木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2022年06月26日Flow 第二百四回目「拓哉キャプテン × Kj」Part3

6月のマンスリーゲストは、今年デビュー25周年を迎えたロックバンド・Dragon AshのKj。
Kjの「人生の1曲」も伺います。


木村:東北の『ライブハウス大作戦』っていう震災復興支援に、積極的に参加されてきたらしいね。

Kj:うんうん。

木村:今、戦争というものも世の中には存在していて。震災やコロナもそうだけど、そういうことって、バンドとして、Kjとして、ゼロから音を作ったり言葉を紡いだりすることの、何かきっかけになったり、影響ってあったりする?

Kj:うん。でもね、俺が今まさに思っていたし、思っているのは…例えば、今おっしゃってくれた『東北ライブハウス大作戦』っていう、震災以降音楽が止まってしまった街に小さなライブハウスを作って、“音楽の灯を絶やさずにみんなの拠り所を守っていこう!”っていうムーブメントを始めたボスがいて。で、賛同した仲間たちとか自分みたいな後輩が、そのライブハウスに、例えば仙石線が石巻までまた開通してない時に行って、弾き語りしてるんですよ。みんなでね。
例えば俺の時だったら、多賀城までは電車が動いてたから、「多賀城」って駅で降りて、そこで誰かに車借りて、無理矢理石巻まで行く、とか。

木村:うん。

Kj:多賀城までも通ってない時は、高速もぶっ壊れてて片道だったんで、”その道で行くか、線路をひたすら歩くか”で行って、弾き語りしてたんですけど。
それこそ、バンドで行くと大所帯だし、大変じゃないですか。なので、バンドマンなんで(弾き語りは)本望ではないけれども、でも、音楽が全く鳴らないよりは弾き語りでも鳴った方がいいと俺たちは思うので、ギターだけ担いで、それぞれみんな仲間たちと行って。
この活動自体は、バンドカルチャーを好きな人はある程度知っていたりするけれど、でもそれはとても小さな話で。“俺たちの気持ちの問題”というか。それが結果的に、木村さんが(『東北ライブハウス大作戦』を)知るに至るっていうことが、こういう活動の1番デカい(意味)と思ってて。
だから、例えば(木村が)俺と出会わなければ、このカルチャーを知らないかもしれないし、こういうムーブメントは知らないかもしれないじゃないですか。でも、俺が木村さんと会うことによって、木村さんがこれを知って、影響力のある方が口にしてくれることで、すごい人数のリスナーにこのムーブメントが届くっていうのが、俺が1番したいことなんですよね。

木村:ラジオを聴いてくれている人たちの中に「え! その弾き語りが聴きたいよ!」って人が、絶対にいると思うし。

Kj:逆にね。

木村:本能で「俺は絶対に音楽は鳴った方がいいと思うし」って言って、線路を歩いてくれたKjがいるわけじゃん。だから、何ていうんだろうな…そういう素敵な奴らっていうのは、“気持ち動いてる”というか。

Kj:まぁ、“餅は餅屋”だと思う。だから、俺らにはできないことの方が多いけど、でも”音楽で変えられる何か”っていうものも、確実にあって。ゼロじゃなくて。「そこは任せてよ!」みたいな(笑)。その代わり、音楽で変えられないことは…。

木村:「頼みますよ!」

Kj:「頼みますよ!」だし、「音楽で変えられなくても、音楽を聴いた君には変えられるかもしれないじゃん!」っていうのが、多分、音楽のカッコいいところで。「俺では世界を平和にできないけど、この音楽を聴いた誰かは、もしかしたら世界を平和にできるかもしれないし」みたいな。
その青臭いロマンっていうのが、多分、ずっとバンドマンが1番宝にしてるものだと思うので。それをいろんな人に巻き散らかして生きてるだけでも…。

木村:だから、そのピュアなメンタルやメッセージを「今そんな綺麗事を言っててもさ〜」って、端っこの方に追いやる人たちもいるかもしれないけど、やり続けたものの存在価値っていうのは、それを受け取る人が決めるものだと思う。

Kj:だと思うし、“俺たちが青臭いこと言わなかったら、一体誰が言うんだよ!”って思っちゃうから。アーティストぐらい、絵空事言ってたっていいと思うしね。

木村:ちょっとプライベートの話、聞いてもいいですか?
ラグビーをやってたっていう話を聞いて、インドア派? アウトドア派? 今の生活、今のKjがどうなのかなっていうところなんだけど。でも、音楽を作るってなったら間違いなくインドアだもんね。

Kj:自分は相当引きこもりです。あの…暗いとかじゃなくて。性格は超明るいし、めちゃめちゃ友達も多いんですけど、かなりインドア派です。
例えば木村さんの曲「OFF THE RIP」は、俺の中ではものすごくアウトドアなイメージがあるので、意識して”外の光が届くような曲”にしようと思いました。

木村:お〜。実際、僕もその印象で、レコーディングも、それこそライブの時も…。

Kj:解放感がある感じですよね。

木村:解放感がありましたね。へえ、そうなんだ。
ここからは、番組に届いているリスナーからのメッセージに、Kjにも付き合ってもらおうと思います。

【東京都 波乗りKoji 38歳 男性】
キャプテンこんにちは!
僕は昔からキャプテンのファッションが好きで、キャプテンが私服姿をinstagramにあげると、すぐにそのファッションをチェックするようにしています。
そこでキャプテンに質問です!
キャプテンが服を選ぶときの基準って何でしょうか?
自分のファッション選びの参考にしたいのでぜひ教えてください!!


Kj:もう、さんざん真似しましたよ。木村さんのドラマの中での格好ね。俺は『若者のすべて』(1994年フジテレビ系ドラマ)ですけども。まぁ、「ロンバケ」って(『ロングバケーション』1996年フジテレビ系ドラマ)言う人もいるでしょうし、いろんなそれぞれの木村さんがあるでしょうけども、自分は『若者のすべて』1本なんで。

木村:1本(笑)。

Kj:はい。それこそ、革パンツも真似しましたね。レッドウィングのエンジニア(ブーツ)は高いんで、ホーキンス買って、レッドウィング風にエイジングして(笑)。ライダース(ジャケット)もそうですね。シングルライダース。亀は飼わなかったですけど。流石にね、はい。

木村:亀?

Kj:(ドラマの中で木村が)部屋で亀に餌をあげてたんですよ。…いや待って、覚えてない?

木村:覚えてる覚えてる(笑)。

Kj:あれでみんな亀飼ってますから! 絶対忘れちゃダメですよ!

木村:(笑)。今「亀」って言われた時に一瞬、“ファッションで亀って…俺、あったかなぁ?”って(笑)。

Kj:だから、その時の俺たちから見たら、そういうのもファッション。あの木造のアパートの端で亀を飼って、「俺も1人だよ…」的な、あのカタルシス。もう、キリがないですから!
多分、言われてもあんまり楽しくないから、これ以上言わないですけど(笑)。

木村:いやいや。そういう「〇〇観てたんですよ」とか、それこそ、ある作品で乗ってた単車を「俺も同じように改造して乗ってました」とか聞くと、“ああ、そいいう世代なんだ”って、逆に嬉しくなることはすごくあるので。
でも、服は、選ぶ基準というか、僕は好きなものが変わってないので。それこそ、高校の時分からブレはあるんですけど、メインルートはそんな変わってない感じかな。
だから、インターでは降りるんだけど、その道に戻って来る。

Kj:結局ね。

木村:そういう感覚かな、僕は。いや〜、面白かった。Kj、ヤバいっすよね。

Kj:楽しいです、俺。

木村:マジですか。

Kj:すごい楽しいです。ラジオとか全然出ないので。

木村:いやもう、出てください。どんどん。定期的に呼ぶので。

Kj:じゃあ、定期的に来ます。面白話、仕入れてきます(笑)。

木村:お願いします(笑)。
今月はDragon AshのKjさんとお送りしてきましたが、今のKjが持つ目標とか夢とか、あと挑戦したいことって、今、ありますか?

Kj:まあ、25年もプロでバンドマンとして生きているって、最早ここまで来たらむちゃくちゃかっこいい生き方だと思うので、みなさんが許す限り、表現が枯渇しない限りはやりたいと思ってるのと、同時に、それと同じかそれ以上に、大人になって久々にバンドを組みたいと思ったメンバーとThe Ravensっていうバンドを組んで最近制作をしていて、もうじき作品も録り終わるので、そのバンドを真剣にやっていきたいっていう、その二本柱かな。

木村:この番組では毎回ゲストの方に「人生の1曲」を伺ってるんですが、Kjの「人生の1曲」、どんな曲になるんでしょうか。

Kj:はい。Dragon Ashの話もいっぱいさせてもらったので、「繋がりSUNSET」という、自分たちの曲を選びたいと思います。

木村:(「繋がりSUNSET」)が、「人生の1曲」?

Kj:はい。20代の最後に作った曲です。1曲に1ヶ月2ヶ月かけて(作って)。タイミング的に“自分が20代の最後に人に届ける曲”ってわかっていたので、“自分は20代に何を鎹(かすがい)にして生きて来れたのかな?”“何を握り締めて今ここにいるのかな?”と思ったら、”繋がり”だったんですよね。本当に、綺麗事でも何でもなくて。
仲間だったり、それこそ俺たちとかガキのバンドマンを虐げてきたウザい先輩だったり、下の子たちだったり…全部の繋がりが、多分、自分を今のアーティストにしてくれているので。その「繋がりSUNSET」っていう曲は、すごく大きな曲です。

木村:いいなぁ。「人生の1曲」が、自分の曲だよ! なかなかカッコいいですよ! いやぁ、ありがとうございます。
ということで、今月6月のゲストは、Dragon AshのKjでした。ありがとうございました。

Kj:ありがとうございました!

[OA曲]
M.繋がりSUNSET/Dragon Ash

[後TM]
OFF THE RIP/木村拓哉

2022年06月19日Flow 第二百三回目「拓哉キャプテン × Kj」Part2

6月のマンスリーゲストは、今年デビュー25周年を迎えたロックバンド・Dragon AshのKj。
ここでしか聴けないトーク、お楽しみに!


木村:「陽はまたのぼりくりかえす」から、同級生でサポートメンバーだったDJ BOTSが正式加入し、99年アルバム『Viva la Revolution』をリリース。売り上げが180万枚以上!
そして、これは自分もすごい興味があったんだけど、ギターと2人のダンサーが加入して7人編成になって、ロックバンドではあるんだけども、DJがいたりダンサーがいたり…っていう新しいスタイルを打ち出したっていうことなんだけど。

Kj:はい。

木村:DJ、ダンサーが加入してもいいんじゃないかっていうのは、どういう経緯だったの?

Kj:まず、DJのBOTS君は、そもそも必要枠なんですよ。ギターとかベースとか(バンドに必須のポジションとして)あまり変わらないというか。
ちょっと昔話なんだけど、中学でバンド初めて本格的に音楽にのめり込む時に、渋谷の宇田川交番…。

木村:わかりますよ。

Kj:(宇田川交番界隈に)いたでしょ?

木村:うん、いたよ(笑)。「いたでしょう?」ってバレてるでしょ(笑)。

Kj:宇田川交番の、斜向かいくらいに「OCTOPUS ARMY」って服屋さんが…。

木村:あった! 「OCTOPUS ARMY」あった(笑)。

Kj:オリジナルのカバンとか出してるとこ(笑)。あそこに中2、中3とかで買い物に行ってたんですよ。(そのほかに)センター街の「VOICE」って古着屋さんで…。

木村:「VOICE」あった!

Kj:(VOICEの)福袋で、3枚1000円とかで、中身は見えないで売ってもらえるんですよ。すごい安くね。それを、ドラムの奴といつもその古着屋に行って、1000円でお互い福袋買って、どっちも開けて、サイズとか色が合う方を物々交換して、そのTシャツで下北のライブハウス出る、みたいな。そんな感じだったんで。
その「OCTPUS ARMY」に行った時に、聴いたことのない音楽が流れてたんですよ。すごいエレキギターが歪んでて、“これ生ドラムじゃないなぁ…”っていうドラムの音がずっとグルグルとループしてて。その(リズムの)上にラップが乗ってて。“これ何なんだろう? ヒップホップなのかな? ロックなのかな?”みたいな。で、店員さんに聞いたんですよ。「これ、何ていうアーティストですか?」って。

木村:「OCTPUS ARMY」で(笑)。

Kj:「OCTPUS ARMY」で。そしたら、バンダナで(額を覆い)一切目が見えないような状態の、“その接客態度で今ならヤバいよ!”みたいな店員さんに「お前、楽器弾きなのにBeastie(Boys)も知らないの? 今から買いに行きな」って言われて、そこで初めてBeastie Boys(ビースティ・ボーイズ)を知って。アルバム『Check Your Head』が、その時流れてたんですけど、そのアルバムを買って。

木村:どこで(アルバム)買ったの?

Kj:三軒茶屋です。

木村:それは三茶なんだ(笑)。そのまま(お店を出て)、宇田川の交番をまっすぐ行って…。

Kj:HMVね。

木村:HMVじゃないの?(笑)

Kj:(HMV)ありましたね。そこじゃないです(笑)。
三茶で(アルバムを)買って、Beastieを家で聴いて。そこでもう、今の自分の音楽に1番通ずる衝動・衝撃をを受けて。ギターもある、ベースもある、歌もある、ラップもある、ブレイクビーツってものが鳴ったりもしてる、生ドラムもある…みたいな。だから、なんていうのかな…“ギターがこう、ベースがこうで、ここに立ってこういうAメロがあってBメロがあってCメロがある”っていうテンプレートみたいなものを俺も初めてぶち壊されたっていうか、“おもちゃ箱ひっくり返したみたいな音楽だなぁ”って思って。そこにやられて。
BOTS君とは高校で出会ったんですけど、彼は彼でDJに目覚めて。お母さんからもらう1日の昼飯代を、昼飯食わないで、クラスの全員から弁当をちょっとずつ分けてもらう元気玉みたいな食生活しながら(笑)、その食事代で1日1枚、12インチっていう(大きさの)レコードを買って、レコードを増やして2枚使いしたり、ミックステープ作って俺達にミックステープくれたりとかして、1人でやってたんですよ。で、BOTS君に「じゃあ、一緒にやろうよ」って俺が誘って。
最初、ライブが始まる前にスクラッチ入れてもらってたりとかしてたんですけど、「本格的に(音楽を)やろう!」となって、BOTS君はその後学校を辞めて、Dragon(Ash)に入ったんです。

木村:へぇ〜!

Kj:ダンサーはね、(2000年に)『SUMMER SONIC』っていうフェスの第1回があったんですよ。その時に観たアレステッド(・ディベロップメント)が衝撃で、“あっ、ライブってこんなに楽しいんだ”みたいな。

木村:でも、なんだろうな…テンションがけっこう寂しいところに行ってしまうんだが、けっこう不幸なこともバンドであったんですね。

Kj:そうですね。

木村:2012年で、オリジナルメンバーのベーシストの。

Kj:IKUZONEがね。

木村:他界してしまうっていう。こういうことって、実際、現実として、バンドメンバーが1人他界してしまうっていうのは…経験者しかやっぱりわからないんだろうな。自分はこういう経験がないから。

Kj:なんて表現していいかわからないけど…。特に、その亡くなる前に最後にやったライブが…IKUZONEが1番愛していたROTTENGRAFFTYってバンドがあるんですけど、俺らよりちょっとお兄さんの世代で、ずっと売れない時期にIKUZONEがプロデュースしたりライブをやったりしていて。そのROTTENGRAFFTYってバンドがワ〜っと売れてきて、初めて「2バン(2つのバンドだけでライブ)でDragon(Ash)を呼ぶ!」って呼んでくれて。確かね、渋谷のEASTか何かで2バン(ライブ)したんですよ。で、もう最高の打ち上げをして、その後。ほんとに1番いいとこで着地したっていうか。最高の夜が最後のライブだったんですよね。
なので、それも寂しかったし、今思うと、その最後の最後までスーパーロックベーシストとしていれたっていうのは、バンドマンとして最高なんですけど、残された自分たちはね。

木村:そうだね。

Kj:自分たちはみんな子供で、IKUZONEは(本名)馬場さんっていうんですけど、馬場さんがイチからバンドマナーとか、服の着こなしとかね、ライブの時の動きとかを教えてくれていたようなものなんで…。もう確実に、あの人がいなければDragonAshはないですし。今だからこそ「ありがとね」っていう言葉が出てくるんですけど、その時の俺たちは 「いやいやいや、1人で行っちゃわないでよ!」っていう感覚の方が多かった。あと、ファンが悲しかったと思う。やっぱね。

木村:絶対そうだと思うし、ファンもそうだけど、当事者であるバンドのメンバーっていうのは…。
でも今、すらっと何のつっかかりもなく”ありがとう”って言う言葉が出てくるっていうのが、1番の関係性じゃないかなぁとも思うし。

Kj:そうですね。

木村:その後、本当にいろんなことを経験して、2020年、ダンサーの2人が脱退して5人編成になって、今年、デビュー25周年。

Kj:はい。

木村:25周年。いいなぁ。このバシン!っと決められる感じが非常に素晴らしいなと思います。

Kj:ありがとうございます。

木村:10代でデビューして25年間やってきて。ちょっとは変わるんですか?

Kj:そうですねぇ。

木村:それはバントっていう形態もそうだし、音楽っていうものに対してもそうだし。

Kj:例えば、良い悪いとかじゃなくて、その他の役者さんとかアイドルグループとかと1番違うのは、自分たちでゼロからモノを生み出して、自分たちで演奏して、自分たちでやっていくっていうのが1番大きなテーマなので。“何か良いものをピックアップする”って感覚とは違うから、自分たちで生み出していく、生産していくってことへのモチベ(モチベーション)が保てなかったら、やっぱり長くできないと思うんですよね。
あとは、「自分たちが楽しんでるから、人が見て楽しいと思ってもらう」っていうのが大前提だし、最低限「聴いてる人たちに愛してもらう」「評価してもらう」「ライブハウスに足を運んでもらう」っていうこと。それはこちらがどうすることもできないから、感謝の面が大きいけど。
俺らが10代の時に、25年もやっていて今も現場でヘッドライナーやってるって人はあんまりいなかったので、多分、バンドマンの寿命自体がすごく伸びてると思う。

木村:なんか、「Dragon Ashの25周年」っていう響きをこうやって実際に目の当たりにすると、きっとファンの人たちはそれは感じ取ってると思うんだけど、その底力的なものが…表面上の「俺らバンドやってます!」「音楽作ってます!」っていうだけじゃない、“人との繋がり”というか、バンドメンバーだからこそ分かりあえる、許せるところだったり(そういうものが)すごく強くあるんじゃないかなっていうのが、勝手な僕のイメージなんですけど。

Kj:そう言ってもらえると嬉しい。やっぱり自分たちも、“音楽力”とか“演奏力”ってより、”バンド力”にはけっこう自信があるから。Dragon Ashに限らずなんですけどね。長くやってる俺の仲間達のバンドは、みんな“バンド力”が高いなって思う。

木村:”バンド力”って、良い言葉だなぁ。

Kj:バンドマンって、もうホント、ダメな人種なので。長くやってるからわかるけど(笑)。

木村:なんでなんで(笑)、なんでダメな人種なの(笑)。

Kj:なんていうのかなぁ…承認欲求もあって、自己顕示欲もあるんだけど、踏み込んでほしくない、みたいな。

木村:でも、すごい動物的でいいと思うけどな(笑)。

Kj:そうそうそう動物的!(笑) だから、簡単に言うと子供っぽいんですよ。

木村:でもなんていうのかな、”人間らしさ”っていう美しい響きはあるかもしれないけど、そこの根底って、“動物らしさ”じゃん。

Kj:本能ってこと?

木村:そうそう。それを感じるけどな。

[BGM]
M.Let yourself go, Let myself go/Dragon Ash
M.So What'Cha Want/Beastie Boys
M.People Everyday/Arrested Development

[OA曲]
M.Tiny World/Dragon Ash

[後TM]
OFF THE RIP/木村拓哉

2022年06月12日Flow 第二百二回目「拓哉キャプテン × Kj」Part1

6月のマンスリーゲストは、ロックバンド Dragon AshのKj。
実は2人でじっくり話すのは、今回が初めて。一体どんなトークになるのか、お楽しみに!


木村:今月のマンスリーゲストはこの方! Dragon AshのKjさんです!

Kj:お願いします! お久しぶりです。

木村:お久しぶりです! 僕の2ndアルバム『Next Destination』に収録された楽曲で「OFF THE RIP」という曲があるんですけれども、その曲をKjが手掛けてくれて。その曲のミュージックビデオには(湘南乃風の)RED RICEだったり、武田真治だったり、女優の江口のりこさんが出てくれて、そちらの完成披露試写会の生配信に、Kjにも参加していただきました。お会いするのは、それ以来ですよね。

Kj:はい。生配信以来です。

木村:僕、ツアーをやらせていただいて、そのツアーの中で、もちろん「OFF THE RIP」を演らせてもらったんですけど…会場に来てくれた観客のみんなは、今の(コロナ禍の)状況下なので、一緒に歌ったり歓声を上げて盛り上がることができなかったんだけど、「『OFF THE RIP』の中で描かれている”踏み込め!””望んだ場所へ行こうぜ!”っていうメッセージがすごく胸に響きました! 本当にありがとうございます!」という感想をすごいもらっていて。

Kj:嬉しいですね。

木村:ツアーをやってる最中は進行形なので、声を出せずにいるみんなのマスク越しの瞳から伝わってくる“熱”というか“エネルギー”というか、そういうものをすごく感じながら演っていたんだけど、(ツアーが)終わった後に「ステレオやスピーカーから流れて来る曲ももちろん好きなんだけど、ああやって実際に目の前で歌ってくれて、そのメッセージがモロに”生”として伝わってきた時に、すごく勇気をもらえました!」っていう感想がめちゃくちゃ多かったんですよ。

Kj:嬉しいです!

木村:だから、その事実を作ってくれたKjに今日伝えられるのが、僕自身もすごく嬉しくて、今日は(ゲストに)来てくれて良かったと思ったんです。
お互いの、今までのイメージって絶対的にあると思うんですよ。(木村は)イメージ的にどうでした?

Kj:木村さんのイメージ…自分はかなりオンタイムで、(木村が)駆け上がっていく様を幼少期から見ている世代なので。それこそ俺、初舞台を観に行ってますし(笑)。

木村:(ミュージカル)「聖闘士星矢」を観てますからね。

Kj:「聖闘士星矢」がツボですからね、当時は。SMAPじゃないですからね(笑)。

木村:そこじゃない(笑)。

Kj:そこ(SMAP)はどうでもいい(笑)。「おっ、聖闘士星矢やんのか!」で行ってますから(笑)。

木村:なるほど(笑)。
この番組は、ゲストがどのように人生をFlowしてきたのかをトークしていくわけなんですが、今日来てくれたKjは、1979年生まれ、東京都出身。現在43歳。1997年にDragon Ashでデビュー。フロントマンとしてバンドを牽引し続ける一方、プロデュースとか、いろんな形態で音楽作品を発表するほか、映画、ドラマなど俳優としても活躍、という。

Kj:それ、書かんでよかったんじゃないかなぁ…。

木村:だって事実だもん。子供の頃のKjっていうのは、どんな感じだったの?

Kj:わんぱくですね。

木村:わんぱく?

Kj:それこそラグビー部だったので、小・中と、けっこう本格的にラグビーやってましたね。もう“部活少年”て感じ。

木村:ラグビー? なんでラグビーを選んだ?

Kj:ラグビーが強い学校だったんですよ。例えば小学校とかだと、他に選択肢をいっぱい与えるとラグビーに流れなくなってしまうので、野球とかサッカーとか(の部活は)はないんですよ。もう、アグレッシブに運動したい男の子はみんなラグビー部に入るっていう。

木村:ラガーマンだったんだ。

Kj:そうです。そのラグビー部の4人で、最初にバンドも組みました。

木村:そうなんだ!

Kj:だから、中2の時かな? 学祭でハロウィン(ドイツのバンド)とかのコピーバンドを観たんですよ。「まじカッケーな」って言って。それで中2の時に「自分たちも今から1年間猛練習して、3年生の時の学祭でこういうことを演ろう!」って言って、ラグビー部の4人で(バンドを)組んで…っていうのが最初です。

木村:その時は、オリジナルの曲というより、カバー?

Kj:ほぼブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)。

木村:おっ、そうなんだ。

Kj:8割9割、ブルーハーツ。で、ガンズ(ガンズ・アンド・ローゼズ)。ジュンスカ(JUN SKY WARKER(S))。お兄ちゃんがいる奴とかはBOØWYをやってみたりとか、ZIGGYをやってみたりとか。

木村:うぉ〜(笑)。もう今挙がったアーティスト名は、全部ストライクゾーンですね。

Kj:世代的に、持ってないCD、ないですよね(笑)。

木村:ないね(笑)。で、最終的に、Dragon Ashのメンバーとの出会いは?

Kj:その当時、自分のバンドを組んでて、うちのドラムの奴も他でバンドをやってて、高校に進学していろいろ価値観とかが変わったり進路を定めたりとかして、みんながみんな同じようにバンドをやるわけではないので、そこで「自分は(バンドを)辞める」とか、「自分は続ける」って奴が出てくる中、「じゃあ一緒にやろうか?」ってなったんですよね。

木村:でも、デビューしたのは…。

Kj:17歳です。

木村:17歳でメジャーデビューってすごくない?

Kj:学生服でライブハウスに行って、ちっちゃい楽屋でストリートっぽい格好に着替えて、「えっ、ストリートだよ? 何?」みたいな顔で演る、みたいな(笑)。

木村:16、17歳くらいでメジャーデビューってなった時、もちろんバンドメンバーもそうだけど、Kj本人の中の受け取り方っていうのは、どういう感覚だったの?

Kj:そうですね。ちょっとこう、ノスタルジー補正があるから的確かどうかはわからないけど、当時は相当苦しかったです。やっぱり、17歳でライブハウスの現場に出ている時点で、対バン相手のバンドの人たちもすごく嫌がるので。

木村:それは、どう嫌がるの?

Kj:そのぐらいのカテゴリーの時って、例えば大人だったらバイトして、俺らもバイトして、ノルマ払って埋まらない千鳥格子の客席を眺めてライブする…っていう。で、ちょっとずつちょっとずつ動員を増やしたり、対バン相手のお客さんを取ったりっていう感覚のクラスなので、その対バン相手が子供な時点で、相手がすごくがっかりするんですよね。自分たちに利点がないし。

木村:そういう意味か。「なんで赤コーナー、こんな10代が来たんだよ!」みたいな。

Kj:そうそう。世代的に、なんか孤独でしたね。当時、俺らが16、17歳とかでやってる時に、横浜とか湘南の方で「山嵐」っていうミクスチャーバンドがすごく人気があって、それが自分たちの1個上の先輩だったんです。(それから)ちょっとしてから、「RIZE」っていう金子ノブアキくんが入ってるバンド。その3つぐらいしか、今でも残っているようなバンドはいなかったんで。たぶん、それぞれが孤独だったし、それぞれがライバルだった感じですね。

木村:それは貴重な立場だね。いないもんね、あんまり。

Kj:いない。だから、そこから10年くらいバンド活動を続けて、やっと1個上、2個上くらいの歳の奴が後から出てきて、そこで仲良くなる、みたいな。だから最初の10年とか、ガキの頃からやってるバンドは、みんなかなり孤独だったと思います。

木村:バンドなのに孤独って、なんかすごい。

Kj:そうなんですよね。ロックバンドって、シーンにいて横のつながりとか義理人情とかでやっと成り立ってるような文化なので、バンドマンにとっては、例えそれが誰もが知ってる有名なバンドであろうと誰も知らないバンドであろうと、“そのつながりがあるかないか”で幸福度が決まるので、横のつながりがなく孤立してるっていうのは、辛かったですね。

木村:でも、98年に「陽はまたのぼりくりかえす」っていう(ヒット曲を出した)。この曲、すごく聴いた記憶があるんだよね。その時はまだ19歳だもんね?

Kj:18か19歳とかですね。

木村:もしこの曲がヒットしなかったら…えっ、「音楽を辞めよう」とか、ホントに思ってたの?

Kj:音楽を辞めるというか、バンドですね。1つ1つのバンドだとライブハウスが埋まらないんで、6、7バンドくらいで、200キャパのいろんなライブハウスを回る…みたいな。回ってても、ダントツ人気なかったんで。

木村:マジで?

Kj:(自分たちが)子供だからっていうのもあるんですけど、ビックリするくらい人気なくて。なんか「1番やりたいことをやって、これで最低限の人たちに刺さらないようでは、多分もう、自分たちの表現が誰かを突き動かすっていうのは難しいんじゃないかな」っていうところまで。
まあ、17歳とかの頭の中って、ちっちゃい宇宙なんで。でも、ちっちゃい宇宙がゆえに隅々まで見渡せるし、自分の大事な世界なので、それを維持できないのかな、と。今思うとそんなことないんですけど。

木村:そうなんだよね。17、18、19歳位の時のメンタリティー、あとキャパでその当時を考えたら、「いや、もうこれで無理だったら無理だろ」ってきっと思ってる、感じてるとは思うんだけど、いろんな経験をしてきて、今40代とかになって当時のことを俯瞰で見ると、「当時はそりゃキツイだろうなぁ」って。

Kj:そうなんですよね。例えば、すごくおおざっぱに言うと、今、俺たちの年齢の365日って、何1つ成長せぬまま、へらへらして終わる1年もなくはないじゃないですか(笑)。「あれ? あと1か月で今年終わるの? 俺何してたっけ?」みたいな。
17、8歳の楽器弾きの1年って、その1年だけで格段に世界観が広がったり感性が育ったりするので、「あ、このジャンルの映画かぁ」とか「このジャンルの音楽かぁ」とかじゃなくて、初めて見聞きするもので毎日埋めることも、好奇心旺盛な子だったらできると思うんだよね。そういう時期の1年と今の1年だと、いわゆる“体感”で、長さとか濃度が違うと思うんですよ。
始めたてのバンドマンって、自分が何をやってるかを一番言い辛い。「バンドマンだよ」「いや、それ、バンドマンじゃなくてフリーターでしょ?」みたいな。

木村:でもそこは、覚悟をした奴は、何を言われようと。

Kj:そうなんですよね。時間と共に覚悟が深まっていくので、最初からその覚悟で楽器持ってる奴なんて、たぶん1人もいない。

木村:まあ、いないよね。いないけども、デビューしちゃってるからね。

Kj:そうなんですよね。誰かに動いてもらっているっていうのも初めてことだし。

木村:そうだよね。

[BGM]
OFF THE RIP/木村拓哉

[OA曲]
M.陽はまたのぼりくりかえす/Dragon Ash

[後TM]
OFF THE RIP/木村拓哉

2022年06月05日Flow 第二百一回目

今週は、みなさんからいただいたメッセージを紹介させていただきます。
最後までよろしく!


木村:いつもたくさんのメッセージ、ありがとうございます。
今回はドラマ「未来への10カウント」の撮影現場の楽屋からお届けしております!
まずは、そんな現在放送中のドラマ「未来への10カウント」に関してのメッセージ。2通まとめて紹介させていただきます!

【埼玉県 なつみ 29歳 女性】
拓哉キャプテン、こんにちは!
毎週木曜日、ドラマ「未来への10カウント」楽しく見させていただいております。
撮影もラストスパートですね!質問です。
スパーリングシーンは、本当に打たれているんですか?第6話のスパーリング、迫力があり、凄かったんですが、体は大丈夫ですか?心配です。
裏話があれば教えていただきたいです。

【東京都 匂いフェチ 13歳 女性】
拓哉キャプテン、こんにちは!
未来への10カウント、第6話も素敵でした。
京明高校の練習試合に出場するために、奮闘する生徒たちの姿に感動しました!
スパーリングシーンは、キャプテンがかっこよすぎて何百回も巻き戻しては観るを繰り返しています。笑
私は弓道部なのですが、今、部活の大会の選手選抜に向けて一生懸命練習しています。
ボクシングと弓道は全く異なるものではありますが、ドラマを観ていると共感できるところがたくさんあり、私ももっと頑張ろう!という気持ちになれます。
今後どういう展開になってゆくのか楽しみです。


木村:13歳で“匂いフェチ”って大丈夫なんだろうか…(笑)。ありがとうございます! 他にもたくさんいただいているんですが、代表して2つメッセージを紹介させていただきました。
みなさんから、第6話のスパーリングシーンについて「あれやばくね?」っていうメッセージが多かったんですけれども、あれはですね…そうですね…ヤバいです(笑)。単純にヤバいです。
「実際に当たってるんですか?」とか「打たれてるんですか?」って質問も来てるんですけど、(木村演じる)桐沢が、部員に対して「(パンチを)1発入れる度にその都度交代だよ」っていうルールを設けたじゃないですか。なので、桐沢が(パンチを)1発入れるっていうシーンに関しては、ガチに現場ではスパーン!って入ってましたね。だからみんな、撮影の合間に、現場に来てくださっていたトレーナーのスタッフの方に、氷のうで首元を冷やしてもらったりとかしてましたね。
…まあ、このラジオなので、自分の部屋感覚でお話しちゃうんですけど、久々にやったんですよ。あのシーンの撮影中に、ギックリ(腰)。
久々にやって身体が動かなくなって、1巡目2巡目を撮り終わったくらいの時に、急に“あれ?なんか違和感あるな”って思って。“なんだろう、この違和感”って思ってたら、急に全く動けなくなって。これもここだからぶっちゃけますけど、”さらし”巻いてました。さらし巻いてあのシーンを撮り終えました。
そういう“裏話が過ぎるんじゃないか?”ってトークになってしまいましたけども、ラジオネーム:匂いフェチも言ってましたけど、スポーツって、個人競技だったり団体競技だったりいろんな形があると思うけど、その“向き合い方”っていうのは、どこか似たものがあってもいいのかな。“本気で向き合う”ってことに関しては、どんなスポーツにおいても、そこが重要な軸になるんじゃないかなぁと思いますけどね。
実際に「未来への10カウント」を観てくださって「やる気が出た」とか「明日から頑張ろう!」とか「自分もちょっと、あの人の言葉刺さったなぁ」とか、そういう風に思ってくださるのが、僕は一番嬉しいです。今度の木曜日(6月9日)のファイナルラウンドが最終回ということなので、みなさんの心のミットへ思いきり打ち込みたいと思いますので、ぜひ受け止めてください。
そして、先週配信された「木村さ〜〜ん!」200回記念の感想もたくさんいただいております。代表してこちら。

【広島県 ☆☆☆よっこん☆☆☆ 41歳女性】
木村さん、こんにちは!
「木村さ〜〜ん!」200回おめでとうございます。
鈴木京香さんと一緒に「beautiful morning」を聴かれている場面がとても雰囲気が良くて、何度も再生しました!
ずっと口角をクッと上げられ柔らかい笑みで曲を聴かれていた(鈴木)京香さんと、その後ろで様々な表情をされる木村さん。
お二人のこの感じがなんだか、胸にグッときて泣きそうになりました。
これまで配信された中で一番、繰り返し観た回となりました。


木村:いろんな感想を(SNSで)呟いてくださってる方がいらっしゃったじゃないですか。僕も覗いたんですけど、京香さんが来てくださって、それを観てくれたみんながジーンとしてくれた…っていうのが、“「木村さ〜〜ん!」も、なんかすごい領域に来たな”って思ったんですけど。人と人とのケミストリーで、観てくれた人たちがより感じてくれることが多かったらすごいことだなぁと思ったし、改めて京香さんの魅力っていうのも再認識できた回になったなと思ったし。あと、レコードを作ってくれた(山根)アツシ、いたじゃん! 彼が呟いてて。「放送、見ながら泣いてしまった」って、アツシが涙を流してくれたっていうのが…それを僕が見た時、逆に目頭が熱くなりましたね。
でも、山下達郎さんからのきっかけというか、「(レコード)作んないの?」ってパスがなかったら、アツシのところへも行ってなかったと思いますし、あと、糸井(重里)さんにも(レコードを)届けてくれてたじゃん。ああいうのが、すごく嬉しかったなぁ。他にも実際に(レコードを)お渡しさせていただいて、いろんな方のリアクションもきっとあるんだろうけど、来てくれた京香さんには感謝しております。本当にありがとうございました。

木村:続いては、リスナーのみなさんが一生懸命チャレンジしていることを応援する【リポビタン×Flow 頑張るリスナー応援企画!】
今回はこちらのメッセージをご紹介したいと思います。

【長野県 メリマロ 女性 46歳】
初めてメールします。
正直、いや、ホントに失礼な言い方ですが、私は木村さんのファンではありません。
が、もちろんドラマなどで「木村拓哉」で育ってきた世代ですので、唯一無二の存在であります。
こんな私が、今回はお礼を伝えたくてメールしました。
月曜日の朝、家事をしながら耳に入ってきた声は、木村さんでした。
何気なくテレビに目をやり、お話されている言葉を字幕で見ると
「人間なんで。やりたくない日もある。でも、腐らず手を抜かず本気で向き合う」
という内容でした。そのとき、体に電流が走ったような感覚になりました。
私は、16年同じ会社に勤めていますが、社内の雰囲気が悪すぎて、毎日行きたくない衝動に襲われます。とくに、月曜日はそうです。
その月曜の朝に、自分が逃げていた現実を叩きつけられた感じがし、木村さんのように、負けたくないという気持ちが沸いてきました。
その日から、毎朝木村さんを思い出しています。もはやファンですね。そして、不思議と私の周りの雰囲気がよくなりました。
たった一週間ですが、変化が見えたので、これからも腐らず気張っていきたいと思います。木村さん、復活のきっかけを、ありがとうございました。


木村:これはメリマロさんなりにアンテナで受け取ってくれて、そう変換してくれたんですね。1人の変化って、やっぱり、絶対にその現場に(変化を)もたらしますよね。
「腐らず手を抜かず本気で向き合う」っていうのは…「腐らず」っていうのは、嫌なことも相当あるので、そこで腐ったら、そこにいること自体がもったいなくなっちゃう。なので「腐らず」ってワードなんですけど。
「手を抜かず本気で」っていうのは、何回も言うことなんですけど、自分の行く現場ってプロしかいないんで、“プロが自分のことを待ってる”んですよ。そこで手を抜いたり、適当に”こんな感じでいいんでしょ?”ってやると、プロたちには「何コイツ手を抜いてんだよ」って、(手を抜いていることが)見え見えというか。例えば、手品をやるにしても、みんな(プロだから)タネがわかってるんですよ。タネはわかってるんだけど、「タネがわかってるからってタネ見せんなよ、ちゃんと俺らのこと驚かせろよ」っていう。言い方を何かに例えるんだったら、そういう感じかな。
メリマロさんは、(メールの冒頭で)「ファンではありません!」っていう素敵な入り口がありまして、(最後には)「もはやファンです!」って(笑)。でも嬉しいです。ありがとうございました。

【リポビタン×Flow 頑張るリスナー応援企画!】
あなたがいま、一生懸命チャレンジしていること、頑張っていること、頑張っている理由など、エピソードと共に番組宛に送ってください。メッセージをくれたリスナーの中から10名様にリポビタン製品をプレゼントします!
みなさんの熱いメッセージ、お待ちしております!

[BGM]
beautiful morning/木村拓哉

[OA曲]
M.微熱/UA

[後TM]
OFF THE RIP/木村拓哉


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