ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : スポーツ

ベーブ・ルース

2018.06.30

第273話 ベーブ・ルース

ゲストコメント
岐阜市立女子短期大学 教授 中西満貴典さん「日米野球の歴史を紐解けば」
岐阜市立女子短期大学 教授 中西満貴典さん
── 日米野球はいつから始まったんですか?

初めて大リーグの一流選手を集めて来日したのは昭和6年(1931年)です。でも実はそれ以前にも大リーガーとマイナーリーガーの混成チームは来ていて、たとえば大正9年(1920年)にはオール・アメリカン・ナショナルというチームが来日。それ以外にもマイナーリーグの選手を中心としたチームがちょこちょこと来ています。

逆に日本の早稲田や慶應、明治などの大学チームがアメリカに渡ったりもしています。もともと野球が日本に伝わったのは明治4年(1871年)。アメリカ人教師のホーレス・ウィルソンが第一高等学校(現在の東京大学)の生徒に教えたのが始まりでした。野球は最初から学生を中心に、意外なくらい国際的だったんです。

── 昭和6年に来日したチームはどんなメンバーだったんですか?

人数はたったの14人。しかしルー・ゲーリッグ、レフティ・グローブ、アル・シモンズ、フランキー・フリッシュ、、ラビット・モランビルなど、後に野球殿堂入りする超一流の選手たちでした。ここまで凄いメンバーを送り込むからには、アメリカ側の利益もあったはずです。そういう意味では単なる野球親善だったのかどうかは疑問ですが。

そして昭和6年に対戦した日本チームの選手は、早稲田や慶應などの学生たちでした。しかし大リーグのオールスターチームが再び来日した昭和9年(1934年)は、学生がひとりも出ていません。かつて六大学野球でスターだった慶應の水原茂や早稲田の三原脩などOBを中心に、実業団チームで活躍する日本の一流メンバーが集まったのが、昭和9年だったんです。

── それでも昭和9年の日米野球は16戦全敗だったそうですね

そうなんですが、それだけでは終わりませんでした。昭和9年の日米野球は11月に行われましたが、日本チームは10月から千葉県習志野市の谷津にあった球場で合宿をしたんです。そして日米野球が終わった後に、そのチームを母体として「大日本東京野球倶楽部」を結成。それが現在の読売巨人軍です。

現在、バラ園になっている旧谷津球場跡には「読売巨人軍発祥の地」というモニュメントが残っています。つまり日本のプロ野球が始まったきっかけが、昭和9年の日米野球だったと言って良いでしょう。機会があったら是非そのモニュメントをご覧下さい。
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