と繋がっております。どうもよろしくお願いします!

シロー:よろしくお願いいたします! FM宮崎で月曜から木曜夕方17時15分から放送しております、『Radio Paradise 耳が恋した!』のシローと言います。よろしくお願いします! ちょっともう、ホントめちゃくちゃ緊張してますけど…。

木村:ウソですよ〜(笑)。

シロー:いやいやいや。もう、ホントにこんなこと、なんで推薦なんかしたんだろうって思ってますもん(笑)。

木村:じゃぁ、やめますか?(笑)

シロー:いや、やりましょう(笑)。

木村:普段、どういうあれ(番組)なんですか? “真面目にふざけた”っていうのは。

シロー:やっぱり中途半端に色々やるよりは、みなさんとの距離を縮めていく、というか。それにもちょっと時間はかかってきたんですけど、でも、”近所の兄ちゃん”みたいな感じで触れ合えた方が、リスナーさんとの距離も縮まって楽しいのかなということで、リスナーさんに許してもらえている部分もあるんですけど、フランクに(番組を)やらせていただいておりますね。

木村:今、こちらの手元の資料でビックリしたんですけど、(番組が)20年以上続いてると。

シロー:そうですね。もう22年目に入っております。

木村:長寿番組の秘訣というか、理由というのは、なんだと思いますか?

シロー:始めた頃は、前の番組がやはり15年続いていた番組だったんで、僕みたいなよくわからんヤツが出て来た時っていうのは、やっぱりクレームの方が多かったですね。

木村:どういったクレームですか?

シロー:「もうちょっと歳相応に喋れ!」っていうのが多かったですね(笑)。

木村:(笑)。どんな喋りをしてたんですか?

シロー:僕は、ラジオを始める前は、ラジオもそんなに聴く方でもなかったですし、言い方は悪いですけど、興味がなかったというか。なので初めはやり方がわからなくて、とりあえず勢いだけで、テンションだけで乗り越えてた感じがしますね。

木村:ここにちょっと不思議な資料があるんですけど、「ラジオネームの神様」って呼ばれてるって。“ラジオネームの神様”って、どういうことですか?

シロー:大したことじゃないですけど、「ラジオネームを付けて下さい!」というリスナーさんがけっこういたりして、それを普通に付けるのもアレなので、僕は「ラジオネームの神様」ということで、降臨して、ただみなさんにラジオネームを付ける…っていうだけですね(笑)。

木村:じゃぁ、僕に(ラジオネームを)付けてもらっていいですか? 僕はラジオネームの神様からラジオネームをいただけるってことですよね?(笑)

シロー:僕が木村さんにラジオネームを付けるんですか!?

木村:だって神様でしょ?

シロー:はい…。じゃあ、いいですか? ホントにみんなにすごいのを付けてるんで、これは僕の生命に関わるようなことが起きそうな気がしますね…。

木村:ぜひお願いします! どういうの来るのかなぁ(笑)。

シロー:真面目にやっとけば良かった…。よし、いいですか?

木村:お願いします!

シロー:「オオワザカケランジェロ」でよろしいですか?

木村:えーっと待って下さい! 書き留めます!「オオワザ、カケ、ラ、ン、ジェロ」…。

シロー:わざわざ書いていただかなくても大丈夫です…。

木村:「オオワザカケランジェロ」。これはどういった趣旨のラジオネームなんですか?

シロー:これはそうなんでしょうね…趣旨がほぼないですね。

木村:ないんですか(笑)。

シロー:いつも、大体いろんなものを組み合わせて、っていうところがあるので。

木村:“カケランジェロ”っていうのは、どの辺から来たんですか?

シロー:まあ、ミケランジェロからでしょうけど(笑)。はい。ポッと出て来たものなので、意味を色々と追求されると…恥ずかしい。今すごく汗が出て来た…非常に汗が出て来た。

木村:いやでも、嫌じゃないな。嫌じゃないです。オオワザカケランジェロ。

シロー:そうですか! ホントですか! いつかじゃあ、木村さんがどこかのラジオに投稿する時には…。

木村・シロー:「オオワザカケランジェロ」!

シロー:僕は言っていいんですね? 木村さんにラジオネーム付けたっていうのは。

木村:そうですね。今、実際につけていただいたんで。

シロー:もうちょっとちゃんと考えておけば良かった…。

木村:これはもう、ラジオネームの神様からいただいたラジオネームとして、僕は大切にしていこうかなぁと思いますね。「オオワザカケランジェロ」(笑)。

シロー:(笑)。

木村:絶対どこのラジオにもメールするのやめよう(笑)。これ絶対、偽物も出て来るよね(笑)。

シロー:俺も使わないでほしいですね。

木村:これ絶対やめてほしいなぁ。これは乱用はやめてほしいですね(笑)。いや、ありがとうございます。

シロー:大事にしてほしいですね。よろしくお願いしておきます。カケランジェロ先生、本当にありがとうございます。

木村:カケランジェロ先生って、やめてください(笑)。
最後にですね、全国の38局ネットでこのラジオを聴いてくださっているリスナーのみなさんへ、DJ シローさんからメッセージをお願いします!

シロー:月曜から木曜日、FM宮崎で放送しております『Radio Paradise 耳が恋した!』という番組でございますけれども、どの放送、どんな番組よりも敷居の低い番組となっておりますので、本当に公園に遊びに来るような感覚で、ぜひradiko等を使ってですね、全国のリスナーさんからのメール等も募集しておりますので、遊びに来てください。一緒に遊びましょう。

木村:FM宮崎のDJ シローこと、濱田詩朗さんでした! ありがとうございました!

シロー:ありがとうございました!

(後TM:OFF THE RIP/木村拓哉)

2022年02月20日Flow 第百八十六回目「拓哉キャプテン × 山下達郎」Part4

2月のマンスリーゲストは、僕のセカンドアルバム『Next Destination』に楽曲を提供してくださいました、山下達郎さん。
そして、これ気になりますね…。山下達郎さんの「人生の1曲」。最後までよろしく!


山下:僕は、基本的にはレコードプロデューサーになりたかったんです。話は戻りますけど、自分では、ミュージシャンなんてそんなに長いことできるわけがないと思ってたの。マニアックだし、人の知らない音楽しか聴かずに育ったようなヤツが、人が共感できる音楽をそんなに作れないだろうなって思ったの。だから、最終的には裏方になりたかったんですよ。

木村:へぇ〜。

山下:今でも、自分の中で、“無から有を生む”よりも、”人の才能にプラスアルファする”方が自信があると思ってるから。だから、木村君の歌がどうなってきて、どういう曲をやったら良いか、どういうアレンジをしてどういうトラックスか(考える)、こちらの方が自分では得意だと思ってるんです。
基本的に自分はレコードプロデューサーで生きていくと思ってたんで、こういうことを学習しなきゃと思ってやってきたんです。なんだけど、はなはだ幸運なことに、もうすぐ70(歳)手前ですけど、まだなんとか現役でね、声もなんとか持ってる(維持できている)し。

木村:なんでそんなに声が持つんですか? 僕はホントに自分に甘くて、映画の撮影だったり、ドラマを撮らせてもらったりするお芝居が中心の時期があって、ビクターのスタッフから「そろそろどう?(レコーディング)始めない?」って言っていただいて“やってみようかなぁ”って思って、またレコーディングスタジオに行くようになるじゃないですか。そうすると、“あ、やっぱり(歌う)筋肉衰えてるなぁ”と思う感覚があるんですけど、達郎さんて、週に何日くらい歌いますか?

山下:いやぁ…そんなの、歌わない時は全然歌わないですよ。

木村:それこそ、プレイステーションやってる時は歌わないですか(笑)。

山下:(笑)。あれね、マネージャーにダメって取り上げられたまんま。

木村:マジですか! あれ、取り上げられたんですか!?

山下:取り上げられたまんま。もうすぐレコードができますから、そしたら返してくれるって。

木村:自分のお仕事がちゃんと終わるまで”おあずけ”になってるんですか(笑)。食らってるんですね、”おあずけ”を(笑)。

山下:バチバチ食らってます(笑)。
歌の話に戻りますけど(笑)、ホントかウソか自分でも解釈できないんですけど、人間の肺の機能っていうのは16〜20歳までで完成すると言われているんですよね。あんまり肺が完成していない若い頃から歌を歌いすぎると良くないと。ピアノとかバイオリンは3、4歳から始めますけど、管楽器は15、6歳からで十分なんですよ。だからあんまり早く始めちゃダメだっていうことを言われるんですよ。
僕の場合は、友達に地主の息子がいてね。すごくでっかい家で、そこの離れが彼の家だったんで、溜まり場になっていて、毎日そこでテレコで(テープレコーダー)録音して、曲作ったり歌を歌ったりして。それこそ17、8歳から22歳まで声を出していたのがプラスになってるのかなぁって。

木村:今現在の達郎さんは、「筋トレ」というカテゴリーに当てはまりそうな、声出しみたいなことは?

山下:全然してない。ウォームアップはしますけどね。リップトリルとかそういうのはしますけど。だけど、発生練習で「おぉ〜」みたいなのはしません。

木村:へぇ〜。

山下:でも、20代の終わり位に言われたのが「歳を取っていくと、毎年半音ずつ下がって行くよ」って。ピッチの上限が。
確かに、だんだん出なくなってきたんですよ。僕は、シュガー・ベイブってバンドを辞めてから、「RIDE ON TIME」がヒットしてツアーが本格的にできるようになるまで、4年間くらいはライブができる状態ではなかったんで、すごくライブの数が減っちゃったんですよ。そうすると、確かに声が出なくなってきたんですよ。“ああ、やっぱり1年に(ピッチが)半音ずつ下がっていくんだなぁ”って思ったんだけど、80年代から毎年、年間ライブを50本から70本位やっていくと、1年2年経つうちに、だんだん(声が)戻ってきてね。ちょうど「クリスマス・イブ」を出すくらいには、昔の22、3歳の音程に戻ってた。90年代またちょっとライブができなくなって、“また声が出なくなったなぁ”っていうのがあったけど、このところずっと(ライブを)やってると20代ほどには完璧には戻らないけど、ほぼなんとかなってるっていう。

木村:やっぱり、ライブをやられていると(自分の声が)良い状態に持っていけるっていうのはあるんじゃないですか?

山下:それはありますよ。医者のセリフですけど、「60歳過ぎたら毎日声出せ」ってね。

木村:へぇ〜。

山下:そういう話は色々あるんだけど、僕が30歳になったくらいの時に、僕の同世代のミュージシャンが「やっぱり体力作りだ!」って言って、ホテルのジムに通って1日1500メートル泳いで、初めは手すりに捕まらないと帰れないくらい疲労困憊してたんだけど、ひと月ふた月経つうちに筋骨隆々になって「これでバッチリだ!」って言ったその人、今、全く声出ませんからね(笑)。

木村:(笑)。

山下:原理原則、わからないんですよ。だから「何でこの人は声が出て、この人はダメになるか」って、医学的な諸説があっても本当のことはわからない。だから、何で自分が出てるのかよくわからない(笑)。

木村:でも、歌われてるからじゃないですか?

山下:そうだと思いますよ。

木村:さっき達郎さんご自身も言ってらっしゃいましたけど、今、「シティポップ」という言葉が、韓国・アメリカ・香港・マレーシア・インドネシア…世界中で人気を集めていて、レコードコレクターも多いというという状況が起こってますけど、(そもそも)「シティポップ」って?

山下:知りませ〜ん(笑)。わかりませ〜ん(笑)。

木村:「知りませ〜ん!」って、ご本人がおっしゃっております!

山下:なんか変な時代ですよね。アナログ盤が好きだとかね。

木村:でも、街でやたら見かけません? レコード屋さんとか。それこそカセットプレーヤーが山積みで置いてあるお店とか。

山下:ラジカセは売ってるけど、CDプレーヤーはもう無いですからね。電気メーカーが作ってないから。パソコンのスロットもなくなりつつあるし。

木村:なのに、CDは作ってますよね。

山下:日本だけですよ。

木村:CD作ってるの?

山下:ほとんどね。アメリカだって、日本向けにCDプレスしてるんですから。今。

木村:ええ!?

山下:僕も2008年のツアーを始める時には、“2020年になったら(世の中から)CDはなくなってるな”って思ってたんだけど、まだありますよ。日本だけですよ。不思議ですね。

木村:へぇ〜! 「不思議ですね」って。日本以外の国は、今は配信?

山下:配信ですよね。いわゆるサブスク(サブスクリプション)。あとは何か知らないけど、「アナログが復活した」とか言ったって(笑)。今度、『Next Destination』はアナログを作るんですか?

木村:どうなんですかね? 今のところは予定はないですが、予定は未定ですからね。でも、お世話になったみなさんには作らせていただいて「ありがとうございました」っていう形でお渡ししたいなと、僕は感じている次第であります。
やっぱりコロナの影響で、達郎さんの生活だったり音楽活動だったり、以前とは違う変化というのはもちろんあると思うんですけど。

山下:僕はどっちかというとアウトドア派ではなくて家っ子(うちっこ)なので。アウトドア派は大変ですよね。“波に乗れない”とか、“アメリカ行きたい”とか、“ブラジル行きたい”とか、そういう人はけっこう大変だと思います。僕は海外旅行とかあまり興味ないから(笑)、“レコード整理ができるからいいなぁ”という。

木村:むしろ、そういう時間(おうち時間)に振り分けた感じですか。

山下:うちは大体家が好きなので、ストレスはないです。飯屋は行きつけが何軒かしかないので、そこが潰れないように一生懸命、1週間に1回は通ってやろうとか、そういう程度ですね。

木村:でも、キャリア初となる配信ライブを行ったと。

山下:配信ライブなんて、みんなほとんどここ1、2年でしょ? そんな、10年前からやってるヤツいないでしょ。

木村:少ないと思いますけどね。

山下:ライブができなくなっちゃったんで、「まぁできなくなったからしょうがないから、配信しようか」って。他のことをやるしかないですからね。

木村:ラジオの収録もご自宅で行っていたって。

山下:ひと頃はね、テレワーク(笑)。

木村:それこそ、緊急事態宣言でステイホームってなったじゃないですか。あの時にまず、“ラジオどうすんの?”って思ったんですよ。そしたらスタッフが僕に返して来た言葉が、「山下達郎さんがご自宅でご自身のラジオ番組を録られてるので、多分、同じような形で木村さんに作業していただければいけると思います」って。

山下:人をダシにしてね(笑)。

木村:完全にうちのスタッフが達郎さんの名前を使っておりました(笑)。

山下:あの何か月はけっこう大変でした。だから、自分でナレーションを録音しなきゃならないし、エディットもある程度自分でやんなきゃだから、夕方から(編集)やり始めてナレーション完パケ(完全パッケージメディア)して、毎週朝の7時ですよ。

木村:え…! 自分で完パケ作ってたんですか!

山下:だって、そのまま丸投げしたってどこ使うかわからないじゃないですか。

木村:そこまでやってたんですね!

山下:一応エディットはできますからね。テープのエディットとかやってたから。

木村:詳しいこと聞かなくて良かった! 達郎さん、全部やってるんじゃん、自分で。

山下:時間かかりますよ、だから(笑)。

木村:夕方から朝の7時まで(編集)やってるって。

山下:もう嫌だって(笑)。でもこっち(スタジオ)に来れないんだからしょうがないでしょ。

木村:ここまで色々、達郎さんと一緒にお話をさせてもらう時間が流れてきたんですが。この番組では、毎回、来てくださったゲストの方に「人生の1曲」というものを伺ってるんですけど、お聞きしても良いですか?

山下:やっぱり、音楽を聴き始めた時にインパクトがあったやつが人生の1曲なんだけど、それはもう50何年前の出来事でね。人生で一番数聴いた曲がこれなんですけど。
イギリスにゾンビーズ ( The Zombies )っていうグループがありましてね。ロックバンドなんですけど、それの「Tell Her No」という、65年のヒット曲なんですけど、もう何千回聴いたか分からないです。人生で一番かけた1曲ですね。
色々音楽の幅が広がって、教養とか知識としての音楽と、一番無垢の、あんまり物を知らない時に音を聴いて「コレだ!」っていう、その感動というのは、違うものなんで。“知識じゃない直感”というか。だから、人と共有したいと思わない。それを聴いて「良いですね」って共感してほしいとも思わない。自分が良いと思ってるから。

木村:でも、今からかけますよ。かけます(笑)。

山下:ホントはね、木村君の番組だから、AC/DCの「Highway to Hell」にしようかなぁとか思ったんですけど、「Highway to Hell」のリマスタリングしたデータがここ(手持ちのUSB)に入ってなかったんで、すいません(笑)。

木村:(笑)。データがなかったんで、ゾンビーズに。

山下:ゾンビーズの「Tell Her No」。

木村:ということで、2月のゲストは山下達郎さんでした。ありがとうございました!

山下:失礼しました。ちょっと喋り過ぎたかなぁ…(笑)。

M1.Tell Her No/The Zombies

(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)

2022年02月13日Flow 第百八十五回目「拓哉キャプテン × 山下達郎」Part3

2月のマンスリーゲストは、僕のセカンドアルバム『Next Destination』に楽曲を提供してくださいました、山下達郎さん。
達郎さんとのトーク、今週は更にディープにお届けします。最後までお付き合い、よろしくお願いします。


木村:この番組では、ゲストに来てくださった方が人生をどうFlowしてきたのかを一緒にお話しさせていただく番組なのですが、達郎さんの人生のFlowの仕方っていうのは、子供の頃とかどんな感じだったんですか?

山下:(笑)。ガリ勉の優等生でした。

木村:ガリ勉の優等生? それは学校の勉強?

山下:学校の勉強。

木村:じゃあ、音楽っていうのは? いつタッチしてたんですか?

山下:小学校6年生の時、鼓笛隊のメンバーをオーディションした時に、先生が黒板に譜面を書いて、「これ(譜面)を小太鼓で叩け」って言って、男の子で叩けたのが僕1人だったんで、「貴方は鼓笛隊をやりなさい」って言われて、女の子9人に男の子1人という鼓笛隊に入れられて。それで僕、小学校6年の時に生まれて初めてドラムを習って。
人生の最大のターニングポイントだったのは、中学校1年の時ね。クラブ活動を決めなきゃならない。

木村:部活。

山下:小学校を卒業した時点では、どっちかというと理系に行きたかったんで、科学部とか天文学とかそういうのやりたかったんです。でも“小太鼓、いいなぁ”と思って、ブラスバンドにしようか科学部にしようか迷って、最初は「科学部」って書いたんですね。
学校って、席が一番後ろに座ってる人が紙とか答案用紙とかを集めるじゃないですか。それで、僕は一番後ろだったんで集めてたら、前に2人、「ブラスバンド」って書いてあって、自分の席に戻って「科学部」を消して「ブラバン」って書いたの。

木村:それ、人のやつを見て(笑)。

山下:そうそう。軟弱で(笑)。でも迷ってたから、“こんなにいるんだったら、ブラバン良いかな”と思って。授業が終わってホームルーム終わって音楽室に行ったら、僕のクラスで僕の他にブラバン、その2人だけだったんですよ。これが人生。あの時、科学部って書いてたら120%ミュージシャンになってない。

木村:今、ここにもいないですよね。

山下:いない、いない。それだけは確か(笑)。

木村:“他にも2人もいるじゃん、ブラバン!”ってなって、自分も(最初に書いた科学部)を速攻消して「ブラバン」って書いて、提出したことによって、音楽の扉がパカッと開いた感じですか。

山下:そこからパーカッションにのめり込んで。

木村:へぇ〜。最初はリズムだったんですか?

山下:僕、ドラマーです。中高ずっとブラバンでドラムやってましたから、アマチュアバンドでドラマーだったんです。で、ドラムでリードボーカルじゃカッコ悪いから、シュガー・ベイブっていうバンドを作る時に、ギターを見よう見まねで弾いてたんで、ギターに変わりましたけど。リードギターなんて弾けないから、だったらカッティングだったら何とかなるかなって、それでカッティングになったんです(笑)。

木村:そうなんですか!

山下:ドラムをやってたおかげでパーカッションとか全部自分でできるんで、売れない時は低予算のレコーディングだから、スタジオミュージシャンを雇わなくてもパーカッションは自分でできるから、それで予算が浮くじゃないですか(笑)。

木村:浮くっていうか(笑)。ご自身でパーカッションができてたんだ。

山下:そうです。パーカッションやってたのは、編曲にはものすごく役立つの。

木村:今、ちらっと言葉上でも出ましたけど、1975年にシュガー・ベイブとして「DOWN TOWN」というシングル、アルバム『SONGS』でデビューされて、翌年76年にソロデビュー。

山下:シュガー・ベイブを2年半程やって、解散してソロになりました。

木村:1980年発表の、それこそ「RIDE ON TIME」が大ヒットして。

山下:それまではホント売れない(笑)。売れないシンガーソングライター(笑)。普通、4年アレしたら(売れなかったら)お払い箱ですけどね。大体2〜3年で売れなかったら契約切られるんだけど、ディレクターが頑張ってくれて。だからブレイクしたのが27歳ですから、かなり遅いんですよ。良い言い方じゃないけど、わりと遅咲き。

木村:そうだったんだ。

山下:そうです(笑)。

木村:それこそ、シュガー・ベイブだったりとかソロになったりとかの間、日常における音楽っていうのは、達郎さんにはどういう存在だったんですか?

山下:中学を出ていわゆる進学校に入ったんですけど、自分の行きたい高校じゃなかったところで、わりとアウェイだったの。自分がね。その時は「70年代安保」って言って学生運動の時代で、高校1年生の時代からバンドにドラムに明け暮れて、勉強はどんどん(成績が)落ちていくし。それでまぁ、高校2年、3年の時は学校にあんまり行かなくて。要するに、完全なドロップアウトですね。

木村:ええっ!? ドロップアウトしたんですね。

山下:だから、音楽しかやることがなかったんですよ。高校を出て大学に行きましたけど、すぐ辞めてバンドになりました。

木村:じゃあ、達郎さんの栄養になっていた音楽って?

山下:最初はね、ザ・ベンチャーズです。

木村:ベンチャーズ?

山下:メル・テイラーってドラマーがいて、僕はドラムなんで、その人のコピーを一生懸命やってて。これも運命の分かれ道なんだけど、ブラスバンドで、パーカッションの前(の位置にいるのが)がトロンボーンなんですよ。そのトロンボーンを吹いてたヤツが、僕の50年来の親友で、コイツが僕のポップスの先生なんですよ。ビーチ・ボーイズから何から、そいつが全部教えてくれたの。僕にね。

木村:へぇ〜!

山下:そいつとアマチュアバンドをやってて。そいつは高校入ったらバンドを辞めて医大受験して、今医者やってますけど。そいつの影響で、アメリカントップ40(とかを聴いていた)。でも、ベスト10は聴かないの(笑)。20位とか30位とかマイナーな曲しか聴かないの。要するにマニア、オタク(笑)。そいつは先物買いの天才で、「これからコレ流行るよ」って言ったら、本当に流行る。邦楽は一切聴かない。全部洋楽。僕らはね、だから友達いないの(笑)。

木村:それを聴き込んで、自分の栄養にどんどん吸収してって。

山下:そうですね。「FEN(Far East Network)」って、米軍放送があるでしょ? (カセット)テープで録って、あればっかり聴いた。
ある日、オールディーズの番組があって、そこでかかったのがドゥーワップで、それがまた人生を変えて(笑)。自分が生まれた年位の音楽なわけだけど、“なんだコレは!”ってなった。
コーラスが好きだったから没入していって、その友達とコーラス主体のグループを作って、ビーチ・ボーイズとかのカバーとか、そういうやつをやってたんだけど、その時代はいわゆるハードロックの始まりで、ジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)、バニラファッジ、クリーム…アマチュアバンドはみんなそういうのをやってて。僕らはビーチ・ボーイズとかイギリスのコーラスグループバンドのザ・トレメローズとか、誰も知らないやつをやってて(笑)。「なんでお前らそんなつまんねぇ音楽やってんだ?」って言われてね。「あんな一般的なことやれるか!」って言ってね(笑)。カルトですよ、カルト(笑)。

木村:すごいっすね。意地じゃなくて、胸の張り合い。自分らがやってることが“カッコいい”って思えてる人たちって、胸の張り合いをしてて良いですね。
今回、3曲ドドドっと書いてくださったわけなんですけど、その前には嵐だったり、NEWSだったり、少年隊だったり、KinKi Kidsだったり。

山下:そんなにたくさんはジャニーズには書いてないですね。NEWSは、それ用に書き下ろした曲ではないから。ストックで山P(山下智久)が気に入ってくれて。で、「使わせてくれ」って。

木村:時代の流行りもあるかもしれないけど、達郎さんに求められるもので、若干、時代のニーズだったりとかあります?

山下:あります。このリストは、ほとんどオファーというか、「書いてくれ」って頼まれたんです。木村君の今回のやつは僕が「書かせてくれ」って持っていったんで、そこはすごく違います。

木村:やばい、俺も胸の張り合い(笑)。

山下:あと、今回は別にシングルがとかそういうのじゃないから、制作意図が全く違うんで。それは、だから“木村拓哉のオーラ”ですよ。

木村:いやいや、やめてください。もう張れない位、胸が前に出ていきそうなんで(笑)。
結局、音楽活動自体は50年?

山下:75年デビューですからね。バンド作ったのが20歳の時ですから、音楽活動自体は50年ですね。
本当は、ミュージシャンでそんなに続けられると思ってなかったんですよ。さっき言ったみたいに、オタクなんで(笑)、歌謡曲なんてほとんど聴かないし、日本の音楽はほとんど知らないんですよ。結局、“自分は洋楽に対して造詣がある”って自信があったでしょ。そういう連中とバンド組んで「自信作だー!」ってバーッと出たら、物が飛んで来るみたいな(笑)。
日比谷の野音とかでイベントがあるじゃないですか。必ず野次られる。「もっとどんどんやれー!」とか「踊れねぇぞ!」とかね。僕の音楽ってリズムチェンジが激しいでしょ。昔の夏フェスなんかでも、(演奏は)必ずトップ。(トップだと)野次られても、客がクールだから。(出番が)後ろの方とかトリ前だと、物が飛んで来る。ホントに。そういう時代だったの。ロックって、「ノれるか、踊れるか!」みたいな。そういう時に内生的な音楽をやると「踊れねぇぞ!」って。
僕のライブって1曲目から総立ちにならないでしょ。だから、僕は「1曲目から総立ちになったら、その日で辞める」ってお客に言ってるの。

木村:そうなんですか!

山下:だって、何にも聴いてないのに、何で「ワー!」って1曲目からなれるの?

木村:ヤバい。

山下:これは僕の考え方なんで、武道館でいきなり「ワー!」ってなる人がいたって、それはそれで良いの。だけど「僕の(ライブ)は違う」って言うの。変わってるんです。自分で言うのも変ですけど、僕、変人なんです(笑)。

木村:このTOKYO FMで、ご自身のラジオ(『山下達郎サンデー・ソングブック』毎週日曜日:14:00〜14:55)も、1500回を超えている。

山下:今年の10月で(番組は)30年周年になります。

木村:これは前から聞きたかったんですけど、そのラジオ番組でかける音楽。CDだったりレコードだったり、商品としてソフト化されている音源を、ご自身のラジオで流す用の音源として、もう一度達郎さんがマスタリングしてるっていうのは本当ですか?

山下:全部(マスタリングは)してますよ(笑)。これ、番組用のUSBなんですけど、ここに15年分のデータが入ってます。家でマスタリングして、48Kの16ビットでリマスタリングしたデータです。

木村:何で、ラジオで流す用の音源は…。

山下:僕の番組は、古い曲をかける番組なんですよ。50年代、60年代、70年代。下手すると30年代。で、最初は土曜日(『山下達郎のサタデー・ソングブック』)だったんですけど、『サンデー・ソングブック』って、日曜日の14時からやってる番組を92年から始めて。それまでね、ラジオ番組って3年くらいしか続かないっていうジンクスがあって、その時もレギュラー(番組を)始めたんですけど、80年代にレギュラーを持ってた時は、新譜をかけたんですよ、普通に。そうすると、毎週ビルボードのチャートを追わなきゃなんない。それ、けっこう辛いんですよ。買って、聴いて。
オールディーズだったら自分の知識で完全にできるんで、それだったら長続きできるかなって思ったんです。古い曲をかけて、それこそ50年代のエディ・コクランとかバディ・ホリーとかチャック・ベリーとかをかけようと思って、(番組を)始めました。
その時に、僕の前の番組が『木村拓哉のWhat's UP SMAP!』、その後の番組がドリカム(DREAMS COME TRUE)の番組。ドリカムと木村君に挟まれて、そこでエディ・コクランとかかけたら、ショボくて聴けないんですよ。音が古いから。
それで、DATにリマスタリングして、リミッター入れてEQかけて、きちっとラジオで音圧取れるようにリマスタリングして持って来たのが、最初なんだ。そういうことをやって、音圧が稼げて、前後の番組に負けない、と。

木村:完全に、もう、車の修理工場の工場長ですよね(笑)。

山下:だから、古い車でも、今のやつに馬力、音、スピードは負けない。BBCにそういうような番組あるじゃないですか(笑)。

木村:(車を)リメイクする。

山下:そういう感じ。

木村:だからUSBを持ってるんですね。

山下:でも、自分のやってるような、普通の音楽のマスタリングに生かせるようになってきたから。リマスタリングも30年近く自分で独学でやって、だんだん知識が身についてきて。だから無駄なもんはないんですよ、世の中に。

M1.Groovin’ [ARTISAN -30th Anniversary Edition-]/山下達郎

(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)

2022年02月06日Flow 第百八十四回目「拓哉キャプテン × 山下達郎」Part2

2月のマンスリーゲストは、僕のセカンドアルバム『Next Destination』に楽曲を提供してくださいました、山下達郎さん。
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!


山下:(先週話した)木村くんに最初に会ったスタジオの話に戻りますけど、”木村拓哉”っていう人が、そこ(スタジオ)に座ってる時のオーラに、すごいものがあったんですよ。その後何回か、木村君に会ってるでしょ? 僕、一番印象に残っているのが、スタジオに「マーチンのギター買ってきた!」って、「(試しに)弾いてみて、感想を聞かせてくれ」って言ってきて(笑)。僕なんか別にね、アコースティックギターにそんなに詳しくないんだけど(笑)、(木村がギターを)持って来て「弾いてくれ!」って言った時の、なんて言いましょうかね…オーラって言いましょうかね(笑)。冗談抜きで、そういうことを僕はあまり感じない人間なんですけど。

木村:ホントですか?

山下:うん。それはもうね、圧倒的にそういうもの(オーラ)があるんですよ、あなたには。

木村:全然わからない…。

山下:だから、SMAPを観に行っても、そういうものを感じるのでね。ソロアルバムの曲を書かせていただいた時、ようやく、ピンで、どういうライブのオーラがあるかっていうのを観れるなと思って、楽しみにして(ライブを観に)行ったんです(笑)。

木村:僕が2年前にファースト単独ライブをやらせていただいた時に、達郎さんと(竹内)まりやさんがご一緒に代々木体育館の方に来てくださいまして。で、ライブが終わって自分は楽屋へ帰って。自分もライブが終わった後だったんで、けっこうテンション高めで楽屋に戻ったら、演り終わった自分よりもテンションの高い達郎さんとまりやさんが楽屋にいて。「あ! 来てくださったんですね。ありがとうございます!」って言ったら「木村君はね! バリトンなんだよ!!!」って言って。「バリトン!バリトン!ようやくわかった!」っていうことを言ってくださって。

山下:そんなに大きい声で言ってないって(笑)。そうなんです。

木村:ライブ直後の自分が「バリトン!」って言われて、全然意味がわからなくて(笑)。

山下:男の人の声って、高い人と低い人といるじゃないですか。いわゆる“高い人”は「テノール」って言うんですよね。ハードロックはテノールよりもっと上なんです。メタリカとかAC/DCとか(レッド)ツェッペリンとか、ああいう人たち。
木村君はハードサウンディングなものが好きだと昔から知ってるから…レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)とか、そういうのを意外と嗜好してるじゃないですか。
だけど、ライブを観て“この人はもっと音域が低いんだ”と。バリトンの方が“ヴォォ”ってところがふくよかに響くんですよ。だから、“この人はテノールじゃなくてバリトンなんだ”って、見えたものがあって。
それで、曲を書く時に1回打ち合わせしたでしょ?

木村:うん。

山下:木村君の場合、シャウト志向だから。だけど、ロックンロールはシャウトしなくてもできるよって。

木村:それを言われたんですよ。お会いしてお話をした時に。「別に叫ぶだけがロックじゃないよ」っていうことを達郎さんが言ってくださって。“お会いして話をする”っていう名目でお会いしたんですけど、完全に自分の中では“音楽の授業”みたいな。受けたことのない音楽の授業。達郎さんからは、すげー深いことを、笑いながら教わったっていう感じ。

山下:だって、お芝居だって音楽と同じですよ。例えば、活舌の良い悪いとかね、そういうもんじゃないものがあるわけじゃないですか。要するに“存在感”とか。歌も、例えば“音程が取れる”とか“リズム感が良い”とかいうよりも、別の問題があって。やっぱり“表現”というか“パッション”というかね。
僕はSMAPの曲のオファーを受けたことがあるんだけど、(自分の)ライブの関係とかで、できなかったんだよね。で、その時に(SMAPのライブを)観に行ったんだけど、5人いると5人で歌うから、個性がイマイチはっきりしないのと、パート・パートで分かれて持ち時間があるから、そういう中だと、ハッキリした顔出しがわからないんですよね。木村君はソロで代々木で2時間やって、ようやくモノが見えてきたっていうかね。
“歌が下手”だとか“上手い”とかあるじゃないですか。今のカラオケで、“ピッチが合ってる”とかTVでやってるでしょ。点数がついて。あんなの、別に上手い下手関係ないんですよ。ヨーロッパ音楽でも、例えばシャンソン歌手みたいな人の中にはすごく音程が不安定な人もいるけど、でもやっぱり、その“表現”。そういうものがすごく大事で。その人にどんな曲とどういう音世界が合うかが命だから。それが(木村に対して)見えなかったの。ずっとね。
グループってそういう弱点があって。ソロシンガーだとそういうところがはっきり出ないとダメじゃないですか。木村君の、“木村拓哉”という人の歌う特性というものがはっきりわかったんで、閃いたものがあって(笑)。それで打ち合わせした時に、(木村が)「やっぱりシャウトしないと...」って。
だから、あの時、何を聴かせたっけ? ニール・ダイアモンド?

木村:はい。

山下:ニール・ダイヤモンドとか(ジョン・R)"ジョニー"・キャッシュとか、バリトンで歌う人がたくさんいるから。ミック・ジャガーだって決してシャウトしないし。それは我々の大きな誤解なんですよね。“ロックはシャウトしなきゃ”っていうのが。

木村:だから、その授業の後、達郎さんから「曲作ったよ」って言われて、「え!」って。で、聴かせていただいたのが「MOJO DRIVE」と「MORNING DEW」っていう2曲が最初に来て、「ね。言ったでしょ? 叫ばなくても、シャウトしなくても、ロックにはなるんだよ」って。それでオケを録るってなった時に、「今まで木村君、オケを録る時にいたことある?」って言われて。「ないです」って言ったら「あ、いた方が良いよ」って。

山下:少し(話を)盛ってますからね(笑)。

木村:これは盛ってないですよ。

山下:いや、そういう内容では言いましたよ(笑)。

木村:で、「“生きたオケ”っていうのは、必ず、歌う人がそこにいて、それをみんなが感じた上で演奏したオケが“生きたオケ”になると思うから、もしスケジュールに問題がなければ、オケを録る時に実際に歌ってくれないか?」っていうことになって、「MOJO DRIVE」のオケをやる時に、自分の“仮設ボーカル場所”みたいのを作ってくださって。

山下:大体、普通はレコーディングがそういうものなんだよ。バンドをやる人だったら、リードボーカルがいるから、必ずああやって(ボーカルの場所を作る)。リズムセクションの真ん中でやると歌が被っちゃうから。声を出してるのも被っちゃうから。ドラムはドラム、ベースはベースで、全部そうやって小っちゃな区画を作ってやるから。あれが普通のバンドだったら、ああいうやり方でやるんです。

木村:らしいんですよ。だから、初体験でした。

山下:もともとね、レコードって、ライブを記録するためのものだから。始めはみんな、30年代とかそういう時代は、一発録りでレコーディングしてたでしょ。それが段々(パート別で)バラバラになってきて、後から歌を入れるノウハウが出てきてね。レコードの方がライブよりたくさん作れるから、儲けが多いから(笑)、そういうところでノウハウが確立されてきて。
でも本来は、バンドだったら一発で演奏しているところを録音して、それをレコードにしてたくさん売ると。そっちの方が、ライブは“1回演っていくら”だけど、レコードだったら何百万枚も作れるからっていう。
だから、(同じ空間でオケと)一緒に歌う、それが本来なんですよ。そうすると、木村君のグルーヴ、歌の癖とか伸びとかそういうものをリズム席で聴いて、それに合わせるから、それでできたオケだったら、至極自然に、演奏の世界に自分が入っていけるっていう。

木村:すっごい嬉しかったのは、その日初めてお会いした、達郎さんが招集をかけて集まってくださった、それこそ音大の教授をやっている方がキーボードをやってくれたりとか。

山下:(キーボード奏者の)難波弘之って言うね、僕ともう40年一緒にやってる人間ですけど(笑)。僕のライブは全部彼なんだけど。

木村:あと、ベースを弾いてくださった方が、座りながら足を組んだ状態で、上向きにベースのフェイスを上げた状態で弾いてくださってたんですけど、僕はちょっと離れた斜め上(中2階)のスペースで歌ってたんですけど、ベーシストの方がね、自分のフィンガーが入ってないタイミングで、僕に“サムアップ”してくれたんですよ。あれを受けた瞬間に、何かゾワッとして(笑)。

山下:(笑)。

木村:なんかそういう、達郎さんのおっしゃってくれた「グルーヴ」じゃないですけど、別に自分はグルーヴを意識してやっているわけではないんですけど、「いいじゃん!」って感じの(反応を)それぞれ音を出してくださってる人たちが(してくれる)。ドラムの方もそうだったな。ドラムの方も自分(木村)を見ながら「まだ行くか? まだ行くか? お! そこか!」みたいな感じで叩いてくれてるのを見た時に、すごいなんか…(感じた)。

山下:あいつは、そうる透っていって、ハード系では非常に有名なヤツだけど、本当にメタルの王道の人なんですよ。あの人、日本でドラムソロをやらせたら一番面白い人ですよ。

木村:えっ! そういう方が…。

山下:木村君はね、声量があるんですよ。作詞のザ・クロマニヨンズのマーシー(真島昌利)がね、僕と2人で“MOJO DRIVE〜♪”って(コーラスを)やろうと思ったら、木村君が見に来てくれたんで、「じゃあ一緒にやろうよ」って。で、僕とマーシーが終わって話してて、「あの人(木村)声デカいね〜!」って(笑)。声量がすごくあるから、それをバリトンでやらせたらもっと大きくなるのね。
だから、リズムセレクションの連中の感想は「縦の線(リズム感)がしっかりしてるし、全然問題ないよ」って。あいつらが言うんだから、本当ですよ。そういうところでお世辞は言わないから。ミュージシャンは。

木村:ヤバい!

山下:だから、そういう、自分の得手というか特質を生かして作品を作っていけば、歌を歌うってことがもっとずーっと楽しくなります。うん。

木村:聞きましたか!? ジェダイマスターから許しを得たような感じ(笑)。

山下:重要なのは、“音楽が好きだったらそれでできる”っていうことですよ。

木村:音楽は好きなんですけどねぇ。

山下:あとは、自分に合った音楽を自分の方へ引き付けるっていう。だから、ハードなものでも、シャウトしなくても大丈夫。次は、例えば“オーケストラをバックにやりたい”という時はどういう風にやるか。それを称して“プロデュース”とか言うんですよ。その人に合わないとダメだから。着せ替え人形じゃないんでね。自分の声は1つしかないから。

木村:また出たぞ! 今日のこれ、テストに出ますからね。「声は着せ替え人形じゃない」「叫ばなくてもロックはできる」(笑)。
それで、「MOJO DRIVE」「MORNING DEW」の2曲を、それこそ達郎さんがディレクションしてくださって、レコーディングをしたんですよ。それで「ありがとうございました!」っていう感じでその2曲が終わって、“あぁ、レコーディングというものが終わった”って思ってたら、達郎さんから「今ね、もう1曲書いてるから」って言われて(笑)。

山下:ハードロックだけだとアレかなぁ...と思って(笑)。少しコンテンポラリーな匂いがあったものが良いんじゃないかと(笑)。

木村:(笑)。でも、すごいビックリして。本当に。だって3曲いただけるって、ないですよ。ホント。それが「Good Luck, Good Time」って曲なんですけども、それもいただいて。今回1枚のアルバムの中に3曲、達郎さんが作ってくれた歌が入るという結果に繋がったんですけどね。

山下:僕がアルバムで曲を書かせてもらう時って、(要求されるのが)ヒットチューンではなくて、「新機軸とか新境地ってないですか?」と。アルバムの中の毛色の変わったもの、そういうものを求められてきたのね。だから今回のアルバムでも、僕に求められることは、“木村君の今までなかったところを提示する”って、自分ではそういう意識があるんで。“だったらエアロスミスだろ〜!”みたいな。

木村:なるほどなぁ…。

山下:へそ曲がりなの(笑)。

木村:へそ曲がりというか、なんというか。

山下:久しぶりに、珍しく自信作です(笑)。

木村:マジですか? 嬉しいなぁ。

山下:よく出来たと思います。自分で。我ながら。

[BGM]
『Next Destination』木村拓哉
VICTOR/VICL-65643

M.MOJO DRIVE/木村拓哉
M.MORNING DEW/木村拓哉

[O.A曲]
M1.Good Luck, Good Time/木村拓哉

[後TM]
MOJO DRIVE/木村拓哉


NEW

ARCHIVE

LINK

    TOKYO FM

top_back