2019年06月09日Flow 第四十五回目「拓哉キャプテン × 森山直太朗」Part2
今週のゲストは……森山直太朗さんです!
今週は、音楽の道に進んだきっかけについて伺いました!
木村:音楽を始める前は、指針はサッカーでしょ?
森山:サッカーに携わる仕事をしたいなと思っていましたね。
木村:何年やってたの?
森山:11〜2年やってたんじゃないですかね。小、中、高、大って付属の同じ学校だったので、同じ連中とやっていたんですね。
自分のレベルも高くないって分かってたし、あと、急に冷めちゃったというか…技術的にもピークで、もうすごく楽しいと思って。
木村:うんうん。
森山:“これ、知ってる楽しさだ”っていうのと、“この楽しさに浸かってたら良くないな”と思って。
僕、けっこう熱血だったので、それまでは辞めるやつとかいると「おまえ、ここでやめたら、この先やること全部途中で投げ出すことになるぞ」とか言いながら、いつも説得したりとかしてる側だったんですけど、急に(笑)。
昨日までそんなことしてたのに、ある日の練習後のミーティングで、「辞めます」って(笑)。
木村:嘘でしょ!? それはみんな受け入れたの?
森山:みんな「は?」でしたね。そのあと、それぞれ相談して納得してくれて。
でも、そこを断ち切らなかったら、違うパラレルワードがあったと思うんですけど、音楽やってなかったかもしれないですね。
とにかくサッカーに費やしている時間を、何か違うものに特化したかったんですよ。
木村:で、音楽始めて最初は?
森山:最初は路上ですね。一緒に曲作ってる御徒町が足立区の綾瀬に住んでいたので、綾瀬とか北綾瀬、吉祥寺の井の頭公園の橋の上とか、自分の実家の代々木上原の駅前とか……。
当時路上は、渋谷とか新宿とかが流行っていたので、行ってやってみたんですけど。僕はあまりジャカジャカやらないし、周りにスピーカーとか立ててやっている人もいて、“これは敵わないな〜”と思って、人も多いからやりがいはあるんだけど、ちょっと人が少ないところに行こうと思って(笑)。
木村:路上ライブをやる人が“人が少ないところに行こう”って(笑)。
それはどれくらいやったの?
森山:2〜3年くらいやっていたんじゃないですかね、自分の原風景みたいなのはそこですね。
木村:インディーズという時間を過ごして、そのあとデビューですよね。
でも、一番最初は「さくら」じゃないよね。
森山:2002年にミニアルバムでデビューしたんです。
その中に「さくら」という曲が入っていて、シングルカットをして知ってもらうようになりました。
木村:あれは相当な浸透度だったよね。
歌だけじゃなくて、一発撮りのMVっていう、その本気度があれに全部収められたっていうのは印象的でしたね。
森山:見返しても、魂こもってるなって思いますもん。
M1. One Chance!/木村拓哉