映画『長崎―閃光の影で―』松本准平監督をお迎えして
2025/08/03 update
8月1日に全国で公開がスタートした映画『長崎―閃光の影で―』。
監督・共同脚本を手掛けた松本准平さんをお迎えしました。
1984年生まれ。
福山さんと同じふるさと長崎の時津町で高校まで育ち、東京大学に進学。
高校時代はお笑い芸人に憧れ、大学在学中にはNSC(吉本芸能総合学院)に通ったことも。
東京大学大学院在学中に、自主映画製作をスタート。
2012年、劇場デビュー作となる『まだ、人間』を発表。
2014年、商業映画デビュー作として柳楽優弥さんが主役を演じた『最後の命』を発表し、NYチェルシー映画祭でグランプリ・ノミネーション、そして最優秀脚本賞を受賞しました。
松本監督の出身高校や地元のことなどを話しつつ、今作のことに話がすすんでいきました。
(太字は福山さん)
長崎出身の表現者として戦争、そして幕末など、長崎という地が持つ激動の歴史を描きたいと思っていたことは?
・・・原爆のことはやりたいと思っていて、祖父が被爆者ということはあるんですけど、中学時代は毎日被爆中心地をみながら通学していて、原爆をとおして人間の姿を描きたいという思いはありましたね。
幾度も取材を行い、そして実際に映画を作って感じたのは、どんなことでしょう?
・・・学生時代の平和教育でいろいろ学んではいたけれども、取材を重ねていって、“救護”という観点から長崎の原爆を考えたことはありませんでした。改めて救うのが難しい命を救おうとする彼女たちの奮闘ぶり、使命感に奮い立たされて生きたその青春に胸を打たれ、製作に取り組みました。
困難な状況に置かれている、置かれてしまった人たちを見つめることによって、人間の本質、生の本質が垣間見えるような気がしています。
そもそも、命というのも自分が望んで得たものではなく、気がついたら与えられていたというところがあると思うのですが、何か不自由さというものが人生につきまとっているような気がしていて、それを映画をとおしてみていくと「不自由さの中に何か豊かさがあったりとか、光が見えたりとか、そういうものを今まで積み重ねてきた」という認識があります。
今回の『長崎―閃光の影で―』、僕の読後感は「きれいなものを観たな」ということ。
それは監督がおっしゃったように、目の前にある命を何はなくとも助けようという懸命さ。どんなコンディションでもそこには命があって、自分たちは若い看護生で医師ではないけれど命を救いたい。
そんな3人が苛烈な状況になればなるほど、彼女たちの健気さ、はかなさ、美しさが際立ちます。
映像のギリギリ絵画的な美しさが出せるようなところを意識されていたのかなとも思います。痛さや苦しさが絵からくると、どうしてもそちらに引っ張られて描きたい内容が薄まってしまう、その点でどの絵を見ても美しいんです。
このあたりも監督の作風だと思います。
おっしゃる通り原爆の悲惨さは伝えたい。
けれども、その描写を現実的にやろうとすると、看護婦さんたちのピュアな心を損なわれるかもしれない。そのバランスは気をつけながら製作しました。
もっとも描きたかったのは、3人の女性の気持ちの部分ですよね。
そうですね。もちろん当時の空気感で、やらなければいけない、ということはあったと思います。それでも彼女たちが目の前の命を救うという純粋な気持ちに目覚めていく。目覚めたとたん、いや、でもやっぱりという気持ちにもかられたりして、そのような葛藤が美しいなと思い撮影していました。福山さんのその感想はとてもうれしいです。
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番組には『長崎―閃光の影で―』の3人の看護婦さんのモデルとなった山下フジエさんのお子さんからもメッセージをいただきました。
山下さんは15歳で被爆、現在95歳でいらっしゃいます。
もうすぐ原爆投下から、そして終戦から80年という時を迎えます。
人間の一生に近いくらいのときが過ぎていく中で、記憶というのは薄れたり形を変えていくもの。
そうした中、その時を生きた人びとの心を想像すること、ますます大切になっていきそうです。
監督・共同脚本を手掛けた松本准平さんをお迎えしました。
1984年生まれ。
福山さんと同じふるさと長崎の時津町で高校まで育ち、東京大学に進学。
高校時代はお笑い芸人に憧れ、大学在学中にはNSC(吉本芸能総合学院)に通ったことも。
東京大学大学院在学中に、自主映画製作をスタート。
2012年、劇場デビュー作となる『まだ、人間』を発表。
2014年、商業映画デビュー作として柳楽優弥さんが主役を演じた『最後の命』を発表し、NYチェルシー映画祭でグランプリ・ノミネーション、そして最優秀脚本賞を受賞しました。
松本監督の出身高校や地元のことなどを話しつつ、今作のことに話がすすんでいきました。
(太字は福山さん)
長崎出身の表現者として戦争、そして幕末など、長崎という地が持つ激動の歴史を描きたいと思っていたことは?
・・・原爆のことはやりたいと思っていて、祖父が被爆者ということはあるんですけど、中学時代は毎日被爆中心地をみながら通学していて、原爆をとおして人間の姿を描きたいという思いはありましたね。
幾度も取材を行い、そして実際に映画を作って感じたのは、どんなことでしょう?
・・・学生時代の平和教育でいろいろ学んではいたけれども、取材を重ねていって、“救護”という観点から長崎の原爆を考えたことはありませんでした。改めて救うのが難しい命を救おうとする彼女たちの奮闘ぶり、使命感に奮い立たされて生きたその青春に胸を打たれ、製作に取り組みました。
困難な状況に置かれている、置かれてしまった人たちを見つめることによって、人間の本質、生の本質が垣間見えるような気がしています。
そもそも、命というのも自分が望んで得たものではなく、気がついたら与えられていたというところがあると思うのですが、何か不自由さというものが人生につきまとっているような気がしていて、それを映画をとおしてみていくと「不自由さの中に何か豊かさがあったりとか、光が見えたりとか、そういうものを今まで積み重ねてきた」という認識があります。
今回の『長崎―閃光の影で―』、僕の読後感は「きれいなものを観たな」ということ。
それは監督がおっしゃったように、目の前にある命を何はなくとも助けようという懸命さ。どんなコンディションでもそこには命があって、自分たちは若い看護生で医師ではないけれど命を救いたい。
そんな3人が苛烈な状況になればなるほど、彼女たちの健気さ、はかなさ、美しさが際立ちます。
映像のギリギリ絵画的な美しさが出せるようなところを意識されていたのかなとも思います。痛さや苦しさが絵からくると、どうしてもそちらに引っ張られて描きたい内容が薄まってしまう、その点でどの絵を見ても美しいんです。
このあたりも監督の作風だと思います。
おっしゃる通り原爆の悲惨さは伝えたい。
けれども、その描写を現実的にやろうとすると、看護婦さんたちのピュアな心を損なわれるかもしれない。そのバランスは気をつけながら製作しました。
もっとも描きたかったのは、3人の女性の気持ちの部分ですよね。
そうですね。もちろん当時の空気感で、やらなければいけない、ということはあったと思います。それでも彼女たちが目の前の命を救うという純粋な気持ちに目覚めていく。目覚めたとたん、いや、でもやっぱりという気持ちにもかられたりして、そのような葛藤が美しいなと思い撮影していました。福山さんのその感想はとてもうれしいです。
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番組には『長崎―閃光の影で―』の3人の看護婦さんのモデルとなった山下フジエさんのお子さんからもメッセージをいただきました。
山下さんは15歳で被爆、現在95歳でいらっしゃいます。
もうすぐ原爆投下から、そして終戦から80年という時を迎えます。
人間の一生に近いくらいのときが過ぎていく中で、記憶というのは薄れたり形を変えていくもの。
そうした中、その時を生きた人びとの心を想像すること、ますます大切になっていきそうです。





