ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー

江戸の夕涼み

2013.08.24

第21話 江戸の夕涼み

ゲストコメント
三井不動産 日本橋街づくり推進部 吉山太郎さん「江戸の人々の涼を取る工夫」
三井不動産 日本橋街づくり推進部 吉山太郎さん
江戸時代、日本橋は川が流れているので物流の中心でもあったし、魚河岸もあったので食の中心でもありました。大きな呉服店「三井越後屋(現在の三越)」などがある商業の中心でもあったし、現在の日銀の場所に金貨を鋳造する「金座」があった金融の中心でもあったんです。さらに3つの幕府公認の歌舞伎小屋の内2つが日本橋にあったので、文化娯楽の中心でもありました。

そんな日本橋は数多くの浮世絵に描かれました。その浮世絵を見ると、通りはかなり混雑していたことが窺われます。参勤交代の大名行列も通ったし、呉服屋に買い物に来た人、芝居見物の人もいました。その一方で魚河岸があったので、荒っぽい人たちがふんどし姿で働いていたりもしたんです。そんな様々な人が混じり合った場所が江戸時代の日本橋です。

浮世絵には愉しみながら涼む人々も描かれています。五感で涼しさを感じることを「涼を取る」と言ったようで、たとえば「目で見る涼」の代表が金魚。金魚は江戸時代の中盤から後半にかけて中国から輸入されて普及したのですが、当時は平面ガラスが作れなかったので、今のように水槽を横から見るのではなく、上から眺めるものでした。江戸の人々は赤や黒の金魚が緑の水槽を泳ぐ姿を見て、涼しさを感じていたんです。

スイカやウリは江戸時代から涼を感じる食べ物として親しまれ、夏になると水菓子(果物)屋が出ていました。隅田川の川開きとして行われた花火大会も、日が沈んだ後なので涼の一種。現代の涼はエアコンのように技術とエネルギーの力で実現していますが、江戸時代は想像力を働かせて愉しみながら涼を取っていました。

浴衣に関しては、江戸時代中期までは部屋着の一種で、外出時に着るものではありませんでした。今でもかしこまった場所、たとえば披露宴で浴衣を着るのはちょっと抵抗があるでしょう。でも花火大会ではむしろ浴衣が正装。その感覚は江戸時代中期以降で、江戸時代に何度か出た倹約令で「絹の着物をあまり着ないように」と言われ、木綿の浴衣が普及していったんです。
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