ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : スポーツ

嘉納治五郎

2018.11.03

第291話 嘉納治五郎

柔道の父「嘉納治五郎」が志したもの
第291話 嘉納治五郎
9月に行われた世界柔道では、日本は金8、銀5、銅4のメダルラッシュ。柔道の母国だから当然と思うかもしれないが、実は競技人口はフランスが50万人なのに対して、日本は20万人と言われる。世界に普及した柔道は、もはや日本だけのものじゃない。そしてそれは、柔道の生みの親である《嘉納治五郎》の望みでもあった。どうして嘉納治五郎がそう考えたのか、その起源を振り返ってみよう。

嘉納治五郎は1860年、神戸の生まれだ。桜田門外の変が起こって日本が激動の幕末へと突入した年だな。もっとも7歳の1867年には大政奉還で江戸時代が終わり、翌1867年から文明開化の明治時代になるから、ほぼ明治以降の人と言って良いだろう。裕福な商家に生まれた治五郎は11歳の時に親と一緒に上京し、学業で優秀な成績を収めて東京大学へ進学する。

そんな治五郎にも悩みがあった。お勉強が得意な秀才にありがちな悩みだが、治五郎はひ弱ないじめられっ子だったんだ。しかし東大に入った治五郎は、もういじめられて泣くだけの子供じゃなかった。治五郎は東京中の整骨院を巡って「柔術を教えてほしい」と頼んで回ったんだ。当時、整骨院は柔術出身の人が多かったからな。治五郎は天神真楊流や起倒流などの柔術道場に何年も通い、どんどん強くなっていった。

やがて東大を卒業した治五郎は、学習院の教師となり、上野の永昌寺に自らの道場「講道館」を開く。そしてそれまでに覚えた様々な柔術の技から危険性を排除し、心身を鍛練するための武道「柔道」を教え始めた。従来の柔術は戦いで敵を倒すための技術だったが、柔道は自分を鍛えるための武道。だから練習や試合の相手を務めてくれる人も大事にしなければならないと、治五郎は自他共栄の精神を説いた。

さらに治五郎にとっての「他」は日本人に限らなかった。その精神に魅せられた世界各国の人々を講道館で受け入れ、彼らが祖国で柔道を広めたいと頼まれれば喜んで優秀な指導者を送った。そんな風に自他共栄の精神を実践した治五郎は、「勝つことではなく参加することに意義がある」という言葉で有名な近代オリンピックの父、クーベルタン男爵に見込まれ、アジア人初のIOC委員となって東京五輪の誘致に奔走する……そのあたりは来年の大河ドラマ『いだてん』で描かれるだろう。

今日はそんな嘉納治五郎と、彼が生み出した柔道の話を、詳しい人に会って聞いてみよう。Here we go!
ONAIR LIST
2'38" / Route 66 / George Maharis
28'04” / 姿三四郎 / 村田英雄
37'47" / Over When It’s Over / Eric Church
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