ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー

浮世絵

2017.05.27

第216話 浮世絵

ゲストコメント
日本美術史学者 安村敏信さん「浮世絵は儲けるために作っていたんです」
日本美術史学者 安村敏信さん
── 浮世絵はいつ頃からあるんですか?

もともと江戸の庶民に美術を愛でるような文化はありませんでした。しかし1657年、明暦の大火と呼ばれる大火事が起こり、江戸の町がほとんど焼けてしまいます。そして復興のために地方から大勢の職人が集められた時、職人たちの愉しみとして絵師の菱川師宣が商売になると目を付けたのが「絵本」でした。

製本すると高くなるので1枚刷りにして、さらにモノクロ版画なら版を1枚作れば何百枚も刷れます。題材もそれまでの劇画から、悪所と呼ばれ人気のあった歌舞伎や吉原の世界を紹介するブロマイドのようなものに。こうして人気を集めた菱川師宣たちの絵は、世の風俗(浮き世)を描いた絵ということで「浮世絵」と呼ばれました。

── でも浮世絵といえばカラーという印象ですよね

浮世絵がカラーになったのは明和2年(1765年)です。この頃は陰暦だったので、29日で終わる小の月と、30日まである大の月が、年によってまちまちでした。そこで今月は大なのか小なのかを知るための絵暦(カレンダー)が重宝がられたんです。この絵暦をお洒落にするために多色刷りの印刷技術を完成させたのが鈴木春信という浮世絵師でした。

鈴木春信は版がずれないよう、版板に「見当」と呼ばれるL字型の刻みを入れました。現代の印刷におけるトンボと同じですね。もっとも理屈は簡単ですが、実際は彫り師や刷り師の高い技術があって初めて実現できたとも言えます。この技術によって多色刷りになった浮世絵は「錦絵」と呼ばれました。ちなみに刷り師が見当を外して刷ってしまうのが「見当外れ」という言葉の由来です。

── 浮世絵はそんなに人気だったんですか?

世界中を見渡しても、この時代に庶民がこれほど美術に親しんでいたところはなかなかありません。《富嶽三十六景》《東海道五十三次》も何千枚刷られたか分からないくらいで、それだけあれば陶器の包み紙に使われることもあるでしょう。そこに描かれた浮世絵を見て印象派の画家が衝撃を受けたなんて伝説もあるくらいです。

ただし当時の日本人に浮世絵を芸術と考えるような発想はありませんでした。そもそも芸術という概念は明治以降に西洋から輸入されたもの。それなのに浮世絵が芸術だなんだと言うからおかしな解釈になってしまいます。もっと素直に「こいつは儲けたかったんだ」という感覚で浮世絵を見れば、また違った面が見えてくるのではないでしょうか。
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