木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2022年05月08日Flow 第百九十七回目「拓哉キャプテン × 藤原ヒロシ」Part1

5月のマンスリーゲストは、 藤原ヒロシさんです!
どんなトークになるのか、お楽しみに!


木村:木村拓哉「Flow」今月のマンスリーゲストはこの方! 実現しました! 藤原ヒロシさんです! よろしくお願いします。

藤原:こんにちは! よろしくお願いします。

木村:こうやって直にお話させていただくのは、以前自分が連載させていただいてた雑誌(『UOMO』集英社)の対談ページ以来になるんですけれども。
これはスタッフから投げかけられてる質問なんですけど、『そもそもお2人の出会いは?』 。(出会いは)何になるんですかね?

.藤原:多分、最初に出会ったのは原宿でしたね。原宿の僕の事務所か、そういうところですよね。

木村:そうです! ヒロシ君が(事務所の)2階のデスクのところにいて、村淳(村上淳)とかに「ちょっと拓哉、行こうぜ」って言われて事務所にお邪魔してる時に、「すいません、お邪魔してます」って感じで…。あれ、何年くらい前ですか?

藤原:25年くらい…もうちょい前?

木村:ひょっとしたら、もっと前かもしれない。

藤原:30年くらい前かなぁ?

木村:すっごい覚えてるのが、ヒロシ君の事務所から帰ろうと思ってエレベーターを呼んだら、そのエレベーターから(エリック・)クラプトンが降りて来たんですよ(笑)。“なんだコレ!?”と思って。

藤原:良い遭遇だったんですよ。

木村:“今、このエレベーターから降りて行った人、クラプトンだったよな!”っていう。

藤原:そういう時代だったんですね。

木村:そういう時代でした。

藤原:元々、木村君は周りの友達もそうだけど、ファッション業界にも精通してたじゃない?

木村:友達は多かったですね。

藤原:たまに原宿に来てる時があって、そこでお会いしたという。

木村:そういう感じでしたね。自分のスタイリングをしてくれている野口強さんとかから、「ヒロシ、いまあそこに住んでるらしいよ」とか、インフォメーションだけは僕も色々と聞いてたんですけど。
近いところで言うと、今年2月にやらせていただいた僕のツアー( 木村拓哉『Live Tour 2022 Next Destination』)のオフィシャルのTシャツとかフーディとかバンダナとかのデザインをヒロシ君にお願いしたら、「あ、いいよ!」って言ってくださって、fragment design(藤原ヒロシによるデザインプロジェクト)が担当してくれたっていう。

藤原:はい、そうです。

木村:あれ、何でOKしてくれたんですか?

藤原:全然意味はないけど、やったら楽しそうじゃないですか(笑)。だって“木村拓哉”だよ(笑)。

木村:何言ってるんですか(笑)。

藤原:木村拓哉のツアーグッズができることなんて、まずないじゃないですか(笑)。

木村:逆に僕からいうと、ヒロシ君に(デザインのお願いを)振ってもいいのかどうかっていうところが、自分の中では非常にドキドキ感があったんですけど。

藤原:いえいえ、光栄でした。

木村:そしたら、ヒロシ君の方からLINEで「今まだ制作途中なんだけど、こういう感じのイメージをしてるんだ」っていうのを写真を添付して送ってくれて。”こういう風に捉えてくれたんだ!”って。

藤原:あれ、良かったでしょ?

木村:良かった。

藤原:自分でも“こりゃいいな”って思ってたんです。

木村:現場のスタッフもすごい盛り上がって着てたし、実際に手に取ってくれたオーディエンスの方とか、ライブに来れなかった人も、「届きました!」って着て盛り上がってくれてる様子を僕は見ていたので、非常に嬉しかったです。
そしてですね、この番組に、3月に山下達郎さんがゲストで来てくれたんですけど、 その時に「木村君は(アルバムの)アナログレコード作らないの?」という話をポーンッと振られて、GYAO!で配信中の「木村さ〜〜ん」の中で、僕の2ndアルバム『Next Destination』のアナログレコードを制作したんですよ。
これ実際、カッティングスタジオにもお邪魔して、工程も目の前で見させてもらったり音も聴かせてもらったんですけど、その“アナログレコードを作る”ってなった時に、「レコードジャケット」ってあるじゃないですか。それを、ヒロシ君にデザインしていただいたバンダナをそのまま使わせていただいて、完成しました! ここに置いて立てかけてあったのは、そのレコードなんですけど。

藤原:ください。

木村:(笑)。

藤原:それくれないの? それ見せるだけなの(笑)?

木村:もちろん、渡しますよ! この場でお渡ししようかなと思いまして、用意させていただきました。

藤原:ちょっと見せてください。

木村:どうぞどうぞ。

藤原:ありがたいですね。素晴らしい!

木村:ただの思い付きなんですけど、「アナログのレコードのジャケットどうします?」って言われた時に“あのバンダナ(のデザイン)でいいかな?”って思って。

藤原:”やっつけ思想”が出てきましたね。

木村:やっつけじゃない! レコードジャケットって、部屋に置いておいてもちょっと可愛かったりオシャレだったらいいなっていう、勝手な妄想があって。

藤原:正方形だしね。

木村:“正方形のデザインって、何がいいかな?”“自分の写真とかじゃねぇな”って思って。それで“今回デザインしてくれたバンダナはどうかな?”と思って、作らせていただきました。

藤原:一生の記念として取っておきます。

木村:でも、今の、「レコードできました! 受け取ってください!」って渡した瞬間の、レコードに触れ慣れてる感じが半端ない。

藤原:それ、慣れてないんだよ(笑)。もう20年くらいレコード触ってないんだよ(笑)。

木村:マジですか?

藤原:DJを辞めて以来、全く触ってないです。家にターンテーブルもないし。

木村:ないんですか! じゃあ今は、“音を聴く”ってなったら“レコードを聴く”ってことは、あんまりないんですか?

藤原:“レコードを聴く”って、ゼロです。逆にそうなんですよ。

木村:マジで!? 今けっこうショックだったんですけど…。じゃあ今は“音源を聴く”ってなったら、どういう形で聴いてるんですか?

藤原:CDかMP3とか、そういう…まぁ、Macの中ですかね。

木村:所有してるレコードはあるんですか?

藤原:それは、まだ全部あります。ターンテーブルだったり(レコードを)再生するものはないです。全部レコードは倉庫に置いていて。たまにもらったりすることはあるから、(部屋に)飾ってあったり、置いてあったりしますけど。家でレコード聴きます?

木村:それが、今回レコードを作ってみて、“あっ!”って思ったんです。

藤原:(レコードを再生する機材が)ないんでしょ?

木村:“ソフトを作ったのに、それをプレイするハードがないな”と思って。“これはちゃんと手にして接続せねば!”って思ってる。

藤原:せっかく(自宅に)つけるんだったら、いいオーディオセットとか買いたい気もするよね。

木村:もちろん、そうなんですけど。

藤原:それもそれであるんですけどね。

木村:(オーディオ機材がほしいって)あります?

藤原:ちょっとあります。もう1回。DJ用のとかじゃなく、普通に(レコードを)かけるやつね。

木村:僕はDJをやったことがないので、もちろん聴く専門のものになってしまうとは思うんですけど、もし今後、その(レコードを)聴くプレーヤーを選びに行くとかいうことになった場合、スケジュールさえ合えば…。

藤原:一緒に買いに行きましょうか。

木村:それ「木村さ〜〜ん!」でやってもいいですか?

藤原:いいですよ。

木村:マジですか!

藤原:けっこう(レコードプレーヤー)高いですね。「木村さ〜〜ん!」の力と、2個まとめて買うんで、安くしてもらえるかもしれないしね(笑)。

木村:えっ、けっこう(金額)するんですか?

藤原:多分、いいやつだとけっこうすると思いますよ。それこそMcIntoshとか、ちょっと光るやつとか。僕、買わないけど一時期調べたんですよ。“これほしいな”っていうのはいくつかあるんで、行ってみましょう。

木村:うわ、ドキドキ!

藤原:どこに売ってるのかな? 調べます。

木村:多分、ヒロシ君のネットワーク使ったら5分後位に出てきますよ(笑)。

藤原:でも、いいですね。そういう機会がないと僕も買わないというか。“買おう”と思ってても、全然まだ買ってないから。

木村:今回こうして作らせてもらって、もし(レコード)プレーヤーを手にすることになったら、きっとこの1枚では済まなくなると思うので。

藤原:今後も作っていくし。

木村:作るだろうし、“レコードで音楽を聴く”っていうことにもなっていくのかなと思ったりもして。ぜひ、そういうタイミングと内容になったら、色々お願いします!

藤原:はい。行きましょう! 買いに行きましょう。

木村:やった〜! 嬉しい!

藤原:僕もそういう機会がないとアナログに戻らなかったので。

木村:そんな僕の目の前に座ってくれている藤原ヒロシさんなんですけれども、三重県出身で、ファッションデザイナー ・ミュージシャン ・音楽プロデューサー。これは、スタートはどこだったんですか?

藤原:キャリアのスタートは、もちろん東京ですけどね。
高校を出て、東京に出て来て、その頃「ツバキハウス」ってクラブがあったりとか。ファッションもDCブランドとか、MILKとかMEN’S BIGIとか流行ってた頃だったんで、そういう人たちに遊んでもらうようになって、そこからですかね。

木村:今もチラっとクラブの名前とかもありましたけど、クラブのDJっていうのは、どういうきっかけで?

藤原:その頃、ちょうど海外でヒップホップが産声をあげた位だったんですけど、僕はそういうのがすごく好きで、自分でレコードも買ってたんで、その持ってるレコードを知り合いのクラブでかけさせてもらうというか、1日5000円もらってDJする、という感じをやってたんですよ。
それまで、DJというのは“サラリーマン”というか、クラブで給料をもらって、クラブにある備品としてのレコードをかけるのが仕事だったのね。そうじゃなくて、“自分が好きなレコードを持って行ってクラブでかける”ということをしたのが、僕だったり…その前は、大貫憲章さんが自分の好きなロックを集めてかける「LONDON NITE」があったりとか。そういう時代に変わった頃なんですかね。

木村:その後、高木完さんとのヒップホップ・ユニット「タイニー・パンクス」を結成し、日本初のクラブ・ミュージック・レーベル、「MAJOR FORCE(メジャー・フォース)」へ参加。
90年代からは自身の楽曲を発表する一方、(音楽)プロデューサーとして、小泉今日子さんとか…。

藤原:先にプロデューサーですかね。小泉さんとかUAとかをやって。

木村:あと(藤井)フミヤさんとか。

藤原:フミヤ君もやって。そうなんですよ。ギリギリJ-POPがめっちゃ売れる時代で。ギリギリちょっと印税に辿り着いた感じですかね。

木村:キョンちゃん(小泉今日子)とか、フミヤさん、あとUA。もうこういうこと(プロデュース)はしないんですか?

藤原:しないわけでもないですけど、“良い人がいたら”というか…。でも、それをメインにやっているわけではないので。何かあったらやりたい気持ちもあるけど。

木村:2006年にDJ引退を宣言し、現在はシンガー・ソングライターとしても活動中ということなんですが。なぜ(DJ引退を)宣言しちゃったんですか?

藤原:最初にDJをやった時の話をさっきしましたけど、“自分の好きなレコードを持って行って、好きな物をかけるDJ”だったんですね。そうすると、お店には常にDJがいるじゃないですか。サラリーマンというか、お店の従業員のDJがいて。良い曲がかかったら、その人たちに「これなんていう曲ですか?」って聞いても、その人たちは曲名もわからなくて、“ただ流行ってて人気があるからかけてる”ぐらいな熱量のDJがけっこういたんですよ。で、“そうはなりたくないなぁ…”と若い僕は思ってたのに、気が付いたら自分もそれに近い感じになってたというか。
レコード屋さんに行って「これいいですよ!」って若い店員から(薦められたレコードを)買って、それをそのままかけて。で、”これ、誰だっけな?”。そのアーティストもあんまり覚えられないというか。多分、熱量も下がっちゃったんだなと思って。

木村:なるほど。

[OA曲]
M.TERRITORY/HIROSHI FUJIWARA

(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)

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