木村拓哉 Flow - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2021年11月21日Flow 第百七十二回目「拓哉キャプテン × 武田真治」Part2

今月11月のマンスリーゲストは、武田真治さんをお迎えしました!
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!


木村:ミュージシャンとしても、1995年にサックスプレイヤーとしてデビューシングル『Blow Up』を出して。プロデューサーが元チェッカーズの武内亨さん。なんでサックスにしたの?

武田:俺の場合ね、チェッカーズが好きだったの。で、世代的にはさ、バンドブームじゃない? イカ天(『三宅裕司のいかすバンド天国』TBS系)、ホコ天(歩行者天国・80年代、原宿、表参道の歩行者天国にてバンド・パフォーマンス等が特に盛り上る)ブームだよね。だからね、俺、田舎だし、今日本中の男の子がサックス吹いて練習してるんだろうなって思ったくらいなの。

木村:マジで?

武田:うん。チェッカーズのサックスプレイヤーが藤井尚之さん…藤井フミヤさんの弟さんで。素朴な感じの方なんだけど、サックス吹いた時に”ガッ”となる感じ。姉貴が「この人が素敵だ!」って言うから、姉貴の影響でサックスばっかり注目するようになって。
で、俺からの質問なんだけど、俺たちの歳で“踊る”って、そんなにメジャーな趣味とか特技には入ってこなかった気がするんだけど。だから、(木村は)“どのタイミングでダンスに行ったの?”っていう。

木村:だって、普通に(事務所で)やらされてたから。

武田:でも、やらされてたって言ってもチョイスしたわけじゃん。

木村:いや、チョイスはしてないよ。チョイスっていうか、(ジャニーズ事務所に)入りたくて(履歴書を)送ってないから。親戚が勝手に送ってて。

武田:そうなんだ! 親戚に感謝だね。俺世代はみんな感謝するわ、その親戚に。

木村:それで4回くらい、その(事務所に)「来てください」って連絡をぶっちぎって。「やだよ」って。最終的には、(履歴書を)送った親戚の人に「やりたくてもできない人たちがいるんだから、1回行って来なさいよ!」って言われて、「えぇー」って行ったのが1日目。本気ではなかったから、しばらく(ジャニーズ)Jr.で。

武田:習い事的に?

木村:そそ、派手な習い事。…何で俺の話してんだよ(笑)。

武田:いや聞きたいよ(笑)。途中で止めるの良くないよ(笑)。それで、本物に触れるチャンスがけっこうあったってことだよね。出会いに感謝だよね。

木村:まぁ幸運にも。ほんと感謝してる。
で、踊りはそれこそ、ボビー・ブラウンはちらっとだったけど、やっぱりマイケル・ジャクソンの存在はデカかったよね。

武田:紅白でもやってたよね。

木村:やらせてもらった。

武田:俺、ハードディスクにまだ入ってるんだよ、あのシーン。TVで見かけた好きなシーンは保存するのよ。あの時、髪長くてカッコ良かったよね。

木村:あれ、トマト生活してたから。

武田:それ、最近読んだ!

木村:フラッフラだったんだよね、身体が。

武田:マイケルの追悼だったじゃん。だからそれ(フラフラしていた)が、ガチャガチャしないで、マイケルの綺麗な所作の部分をパン、パン、パンっと魅せてもらえた感じ。

木村:いやでも、マイケルをやるって、相当興奮しましたよ。

武田:そうだよね。興奮しないとできない。俺は嬉しかったなぁ。あの時点でTVを見てる人たちでマイケル・ジャクソンの絶頂期を知ってる人ってどれ位いるんだろうと思ったら、ああやって再現することで興味持つ人もいるだろうし、俺は嬉しかったなぁ。

木村:あれは相当ハードル高かったですけど。

武田:ああいう時、どうなの? “我こそは!”って思ってやってるの?

木村:いや、そういうことじゃなくて、こういうセットリストでビリー・ジーンから始まってなになにをやって…っていうセットリストがあって。誰が何をやるんだっていうのを全然聞いてないから、そしたら振付の方から「じゃあ、このオープニングのビリー・ジーンは、拓哉がやって」って言われて、「えぇぇ〜!」って。

武田:ちなみに、マイケル・ジャクソンのダンスのそっくりさんとかモノマネさんに質問すると、一番難しいのは「ビリー・ジーン」だって。マイケルの振付はけっこう決まってるのが多いんだけど、「ビリー・ジーン」は、ライブをやる度にいつも(マイケルが)自由にやってる部分があるから、本当に色々なマイケルのダンスを身体に入れていないとできない、マイケル・ダンスの始まりであり究極で、すごく難しいらしい。(木村の「ビリー・ジーン」は)カッコ良かったよ。

木村:いや〜、相当緊張したし、トマトしか食ってなかったからフラッフラだったんだよね(笑)。

武田:ねぇ、“この仕事きつかったな”っていうの、ある? 俺たち、ちょうど芸能生活30年くらいじゃん? 体力的にとか精神的にとか、“あれはきつかったな〜”っていうのはある?

木村:体力的な部分では、ちらほら言わせてもらってるけど『プライド』(2004年フジテレビ系ドラマ)。アイスホッケーのやつ。あれはヤバかった。

武田:『プライド』に関して1つちょっとあるんだけど、あの時クイーン(Queen)の曲が、拓哉のドラマの影響でベストアルバム(『ジュエルズ』)が100万枚(セールス)いったんだよね。

木村:へぇ。

武田:知らない? あのタイミングで世界的にクイーンに注目してたのって『プライド』の、あのドラマだけ。で、100万枚いったじゃん。やっぱり“クイーンの音楽って力があるんだ!”っていうことだと思うんだけど、その後ね、クイーンの音楽だけを使ったミュージカルが、本人たち(クイーンのメンバー)プロデュースで世界的にヒットしたんだよ。で、日本に来た時、まだ(新宿)コマ劇場があって、俺、観に行ったんだけど、やっぱりね、「I Was Born To Love You」は盛り上がるんだよ。劇中に盛り込まれないでアンコールとして歌われてたんだけど、すげぇ盛り上がって。その成功があったから『ボヘミアン・ラプソディ』っていう映画が作られたって俺は思ってるの。『プライド』のクイーンの楽曲の起用が無ければ、俺、あの映画『ボヘミアン・ラプソディ』は誕生してないんじゃないかって思ってる。

木村:そ〜ぉ〜?

武田:いや、そりゃ「だろう?」とは言わないと思うけど、でも、クイーンの音楽が、当時クイーンを知らない人たちにも響くんだってことを数字にして提示、明示したのは、あのドラマの影響って大きいと思うよ。

木村:あの時、クイーンの「I Was Born To Love You」っていう曲からすごくエネルギーをもらってたし、イントロの音がね、実際氷の上でスケートを滑ってちょっとエッジを効かせてターンする時の氷上のサウンドに感覚がすごく近いんですよ。

武田:あの(ドラマの)最終回でさ、氷の女神に見初められて…というか、そこと繋がって、無双モードに入るじゃん。あの時、抜群のタイミングで入ったよね。たまらんかったよ(笑)。

木村:詳しいなぁ(笑)。あの鍵盤がバーン!って鳴る前がね、なんか、“あれ? 氷の音に近いな”って自分は勝手に思ってて。いつもあれをガンガンで聴きながら現場に行って撮影をしたりはしてたけど。
…いやいや、俺の話じゃなくて(笑)。

武田:いやいや(木村の話を)聞かせろよ。

木村:いいよいいよ(笑)。(武田が)サックスやってて、顎関節症がわかった時があったじゃん。その時、お医者さんから”サックスは無理かな”みたいなことも言われ?

武田:(お医者さんからはサックスを)「吹かない方が良い」って言われて、やっぱり愕然としたよね。やっぱり、自分が自分という存在をユニークにしてくれてる、独特にしてくれてるモノの1つだなと自負してたから、上手い下手問わず自分の特長にしていきたいと思ってたものだから、それがなくなった時に、精神的に”ポキッ”っていろんなことが折れて。

木村:それでそっちのメンタルがちょっとキツくなったんだ。

武田:なんか“軸がない”っていうか、“武器(サックス)があれば人間性みたいなことはどうでもいい!”って、あんまり人間性みたいなものを自分の中で育ててなかったと思うんだよね。だから、そういう(サックスという)攻撃力がなくなった時に、自分が何も人間として育ってないから、いろんなことにビクビクしちゃって。なんかソワソワ、キョドキョド、みたいな。

木村:でも、そのあたりでしょ?(忌野)清志郎さんに出会ったの。すごいね。何で出会えたの?

武田:救われたよ〜。あのね、当時共演したことで仲良くなった竹中直人さんが誘ってくれて。「このまま『ロックンロール研究所』(忌野清志郎さん所有のプライベートスタジオ)へ遊びに行こうよ」って。

木村:あそこ、良い空間だよね。

武田:(ロックンロール研究所へ)行って(忌野清志郎さんを)紹介してもらって。当時、清志郎さん自身がサックスにハマってて、サックスが家にあって、「吹いてごらん」みたいな感じで言ってくれて。しばらく吹いてなかったんだけど、“忌野清志郎がつま弾くギターに合わせてサックス吹けるなんて、こんなことはない”って、恐る恐る(吹いた)みたいな。ギターのローポジションのコードは指使いでわかるから、それに合わせて吹いてたら、まぁ、絶対音感があるように見えたんじゃいのかな。それで「ちょっと今度、デモテープだけでも一緒に作ってみてよ」みたいなところから、「じゃあ、本チャン録音来てよ! 」「もうライブも一緒に回ってみない?」みたいな感じで、どんどん深く親交していただいたり。

木村:その時、医者からは「もう止めた方が良いんじゃないですか?」って言われてたじゃん。で、清志郎さんと出会って「じゃぁレコーディングにちょっと来てよ」とか「ツアーやるから一緒に回ろうよ」とか言われた時に、そのバランスはどういう風に自分の中で取ったの?

武田:あのね、まず、恐る恐るだよね。

木村:ちょっとずつ、大丈夫なのか?っていう。

武田:精神的なものも大きかったから、気持ちが“吹きたい!”と思って吹くことと、あと、清志郎さんが自転車にハマってたんで。ちょうど、お医者さんに体力をつけろって言われてたのもあって、清志郎さんも、体力をつけて生まれ変わりたいぐらいの感じだったから、集合をかけられても半分以上が自転車だったり、体力作りだったんで(笑)。

木村:(笑)。だって、東京から鹿児島まで(自転車で)行ってるでしょ?

武田:自転車で行った。

木村:(走行距離)1422劼任垢茵チャリで。エグぅ! すげぇな。

武田:よく調べてくれたね(笑)。10日間かかったね。なんかそういう必須科目みたいな、音楽だけじゃない時間もあったんで、少しずつ。
本当は、3ピースのバンドをやるにしてもちょっと自信ないから、清志郎さんも「イントロ、間奏を多少吹いてくれればいいから」ぐらいの感じで入れてもらったんだけど、まぁ戦力にならないよね。俺も3時間のライブなんて持たないから、後半はなんか煽りの人みたいになっちゃって(笑)。顎に力が入んなくなっちゃうから。

木村:今はどうなの?

武田:今でも、やっぱり、演奏が立て込むと口が開かなくなっちゃったりするんで。

木村:ああ、痛みが出たりとかするんだ。

武田:痛いところまでは、なるべくいかないようにして。

木村:本当に顎関節症というものと、ちゃんと向き合って。

武田:向き合って、付き合ってやってる感じかなぁ。

M.Fight for Love/武田真治

(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)

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