ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー

節分

2019.02.02

第304話 節分

かつて「節分」とセットだった風習とは?
第304話 節分
明日、2月3日は節分。我らが山猫冒険団は役所くんの依頼で、近所の子供たちのために節分の昔話を劇でやることになった。演目は「まんが日本昔ばなし」でも紹介された『鬼の嫁さん』だ。宇宙人たる俺の役どころは、地球征服をたくらむ悪の鬼……あれ、そんな話じゃなかったっけ? じゃあ今日は《節分》がどんなものか、改めて確認しておこう!

節分という行事は驚くほど歴史が古い。そのルーツである「追儺(ついな)式」が初めて行われたのは奈良時代の706年。『日本書紀』の続巻『続日本紀』に、疫病が流行って大勢の人が死んだため、宮中で厄払いの「大儺」を行ったと書かれている。この大儺はもともと中国で行われていた儀式で、「鬼を追い払う」という意味からやがて日本では「追儺」と呼ばれるようになり、大晦日の宮中行事として定着していった。

豆まきが行われるようになったのは室町時代。おなじみの「鬼は〜外! 福は〜内!」の掛け声もこの頃からあった。これはその昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げに従って、豆を鬼の目にぶつけて追い払ったという伝承に由来している。「魔(マ)の目(メ)に豆(マメ)をぶつけて魔(マ)を滅(メ)っする」……なんてな! え、駄洒落はオッサンくさい? そんなー何百年もの歴史がある鉄板ネタなのに。

宮中行事だった節分が庶民にも普及したのは江戸時代。ちなみにこの頃、もうひとつ定着した風習がある。それが「年越しそば」だ。そして江戸時代は旧暦だったので、立春が1年の始まりとされていた。だからその前日、つまり節分に食べるそばが年越しそばだったんだ。12月31日にも蕎麦を食べたが、そちらは「晦日(みそか)そば」と呼ばれていたな。それが明治になって新暦が採用されて、12月31日が年越しそばになったんだ。

近年は節分といえば恵方巻がすっかり定着したが、サブウェイが「恵方サブ」を販売したり(ぶっちゃけフットロングの割引キャンペーンだ)、崎陽軒が「シウマイ恵方まん」を出したり、ちょっとカオスな状況になりつつある。子供たちに節分劇を披露するなら、ちゃんとした節分のことを知っておいた方が良さそうだ。今日は節分に詳しい人に会って、いろいろ教えてもらうとしよう。Here we go!
ONAIR LIST
3'08" / Route 66 / George Maharis
12'14" / It Could Happen To You / Edda Magnason
35'14" / Ooh-Shoo-Be-Doo-Bee / Stacey Kent
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