ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー

ラジオ

2018.03.24

第259話 ラジオ

ゲストコメント
プロデューサー 秋元康さん「ラジオが僕の教科書でした」
プロデューサー 秋元康さん
── ラジオと音楽の関係をどう思われますか?

すごく重要だと思います。阿久悠さんが仰っていたのですが、大ヒット曲がなくなったのは街鳴りがしなくなったからではないかと。みんなヘッドホンで個々に音楽を聴くようになって、ラジオに代表される街のあちこちで流れる音楽を聴く機会が失われました。それで昔のような大ヒット曲が生まれにくくなったんだと思います。

それにかつては深夜放送からもヒット曲が生まれていました。僕も林美雄さんの番組で石川セリさんの《八月の濡れた砂》を聴きましたし。落合恵子さんがマリー・ラフォレを紹介したり、加藤諦三さんが人生を語ったり、深夜放送のパーソナリティが僕にとっては兄貴や姉貴のような存在でした。

── 秋元さんはラジオがこの業界に入ったきっかけと伺いましたが

土曜日の深夜に放送していた、せんだみつおさんの『足かけ二日大進撃!』に投稿したのが最初でした。受験勉強の合間に聴いていたんですが、特に募集があったわけでもないし、ハガキ職人だったわけでもないのに、平家物語のパロディを書いて送ったら、放送作家の奥山侊伸さんが「おもしろいから遊びに来ないか」と。

それが高2の夏で、その年の冬にはレギュラー番組を持っていました。『あおぞらワイド』という昼の番組で、コーナーのアイデアを出したりクイズを作ったりしていたんです。もちろん高校生なので「あいつを入れて好きなことを言わせよう」みたいなブレーン的なポジションでしたが。

── その後はどんなラジオ番組を手掛けられたんですか?

大学生になる頃には、ニッポン放送でタモリさんの『オールナイトニッポン』や、『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』。さらに文化放送でも、ふとがね金太さんの『セイ!ヤング』や、ささきいさおさんの『ペパーミントストリート 青春大通り』などの番組に携わり、そのうち放送作家として原稿も書くようになって、僕の青春はラジオ一色でした。

高3の夏なんてほとんどニッポン放送のレコード室に籠もって、『タコ社長のマンモス歌謡ワイド』で流す往年の歌謡曲のイントロの口上を書いていましたから。そこで美空ひばりさんの《お祭りマンボ》や、青島幸男さんが作詞した《五万節》を聴いたのが、後にとんねるずのコミックソングを書くヒントになったのかもしれません。
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