木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2019年09月08日Flow 第五十八回目「拓哉キャプテン × スピードワゴン・小沢一敬」Part2

今月のゲストは、お笑いコンビ・スピードワゴンの小沢一敬さんです!

今週は、お笑いの道に進んだきっかけ、下積み時代のお話などじっくり伺いました!


木村:パンクロック、バンドもやって、モヒカンもして、紫のリーゼントもして、高校2ヶ月で“俺、満員電車無理だわ”って言って降りて、なんでお笑いにいったんですか?

小沢:15の時から働きだすんですよ、溶接やったり、現場仕事をやったり、ホテルの布団敷く仕事をやったりとか、ゲームセンターとか…いろんな仕事をやってて。
みんなで遊んで暮らしていたというか、1ヶ月働いたら3ヶ月遊ぶみたいな生活だったんですよ。

木村:うんうん。

小沢:地元が、愛知県の知多半島っていう海だったんですよ。
ずっと遊んで暮らしてたんですよ、これが永遠に続くと思っていたんですね。

木村:なるほど。

小沢:二十歳ぐらいになったときに、パッと見たら仲の良い奴が、みんな就職したり、大学行ったりしてて。
僕ともう1人くらいしか、定職がない奴がいなくて。
「俺達、これからどーする?」て言ってたら、吉本のNSCという学校が名古屋にできたんですよ。
「ここ、オーディション受けてみようよ」で、入ったのが20歳の時ですかね。
その時に大阪に同期で入ったのが、ブラマヨ、チュート、次長課長、野性爆弾、北海道はタカトシ…みんな、そのタイミングで同期で入っているんですよ。

木村:みんな知ってる人だ、すごいね。
その後にスピードワゴンを結成したんですか?

小沢:名古屋のNSCに入るんですよ。相方の井戸田潤は別のコンビをやっていて、僕も名古屋で別のコンビやっていて。
その時に各々解散して、潤は「東京へ行く」と言って、東京の吉本に行くんですよ。僕は名古屋で吉本辞めて、バイトしていました。
25歳の時に潤から電話が来て、「東京で一緒にお笑いやろうよ」って誘ってくれたんですよ。潤はずっと電話くれてて、1998年12月11日ですけど、そのとき僕はまだ名古屋に住んでいました。夜中の2時に僕のアパートの前に“ププー! ププー! ププー!” ってトラックの音がして、「うるせーな」って怒鳴ろうとしたら、潤が東京からトラックで「東京行くって約束したじゃん、迎えに来たから乗れよ」って言われて。

木村:え!?

小沢:で、乗せられて。気が付いたら、今ここ(笑)。

木村:何のすごろくやってるのよ(笑)。

小沢:でも、潤が行動的な人で「M-1グランプリ」とかも出るようになるんですけど。
僕は「ネタの順位つけたくないから、出たくない」って言ったら潤が、「そんなの続けてて、仕事増えないじゃん。今年だけで良いから俺の言うこと聞いて」って言われて、その後2002年のM-1の決勝行けたり、全部潤が連れて行ってくれたんですよ。

木村:じゃあ、ハンバーグ師匠がいなかったら、完全にいないね。

小沢:今だに、名古屋の雀荘で麻雀やってると思います(笑)。


M1. ハッピーソング / 真島昌利

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